2022年4月1日金曜日

『フーテン老人世界遊び歩き記』

 色川大吉の『わたしの世界辺境周遊記フーテン老人ふたたび』を読んで以降、この人に興味を持ち『フーテン老人世界遊び歩き記』(色川大吉 岩波書店、1998年第1刷)を読む。この本を読んだ後も、さらに関心が沸いて2冊読んだ。人の名前でその人を判断する癖がある。この人の名を聞いて根拠なくいいイメージを抱かなかった。ところが本のタイトルにある「世界辺境周遊」、に惹かれて本を読むと自分がイメージしていた人とは違っていい人だ。それからの1月間に色川大吉の本を4冊も読んだ。

 見も知らぬ人を名前などで判断してはいけない、ということがよくわかった。名前でその人となりを判断するのは何も作家だけではない。どんな有名なアーティストであっても名前が好みでないと全く関心を抱かない。これはよくないと思って改めようとするが、それでもなかなか悪い癖が抜けそうにない。

 以下は『フーテン老人世界遊び歩き記』からいつものごとく気になる箇所を記そう。終わ辺りに記したメルセデス・ソーサの愛唱歌「人生よありがとう」が気に入った。この本を読んで知った曲なのでメロディーも歌詞も全くわからない。この状態からこの歌を覚えるのは無理かもしれない。が、YOU TUBEを見ると半端なく再生回数が多い。誰からも愛されている歌に違いない。気長に聞いてこの曲を覚えよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★いまのフー老には介護してくれる人がいない。金もない。もとより、老衰していつまでも長生きしていたいという気持ちはないが、死ぬまぎわまで楽しく遊んだり、好きな仕事に没頭していたいのだ。そのためには最低限必要な体力を保持しておかなくてはならないぞ、そう思ってからフー老の強化体操がはじまった。自分で考案した全身の血行を良くする簡易体操、スキーに備えるための筋肉を柔軟にする運動と足腰をきたえる体操、それを一日も休まず、朝と晩かならずやる。そのうえ暇があればプールで泳ぐ。冬はスキーに行く。行けないときは日に最低二キロは速や足で歩く。階段はなるべく足で上がる。菜食と魚食をふやし、栄養のバランスを意識する。こうした試みは、アメリカ暮らしのときからはじまり、いまでもやめずに続けている。(43p)

★フー老は高校から山岳部に入って体をきたえたので基礎体力はあった。その後、それを過信して、非合理な生活をつづけ、五体をボロボロにした。それに気づいたとき、諦めないで修復に努力できたのは、楽しいことをしたいという一念があったからといえよう。人間は自分のために生まれてきたのだから、楽しく生きなくては生をうけた甲斐がない。神のためにではない、国のためにでもない、家族のためにでもない。自分のために自分を生きる。それがだれかのためになったかは、結果として出てくることだ。そう、フー老人は思うようになった。(44p)

★フー老はこの談話記事(注を参照)を読んだとき、いたく共感した。ただ、凡俗な日本人であるフー老にはしがらみが多すぎた。それからいかに自分を解放するかで悪戦苦闘しているうちに多くのエネルギーを使ってしまい、老け込んだ。そのことをフー老は悲しみ悔やんでいる。その痛覚があるからこそサイデンステッカーさんの自由に羨望の念をいだいたのだ。だが、フー老でさえ、全国に幾千万人もいる老人からは羨ましがられる存在だ。仏陀も言われるとおりだ。眼下は千仞の谷、頭上は薔薇(しょうび)の天国と。(45-46p)

注:アメリカ人の日本文学研究家であるE・G・サイデンステッカーの「私は独身を通してきました。別にポリシーでそうしているわけではなく成り行きで、その方が楽だったから。朝と昼の食事は、めん類や雑炊、豆腐料理などを自分で作ります。夜はたいてい浅草や新宿あたりに友人たちと出て歩くので、ほとんど不便を感じません。……私の場合はとにかく書くことが何より楽しみ。今も午前中は掃除や植物の世話をすませてから、必ずワープロに向かいます。私は永井荷風が一番好きなんですが……」(『AERA』一九九五・九・一五)

★フー老には、イスラムの大義のためとか、「聖戦(ジハード)」に命をささげて戦死したとかいう聖職者らの弁明の欺瞞がゆるせなかった。それはフー老が体験した、日本の「皇軍」の正義の戦いとか、天皇のための「名誉の戦士」とかいう美化とおなじであった。(100p)

★ギラギラした太陽の熱戦は冬を感じさせない。頂上に立って見ると、イラクは指呼の間だ。トーチカが見え、四連装の対空火器が備えられている。案内してくれた将校たちに感謝して基地を出る。午後はスーサの遺跡にまわる。(105p)

★フー老は夢を追い求めた。夢をなくした老いの人生なんて灰色のトンネルの中をゆくようなものだと思っていた。七十数年も使い古した体をあやしながら、メンテナンスをかさね、カリブ海の南、未知の大陸をめざす。難民列車のようなローカル線に揺られて謎の山上都市マチュピチュの廃墟をたずねたり、出稼ぎがえりの男女でごったがえすアルゼンチンの国内機でもみくちゃになりながら、憧れていたパタゴニアの大地をめざす。(150p)

★フー老が多年の仮面をぬいで、少年のころの地にもどったのは、ボケの進行のせいもあろうが、永年の勤めをやめ、家庭や運動から離れて一人になってからである。それで普通はダメな人間になるのだろうが、人生は捨てたものではない。そうしてはじめて得られる幸福もあった。チリの偉大な民衆詩人ビオレッタ・パラの名作で、アルゼンチンの”星”といわれるメルセデス・ソーサの愛唱歌「人生よありがとう」にもある。

人生よ ありがとう こんなにたくさんのものをくれて

人生はくれた 嗤いと 涙とを

それで 私は見分けられる 嘆きと幸せを

私の歌を形づくる 二つのものを

あなたたちの歌 それは私の歌

みんなの歌 それは私自身の歌

人生よ ありがとう☆!(167p)


★「幸福だなァ」とふりかえって笑う。エリコは鬼のようにはねながら行く。樹齢一〇〇〇年、一五〇〇年と札を立てた巨木もあった。注連縄でも張って祝ってやりたい。ここの先住民はおそらくこうした巨木を守護神と仰ぎながら、アンデスを自由に往来していたのであろう。……人間は自然にたいして良いことはなんにもできないくせに、ひどいことばかりしてきたものだ。いまに天罰が下って当然だろう。この先住民の小径は車が通れないために、湖沼や滝が原始のままの姿で残されている。こういうのを見ていると、自然にとって人間は存在しない方がよかったのではないかと思いたくなる。「人間にとって生まれなかった方が生まれるよりも優っている」とのギリシャ悲劇の言葉(エウリピデス)がうかんでくる。(188-189p)

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