2019年4月16日(火)から4月20日(土)まで、「絶景の台湾大周遊5日間」と銘打った旅に出かけた。台湾の旅としては2度目で、台北乗り継ぎは何度かある。4年半前に某交流会で出かけたのが最初の台湾だった。その時はいわゆるツアーでなく、会が旅の日程を作成した。その時の旅でいただいた料理はこれまで出かけたどこよりも美味しく、それ以降「台湾料理は日本に次いで美味」と思った。そして、人にもそう話した。ところが今回、旅行社の募集するツアーに参加して前回の旅は旅費も高く贅をつくした旅だったと改めて知る。
今回、再度台湾に出かけようと思ったのは一般の台湾旅行では募集がない杉林渓、台湾最南端の鵝鑾鼻岬、そして台東が日程にあったから。今回の旅も大連と同じく日本から添乗員がつかず、現地ガイドが案内する。ただ、5日間の短い旅であっても連日、早朝から夜遅くまでの観光で結構ハードな旅となる。それでも大半の行く先々が初めてなので興味津々の旅となった。そして何が良いといって、花咲き乱れる新緑の4月の台湾は美しすぎる!
今回も下手の横好きでブログが長くなった。尚、旅の参加者は12名。うち8名は4名が50年来の友だちらしい。そのつながりから岡山勢を4人集めて8人となっていた。残る4名は1人参加と夫婦連れだった。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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時計と反対まわりに台湾を周遊した |
第一日目 2019年4月16日(火) 広島空港✈台北桃園国際空港🚄台中🚌日月潭🚌杉林渓の夕日鑑賞 小雨
広島空港9時発、CI1113チャイナエアライン直行便にて台北へ離陸。添乗員がいないツアーなので空港係員から広島空港出国時と台北桃園空港入国時の説明を受ける。各自、Eチケットを持参して空港カウンターで荷物のチェックと航空チケットを受け取る。その時、いつも通りに「通路側」を要求。最近は慣れてきて通路側をゲットする。ところが、航空券をバッグに入れる時、半券がちぎれたのか搭乗口でないことに気付く。こういうことは初めての経験でびっくりする。だが、意外と気持ちに落ち着きがある。搭乗拒否されてバッグの中を調べるがチケットは見当たらない。「ない!」とあきらめて係りに近寄ろうとしたとき、坐っていた椅子の下に何かを見つける。半券だった。搭乗口で先の係り曰く、「チケットがあって良かったですね」。旅の最初のアクシデントは「気をつけよ」との暗示と肝に銘じて機内に入る。
10時50分(ここからは現地時間表示。日本との時差は1時間)、台湾桃園国際空港到着。尚、機内食はヌードル。気温19度で小雨。到着時、指定された場所に現地ガイドがいない。ツアーの参加者12名はこの時点ですでに全員の顔を確認済み。右往左往するがいない。皆で係員を探すと人込みの場所に現地ガイドがいた。何といい加減なガイドだろう。
ガイドと合流後、昼食の弁当を受け取る。そして現地通貨に両替する。5000円=1330元。ここから台湾の新幹線で台中まで乗車する。車内でお弁当を食べる。弁当はサンドイッチ。日本と同じだが、ただ一つ違うのは塩味でなく甘い。12時半乗車して13時15分、台中到着。到着後バスに乗り換えて2時間弱で日月潭に着く。生憎の小雨だが、その後は何処もお天気に恵まれる。日月潭は2度目の観光だった。
日月潭
台湾の代表的な景勝地日月潭は台湾最大の淡水湖らしい。
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文武廟から日月潭を見下す |
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雨でかすむ日月潭 |
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日月潭文武廟 |
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日月潭文武廟 |
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日月潭文武廟 |
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日月潭 |
日月潭を後にしてバスは台湾中部の夢幻境、杉林渓に向かう。杉林渓は今回の旅のハイライトともいえる一つだ。途中、お茶屋でトイレ休憩。ここで高価で高級なお茶のデモンストレーションがある。杉林渓は台湾の有名な高山茶の産地らしく、流暢な日本語で茶葉の販売が始まる。ツアー客のうち1人だけがお茶を購入。
バスは標高1600mにある杉と檜の香りに包まれた四季のホテル杉林渓谷大飯店を目指す。途中、夕日鑑賞のビューポイント地点である向欣台に向かう。到着するまで干支の動物を模したオブジェの道を通る。18時、干支のオブジェの最後を通過すると向欣台に着いた。下車して夕日鑑賞のところがこの日は小雨のため山にかすむ雲霧を眺める。杉林渓の通年の平均気温は20度くらい。だが日中の気温の寒暖差は大きく霧と雲に囲まれることが多いとか。この日は14度だった。台湾は暑い、との予想を裏切って旅に持参した全財産の衣服を着るが冷たい!
杉林渓 向欣谷
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小雨降る杉林渓へ移動中の車内から |
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雲霧でかすむ山 |
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雲霧でかすむ山 |
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杉林渓パークエリア内の向欣谷
ここから夕日を眺める
だが、この日は生憎の小雨 |
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トンネルを抜ける
赤い線までが歩行者用 |
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向欣台に咲く花
夕食後、ホテル屋上で予定された天体観測は小雨のために中止となる。他にもホテル内で催された星座の解説の参加も取りやめる。どういってもこの日は朝4時半の起床で広島空港へは7時に集合した。また翌日も早朝の日の出鑑賞で朝早い起床となる。夜は郷土料理をいただいた。だが、ホテルまでの狭いくねくね道を長時間、バスで移動したのでバスに酔った感じがして9時過ぎに眠る。この夜の宿は杉林渓谷大飯店(ホテル)。部屋は広く、おつまみや飲み物もあった。
旅の募集パンフに標高3000m級の大雪山山系からご来光鑑賞とうたっている。この3000m、は旅に出る前から気になっていた。どういってもこの高さだとどこでも高山病を経験している。現地ガイドに問うと、眺めるのは2000m超の高さと聞いて安心して眠る。
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杉林渓ホテル内の給湯器
部屋には湯沸かし器でなく蛇口をひねると熱湯と水が出るようになっていた。こういう設備は珍しい。
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第二日目 2019年4月17日(水) 杉林渓日の出鑑賞🚌杉林渓森林遊覧区🚌烏山頭水庫(ダム)&八田與一記念園区🚌果物市場🚌台南・赤崁楼🚌林百貨店🚌台南・高雄🚌夜市 晴れ
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杉林渓ホテルロビー |
杉林渓 留龍頭
4時半起床。5時半、杉林渓の日の出に合わせてホテルをバスで出発。標高3000m級の大雪山山系からのご来光を鑑賞の予定が靄と霞で無理だった。だが、ガイドは杉林渓の鳥たちの鳴き声を聞くようにとしばし皆、無言になる。デジカメはカメラ機能以外に動画も可能。だが、あまり経験がなく撮影は不可能だった。時に、デジカメのムービーに挑戦しよう。
ご来光鑑賞は叶わなかった。ホテルに戻って朝食をいただく。8時、専用バスにのって杉林渓谷森林遊楽区観光に出かける。
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日本の植民地時代、東京帝国大学の研究施設だった
今は台湾大学実験林管處となっている |
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止める杉林渓の朝日はここから眺める |
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生憎の靄と霞で朝日は顔を出してくれない |
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杉林渓観光の専用バス |
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太陽は昇りそうにない |
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1600mの標高に建つ立派な杉林渓大飯店 |
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杉林渓大飯店 |
杉林渓森林遊楽区
もらったパンフによると2018年台湾審査会において最優秀賞を獲得したテーマパークとある。1979年から2019年まで「40年杉林渓永続」との環境教育施設認証マークがついている。杉林渓森林遊楽区観光へはホテルから専用の遊園車に乗って移動し、そこから松瀧岩瀑布、石井磯、燕庵などの大自然を徒歩で散策した。散策といってもどの歩道にもそれぞれ名前が付けられている。渓谷の歩き始めは涼しいが、次第に汗がしたたり落ちるほど蒸し暑くなる。前夜の雨でぬれた木道などを滑らないように気を付けて歩く。だが、途中で写真を撮っていると人の列からおくれをとる。走ると滑りそうで危ない。トレッキングシューズを履いての2時間の山歩きだった。
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白い花の名は? |
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九九吊り橋を渡る |
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松瀧岩瀑布 |
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石井磯 |
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松瀧岩瀑布 |
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木道の歩道を歩く
上には燕の巣がたくさんあった
さすが燕庵 |
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杉林渓の最高地点にある天地眼 |
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遊楽区内の標識 |
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かわいいゴミ箱 |
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早くも紫陽花が咲いていた |
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花卉センター展示館 |
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4月は牡丹が見ごろ |
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牡丹 |
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酔愛牡丹 |
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見たことないほど大きな白いカラー |
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これも牡丹? |
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フクシア |
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遊楽区内の「上善若水」標識 |
「上善若水」をネットで調べると「老子の言葉で、理想的な生き方とは『水』のようであることだという意味です。水は丸い器に入れば丸くなり、四角い器に入れば四角になる。熱すれば湯となり、冷やせば氷となる。水滴が集まればせせらぎとなり、せせらぎは小川となり、河となる。川は運河となり、海に至ります。どんなすき間にも入り込み、時には大きな岩にも穴を空ける」とある。
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満開の白い藤棚を通り抜ける |
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青い藤も満開 |
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白い藤棚が続く |
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青龍瀑布 |
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燕庵歩道
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園内にある神社 |
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遊楽区の川の傍を歩く |
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遊楽区内の「能屈能伸」の標識 |
石井磯歩道の途中にある「能屈能伸」の標識をネットで調べた。「(成語) (
曲げることもできるし伸ばすこともできる→)失意の時には堪え忍び得意の時に大いに腕前を振るう,どのような環境にも順応できる」の意だった。
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魚も泳いでいる |
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八八吊り橋に行く途中の歩道 |
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八八吊り橋 |
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園内の干支のオブジェ(羊) |
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遊楽区内の標識 |
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石井磯 |
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石楠花 |
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石井磯 |
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石楠花 |
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大きなシダ |
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竹林 |
烏山頭水庫(ダム)&八田與一記念園区
杉林渓森林遊楽区を観光後、専用遊覧車に乗ってホテルに戻る。10時半、荷物を受け取って、バスで烏山頭水庫(ダム)に向かう。4年半前、初めて台湾へ出かけた時、八田與一の台湾での功績をバス車内のビデオで見せられた。その時は八田與一は全く知らなかった。今回はビデオでなく、この眼で八田與一のすばらしさを知る。
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桜並木通り
公園の入り口にはダムの完成時、日本から持ち込み植えられた桜並木があった。堰堤に沿って1.2kmに渡り樹齢80年以上の南洋桜が咲き誇る。
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桜並木通り |
八田與一記念公園内でお昼の郷土料理をいただく。食事後、現地ガイドはレストランの端のダムの全景が見える位置に連れて行く。お天気も良くて全景を見渡せた。
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八田與一が造ったダム全景 |
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菩提樹 |
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八田與一の銅像
八田與一は台湾の人にとても愛されていた。銅像の前で説明するガイドたち。台湾の旅行者なのだろう。どの人も長いこと真剣にガイドの説明を聞いていた。八田與一のお墓には八田夫妻が眠っている。銅像が置かれた場所は八田技師が一生をかけて成し遂げたダムを眺めることができるそうだ。
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ウイキペディアによると「太平洋戦争
中の1942年(昭和17年)5月、陸軍の命令によって3人の部下と共に客船大洋丸に乗船した八田は、フィリピンの綿作灌漑調査のため広島県宇品港で乗船、出港したがその途中、大洋丸が五島列島付近でアメリカ海軍の潜水艦グレナディアーの雷撃で撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した。正四位勲三等叙位叙勲」とあり、さらに「日本敗戦後の1945年(昭和20年)9月1日、妻の外代樹も夫の八田の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口に投身自殺を遂げた」とある。
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八田技師亡き後、八田の妻はこのダムに身を投げた |
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八田技師記念堂
ダムに隣接して八田技師記念堂が建っている。ここには八田の功績のビデオ鑑賞ができ、また展示がされていた。公園を後にしてバスで八田技師が住んでいた家を外から眺める。
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八田與一の旧居 |
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八田與一の旧居 |
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八田與一の旧居 |
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八田與一の旧居 |
台南市の果物市場
バスは台南に向かう。途中、市場によってアップル・マンゴーの試食会となる。台湾マンゴーは「愛文」や「玉文」などがあり、市場に入る店主によってはバケツ一杯のマンゴーが150元=600円で売っている。現地ガイドは愛文を何個か買ってツアー客12人に試食させてくれた。日本では高級品のマンゴーだが、台湾では日本でみかんを買う感覚で安い。ツアー客のうち、8人で参加したうちの1人はバケツに入ったマンゴーを買ってホテルで皆で食べたそうだ。果物は他にもガイドがバナナを買って皆に配ってくれた。
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台南市にある果物市場
いろんな個人業者が店主になっている |
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アップルマンゴーはバケツ一杯で150元≒600円 |
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市場の果物 |
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玉文マンゴーは愛文とキンコウのミックスらしい |
赤崁楼
マンゴーを試食後さらにバスに乗って台南に向かう。台南は鄭成功がオランダ軍撃退後、200年以上も台湾の首府として繁栄した古都で200を超える寺廟や史跡が点在する。1653年にオランダ人が建造した赤崁楼は赤れんが造りの台南最古の建築物だそうだ。ここは以前の旅でも観光している。だが、ガイドによって説明が異なるのか、初めて聞いたことがある。それは赤崁楼内にある瓶型の門で花瓶の形に模してある。花瓶の北京語の発音は”Huāpíng”、和平は”hépíng”。この発音が似ていることから「平穏無事」(和平)の意があるという。
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赤崁楼 |
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花瓶の形の門 |
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花瓶の形をしている |
林百貨店
次にバスは林百貨店に向かう。林百貨店は1932年に日本の商人により台湾で初めてエレベータを備えた百貨店として創立された。閉店の後、2014年にリノベーションされて再度オープンした。「台南生活」をテーマにしためメイドイン・台湾の商品が売られている。6階の屋上にエレベータで上がると神社跡などの昔をしのばせるものがあった。
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林百貨店のエレベータ |
台南の名物料理「度小月」
台南観光後、バスで高雄に移動する。夕食は老舗のレストラン「度小月」で台南の名物料理をいただく。
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からすみ |
夕食を済ませると、神農街のライトアップされた夜市を散策する。夜市はこじんまりしていた。夜市入り口付近に1台自販機がある。手提げ袋が出てくる自販機で、日本で御役目御免となった機械をここで再利用していた。金銭投入口に日本円100円とある。だが機械は紙幣を入れる仕組みになっている。台湾の百元は紙幣だ。どうも納得できずお店の人に聞くと日本から持ち込んだ再利用の自販機だった。写真に撮らなくて残念。
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台南の夜市 |
この夜のホテル到着は19時過ぎと早い。ホテルは台南の繁華街に面した2014年のオープンの栄美金鬱金香酒店(ゴールデンチューリップグローリーファインホテル)。台湾の新しいホテルの電気コンセントは日本仕様のもあった。
今回は台湾周遊と銘打った旅。この日のバスの走行距離はどのくらいだろうか。前日は後部座席に座ったので少しバス酔いがした。この日は前の席に座る。走行距離も多いが人間のあるく歩数もかなり多かったのでは……。携帯万歩計を誤って削除しして歩数ははっきりしない。とはいっても連日1万歩前後の数値だったのは間違いない。
第三日目 2019年4月18日(木) 台南🚌高雄・龍虎塔🚌台東・ガランビ岬🚌鹿鳴温泉 晴れ
6時、起床。6時半、朝食。7時半、台南をバスで出発して高雄にある蓮池潭風景区向かう。ここは以前の旅で来ている。
蓮池潭風景区
今回の台湾旅行でこの地が一番蒸し暑かった。とはいっても折角来たのだからと暑いと言って観光しないのはもったいない。高雄のシンボルになっている龍虎塔のてっぺんの7塔まで上る。暑さは半端ではない。上から眺める蓮池潭。時刻は9時なので蓮の花も見事に咲いている。日本では早起きは苦手なので日本の蓮の花を見るのは容易ではない!
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蓮池潭入り口付近の法輪功
木蔭は7塔まで上って降りると汗が噴き出る
持参した扇子を出して木蔭で涼む |
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公園区内の廟 |
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蓮池潭の蓮の花 |
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蓮池潭 |
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龍虎塔てっぺんから見下ろす |
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龍虎塔の龍の出入り口 |
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七重の龍虎塔の龍(左)と虎(右)の塔 |
高雄のお昼は海鮮料理
高雄の蓮池潭風景区をバスで移動して台東に向かう。お昼はレストランの海鮮料理をいただく。「台湾で刺身を食べる!?」、想像さえしていなかったのでびっくり。台東辺りではエビの養殖が盛んらしくテーブルに海老が並ぶ。海老は何処で食べても美味だ。
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台湾で刺身を食べた!!これはびっくり |
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ヘチマ、らしい |
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海老入りの炊き込みご飯 |
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デザートは何処でもスイカだった |
鵝鑾鼻(ガランビ)公園
台湾最南端に位置する鵝鑾鼻岬。バシー海峡を挟んでフィリピンを望む公園になっている。園内に建つ白亜の灯台は夜間の船舶の指標として「東アジアの光」と呼ばれているらしい。鵝鑾鼻岬は杉林渓と並んで今回の旅のハイライトである。13時20分、ここに着くまでのバス車内でガイドは花蓮で発生した震度7という大地震の情報を知らせてくれる。今いる場所は台湾の最南端の岬だ。現地を旅する観光客は大地震を知っているのかいないのか何事もなかったかのような静けさだった。ただガイドはこの後の旅の対応や台北に住む子供たちを気遣って観光どころではなさそうだった。
バスから降りて岬まで歩く。蒸し暑さは半端でない。
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鵝鑾鼻岬に建つ白亜の灯台 |
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鵝鑾鼻岬に建つ白亜の灯台 |
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鵝鑾鼻岬の碑 |
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鵝鑾鼻公園内の道標
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熱帯性の植物が生い茂った芝生の道を通り過ぎて最南端の近くまで行く。旅の間いつも歩き続けるのは夫婦連れと私の3人。この時も3人で最南端の小屋の下にベンチを備えた木造デッキテラスの展望台があるところまで行った。ここへはもう2度とこない気がして写真を撮ってもらった。
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バシー海峡 |
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ここが最南端 |
14時、40分間岬を散策後バスは鹿鳴温泉を目指して3時間20分ほど移動する。それにしても運転手さんは大変だ。この旅の日程を聞いて驚かれたとか。2時間経過後、途中コンビニで休憩。
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車内から見る光景 |
鹿鳴温泉酒店
宿は鹿鳴温泉酒店。旅の日程表に「ホテル到着後は温泉でゆったりとお楽しみください」とある。「温泉!」と意気込んでいたら日本のそれとは違っていた。ただ夜の食事はホテルでのバイキングでお刺身や寿司があった。係りは親切にワサビやお醤油をつけてテーブルまで運んでくれる。親切だ!
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シャワー |
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各部屋の温泉!? |
第四日目 2019年4月19日(金) 鹿鳴温泉🚌龍田日本村🚌北回帰線標塔🚌花蓮🚃台北瑞宝駅🚌九份🚌台北
6時、モーニングコールの予定が5時20分にベルが鳴る。隣の部屋の人はモーニングコールがなかったとか。この面ではいい加減なホテルだ。この時点では外は大雨。どうなることかと心配したが7時の朝食時には雨も上がる。8時、バスはホテルを出て日本統治時代の移民村で建築や遺跡が残る龍田日本村に向かう。出発前、ホテル近くに咲くゴールデン・シャワーのピンクの花を眺める。雨も上がり、鮮やかなピンクのゴールデン・シャワーは美しい。
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今が盛りと咲くゴールデン・シャワー(花旗木) |
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ゴールデン・シャワー |
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鹿鳴温泉酒店ロビー |
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鹿鳴温泉酒店 |
龍田日本村
この村には入り口に民俗資料館のような建物があった。子どもの頃に見たことがあるミシンや農機具などが展示されていた。その中には纏足の靴もあった。この実物は初めて見る。それにしても女性を自由にさせないように纏足をしていたとは、許せない。また近くには当時の学校関係の建物も残っていた。そのうちの一つは今、小学校となっていた。
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展示室で初めて実物の纏足の靴を見た |
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龍田日本村の建物 |
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龍田日本村の建物 |
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龍田日本村の建物の一部は現在、小学校になっている |
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ライチの樹木 |
バスで花蓮へ移動する。車窓から眺める風景はこの辺りは米の産地らしく青々とした田圃が続く。車窓の左右から見える山々は海側が海岸山脈で山側は中央山脈。この間をバスは通り抜けて行く。台湾で車窓から眺める川の水はほとんどなく、ガイドはしきりに水不足を強調する。そういえばこの日まで訪れた観光地の公衆トイレの手洗いはザーッと流れず、噴水のようにして水を制限していた。
北回帰線標頭
花蓮に行く途中、北回帰線標頭に立ち寄る。以前の台湾の旅で来た時とはまるで違う。おかしいと思ったら北回帰線は他にもあるという。標頭をぐるっと回ってみたがやはり以前の場所とは違っていた。
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北回帰線標頭
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北回帰線標頭公園 |
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車窓から見た
地震や災害で困った人たちをボランティアで救済しているそうだ
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前日に発生した花蓮の大地震で予定していた太魯閣渓谷の観光を取りやめる、お昼を食べた同じ敷地内にある石工場やアミ族のショーを見る。アミ族のショーは以前にも見ている。今回は急場のことで観客も少ないせいか以前のようなショーではなかった。ただ韓国人のツアー客は盛り上がっていた。ここまでは他のツアー客と出会わなかったがこの辺からいろんな観光客と出会い始める。
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石工場 |
アミ族のショー
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アミ族のショー |
七星潭
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七星潭(浜)
この石段に腰掛けて七星の海辺を見ながら
タピオカ・ミルクティを全部飲んだ
アミ族のショーが終わると予定を変更して花蓮にある七星潭にバスは向かう。七星潭の美しいビーチは遠浅ではないので泳ぐことはできない。台湾東部の海はほとんどが泳げないという。天候によっては瘋狗浪(Rogue waves)という、人を飲み込むほどの急な高波が起こることもあるとか。美しい海には危険もあるらしい。この日は曇り空だったが、海際まで行って波に触ってみたくなる。それが昂じて1人砂利道の海岸まで歩く。皆さん、疲れていたのか誰も波打ち際まで行こうとしない。波が押し寄せる隙を狙って水に触った。生ぬるかった。
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タピオカ・ミルクティー(珍珠奶茶)450ⅿlと量が多い
黒いタピオカをストローで飲むとわらび餅のような味がした |
バスで七星潭に到着後、ガイドは予約していたのか1人ずつタピオカ・ミルクティーを配ってくれた。水が飲めない国ではジュースや生ものは厳禁。それを心配しながら飲むと美味。大丈夫、と思って450ⅿlもあるタピオカ・ミルクティを全部飲んだ。飲み始めると黒いタピオカがストローを通してするっと口に入る。ガイド本によると「濃厚なタピオカ・ミルクティにモチモチのタピオカがよく合い、一度飲んだらハマってしまします」とある。確かに!とはいっても450ⅿlの量は多い。後のトイレが心配になる。
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七星潭の波打ち際まで行った |
太魯閣渓谷入り口
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太魯閣渓谷の入り口
大地震でここまでしか行かなかった |
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前日の大地震で砂利を運ぶトラック
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台湾の新城にある太魯閣駅から特急で瑞芳駅まで乗車する。太魯閣駅15時1分発🚃瑞芳駅18時45分着。旅の予定では太魯閣渓谷の観光は前日発生した花蓮の大地震(震度7)で予定を変更。そのため太魯閣駅で1時間半くらい空き時間ができた。駅の売店を見るとこじんまりとして綺麗。台湾元に両替したままだったので箱入りの菓子(饅頭)他を購入。金額的には日本の価格と遜色ない。ただ箱に何個入っているのかを店員に問うと売り物を開けて見せてくれる。これにはびっくり。日本だと、売り物はすべて包装紙でくるんである。ところがこの売店では包装紙にくるまず、箱入りの菓子がそのまま店頭に並ぶ。商品見本はないのだろう。
特急列車到着の瑞芳駅近くには九份がある。
瑞芳駅に到着する時刻は外も暗くなる。九份は雨が多いことで有名でこの夜も小雨が降っていた。駅前は混雑しており迎えのバスは近くまで来ない。雨の中、暗く、また狭い商店街をスーツケースを引いてバスまで歩く。ガイドははぐれないようにと言うが、前の人について歩くのが精一杯だ。やっとバスに乗ると夜の九份の観光が始まる。以前の旅で九份に来ている。だが、その時の様子と全く違う。なぜ?以前は九份ではなかったのか?後でわかったのは以前は九份の昼の観光地を観光していた。夜と昼では九份観光の場所が違うらしい。ということで九份の夜の観光は初めてとなった。それにしても上がっても上がっても石段が続く。先に歩く人につられて歩くと去年来たことがある人が道を間違えているという。来た道を戻って提灯が並ぶ映画「悲恋城市」のロケ地となったところから下界を見下ろす。ロケ地付近は提灯の明かりが灯る。
もう、狭い雑踏の中を身動きできない人がうようよする。その大半は日本人のようだった。ここに来るまでは日本人がほとんど行かない台湾を観光していた。ここでは雑踏に日本語が響き渡る。
夜の九份を観光すると20時近い。雑踏にあるレストランは20時半に閉店、とガイドはせかす。この日は旅の最後の晩餐。ファストフードでもこのようにはせかされない。時間はレストラン側が猶予してくれたけど何とも慌ただしい夕食だった。レストランを出るとまた石段を下りなくてはいけない。懐中電灯を照らして小雨の中を滑らないようにと1段ずつ降りていく。それからバスに乗って1時間後にホテル到着。午後22時近くになる。女性8人組の1人からパイナップルケーキを買いにタクシーで繰り出すのに誘われる。連日のハードスケジュール。夜の町は徘徊せず宿でおとなしく過ごす旨伝える。後で聞くと夫婦で参加した奥さんも皆と一緒に夜の街を徘徊したそうだ。この夜のホテルは台北有薗大飯店。2015年にオープンしたホテルだそうだ。しかし、これまで3泊したホテルが広くて素晴らしかったので狭い部屋に少し辟易する。当然、朝食もあまりよくなかった。
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「悲恋城市」の舞台となった夜の九份 |
第五日目 2019年4月20日(土) 台北市内観光(忠烈祠、故宮博物館🚌台北桃園国際空港✈広島空港 晴れ
旅の最終日は以前、来たことがある台北市内の忠烈祠と故宮博物院を見学する。この日は海軍の出番らしく白い制服だった。故宮博物院の目玉であるヒスイの白菜と肉型石は貸し出し中で見られなかった。だがヒスイの白菜は以前の旅で見ている。
故宮博物院
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彫刻の傑作品は何重にも彫ってある |
博物院ではガイドの説明後、フリータイムが1時間以上あった。すぐにミュージアムの売店に出かけてグッズを見る。院内は見学者でごった返している。グッズ売り場は落ち着いていて、見ていても楽しい。ここで買い物をして台湾元を使い果たす。
忠烈祠
海軍の交代式を見学。制服姿に憧れがある。凛々しい姿はいつ見てもいいものだ。
台湾でのすべての観光が終わり、お昼は小籠包をいただく。以前の旅では台湾101でいただいた小籠包。これと比較するのがいけないとはわかっていても今回のレストランの何と殺風景なことだろう。
この後、空港に行くまでに途中、お店による。何も買う気がせず、集合時刻までお店の外の椅子に座ってしばし人間観察。アジアの国の人々が店内外を行きかう。ある国のツアー客の何と品のないことか。あきれて見ていると夫婦連れの旦那が妻を叱っていた。
「絶景の台湾大周遊5日間」と銘打った旅も終わりになった。台北はトランジットで何度か経由している。だが、周遊では2度目の台湾。旅の終わり辺りは2度目の観光でもあり、新鮮味が薄れる。しかし、杉林渓や台湾最南端の鵝鑾鼻(ガランビ)岬はこれまで想像さえしなかった台湾だった。また花蓮の大地震発生で思いがけなく七星潭に行くことができた。ただ、今回じゃじゃ馬ガイドに当たった。自己主張はこの国の特有の症状なのだろうか。旅行社からのメモに交通事故に遭ったとしても絶対に「すみません」とは言わないようにと断り書きがあった。その意味もわかる。
2時間で広島空港に到着。台湾は近い!帰りは夫婦の参加者に自宅まで送ってもらった。ありがたい!ともあれ楽しい台湾の旅は終わった。さて次は何処へ?