『竜馬がゆく』の文庫本全8巻を読み終えた。坂本龍馬の人となりがこれで少しはわかったかもしれない。次はさて何を読む、と思い先日図書館に赴く。地元の図書館の蔵書は少なく、ましてや司馬作品は予約が多いのか、そろっていない。借りてきたのは『花神』。この本は上・中・下の3冊がある。司馬作品は文藝春秋と新潮社が本を分別して出版しているのだろうか。借りてきた本は新潮社の出版で平成25年、第100刷となっている。読者がいる限り定期的に出版するのだろう。全作品の出版数が何億冊の意味も分かって来る。とはいっても、本の大半を図書館で借りて読むので著者には申し訳ない。どういっても、長く生きて司馬作品にここまでハマる自分が怖い。ともあれ、人生、いつ、どこで、何がどう変わるかわからない。これは本当に自分にとっては凄いこと。これからの人生、他にも何にハマるのだろう。これは本当に大きな楽しみだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
今回は『竜馬がゆく』(7)(司馬遼太郎 文藝春秋,2009年新装版第23刷)の気になる個所をアップしよう。8巻は入力に手間取り、また後日のアップ。
★「坂本は 世界の浪人だ。それでいい」と、竜馬はいった。
このころすでに竜馬は、天下の坂本竜馬になりつつある。35p
★このころの竜馬は、もはや、思想家としての孤絶の境地に達しはじめていた。
暮夜ひそかにその手帳に書きしたためている秘密の語録がある。
「世に活物(いきもの)たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし。今生の活物にてはただ我をもって最上とすべし」
個人主義の確立といっていい。
「本朝の国風、天子を除くほかみな世の名目なり。物の数ともなすなかれ」
一君万民思想といっていい。天子の下、みな無階級の平等だというのである。190-191p
★孝明天皇の崩御は、幕末最大の政治事象のひとつであった。
竜馬が、この事実を知ったのは、中岡慎太郎の口からである。……(竜馬は)ここ数年、アメリカ風の共和制に興味をもちはじめ、「日本はなるほど天皇のもとに統一さるべきである。しかしその統一革命のための流血は、天皇のために流さるべきではなく、日本万民のために流さるべきである」という思想にかわりはじめていた。201-202p
★この、世の気分というのは、竜馬のすきな、「時運」という言葉にあたるであろう。この時運という洪水を巧みに導けば、あるいは回天の奇蹟も成るかもしれない。203p
★この竜馬の船と紀州藩船明光丸の衝突事件は、日本の近代海運史上、最初の事件であった。255p
★乾退助、のちの自由党総理板垣退助が晩年、「自分がこんにち人がましく世に生きていられるのは、坂本、中岡両先生のおかげである」とよく側近の人々に語ったというが、竜馬は退助と直接の縁はうすい。むしろ中岡慎太郎が、退助が風雲の表面にとびだす基礎をつくってやったといっていい。347p
★結局野にくだり、竜馬の思想系譜をひいて自由民権運動の総帥になるが、それも例の「板垣死すとも自由は死せず」という名文句を後世に記憶させた程度で、さほどの仕事もせずにおわった。348p
★(容堂公はやはり、死ぬしかあるまい)
竜馬は、くすくす笑いはじめた。大殿様には気の毒だが、時勢をいた弄った当然の報いだと思わざるをえない。
――死ねばいいのさ。
後藤にいったとおりのことを、もう一度おもった。容堂には残酷なようだが、しかし武市半平太も容堂によって死を与えられているのだ。その報いは当然、受けねばなるまい。
(あの大殿様の勤王・佐幕の両刃の刃のために何人、土州の傑士が死んできたか)
(死ね、死ね、か)
竜馬は、あごをなでて思案している。388p
★(幕府を早々につぶすべし)
と竜馬は鼓をたたいて主張してきた。……
「とにかく、薩長を戦争で勝たせてしまえば英国にのみ利が行き、まずいことになる。戦争によらずして一挙に回天の業を遂げれば、英仏とも呆然たらざるをえない。日本人の手で日本人による独自の革命がとげられるのだ。その革命には徳川慶喜でさえ参加させてやる。されば、英仏ともあっけにとられて、手を出すすきがあるまい」401p
★勝、大久保という天才的な頭脳は、文久年間から、(徳川幕府も長くはない)と見通していた。……(将来、この矛盾が大きくなり、ついに幕府そのものが瓦解し、徳川家がほろびる。徳川家は朝的になり、将軍は殺され、子孫は根絶やしにされる。幕府はほろびても、将軍のいのちをたすけ徳川家の安全をはかる法は、ひとつしかない。徳川家がもっている政権をなげだし、みずからの手で幕府をつぶしてしまうことだ)
勝と大久保は、かれらが最も愛した危険思想家である竜馬にそういったことがある。
その一場の冗談が、いま時期を得て巨大な生命を帯び、歴史を動かそうとするにいたっている。406p
★西郷もそうである。
他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない。
この点、竜馬だけがとびぬけて異例であったといえるだろう。
この男だけが、それを考えぬいていた。
「天皇をいただいた民主政体(デモクラシー)でゆく」
というのが、船中八策の基調であった。414p
★とくに長崎に常駐するようになってからは各国の領事や商人に、
「お前の国はどうじゃ」
と会えば丹念にきいた。
そのなかで竜馬をとらえつくした魅力は、上院下院の議会制度であった。
「これ以外にはない」
と、竜馬はかねて思っていた。……竜馬のおそれているのは、薩長人が、
(薩長連立幕府をひらくつもりではないか)
ということであった。
それをやられては、なんのために多年、諸国諸藩の士が流血してきたかわからない。416p
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