昨日のダグニーさんのブログによると今日(2018年3月25日2時0分)からサマータイム導入とある。なぜこんな日に、と不思議に思ってネットで確認すると、やはりそうだった。それにしても中途半端な時点でサマータイムに移行している。それなりの理由があるのだろう。日本はそういうことがないので改めてサマータイム導入とは、と思ってしまった。https://www.time-j.net/WorldTime/Country/SE (参照)
以下は先日出かけたオーストラリアの旅の記録から。下手の横好きでやたらと文が長くなってしまった。これも自分にとっての旅の思い出。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2018年2月24日(土)~2018年3月1日(木)までの6日間、オーストラリアへ旅をした。旅行社の旅の募集には「大満喫オーストラリア6日間」と銘打ってある。「大満喫」とは何とオーバーな表現、とも思えるが、それに近いほど満足する旅だった。旅の参加者は26名。このうち1人参加は私だけ。関空発のため、関西在住の参加者が大半だった。
オーストラリアは初めて出かける。参加者は若い人たちだろう、と勝手に想像した。ところが添乗員の電話で平均年齢65歳とのこと。いつもの如く参加者の年齢は高い。旅の募集案内にカンタス航空就航記念とある。どういっても関空を離陸すると直行便でシドニーに着く。これがいい。何はともあれ、ここからは楽しかった旅の話をすすめよう。
第一日目 2018年2月24日(土) 広島🚄新大阪🚃関空✈シドニー✈ブリスベン
広島駅発13時22分さくら552号🚄新大阪着14時48分。新大阪発15時特急はるか35号🚃関空着15時50分。関空集合時刻は16時55分なので1時間ほど早い到着となる。関空で集合場所を確認していると係りに声をかけられる。旅行社を告げるとすでに添乗員は待機しているとのこと。早めに手続きをする。その際、出国から現地入国までの手順やその他もろもろの注意事項のコピーをくれる。まずはこれに驚く。このコピーは旅の間中も配られた。この頃のツアーは団体であってもEチケットを受け取ると航空チケットや出国手続き、それから現地入国までを全て個人でせねばならない。もしも添乗員の言葉を聞き間違えたならばとんでもないミスにつながる。その恐れがあるからコピーを配るのだろう。関空で出国手続きを終えると添乗員と次に会うのはシドニー空港で飛行機を降りたところと教わる。その時点でツアーの参加者と初めて会う。その後、ブリスベン行きのトランジットがある。
個人でやるのは帰国便もそうなりつつある。シドニーから関空までも出国手続きが機械化になり、機械操作を個人でさせられる。タッチ画面を日本語にしたため現地の係りは途中から元に戻して再度やり始める。日本語が分からないためだ。結果、係りがやってくれた。
今回の新幹線も「おとなび」を利用。そのため、時間に余裕をもって乗車券を購入する。新大阪🚃関空のはるか乗り換えは12分ある。荷物を持っての乗り換えはぎりぎりの時間だ。これはインプットしておこう。関空で特急はるかに乗ろうとすると頭上に車両番号が点灯している。これもインプットしよう。それにしても関空は大阪の街と実感。どういっても特急はるかを待つ間のタコ焼きのにおい。これはまさに大阪ならではの香りだ。それにしても特急はるかはがら空きだ。
出国審査を済ませてカンタス航空の出国ゲートに向かう。そこに居合わせるのは3,4人。1人椅子に座っている人に声をかけると旅行社は違っていた。読〇旅行でその人も1人参加だという。感じのいい人で出国までの時間、その人と話をする。日程表を見せるとほぼ同じ日程だった。ただ1人参加料金がこちらより高く、旅行費用も高いという。ともあれ、この人とは行く先々で出会った。
18時55分 カンタス航空QF034便は関空を定刻通り離陸し、シドニーへ向かう。飛行時間9時間50分。機内に入るとすぐに入出国カードが配られる。機内食は寿司、かつ丼、パスタから選ぶ。これは日本でつくられているはずなので寿司をいただく。その前に水も配布される。水は貴重品。旅の間、水は大事にする。
20時半 機内食が配られる。機内で寝るには早すぎる。モニター画面を触ると操作が簡単で日本語表示もある。映画”The Mountain Between Us”を見る。飛行機が飛ばなくて同じ運命と思った見知らぬ2人が飛行機をチャーターする。しかし、飛行機事故となり、運命を共にした2人が、何とか山中で生き延びて…。日常、映画を見ることはほとんどない。それがこの頃は機内で映画を見ることが多くなった。自由がない機内。映画を見るのは楽しい。
第二日目 2018年2月25日(日)シドニー✈ブリスベン🚌ゴールドコースト
5時 (ここからは現地時刻表記)。シドニーは日本よりも2時間時刻が早まる。機内で軽い朝食が配られるが、ジュースだけ飲んで食べない。
6時45分 シドニー着。気温23度。日本と真反対のオーストラリアは夏の季節。飛行機を降りたところで集合する。ここでツアーの参加者と初めてのご対面となる。トランジットで迷わないようにしてブリスベン便行きの飛行機に乗る。
9時 QF512便でシドニー離陸✈ブリスベンへ飛行。
8時半 ブリスベンはシドニーと1時間の時差のため1時間前に戻す。機内食としてクッキー、珈琲、水が出る。これは食べずにシドニー間で出た小さいパンを食べる。
席の横は一般の座席とは違う。これは何? |
途中からカーテンがかけられる |
9時半 ブリスベン着陸後、バスでブリスベン市内観光。ブリスベンの予想最高気温は32度で晴れ。
セント・ジョーンズ・カテドラル(大聖堂)
10時20分 セント・ジョーンズ・カテドラル(大聖堂)を見学。カテドラルの中は信者でないため入れなかった。聖堂の前のビルにカテドラルが美しく反射(リフレクション)する。観光後、バスに乗って植物園(ブリスベン・ボタニック・ガーデン)に向かう。園内にある日本庭園は竹下首相が総理の頃、日本政府が作ったという。日本庭園の名前は遊翠園。
セント・ジョーンズ・カテドラル |
前のビルに反射するカテドラル |
カテドラル(大聖堂)の標識 |
ブリスベン・ボタニック・ガーデンの標識 |
園内に咲く花 |
園内に咲く花 |
竹下首相が総理の頃、日本政府が作ったという日本庭園の遊翠園 |
園内 |
園内 |
園内に咲く花 |
園内にある温室 時間がなくて見られなかった |
園内に咲く花 |
日本庭園の睡蓮 |
ブリスベン・ブッシュランドの標識 |
マウント・クーサ(山)
植物園を抜けるとマウント・クーサ(山)があり、展望台も備わっている。ここのトイレを借用して日本から着てきた冬服の上衣を脱いで、持参したブラウスに着替える。下着も一枚脱ぐとすっきりする。どういっても南半球に位置するオーストラリアは日本とは真反対の季節だ。標識にあるブッシュウォーキングとは山を歩き回る意らしい。暑い、と思いながら園内を見て歩く。小高いマウント・クーサに上がるとブリスベンの市街地が見える。
マウント・クーサ展望台からのブリスベン市街地の眺め |
11時40分 展望台を後にしてローンパイン・コアラ保護区へ移動する。道の両脇はユーカリの木。このユーカリは竹のように強い木らしく、電柱の代わりに立ててある。車窓から電柱となったユーカリを撮ろうとするがうまく写せない。コアラはユーカリを餌とする。ユーカリ、と言ってもその種類は数百種類もあるらしく、コアラが好むユーカリは決まっているそうだ。20分ほどバスに乗るとローンパイン・コアラ保護区に到着。
コアラ保護区は世界初として1927年にオープンし、約130頭のコアラを飼育しており、世界最大の大きさを誇る。保護区の園内ではコアラの抱っこ写真、カンガルー餌付け、オーストラリア特有の動物を見ることができる。その動物としてはウォンバットやタスマニアデビル、カモノハシなどである。しかし、ウォンバットとカモノハシはどこにいるのかわからなかった。
まずは参加者一人ずつがコアラを抱っこして写真に写る。指定された場所に立ち、足元を見ると足の形をした立ち位置が記されている。ところがその位置は顔を右にして写真を撮る。右向きで写真に写る習慣がない。反対方向に向こうとすると係りに無理やり向きを変えられる。そして右手と左手の掌を上にして重ねる。その上にコアラを置かれる。何と重い、と思った瞬間「重たい!」と声が出る。カメラマンの写真と自分のカメラでも撮ってくれるらしくカメラを係りに渡す。撮ってもらう際、コアラのお尻から「プスっ」としたかと思うと何か落ちる。さてさてそれは…。写真に収まる前に現地ガイドからコアラが粗相をしても臭いもなく、綺麗だと聞いていた。それでも、と思って写真を撮った後、手を嗅ぐと臭いも何もついていなかった。
コアラの抱っこを終えると園内にあるレストランでお昼をいただく。機内食以外では初めてのオーストラリアでの食事だ。各自、弁当をいただく。お弁当は日本の様ではなく紙のボックスの中にサンドイッチのようなものが入っていた。備え付けられているドリンクはフリーだった。食事場所は動物園の中の一角だ。ただ屋根がついているだけの建物だった。テーブルの下を見ると大きなトカゲもいる。気にしていてはどうにもならない。オーストラリア(Australia)は俗的な所有格のある”Aussie”から「オージー」というそうだ。これは現地ガイドが度々話していたので帰国後調べるとそうだった。
お昼を食べて後にこれがオージー料理と知る。食事後、先ほど写ったコアラとの写真を受け取り、約1時間半、動物園内を散策する。日本で動物園へ出かけたことがあるのだろうか。それくらい覚えがない。しかし、中国に行った際はパンダやレッサーパンダは中国国内のいろんな動物園で目にした。特にパンダは四川省のパンダ研究所で何頭も何十頭も近くで見ている。日本で1頭生まれたと言って騒動する。さすが中国はパンダの故郷。いくらでも近くで見られる。
コアラは生まれて初めて見た。それにしてもコアラが怖いからと写真を撮らない人がいるだろうか。ふと思った。コアラは本当にかわいい。コアラ保護区の園内地図のコピーをもって園内を歩く。まずはコアラ。歩いていると西洋人の男性がタスマニア・デビルを教えてくれる。広い園内の隅から隅までを歩く。次はカンガルー。北京から着ていた子ども連れの夫婦と出会う。雰囲気で中国人と思って中国語で声をかける。「どこから?」と聞くと「北京」からだった。春節を利用しての旅らしい。如何にも中国のエリート家族と見受けられる。小さな男の子がしきりにカンガルーに餌付けをしている。これを利用してカンガルーを写す。カンガルーは大きいと思った。ところが小さい。
子供が餌付けするのを利用して私も一緒に写真を、との魂胆もいい具合にいかない。自らが餌をやらないとカンガルーも逃げてしまう。それにしてもオーストラリアは夏の季節。広い園内を歩くと蒸し暑さも半端ではない。ましてや前日は機内で夜を過ごしている。早くホテルについてお風呂に入りたくなる。この日の気温は32度だったと後で知る。暑いはずである。
LONE PINE KOALA SANCTUARY(ローンパイン・コアラ保護区)図 この図のコピーをもらって園内を散策した |
コアラ |
コアラ |
タスマニア・デビル |
タスマニア・デビル標識 |
子供が小さいカンガルーに餌付けしていた |
小さいカンガルー |
14時15分 観光後バスでゴールドコーストまで移動する。
16時 ホテル着。11階のホテルの部屋から南太平洋が見える。
17時45分 皆で夕飯のレストランまで歩いて行く。小雨も降り始める。しかし傘なしでレストランへ。旅の間中、ひどく雨に降られることがなくお天気には恵まれる。夕食はレストランでステーキをいただく。これがオージーステーキとまたもや驚く。レストランは夏なのにエアコンが効いていない。そういえば、オーストラリアは暑い夏であってもレストランでの食事は西洋に見られるように部屋の中でなく外のテラス席で食べるようだ。暑い夏なのにエアコンが効かないからだろうか。これはオーストラリアの電力事情にもあるようだ。以前オーストラリアへ3週間ホームステイした旅の参加者から聞いて知る。
オージーSTYLEのAustralia。レストランのテーブルを触ると何と汚いことか。紙のナフキンがテーブルにくっついて取れないほどべたべたしている。これもステーキ屋だから!?何もかもオージーSTYLEと思えばいいのかもしれない。すべて大雑把。食べるものも大きければいい、とも思えるほど大雑把。出されたものを全部食べ切れない。
ホテルは連泊で街の中心部にある、広島でいえば八丁堀界隈にあたりそうだ。夕飯後、添乗員と歩いてホテルへ帰る。周りを見ると溢れかえる観光客だ。ゴールドコーストのホテルはマントラ オン ヴュー ホテル。前日、機中泊だったので早めに就寝。
ホテル11階から見下ろす南太平洋 |
ホテルの部屋からの光景 |
ホテルの部屋のエアコンを切らずに寝てしまい、5時15分に寒くて目が覚める。それでも8時間は熟睡する。エアコンは朝見るとどこにあるか分かった。今夜はエアコンを切って寝よう。朝食を済ませて8時にホテルを出発して1時間ほどバスに揺られて45kⅿ先にあるスプリング・ブルック国立公園に向かう。
スプリング・ブルック国立公園に向かうバスの車窓から |
バスの車窓から見えるのはユーカリの木 |
バスの車掌から見えるのはユーカリの木 |
オーストラリア大陸は太古に存在していたゴンドワナ大陸が分裂してできたと言われる。かつてゴンドワナ大陸に存在していた森林のうち、現在の形に残されたものがオーストラリア・ゴンドワナ多雨林だそうだ。オーストラリア大陸が他の大陸と切り離されたことから、この地では数億年前の動植物が原型をとどめたまま現在も生息している。
オーストラリア・ゴンドワナ多雨林は現地ガイドの言葉でメモする。これは1994年、スプリング・ブルック国立公園が世界遺産に登録された際、追加で自然遺産に登録された。スプリング・ブルック国立公園(Springbrook National Park)は道路も整備されていて、公園内の散策も楽しめる。また世界最古のシダ類や希少かつ絶滅危惧種の鳥類や哺乳類など、保護価値の極めて高い動植物が観察できる。
公園内のゴンドワナ多雨林を歩いていると昨年3月に出かけた屋久島を思い出す。整備された道路も樹木の生い茂るさまもまるで屋久島に似ている。
9時10分 ゴンドワナ多雨林のなかを歩いてパーリング・ブルック・フォールズに向かう。途中で滝も見えてくる。滝までの遊歩道は狭く、日本からの別のツアー客に出くわす。また個人の観光客もチラホラすれ違う。滝を眺めた後、さらに歩を進めると水量が多くて危険なため、立ち入り禁止だった。ここから引き返してforest dreamsへ向かう。
パーリング・ブルック・フォールズ(滝)への標識 |
ゴンドワナ多雨林 |
ゴンドワナ多雨林 |
ゴンドワナ多雨林 |
英語とアボリジニの標識(拡大) |
英語とアボリジニの言葉で説明されている |
パーリング・ブルック・フォールズ |
パーリング・ブルック・フォールズ |
パーリング・ブルック・フォールズ |
パーリング・ブルック・フォールズ |
パーリング・ブルック・フォールズの標識 |
是より先は危険なので前に進めなかった パーリング・ブルック・フォールズ |
先には行かれなくて傍からカメラで写す |
パーリング・ブルック・フォールズの帰り道(行きも帰りも同じ道) |
森の家に行く際、散策組と鳥の餌付け組に分かれて行動する。とはいっても15分間くらいのことで片方が終わればもう片方をする。先に餌付け組に入ってガイドに従って歩く。途中でひまわりの種をもらって鳥(あかくさインコ)に餌付けすると掌にとまる。左手でインコを乗せて右手でシャッターを押すとうまく撮れた。ツアーの人には他に掌で餌をついばむインコの写真を撮ってもらう。餌付けが終わると森の散策をする。途中、土ボタルがいた。カメラで写そうとするが目が悪くてどれが土ボタルかわからない。ツアーの人に頼んでアップで撮ってもらった。感謝!洞窟のようなところに白く垂れさがっているのが土ボタルだった。自分で写したのをアップにしてみると同じように撮れていた。
森の家はお土産屋も兼ねて人が住んでいる。それにしても夏だというのに森の家は寒くて暖炉もあった。冬だとどんな様子だろう。
フォレスト・ドリーム標識 |
フォレスト・ドリームへの道 |
フォレスト・ドリームへの道の途中で |
フォレスト・ドリームへの途中で土ボタルを見る 自分で撮った写真をアップにすると下の写真と同じように見えた |
ぶら下がっているのが土ボタル(人に撮ってもらった写真) |
フォレスト・ドリームの餌付け体験 餌はひまわりの種 |
10時50分 キャニオン展望台へ移動する。スプリング・ブルック国立公園は1994年に世界遺産に登録される。ブルックは現地ガイドから「小川」と聞く。公園内には樹齢2000年のナンキョクブナが有名らしく、オーストラリア最大のトカゲ、オオイワトカゲなどが生息している。展望台からは大きな滝であるGoomoolahra Fallsも見える。さらに進むとキャニオン展望台に着く。ここからの眺めも素晴らしい。ただ舗装された道であっても湿地帯のためか、クワズイモやオオシダ、ブラックボーイ(英名はグラスツリー)、生姜など日本では見ることのできないような植物を目にする。クワズイモやシダは屋久島で見かけたけど…。歩きながら湿地帯に咲くクワズイモの花を写真に撮った時だろうか。午後、南太平洋を見にホテル近くのゴールドコーストの海岸を裸足で歩こうとするとヒルに血を吸われていた。白い靴下が血に染まる。これもオーストラリアでヒルの洗礼を受けたことになるだろう。後でツアーの人に話すと3人くらいヒルに血を吸われていた。
スプリング・ブルック国立公園標識(Canyon Lookout) |
キャニオン展望台(Canyon Lookout)から滝(Goomoolahra Falls)を見る |
スプリング・ブルック国立公園 近くの民家? |
スプリング・ブルック国立公園Goomoolahra Fallsピクニックエリア |
スプリング・ブルック国立公園キャニオン展望台からの眺め |
スプリング・ブルック国立公園キャニオン展望台からの眺め |
キャニオン展望台から見る滝(Goomoolahra Falls) |
オオシダ |
クワズイモ |
生姜 |
クワズイモ |
スプリング・ブルック国立公園内に建つ家 |
11時半 バスは出発してハインズ・ダムに向かう。ダムの名は征服者の名からつけられた。ダムを見る前にここでお昼のオーストラリアン・ミートパイをいただく。お皿に盛られるフライドポテトと生野菜はオーストラリアの定番メニューだろうか。どこでも同じ盛り付け方だった。これにデザートと珈琲がつく。
お昼をいただいた後、バスの出発時刻まで下方に行ってダムを眺める。お天気も良くてここで一日ハイキングをしたくなる。行ける所まで行ったけど、集合場所近くの橋は時間がなくて渡れなかった。オーストラリアは他国からの移民の国。名所旧跡や町の通りなどすべて移住してきた人の名がついている。これもこの国独特のことかもしれない。
オーストラリアン・ミートパイ ボリュームがすごい フライドポテトと生野菜は何処でも同じパターンだった |
ハインズ・ダムの標識 |
Little Nerang ダムの標識(ハインズ・ダムの2番目の給水源) |
ハインズ・ダムの一部 |
時間がなくてこの橋を渡れなかった |
ハインズ・ダム全景標識 |
14時 大橋巨泉のお店(OK)でお土産品のデモンストレーションがある。これが終わるとここで解散。ここからホテルはすぐ近く。ホテルの部屋に荷物を置いてビーチに向かおうとするとホテルロビーで明石の3人の姫たちに遭遇する。ホテルを出るとすぐ近くはビーチとわかっていても大きなビルの前を通るとまだ先だ。
大橋巨泉のお店(ブルーのテント)
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通りには西洋でよくみられるようにお店の外の食事風景が見られる。オーストラリアは西洋ほどカラっとしていない。蒸し暑い太陽の下で食事をする。日本では考えられない。どんなレストランに入ってもエアコンはあまり効いていない。どうもオーストラリアは電力事情が良くないようだ。日本であればエアコンの効いた涼しいレストランでいただく食事は美味しい。
連泊したホテル 大きなホテルなので通りを歩いても今いる位置がよくわかる |
海に出た。南太平洋だ。なぜかこの「南太平洋」の持つ言葉の響きにロマンを感じる。ここに足をつけないとせっかくオーストラリアまで来た甲斐がない。海岸まで歩こうとするが靴を履いていると砂が入り、思うように歩けない。靴を脱ごうとすると左足の靴下が血でにじんでいる。これを見てもうびっくり。午前中、スプリング・ブルック国立公園の湿地帯を歩いた時、ヒルに血を吸われたらしい。前もって現地ガイドからこういうことはよくあるから怖れることはないと聞いていた。それでも血を見て驚く。翌日、添乗員に話すと蚊に刺されるよりも痛くないとのこと。そうはいっても夜、ホテルでお風呂に入った後もまだ血が流れている。旅には傷テープを持参する。この3枚の内2枚をヒルのために使用した。もうこれっきり血を吸われなければいいが…。
裸足になって海の傍まで歩く。海水に足をつけると気持ちがいい。前夜、大阪からのお婆さんと孫の参加者は水着を買って泳ぐとガイドに話していた。「泳ぐ」言葉に反応して水着を持ってくればよかった、と思った。しかし、まさかここまで来て海に浸かることは想像さえしていない。海の水に足をつけるだけで満足して海岸に沿って歩く。海岸にはゴミ一つない。ガイドは日本のように海ではアオサも生えないと話した。本当にそうだった。途中、若い青年とすれ違う。海辺に立つ姿を写真に撮ってもらいたかった。しかし誰彼とお願いして、もしもカメラを持っていかれると困ってしまう。安心できそうな青年に声をかけると「サウス・コリア」(南朝鮮=韓国)と言う。
ハングルは二言三言しか話せない。つたない英語での会話となった。写してもらうとうまく撮れている。3枚撮ってくれた。韓国の青年もスマホで「プタン、プタン」と話す。これは「ボタン」だと理解するのに時間がかかる。もしやツイッターなどの「いいね」を押さされる、と勝手に判断する。それはこちらの思い違いでスマホの「ボタン」を押して写真を撮ってほしいということだった。それにしても感じがいい青年だった。それなのに一度は疑ってしまって申し訳ない。
海辺には体を黄金色に塗りつけた美女たちがいる。ガイドから一緒に写真を撮るとお金を取られると聞いていた。遠くから写真を撮る。美女たちの顔を写してないのでブログにアップしよう。
この女性たちと写真に収まると金銭を要求されるらしい |
ゴールドコーストの砂浜 これをバックにして韓国の若い兄ちゃんい写真を撮ってもらった |
海岸にはゴミ一つ落ちていない ただ鳥がいる また、日本に見られるような藻の類も見られない |
靴を脱いでびっくり! |
これ以上、海の近くではは泳げない |
ああ、南太平洋!砂浜は真っ白!海辺まで歩いて写真に写った! |
海から歩いてスーパーに行こうとするとまたもや明石の3人組に遭遇する。彼女たちはこれから海に出かけるらしい。
16時半 夕食を物色しにスーパーへ行く。スーパーの名は”COLES”。道行く人に”COLES”と尋ねると”close”と聞こえる。「おかしい、スーパーが閉まっているはずがない」と何度か英語で聞くと”COLES”の看板が見える。どうも”COLES”を”close”と間違えて聞いたようだ。奥へ進むとレストランの案内をしている女性がいる。「日本人?」と日本語で聞くと台湾人だった。その女性と中国語で話す。このお店に入るにはお腹はいっぱいだし、まだ夕飯には早すぎる。感じが良い若い台湾の女性としばしの立ち話。その後、スーパーに入る。
スーパー内は広い。しかし、日本と違って夕食になりそうなものがない。ぐるっと店内を回っても惣菜類は当然ない。旅に出る前に添乗員から聞いた言葉は何だったのか、と思わず言いたくなる。「ホテルの傍にはコンビニもあり何でも売っていますから」の言葉。先にコンビニに入っていたので知っている。コンビニこそ「水」やポテトチップス、菓子類はあってもパンもない。スーパーにはパンはあっても大きすぎるし、エネルギー量も多い。サンドイッチを見つけたので手にするとズシリと重い。結果、果物に目が行く。果物類は日本と違ってバラエティーに富んでいる。日本であまり目にしない果物もたくさんあった。マンゴーを手にするとこれまた大きい。2個でAUD5ドル(500円)。2個も要らないので1個購入。AUD3ドル(300円)。ところが買うのはいいが日本でマンゴーを買って食べたことがない。すぐに皮をむいて食べられるのかどうかが気になりだす。売り場にいるお客に英語で聞くとすぐに食べられるとのこと。良かった!
朝ホテルでスモモ1個失敬した。これにバナナパンというかバナナの入ったずっしりと重いケーキみたいなものを購入。AUD1.7ドル(180円)。これに飲み物はビール。ガイドから教えてもらったホテル横のリカーショップに立ち寄る。オージービール(この時まではオージーがオーストラリアと気づかずにいた)と言わずに「オーストラリアのビール」と店主に告げる。わかってもらえたのか500mlの瓶ビールを出される。それを栓抜きで抜き始める。「ええっ、栓を抜く」と思った。「ホテルには栓抜きがないだろう」と言っている。仕方なく抜いてもらう。金額はAUD8ドル(800円)。オーストラリアはタックス10%が別に加算される。結構物価は高い!
スーパーマーケット”COLES”の看板 |
”COLES”までの通りの光景 |
”COLES”でこのマンゴーを1個購入(AUDで3ドル=300円) |
ポスト |
ゴールドコースト2日目の夕食 |
ビールとマンゴーでお腹もいっぱいになる。しばらくすると雷を伴った大雨が降る。この夜は本来ならばオプションで土ボタルを見に行く予定だった。しかし、日程表を見ると翌朝は飛行機移動で朝5時出発となっている。土ボタル鑑賞はせずに早めに寝る。翌日、ただ1組の夫婦が日本で予約していて参加されたようだ。ホテルは連泊でマントラ オン ビュー ホテル。
MANTORAホテルの前にも同じホテルを建築中 夜はネオンで輝く |
第四日目 2018年2月27日(火) ゴールドコースト🚌ブリスベン✈シドニー🚌ブルーマウンテン地区
朝早い5時にバスは出発してゴールドコースト✈ブリスベンに向かう。そのため3時50分に起床。朝食はボックスにクロワッサン2個などが入っていた。朝早いため食事はせず、水分補給をする。ブリスベン発QF513便は8時定刻通りシドニーに向けて離陸する。搭乗前、男女2名ずつの計4人で参加した人に声をかけられる。高校時代の同級生だそうだ。一組は夫婦であとの一組は幼馴染と話していた。まあ、古希まで生きてくると人生いろいろあるなあ、と思って話を聞く。1人参加に驚かれたけど…。4人組は今年古希らしい。
約1時間半のフライト後、シドニー空港に着陸。シドニーの気温は19℃~25℃で晴れ。ゴールドコーストほどの蒸し暑さは感じない。シドニー市内を観光後に向かうブルーマウンテンズ地区はさらに気温が下がって10℃~21℃らしい。
11時10分 シドニー到着後、バスで移動中、現地ガイドはオーストラリアの建物は砂岩でできていると話す。地震がないから砂岩でつくられていても大丈夫らしい。オーストラリア大陸を発見したキャプテンクックの像も街中に立っている。30分するとハーバーに到着。ここのレストランでお昼をいただく。いただくと言っても大きなハンバーガーが1個お皿にあり、フライドポテトがつく。ドリンクはレモンスカッシュとレモネードが大きなピッチャーに入れて運ばれる。大きなハンバーガーを食べようとするがかぶりつこうにも口に入らない。隣のお婆さんとお孫さん連れの祖母の方がしきりに「押しつぶすのよ」と言っている。「ええっ、本当につぶして食べる?」と思った。それでも食べにくい。ナイフとホークでハンバーガーを食べる。これも何か変な気がした。常にお皿にあるのはフライドポテト。これも食べやすそうだが、そう多くは食べられない。この日まで、というかAustralia滞在中、ご飯にありつけなかった。当然と言えば当然だけどやっぱり日本人。ここはお米と醤油が懐かしい。
バスの車窓から見るシドニーの光景 像はオーストラリア大陸を発見したキャプテンクック |
大きな船が停泊中 |
停泊中のクイーンエリザベス号は赤いカンガルーがロゴマーク |
オーストラリアではカンガルーをロゴマークとしている。クイーンエリザベス号は船なので赤いカンガルーのロゴマークがある。これは軍艦も同じで前進あるのみの意として赤いカンガルーとなっている。白いカンガルーのロゴマークは空軍や飛行機に使用される。
シドニーのハーバーでのお昼は大きなハンバーガー |
王立植物園→ミセスマッコーリーズポイント
12時40分 ミセスマッコーリーズポイントへ歩いていく。途中で白バイが止まっている。誰かが「写真OK?」と聞くと大丈夫だった。この辺りは王立植物園となっており、この先に「ミセスマッコーリーの椅子」がある。ミセスマッコーリーは1810年から1821年にかけて英国の植民地だったニューサウスウェールズ州の総督として赴任していたマッコーリー夫人であり、この場所がお気に入りだった。夫人が散歩の途中に休めるようにと1810年に砂岩を切り出して椅子が作られた。夫人はこの椅子に座ってイギリスからの船がハーバーに入る様子を毎日眺めていたという。この椅子はマッコーリーズチェアとして今でもある。
マッコーリーズポイントからは目の前にオペラハウスとハーバーブリッジがよく見える。マッコーリーの椅子に行くまでには大きな樹木が植えられている。これは無花果の木。しかし、日本でいう無花果とは異なり、実は食べられない。樹齢は何と120年から170年らしい。この辺りではお昼の休憩時間を利用してジョギングする人々の姿を目にする。今はオーストラリア人の肥満度はアメリカと1,2位を争っているらしい。運動するのもいいけど、それよりも食事量を減らせば、と思う。しかし、それは余計なお世話と言われそうだ。
説明を追加 |
無花果の木 |
無花果の木 |
無花果の木 |
ここがミセスマコーリーズポイント ハーバーブリッジとオペラハウスが目に前に見える |
無花果の木 ミセスマッコーリーズポイントからマッコーリーズチェアへ移動する |
1788年、イギリスから囚人750人を含む総勢1200人を乗せた移民船が初めてこの地に降り立つ。それから200年余りの間に世間を震撼させたオーストラリアの囚人を捉えた建物が見える。この中に入れられた流刑者たちによって岩を削り、家や倉庫を建てて町づくりを始めた。その初期は犯罪者の巣窟だった場所もその後のハーバーブリッジなどの建設により古い建物も壊されて観光客でに賑わうようになった。
海に浮かぶ建物は犯罪博物館 |
ミセスマッコーリーズチェアの表示左横には岩を彫って作られた椅子がある。この椅子に座ってマッコーリー夫人の気持ちを味わう。椅子は海に向かって眺めがよい場所にあった。
マッコーリー夫人が座ったと言われる椅子 左横にも椅子はあった |
マッコーリーズの椅子の標識 |
王立植物園から見る光景 |
シドニー市内を走るバス |
マッコーリーの椅子に座った後はバスに乗ってオペラハウスに向かう。オペラハウスはロビーを見るだけの観光でせっかくここまで来たのにと少々悔やまれる。この場所で解散して短い自由時間となる。ロビーにあるオペラハウスのグッズ売り場に行くが目ぼしいモノがない。それよりもチケットを購入する窓口の人たちを眺める。いつの日かここに来てオペラ鑑賞となれば最高だけどさてさてそれはいつのことやら!?
それにしてもこのオペラハウス、元は市電の車庫だったとか。それが10数年の歳月をかけて1973年に完成する。2007年には「人類の創造的才能を表現する傑作」として世界文化遺産に登録された。この建物の周リは広場となっている。短い自由時間を利用してキョロキョロするが、集合場所までの道のりが遠くてゆっくりもできない。
オペラハウスの前広場 |
オペラハウス入り口 |
オペラハウスへの階段 鳥もいた |
オペラハウスへの道の海側はテラスのレストランだった |
14時20分 バスは出発して今夜の宿泊地、ブルーマウンテンズ地区のカツンバへ移動する。シドニーから125km先にあり2時間で到着。途中、エコ-ーポイント展望のためカツンバの町で車を止める。現地ガイドは前日、雨のため、エコーポイントの眺めがブルーマウンテンズならぬキリマンジャロ(キリデミエンジャロ)だったと笑って話す。翌日のお天気が良くないとまたもやキリマンジャロになりかねない。それを見計らってこの日にスリーシスターズを見に行こうと配慮された。夕日に映えるエコーポイントから眺めるスリーシスターズと翌朝の朝日の眺めもお天気が良くて幸いだった。
16時20分頃、夕日に照らされるスリーシスターズ |
夕日に映えるスリーシスターズ |
1954年エリザベス女王が訪れたことから名付けられた クイーン・エリザベス展望台 |
エリザベス女王もご覧になった! |
スリーシスターズ |
エコーポイントから見るスリーシスターズはカツンバのホテルからバスで15分の所にある。17時 カツンバのホテル着。これから夕食までフリータイム。ホテルの近くはこじんまりとした町でスーパーや酒屋などもある。ホテルを出てスーパーに出かける。どういってもAUD200ドル持参してもほとんど使っていない。食事ごとの飲み物代に困ると思って現地通貨を持参した。ところが外国ではテーブルに出ないお水もこの国では出てくる。それでも何かお土産らしきものを、と思ってスーパーで探すとすべて甘そうだ。
お土産はなるべく買わないことに決めている。少しだけ購入すると重たくなった。スーパー内で数人のグループ連れと出会う。顔つきがタイ人に思えたので尋ねると台湾人だった。台湾へはトランジットや観光で出かけている。「いい国」、と話すと喜ばれた。日本と台湾のミニミニ友好タイムとなり、楽しく会話する。スーパーを出ると目の前に酒屋がある。入ろうとすると閉まっている。横にいた西洋風の女性が「向うへまわって~」と英語でいう。お店の周囲を歩くと他に入り口があった。
缶ビールを買ってレジを済ませると先の女性が係りに何やら笑って話している。「入口を教えてあげた人だ」と言ったのだろう。
19時 ホテル内で夕食。ブルーマウンテンズ地区にあるカツンバのホテル、パレ ロワイヤルはコテージのようなホテルで町の中心にある。2月のオーストラリアは夏であってもここカツンバの町は山中にあり、涼しい。暖房がしてあった。
スープ |
美味しいけど量が多すぎる |
デザート |
ホテル食堂には暖炉がある |
酒屋で買ったビールAUD4. 5ドル(=500円) |
カツンバのホテル パレ ロワイヤル |
第五日目 2018年2月28日(水) ブルーマウンテンズ地区🚌シドニー
オーストラリアは2月は夏の季節。しかし、ここブルーマウンテンズ地区は山中にあり、気温も都市と違って10℃~21℃と低いと前日に現地ガイドから聞いた。この日も快晴だが、風が強く吹いて冷たい。
再びブルーマウンテンズ
9時半 バスはホテルを出発して昨夕訪れたエコーポイント展望台に出かける。夕方見たスリーシスターズ。朝、見ると太陽の加減で違って見える。
ブルーマウンテンズは2000年に世界自然遺産として登録された。オーストラリア政府観光局によると「100万ヘクタールにおよぶ巨木の森林、砂岩の絶壁、渓谷、滝と原生林。世界遺産のブルー・マウンテンズは、青みがかったユーカリの霧に包まれ、その美しさは誰をも魅了するでしょう」とある。確かにその通りでどこを見ても美しい。
ブルーマウンテンズが世界自然遺産に登録されたのは①ユーカリの木が90種類くらいある。②1994年に生きた化石のフラマイ松(耳で聞いた言葉なので聞き間違えているかもしれない)が発見された。③スリーシスターズの岩などに拠っていた。
朝日に映えるスリーシスターズ |
エコーポイントから眺めるブルーマウンテンズ |
スリーシスターズ 歩いていろんな角度から眺めた |
シーニック・ワールド
10時 エコーポイント展望台を後にしてシーニック・ワールドへバスで移動する。ここではケーブルカーのシーニック・スカイウェイ、トロッコ列車のシーニック・レイルウェイ、ロープウェイのシーニック・ケーブルウェイに乗車する。乗り物に乗る前に乗車券の代わりになるバーコードのチケットを腕に巻く。3つの乗り物に乗る度に機械に腕をかざした。
このチケットを機械にかざして乗り物に乗る |
まずはケーブルカーのシーニック・スカイウェイに乗る。これはオーストラリアで最高度の地上270mを走っている。この乗り物の真ん中あたりは一段高くなっており、動き出すとガラス張りの床に代わる。飛行機の床が透明だったら、と想像するだけでも怖い。しかし、この乗り物は一部が透明になる。何でも経験と思ってその上に立つとガラスの床越しにジャミソン渓谷が空中散歩できる。やっぱり怖いけれども興味本位で下を眺める。スカイウェイは徐々に上に登る。下を見ると先ほどの景色と変わってもっと高さを感じ出す。これも透明効果かもしれない。
シーニック・ワールドで乗ったケーブルカーのシーニック・スカイウエイ 乗り物の一部は床が透明になっている そこに立つ |
床の一部が透明になったガラス張りの床のケーブルカーから見下ろす |
シーニック・スカイウェイを降りると次にトロッコ列車のシーニック・レイルウェイに乗る。これには前から2列目に乗る。写真を撮ると前の人の頭が写るがトロッコ列車は急こう配なので身動きできない。それでも童心に帰って乗り物に乗って楽しむ。
シニックワールドのトロッコ列車 |
トロッコ列車は迫力満点 この人たちの後ろに乗った かなり急こう配ではしゃいでしまった |
トロッコ列車から下車したところ |
シーニック・レイルウエイ(トロッコ列車) |
トロッコ列車を降りると次はシーニック・ウオークウェイ。以前、採掘した炭鉱跡や、ここにしか生息しない植物や多種のユーカリの中を歩く。10分くらい山を歩くとオゾンいっぱいで気持ちいい。
トロッコ列車を降りて炭坑跡を見て回る |
炭鉱跡 |
炭鉱跡 |
炭鉱跡 |
カツンバは炭鉱の町 カツンバの父の標識がある |
シーニック・レイルウェイ標識 |
遊歩道から見上げると砂岩が崩れ落ちている |
シーニック・ケーブルウェイ |
3つ目の乗り物はロープウェイのシーニック・ケーブルウェイ。これを降りると顔立ちが日本人らしい小学生の団体に出会う。声をかけると奈良県の高校野球で有名な智〇学園の小学生だった。何と7日間で奈良から成田経由でオーストラリアへの修学旅行だそうだ。付き添いの先生に聞くと旅費は何と30万円。この学校は中学では修学旅行に行かず、小学校と高校で行くという。「じゃ、高校はアメリカ?」と問うと行き先は韓国らしい。それにしても「今どきの小学生は…」と言いたくなるほど贅沢な小学生たちだった。
シーニック・ワールドで出会った日本の修学旅行生たち |
11時半 シーニック・ワールドで乗り物に乗って楽しんだ後はバスに乗ってお昼の中華料理(広東料理)を食べに行く。中華レストランで食べたお昼の料理の美味しかったこと。オーストラリアに来て以来、ファスト・フードのような食事だった。しかし、中華は日本の味がする。美味だった。
中華レストランの看板 |
中華レストランを出た大通りの光景 近くにはルーラ・ガーデン・ビレッジもあるそうだ |
12時半 中華レストランを出るとシドニーの街にバスで2時間かけて戻る。シドニーの日中の気温はブルーマウンテンズの涼しさとは打って変わって29度。シドニーの繁華街でフリータイム。近くにあるお土産物屋のチラシを受け取ると土産物屋へは行かず、デパートに入る。2時間のフリータイム。デパートに入り、1階から上の階までエスカレータで上がる。途中、AUDドルをほとんど使っていないので何かを買おうと見て歩くが買いたいものがない。衣服は到底日本で着れそうにない。というか大きすぎる。
もらったチラシに街中の地図が書いてある。集合場所は「ZARA」の前だ。時間までまずは教会を目指す。途中、公園がある。大きなチェスをやっている。さらに進むとストリート・ミュージシャンがいる。デパート付近の通りでも歩行者天国となっており、ストリート・ミュージシャンを多く見かけた。
公園内を抜けるとSt.Mary’s大聖堂が見えてくる。しかし、教会はバス通りを挟んで真向かいだ。ここで交通事故に遭っては大変。信号機を見つけて教会まで歩く。中に入ると信者以外は奥へは入れない。ましてや写真撮影はご法度。仕方なく少し見ただけで外に出る。外国に出かけて一人で2時間も歩く。それも教会へ入るということは初めての経験。地理に弱いと思っていた。しかし、思うほどではないと変に自信をつける。
公園で大きなチェスをする人たち |
街中の公園 |
シドニーの教会St.Mary’s大聖堂 |
教会の前に立っている像 |
ストリートミュージシャン |
公園内の大きな無花果の木? |
公衆電話 |
地下鉄駅 |
一番の繁華街のストリート・ミュージシャン |
繁華街の様子 左側にデパート、右にはブランドショップZARAがある 集合場所近くでしばし椅子に座って行く人々を観察 |
16時 ZARAに集合。ところが店内で万引きをしたのか入り口付近で捕まった人がいる。どこの国にも万引きはいると思ってしばし様子を見る。バスでハーバーに移動してディナークルーズ船に乗る。 キャプテンクック“クルーズ船 シドニー2000”は乗船後すぐにディナーとなる。乗船客が多いので食後の珈琲は注文しないようにと添乗員から言われる。珈琲が出るまでに時間がかかるというのだろう。1時間のクルーズは何とも慌ただしい。食事後、4階のデッキに行くと風が強く吹いている。そこで日本の他のツアー客と再会する。
ディナークルーズ船キャプテンクック “シドニー2000” |
ディナークルーズのメインディッシュは魚。この魚はバラマンディーというそうだ。日本では食べたことも聞いたこともない名前だ。乗船して1時間後に船を降りる。まだ、外は明るい。シドニーのホテルはリッジス ノース シドニー。
前菜とパン |
メインディッシュはバラマンディー(魚) |
デザート |
4階のデッキからの眺めは風が強い |
クルーズ船から見るオペラハウス |
クルーズ船から見るハーバーブリッジ |
4時40分 起床。朝早いためボックスになったお弁当をもらう。前日、もらった中に長期保存のできる牛乳があった。ホテルを出る前にこれを温めてミルクコーヒーにして飲む。
6時 いよいよ関空へ。シドーニーの空港で祖母と孫のペアのお孫さんがスマホをバスに忘れたとのこと。現地ガイドがまだ空港にいたのが幸いして、タクシーでバスを追いかける。後で聞くと無事にスマホは戻ったそうだ。良かった!
9時半 QF033カンタス航空は関空に向けて離陸する。来るときに気付いたフットレストを探すとあった。これは本当に便利で靴を脱いで両足を網に置くとかなりリラックスする。約10時間のフライト中、モニター画面で映画を2本見た。“Goodby Christopher Robin”と”My cosun Rachel”を見た。その内容はと聞かれると忘れている。
夕方17時半 定刻に無事関空着。広島までの移動では新大阪駅ではいつも柿の葉寿司を購入。やっぱり日本の味はいい!
何の予備知識もなく出かけたオーストラリア。自然の美しさはやはり目を見張るものがある。ブログを投稿中もそれを感じる。これにはお天気に恵まれたこともありそうだ。Australia=Aussieということさえも知らずに出かけた。「百聞は一見に如かず」のことわざ通り、旅に出ると自分の目で見て、肌で感じて、匂いを嗅いで、現地の人や旅人の話を聞いて、その地の空気に触れることに尽きそうだ。
オーストラリアは日本の21倍の面積があるという。1度くらい出かけただけではオーストラリアに行ったとは言えそうにない。またいつの日か行く機会を作ろう。食事面でぶつくさ書いたけど、他の面ではAustraliaは最高にいい!どういっても大自然が美しいし、お水が飲める。またトイレも他国に比べて綺麗。ホテルも乗り物もすべて整っていた。楽しい旅は終わった。またいつの日か、オーストラリアへ行こう!
旅の参加者の横顔
明石の英語を習っている3人の姫たち
大阪のリュック姿のご夫妻 山登りで知り合った人なのか若さがあった
津山のご夫妻
大阪の祖母と孫の2人連れ 孫はこの春大学3年になるとか
大阪の奥様が真っ赤に髪を染めたご夫妻 赤い髪は集合の際の目印になると話す
奈良の飛鳥のご夫妻 4月から新たな観光施設に勤めるらしい 感じがいいご夫妻
関西の4人組 高校の同級生らしい
西宮のご夫妻 南アフリカに行ったかを問われる 行ったと話すと最近ブームとか
残り3組のご夫妻は記憶になくて申し訳ない
いろいろと楽しい旅をありがとうございました!
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