2018年3月17日土曜日

ヒトが経験するコトは思い出となり、モノはゴミと化す

 今週になって暖かい日が続き、気になっていた部屋のある個所を片付ける。ところが、途中で思わぬ事態発生。モノを出そうとすると重くて自分の手に負えなくなる。これは3日前のお話。すぐに姉の旦那に電話してその処置をお願いする。昨日、姉夫妻はわが家に来てくれた。部屋に入るとすぐに義兄は重いモノを出してくれる。昨日は今週の暖かさと違って寒かった。今朝もまだ寒い。暖かくなったらまた手を貸してくれるという。

 家のメンテというか我が家のことに関しては義兄におんぶにだっこだ。某企業の一級建築士だったので業者の紹介やちょっとしたことは安心してお願いできる。昨日、家に来てもらうまでの2日間、自分の手に負えないことがストレスになる。その時思った。如何に毎日ストレスなく生きているのだろう、と。この話を昨日姉にすると気が大きそうに見えて小さすぎる、と言って笑われる。今はほぼストレスなく生きている。しかし、何かコトにぶつかると異常なストレスとなる。

 母はよくナニゴトもお金で解決するのであればそれでよい、と話していた。年々、その思いが分かりだす。昨日も義兄に手伝ってもらった後、母が大事にしていた着物類を処分する。母はある年齢から着物を着るのはきつい、と言って着なくなった。最後に着たのは父が亡くなった時だろうか。当時は家での葬儀だった。わが家の女性4人は着物の喪服を着た。この喪服、姉や妹は結婚する際に揃えた。しかし、ひとりだけそれもなく人から借りた。

 母の着物類をみるとそれもある。母は大事にしまっていた。これを処分するのがためらわれる。しかし、後を引き継ぐものは誰もいない。他にも着物や帯がいろいろとある。帯や無地のモノはゴミとして出すことにした。ただ、全部ゴミとして出すかどうか迷いが出る。

 母が怪我で寝込んだ時、家を大幅にリフォームした。その時、古い家具や机などすべて処分した。だが、まだ残っているモノがある。それは布団類と着物類。布団類も今では綿の布団を使わない。かなりの枚数ある。これもゴミとして処分せねばならない。

 その時、思った。人がこの世からいなくなればその人の持ち物はすべてゴミと化す。今、大事と思っているモノもいずれは廃棄される。モノはすべてそうなる。じゃ、ゴミにならないものは何だろう。それはヒトが経験するコト。これは思い出になってもゴミにはならない。そう思うと、今やっている自転車に乗る、泳ぐ、旅行する、笛を吹く、絵を描く、美味しいモノを食べる、遊ぶ、ブログ、本を読む…。何でもそうだ。経験することはどんなにやってもゴミと化さない。

 もうゴミになるモノは必要最小限にとどめよう。そう決心したけど凡人はそこまでには至りそうにない。

 折角家に来てもっらのだからとついでに姉夫妻にお願いする。ベランダの物干しざおの処分と家の裏にある一か所の樋が気になる。これも暖かくなってからということになった。お礼を渡すと受け取ってもらえない。それどころかお昼も食べに連れて行ってもらう。かなり散財させたけど感謝、感謝!まあ、姉夫妻は二人だし、ましてや仲のいいおしどり夫婦。一人頑張るモノとは大違い。大目に見てもらおう!

 それにしても今日のブログタイトル、「ヒトが経験するコトは思い出となり、モノはゴミと化す」。これ、我ながらうまい表現と自画自賛。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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