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2022年10月23日日曜日

京都一人旅その3(嵯峨野)

 京都一人旅の初日は大徳寺を主に歩いた。2日目は嵯峨野を中心に歩く。前夜の宿ではSMSの不具合でパニックった。が、何とかそれもクリア。夕飯は各自の部屋に運ばれてくる。こういうことはあまり経験がない。先ほどまでの気分を変えるべく生ビールで独り乾杯。結構酔った。出された料理は京都の会席料理とか。個人的な感想は京都の食文化は漬物文化というかつくだ煮などの保存食文化に思えた。というのも何もかも塩辛くまた醤油辛い。これはお昼に食べたラーメンもそうだった。加工されてない食品本来のままを生かした食べ物が好きだ。これも育った環境によるのだろうか。

 宿は渡月橋前に位置する。宿で朝食を済ませると庭園を見て歩く。この宿は角倉了以の別邸の一つだったらしく、それをその後京都市が購入したとか。広い庭を散策していると宿を利用した2人連れとすれ違う。しばし立ち話をすると地元の人らしい。お庭を手入れする人に声を掛けられる。「いい環境で仕事ができていいですね」というと木の枝が落ちたのを拾っているそうで落ち葉は風情があるので拾わないという。感じがいい人だった。
宿は元、角倉了以の別邸 お庭がすごかった!

 
朝は渡る人も少ない
 チェックアウトを済ませると目の前に見える渡月橋に向かう。朝の渡月橋は人も少ない。橋の上を歩きながら川を見下ろすと白い鳥がえさをついばむ様子が見られた。鳥の名前はわからない。
宿を出ると目の前に渡月橋が見える

川を見下ろすと白い大きな鳥がいた
 渡月橋をわたって元の道に引き返すと標識板に「周恩来総理記念詩碑」などの文字が見える。(まさか嵐山で周恩来?)と思ってその詩碑を見に行こうとなった。人力車の若い兄ちゃんに聞くと川を沿っていく、とのこと。川に沿っていくがわからない。途中、ホテルの庭を掃除している人に聞くとスマホで探してくれた。川に沿っていけば石段がある。それを上って、と教わる。石段のところまで歩くと亀山公園の展望台に出る。どうもこの公園内に詩碑はあるようだ。
道を尋ねたホテルの生け垣の桔梗

この「周恩来……」の標識板を見て是非とも探そうとなった

亀山公園に続く道

階段を上ると展望台になっている
 亀山公園にある展望台に着くが広すぎて詩碑がどこにあるかさっぱりわからない。ただ歩きつづけて探す始末。途中、何人の人に聞いたかわからない。まず展望台を歩く人がすくない。やっと人を見つけて声をかけると外国人夫婦だった。遠くから声をかけたので外国人とわかった時は「申し訳ない」と思わず英語で言った。

 傘を差した女性がいるのを見かけた。詩碑の話をすると嵯峨野に住んでいるとのことで角倉了以の像や詩碑の場所へ連れて行ってくれた。その人は毎朝、1万歩、このあたりを歩いているという。歳を聞くと81歳だった。一人で旅をしていると話すと驚かれてしまった。そしてJRの嵯峨嵐山駅からJRに乗るまでこの人について観光した。この日は天龍寺の観光が主な目的だった。さすが地元の人だけあってJRに間に合うようにその時刻まで観光できた。
角倉了以像

周恩来総理詩碑

周恩来総理の詩碑

 周恩来総理の詩碑を見てもはっきりと文字が読めない。ネットで検索すると次のように書いてあった。引用させていただこう。

雨中嵐山――日本京都

一九一九年四月五日

雨の中を二度嵐山に遊ぶ
両岸の青き松に いく株かの桜まじる
道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
雨濛々として霧深く
陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
真(まこと)にいよいよなまめかし

訳 蔡子民先生

 この詩碑建立についての説明はネットに詳しく載っている。後でゆっくり見ることにしよう。それにしてもまさかこの場において「周恩来……」の名を目にするとは驚き。天龍寺行きの予定が大幅に遅れたけど、そのお陰で地元の人に観光案内を乞うことができた。世の中、何が幸いするかわからない。
竹林への道を抜けて天龍寺へ
 その人について歩くと竹林の道を通って天龍寺へ行くという。竹林の道辺りから外国人や修学旅行生などの観光客で一気に人出も増えだす。その中を人力車が駆け巡る。
清凉寺は外から眺める  
トロッコ電車が通り過ぎた
 天龍寺に行く前に竹林の道にある野宮神社に参り、トロッコ電車や清凉寺を案内してもらった。清凉寺は外から写真に写す。トロッコ電車はまだ乗ったことがないがいつの日か乗りたいと思ったり。天龍寺に着いた。天龍寺は1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。この夢窓国師による庭園である曹源池の付近は時間とともに観光客でごった返す。大方丈に入ると着物姿の男女の観光客が目につく。帰り際、(有名寺院のトイレは如何に)、と利用させていただくと真新しくとても綺麗だった。外に出て庭園を歩くが連れの案内で庭園全体を歩いたようで草臥れ始める。境内には秋の花が咲いていた。

境内に咲く酔芙蓉

天龍寺境内で見かけた花
境内に咲く紫式部
境内に咲く秋冥菊

天龍寺

 
境内に入るとススキが……

曹源池

天龍寺の庭園の上から見下ろす

天龍寺境内
 JR嵯峨嵐山駅から乗車の時刻が迫りだす。宿でもらったクーポン券3000円分を使っていない。長時間にわたって旅の道ずれにしてしまった地元の人にお礼すべくお土産屋に行く。その人は2種類ほどつくだ煮を手にした。こちらはちりめん山椒を一袋購入。クーポン券を少々オーバーしたが、その人に手にしたものをクーポン券で買ってあげてお礼とした。

 京都の旅も下関に負けず劣らず本当に楽しかった。今思い出した。案内してくれた人によると京都は老人であればバスは無料らしい。そしてびっくりしたのは京都市内では1回バスに乗るとどこへでも230円で行けるとのこと。どうりで乗車の際の機械のタッチがなく、降りるときだけ機械操作した。京都の旅の初日は7633歩、2日目は19028歩とほんとうによく歩いた。一人旅ではあちこち観光するのではなくどこか1カ所を決めての観光がいい。その意味で今回の旅も司馬遼太郎の歩いた「大徳寺散歩」と「嵯峨散歩」を少しだけまねして歩いたのは正解だった。次はどこへ!?と楽しみが増してくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月22日土曜日

京都一人旅その2(大徳寺)

大徳寺総門

 大徳寺は大燈国師によって1326年に創建され、一休宗純や沢庵宗彭などの名僧を輩出している。また千利休や狩野永徳など後世の日本文化に大きな影響を及ぼした人物も輩出している。大徳寺の総門を入ると広い境内のその先にある緋色の三門(山門、金毛閣とも言われる)に目を奪われる。隣の仏殿(方丈)はただいま工事中。そばにはまた身体をまるで支えられているように見えるほど大きなイブキが植えられている。

大徳寺のイブキ
三玄院


金毛閣(三門、山門ともいう)

大徳寺総務本所
 奥に進むと総務本所があった。辺りで真珠庵を尋ねるがわかる人はいない。それならばと真珠庵はあきらめてさらに進む。その時、一人旅らしい老いた男性が本を手にして歩いていた。真珠庵を尋ねるとわからないという。その人は高桐院を見学しようとしたがコロナで公開されず残念そうだった。これから?とその人に問うと今宮神社へ行くという。
聚光院

左は閉鎖中の高桐院、右へ行くと今宮神社へ
 高桐院は以前は公開されていたお寺のようで、今回の旅でも見学する予定だった。が、公開されてないと知ると予定を変更せざるを得ない。来た道を引き返すと特別公開中の塔頭である総見院があった。ここに入ると受付で特別公開中の塔頭はここを入れて3か所あるという。1か所の塔頭でも探すのに困難を極めている。係の3か所、の言葉を強引に振り切って1か所の塔頭だけ見学する。すぐに本堂で案内が始まるとのことだった。

 総見院は織田信長公の菩提寺で、信長公の一周忌を迎えたその追善のために1583年豊臣秀吉公が建立している。総見院の本堂に入ると織田信長公の25㎝の木造の座像が安置されていた。信長公の木像は人を射るような鋭い眼光をしている。総見院の北庭には茶室三席がならんであった。
侘助椿
このなかは信長公墓地

総見院

総見院茶室

総見院茶室

総見院茶室
 掘り抜き井戸の井筒は加藤清正が文禄慶長の役の際に船の重りとして日本に持ち帰った朝鮮石と伝わっており、今も湧き出ている水を毎朝お供えに使用しているという。
掘り抜き井戸

信長公一族の墓
 総見院のお庭の奥に進むと突き当たりに信長公一族のお墓があった。道を引き返していると侘助椿の大きな椿が植えられている。今は花の時季ではないが開花時は綺麗なこと間違いなさそうだ。

 総見院を出るとまたも真珠庵が気になる。なぜ気になるかといえば司馬遼太郎が歩いた塔頭だからである。来た道を引き返していると女性がやってきた。真珠庵を尋ねると連れて行ってあげるという。その人は地元の人らしく大徳寺へお墓参りに来たという。真珠庵は境内で行きかう何人もの人に聞いても場所が理解できずにいた。その人について行くと奥まった場所に真珠庵はあった。が、公開されていない。写真だけ写して連れに案内されるままについて行くとお昼を食べるお店に連れて行ってくれた。
真珠庵
 食事の前に立ち寄ったお土産屋で大徳寺納豆を買う、とのことでまねして私も一袋買った。
大徳寺納豆を購入したお店
 道を案内してくれた人はお昼を食べてきたという。お昼の場所を教えてもらってその場で別れた。お店は感じがよくないとか。入ると確かにそうだった。外で待つようにとのことで待つふりをしてその場を去る。(どこかいいお店は?)と探すが適当なお店がない。(じゃ、京都駅で食べよう)、と決めてバスで京都駅に向かう。が、京都駅までは1時間かかる。

 京都駅に着くと地下街に入り、ラーメンでお昼とする。早々と食べ終えるとバスで今宵の宿へ。バス乗り場を探すがわかりにくい。(多分この乗り場に間違いない)と思って並ぶ。若い女性に確認するとバス会社が違うので、同じ場所で次のバスに乗るようにと教えてもらう。若い女性はとても親切で自身のスマホで確認してくれた。(私もスマホを持っているのに)、と思ってもまだ操作はできない。

 1時間バスに揺られて宿に着く。フロントでPCR検査結果のSMSが開かず、大変だったけど何とかクリア。宿代5000円、クーポン券3000円をいただく。夕飯は各自の部屋食。夕飯までの時間も(なぜSMSが開かないのか)と何度も試みる。もう気になって仕方ない。が、諦めモードで翌日の帰宅後ドコモに問い合わせてやっと解決した。

 食事後、部屋のテーブルに書類がある。その1枚を見ているとWIFIに関することだ。早速自分のスマホにWIFIを接続した。そして先ほどQRコードの読み取りができなかったがこれも部屋で触っていると読み取りができた。WIFIは家以外では初めて接続したので嬉しかった。帰りのJR新幹線車内でも利用できた。これも嬉しかった!
宿は花のいえ
 この続きはまた後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月21日金曜日

京都一人旅その1

竹林を歩く
 秋の行楽シーズン真っ盛りの中、10月19日(水)~20日(木)の2日間、京都へ出かけた。今回の旅も長州路と同じく一人旅である。「旅は道ずれ、世は情け」と諺にあるが旅の道ずれはいなくても今回の旅も現地での道ずれが現れた。

 京都へ、と思ったのは司馬遼太郎の『街道をゆく』の「大徳寺散歩」を読んだことによる。大徳寺、と目標を決めてすぐに京都の宿を予約した。今月11日から始まった全国の旅行割の前に予約したのですぐに宿は確保できた。次は新幹線の「おとなび」の予約である。これも難なく予約できた。それからというもの、京都へ、と気持ちが向いてゆく。泊をともなう旅なので大徳寺だけではもったいない。そこで宿のある嵯峨周辺の散策となった。嵯峨といえば渡月橋や天龍寺の観光が外せない。行く前に司馬遼太郎の『街道をゆく』の「嵯峨散歩」も読んだ。ということで1日目は大徳寺、2日目は天龍寺を主として歩いた。
 
 大徳寺はいわゆる金もうけとなるような観光寺ではない。司馬遼太郎は次のように書いている。

 ★大徳寺のすがすがしさは、大寺によくある賽銭あつめの廟祠がないことである。……収入の面では清貧にも耐えている。さらにいえば、建物、庭園から右の松柏にいたるまで、省庁制に徹していることでもある。現世利益では象徴にならないのである。 (『街道をゆく』(三十四)「大徳寺散歩」司馬 遼太郎 文藝春秋、一九九七年第三刷 121p) 

 そのため、観光寺にあるように人が集中することもないようだ。出かけた当日も観光客であふれかえる状況はなく、落ち着いた雰囲気で観光できる。大徳寺境内は想像さえしていないような広さだ。観光寺でないため、境内にはパンフもない。さてどこから行けば、となった。観光中の若者に聞くと境内の標識板だけが頼りのようだ。これを写真に収めるが木漏れ日の中、うまく写せない。

 そこで司馬が「大徳寺散歩」で歩いた箇所をあらかじめメモしていたのでそれに沿って歩く。30数年前に書かれた「大徳寺散歩」の特別拝観寺院は趣を変えていた。「高桐院」付近で一人旅の人が本を手にして歩いている。話を聞くと今、高桐院は公開されてないとか。出かけた日は総見院他2寺が特別拝観中という。総見院で3寺の拝観を、と言われたけど広い境内の1か所のお寺を探すのも大変なのに3か所は無理と思って総見院だけ拝観した。チケット売り場を振り向くと後ろに背広姿のサラリーマンらしき人がいる。出張中の観光だろうか。

 総見院は信長に関連するお寺で墓地もある。特別展を見た後、外に出て観光中の人に真珠庵を問うとお墓参りに来たという地元の人がそこまで案内してくれるとのこと。結果、この人が旅の道づれとなってくれてそこまで連れて行ってくれた。わかりにくい場所にあり、塔頭の中へは入れなかった。

 道づれの人は一人で観光する私を見て驚いたようだ。これくらいで驚かれるのも変、と思った。が、若い頃の自分を振り返ると何もできなかったというかしなかった自分がいた。そう思うと年老いて図々しさも加わって自分で何もかもやろうとしたことが今につながっていると思ったりした。できないよりは、というか何もしないよりは何でもやりたいことをやるほうが同じ生きるなら楽しいはず。そう思う。その思いは年々強くなる。先がない!?と言われればそうかもしれないが……。

 道づれとお昼を食べる場所まで行ってそこで別れる。お腹が空いてお昼を、と思って入ったお店は道づれによると不愛想なお店とか。入ると外で待つようにと言われる。待つふりをして出てその場を去る。他のお店を探すが適当なお店がない。仕方なく京都駅行のバスに乗って京都駅まで戻り、地下街に入って食べた。

 この日の宿は渡月橋前にある花のいえ。バス停留所は角倉町で下車すると目の前にある。運転手さんに角倉(かどくら)と告げると「すみのくら」だった。そう聞いて角倉了以のことを思いだす。司馬は「嵯峨散歩」に次のように書いている。

★角倉家と嵯峨の天竜寺との縁はふかい。天竜寺の僧たちのかかりつけ医者だったという時代もある。天竜寺はいうまでもなく臨済禅の京都五山の一つだが、寺ながらも別に対民貿易商という一面をもっていた。すでに元の時代から室町幕府によって官許されていた貿易商で、世に「天竜寺船」とよばれた。了以の父の宗桂は遣明天竜寺船に乗って入明したことがある。天竜寺船はいわば一航海きりの会社のようなものだから、角倉一族は当然、資本も出し、利潤の分配にもあずかったであろうが、宗桂自身はかの地で明の医方を学んだ。 (『街道をゆく』(二十六)「嵯峨散歩」 司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第4刷 56-57p)

 宿に着いた。さあ、ここで大変。というのもせっかく受けてきたPCR 検査のスマホのSMS画面が出ないのである。どうしよう、と慌てているとIDカードを貰ったことに気づく。しかし、IDカードのQRコードを読み取る知識がその時なかった。フロントもわからないという。別の係の人がスマホに長けていてダウンロードしてくれた。記載内容が読み取れてPCR検査の陰性を確認できた。

 この続きは又の日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月8日土曜日

長州路一人旅2日目

 旅の宿は下関満珠荘。受付でのチェックイン時、宿泊客が利用できる3千円のクーポン券をくれた。そのうち2千円分は宿代に充当し、千円は飲みもの代に利用できる。千円分はクラフトビールと珈琲代に使用した。なお夕食は巌流会席。新幹線はおとなび利用で運賃は4割引きの上に、宿代まで安くなった。シニアはさらに宿泊代が安くなる。なお地元のビールは「源平壇之浦」ビール。

 宿は山の上にあり部屋からは関門海峡が見下ろせる。この日はあいにく曇っていた。

宿から関門海峡が見える
 宿までバスに乗車する前に、赤間神宮へは下関行きの途中にある赤間神宮バス停で下車するとよいと聞いていた。また赤間神宮から唐戸市場までは徒歩で行けるという。チェックアウトを済ませて赤間神宮へバスで移動する。観光客らしき姿は数えるほどしかいない。
赤間神宮
 赤間神宮は平清盛の孫である安徳天皇を祀っている。それよりも初代宮司が白石正一郎に関心がある。白石正一郎は荷受け問屋で富を築き、高杉晋作など維新志士たちを物心両面で支援し、奇兵隊は白石邸で結成された。このように維新の偉大なる裏方である白石だが自身の名を遺しているところはほとんどない。

 赤間神宮は安徳天皇を祀った阿弥陀寺陵である。この辺の道は李鴻章道となっている。出かけるまでは李鴻章にまつわる道があるとは知らずここを歩きながら興味を抱く。観光中のグループにこの道を尋ねて前に進んだ。が、誰も歩く人はいない。

 しばらく行くと建物が見えた。日清講和記念館と春帆楼である。中国近代に関心があるのでとても興味深く記念館内に入る。当時の講和会議の様子がうかがえた。さらに李鴻章が揮毫した「海岳煙霞」も目に入る。春帆楼は今はフグのお店として有名。ここでかつて李鴻章が日清講和会議を行ったところと知るとさらに感慨深いものがある。
記念館内部

李鴻章揮毫の文字
春帆楼(左)と日清講和記念館
春帆楼は日清講和談判場だった

李鴻章道案内図
李鴻章道

 李鴻章道をどんどん行くとオペラで有名な藤原義江の家に着く。ところが主が不在のため、また観光する人もいないのか突然、蜘蛛の巣に顔をふさがれる。道を外れた通りで人に聞くとあらかじめ電話すれば室内に入れてくれるそうだ。蜘蛛の巣を払いのけながら外から建物を見る。
主のいない藤原義江記念館

 李鴻章道が終わるころ、歩く人にこのあたりの名所を伺うと引接寺(いんじょうじ)の三門の天井の竜を見るように教えてもらう。三門の天井を見上げると素晴らしい竜の装飾が施されていた。
引接寺三門
引接寺三門天井の竜の装飾


 引接寺を出て国道を歩いていると道行く人から亀山八幡宮を教えてもらう。八幡宮の対面には国道を挟んで唐戸市場がある。境内に入るとマスク姿の世界一大きなフグの像が建っている。さすがフグの本場だ。また、亀山砲台跡も残っていた。さらにこの地は床屋発祥の地らしくその記念碑も建っている。
亀山八幡宮
亀山八幡宮のマスク姿の世界一のフグ像

            亀山砲台跡
床屋発祥の地

 唐戸市場はテレビなどでもお馴染みだ。ここでにぎりずしでお昼を食べようと思った。ところが市場内に人気はまだらだ。行きかう人に尋ねると金土日しかそういったお店は開いてないという。その人たちもここに来て知ったそうだ。残念な気持ちで隣接のカモンワーフに向かう。ここも人の気配が無く、以前母たちと来た頃の賑わいはない。コロナ禍で観光客もいないようだ。仕方なく国道沿いを歩いて唐戸のバス停に向かう。途中、唐戸市場に勤める人が道に面した花壇に水をためてホテイアオイを育てていた。話を聞くと深さは数センチと浅くメダカも飼っているとか。出会ったときは水の中のゴミをすくっておられた。
ホテイアオイ すぐに花はし凋むそうだ

 唐戸でバスに乗って下関駅に向かう。この日は暑く、駅に着くと歩き疲れる。ホテルで朝から食事をたっぷりとっている。お昼は簡単なもので、とフードコートを探す。こういう場所は慣れていないので人の注文のそぶりを見てまねをする。長崎ちゃんぽんを注文した。食事場所は音がうるさくて食べるとすぐ出て観光案内所に向かう。ここで新下関乗車まで駅近くにあり、どうしても行きたかった白石正一郎宅跡(奇兵隊結成の地)と大歳神社の行き先を聴く。
白石正一郎宅跡

 簡単な地図を貰って歩き始めるが下関駅付近の地下道は工事中で目的地はすぐそばであってもたどり着けない。警備の人に聞いて地下道を抜けてやっと白石正一郎宅跡に着いた。ここは下関駅の大通りに面した一角にあった。次は大歳神社へ。またも行き先を尋ねると長い階段のある神社と教わる。脚も歩き疲れて113段の石段を上り終えたときはああ、疲れたとなった。これくらいでへこたれないが今回は歩き草臥れている。この神社の大鳥居に、初めて白石正一郎の名が刻まれていた。司馬遼太郎の本にもこの人はほとんど自分の名を遺していないと書いている。

白石正一郎、と刻まれている

123段の階段を上がって大歳神社へ

 2日目は前日の倍の16000歩以上歩いた。下関駅近辺の2か所を観光後、どこでもいいので足を休める場所を探す。目の前に竹崎公園があり、風の預言者高杉晋作の像が建っている。しばし休憩後、落ち着いたカフェを探すが見つからず、下関駅に戻ってファストフードのモスバーガーに入る。幸い人も混んでなく窓際に陣取って新下関駅までの在来線発車時刻まで時間をつぶす。注文したのは丸いスポンジケーキのようなものにシロップをかけて食べる。そして珈琲。

 たった2日の短い旅だったがやり終えた観とどこへでもまだ行ける、という気持ちが湧いてきて、歳を取ってからの旅も楽しく思えた。次は今月中旬の旅が待っている。

 昨日、おとなびで新幹線の往復を予約した。行きの予定時刻では予約が取れず次を探す。予約が取れないとわかると急いで帰りも予約する。どちらもOK だった。ただ、次の旅は同じく「おとなび」でも「のぞみ」利用なのであまり割引はないようだ。それでも旅に行けるだけでいい。何を今さら、この齢になって、と笑われそうだが、自分自身は今、そう思ったこと。何歳になっても楽しみはある!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!