2017年8月31日木曜日

「ヒトラー権力掌握への道~後編」を見る

 パソコンを起動させようとすると画面が変わらない。何度か電源を押してみるが、変化せず。「ああ、朝からなんということ?」とぼやいてみる。だがその割には気持ちにゆとりがある。またもやバッテリーの放電?と思い、90秒放電する。ところが、相変わらず画面は真っ黒のまま。購入時の困った時の資料を取り出して読む。バッテリーだけでなく電源をすべて取り外して放電するようにとある。電源を外して再度バッテリーも外して90秒放電するとパソコンが起動しだす。ああ、これで一安心!

 ほんまにパソコンには神経を使う。よく考えてみればこれまでフリーズした時、マニュアルも読まずにメーカーの故障係りに電話していた。マニュアルを読めば90秒放電のことも書いてある。根が落ち着きのない性格ゆえ、何事も先走ってしまう。ともあれ、朝から大仕事をした気になる。

 さて昨日のNHKBSドキュメンタリーのヒトラーの後編。ヒトラーが関係して殺戮した人々の数は5000万人だそうだ。5000人でなく、大幅に桁違いの5000万人の人々がヒトラーの犠牲になっている。これは異常というだけでは済まされない。ポーランドなどのユダヤ人だけの大量虐殺かと思いきや、その前にドイツ国内の反体政党全員をわけもなくとらえて殺害している。その後も少数勢力をも殺害して独裁政権を築く。イタリアの独裁者ムッソリーニは初めはヒトラーを寄せ付けなかった。ところが次第にヒトラーに加担する。加担すると言えば経済面でアメリカのフォードはヒトラーに大金をつぎ込んで援助した。

 昨夕はここまでだった。何となくその後のヒトラーが知りたい。そう思っていたら、今朝の新聞番組欄にアフター・ヒトラーが放送されるとある。これは前編だから明日も後編があるのだろう。

 それにしても「羊の皮」の仮面の化けの皮が剥げていく過程のヒトラーは見ていてもすさまじい。自分の生きて来た範囲で言えば毛〇東時代の文革がまさにヒトラーのそれにあてはまるのだろう。狂った指導者が狂った社会を作り上げる。そう思うと文革時代の犠牲者はいったい何人だったのだろう。またムッソリーニの時代にも何人が犠牲になったのか知りたくなる。後で調べよう。
 

2017年8月30日水曜日

ああ、いろいろと秋!

  NHKのBS世界のドキュメンタリー「ヒトラー 権力掌握への道~前編」を見た。2014年制作だが、これまでに再放送が6回もされている。今日の夕方はその後編がある。それにしてもヒトラーは何という奴?番組HPを見ると製作はフランスだ。

 ヒトラーはユダヤを敵対視した。ところが、ヒトラー自身のなかにもユダヤの血が流れているかもしれないという。謎に満ちた出自のヒトラー。どうしてこういう人格が出来上がっていくのか。テレビを見ていて一番関心が湧く。ドキュメンタリーとはいえ、あまりにもその内容が濃く、ナレーターの語りも言葉数が多くて理解するのも大変。あるユダヤ人が鷲を殺害したことでヒトラーの怒りを買ったという。これも正確なことは定かでないとか。あらゆる手段でユダヤを追い詰めていったのかもしれない。

 ヒトラーの『我が闘争』が初めて世に出たときは売れない本だった。これはヒトラーが犯罪で逮捕されて収監されていた時代に書かれている。ヒトラーの話を他の人が筆記。その用紙はワグナーからの差し入れだった。次に世に出る時はヒトラーが権力を掌握し、結婚届けを出した人たちにも強制的に本を配布。それにより、ヒトラー支持者を集める。さらに、ヒトラーは人を惹きつけさせる演説スタイルをイタリアの独裁者ムッソリーニから真似て参考とした。他にもドイツ・オペラを鑑賞して演説に相応しい演技も真似た。こうしてヒトラーは次第に権力の階段を上っていく。

 今夕はこの後編がある。ヒトラーを知らずしてドイツの近代はわからない。

 近代といえばお世話になった先生がN〇Kカルチャーセンター講師のチラシを見る。秋の研究会に出席すればいろいろとお話しがきける。だが、今年も不参加。せめて元気なうちは研究会だけでも所属して年に4度送られてくる機関誌にじっくり目を通そう。ともあれ、秋はフルート発表会、日本画展、そして海外旅行と行事が続く。

 行事と言えば昨日は日本画の先生から9月半ばに某美術館見学の案内が届く。参加したいけど、その日は外に出るので行かれない。ああ、残念!

 残念と言えば今朝の新聞で9,10,11月の講演会の記事がある。これも日程がかぶって身動きできない。ああ、秋!いろんな面で忙しい!

 気分を変えて昨日のフルート・レッスン。ピアノ合わせや本番までのスケジュール表をいただく。大丈夫、吹ける!と思っていると怪しい箇所も出てくる。ミスなく吹けるように練習しよう。それにしても、相変わらず暑い日が続く!気合と体力、大丈夫!?

2017年8月29日火曜日

ネットニュースから

 「84歳、1億4千万円だまし取られる」、これは今朝のネットニュースから。神戸市灘区の84歳の女性が被害にあっている。こういう記事を見る度、騙す人が悪いというよりも騙された人の生活環境を勘ぐってしまう。被害者は普通の主婦なのだろうか。主婦でなくても普通の老女だろうか。なぜこれほどの大金を持っているのか。なぜ大金がすぐ引き出せるのか。もしかしたら、大金はタンス預金!?いずれにしても騙す側が悪いのはもちろんだけど騙される人をなぜか勘ぐってしまう。それはなぜ?

 昨年の夏、ADSLから光に変えた時、古いモデムをNTTコミュの言うままに名古屋の業者に着払いで送った。それが原因かどうかわからない。ともあれ、この春までフリーダイヤルで毎日電話がかかってきた。その番号をいちいちネットで調べると廃品回収業者だった。先日の報道で国はフリ―ダイヤルで無差別に電話する電話番号を使用できなくしたとある。その影響か、この頃は全く変な電話がかからなくなった。これは良いこと。なぜもっと早く国はこういうことに着手しなかったのだろう。
 
 幸い我が家は老女であっても人さまにわたせるモノがない。ないモノに限って電話番号を表示して怪しい電話は一切出ないようにしている。これもある面、よくないこともある。添乗員からの電話や、本当の要件だと困ってしまう。だが、あらかじめかけられることがわかる電話は「この番号から電話されますか」と確認する。

 ともあれ、億という単位のお金が自由になる家が日本には多い、というのが特殊詐欺被害でわかってくる。被害者は気の毒、というよりもやっぱりどういう人が被害者?この方に気が向くのは庶民の下司の勘繰り?

2017年8月28日月曜日

『日本の伝統』

 本は特別なもの以外は買わずに図書館で予約して読む。ところが予約の本は予約確保の順番がなかなか回ってこない。時に活字に餓えてわが家の本棚から昔の本を取り出して読む。先日来から、若い時に買った日本教養全集を1冊ずつ読み始める。この全集、今読んでもその内容は全く色あせていない。さすがに教養全集、と思わず感動してしまう。

 岡本太郎の『日本の伝統』を読む。「初版の序」を読むと昭和31年となっている。西暦だと1956年。今から60年前に書かれている。読んでいて初めて知る語彙が多い。またもや電子辞書のお世話になる。いくら素晴らしい本でもすべてを記憶にとどめきれない。2か所ほど抜粋しよう。

 ★どんな凡人でも、生涯のうちに一度や二度はかならず、おのれ本来の姿を真正面から打ちながめてドキッとすることがあるはずです。そういうことなしには生き甲斐は考えられません。このような魂の高揚期にこそ、作家はおのれと対決し、それを乗り越えておのれ以上のものとなる。言い換えれば、ほんとうにおのれじしんになりきるのです。これが非情の場です。ここにのみ、私は、光琳以上のもの、つまり光琳芸術の本質を見るのです。私が「燕子花」と「紅白梅」を非情の作品と呼ぶのはこの意味です。229p(『日本教養全集全18巻15』角川書店、昭和50年)

 ★どうして日本の伝統というと、奈良の仏像だとか、茶の湯、源氏物語というような、もう現実的には効力をうしなっている、今日の生活とは無関係なようなものばかりを考えなければならないのだろう。そういう狭い意味の日本の過去だけがわれわれの伝統じゃないのです。ギリシャだろうがゴシックだろうが、またマヤでもアフリカでも、世界中、人類文化の優れた遺産のすべて、――その中のどれを取ってどれを取らないか、それは自由です。われわれが見聞きし、存在を知り得、何らかの形で感動を覚え、刺激を与えられ、新しい自分を形成した、自分にとっての現実の根、そういうものこそ正しい意味で伝統といえるでしょう。だから無限に幅ひろい過去がすべてわれわれの伝統だと考えるべきです。日本の古いものはわれわれにとって、むしろ遠いとさえいえるのです。自分の姿を鏡で見るときのように、如実に自分の弱みを見せつけられる。ふとそんな気分がして、われわれはかえっていわゆる日本的なものを逆に嫌悪し、押しのけてさえいます。この事実を自他にごまかしてはいけません。~略~われわれは今日、一面においては世界的に共通の形式の中に生活しているのであって、世界の因果が、われわれの骨肉にかかわっているのです。それと正しく対決することによって、われわれの土台から新しい文化をうちたてて行く、それが人間の伝統を輝かしく受けついで行く生き甲斐であることは確かです。285p

 「狭い意味の日本の過去だけがわれわれの伝統じゃないのです」の件はわかる。学校の義務教育で習った音楽、文学、絵画などは日本的なモノコトだけではなかった。ハーモニカや縦笛でドレミファで音楽を習ったし、シェイクスピアやピノキオなどの文学も日本の伝統よりもむしろ外国からの書だった。絵画もゴッホやモネなど西洋の絵も学んで育った。彫刻もそうだった。

 もう一つの件である「どんな凡人でも、生涯のうちに一度や二度はかならず、おのれ本来の姿を真正面から打ちながめてドキッとすることがあるはずです」。これも自分の生涯でもあった。これがあったからこそ今を生きている。何がそうさせたと思えるような力が湧いていた。凡人にもあった魂の高揚期。もう一度あるといいけど…。これも自分次第!?

2017年8月27日日曜日

某弦楽合奏団を聞きに行く

 最低気温23度の朝。急に秋を感じる。エアコンも扇風機も今のところ必要ない。ところが最高気温32度の予想でまだまだ暑い日は続きそうだ。

 某弦楽合奏団のコンサートに出かける。会場は自宅近くにある某文化センター大ホール。この演奏会も24回目だとか。土曜日の催しは習い物とぶつかることが多い。幸い昨日は日本画教室はお休みで演奏会場に出向く。

 ホールの上の階は区の図書館。自宅から徒歩5分圏内に図書館や文化ホールがある。これはありがたい。ましてや3,4年前から、ここから自転車で15分先にある無料のプールも利用している。本と音楽と水泳は自分にとっては切っても切り離せない生活必需品。便利な場所に住んでいる。

 さて昨日の演奏会。会場に入った瞬間に感じるその場の雰囲気。オーラというのか。この良しあしを体で感じる。いい演奏会だった。指揮者の飯島聡志はテノールのソリストも兼ねる。この歌声の良さは心に染みる。ナポリ民謡だった。他にもアルビノーニ作曲の🎵弦楽とオルガンのためのアダージョ♪がよかった。聞き覚えがある曲と思い、自分のブログを検索すると去年の10月にさらっていた。後で吹いてみよう。

 他にアイアランドのダウンランド組曲の演奏もあった。この曲は初めて聞く。曲を聞きながらヴァイオリンを習いたくなる。こういうとき、自分の年齢の高さを感じる。日本画を習い始めてもう少しで丸4年。4年前には新たなことに挑戦した。しかし、クラッシック音楽のヴァイオリンは今や習うにもなぜか抵抗がある。あれもこれもと欲張らず、今、習っているフルートに全力を傾ける。これでいいのかもしれない。その反面、まだやりたいことがある、この気持ちは大切にしたい。

 動画はアルビノーニの🎵アダージョ♪。

2017年8月26日土曜日

電気&元気

 BS1スペシャル「なぜ 悲劇は生まれたのか~写真家・船尾修 旧満州の旅~」を見た。中国へは辺境の地ばかり11回も行っている。だが、近くの旧満州はまだ出かけていない。ここ数年、毎年のように行きたいと思っている。先日届いた旅のカタログを見ると国内旅行よりもはるかに安く行ける。ましてやANA利用で飛行機も安全だ。とはいっても中国東北部への旅の案内はほとんどない。これもすべては日中関係の悪化が災いしているのだろう。

 テレビで映し出す満州国の時代に日本が建てた建築物。それが今もその雄姿をとどめている。それを写真家がカメラに収めて歩く。映像を見るだけでもまだ見ぬ東北部がわかってくる。ともあれ、中国東北部は是が非でも行かなくてはいけない。さてそれはいつ!?

 来月には満州に絡む講演会もある。まずはこのお話を聞こう。講演会といえば今朝の新聞にも著名人の講演会がある。これも早速申し込もう。

 それにしても講演会も演奏会もこれこれからさき、いろいろとある。購入済みのチケットも手元に数枚ある。すべて楽しみ…。

 昨日は午後からプールで泳ぐ。昨日はこの夏一番の暑さと思えるほど蒸し暑かった。エアコンは午前7時から2時間切っただけでプールにいる間もつけっ放し。そうしないと帰宅後の暑さに耐えられない。ほぼ一日中つけているエアコン。どれくらいの費用がいるのか電気料金を調べる。2,3か月前から電力会社のなんとかクラブに加入する。領収書が手元にないと思ったらネットでお知らせとなっている。夏の電気代はエアコンをつけない月よりも3千円くらい高いだけ。それほど驚く金額ではない。冬の暖房に比べれば半分くらいで済む。

 暑い中、ほんまにご苦労なことじゃ、と思いながらプールに行く。毎度のことながら泳いだ後の爽快感。これは何物にも代えがたい。こうして元気を充電して暑さに負けないようにしよう!

2017年8月25日金曜日

画像添付のメール送信

 ひさしぶりに画像を添付してメールを送信する。ところが送ったつもりで安心すると後でシステム管理者なるところから送信の不具合を知らせるメールが届く。画像3枚の送信も1枚当たり40MBと画像が大きすぎるらしい。画像を小さくして再度送信するがその大きさは前と同じとなっている。その後も試行錯誤を繰り返す。次第にヘアカットの予約時間が押し寄せる。メール送信をほったらかして美容院へ。

 帰宅後、送信のやり方に問題がある?と思いメール作成方法から変えてみる。まずは画像をパソコンに出す。送る画像をクリックすると「メール受信者」なる項目があった。これをクリックすると新たなメール作成画面が出る。3枚同時送信がわからず、1枚ずつのやり方で3枚を送信する。送信済みで画像をチェックすると75KBと画像が大幅に縮小されている。

 新たなメール作成画面で画像を添付するのでなく画像をメール受信者にクリックするやり方でメールを送信する。

 たったこれだけのことでも結構頭を使う。どういってもスウェーデンのブロガー、ダグニーさんは105歳。昨日もブログを見ると政府のお世話にならずすべて自分のことは自分でやっているとの投稿がある。そう思えば画像のメール送信で、ない頭を使うのも頭の運動!?

 それにしても毎日泣きたくなるほど暑い。ほんまにどうなっとるん、誰かに聞きたい!

2017年8月24日木曜日

眉唾

 火野正平が視聴者から届いた全国各地の「こころ旅」を訪ねる番組でその風景の怪しさを眉に唾を付けた動作で表現する。これを見て思わず笑いが起きる。

 訪ねたのは視聴者が66年前に見たというシロヘビが出る場所。番組ロケでその日の監督は下見に訪れた際、シロヘビを見たという。番組収録の日はその辺りに住む人も1月にシロヘビを見たと話す。この2人の話が眉唾物だと言いたいらしい。「眉唾」を「デジタル大辞泉」で調べると「《眉に唾(つば)をつければ狐(きつね)などに化かされないという言い伝えから》1 だまされないよう用心すること。2 「眉唾物」の略...」とある。

 それにしても昔からの言い伝えはすべて理由があるとは面白い。眉以外にも人の顔の中にはそれぞれいろんな言い方がある。目で物を言う、目からうろこ、鼻っ柱が強い、眼から鼻に抜ける、口から生まれる、目の上のたん瘤、耳がかゆい…と思いつくままにあげる。やはり目にまつわる言い伝えが多い。眉も眼と関係ある。ということは人の顔で一番印象にあるのは眼かもしれない。そういえば目千両もある。千両と言われるくらいだから目は魅力的な価値があるというのだろう。

 その大事な眼だが、視力が悪い。昨日も月に一度の眼科に出かける。眼圧測定しかしないけど13と18だった。まあ、視力以外は悪くないのでこれも由!?

2017年8月23日水曜日

処暑!

 今日は暑さが峠を越えて後退し始める処暑らしい。暑さが後退どころか、昨日は自分のなかでは今年一番といえるほど蒸し暑い日だった。今日も朝から暑い。これから日中になると半端ない暑さとなりそうだ。街中に出る予定を変更して家の近くをうろつくことにしよう。暑さのせいでいつもは飲まない冷たいモノを飲んでしまった。冷たい飲み物と言ってもビールは冷たくなければ価値がない。ということでビールはこの範疇に入らない。

 お昼を食べるのが遅くなって夕飯との距離が近くなる。それに加えて冷たい飲み物を飲んで夜中に久々に胃の調子を悪くする。食べ過ぎと冷たい飲み物と寝不足が致命傷の者にとって昨日はよくないことだらけ。腹八分目と常温の飲み物でよく寝て暑い夏を乗り切る。これに尽きる。それにしても異常な暑さだ。

 話は変わって昨日のフルートのレッスン。最近、フルートを吹き始めてしばらくすると耳がツーンとなる。この現象もフルートを吹き終えてしばらくすると元の状態に落ち着く。ネットで調べるがはっきりとわからない。もしかして水分不足と関係ある!?

 発表会の話が出るようになった。その前に海外に出かける。この方に気を取られて何となく落ち着かない毎日を過ごしている。姪は今日から海外旅行と話していたけど…。

 さてフルート。発表会の曲もピアノに合わせて練習が始まる。まだまだ気を付けなければならない箇所が多い。練習しよう。それにしても暑い!

2017年8月22日火曜日

「大空と大地の中で」

 昨日のYahoo!ニュースに「絶賛!松山千春の『神対応』 1時間遅延の機内で『大空と大地の中で』を熱唱」とある。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170821-00000005-jct-soci&p=1 (参照)

 機内搭乗後に飛行機が飛ばずイライラしている乗客にとっては願ってもない出来事だったのでは…。松山がCAに機内マイクをお願いする。その後CAは機長にその了解を取る。機長のOKで松山千春は歌を歌う。それも「大空と大地の中で」。何と粋な計らいだろう。

 今よりずっと若い頃、30年近く前になるだろうか。インドのカシミール地方やアグラ、ジャイプールなどに出かけた。その頃が一番松山千春にのぼせていた。ソニーのウオークマン全盛時代に松山の曲ばかりを入れて旅の間聞き入った。だが、カシミール(スリナガル)は当時も紛争真っただ中。どうにか無事旅を終えたことを思い出す。しかし、今ではさらに紛争も激しさを増してもうそこへは行かれない。

 それにしてもこの曲、曲もいいが歌詞もいい!歌を聞いて元気が湧き出てくる!松山千春のコンサート、聞いてみたい!そういえば松山とは関係ないけど来月の呉市での講演会が当たった!聴きに行くのが楽しみ! 
作曲:松山千春
作詞:松山千春
果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう

歩き出そう 明日の日に
ふり返るには まだ若い
ふきすさぶ 北風に
とばされぬよう とばぬよう

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう
自分の腕でつかむよう

2017年8月21日月曜日

毎日暑い!

 月曜日の朝、「今日は何もないよね」と思う時に感じる幸せ観。とはいっても家でじっとするわけでなく、一日に一度は自転車に乗って外に出かける。ということで月曜日は予定を入れたくない。

 暑い毎日、野球とは切っても切れない日が続く。ところが月曜日は高校野球もカープの試合もお休み。昨日のお昼、甲子園での広陵高校の試合はNHKで、そしてカープの二軍戦の試合は地元の民放テレビで放送される。どちらも見ようとすれば落ち着かない。夜は夜でカープの試合。ところが肝心の一軍の試合は試合途中でテレビ中継が終わる。これは残念。

 なんでも夢中になると見ていて楽しい。ところが、テレビに支配された生活になってしまうのが怖い。それにしても毎日暑い。暑いときは涼しくなるまでの辛抱と思ってある面いい加減な生活。じゃ、涼しくなったら、と思うがまあ、その時はその時のこととまたええ加減なことを考える。ともあれ、元気で楽しく生きてればモノゴトは何とかなる。そう言い聞かせて今日も暑い一日を過ごす。

 そういえば昨日、半ば物置部屋同然となっている部屋のカーテンを洗濯した。どれくらいの汚れなのかは見なかったけど…。このカーテンだけは長く洗っていなかったので気になっていた。暑い日中に重い腰をあげて天井近くからぶら下がるカーテンを外す。踏み台に上がり、背伸びして取り外す。もうこれだけで汗びっしょり。無事取り外すと次は洗濯後の乾いたカーテンの取り付けとなる。これも大変。怪我しないように取り付ける。気になることも一つずつしかできない。

2017年8月20日日曜日

「好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する」

 『世界が認めざるを得ない最強の国「日本」』(マイケル・ユー著 宋允復訳 KADOKAWA,2017年)を読んだ。本の裏表紙には「2017年初頭の世界を見渡した時に、日本ほど安定した未来、確実なアジェンダを持つ国は稀である――」とある。アメリカ在住の韓国人による著作で日本を褒めまくる。

 ★司馬遼太郎は日本人の特徴を島国の民としての好奇心にあるとした。中国、朝鮮半島、さらに欧米の文化を吸収し、より発展した文化と文明を作り出すのが日本の底力であり、島国としての好奇心だと喝破した。好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する。高みに立って見下そうとすると、相手からは学べず、偏見と自己満足に陥ることになる。大帝国の滅亡も、力におごり、他者から学べなくなる人間の性に起因するのだ。008P

 これを読んで「好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する。高みに立って見下そうとすると、相手からは学べず、偏見と自己満足に陥ることになる」の件に同感する。好奇心はあるほうだ。先日の旅で知り合った人から、旅で知り合った人と何分でも話すところを見て自分だったら知らない人とはせいぜい10分しか話せないと言われた。自分にはない良さや勝っている人を見ると自ずと興味が増して話を聞きたくなる。これが「好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する」に当てはまるのだろう。

 逆に人に話しても何の関心も示されなければ話に興味がないと気づき、話は短くなる。関心を示されないだけならばまだいい。それ以上に嫌なのは嫌味を言う輩が一番苦手。この嫌味は人を見下げて発しているのだろう。こういう人に近づいてはいけない。心して付き合わないと話す度にストレスとなる。それこそ「気」が合わないというか相手との空間に漂う「空気」が違う。この「空気」について次のように書いてある。「空気」というか「気」は大事。せいぜい「気の合う人」でいたいものだ。

 ★江戸時代以来の「村八分」は空気支配の暗い裏面を示す。村落共同体に置いて村八分に合うと、共同対処すべき10の物事のうち、2つ(葬式と消火活動)以外でのやり取りを断たれることになる。なぜ葬式と火事の「二分」は断たれないのかといえば、死体を放置すれば腐臭が漂い、果ては伝染病発生の恐れを生じさせるからであり、火事を放置すれば延焼し、他の者にも迷惑が及ぶからだ。ちなみに他の「八分」とは成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の支援、年忌祭祀、旅行を示す。ではなぜ村八分にされるのか。…理由は様々あり得るが、言い換えれば村の「空気」を乱したことが最大の原因となる。122-123p

 話は変わって昨日の日本画教室。自分の画に対するセンスのなさを知る。これは持って生まれたもの!?どう頑張ればいいのだろう。

2017年8月19日土曜日

ファミリーヒストリー「オノ・ヨーコ&ショーン・レノン」を見る

 昨夜のNHKドキュメンタリーはファミリーヒストリー「オノ・ヨーコ&ショーン・レノン」。これを見て華麗なる一族とはこういう家系なのかと思って見る。明治からこれまでの日本の歴史を垣間見るようであった。オノ・ヨーコも御年84歳。テレビを通してみる限り、病があるとはいえ顔に笑顔がある。親を介護して思ったことは笑顔がある間はヒトはまだ生きておられるということ。オノ・ヨーコもまだまだ大丈夫だ。

 それにしても凄い一家。今年になってこういうドキュメンタリー番組がやたらと目につくようになった。どういってもノンフィクションが好きなので吸い込まれて見てしまう。

 この一家がどういっても素晴らしいのはいわゆるお嬢さん、お坊ちゃん一家であってもどの人もそれに甘んじることなく生き方が精力的過ぎる。この辺りが見ていても感じがいいのだろう。

 特に戦争を経験してどんなお金持ちの家も不自由を強いられる。その際、幼かったヨーコが親に代わって車の手配をする件は驚かされる。子どもなりに機転を利かせる…。この性格はもって生まれた天性なのか。頭がいい人なのだろう。ともあれ、素晴らしい番組だった。

 それにしてもこの番組は見たいし、CARPは見たいし、となんと忙しい夜だろう。今夜は先日とは違う華族の番組がBSである。またもやCARPを見ながらとなりそうだ。

2017年8月18日金曜日

デパートetc.

 以前、空港で買った腕時計のバンドを交換するためデパートに出かける。電話で交換費用を聞くと1万円だった。特殊なバンドらしくメーカ―取り寄せになるという。時計売り場に着くとこれまでの係りはお盆休み。代わりの人が応対してくれる。ところが交換のバンドが届いても売り場の人は交換できないという。話を聞くとメーカーへ時計を送って交換となるらしい。その費用は手数料としてプラス3000円。時計がワールド対応のソーラー時計で交換せずに廃棄するのはもったいない。それにしても今どきの世の中、バンド交換だけでメーカーに送り、1か月も日数がかかるとは…。

 だだっ広い時計売り場を見渡してもお客はいない。これで採算がとれるのだろうか。同じデパートの駅前店の時計売り場は撤退している。このご時世、もっと手早くできないのだろうか。売り場にある豪華な時計のカタログを見るとマンションが買えるほどの価格帯の腕時計がある。なんとその金額は4980万円。ほんまに誰がこの時計を買うんじゃ、と思って係りに聞く。だが、係の応答はない。もしも誰かがそれを1個でも買えば売り場のノルマは何か月分かの達成となるだろう。

 係りがメーカーへ問い合わせ中、いろんなことを想いながらその様子を見る。長く待たされた挙句、時計のバンド交換は預けて1か月後の受け取りになるという。

 ともあれ時計を預けて一つ上の階へ行く。バーゲン会場らしく、婆ばかり。その場にいるだけで気が荒みそうになる。ここはデパート。ところが以前の華やかさは見られない。

 気持ちがみじめになるところへは行かないようにしている。気分を変えるべく、お昼を食べにお店に入る。今日のランチを食べると広島駅のデパートに移動する。ここで要らぬものを買ってしまった。まずは旅に出る靴。我ながらちょっと高い買い物となった。ウオーキングシューズ15000円。次にむかうはスポーツ用品売り場。水着の下だけを見ていると上下で8500円とある。安い、と思って係りに聞くと薄い生地でとりあえず水着を買ってみようかな、という人向けとか。道理で今持っているモノよりも薄い。水着の購入はやめてキャップを購入。

 水泳帽も流行があるらしく、生地が厚い。気に入った色がなかったが地味な色を購入。家で被るとかなり地味。まあ、水着を派手にすればいいかと思ったり…。

2017年8月17日木曜日

「青春の夢に忠実であれ!」

 今日もテレビの話題。昨夜のNHKのBS「最後の講義『石黒浩教授』」、これはいつものドキュメンタリーとは違う別の楽しい番組だった。「最後の講義」はタイトルがそうであって講義する先生はまだ54歳と若い。番組最後で石黒教授が書いたサインは「青春の夢に忠実であれ 石黒浩」。誰が言った言葉かと思ってネットで検索すると名言だった。石黒のHPを見ると座右の銘にしている。

 番組HPによると今月17日に放送の再放送で「大阪大学教授石黒浩先生が登壇します。こちらの『最後の講義』は知的興奮に満ちあふれたものになりました。テーマは『千年後の人間』。100年後ではありません。千年後です。桁違いのスケール感…。石黒先生はアンドロイドを作るロボット工学の世界的研究者です。ロボットを作るのは、人間を探求したいからであり、ロボットを研究することで見えてくる『人間』は、人間存在の根本に迫る問いに応えるものになっていく…。AIが生活の中に入り込み始めた今、石黒先生が語る人間の未来は示唆に富み、この先の生き方にきっと影響を与えるのではないかと思うほどです」とある。

 さらに続けて「そんな中で一つをセレクトすることはできませんが、心に残るのは石黒先生の仕事についての姿勢です。『いつ死ぬかわからないのだから、講義はいつも最後だと思ってやっている』というのは自らの研究についての厳しい姿勢を表現したものだと思います。『明日命が消え去ってしまったとしても、後悔がないように生きる。』車やバイクが大好きな石黒先生です。日常的に『命』についてお考えになり、生きる姿勢に組み込んでいるように感じました。『命』についての思いは生身の人間としての感覚ですから」ともある。
 
 それにしても凄い先生だ。ご自身と同じロボットで世界中を先生に代わってロボットが講義する。これを試みている途上にあるとか。飛行機に乗せる時、ロボットをパーツごとに外す。しかし、手荷物検査でこのロボットが反応して声を出す。これは困るとのことで頭の部分だけ背負って搭乗するそうだ。

 どういってもロボットはまばたきはする、返事はする、姿かたちはご本人とそっくりとまるで人間そのもの。ただ下半身がなく上半身のみ。テレビをとおして見てもロボットとは思えない。これほどまでに進化したロボット。

 美人女性ロボットをツイッター上に流すと夜中の3時なのにフォロワーが3万人見ていたらしい。

 番組最後には「人間はロボットになる?」で終わる。

 中でも面白いと思ったのは見ず知らずの人に電話する。例えば問い合わせやテレビショッピングなどがそうだ。その際相手のことをよく知らない。情報がないことに関してはヒトはポジティブになるという。返答する声がすべてよく聞こえるらしい。その結果、人の形をあいまいにした中性的なロボットの抱き枕みたいなものを抱いて電話するとさらにポジティブになるという。これは面白い現象だ。

 昨日は他にも来月と再来月に出かける旅の詳細が届く。さっそく「おとなび」と株主優待券を利用して博多までの往復チケットを予約する。ところが「みずほ」利用の「おとなび」は4割引きから3割引きと割引率が低くなっている。今回の「みずほ」は株主優待券を利用でそれよりは安く行ける。帰りの「こだま」は6割引きとそのままだった。ともあれ、安いチケット購入もパソコン画面でドキドキしながらの注文となる。安く遊ぼうとすれば変に頭を使う!?

 それにしても「青春の夢に忠実であれ!」とはなんと素晴らしい言葉。まあ、一生青春と思えば青春の夢までとはいかなくても自分の気持ちに対してだけは忠実でありたい!そういえば甥はこの先生がいる大学と同じ大学院研究科を修了している。

2017年8月16日水曜日

「世界の村で発見!こんなところに日本人」を見る

 民放の「世界の村で発見!こんなところに日本人 3時間スペシャル」を見る。3時間もテレビに釘付けとなるのは耐えられない。ましてやBSでプロ野球中継もある。それでも中国四川省・チベット民族が暮らす秘境の草原に住むたった一人の日本人女性を探す旅は見ごたえがあった。日本人が住むという目的地のゾルゲのルゥギ草原。広い草原にあるのはテントの家。テントの家の床は草原。水道・電気・ガスなどのインフラ整備も当然ない。37歳の日本人女性は以前インドで知り合ったチベット族と結婚する。2人の間にはかわいい女児が誕生している。それにしても家族3人の生活は山登りで張るテント生活同然の暮らし。お風呂もこの1か月半入っていないという。

 訪れたのははるな愛。ここでの生活は何よりも愛が勝るとか。それにしても誰でもができることではない。本当に着の身着のままの生活でお金で物が手に入ることは考えられない生活。それでもそこに暮らす人々は幸せに生きている。これはチベット族ということだけではない。奥さんとなった日本人女性もここで生活している。ということは人はどんな環境であっても愛さえあれば生きていける!?

 それにしても子供の教育はどうするのだろう。もう完全にチベット族として生きていくのだろうか。生きていく上では不便この上ないこの地に住む人たち。だが、夜空に輝く満天の星と草原にかかる大きな虹の美しさはお金を出しても決して買えない。これがいいのかもしれない。

 世界に住む日本人。番組で取り上げる人は海外青年協力隊やシニア協力隊で働く人が多い。だが、昨夜は違っていた。この番組に登場する人たちは凡人には到底真似ができない。人が生きていく目的は人それぞれ。同じ生きるならば精一杯生きるのも人生なのかもしれない。それにしても過酷な人生だ。まあ、人並みの人生を送っていては番組にはならないだろう。その意味でもこれもあり、かなと思って見る。

 昨日は終戦記念日。この日にプールで泳ぐのは顰蹙者、と思った。それでも午後からプールで泳ぐ。プールの中は夏休みの子どもたちが多い。平常は爺婆だけのプールもこの日は子どもたちの歓声で活気がある。いつものように1キロ泳いだ後、外に出ると小雨が降っている。その雨も途中から土砂降りになる。頭にかぶるのはストローの帽子。百円ショップで買った腕まである手袋も雨でびしょびしょになる。ビルの入り口で小雨になるまで一休み。落ち着いたと思って自転車に乗るとまだ降り続く。やっと我が家へ着いたときは頭から足元までずぶぬれで家に入れそうにない。

 何とか雨でぬれた足をぬぐって家に入る。着ている服はすぐさま洗濯機にいれる。帽子は雨に濡れてへこんだまま。ああ哀れ我が帽子よ。

 今日も雨は降るのだろうか。蒸し暑い日が続く。

2017年8月15日火曜日

『モロッコ流謫』

 昨夜からの雨で幾分涼しい朝を迎える。最高気温30度の予想でそろそろ秋の気配!?暑すぎて外へ出られないときに読んだ『モロッコ流謫』(四方田犬彦 新潮社、2000年)をやっと読み終える。分厚い本で、しかも読めない文字が多々ある。そばに電子辞書を置いて読む始末となった。

 蜃気楼の港であるタンジェから物語は始まる。モロッコに出かけてもタンジェには出かけていない。それでも他の邑は出かけているので興味深く読む。

 エピローグに「わたしはこのエッセイの題名に『流謫(るたく)』の一語を与えた。もとより流謫したのはわたしではない。それはボウルズであり、ジュネである。またブライアン・ジョーンズであり、さらに見方によれば平岡千之とリヨテ将軍、あるいは石川三四郎である。彼らはそれぞれの帰属する都市や国家のなかで、人生をめぐるある諦念に達したり、逃れがたき疲弊を味わったのちに、何かの偶然でモロッコに辿りつき、そこで我が身の解放の瞬間が来ることを待ち続けた。そしてまた一方に、彼ら流謫者たちを待ち構え、歓待と敵意のもとに迎えたモロッコ人たちが存在している。それはボウルズとの関連でいえば、ヤクビであり、ムラビとシュックリーである。またわたしの短い滞在のなかでいえば、ラシッドの一家であり、アンドレアス教授である。~中略~わたしはボウルズという極め付きの流謫者に出会ったことを契機として、彼の足跡を辿った。旅先に失踪した者を索めて新たに旅がなされるというのは、すぐれてアントニオーニ的な主題である。そしてその途上で、わたしは少なからぬ他の流謫者の存在を知ることになった。最後にこの探求の視座を転換させて、流謫者を迎えた側の論理を垣間見ようと試みた」とある。

 エピローグの最後で筆者は「このエッセイは十数年にわたるこうした旅の重なり合いから生じたものである。書物の終わりは旅の終わりに似ている。そう書き付けたのは、わたしの文学的出発点ともいえる『ガリヴァー旅行記』の作者ジョナサン・スウイフトである。~中略~ボウルズについては、以前に精密な、その妻の伝記を書き上げた女性研究者が、共感に満ちた美しい伝記を刊行した。アンドレアス教授だけが消息不明で、教えられた住所に写真を送ったが、何の反応もなかった。わたしは次にいつ、モロッコに戻るだろうか」とある。206p

 このエピローグに出てくる固有名詞のほとんどを知らずに本を読む。せめて登場人物だけでも記録に残そうと思ってブログに投稿する。難しい本だったが、それでもこの本を読んでかなりモロッコがわかってくる。もしもモロッコへ行っていなければいろいろな邑の様子もはっきりとはわからなかったかもしれない。モロッコ、やっぱり行ってよかった!

2017年8月14日月曜日

「体験と感動に価値を見いだす」

 先日お寺で受け取った塔婆を持って姉夫妻とお墓参り。その後、お寺さんが参ってくださる。一年に一度のお盆の行事。毎日何の変化もなく穏やかに過ごしている。ところが、わが家のささやかな行事であってもお布施の用意、仏壇に供えるお供え物やお花などを活けて準備する。他にもお鉢とお水も備える。仏壇の明かりを点灯させ、座布団も敷く。

 たったこれだけのことでもお盆は非日常の世界。終われば疲れがどっと出る。お経がおわるとお坊さんとの会話で寄付のお願いを催促される。その時どう返事をしたのかはっきりと覚えていない。姉が何やら話していたけど…。どういってもわが家は自分自身がいなくなればこの先、後に続くものがいない。そのうちお寺との縁も自然消滅。お寺の言われるままに何万円もこの先5年間寄付をし続ける余裕がない。母が生きていればさてどう言うだろうか。お寺さんが帰られた後の後味の悪さ。どう表現すれば気も落ち着く!?

 我が家はどういっても年金生活者。余裕ある生活者ではない。さて寄付とは…。

 気分を変えて今日のNIKKEI STYLEから。タイトルは「人生100年時代 住宅、消費…変わるお金の使い方」 。これを読むと「人生100年時代は『体験』と『感動』に価値が見いだされるのではないかと思います。ネットで映画や音楽が無料で見られるようになりましたが、力のあるアーチストはCDが売れなくてもライブを通じて大きな収益を確保しています。これは『体験』」や『感動』にお金が払われる一例ではないでしょうか」とある。

 さらに「お金の使われ方を道徳的・倫理的に選択していくエシカル消費の考え方も市民権を得ていくことになるでしょう。使われたお金の『満足』はモノの質まで影響してくる時代になるというわけです。人生100年時代は趣味も重要になります。また人付き合いなどのコミュニケーションも欠かせなくなります。本連載も先月は趣味の話題を取り上げましたが、実は趣味こそ『感動』や『満足』を得るためにお金をかける、新しい時代のお金の使い方かもしれません」ともある。https://style.nikkei.com/article/DGXMZO19781960Y7A800C1000000?channel=DF260120166518 (参照)

 お寺が参られても何の「感動」も「満足」もない。むしろ得も言われぬ不快感だけが漂う。これはどういうこと!?お寺離れ、わかる気がする。

2017年8月13日日曜日

「華族 150年の旅路~激動を生き抜いた日本の名家~」を見る

 最低気温が25度になると「秋」を感じる。昨日に続いて今朝も25度と涼しい。ところがこれもお昼になるにつれて33,4度の気温となる。それでも36,7度の最高気温に比べれば幾分しのぎやすい。

 今日はこれからお寺さんが参られる。一昨日は午前中、塔婆を受け取りにお寺へ出向く。この夏から塔婆を1本に減らす。父が亡くなって以降、お寺との付き合いが始まった。それと共にお墓を建て、仏壇を購入し…とそのたびごとにお寺のお世話になる。どういってもわが家は両親と私以外はこのお寺やお墓、仏壇との縁も切れる。そう思えば生きているうちに両親の供養を厭わずにしなくてはいけない。ところが、そう思うのは容易いが思うように気持ちが追い付かない。これを知って両親はどう思うだろう。

 昨夜はBSザ・プレミアム「華族 150年の旅路~激動を生き抜いた日本の名家~」を見る。武家と侯爵などの公家を失くして伊藤博文が華族を作ったとか。こういう名前は知っていてもなぜ華族が誕生したのか知らなかった。徳川家、前田家、梨本宮家、立花家、近衛家などの華族の子孫がテレビに映る。徳川家は先祖代々の遺産をバラバラにせず、財団を作って徳川美術館とした。近衛家も文麿が財団をつくる。立花家は今は佐賀県で元の住宅を旅館にしている。戦後に解体した華族制度。それぞれの華族は財産を処分し、生きることに必死だった。その中でも財産を財団法人にして守った華族もいた。

 これは1年前の再放送らしい。それにしても知らないことが多すぎる。今年はBSドキュメンタリーをよく見ている。いい番組がないとぼやく前にいい番組を見ていなかったとは…。

2017年8月12日土曜日

にっぽん百名山スペシャル&レクイエムコンサート

 にっぽん百名山スペシャル「きょうは山の日 山の恵みに感謝しよう!」を見る。番組HPによると「『山の日』に“山の恵み”を体感する旅に出かけよう!ドラマ『山女日記』の原作者・湊かなえと主演女優・工藤夕貴が、女性に大人気の3000m峰・仙丈ケ岳に出かけ、70年前に登山道を作った『南アルプスの父』の知恵と情熱に思いをはせる。また山形・月山では、人気グループ『湘南乃風』の若旦那が山伏に弟子入り。旬の恵み“山菜”をいただく。さらに女優・瀬戸たかのさん母子が、尾瀬の『奥座敷』を旅し、山の魅力を堪能!」とある。

 山の日は昨年できた祝日。カレンダーを見てこの日が祝日(?)と知る。毎日が休みなので休日が増えようと増えまいとあまり関心がない。それでも祝日くらいは知っておいた方がいい。どういっても日本人、これくらいのことは知らなくてはいけない。かといって山の日に山に出かけるわけではない。出かけなくてもテレビで百名山を見るだけで出かけた気がする。

  尾瀬、月山…と山の名前だけ聞いても夢がある。尾瀬はまだ行ったことがない。いつの日か行こうと思いながら月日が経つ。月山は一年前に出かけた。昨夜のテレビを見ても月山はやはりいい!地元の子供たちは皆、学校から月山に出かけるという。

 山伏修行や山に登る「若旦那」が何者かも知らずにテレビを見る。画面を通して今はやりのミュージシャンと知る。人生に行き詰まり、月山登山を願い出たそうだ。山伏たちに囲まれて自然が人の心をかえてくれると励まされる若旦那。マンネリを打破するには自然の懐に抱かれる、これに尽きるようだ。それには登山やハイキング、そして旅に出るのもいかもしれない。

 昨日は自然の懐ではなく、屋内であるレクイエムコンサートに出かける。プログラムで楽器演奏者や合唱団の中に知った名前を見つける。長時間のコンサートだった。その夜に見る山の日の山の景色。コンサートもいいが山もいい!

2017年8月11日金曜日

「しぶとく生きる」

 昨日の徹子の部屋に出ていた美川憲一。自身の生き方で今の言葉は「しぶとく生きる」だそうだ。これを聞いて我が身に問いかける。その時点ではいいキーワードが浮かんでいた。ところが今朝目覚めると全く思い出せない。いくら思い出そうとしても思い出せない。105歳のスウェーデンのブロガーであるダグニーさんは昨日のブログに「『罪として頑固』であり、私が始めたら諦めない…」とある。これは先日の日帰り旅行で友人についてベストの力を出して歩く。だが、それが悔しかったのだろう。ある時、ジムに通おうとする。しかし、ジムは年齢制限がある…、とブログは続く。

 ダグニーさんのネットの翻訳は機械によるので少々違和感の日本語。それでも「罪として頑固」からかなりの頑固さが伝わってくる。

 「しぶとく」でも「頑固」でもなく何だったのだろうか。やはり思い出せない。その時は自分の性格通りの言葉と思ったのに残念。そのうち思い出すだろう。

 ブログ投稿後、かなり経って思い出す。それは「燻ぶらず」に生きる。そう、動けるうちは家に引きこもっていてはいけない。

2017年8月10日木曜日

今年初めてのビアガーデン!

 ワールド対応の腕時計の革バンドが痛んできた。外国に出る時、国内の国際空港で購入したソーラー時計。そろそろバンドの換えどきと思って福屋に立ち寄る。特殊なバンドらしくメーカーへ問い合わせるとのこと。その間に、他の時計のバンドを取り換えてもらう。これは元の金額も安い時計。しかし、バンド交換となるとけっこうなお値段。ここはデパート。安い時計を持参するのが変なのかもしれない。ワールド対応の時計はすぐには金額もわからず後で電話で知らせてくれるらしい。普段は腕時計がなくても生活の不便を感じない。ところが外国へ行くと腕時計は必需品。それにしても家で眠っている腕時計は一体何個あるのだろう。

 デパートを出ると久々に本通りを抜けて紙屋町へ向かう。昨夜はフルート仲間の飲み会。今年初めてのビヤガーデン。ビルの屋上ガーデンは時折霧冷めも降って涼しい。8月はベルギービールの出番とか。この時ばかりはベルギービール。とはいってもビールの国や銘柄の区別はつかない。ビアガーデンは大人のいる場所と思いきや、何と子連れの家族も多い。子どもたちは子ども同士の楽しさがあるのかもしれない。

 フルート仲間のビールを飲みながらの話題は発表会で吹くそれぞれの曲。リストやショパンの曲が出る。いずれにしても皆さん、長く習っている人たちばかり。ところが最近の教室は新たに習い始めた人たちもいるとか。それもすべては男性らしい。

 久々のビアガーデンのビール。飲んで食べてしゃべってと相変わらず忙しい。ビアガーデンにいると気分はまるで外国モード。旅に出ているような大らかな気持ちになる。これがまた楽しい!

 フルート仲間の一人から金沢のお土産とご自宅で採れた葡萄をいただく。葡萄は今年初めて。有難い。もう一人はコンサートチケット。これも有難い。来月はいよいよフルート発表会。それまで練習、練習。

2017年8月9日水曜日

絵画展へ行く

 2、3年前だろうか、東広島の美術館で橋本一貫の画を初めて見る。100号くらいの大きな絵で、その片隅に真っ白なトルコギキョウが描かれていた。何の画がバックにあったかは忘れれてしまった。ただ黒っぽい絵だった。その中に描かれた真っ白なトルコギキョウ。このころ、トルコギキョウの絵を描いていたこともあって橋本一貫の名を覚えた。

 フルートのレッスン後、歩いて福屋へ移動。気温36,7度の中を歩くのは狂いそうに暑い。デパートの裏で軽い昼食をとって一休み。会場に着くと小さな絵が並ぶ。緻密に描かれたバラやトルコギキョウの絵。大きな絵は風景だった。会場にはご本人が立っておられる。絵画の月刊誌である『一枚の絵』。その中によく橋本の画は登場する。勇気を出して「雑誌を見ています」と話す。さらに近くの画廊で先日の交流会で教えてもらった展示会へこれから行く旨話す。

 そう告げると昨日でなく今日からだった。絵を堪能して家に帰る。その後に気付く。なぜトルコギキョウが絵のモチーフに多いのか。他にもなぜ花が絵のモチーフなのか。聞けばよかったのに聞けず仕舞いで悔やまれる。

 他にも筍の絵もあった。筍も自分自身、描いたことがある。この人の画を見て桔梗でも日本の紫のを描きたくなった。そしてもっと絵がうまく描けるようになったら同じモチーフばかりを描くのも楽しいかなと思うようになった。

 絵はどんなジャンルであっても写実画がいい。橋本一貫の絵は丁寧に描かれ、まるで本物のようだ。そして、絵の隅の画家のサインもこれまたきちっと書かれている。実直そうな性格が絵やサインの文字にもあらわれる。

 絵に関しては全くわからなかった。この頃は絵の好みがはっきりわかって来る。緻密に描かれた絵がいい。また一人いい画家を知った。帰り際、今回の絵画展の案内葉書と絵ハガキをいただく。画像はその案内葉書から。それにしても今回の絵画展は画家ご本人も受付の人も親切だった。

 さてフルート。来月は発表会。頑張って練習するしかない。来月と言えば初旬に呉での講演会情報を新聞で知る。聞きに行きたいけど、9月の毎日は色々と行事が重なる。行けそうにない。それでも講演会を優先する!?とりあえず、講演会を申し込もう。

2017年8月8日火曜日

マンシェットの巻き方

 健康診断で測る電子血圧計。測る際、腕が痛くなることがある。こういう時は血圧の結果も高い。昨日は腕に巻くマンシェットの巻き方が良かったのか腕が痛くなかった。最高は128で最低血圧は80。久し振に係りに文句も言わず、一回で測り終える。測る際、腕が痛くないと係りに話すとマンシェットで腕が痛くなるのは血圧が高い時だという。

 これも変な話だと先ほどネットで検索。ネットによると確かにマンシェットの巻き方で血圧計の数値が左右するとある。

「マンシェットを正しく巻いた場合、マンシェットの中のゴム嚢が均等に上腕を圧迫し、そのため上腕動脈が圧迫され血行が止まります。緩く巻きすぎると、加圧したときマンシェットの中のゴム嚢が外方に膨れ上がり、内部の上腕動脈を圧迫する加圧面積が減って十分圧迫することができなくなります。マンシェットを正しく巻いたときよりもさらに加圧しないと、上腕動脈の血行が止まりません。その結果として、血圧値が高くなってしまいます」
https://www.kango-roo.com/sn/k/view/2509 (参照)

 これはマンシェットの巻き方で検査値の高低が変化しても腕が痛くなるかどうかとは関係なさそうだ。ということは看護師の説明もいい加減!?ともあれ、マンシェットの巻き方で血圧計の検査値も変わるとは驚きだ。

2017年8月7日月曜日

『幸福はただ私の部屋の中だけに』

 「幼い頃の純粋なこころ、汚れのない感性というものは、本当に大切なものであるし、一生守り続けたい。それは難しいことであるかもしれないが、日々ほんの少しの注意で守っていけるものである。だから私は、文章技術を磨くなんて無駄なことをする前に、綺麗な空を眺めなさい、素敵な景色を見つめて散歩しなさい、美しい文章に触れなさい、そしてそれらすべてのことに素直に感動できるこころを持ちなさいと言うのである」。87-88P  (『幸福はただ私の部屋の中だけに』森茉莉 ちくま文庫、2017年)

 これは先日読んだ森茉莉の本からの抜粋。先ほど、一般検診を受けて帰宅。台風の影響か雨がしとしとと降り続く。だが、それも涼しくていい。ただいまの部屋の気温28度7分。昨日の37度の気温と比べれば扇風機の風だけでも涼しく感じる。益田は39度3分だったとか。

 冬の間デブになった体重を夏場に取り戻す。今朝の検診で体重を減らしたと医師に告げると肥えているどころか痩せているらしい。何やら計算してあと1キロ増やすようにとのこと。脂肪を減らすには筋肉をつけるのがいいらしい。「筋肉?」と問い返すと早く歩いたりすることのようだ。ここで水泳の話になる。だが、あまり興味を持って話を聞いてくれない。ともあれ、今の時点では悪いところがない。帰ろうとすると、胴回りを測るようにと医師の声。春から夏にかけてお腹あたりの脂肪がかなり減少した。心電図はしない、レントゲンは嫌、胴回りの検査も嫌と自我を通す。

 結構、規則正しく生活しているつもり。ナニゴトも嫌なことにはかかわらず、いつも通り我が道を行く。元気でいるためにも我が道を行く!森茉莉の本のタイトルを捩って「幸福はただ私の心の中だけに」!?

2017年8月6日日曜日

72年目の原爆の日に思う

 今日は広島に原爆が投下された日。あれから丸72年。先日の某文化交流の会で原爆が話題となった。隣席の人は市内の井口で原爆にあわれたという。「井口?」と聞いて原爆投下の範囲すら知らずにいた。その日はまだ生まれていない。そのため原爆については何処か人ごとのようなところもある。生まれた場所は母が生まれ育った家だった。その後、隣の土地に家を建てて住んでいる。古い家は我が家と同じころ建て替わり、今はいとこが住んでいる。

 我が家は広島駅からJRの距離で6.4キロ離れている。そのためか、わが家のあたりは幸いどこも原爆の被害にあっていない。会合で「井口」辺りまで被害があったと聞いて被爆範囲を先ほどネットで調べる。ウイキペディアによると以下のようであった。

 「爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していった」

 元気だったころの母は原爆の日と言えば毎年朝早くから式典に参加していた。寺町あたりに住んでいた母の姉家族が原爆で全滅。その思いから毎年式典に参加したのだろう。初めて会社に勤めた頃、勤める会社は本社が東京にあり、広島勤務の社員は8月6日が地方祭で休日だった。今はどうなのか知らない。とはいっても今年は日曜日で全国的に休みだけど…。それくらいこの日は広島市民にとっては特別な日。

 今は一見平和そうな世の中だ。しかし、いつ何が起きるかわからない怖い面も備えている。それは核兵器だけでなく自然災害も同じくらい怖い。そのためにも一日一日を大事にして楽しく過ごすに限る。

 楽しく過ごすといってもこう暑くてはこれも…。昨日も暑い中、日本画教室へ出かける。教室はいたって平和そのものだ。相変わらず落ち葉の絵を描く。さてさて暑い日に描く落ち葉の絵。季節感がずれている!?

2017年8月5日土曜日

「最後まで粘れる人」

 「けっきょく大人って最後まで粘れる人のことだと思いますよ。天才はいくらでもいるけど、必ずしも成功するわけじゃない。だけど諦めずに最後まで粘った奴が、最終的に生き残るわけだから。失敗も成功も、粘りで自分のものにできる人が大人だと思う」。これはデイリー新潮の「堀江貴文が悟った“生き残る大人”の共通点」の記事から。

 ネットの時代。昨日はデイリー新潮や文春オンラインだけでなく、見知らぬ人のツイッターでNIKKEI STYLEを知る。新聞や雑誌では掲載されない話題が満載だ。

 暑い毎日はどこにいても暑い。最高気温35,6度ともなるとエアコンも悲鳴をあげそうな気がする。どういっても最低気温28度は午前中であっても暑い。自転車に乗って15分、プールに行くまでがもう地獄。プールはビルの3階にある。1階の受付は冷房完備。だが、プールは冷房能力が間に合わないのか3階はすべてのドアや窓を開放してある。夏場はプールに入った瞬間、外気が高すぎて水温が低いと感じる。しかし、こう暑くなるとやっぱりプールが涼しい。1キロ泳いだ後の爽快感。家路に急ぐ自転車は暑さを忘れるほど気持ちいい。やっぱり暑くても運動はいい!

 自分の口から「運動」が出るとは思ったこともない。どういっても大の運動嫌い。この期に及んで体を動かすのが楽しみになるとは…。

 ホリエモン曰く「諦めずに最後まで粘った奴が、最終的に生き残る…」、こういう人が大人だとか。大人にはなり切れていはいない。しかし、気が向かないことはすぐに諦めることはあっても、これっ、と思うことは根気がある。水泳も初めのうちは人に引っ張られて連れていってもらった。運動はできない、との思い込みは人並み以上にあった。それでも何とか水に浮かぶようになると根気よくプールに通う。泳ぎを覚えるとさらに面白くなってきた。こうなるともう水泳は自分のものだ。あれから早30数年経つ。こうなったら最後まで粘って泳いで大人になる!?

2017年8月4日金曜日

「激動の世界を行く『メキシコ』」を見る

 警視庁は「電話の無力化作戦展開」で悪質な電話を使用できなくさせていた。これは今朝の地元紙に掲載された記事。6月末時点で1001の電話番号のうち845の電話番号を無力化させたという。先日の日本画教室で変な電話がかからなくなった、と話題にしたばかり。こういった取り組みで効果があらわれたのかもしれない。わが家はフリーダイヤルの電話は出ないことにしている。また、電話登録していない番号も出ない。相手先の電話番号は検索画面に電話番号を入力すればどこからの電話か瞬時にわかる。これもネットの力。それでも犯罪面ではずる賢い方の対応が素早いからまた新たな手を打って出る可能性は大だろう。

 昨日のNHKドキュメンタリー「激動の世界を行く『メキシコ』」は2時間の番組。先日の放送では見たいけど眠たさに負けて見ず仕舞いだった。ところが、昨夜の8時から再放送される。カープはラジオで聞き、眼はドキュメンタリーに釘付けとなる。

 旅する人は大越健介。飾らぬ人らしく現地に溶け込んで取材する。番組HPによると「メキシコとアメリカの国境は、かつてなく高く人々の前に立ちはだかっている。『壁を作る』と宣言したトランプ大統領の就任以来、国境に生きる人々の人生は大きく揺れている。家族との暮らしを国境に引き裂かれた男性は会えない家族への思いを歌う。危険を顧みず、国境を目指す移民も後を絶たない。そこには、壁に立ち向かうメキシコの人々の姿があった。その原動力はどこから来るのか。大越健介がメキシコの人々の思いに触れる」とある。

 メキシコバハカリフォルニア州ティファナはアメリカとの国境にある。違法な手段でアメリカに移住するメキシコ人。国境のティファナ駅にはメキシコやホンジュラスなどの中南米からの不法移民を一時的に避難させるシェルターがある。そこでは食べ物、住まい、お風呂などすべて無料でかくまってくれる。それはこの駅を通過する貨物列車に駆け込む移民たちに元気を取り戻す場所ともなっている。列車が到着すると誰彼となく飛び乗って手すりに摑まる。無事アメリカに渡ればいいけど、途中、犯罪に巻き込まれることもあるそうだ。大越は飛び乗る彼らが無事にアメリカへ着くことを祈りながら見送る。見ていて、これが現実のメキシコ、と知る。

 メキシコ人はアステカ文明を誇りに思う民族。大越は治安の悪い地区のレスリングの盛んな場所を訪れる。善い人と悪い人が分かれてのプロレスラー。レスリングはメキシコの人を元気づける。ある地区ではその場でレスリングのリングを作って人々を楽しませる。治安の悪い地区であってもレスリングを通して子供たちは強くなり、悪の道に進ませないようにとの思いがあるとか。

 メキシコは前から一度は行きたい国。しかし、かなり治安は悪そうだ。アメリカとメキシコの国境に作られた壁。ニュースでは聴いていた。テレビを通して壁を見て何とも言えない気持ちになる。壁を隔てれば向うはアメリカ。親子でも一枚の壁のために簡単には行き来できない。壁にペイントするメキシコ人。壁の向こうの人は楽しそうにする人の音で何をしているのかを小さな穴から問いただす。壁に絵をかいていると返答するメキシコ人。

 ベルリンの壁は壊されて久しい。今や共産圏でなく自由主義の国を隔てる国境の壁。何とかならないのだろうか。大越はアメリカとメキシコの土地は続いていると話していたけど…。    

2017年8月3日木曜日

新構造広島巡回展を見に行く

 ラジオ体操を夏休みの思い出とする新聞投稿を読む。同じ区に住んでいる人だ。寝い目をこすりながらラジオ体操に出てカードにハンコを押してもらったと思い出を語る。ところが、投稿によるとラジオ体操の音がうるさいという人もいるらしい。ナニゴトも不満を述べる人がいるものだ。これも困ったことである。

 それにしても今年の暑さは異常!新聞で読んだ新構造広島巡回展の記事。このなかの市川賢次の「草むらの宇宙」に惹かれる。暑い中、勇気を出してこの絵を見るために県立美術館へ赴く。記事によると「草むらの宇宙」はこの絵画展に尽力した三村栄一に因んでつけられた三村賞を受賞している。絵画展を紹介する新聞記事を読むと「何気ない野草の表情を緻密に描く」とある。絵を見ていると本当に自分がそこにいるような気がする。それくらい吸い込まれるような絵だった。他にも岩澤秋弘「刻のかたみ」、佐伯孝之「晩秋の池Ⅳ」、西舘勝義「老樹がんばれ」が気に入る。帰り際、教えてもらった受付の人のを見ると立派な絵を描かれていた。

 いろんな絵を見に出かけている。受付の人が感じがいいとその展覧会の絵もすべて立派に思える。昨日の人たちはそれに当てはまる。絵画部門はすべて油絵のようだった。この会の人たちの画は作品に丁寧さがみられる。それが自分の好みに当てはまるのかもしれない。

 新構造展を見終えると2階に上がって県立美術館の所蔵作品展を見る。夏休みだけあって親子ずれが目立つ。子どもたちに向けて絵に描かれている動物を探す企画展。ここはサーとみて所蔵作品の日本画展を見る。和高節二、平山郁夫、塩出英雄など広島とゆかりのある作品が並ぶ。

 絵を見て満足してもただ一つ失敗だったのは履いていた靴。広島駅から美術館までは歩いて行ける。家にいる感覚で気楽に出かけた。当然足元もそうだった。ところがこれが大失敗。長く歩くには無理な靴を履いていた。美術館へ行くときは靴選びが大切。肝に銘じた一日となった。家に帰ってすぐさま履いていた靴を処分する。足には歩きやすい靴が一番だ!

2017年8月2日水曜日

またまた「天使のミロンガ」

 今朝も105歳のダグニーさんのブログを見る。今日のタイトルは「テレビ」。テレビは世界の窓だそうだ。子どもの頃、テレビは無く、ラジオで育った。ダグニーさんは105歳だから、かなり大人になるまでテレビはなかったはず。家に居ながらにして世界の情報が瞬時にわかる時代。確かにテレビは世界の窓だろう。

 11月と新年1月のヴァイオリンコンサートのチケットが送付されてきた。日本郵政の代引き決済は初めてだった。受け取った後、注意事項を読むと覚えがない書類は受け取り拒否ができるとある。変な世の中だ。怪しげなところから送り付け商法が非難される。注意書きはその面でもいい。

 ヴァイオリンコンサートのチケットが3枚溜まった。9月は前橋汀子、そして昨日届いた堀米ゆず子と古澤巌のチケット。楽しみが待っている。

 そういえばポーランドの旅の参加者には音楽好きというか楽器を習っている人が数人いた。これもショパンと関係あるかもしれない。その中でヴァイオリンを習っている人がいた。ヴァイオリンと聞いてなぜか習っている人までも気品がある気がした。今はフルートを続けているのでヴァイオリンまでは手が回らない。ヴァイオリン、この響きがいい。習ってみたい気もしてくる。



 さて昨日のフルート・レッスン。ギラギラと太陽が照り付ける日中、元気を出してレッスンへ。先生のピアノ伴奏に合わせて「天使のミロンガ」を吹く。いい音が出た。このまま発表会で吹けたらいいけどさてさて…。同じ曲を吹いているといつの間にか暗譜している。これも視力が悪いにもかかわらず、家ではコンタクトをせずに吹いている。楽譜の細部まで見ずに吹くために自然と暗譜へとつながるのだろう。とはいっても何年後かにおなじ楽譜を見ても暗譜は忘れている。どんな楽譜もいつまでも暗譜のままであれば、と思うけどそうもいかない。そう思うと目が不自由な人のご苦労はきっと大変!

 ここでまたまた「天使のミロンガ」。「ミロンガ」は人の名前かと思ったら違っていた。ネットで検索すると「ミロンガはアルゼンチンウルグアイ、およびブラジル南部の音楽のジャンル、およびその音楽によって踊られるダンスの形式である」という。

2017年8月1日火曜日

ヒトの記憶もいい加減!?

 暑すぎて家の中で過ごすことが多くなる。長く習っているフルート。発表会で吹いた楽譜を並べ、さらに先生に作成してもらった発表会のCDやDVDも並べる。こうして発表年度ごとに何を吹いたかを書きだしてみる。2002年に仕事をリタイヤしてから10年弱は人生で一番多忙を極めた。その間は5,6回(うち1回はソロはなく全体合奏のみ)ほど発表会を休んでいる。フルートを中断していた期間がこれほどあったとはあまり記憶がない。よく答弁で「記憶にございません」というのを聞く。こういうことも少しは本当なのかもしれない。

 それにしてもフルートのレッスンから離れた時期がこれほどあったとはびっくり。長くやっていても中断期間があれば元からやり直しになる。とはいっても今も何とか続けている。これもまあ由としよう!?

 話は変わって先日の会合までの時間、そごうに立ち寄る。暑い国に出かける旅にはスコールにあってもいいようなサンダルが欲しい。暇つぶしにスポーツ用品売り場を覗くと気に入った靴があった。デサントのルコックシューズ。これはホテルのスリッパ代わりにもなりそうだ。

 それにしても暑い。気分が悪くなったら熱中症。悪くならない程度に今日も動こう!