2017年8月20日日曜日

「好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する」

 『世界が認めざるを得ない最強の国「日本」』(マイケル・ユー著 宋允復訳 KADOKAWA,2017年)を読んだ。本の裏表紙には「2017年初頭の世界を見渡した時に、日本ほど安定した未来、確実なアジェンダを持つ国は稀である――」とある。アメリカ在住の韓国人による著作で日本を褒めまくる。

 ★司馬遼太郎は日本人の特徴を島国の民としての好奇心にあるとした。中国、朝鮮半島、さらに欧米の文化を吸収し、より発展した文化と文明を作り出すのが日本の底力であり、島国としての好奇心だと喝破した。好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する。高みに立って見下そうとすると、相手からは学べず、偏見と自己満足に陥ることになる。大帝国の滅亡も、力におごり、他者から学べなくなる人間の性に起因するのだ。008P

 これを読んで「好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する。高みに立って見下そうとすると、相手からは学べず、偏見と自己満足に陥ることになる」の件に同感する。好奇心はあるほうだ。先日の旅で知り合った人から、旅で知り合った人と何分でも話すところを見て自分だったら知らない人とはせいぜい10分しか話せないと言われた。自分にはない良さや勝っている人を見ると自ずと興味が増して話を聞きたくなる。これが「好奇心は相手と目線を合わせ、あるいは少し下げる所から出発する」に当てはまるのだろう。

 逆に人に話しても何の関心も示されなければ話に興味がないと気づき、話は短くなる。関心を示されないだけならばまだいい。それ以上に嫌なのは嫌味を言う輩が一番苦手。この嫌味は人を見下げて発しているのだろう。こういう人に近づいてはいけない。心して付き合わないと話す度にストレスとなる。それこそ「気」が合わないというか相手との空間に漂う「空気」が違う。この「空気」について次のように書いてある。「空気」というか「気」は大事。せいぜい「気の合う人」でいたいものだ。

 ★江戸時代以来の「村八分」は空気支配の暗い裏面を示す。村落共同体に置いて村八分に合うと、共同対処すべき10の物事のうち、2つ(葬式と消火活動)以外でのやり取りを断たれることになる。なぜ葬式と火事の「二分」は断たれないのかといえば、死体を放置すれば腐臭が漂い、果ては伝染病発生の恐れを生じさせるからであり、火事を放置すれば延焼し、他の者にも迷惑が及ぶからだ。ちなみに他の「八分」とは成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の支援、年忌祭祀、旅行を示す。ではなぜ村八分にされるのか。…理由は様々あり得るが、言い換えれば村の「空気」を乱したことが最大の原因となる。122-123p

 話は変わって昨日の日本画教室。自分の画に対するセンスのなさを知る。これは持って生まれたもの!?どう頑張ればいいのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿