2017年8月14日月曜日

「体験と感動に価値を見いだす」

 先日お寺で受け取った塔婆を持って姉夫妻とお墓参り。その後、お寺さんが参ってくださる。一年に一度のお盆の行事。毎日何の変化もなく穏やかに過ごしている。ところが、わが家のささやかな行事であってもお布施の用意、仏壇に供えるお供え物やお花などを活けて準備する。他にもお鉢とお水も備える。仏壇の明かりを点灯させ、座布団も敷く。

 たったこれだけのことでもお盆は非日常の世界。終われば疲れがどっと出る。お経がおわるとお坊さんとの会話で寄付のお願いを催促される。その時どう返事をしたのかはっきりと覚えていない。姉が何やら話していたけど…。どういってもわが家は自分自身がいなくなればこの先、後に続くものがいない。そのうちお寺との縁も自然消滅。お寺の言われるままに何万円もこの先5年間寄付をし続ける余裕がない。母が生きていればさてどう言うだろうか。お寺さんが帰られた後の後味の悪さ。どう表現すれば気も落ち着く!?

 我が家はどういっても年金生活者。余裕ある生活者ではない。さて寄付とは…。

 気分を変えて今日のNIKKEI STYLEから。タイトルは「人生100年時代 住宅、消費…変わるお金の使い方」 。これを読むと「人生100年時代は『体験』と『感動』に価値が見いだされるのではないかと思います。ネットで映画や音楽が無料で見られるようになりましたが、力のあるアーチストはCDが売れなくてもライブを通じて大きな収益を確保しています。これは『体験』」や『感動』にお金が払われる一例ではないでしょうか」とある。

 さらに「お金の使われ方を道徳的・倫理的に選択していくエシカル消費の考え方も市民権を得ていくことになるでしょう。使われたお金の『満足』はモノの質まで影響してくる時代になるというわけです。人生100年時代は趣味も重要になります。また人付き合いなどのコミュニケーションも欠かせなくなります。本連載も先月は趣味の話題を取り上げましたが、実は趣味こそ『感動』や『満足』を得るためにお金をかける、新しい時代のお金の使い方かもしれません」ともある。https://style.nikkei.com/article/DGXMZO19781960Y7A800C1000000?channel=DF260120166518 (参照)

 お寺が参られても何の「感動」も「満足」もない。むしろ得も言われぬ不快感だけが漂う。これはどういうこと!?お寺離れ、わかる気がする。

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