2013年4月30日火曜日

映画「リンカーン」を見る

夜半から降っていた雨も今はあがり、日中は晴れになりそう。このごろは毎朝起きると先ずはレモンの木の蕾を見るのが楽しみ。一昨年と昨年と一つだけ実をつけたレモン。さてさて今年はいくつ実をつけるだろう。今朝のレモンは雨上がりとあって葉っぱには小さなナメクジが・・・。

昨日は春らしいお天気だった。そういう日は部屋にいるのがもったいない。友だちに誘われて市内中心部にある映画館へ行く。昨日は祭日のため到着時はすでに満席。それでも人がずらーと並んでいる。友だちはそれを見越して予約券を購入ズミ。お蔭でゆっくり映画を見る。

昨日の映画は「リンカーン」。映画館へ入るのも10数年ぶりかそれ以上になる。デパートの8階にあるその映画館の優雅な雰囲気はこれまでイメージしていた映画館を覆す。新たにできたものでなく内装を替えただけでこうも変わる!?

館内で映画を見ながら飲食でき、座席もゆったりしている。このくらい飛行機の座席があれば旅も快適だろう。200名強くらいしか一部屋には入らない。それが2部屋ある。

これまで余り映画を見たい気持ちにならなかった。だが昨日の雰囲気にかなりのめり込む。家でみるTVの映画とはスケールも違う。

映画のタイトルはもちろん元アメリカ大統領からつけたもの。だが、リンカーンが命をかけて夢見た真の「自由」の意味を余り知らなかった。映画を通して少しはわかる。もらったチラシに寄ると「『偉大な指導者が求められる今こそ、この物語を知ってほしい』という願いをこめたスピルバーグは、家庭人としてのリンカーンのヒューマンな葛藤にも迫り、ひとりの人間の夢が本当に世界を変え、苦難に満ちた時代に崇高な光をもたらしていった軌跡を感動的に描き上げた。その並々ならぬ執念が結実した本作は、もはや一国の歴史や政治といった概念をはるかに超え、かけがえのない未来への希望をめぐる伝説として、観る者の心を揺さぶってやまない。そう、この驚くべき<世界を変えた28日間>の物語には、21世紀の私たちに宛てた輝かしいメッセージが刻まれているのだ。」と書いてある。

「家庭人としてのリンカーン」のところは「自由」のために“多くの命”が戦争で失われる。だが大統領でもあり、家庭においては息子ロバートの父でもある。志願する戦場に息子を送らなければならないその苦悩がよく描かれていた。そしてその裏には妻との葛藤もある。妻は当然わが子を戦場に繰り出したくはなかった・・・。

映画を見た後、お昼を食べに行く。だが本通りを抜けて紙屋町へ向かうほど「菓子博」の人出のためか人ごみに巻き込まれる。目的のお店も様変わりしており、再度八丁堀へ向かって三越で昼食をとる。そこで長居をしたあと、店内を見て歩く。普段一人で入らない売り場でも2人だと心強い。友だちは高級な売り場にディスプレイしてある薄い白のレースのあるブラウスとモネの絵画から抜け出たような薄いベストを購入。春らしくてとても似合っている。それは春だけでなく、秋のフルート発表会に着て出ても丁度いい。

そのフルート、今日は夕方からレッスンがある。その前に、旅行社へ寄って残りの旅行費を振り込もう。それまではしばらくフルートの練習をして・・・。そして今日も元気で!

2013年4月29日月曜日

『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』

毎日が日曜日。だが、寒い時季は家の中を片づけるのが億劫だった。季節もよくなり、片づけようと思った。昨日は年に数度しか上がらない2階の部屋を掃除する。掃除といっても使ってない部屋。窓を開けて空気を入れ替え、掃除機を掛けるくらい。

部屋の主が下に降りて早、10年以上。主のいない部屋は淋しいもの。季節もよくなってきたのでたまには上から道行く人を眺めるのもいいかもしれない。

今朝はこれから出かけるのでアラームをセットして7時に起床する。少しずつアラームで目を醒ますようにしよう。

以下は先日読んだ本を抜粋したもの。筆者は元は台湾の人で日本びいきもうなづける。

『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(黄文雄 徳間書店、2012年)を読んだ。

読んでいて一番驚いたことは中国と韓国の関係である。「はじめに」に書いてある「中国と韓国は1000年間にわたり宗属(宗主国と属国)関係にあった」とは恥ずかしながら知らなかった。だから「朝鮮半島は、『大中華』の属国として、『小中華』を任じていた。中国との主従関係がなくなってまだ100年あまりであるから、風俗・風習から思考法まで、中国とよく似ている。」という。

この「はじめに」で書いてある以下のことでこの本の内容がほぼわかる。「はじめに」以外のところはいつものように気になるところをメモする。

★よく知られているように、中国と韓国は1000年間にわたり宗属(宗主国と属国)関係にあった。韓国が中華帝国の属国から抜け出したのは1894年~95年の日清戦争で日本が勝利し、その後の下関条約で日本が朝鮮半島を独立させてからのことである。

それまで朝鮮半島は、「大中華」の属国として、「小中華」を任じていた。中国との主従関係がなくなってまだ100年あまりであるから、風俗・風習から思考法まで、中国とよく似ている。・・・反日行動やパクリ文化など、大中華も小中華も同じ気風である。・・・戦後、韓国は中国の属国だったという事実を消すために、漢字教育を全廃した。そのため、「小中華」を任じていたころの漢字で書かれた歴史書を読むことができなくなり、自国への無知が広がっている。その上、仏教と神道をコアとする日本文明は、今なおチベット仏教への弾圧を続ける中国、李朝時代に廃仏尊儒政策に走った韓国とは、根本的に異質なのである。(はじめに2-3p)

筆者は日中韓の根本的な違いと、なぜこの3者が相互理解できないができないのかという理由を詳細に記し(3p)、日本と中国、韓国について歴史、文化、文明などの観点から、その差異を検証し、日本の真の姿を再確認しようとした。(5p)

★中国には「権銭交換」という言葉がある。権力によって富を得る、という意味である。中国では、政治権力とつながることでしか、富を得ることができないのだ。(19-20p)

★中国が徐々に「黄泉の国」へと沈んでいくことは、たとえば、六四天安門事件(1989年)後に香港経由でアメリカに亡命した小説家、鄭義の著書『中国的毀滅』にきわめて具体的な数字を取り上げ、「中国は崩壊や分裂ではなく、公害による自滅だ」と警鐘を鳴らしている。(20-21p)

★中華思想の持ち主である中国人は。「大きいこと」に固執する。中国人にとっては、大きいことは美しいことでもある。「美」の字源は「大きい羊」からきている。・・・「大」と自称したがるのは、決して大中華にかぎらず、小中華も同じである。国名を「大韓民国」と自称するのも、中華思想からくるものだ。(25-26p)

★現在も、漢人による少数民族(非漢人)への弾圧、それに対する少数民族の蜂起などが頻発している。地方政府による住民へのいじめなと、それに対する暴動も日常茶飯事だ。このような社会に、相互信頼や扶助の精神など生まれるはずがない。(29p)

★中国が安定するために不可欠な条件とは、一人の人間が党、政、軍三権の長になることである。それが中国の常識である。中国にくらべ、日本は誰が首相になっても、「安定が第一」と強調する必要がなく首相が走馬灯のように替わっても、それで社会が不安定になったり、国家の崩壊にまで至ったりすることはない。・・・有史以来続いてきた中国の争いは、根源的に「有限な資源」をめぐる争いであった。(30-32p)

★「中国人の時代がやってくる」という予想は、非常に怪しい。ただの経済と軍事の突出だけでは、「パックス・シニカ」(中国の覇権による平和)はやってこない。中国には文化的な魅力あるソフトウエアがないからだ。唯一考えられるソウトパワーとしては、孔子の教えである「儒教」だろう。中国は今盛んに「孔子学院」を設立している。これは古来、孔子が確立した儒教の教えを世界に広めようと言うものであるが、現在ではただ語学を教え、「南京大虐殺」に関する映画を上映するアジトとなっている。・・・中国人でさえ「中国から逃げ出したい」「生まれ変わったら中国人になりたくない」と思っている状況で、「パックス・シニカ」の時代など、訪れるはずがないのである。(36-37p)

★中華帝国は「一人のみ自由、万人は奴隷」の皇帝制度であるが、日本は権力と権威を分有する「万世一系」の「天皇」制度である。(53p)

★中国が近代国民国家として、国民が一つにまとまり、国民主権を実現することは不可能に近い。その理由として、人民間の不信感があると述べたが、もう少し大きな観点から見ると、有史以来、中華思想に存在する二つの対立が、国民統合の大きな障害となっている。その一つはすでに述べた南北対立である。・・・中国の南北問題は、20世紀後半のイデオロギーをめぐる東西対立に似ている。もう一つは、中央と地方の対立である。こちらは、ヒト、モノ、カネをめぐる対立である。中国には、「中央に政策あれば、地方に対策あり」ということわざがある。これは、中央政府は地方政府の力を削ぐためにさまざまな政策を展開するが、地方は地方で、その網からすり抜けるような対策を行う、と言う意味である。・・・現在でも、地方政府の首長は「土皇帝」と呼ばれ、民衆を搾取する象徴となっている。現在、地方で起きている民衆の暴動の多くは、こうした役人の腐敗に耐えかねて発生したものだ。(62-64p)

★中国には、この「王道か、覇道か」しかなかったのが、中国政治論の貧困と限界であった。「君権」や「君主」論はあっても「民権」や「民主」論がなかった。だから中国人は、一人の人間が党・政・軍の三権を牛耳らないと国家も社会も安定しないと考え、今現在でもそういうシステムが確立している。・・・日本には、古代から「君民共治」の皇道思想があり、「万世不易」と言う思想もある。だから「王道か、覇道か」という二者択一など論外だったのである。(70-72p)

★いちばん理想的な人間像とは「一個命令・一個動作」、つまり命令どおりに動くことだ。・・・いわゆる「一言堂」(鶴の一声に従って異口同音に同じ決まり文句を唱和する)である。満場一致、万民一心ということである。だから、中国社会とは権力者のひと声ですべて動くような社会である。それもやむをえない。人が多いから口も多い。異言異声を許したら騒々しくなり、天下大乱になるからだ。(76p)

★日韓合邦は飢餓状態だった朝鮮半島を救い、ハングルを普及させ、しかも、その合邦時代に朝鮮半島の人口は倍増しているのである。本来、韓国人は日本人に感謝すべきなのだが、歴史的に「小中華」として日本先輩格であった自分たちが、日本に併合されたという屈辱から、さまざまな「日本人の罪」をでっちあげて責め立てている。・・・韓国の場合は、「歴史的に弟分であるはずの日本に追い抜かれ、支配を受けた」というルサンチマン(強者に対する、弱いものの怒りや怨恨などの感情)から騒いでいる面が大きい。まさにそれが「ハン」である。(82-83p)

★反日の根底には「ハン」の文化があるが、その陰に潜むのが「小中華思想」である。(99p)

★現代の韓国人が極彩色の原色好きなのは、このような理由からくるもので、色に飢えているから色が富の象徴となるのである。(半島では染料を産しなかったので、高価な染料で染めた色つきの服や調度品を持つのは、豊かな両班に限られていた)(112-113p)

★ここ数年、日本でも「嫌韓流」が広まりつつある。・・・「韓流」が「寒流」となることもそう遠くないだろう。(136p)

★私の高校時代の国文教師は「人不為己、天誅地滅」(人は自分のためにやらなければ、神から罰せられ、世は終わりだ)という「世の真理」を教えてくれた。それが人間にとっては、もっとも不可欠な生存の条件だと言った。「すべてが自分のため」という考えである。・・・古代の中国人だけでなく、近代になってからも、「自己中」(自己中心的な性格)は中国人の国民性としてよく取り上げられている。・・・だが、日本社会では逆に「自己中」は社会から「村八分」にされるので、日本人は他人から「お節介」といわれるほど、思いやりを欠かさない生き方をする。(170-171p)

★大中華も小中華も国策産業だけが肥え、経済的格差が拡大している。すべての社会問題は類似したもので、国民は政府を信用していない。愛国主義、民族主義の育成には、一見成功したかに見えるものの、民衆が国を棄てて海外で脱走するケースが増えている。それは国の未来に希望が持てず、また国家意識よりも家族意識のほうが強い大中華、小中華に共通の現象である。(179p)

★(日本人の)清浄を愛する神々を迎えるには、心身を清めるのみでなく、社会環境も清らかでなくてはならない。世界一清潔な国民と国土を育てたのは、まさしくこの禊祓(みそぎはらえ)の思想である。「水に流す」という発想を中国人も韓国人も理解できないのは、人間と自然との関係がまったく異なるからだ。(209p)

★日本的な人間観、社会観、自然観は漫画、アニメ、カラオケ、日本食などのサブカルチゃーやポップカルチゃー(大衆文化)のみならず、省エネやエコといった制度や発想のソフト面も含めて、着実に世界に広がりつつある。(213p)

以上のように述べて日本文明のみが唯一、地球文明になりうるという。そして世界は日本化するという(213p)。

2013年4月28日日曜日

刺激を受けた日

昨夜は思いも寄らない人とメールを交換し、電話でお話をする。もうびっくり!こちらこそ恐れ多くも光栄です。ありがとうございました。楽しかった!

昨日は他にもいろいろと楽しい一日だった。

午後、テレビをみる。それは「ニッポン無名偉人伝」。ブータンを「世界一」幸せな国にした日本人、西岡京二を取り上げる。西岡はブータンへ在任中、ブータン国からダショー西岡の称号を受ける。ダショーとは国王から贈られる最高位の称号。西岡は国王も感激するほどの農業革命をブータンで起こした。

だが志、半ばの59歳でブータンで亡くなる。

西岡京二の足跡を訪ねて番組は始まる。その終わり頃、ブータンの高僧の話として幸福とは「足るを知る」。そして高僧は「仏教では思ったことが形になります。すべては前向きに考えなくてはなりません。」と話す。

そして、ダショー西岡が亡くなる一年前に語った言葉を映像を通して紹介する。「農民の気持ちを変わらせるにはどこにスイッチを入れるかが大変だった」と。

農業国、ブータンの幸せはダショー西岡が植物の種をまいたことに始まる。この種は日本からのものであり、今では日本と同じ野菜などの種が植えられて育っている。

気持ちよい番組を見た後、しばらくすると友だちからメールが入る。引き延ばしになっていた映画を見に行く話を決める。そのメールには「遅い起床のようですが大丈夫ですか」とある。早く起きる癖をつけよう。

その後、スペイン語の講座へ出かける。広島駅に着くとカープの試合も終わったようで人ごみの中を歩いて会場へ行く。昨夜は料理の日。2週間前から新たな人も加わり10人くらいで作る。とはいってもいつも料理を作ってくださるのはペルー人の先生。先生から先日のスペイン語の作文の手直しされたものを受取る。あり難い!

昨夜は以前も作ったという「海老のガーリックオイル煮」。それにトマトを細かく切った野菜サラダなどをフランスパンとともに食べる。とても美味!

料理を作る前、シニア海外ボランティアに出かけた人たちと雑談する。そのとき、その人の胸とお腹を見るとブヨ~ンとしている。思わずお腹を手でつっつく。すると「お腹に象の赤ちゃんが2頭入っていま~す!」と言って聞くものを笑わせる。それ程、親しい人ではない。その人の大らかさに驚くばかり。

以前、ヒトから干支を聞かれるといつも「象」と答えていた。それもあって、「象」がお腹にいる、の表現が可笑しい。

シニアへ行ってた女性は再度ボランティアへ応募するという。以前、シニア海外ボランティアに憧れがあった。その人と料理を食べながら話しているとまだ年齢的にも可能性があると言ってくれる。だが、今は楽に生活している。もう無理だろう。

でも、その人が再度応募して海外ボランティアに出かけたならば、「その国へ慰問する!」と話すと、もう一人の人も「私もついて行く!」と言う。ここで話が盛り上がる。シニアの人は5歳も若い。だが頑張っている。

ワインを飲みながら美味しいものを食べ、大笑いして昨夜のスペイン語の講座は終了する。終わって友だちとなった人と広島駅のカフェでティータイム。先ほどの訪問の話でまた盛り上がる。本気半分冗談半分で野次喜多道中で行こう!と。

一緒にお茶を飲んだ人と話していると多くの習いモノをされている。歌の関係3、楽器関係3、語学関係3、絵画関係3と昨夜、聞いて覚えているだけでも12もある。素晴らしい!

昨日は本当にいろいろな人から刺激を受けた日となった。この人たちを見習って今日も頑張ろう!

2013年4月27日土曜日

TV「団塊スタイル」を見て

朝方はまだ寒い。それでも日中は春らしい陽気になるらしい。

昨日は、さっぱりしないお天気の中、勇気を出して泳ぎに行く。プールへ着いた時刻は午後2時半ごろ。水中歩行の人は誰もいなくてどの人も泳いでいる。昨日もクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。背泳ぎはクロールよりも楽に泳げる。最近、手のかく回数が少なくなってきた。そのことにも関係があるのだろう。

昨日はまた、東京の人から便りが届く。病室からの葉書だ。中を読むと、「お願いがあります」と断り書きがある。何のことかと思うと、前のブログのタイトルが書いてある。そのブログをプリントアウトして見せて欲しいとある。

使用しているパソコンはXPでそれに伴うプリンターのため、プリントアウトは遅い。また印刷も1年に一度年賀状作成くらいしか利用しない。しかし、東京へのお見舞いもすぐにはいけず、病人の願いをかなえるために昨日は今のブログの最近のもの数日分をプリントアウトして郵送する。そして返信には携帯でもブログを見ることは可能と書いておいた。

最近の病状は貰った葉書に寄ると難易度が高いとある。いずれにせよ、病室が心地よいといわないで、一日でも早く体が回復されることを願うばかりだ。

話は変わって、昨日、新聞の番組欄をみると「団塊スタイル」の「思い立った今が青春!タイガース・瞳みのる 猛勉強で中国語教師!40年ぶり!復活公演へ!」とある。このタイガース云々よりも「中国語教師」に関心がありTVを見る。

番組のはじめに流れる曲は「花の首飾り」。同時代を生きてきたモノトしては聞く曲もすぐにわかる。TVのゲストは瞳みのる。結成4年でタイガース解散。その日から猛勉強を開始して慶応大学文学部に合格し、大学院では中国文学を専攻。そこを修了して慶応高校に定年を2年残して33年間勤務する。

その間には北京大学へ留学している。今では1年の3分の1を北京で、残りの3分の2を日本で暮す。北京大学では中国語と漢文を学んでいる。

そしてタイガースを解散して38年後、元タイガースのマネジャーと再会する。だがタイガース時代のわだかまりがある。沢田は慶応高校付近の居酒屋で偶然瞳と会えないかなと思っていた。そんなうわさを聞く中でのマネジャーの声かけで再会する。そして2011年ついに復活コンサートを果たす。

今では「おまえがおまえらしくある文学と音楽で交わるものとして反映できるものは何か」を考えた結果、音楽があった。そして今年の年末、タイガースは再度復活する。だがそれは今と未来のタイガースであり、過去はないと言い切る。

司会者は聞く。何故そのように若いのかと。そう聞かれて「現状に満足しない」ことをあげる。それは幸せでもあるし不幸でもあると本人はいう。いずれにしても音楽であれ学問であれ、瞳の心には「動機付け」があった。そして瞳は今、音楽ができる幸せを思うのか涙を流していた。

それを見ていて励まされ、元気が沸いてくる。「動機付け」が彼の底辺にはあった。何であれ、何かを成し遂げる人に強い「動機付け」があればその実行は可能になる!?

昨日は他にもパソコンで遊んでいて茂木健一郎のブログを訪問する。やはりツイッターよりもブログの方がいい。その人となりがあらわれている気がする。

いろんな人の元気な情報をもらって今日も一日元気で過ごそう!

2013年4月26日金曜日

話は脱線して

今朝は大気の不安定なお天気のようで風が強い。お昼過ぎから泳ぎに行く予定にしている。だが風の吹き方で行く勇気が削がれそう。

昨日は夕方からスペイン語を習いに出かける。家を出る前、お寺のお世話をしている人が護寺会費を集めに来るとの電話が入る。すぐ来て貰ってしばし立ち話をする。

スリランカで出会った方丈様もお寺の維持の難しさを話されていた。それはどこも同じらしい。

昨日のお寺の世話人もお寺から数十万円の永代供養代を請求されたという。それを聞いて「我が家は年金生活で貧乏。だから到底そんなお金はだせない。しかし、そんなお金があれば外国へ行く!」と話す。するとその人は「そうよ。行ける時に行かずにどうするの?」と励ましてくれる。

また「お寺の言いなりになってはダメよ」と忠告してくださる。そして「お寺さんの前では外国へ行く話はしなのよ」とも言われる。

その人は結果的にお寺の言いなりにならなかった。そして国内や海外に夫婦で出かけているとも言われる。

お寺の年会費である護寺会費もその書類には何口でもOKと書いてある。段々エスカレートして会費も増えるようならば集めに来る人に我が家は脱退する旨、話そうと思っていた。ところが、その人も先ほどのように同じ考えだった。それを知ってちょっと心強い!

さて昨夜のスペイン語。先週休んだのでそこで仲良くなった人からプリントなど貰う。その人は頑張る人らしく、金曜日の講義も受けたいと話していた。

講義では動詞の規則活用をいろんな語彙で繰り返し習う。とにかくスペイン語は動詞の活用の変化が多い。先生は「これも慣れてきますから・・・」と慰めながら話される。

昨夜は面白い言葉を知る。一つは“AVE”。これは“Alta Velocidad  Española”の略らしい。スペインのハイスピードの意味でスペインの新幹線のこと。“El ave”が「鳥」で、それにちなんで命名されたのだろう。もう一つは汚い言葉でブログ投稿には申し訳ない。

日本語で「これいかが?」→“Corre y caga”と同じ発音に聞こえる。「走って行ってトイレで大きいほうをせよ」との意味とか。時々、先生の話が脱線する。それがまた面白い!こういういらないことはよく覚えられそう。

ブログ投稿中、東の空は真っ暗になる。さてさて泳ぎはどうしよう。ともあれ今日も元気で!

2013年4月25日木曜日

“Happy People Live Longer(幸せな人は長生きする)”

今日は昨日の雨もあがり、春らしい陽気の一日になりそうだ。

今日も起きるのが遅い!いくら「寝る子は育つ」といっても早く起きる癖をつけないと一日が短すぎる。

昨日はお昼過ぎに自転車で外に出た後は家で大人しくする。土曜日のスペイン語の作文をまとめたり、本を読んで過ごす。春ごろ、高倉健のスペシャル寄稿がある『文藝春秋』の季刊春号を購入する。

しかし、その人の記事は少なく、そこだけを読み終えるとその辺に放っておいた。それを棄てる前にもう一度読むと特集に面白い記事がある。それは「百歳まで美しくあるために」と題された坪田一男慶応大学医学部教授の記事である。

筆者は「『笑う門には福来る』のサイエンス」で「“笑う”という筋肉の動きが“幸せ”を作る理由とは」と課題を掲げてその意味を明かす。

2011年のサイエンス誌に“Happy People Live Longer(幸せな人は長生きする)”の論文が大きく取り上げられ話題となる。

では何故幸せな人が長生きするのだろうか。従来から2つのことが言われていたらしい。1つは「幸せな人は健康にプラスの習慣を持つ傾向がある」。それは運動を見ても幸せな人ほどしており、幸せと生活習慣を組み合わせた考え方である。そして2つ目は“幸せ”であることが直接的に身体に影響を与えるという考え方である。、

2つ目の考え方はごきげんな人は副交感神経が優位となるため高血圧になりにくく、アドレナリンの急激な上昇もなくて血圧の上昇も少なく激昂せず不慮の事故にもあいにくい。

この2つで幸せな人が長生きするのは間違いなさそうと筆者は結論付ける。

では幸せでいるためにはどうすればいいか。それには先ず無条件にごきげん度をあげる方法を提示している。同じく2006年のサイエンス誌に発表した研究に笑顔を作る顔の筋肉が緊張すると、それによって幸せを司る脳の血流が増える。すなわち、「“笑う”という筋肉の動きが“幸せ”を作るという流れが実際にある!」。だから脳がごきげんと思えば人はごきげんになっていく。

筆者は眼科の専門医。特にドライアイの専門医で目がごろごろするなどのドライアイの症状のある人の主観的幸福度はドライアイの症状がない人よりも少ない。

それゆえ、不きげんな人たちが最もドライアイの症状を感じやすいという構図が見えてくるという。

さらに「ポジティブサイコロジー」を取り上げ、幸せが人生の成功を生む、ポジティブに考えることが人生を豊かにするという。この考えはペンシルバニア大学のセリグマン博士が始めた新しい心理学とか。2007年にその学会を設立して注目を集める。

それは自分の強みを発見してそれをさらに延ばして人生が上手くいくというやり方。その方法として4点挙げている。
1 自分の強みを意識して探す。
2 次に、その強みを毎日の生活で使う。使うタイミングを考える。
3 できれば使い方を、ユニークに自分らしく使う。
4 1日の終わりに「今日はこうやって自分の強みを使ったな。だからとてもごきげんな一日だったな。」と思う。

基本的な強みは24個あり、その中から3~5つ探し出して意識することが大事らしい。

個人的に筆者に倣って書いてみよう。
1 好奇心
2 継続性
3 根気

人は常に緊急事態(交感神経優位)とのんびり状態(副交感神経優位)の2つの状態を使い分けて生きている。この分野の研究で有名なバーバラ・フレドリクソン教授は「幸せである最も大きなプラスの点は、人が未来に注意を向けて、自分の可能性を拓いていけることにある。」という。
 
今日もこの言葉で一日を過ごそう。“Happy People Live Longer(幸せな人は長生きする)”。 

投稿が遅くなった。先ほどいつもの方のブログに「明日は午後から活動開始。午前中にいろいろ入るかな??楽しみです。さあ明日も元気をだして![広島弁で]」と書いてある。

この最後が広島弁!?じゃ、これを標準語でどういう?わからない!

やっぱり、今日も元気を出して頑張れ!

2013年4月24日水曜日

基本にかえって

「寝ても眠たい3月4月、まだ眠たい5,6月」、母はよくこの言葉を使っていた。「春眠暁を覚えず」に当てはまるのだろう。その言葉どおりよく眠る。今朝は雨も降っていて余計眠い!

昨日はフルートのレッスンに行く前、ブログを読んで心配したとの電話をもらう。掛けてきた本人曰く「座敷豚」で、5キロ太って森久美子を追い抜いた、と。その言い方もヒトゴトのようで面白い。いつも元気な声、ありがとうございます。

ナニゴトも自分の中に留めず、すべて吐き出す性格。ブログもその一つの手段であり、人と話すのもそう。いたって単純なところがあり、そのためストレスもなく、カラダに負担となることもない。だが、話を聞いてもらう人には迷惑なことかもしれないが・・・。

昨日のフルートのレッスンでは、基本にかえって立ち方を習う。とはいってもこれまでの立ち方と違って「立つ足の角度」に注意を払って立つ。そうすると体は一本の線のような感じになる。そのため両足も背筋もピーンと糸が張り詰める。最初、その立ち方で立つとおぼつかない。だが慣れると大丈夫。かなり大腿骨の筋肉がつきそうで、いいロコモ運動にもなる。

ソノリテをその立ち方で吹いているとふと疑問がわく。先生にまたいつものように思ったことを口にする。それはこの立ち方でフルートの発表会で吹くのだろうかということ。先生曰く「その時、考えましょう」。とはいってもその立ち方で吹いてもいいらしい。

ともあれ、いいことは何でも取り入れよう。

今朝は雨。目が覚めてぐずぐずしていると女子会NO.4さんからメールが入る。それはミニミニ女子会の延期と一昨日、市内の小学校で話した平和学習の報告だった。すぐにその学校のHPを見る。これから色々な学校で平和学習が始まるらしい。未来を担う子供にとって原爆に関する平和学習は大事なコトだろう。また講師の〇子ちゃんにとっても子供たちと会えるのは楽しみらしい。

今日は菓子博に出かけるとメールに書いてある。昨日、フルートに出かけるバスの中からその会場を見ると多くの人出が見られた。また広島駅から会場までは菓子博一色。GWになれば菓子博とカープの試合とフラワーフェスティバルで広島はお祭り騒ぎになりそう。不景気を吹き飛ばすには丁度いいかもしれない。

NO.4さんもブログを真似て今日も元気を出して・・・、とメールの最後にある。そう今日も元気で!

2013年4月23日火曜日

人それぞれ

今日は花曇りの一日になりそう。外は薄暗い。

昨日はちょっとだけ考えさせられる日となる。お昼頃、メールが入る。メールをもらった人の個人的なことはほとんど知らない。それでも、その人からは“幸せ”を感じていた。ところが、そうでもない一面をメールで知らされ、吃驚してしまった。

人それぞれと言われる。他人から見てどう思われても本人が幸せであればそれでいい。

とかくひとりで暮らしているとひとりではない人を“幸せ”とひとくぐりにすることがある。だが、その中に入ればそれぞれ人には言えぬこともあると実感する。

これまで変化のない人生を送っている。これがいいとも思わないし悪いとも思わない。しかし何か軌道から外れた道を歩んでいるのではないかとの後ろめたさも正直ある。

だがその考えもいろんな人を見てきて「これもいい人生じゃ!」と思えてくる。

いくら人のコトでもいいことならばショックを受けない。ところがそうでもない話はいくらメールであっても精神的な負担となる。

お昼を食べるとスッキリしない気持ちを拭うため、自転車で外に飛び出す。遠くのスーパーへ出かける途中、わかちゃん宅へ行こうと気づく。だが携帯を持参していない。買い物を終えると自宅に戻り、わかちゃんに電話して遊びに行く旨、告げる。来るようにとの返事ですぐに家に伺う。

ちょっと話をしただけで気持ちも落ち着く。帰りにはお取り寄せの餃子をもらう。昨日もわかちゃんに感謝する日となる。

また夜には東京の姪に久しぶり電話する。GWはどこへ行く?と尋ねるとアメリカ西海岸へ行くという。かなり長い間携帯で電話する。途中、話していて携帯メールの話になる。「ちょっと待って!」と携帯を探す。だが携帯は探しても見つからない。しばらくして今、電話で話しているから見つかるはずはないと気づく。かなりボケている。

電話の最後で姪は「〇子姉(ねえ)、頑張りんさいや」。それを言うか言わないうちに「いやいや違う。〇子姉は頑張れと言うと本当に頑張るけえ頑張らんでええよ」。何と言う姪の言葉。聞いていて可笑しい。性格をよく理解している。さすがに我が姪だ。

ひとりで暮らしていると、昨日のように人と話すだけで気持ちが落ち着く。すぐに聞いてもらう人がいるだけであり難い。そして人のよくないコトをすべて受け入れるのではなく、聞き流す訓練も必要だ。

今日は夕方からフルートのレッスンに出かける。そこは「ひろしま菓子博」に近い場所。それも賑わっているようで人出も多いだろう。それまでは家で大人しく!

2013年4月22日月曜日

四川地震「パンダ60頭無事」を見て

今日は最低気温5度の予報で寒い朝だった。一度目が覚めたものの2度寝をしてしまい、遅い起床となる。

会社を辞めて10年以上も経つ。それなのに、本社へ送付する書類を出し忘れている夢で目が覚める。何を思ってそんな夢を見たのだろう。

朝食を終えてメールをチェックすると、いつもブログを見てくださる方からメールが届いている。いつもご親切にしていただき感謝いたします!

先日図書館で借りてきた『ガイドブックにぜったい載らない海外パック旅行の選び方・歩き方』(佐藤治彦 アスペクト、2012年)を読んだ。

国内へ出かけるときは一人で出かけることもある。しかし海外はパック旅行で出かける。そのため、この本のタイトルに惹かれて読む。また気になるところをメモしよう。

・キャンセルがきかないオプショナルツアーは現地でギリギリに粘って格安で申し込むと得です。(052p)
・新規路線は大バーゲンツアーのチャンス。情報は、新聞広告で手に入れます。(024p)
・ツアーで大事なのは最低最高人数より参加人数。普通のパック旅行がセレブツアーに変身します。(041p)

辺境への旅は大体において参加人員が少ない。昨年GWの四川の旅では8名だった。人数が少ないと旅行中ゆったりしている。これもセレブ!?

読んでもこれくらいしか新たな情報がない。

情報といえば今朝の地元紙に今回の四川地震で「パンダ60頭無事」と見出しがある。よく読むと四川省雅安市にある中国パンダ保護研究センターのパンダらしい。ここは一年前のGWに出かけたところ?(今、昨年のブログを見ると出かけたのはパンダ繁育研究基地だった)。

一緒に出かけた女朋友と今年になって電話で話したことがある。日中の関係が怪しくなっている状況の話をした際、昨年のGWに四川省へ出かけてよかった、と。そのころは日中の関係も落ち着いていた。成都では広島でお世話になった中国の朋友夫妻とも再会でき、楽しい時間を過ごす。

それから現在までの日中の状況はかなり変化している。尖閣問題、鳥インフルエンザ、それに今回は四川地震も加わる。その場所が何と昨年出かけた所に近いと知って驚くばかり。

来月下旬、北欧への海外パック旅行を予定している。いつ、どこで、何が起こるかわからない。それは何も世界のことではなく自分自身にも当てはまる。

このような状況の下では、自分の気持ちを大事にして毎日、楽しく、行動するしかないのかもしれない。

2013年4月21日日曜日

女声合唱を聞きに行く

昨日から今日にかけて冬の寒さに戻っている。昨日は小雨も降って寒い中、東広島へ合唱を聞きに行く。1年半前に出かけたスペインで知り合った人たちも所属する合唱団の演奏である。会場近くのJR駅でカメラマンらしき人を見る。もしかして合唱団の取材?と思いながら駅の階段を上がる。

今朝地元紙を見ると昨日の演奏会の模様が大きくカラーで記事となっている。それを見て、一緒に出かけた知人と、演奏会に誘ってくれた人にそれぞれ電話とメールで知らせる。

どの人もその記事を知らないようだった。合唱に出た人は新聞を購入したとの返信メールが届く。だが取材は知っていたらしい。それが、本当に記事になるとは・・・と驚いたメールだった。

昨日の合唱団の命名はその誕生時が15年前の七夕だった。それにちなんでスペイン語で「天の川」を意味した名前がついている。そして桜のこの季節に相応しい衣装でプログラムにも「とどけたい、私の愛を花びらにのせて」と書いてある。

舞台も春真っ盛りの彩りであでやかであり、衣装もそれに合わせている。なかなか趣向を凝らした演出だった。合唱曲はプログラムに「年を重ねても、夜空に輝く天の川の星のように、癒しと喜びを与えてくれる・・・」とあるように優しい曲。合唱構成は4部に分かれているが、3部では「みんなで歌いましょう」とあり、5曲ほど指揮者のミニミニレクチャーの後、会場一体となって合唱する。

楽しい演奏会だった。

家に帰るや否や、先ほど出演していたうちの2人から聞きに出かけたお礼のメールが入る。これにはびっくり!そしてそのメールには「来年スペインへ行くみたいだからまたご一緒しましょう!」とある。

それにしても皆優しい!スペインへ行った人のうち5人が昨日出演される。その人たちから部外者であるモノに親切に声を掛けてもらう。何とあり難い!そして今朝の返信メールには早くも夏にある合唱団の演奏も聞きに来て下さい、との連絡も入る。これは毎年聞きに行っているけれども・・・。

今日は近所の友だちと隣町にある民家を見学する予定にしていた。だが、お天気も良くないので日程を変更する。この民家は250年前の建築物。旧山陽道にあり、昨年、持ち主が町に寄贈して今月から日程を決めて一般公開している。

今日はこれから自転車に乗って図書館へ予約の本を取りに行き、買い物にも出かけよう。今日も元気を出して・・・。

2013年4月20日土曜日

「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きていく資格がない。」

今日は全国的に冬に舞い戻ったお天気で寒い一日となりそう。夕方からは傘のマークも見られる。昨日も寒かった。しかし元気を出して泳ぎに行き、クロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。

「元気」といえばブログの最後にその言葉を書くことが多い。毎日訪問している方の昨日のブログに次のように書いてくださっている。またいつものように勝手に引用させていただこう。

「春は別れも多いし、そして生まれ変わる季節でもあるらしい。

そんなことを考えていたら、広島のお友達のブログに春のことが書かれている。もう驚かない。人が思うことはどこかでつながっているし、桜は特別なものだ。一瞬の儚さは何を表わしているのだろうか。花を愛でていても、次々咲き続けるというのはあるけれど、一瞬で木の花が全部一斉に咲き一斉に散るというのも桜ならではと書かれていた。潔さは忘れるために必要かもしれない。

それでもこの広島のお友達は毎月月命日に墓参りを欠かさない。その誠実さと、今日も元気でと自分に語りかける強さ(なのか健気さなのか表現が分からないが)に僕は日本女性の美しさを感じる。」

ありがとうございます。

そう言われてみて初めて何故そう書くようになったのだろうと考える。そして、ふと「強さ」についても考える。

1年半くらい前、中村明の『スペインひる寝暮らし』に書かれていた言葉がある。だがその言葉をはっきりと覚えていない。漠然とながら「強くなければ生きていけない。・・・」を思い出す。ブログ投稿の「本」のカテゴリーから検索すると以下のように投稿している。

「その後『翼よ、あれがスペインの灯だよ』とスペインに戻った中丸は『しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きていく資格がない』(Si no fuese duro、no estaria vivo.Si no pudiera ser dulce、no mereceria estarlo.)『ぼくはそういうふうに残りの人生を生きてみたいとおもっている』(301P)と自己を戒める。」

これはスペインへ出かけた後、読んだ本である。この中村の本に書いてあることにかなり刺激を受ける。中村はスペイン語で訳している。今ならばスペイン語の訳も少しはわかる。だが、読んだころは全くわからず、そのままブログに投稿した。それでも頭にはその言葉が残っていた・・・。

昨日ネットでそれを検索すると英訳があった。それは以下の通りである。

「プレイバック」より
「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きていく資格がない。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」

昨日書いてくださったブログの中の次の箇所は読んでいて何故か涙が溢れる。

「広島のお友達は毎月月命日に墓参りを欠かさない。その誠実さと、今日も元気でと自分に語りかける強さ(なのか健気さなのか表現が分からないが)に僕は日本女性の美しさを感じる。」

決して強さではない!しかし。ひとりで生きていくには自ずと「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きていく資格がない。」のチャンドラーの、この言葉が当てはまる。そのためには「元気」が底辺にある。

一人ぽっちは「元気」でなければ生きていけない。

20年前、ブログに書いてくださった方が書かれた本に感動し、手帳にそのコピーを挟んでいた。そのことをブログ開設2日目に投稿する。それは「人に元気を与えるポイント」(舛井一仁)である。ここに再度、投稿しよう。

1 声を大きく、よく話をする
2 健康である
3 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す
4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする
5 人脈を豊富にし、質を高く保つ
6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない
7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく
8 金銭的に少し余裕をもっておく
9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく
10自分の目標をもって突き進む
「人に元気を与える10か条。」より。

ということで「元気」のキーワードは20年前にその人から教えられたものであり、今に始まったことではない。昨日改めてそれを思い出す。

そして人の幸せを「健康」「自由」「生活面」とするならば、今のところどうにかそれも揃っている。だが、母はいつも言っていた。「いいことは長く続かない!」。この3つは母を亡くしてわかったこと。そのなかの「健康」はいつまでも続くとは限らない。

「健康」=「元気」。そう思えば、毎日を楽しく暮すためにも「元気」が欠かせない。そう、やっぱり今日も「元気」で頑張ろう!

ブログに投稿してくださり、ありがとうございました!

2013年4月19日金曜日

フルート定例会&「春」

今日から今夜にかけて冬に逆戻りして寒くなるらしい。「泳ぎに行くべきか行かざるべきかそれが問題」になりそうな一日だ。

昨夜はフルート定例会。いつものように3人で集まる。今月からフルートのレッスン会場が変更となる。食事前、その会場でレッスンを受けていない尾道の人を新たな会場に案内する。

会場のあるビルはこれまでレストラン街だった。だが今ではその面影もなく、ひっそりとしている。だが、それは「優雅なひと時をレッスン」できそうな場所となる。

階を降りれば、空中庭園に出られる。そして「ここが街のど真中?」と思えるような空間が漂う。知人はフルートのレッスンが始まるまでそこで練習している。そう聞いて吃驚。優雅な響きが街にこだまする!?

一通り案内をしたあと、階を降りて食事に出かける。あのオープン時の華やかだったレストラン街も今はその面影も見当たらない。客足もポツリ、ポツリ・・・。

新製品が出ると先ずは広島でテスト・ケースとして販売する、と聞いている。新し物好きの広島人。だが、それに飽きると寂れた環境が出現する。これも世の移り変わりなのだろうか。

昨夜も1人、一日だけビールご法度がいる。ウーロン茶とビールで先ずは乾杯!いつもの如く他愛ない話をする。今日から開幕する「2013ひろしま菓子博」の話題もでる。昨夜もまた尾道の人にご馳走になる。ありがとうございました!美味しかった!

帰宅後、お昼に図書館で借りてきた本を読む。姜尚中『生と死について私が思うこと』(朝日新聞出版、2013年)。

この本はまえがきで最愛の息子の自死に触れ、雑誌「アエラ」の「愛の作法」に連載されたものを収録した文庫本。

エッセイなのですぐに読める。この中で一つ同感する。「春というのは死と再生の季節であるということを、母親から何度も口癖のように聞かされて育ちました。春になると、いろんなものが死んで、新しい生命が宿ります。・・・母はどういうわけか7年前、丁度春の季節に80歳の生涯を閉じました。

春は残酷な季節でもあるし、また同時に希望あふれた季節でもあります。・・・(2011年の東日本大震災を述べた後)多くの方々が早春の季節に亡くなられました。わたしたちには、春にはやはり生まれ変わる必要がある。・・・」(47-49p)。

筆者の母の名前は「春子」で幼いときに亡くなった弟は「春男」。ともに名前に「春」がつく。そのこととも関連して「春」に対する思い入れが筆者にあるようだ。

これを読んで思い当たる。父は23年前の3月中ごろ、母は2年前の2月中旬とそれぞれ早春に亡くなる。筆者はこの季節「わたしたちには、春にはやはり生まれ変わる必要がある。」と述べて、新たに生まれ変わる「春」への思いを込めている。

この辺りが本のタイトルどおり、ハイライトだろう。

特に「生まれ変わる必要がある」は残されたものに対する力強い言葉だ。

この本を一気に読み終え、次は佐藤治彦『ガイドブックにぜったい載らない海外パック旅行の選び方、歩き方』(アスペクト、2012年)を読む。9割位読んだところで夜も更けて読むのを辞める。

いずれブログにアップしよう。

さて今日はこれからどうしよう。やっぱりお昼を済ませて泳ぎに行こう!今日も元気で!

2013年4月18日木曜日

広響定演&お墓参り

昨日は広島交響楽団第328回定期演奏会に出かける。今年、広響は創立50周年でプログラムにもその“シーズン開幕”と題されている。会場入り口はずらーと贈られた生花で彩りを添える。

昨夜は常任指揮者の秋山和慶、ヴィオラに安保恵麻を迎える。といっても2人も広島交響楽団の楽団員。演奏曲目は下記のようであった。

♪ ウオルトン:「スピットファイア」前奏曲とフーガ
♪ ウオルトン:ヴィオラ協奏曲(1962年改訂版)
♪ エルガー:交響曲第一番変イ長調op.55

最初に演奏されたウオルトンは初めて聞く作曲家。エルガーは知っている。だが演奏曲は初めて聞く。今日の地元の朝刊で昨夜の演奏の模様が紹介されている。聞いてもどう表現していいかわからない。いずれにせよ、素晴らしい演奏会だった!

今日は母の月命日。いつものように姉夫妻の車に乗って墓参りをする。墓地近くで車を止め、墓に向かって歩いていると知らないおばあさんがショッピングカーを引き、杖をついて墓参りに来ている。元気なものでも墓までの道は険しい。義兄はその人の荷物を手にして上の方にあるお墓まで持って行く。

荷物を渡して降りてきた義兄曰く「元気なものでも大変なのに・・・。水を入れているんで重たい、重たい」。

重たい水を入れての墓参りは確かに大変。それにしても途中で水道があるのを知らないのだろうか。

母が怪我をしたのは墓参りをした翌日だった。今日出会った人もいつまでも元気で墓参りをされるといい!?そして今日も元気で過ごそう!

2013年4月17日水曜日

スペイン語対応電子辞書


昨日は広島でも気温が上がり、ブラウス一枚で丁度いい気温だった。全国的に一気に夏を思わせる一日で米子では30度近くになる。今朝は曇り空。しかし、午後になると次第に晴れてきそう。

昨日は夕方からフルートのレッスンに出かける。これまでさらっていた曲と昨日さらった曲の2つをどうにか終えて新たな曲に入る。今、さらっている曲はジェームス・ゴールウェイのアレンジしたモーツアルト曲集からレッスンしている。今日からはその中のk.298を練習する。聴いたことがあるようなないような曲だけど、いつものようにyou tubeで探して聞いてみる。

聞いていると楽譜とほとんど同じ吹き方だ。だが手にする楽譜は一部省いたところがある。それでも曲自体の雰囲気はつかめる。

レッスン前、欲しかったスペイン語の電子辞書を見に地元の大型電器店に出かける。シャープとカシオが売り場の幅を利かせる。10年前に購入した中国語対応の電子辞書はセイコー製でカード式でない。価格を見ると最新式のもので44800円。小学生、中学生用の電子辞書にスペイン語のカードを入れて利用すれば安くつく。しかし、それでは気が引ける。大人用のカード挿入式は最新式のものと価格帯はそれほど変わらない。そのお店でカタログを2部貰ってフルートのレッスンに行く。

レッスン後、やはり電子辞書が気になる。先ほどのお店ではスペイン語のカードが1週間では入手できないという。仕方なく、他県から出店している大型店まで歩いて移動する。中に入ると係りが少ない。店員を呼んでもらって話を聞く。こちらは売れているお店らしく、先ほど出かけたお店の価格を告げる。売り方が上手い。そのお店に行ってきた、とは言っていないのにその話をし、さらに1000円安くするという。

ナニゴトもその人との相性が買うときの決め手。それほどはきはきしている人ではないけれどその言い方を信頼して最新式のものを購入する。カシオ製で41800円だった。なんといっても音声が聞けるところがシャープとの違いらしい。カタログを見ても9年連続販売台数No.1となっている。

10年前に買った中国語対応の製品と比べるとその中身は複雑で機能も多い。そして画面もタッチ式で付属のペンで検索できる。また画面もカラー。

ただスペイン語対応だけで由と思っていた。ところがなんと沢山の機能がある。これまで出版されたもので著作権を離れた本も2000冊挿入されている。パソコンと接続できてその機能の良さに圧倒される。

中国語対応を購入してからの10年の歳月は電子辞書一つを見てもその進歩を感じる。

しかし、これまでもっていた電子辞書も中国語、英語、日本語ではその使い方に慣れている。2つの電子辞書を使い分けて利用しよう。

今朝はパッとしないお天気。これから広島交響楽団の定演に出かけるまでスペイン語の作文をしよう。今日も張り切って、さあ頑張れ!

2013年4月16日火曜日

NHK国際ラジオ放送・中国語『波短情長』から

朝刊の天気予報によると何と今日の松江の最高気温27度。春を一気に越えて夏の感じがする。広島の最高気温は22度で最低気温10度。気持ちいい朝を迎える。

今年に入っていつも読んでいた人のツイッターを読むゆとりがなかった。最近久しぶりにそれまで見ていた人のツイッターを覗くとおもしろい番組に出合った。

中国文学の第一人者、加藤徹先生のツイッターである。それにはこう書いてある。また、勝手に引用させていただこう。

「ネットで聴けます。NHK国際ラジオ放送・中国語『波短情長』第二回 ゲスト 古市雅子(北京大学准教授) 北京大学での日本アニメの人気や、コスプレについても言及。」


早速、ネットで聞いてみた。当然すべて中国語での放送。4月から毎週月曜日、加藤先生が登場されている。

先生から中国文学など教えてもらったことがある。このラジオを聞いていると“中国”に関心がわく。だが、以前中国語を習ったことがあってもそれを聞いてすべてわかるわけではない。

そんなとき、いつも外国語ニュースがわかるようになれば・・・と思う。特に中国語ニュースの場合、固有名詞である人の名前も国名もすべて「中国語読み」になる。これも中国語の難しいところだ。

他の外国語では固有名詞はそのままで発音される!?

自分の名前を言われるときも中国語読みに慣れるまでが大変。

一昨日夜、スペイン語を習っている人と電話で話したとき、加藤先生の話題がでる。ともに先生を知っているということもあるだろう。それにしてもツイッターを見ていると自身の発する中国語などを謙虚に書いておられる。

「自分で自分の中国語を聴くのは恥ずかしい。来週はもっと上手に喋れるように頑張ります」。

人のツイッターを見て刺激を受け、まだまだ頑張らねば・・・と反省する。

2013年4月15日月曜日

ブログ投稿数700

今、ブログを見るとページビューが27000でブログ投稿数が700(非公開11含む)となっている。ちょっとだけ気分のいい“7”の数字が並ぶ。今日の記念に、このことを投稿しよう。

先ずは一人で「おめでとう!」。そして何の取り柄もないブログを訪問していただきありがとうございます!これを励みにして頑張って投稿します!

メールと電話で寝はぐれて・・・

今日は新聞休刊日。新聞の読めない朝は何故か物足りない。かなり新聞に依存している!?

昨日は荒れ模様の天気の中、プールに出かける。とはいっても朝からいつもの元気が出ない。睡眠不足に違いない、と思って、午後昼寝をする。少し寝ると元気も出てきて、午後3時過ぎから泳ぎに出かける。

夕方に差し掛かる時刻では泳ぐメンバーも違ってくる。歩く人もほとんどいなくてどの人も泳いでいる。泳ぐ人を見ているといつもの年老いた人でなく平均年齢が若い。また女性がいない。その中で昨日も1キロ泳ぐ。

泳ぎ終えて外に出るとすぐに春の嵐になる。折りたたみ傘を持って行った。傘をさすと橋の上で強風に煽られ、傘の骨がグニャッとなる。それでも変になった傘をさしてどうにか最寄駅に到着。JRに乗って我が家につくころには雨も止む。

帰宅後、携帯電話を見るとメールが入っている。女子会のNO.4さんからだった。ブログを見た後、スペイン語の翻訳でパソコンの翻訳機能を知らせてくれるメールだった。その機能は知っていた。

いつも教えてくれてありがとう!時々、ミニミニ女子会しようね。先ほど〇〇子ちゃんに電話してその件、話しました。「会える時に会おう!会うときは電話して!」との結論になりました。

昨夜は泳いだ後なので早めに就寝!?ところが、寝ようとしているとメールが入る。スペインで同行した人からのメールだった。今週末、東広島市でのコンサートに出演するという。そのやり取りの後、知人から電話がかかる。その前に定例会の連絡の電話をしていて通じず、その返事だった。

韓国へ出かけているはずのモノが電話をするのはおかしい。韓国行きをキャンセルした旨話すと「今韓国へ行く方が変!」と知人は言ってくれる。そして定例会と東広島のコンサートの話をする。電話を切ったあと、今度はスペイン語の人から電話がかかる。

その人は長年、大学に勤務していた女性でいつも励ましてくれる。昨夜も“純粋な人(!?)”と言われた。これは他の人からも言われることがある。騙されずにこれまで生きている!?それでも人から見れば危なっかしいところがあるのだろう。いろいろと忠告してもらう。あり難い!

何と携帯電話なのに1時間以上も話していた。次第に夜も更けて行く。完全に目は就寝モードから離れて寝はぐれてしまった。

今朝は母の夢で目を覚ます。喉が渇いている母に水分補給をしようとする。だがトロミをつけるトロメイクが見つからない。飲んだ後元気になっていく母の夢だった。遅い起床となる。

「しっかりしんさいよ!」と母は言おうとしたのだろう。

今日はお天気も穏やかで気持ちよい一日になりそう。今日も元気を出して頑張れ!

2013年4月14日日曜日

スペイン語の作文

今日は最高気温21度の予報で暖かくなりそう。

昨日の地震は新聞によると震源地辺りの淡路島では大きな被害が出ている模様。先ほどもパソコンのメールに余震の報告が入る。住んでいる町では大きな被害もなく穏やかな日々。しかし、何もかも奪ってしまう天災は何であれ怖い!

昨日は夕方スペイン語の講座へ出かけるまで“旅”についてスペイン語での作文をする。1年間スペイン語を習っても、まだちゃんとした文にはできない。ましてや「西日辞典」しか持っておらず、日本語をスペイン語にするにはその辞書のうらに書いてあることしか応用できない。

これでは外国語を学ぶ基本的なモノが欠けている。近いうちスペイン語の電子辞書を購入しよう。

それでもどうにか授業までに文を作って会場に出かける。

その内容を以下のように話す。この話の底辺には教室の先生がペルー人ということもある。

先週、韓国へ出かける予定だったために今日のスペイン語の授業を休むと話した。だが、それをキャンセル。今日は韓国の旅の話でなく1996年に出かけたペルーの旅の話をする。成田から飛行機でリマへ着く。リマからバスに乗りクスコへ到着。そのホテルでコカ茶(高山病予防のため)を飲む。だがクスコは高地のため高山病の症状が出る。その日の観光を取りやめホテルで休む。

「高山病」は「日西辞典」がないためわからない。「スペイン語で高山病はどういう?」

翌日はツアー客の人と一緒になって観光する。しかし、私はもう一度ペルーへ行きたい。なぜならばウロス島、チチカカ湖、マチュピッチュ、ナスカ地上絵など素晴らしい観光地もあり、料理も美味しいペルーが好きだから。

このような話をした。しかしこの文を作る最中でもまず「1996年」のスペイン語読みから躓く。たったこれだけの文なのに「日西辞書」がなくて時間がかかる。

ノートに書いたものを皆の前で読み上げる。このクラスに入ってほとんど声を出さないモノがいきなりの発言。驚かれたようだ。

作った文は間違っているだろう。報告した後、先生にすぐに次回までに手直しをお願いする。

終わると、シニア協力隊で海外にボランティアに出かけたことがある人からほとんど正しい文と小さい声で言ってもらう。先生もその文をわかってくださったらしく、要約を再度話される。

その後、他の人の話を聞く。この会のリーダーもノートを読み上げる。大概の人はこれまで海外に出かけた地域を羅列する。

ここ数日、もやもやとした日々が続いた。だが昨夜はそれもなくすっきりする。今日はこれから泳ぎに行こう。今日も一日頑張って!

2013年4月13日土曜日

緊急地震速報etc.

今朝5時半、大きな音がして目を覚ます。なんと鳴り響いていたのは携帯電話の緊急地震情報だった。携帯を4ヶ月前に買い換えた。それまでの携帯で今朝のような音が出ることはなかった。ところが、アラームよりも何か違う大きな響きで目を覚ます。

外からもサイレンのような音が聞こえる。すぐに携帯のワンセグでTVを見ると播磨灘で震度6弱の地震と伝えている。そして地図上では広島は震度4と表示がある。だがそれほどの揺れはない。これからもっと大きな地震が起きるのかと心配する。だがそうでもなさそう。

先ほどパソコンに送られて来た新聞社からの緊急メールを見る。住んでいる町は震度2だった。

今朝は最低気温4度で寒い。この数日寒い日が続いている。こんな異常気象だと地震が起きてもおかしくない!?ともあれ、大きなコトにならないようにと祈るばかり。

寒い日が続くと、桜もすぐには葉桜とならず、花びらもまだついている。長いお花見になりそうだ。

昨日も寒かった。近くの区民文化センターへ新たなことを習いに行く。だが、これは私には向かない。教室にいる間の2時間半、何と退屈。この時間、泳ぎにいけばよかったと悔やまれる。しかし、係りの人は機嫌を取って次も来るようにと言ってくる。

会場へいく前、近くの友だちとセンター内にあるレストランでお昼を食べる。

最近、韓国行きで色々とごたごたする。昨日はそれも決着がつく。とはいっても長く生きてきて人から金銭を要求されてモノゴトが解決したのは初めてだった。今回の件ではいい勉強をさせてもらった。怪我でなくて良かったと思うほうが賢いのかもしれない。そういう人とは今後一切付き合わない!

わかちゃんとお昼を食べていると気も晴れる。長年の友だちはやはりいい。これからは友だちを選んでもっと賢く接しよう!

つまらないことに気をとられないようにして今日もわが道を行く!さあ元気を出して!

2013年4月12日金曜日

チャレンジ、チャレンジ!

昨日は「春まだ遠し」の一日だった。今朝の地元紙を見ると「凍える春 雪の華」と題して広島、島根両県の県境付近では10センチ前後の積雪が見られたという。今朝も同じく寒い。

昨日は慌しく過ごす。午前中、旅行社へ電話して韓国行きをキャンセルする。その後、新聞など旅行のためにストップしたものを解除する電話やメールを入れる。その後は気分を入れ替えるべく、土曜日のスペイン語の“旅”についてスペイン語で作文をする。その後、しばし友だちと電話で話した後は、旅行社へ出向き、キャンセルの手続きをする。

無愛想に応対されると思っていたらそうでもない。来月、同じ旅行社で北欧へ出かける。申し込み先は福岡だが同じ会社のためか、昨日の支店でもそれが確認された。

これで気分は韓国から北欧モードに切り替わる。北欧はまだ出かけたことがない。だが、スペインへ行った際、利用した航空会社はフィンランド航空。トランジットでヘルシンキの空気を少し吸ったことがある。北欧の旅は楽しみ。

旅行社の手続きを終えるとスペイン語の始まるまで2時間半もある。昨日、何度も韓国行きの件で電話で話した女子会の会員NO.4さんに携帯電話をかけるとすぐに会ってもらった。ありがとう!

その人も韓国行きを別のグループで予定していた。互いにキャンセルとなった韓国行き。スペイン語の講座の場所はその人の家から近いため、付近のお店もよく知っている。商店街を歩くとデパートなどのお店と違って味わい深いお店が多い。その中のインド料理のレストランに入る。

外国で食べる、中に何も入っていない“ナン”と違ってお店のはとても美味!地元の交響楽団の団員も出入りするというお好み焼き屋もある。次回はそのお店に行きましょう!

友だちと話していると、パソコンに強そうだ。出会う前までワインをネットで注文しようと検索中だったらしい。驚いたことは、海外旅行の傷害保険。これもすべてネットでしていると聞く。その金額はなんと旅行社で保険をかけるよりも1割強位で可能らしい。他にもいろいろと話を聞く。

友だちと別れた後は目の前に位置する教室へ入る。昨夜は規則動詞の“ar”のついた動詞のプリントで講義が始まる。教科書では語彙数が少ないのでわざわざプリントをしてくださる。スペイン語の一番の特徴は他の外国語と違って動詞の変化がやたらと多いこと。この規則動詞まではわりと楽だが、そこからが問題となる。そのためか先生も繰り返し教えてくださるのだろう。

授業が終わってエレベータに乗ると若い女性が多い。どの人もフラメンコを習っている人かと思いきやそうでもなさそう。そしてフラメンコのイメージが付きまとうスペイン語。だがその言語を習う人は意外と派手な人がいない。だから、このグループにスーと入っていけたのだろうか。それともそのよさは先生にある!?

ともあれ、はじめ7人で始めると聞いていたスペイン語。昨夜も新たな人が何人かいる。どんどん増えてくる。

今日は新たなことを始める日。午後から家の近くの区民文化センターで習う予定。しかし、それは私にとって似合っているとは思えない。もしかしてすぐにつまずくかもしれない。ブログに投稿できればいいのだけれど・・・。

今日も元気を出してチャレンジ、チャレンジ!頑張って!

2013年4月11日木曜日

韓国行きキャンセル

冬に逆戻りしたかのように寒い朝。最低気温は6度で最高気温は14度の予報。

先ほど旅行社に電話して韓国行きをキャンセルする。旅行が近づくほど気持が乗らなくなる。海外に何度か出かけてこれほど気持の乗らないことは初めてだ。

行きたくない気持は昨日ピークに達する。一緒に行く予定の人にその旨電話すると出かけるという。だが、その人は前夜、救急で体調を崩し、点滴を受けてきたという。それでも3日も経てば治るからともいう。

病気も大変だけど、それよりも今の北朝鮮情報のほうが怖い。友だちはキャンセル料云々という。

今朝の地元紙を見ると中国地方の企業も中韓出張者に対して注意を喚起している。
昨日旅行社に電話すると、何かあれば取り消すが、今のところこのまま行く予定だと話す。韓国へ何度も遊びに出かけている友だちに電話すると不在。今朝再度その人に電話すると、電話が通じる。その人は入れ替わるようにして韓国へ遊びに行く予定だった。だがその人も1週間前にキャンセルしたという。

今朝、一緒に出かける予定だった人に電話すると、やはり出かけるという。キャンセルする、と告げるとひとり部屋代金について言われる。その代金30000円は私のほうで支払うことにして旅行社にキャンセルの電話をかける。

今回の韓国行きはキャンセル料も取られ、友だちのひとり部屋も払って金額的には旅行代金のすべてに値する。だが、モノゴトは金銭で解決できるものであれば後は何とかなる。精神的な疲労のほうが金銭的なものよりも大変、と母も話していた。

嫌だった韓国行きも決着がついて、今の気持はとても晴れやか。ナニゴトも気持に逆らって行動してもいいことにはならない。

スッキリしたところで気持を入れ替えてさあ今日の行動開始!今日も楽しく!

2013年4月10日水曜日

外国語を学ぶ楽しみ

今日の天気予報では最低気温8度で最高気温14度。それほど暖かい日ではない。

昨日は2週間ぶりにフルートのレッスンへ出かける。教室は新たな場所に移り、何もかも真新しい。総ガラス張りの教室もブラインドがあり、少しは人目からも隠れそう。だが、その会場は以前はその階全体が食堂街であり、斜め前の窓から外を見渡せば和風庭園がある。元は高級な和風レストランのあった場所。その面影が残っている。

それにしてもかなりの数のテナントが入っていたはずだ。皆どこへ行ったのだろう。建物自体もそれほど古くない。世の移り変わりを感じる。

昨日はモーツアルトのK.525の第一楽章をほとんど終えて、次回からは第二楽章の練習に入る。曲自体は速い。だが、練習ではかなり速度を落としている。基本練習のソノリテの後は、再度倍音の練習をする。楽器演奏はどの楽器も指を使う。特にフルートは指使いもレッスンの一つ。独りよがりに吹いていて、難しい指使いになると先生から替え指を習う。すると指使いも楽になる。

フルートは息を長く出して吹く。家で練習していてマウスピースを口に当てる位置を考えていると長く息を出せた。昨日、先生にその話をする。いつもああだ、こうだと家でやっていて気づいたことを話す。肺活量が少ないので長く音が出せる方法が見つかるとつい嬉しくなって先生にそのことを話す。

先生も今週は何を言い出すやら・・・・と思われるかもしれない。その辺はよろしくお願いいたします(笑)。

週末から韓国へ出かける予定。ところが昨夜のテレビで北朝鮮が韓国にいる外国人に注意を促している。それでなくても今回の韓国行きは気になることが多い。テレビの放送を見て一緒に行く友だちに旅行の是非の電話をかける。無理な旅行ならば旅行社から待ったがあるだろう。

韓国といえば言語はハングル語。以前2度ほどハングルに挑戦したことがある。だがその文字に愛着を覚えず挫折する。

昨夜、外国語に関してのコメントを戴く。それには「何か知らないものに出会える期待と未知の世界をのぞいてみたい」気持が外国語を学ぶ楽しみと書いてくださっている。その意味で今回の韓国行きはハングルの学習に負けてしまって言葉もわからず、その国の文化などにも興味をひかれないところがある。

私にとっては近くて遠い国、韓国。北朝鮮の挑発もなく、無事楽しい旅行が出来ますようにと祈る気持で韓国に出かけよう。

今日も元気で!

2013年4月9日火曜日

映画「最高の人生の見つけ方」より


入学式のシーズン。家の前には小学校がある。真新しい服装の親子のほほえましい姿が目立つ。地元のスーパーへ出かけても「ご入学おめでとう」のテープが繰り返し流される。新たなことが始まるこの季節。いくら年を重ねてもやはり春はいい。

昨日は近くの友だちと急遽、夕飯を食べに出かける。相変わらず取り留めのないことを話しては食べる。お店で長居をした後、家に帰るとBSで「最高の人生の見つけ方」の映画を放映している。タイトルに惹かれて映画を見る。いい映画だった。最後に流れる“Say”の音楽。この歌詞が画面に出ている。その言葉にさらに惹かれる。

病室で知り合った2人の男性。その2人は人生の意味を問いかける。「人生の喜こびを見つける」と結論付けた2人は行きたいところへ出かけ、やりたいことをメモしていく。それを次々と実行する。その結果、「赤の他人を救う」ということに人生の意味を見出す。

そして亡くなった1人の弔辞で残った1人は「私たちは互いの人生に喜びをもたらし合いました」と述べる。男性2人の人生最後の旅。あるときは余りにも男性2人の仲が良すぎて互いの家族の顰蹙を買うこともあった。だが、それも理解される。

そして映画の最後で「人生の価値を決めるのは難しい」、と。

テレビを通してみる映画。いい映画だった。もし、これが女性2人だったらどういう風なシナリオになるのだろう。そう思ったりする。

今日は夕方から2週間ぶりのフルートのレッスンへ出かける。今日から教室も新たな場所で始まる。新入生の気持でフルートのレッスンを受けよう。今日も元気を出して!

以下はネットで検索した英語の歌詞を引用したもの。
Say what you need to
Say what you need to Say what you need to say...
Take out of your wasted honor Every little past frustration Take all your so called problems Better put 'em in quotations Say what you need to say (x7) Say what you need to saaaay... Walking like a one man army Fighting with the shadows in your head Living out the same old moment Knowing you'd be better off instead If you could only Say what you need to say (x7) Say what you need to saaay... Have no fear For giving in Have no fear For getting over You better know that in the end It's better to say too much Then never to say what you need to say again Even if your hands are shaking And your faith is broken Even as the eyes are closing Do it with a heart wide open... wide... Say what you need to say (x7) Say what you need to Say what you need to
Say what you need to say...

2013年4月8日月曜日

「前向きに生きることが生きるエネルギーのすべてを生むのだ」

今朝は最低気温6度で寒い。こんな日は起きるのが遅い。日中の最高気温は17度で暖かくなりそう。

昨日は近いうちに出かける韓国旅行の仕度をする。朝鮮半島は初めて出かけるところ。一番の気がかりは食べること。何でも食べる方だけど唯一の苦手はにおいのきついもの。キムチなどはとんでもない。そうはいっても「郷に入っては郷に従え」のことわざどおり、好き嫌いを言わず食べるようにしよう!

いつも見ている人の昨日のブログに力強いお言葉を書いてくださっている。ここに勝手に引用させていただこう。

「今日は少し感動した話を友人のブログで観た。外国語を学ぶときにクラスの雰囲気や偉そうに外国語10カ国も話すもんねと自慢する輩、はじめて学ぶ時のドキドキ感が綴られていた。そして必ずこういう時に応援をしてくれる人が近くにいる。その人の優しい言葉に読んでいて胸が熱くなった。昔中学生のころにはじめて英会話学校に通ったときにも、何も話せない僕に優しく声をかけてくれた人がいた。

だいぶ年上だったのだけれど、ぼくがへこんでいたときに五反田駅のガード下で一緒にご飯を食べてくれて、『俺、もりたひろし、よろしく』『舛井君は若いからすぐにうまくなるよ』と激励してくれた。それから猛烈に勉強して上級クラスを目指した日々を思い出した。

このブログの方はこう書いている。『そしてその人はいつも話の終わりになると大学で学んだことを褒めてくれる。底力はある、と。スペイン語をやめると勘違いされているのか「頑張るんよ」と慰めてくれる。』こういう言葉は後からひしひしと胸に迫ってくるものだ。

前向きに学ぶということを大切なことと知っている人が、こうして学ぶ人を励ましているのは、本当に素晴らしいこと。こういう人が必ず近くにいて観ていてくれているというのをその後何十年にもわたって、いろいろな場面で確信する。僕も褒められてここまで来た。

僕が大学院を出たのは会社に入って8年後だった。このブログの方は仕事をやめられてから大学院も出た。凄いことだ。尊敬している。優しい人たちに恵まれて、そしてその周りには過去から現在までこの人を守る霊魂がしっかり支えていることが手に取るように分かる。前向きな人の足を引っ張るものなどあってはいけないし、すぐに消えてなくなる。前向きに生きることが生きるエネルギーのすべてを生むのだ。頑張ってください。」

おお、何とあり難いお言葉。ありがとうございます。とりわけ最後の4行、なかでも「過去から現在までこの人を守る霊魂がしっかり支えている」に吃驚!そうだといいんですけど・・・。

このスペイン語講座で褒めてくれる人は社会人で通った大学の学部の受付を10年前までされていた。そのためか、その人と入れ替わるようにして大学で学んだことを評価してくださる。

見かけによって人を判断する人がいる。いつも人から大人しく見られているので何を言っても気にしないと思われやすい。だが、たとえ大人しく見えても人の感受性は同じようにある。

その意味でも舛井先生がブログに書いてくださっている、「前向きな人の足を引っ張るものなどあってはいけないし、すぐに消えてなくなる。前向きに生きることが生きるエネルギーのすべてを生むのだ。」は私にとって力強いお言葉です。ありがとうございました。頑張ります!

2013年4月7日日曜日

長~い一日は終わった

昨日から今日にかけて春の嵐になるとの天気予報も広島辺りではそうでもない。だが、今日は最高気温12度、最低気温10度の予報で冬に舞い戻った感がある。

昨日のブログで一つ書き忘れている。一昨日、プールで泳いできたこと。最近、元気がない人が多いのでそのほうに気がとられてしまい、つい書き忘れる。一昨日も元気を出して1キロ泳いだ。1年半くらい前から泳ぐことも習慣になる。いつまでも続けられるよう泳ぐ習慣を維持しよう。

さて話は昨日のこと。よく動いた一日だった。友だちに誘われて講演会に出かける。待ち合わせの時間まで15分ある。次の火曜日からフルートの教室が移転する。友だちと会う前、新たになった教室へ行って見る。総ガラス張りの教室でレッスン室が丸見えだ。慣れるまで落ち着いてレッスンを受けられないかもしれない。頑張ろう。

友だちと合流後は、講演会の入場券があるにもかかわらず、さらに他の入場整理券を渡すという。それを受取るとお昼を食べに行く。

講演会の講演者は哲学者の鷲田清一氏。演題は「命の世話~ひとりを生きること・人とともに生きること~」。サブタイトルは「『人生100年』時代を生き抜く哲学」。主催者は有る女性団体。現代の社会を2分類することから話が始まる。

一つは競争社会で人を能力によって選別する社会。もう一つは存在を承認する社会。すなわち人間をケアする社会。

このケアは講師によると人間のみにあるとか。このケアにちなんで“campany”「会社」を例に挙げ、“com”は「一緒に」、“pan”は「パン」で一緒にパンを食べる意味だとか。日本語では「同じ窯の飯を食う」になる。

「会社」はセイフティネットで発足し、介護も「ケア」するという本質的な意味があったらしい。それも現代では失われている。コミュニティも消えた。

このコミュニティは労働がないという。代表的なものとしてのコミュニティはニュータウンのマンション。これは、そこから仕事に通う消費する社会である。

明治以降、日本は「知力」と「体力」を充実させた。その結果、命の世話は国が引き受け、すべては「プロ」がする。教育は「教師」、医療は「医師」、薬は「薬剤師」、火事になると「消防士」、揉め事が起きれば「弁護士」や「裁判官」が出るなど、すべてはその道のプロに任せる。それにより世界一の長寿社会、安全な社会、清潔な社会となる。

だがこの結果、地域社会の営みは薄れる。冠婚葬祭もすべてその道の業者が請け負い、地域での活動はなくなる。

講演者はプロの仕事をプラスとしながらも、地域社会の営みの希薄をマイナスと捉える。

そしてこのマイナスの人はクレーマーに成り下がる。お役所でもどこでも問題を提起する。このクレーマーは“c”で始まる。市民は“citizen”。この“c”で始まるコンシュマー、クライアントなど、これらはコミュニティの力をなくす。それは市民の力の消失ともなる。

そのためか、朝ドラは拡大家族を描き、失われたコミュニティの力を訴える。だがそれもファンタジーの世界であり、難しい時代となっている。それには中央に対する地域の力が必要だ。地方でもいいらしい。

そのためにはインターディペンデンス(自立)のネットワークである相互扶助を利用しようという。だがこれが弱くなり、すべてをプロに預けている。そうではなくインターディペンデンスを回復させてリーダーが持つ資質をフォロワーが持つ。そして全体を「ケア」する「しんがり」が必要だと説く。

これを聞いて地域に余り貢献していないものとして耳が痛い。ともあれ、自立の精神を失わないようにして元気に楽しく毎日を過ごし、最後はその道のプロにお願いする、これに限る。

講演を聞いた後、友だちと本通りの宝石店へ行く。友だちはクロスのダイアのついたネックレスを1年前に紛失。その代わりを昨日購入する。余り宝石類に関心がない。そうはいってもきれいなものはやはりきれいだ。

その後は、友だちと三越でティータイム。ケーキセットでホット一息する。友だちから映画の話が出る。最近はTVで映画を少しは見る。だが、映画館では何年も見ていない。韓国から帰ったら一緒に見ることにする。

友だちと三越でわかれ、スペイン語の講座へ出かける。昨日は春の嵐の予報で生徒は少ない。先週休んでいる。昨日は映画の話をスペイン語で紹介する日だったようだ。

皆、スペイン語で話し始める。先生から聞かれても何もいえない。仕方なく映画の話は話せない、とスペイン語で話す。来週は旅行の話。来週、韓国へ出かけるので休むと話すと、その話を次回スペイン語でするようにと先生は話される。そう話される言葉もすべてスペイン語。隣の人に聞いてその意味を理解する。

教室の始まる前、生徒の一人は言う。何と10ヶ国語を話すらしい。その習得のやり方を偉そうに話す。

講座も終わり、3人で広島駅まで歩いていると、先ほど話した人でない人がきつくその人に向かって言い出す。その意味は内容が伴わなければいくら外国語で話してもその価値がないといいたいらしい。

鋭い指摘だ。指摘された人は教室での映画の話でも同じ言葉である「私は~が好きだ」を20回くら言って文を羅列する。いくらスペイン語がわからなくてもその言葉だけが聞こえてくる。「内容が伴わないで話す人は魅力がない」、ともう一人の人はその人と分かれた後もしきりに話す。本当にそう思う。

そしてその人はいつも話の終わりになると大学で学んだことを褒めてくれる。底力はある、と。スペイン語をやめると勘違いされているのか「頑張るんよ」と慰めてくれる。

今はスペイン語を自由に話せない。だから人から何を言われてもかまわない。とはいっても10ヶ国語が話せるという人にそこまで偉そうに言われる?と思ってしまった。そういう意味でも早く話せるようになろう。頑張れ!スペイン語。

2013年4月6日土曜日

春なのに、春だから・・・

今日と明日は日本全国大荒れの気象とか。雨と風が吹き荒れるらしい。最高気温と最低気温の温度差も僅かに3度。まだ落ち着いた春ではなさそうだ。

“春”というのに、先日来から東京の友だちから病気の頼りが何度も届く。昨夜、夜9時にTV出演した小澤征爾と同じ病気らしい。送られた封筒の裏には小澤の指揮をしている切抜きが貼ってある。

誰がどういっても病院は嫌い!だがその人は手紙の中で落ち着く場所と書いている。そう書かざるをえない状況がそう書かせるのか、その辺りは理解できない。とはいっても、病気だから病院を頼らざるを得ないからその心境になるのかもしれない。

そしてその中には他にも「2つに1つ」と表現している。「生きるか死ぬか」というのだろう。これを受取ったものとして、読むほうはとてもしんどい。理解してあげねばならない。だが、自分のことで精一杯生きてるものとしてそれは簡単なことではない。「どうか早く元気になって!」と祈る言葉しかその人に伝えることが出来ない。

一昨日のことである。我が家に地元の銀行員がやって来た。その人と話していると、1年3ヶ月休職していたという。そして我が家の担当が交通事故を起こし5月まで休むので本部から応援に来ているという。応援する人は精神の病で休職したあとで、今も体調は良くないらしい。

こんな話を聞くたび、皆、お願いだから元気になって!と願わずにおれない。

春なのに・・・。皆元気を出そうよ!

人にばかり元気をすすめる前に、ひとりで暮らしているものとして決して病気は厳禁。とはいってもいつ、どこで、どうなるか誰もわからない。

いろんなことを思っているうち、昨夜は先日地元の区民文化センターで手にしたお稽古事を習うコトに決める。スペイン語もどうにか落ち着いてきた。春なのに、いや春だから新たな事を始めよう。どこまでやれるかはわからない。とりあえず来週から習うコトにした。

私にとっての元気は、いつもこうして何かに関心を持つことかもしれない。最近読んだ清川妙の本にも“好奇心”がある。そう、私にとっての元気のモトは「好奇心」。新たなことを始めるのもすべては好奇心から。

以下はその人の本から抜粋したものである。今日も一日頑張ろう。これからフルートの友だちと元阪大総長の鷲田清一氏の講演を聞きに出かける。

『清川妙のひとり暮らしを輝かす』(河出書房新社、2013年)

「演出家なんていらない、と、自分を甘やかし、気分のままに自分を放任しておくと、何か悲しいできごとなどあったときには、坂道を転がり落ちるように、老けていくような気がする。」(28p)

「人は得てして、平凡な日常生活の中にあるしあわせには気づかない。失ってはじめて、人はそのことに気づく。」(33p)

「世の中には、“はかなきことで心がなぐさむ”タイプと“どうしたって沈み込むばかり”のタイプとがあると思う。はかなきことーほんのちっぽけなことで、心がふっと浮きあがる人は、喜び上手な人であり、いい心のバネを持っている人なのである。」(112-113p)

「すてきな老い」を映画に見るから、では「八月の鯨」から“すてきな老い”を引用している。
★おしゃれを忘れない
★楽しい思い出を飾った部屋
★花を愛し、自然を愛す
★男友達もいる
★姉を支えて生きている
★生活の演出がみごと
★情熱と誠実こそ信条
★好奇心を持ちつづけること(134-139p)

「何かに好奇心を持ち、すぐに調べる。その結果について感動する。そのプロセスを持続してこそ、年をとることの醍醐味を堪能できるのだ、と。」(150p)

「何が大事か、ということは人によって違う。これが大事ですよ、とアドバイスするのもむつかしい。とにかく、優先順位は自分できちんと決めよう。その順位の一番のものを、意志をもって守り抜く。そのことだけはおすすめする。」(179p)

「友達とは、やはり、ギブ・アンド・テイクの間柄でなければ、決して長くはつづかない。ギブ・アンド・テイクとは、物のやりとりだけをいうのではなく、心の問題として、私は言いたい。“よき友”をふとしたきっかけで得ることのできるのが、人生の愉しさであろう。その友は、年齢を問わない。おたがいの心の素はだを触れ合って、うちとけあえ、支えあえる友こそ“よき友”なのだ。そんな友を持っている人は、人生の貴い財産を持っていることになる。」(202p)

2013年4月5日金曜日

桜に寄せて

今朝は最低気温も2ケタ台となり11度、最高気温も20度の予報。このいいお天気も今日までで明日からは雨になりそう。これで今年の桜も今日で終わり!?

桜といえばいつも訪問する人の昨日のブログに以下のように書いてくださっている。いつもありがとうございます!

「友人たちのブログなどを見ていると桜があちこちで満開だ。瀬野川の護岸の桜並木に行った友達は家の近くにこんな素晴らしいところが、と改めて地元の素晴らしさをたたえる。そうなんだよなあ、、近いと却っていかないものな。。我が家の周りにも善福寺公園、石神井公園、井の頭公園、関町公園と4つも名所があるのだけれど、近すぎて頻繁にはいかない。・・・」

桜はわが国の花。日本全国、どこにでも見られる。その桜の花を愛でる楽しみは日本独特のものだろうか。近いうち韓国へ桜を見に出かける。その国の人たちはどのように桜を楽しむのだろう。それも旅の楽しみとして見てみよう。

昨日は近所の友だちに「お宝トマト」という初めて聞くブランドのトマトを貰う。貰った後、自転車に乗ってホームセンターへ行く。そこで「皇帝ダリア」と「桔梗」の鉢植えの苗を購入。桔梗は随分前に購入して庭に植えた。だが日当たりが悪いのか育たなかった。昨日は買った2つの鉢植えをダリアは大きな鉢に植え替え、桔梗は庭に移して植えた。大きく育つといいのだけれど・・・。

鉢植えを購入後、友だちと自衛隊付近のお好み焼き屋へ行く。久しぶりに自分たちで焼いて食べる。

そういえば自衛隊の桜。明日とあさっては自衛隊内部も解放されて誰でも桜を見にいける。数年前に一度、車椅子を押して母と出かけたことがあった。自転車でもかなりの距離がある。生憎明日とあさっては雨の予報。今年の人出はとうだろう。ここも見事な桜並木だ。

友だちと分かれた後、夕方からは市内へ出てスペイン語の講座へ行く。少しはやめの到着だった。先生と話している人の輪に加わる。その後次第に人もやってくる。

昨夜はフラメンコを習っている人たちが先ほどまで踊ってきたという。そのためスペイン語を休む人もかなりいる。踊ってきた人の話ではフルートと同じ会場で習っているらしく、会場移転のショーで踊ったらしい。昨夜、話していた人はフラメンコのダンサーそのものの雰囲気がある。誰かが純粋の日本人?と聞いていたけどそんな感じの人だった。

そういえばスペイン語で“Tablao”はフラメンコ専用のレストランで、それ以外は“Tablado”とか。“d”が専用にはついていない。

講座でこのように話が横道にそれるときが面白い。

終わった後、エレベータで一緒になった人と外に出て立ち話をする。その人から「他にも外国語をやっているでしょう?}と聞かれる。「鋭い指摘!」と驚く。逆にその人に聞くと英語をやっているという。先生と大概の人は顔見知りらしい。そう思ってたずねるとその人も半年前に10回のコースで先生からスペイン語を習ったという。

もしかしたら今回の講座で先生と初対面だったのは私ひとりだけかもしれない。

その人と話していると、先生は数人で外に出てこられる。何と先生宅は習っているビルの商店街にある薬局だとか。「ケンケンで家に着く」と先生。すると話していた人は「同じ家にいるようですね」。

そこから1時間掛けて我が家に向かうモノとでは大違い。だが、2月から休みながらも講座へ通っている。昨日の講座でなじみの人も出来る。

今日はお天気もいい。これからお昼を食べて泳ぎに行こう!元気を出して今日も頑張ろう!

2013年4月4日木曜日

桜を見に行く

今日の最高気温20度、最低気温8度の予報で晴れ渡っている。昨日もいいお天気だった。家にいるのがもったいなくてお昼を済ませると自転車で外に出る。踏み切りで遮断機が下りた際、近所の友だちに電話すると外に出るという。

その人の家に自転車を置いて一緒に桜を見に行く。出かけた場所は瀬野川の護岸の桜並木。中野駅までの中間地点に屋根のついた休憩所がある。そこでコンビニで仕入れた缶ビールとおつまみでお花見をする。近くのお年寄りはそこで将棋や雑談をしている。
瀬野川の護岸に咲く桜と白い花(?)
近くではほかにも沢山の人がお花見に来ている。雑談中のおっさんたちはビール片手にしゃべっているモノにむかって日本酒の紙パックを出してきて「飲むかね?」と声を掛ける。日本酒は2人とも飲まない。人のよさそうなおっさんだ。話していると80歳なのに認知症の奥さんがデイサービスに行ってる間に遊びに来るという。

その人は認知症の奥さんの世話や日常のこともすべて1人でしているという。そして自身も昨年秋、大腿骨を骨折し、腰掛けるのが大変だと話す。大腿骨骨折は母も経験済み。これが元で母も衰えが急激に目立つようになる。

桜を見に来る人たちは顔なじみらしく、来た人々に紙コップを出してはお酒を注いでいる。しばらく桜を見た後、帰ろうとすると、今度はいつ見に来る?、とおっさんから聞かれる。家にいても退屈なので外に出てみんなと話がしたいのだろう。とはいってもその場所へは年に一度の桜の時季しか行かない。

桜を見た後は旧山陽道を歩く。途中からお寺などがある山道を歩くと白いタンポポを目にする。タンポポは黄色いものと思っていた。白いタンポポを摘んで持って帰る。途中、お寺に入ると綺麗に庭が掃き清められ、街中にあるお寺とは思えない風情が残っている。別のお寺にも行ってかなり遠回りをして友だちの家に到着する。そこでしばしお茶を戴きながら談笑する。

長く生きていても家の付近にあるちょっとした場所を知っていない。時々は近場を歩くのもいいかもしれない。

今日もいいお天気。こういう日は家にいるのがもったいない。外に出るべきだ、と思っていると先ほど友だちから電話がかかる。友だちも人から送ってもらったという「お宝トマト」をくれるという。そして「皇帝ダリア」の苗を買いに行こうともいう。これから、早速貰いに行こう!

今日も元気を出して!

2013年4月3日水曜日

厚生年金基金問題から

今日は最高気温18度で暖かくなりそう。だが朝から風が強く吹いている。

昨夜は生憎の雨のなか、わかちゃんと近くのお店に出かけて夕飯を食べる。いつものように他愛のないことばかりを話しては飲んで食べて楽しく過ごす。近くに友だちがいると気軽に会って食事が出来る。この点がいい。桜を見に行く予定が雨のため、夜に変更する。桜も今週一杯が見ごろだろう。後で自転車に乗って見に行こう!

話は変わって、2,3日前、「受給者の皆様へ」と題された書類が所属する厚生年金基金から送付されてきた。昨日の地元紙では「厚生年金基金9割解散へ」の大見出しがあり、その1割はこれからも存続することが可能とある。

送られてきた基金からの報告では書類の最後に「今後も皆様方に安定的に年金を支払うことが可能となります。」と結んである。一生涯このままもらえると思うとホッとする。

民主党政権時では厚生年金基金をすべて廃止する方向で動いていた。ところが自民党政権に代わり、存続も可能となる。

人よりも早くリストラの憂き目に遭い、仕事を離れた。その時は、親と一緒の生活で何も考えず過ごしていた。ところが親もいなくなるとすべては一人で考えて生きていかなくてはならない。幸い、早めの退職でも楽しく生活している。その間に、浮上した厚生年金基金問題。

これも勤めていたところではこれまでどおり、この制度は存続し、受給可能。良かった!とはいっても、少しは受給額の見直しを迫られるだろう。

だからといってやりたいこともせずに、鬱々と毎日を過ごしたくはない。これまでどおり、可能な限りできうることをやっていこう。楽しい毎日を!

さあ今日も元気を出して頑張れ!

2013年4月2日火曜日

情報etc.

今日は一日雨だろうか。朝から雨が降り続く。日中の気温も上がりそうにない。昨日の春らしい陽気はどこへやら。

昨日は1年半ぶりに短大時代の友だち3人でランチをする。出かけた場所は土橋電停下車すぐのレストラン。この辺りはほとんど来ることもない。途中、原爆ドーム前辺りの川の護岸では満開の桜の下で多くの人がお花見をしている。また「全国菓子博覧会」(菓子博2013)の開幕寸前のテントやバナーがずらーと並ぶ。

今日は広島駅付近ではカープの本拠地でのプロ野球開催日。広島の春は愈々本番、といった感じだ。夕方からは雨もあがりそうで試合もあるだろう。

昨日はいろんな情報が飛び込む。ランチに出かける前には、先日タイへ出かけた友だちからお土産が郵送される。アユタヤの絵葉書2枚、タイシルクで出来た小銭入れ、タイのチョコレートなどが入っていた。中でもかわいいシルクの小銭入れはとても気に入った。ありがとうございます!

ランチの場所は広亭タナカ。人から教えてもらったというレストランで、女性が好みそうなしゃれた雰囲気のお店。入り口付近は季節の花が咲き乱れ、ミニミニガーデン風でお客を招く。中に入ると新年度のためか新入社員風の人々の歓迎会も見られる。

ゆっくりと食事の後は、降りた電停前で目にした「中村屋」に入る。このお店は若い頃から一度は行ってみたいと思っていた。電車を降りてそのお店に気づく。もう吃驚!ランチよりそのお店に気をとられてしまった。

今では経営者も変わっているらしい。それでも中に入ると良き時代の音楽喫茶の雰囲気が残っている。ランチも珈琲も安い。さらに、繁華街に見られるチェーン店の喫茶ではなく、趣がある。

月に何度かはクラシックの演奏もあるとか。だが、夜、聞きに行くには少し遠い。余程の人の出演ではない限り聞きにいけそうにない。50人が収容できるとか。いつか聞きに行こう!

友だちとわかれた後はもう夕方。今日会う予定にしている近所の幼馴染に電話する。雨のため、お花見をやめて、夜、夕飯を食べることにする。

夜になってパソコンで遊んでいると、メールが入る。フルートの友だちだった。今週末、市内で講演会があるという。すぐに電話をかけなおして、一緒に行くことで決定。

その後、寝ていると夜中の2時前、ケータイメールが入る。大学からだった。一斉に送っているのだろう。大学のHP上の学籍簿から削除・変更のメールだった。

昨日はいろんな情報の入った日だった。情報といえばもう一つ有る。昨日、岩波書店から送られてきた『図書』4月号。それを見ると、山形孝夫先生の『黒い海の記録』の新刊の掲載がある。サブタイトルは「悲しみを通して人は魂の覚醒に接近するーいま、死者の語りを聞くことー」。

山形先生はお目にかかったことがない。だが、随分前、国立民族学博物館の友の会機関誌『みんぱく』の巻頭言に書かれていた、そのエッセイに感激し、すぐにその旨の手紙を書いたことがある。それがきっかけとなり、著書を戴いたこともあった。今年戴いた年賀状には先の震災の「・・・被災地の方々の深い悲しみを心に留め・・・」と書かれている。今月の新刊もそれに付随するのだろう。この本を読もう!

ブログに投稿しながら「これまでいろいろな人から元気付けられている」と改めて思う。今日も楽しく、元気を出して一日を過ごそう!