今日は全国的に冬に舞い戻ったお天気で寒い一日となりそう。夕方からは傘のマークも見られる。昨日も寒かった。しかし元気を出して泳ぎに行き、クロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。
「元気」といえばブログの最後にその言葉を書くことが多い。毎日訪問している方の昨日のブログに次のように書いてくださっている。またいつものように勝手に引用させていただこう。
「春は別れも多いし、そして生まれ変わる季節でもあるらしい。
そんなことを考えていたら、広島のお友達のブログに春のことが書かれている。もう驚かない。人が思うことはどこかでつながっているし、桜は特別なものだ。一瞬の儚さは何を表わしているのだろうか。花を愛でていても、次々咲き続けるというのはあるけれど、一瞬で木の花が全部一斉に咲き一斉に散るというのも桜ならではと書かれていた。潔さは忘れるために必要かもしれない。
それでもこの広島のお友達は毎月月命日に墓参りを欠かさない。その誠実さと、今日も元気でと自分に語りかける強さ(なのか健気さなのか表現が分からないが)に僕は日本女性の美しさを感じる。」
ありがとうございます。
そう言われてみて初めて何故そう書くようになったのだろうと考える。そして、ふと「強さ」についても考える。
1年半くらい前、中村明の『スペインひる寝暮らし』に書かれていた言葉がある。だがその言葉をはっきりと覚えていない。漠然とながら「強くなければ生きていけない。・・・」を思い出す。ブログ投稿の「本」のカテゴリーから検索すると以下のように投稿している。
「その後『翼よ、あれがスペインの灯だよ』とスペインに戻った中丸は『しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きていく資格がない』(Si no fuese duro、no estaria vivo.Si no pudiera ser dulce、no mereceria estarlo.)『ぼくはそういうふうに残りの人生を生きてみたいとおもっている』(301P)と自己を戒める。」
これはスペインへ出かけた後、読んだ本である。この中村の本に書いてあることにかなり刺激を受ける。中村はスペイン語で訳している。今ならばスペイン語の訳も少しはわかる。だが、読んだころは全くわからず、そのままブログに投稿した。それでも頭にはその言葉が残っていた・・・。
昨日ネットでそれを検索すると英訳があった。それは以下の通りである。
「プレイバック」より
「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きていく資格がない。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」
昨日書いてくださったブログの中の次の箇所は読んでいて何故か涙が溢れる。
「広島のお友達は毎月月命日に墓参りを欠かさない。その誠実さと、今日も元気でと自分に語りかける強さ(なのか健気さなのか表現が分からないが)に僕は日本女性の美しさを感じる。」
決して強さではない!しかし。ひとりで生きていくには自ずと「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きていく資格がない。」のチャンドラーの、この言葉が当てはまる。そのためには「元気」が底辺にある。
一人ぽっちは「元気」でなければ生きていけない。
20年前、ブログに書いてくださった方が書かれた本に感動し、手帳にそのコピーを挟んでいた。そのことをブログ開設2日目に投稿する。それは「人に元気を与えるポイント」(舛井一仁)である。ここに再度、投稿しよう。
1 声を大きく、よく話をする
2 健康である
3 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す
4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする
5 人脈を豊富にし、質を高く保つ
6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない
7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく
8 金銭的に少し余裕をもっておく
9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく
10自分の目標をもって突き進む
「人に元気を与える10か条。」より。
ということで「元気」のキーワードは20年前にその人から教えられたものであり、今に始まったことではない。昨日改めてそれを思い出す。
そして人の幸せを「健康」「自由」「生活面」とするならば、今のところどうにかそれも揃っている。だが、母はいつも言っていた。「いいことは長く続かない!」。この3つは母を亡くしてわかったこと。そのなかの「健康」はいつまでも続くとは限らない。
「健康」=「元気」。そう思えば、毎日を楽しく暮すためにも「元気」が欠かせない。そう、やっぱり今日も「元気」で頑張ろう!
ブログに投稿してくださり、ありがとうございました!
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