今日から今夜にかけて冬に逆戻りして寒くなるらしい。「泳ぎに行くべきか行かざるべきかそれが問題」になりそうな一日だ。
昨夜はフルート定例会。いつものように3人で集まる。今月からフルートのレッスン会場が変更となる。食事前、その会場でレッスンを受けていない尾道の人を新たな会場に案内する。
会場のあるビルはこれまでレストラン街だった。だが今ではその面影もなく、ひっそりとしている。だが、それは「優雅なひと時をレッスン」できそうな場所となる。
階を降りれば、空中庭園に出られる。そして「ここが街のど真中?」と思えるような空間が漂う。知人はフルートのレッスンが始まるまでそこで練習している。そう聞いて吃驚。優雅な響きが街にこだまする!?
一通り案内をしたあと、階を降りて食事に出かける。あのオープン時の華やかだったレストラン街も今はその面影も見当たらない。客足もポツリ、ポツリ・・・。
新製品が出ると先ずは広島でテスト・ケースとして販売する、と聞いている。新し物好きの広島人。だが、それに飽きると寂れた環境が出現する。これも世の移り変わりなのだろうか。
昨夜も1人、一日だけビールご法度がいる。ウーロン茶とビールで先ずは乾杯!いつもの如く他愛ない話をする。今日から開幕する「2013ひろしま菓子博」の話題もでる。昨夜もまた尾道の人にご馳走になる。ありがとうございました!美味しかった!
帰宅後、お昼に図書館で借りてきた本を読む。姜尚中『生と死について私が思うこと』(朝日新聞出版、2013年)。
この本はまえがきで最愛の息子の自死に触れ、雑誌「アエラ」の「愛の作法」に連載されたものを収録した文庫本。
エッセイなのですぐに読める。この中で一つ同感する。「春というのは死と再生の季節であるということを、母親から何度も口癖のように聞かされて育ちました。春になると、いろんなものが死んで、新しい生命が宿ります。・・・母はどういうわけか7年前、丁度春の季節に80歳の生涯を閉じました。
春は残酷な季節でもあるし、また同時に希望あふれた季節でもあります。・・・(2011年の東日本大震災を述べた後)多くの方々が早春の季節に亡くなられました。わたしたちには、春にはやはり生まれ変わる必要がある。・・・」(47-49p)。
筆者の母の名前は「春子」で幼いときに亡くなった弟は「春男」。ともに名前に「春」がつく。そのこととも関連して「春」に対する思い入れが筆者にあるようだ。
これを読んで思い当たる。父は23年前の3月中ごろ、母は2年前の2月中旬とそれぞれ早春に亡くなる。筆者はこの季節「わたしたちには、春にはやはり生まれ変わる必要がある。」と述べて、新たに生まれ変わる「春」への思いを込めている。
この辺りが本のタイトルどおり、ハイライトだろう。
特に「生まれ変わる必要がある」は残されたものに対する力強い言葉だ。
この本を一気に読み終え、次は佐藤治彦『ガイドブックにぜったい載らない海外パック旅行の選び方、歩き方』(アスペクト、2012年)を読む。9割位読んだところで夜も更けて読むのを辞める。
いずれブログにアップしよう。
さて今日はこれからどうしよう。やっぱりお昼を済ませて泳ぎに行こう!今日も元気で!
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