2022年10月22日土曜日

京都一人旅その2(大徳寺)

大徳寺総門

 大徳寺は大燈国師によって1326年に創建され、一休宗純や沢庵宗彭などの名僧を輩出している。また千利休や狩野永徳など後世の日本文化に大きな影響を及ぼした人物も輩出している。大徳寺の総門を入ると広い境内のその先にある緋色の三門(山門、金毛閣とも言われる)に目を奪われる。隣の仏殿(方丈)はただいま工事中。そばにはまた身体をまるで支えられているように見えるほど大きなイブキが植えられている。

大徳寺のイブキ
三玄院


金毛閣(三門、山門ともいう)

大徳寺総務本所
 奥に進むと総務本所があった。辺りで真珠庵を尋ねるがわかる人はいない。それならばと真珠庵はあきらめてさらに進む。その時、一人旅らしい老いた男性が本を手にして歩いていた。真珠庵を尋ねるとわからないという。その人は高桐院を見学しようとしたがコロナで公開されず残念そうだった。これから?とその人に問うと今宮神社へ行くという。
聚光院

左は閉鎖中の高桐院、右へ行くと今宮神社へ
 高桐院は以前は公開されていたお寺のようで、今回の旅でも見学する予定だった。が、公開されてないと知ると予定を変更せざるを得ない。来た道を引き返すと特別公開中の塔頭である総見院があった。ここに入ると受付で特別公開中の塔頭はここを入れて3か所あるという。1か所の塔頭でも探すのに困難を極めている。係の3か所、の言葉を強引に振り切って1か所の塔頭だけ見学する。すぐに本堂で案内が始まるとのことだった。

 総見院は織田信長公の菩提寺で、信長公の一周忌を迎えたその追善のために1583年豊臣秀吉公が建立している。総見院の本堂に入ると織田信長公の25㎝の木造の座像が安置されていた。信長公の木像は人を射るような鋭い眼光をしている。総見院の北庭には茶室三席がならんであった。
侘助椿
このなかは信長公墓地

総見院

総見院茶室

総見院茶室

総見院茶室
 掘り抜き井戸の井筒は加藤清正が文禄慶長の役の際に船の重りとして日本に持ち帰った朝鮮石と伝わっており、今も湧き出ている水を毎朝お供えに使用しているという。
掘り抜き井戸

信長公一族の墓
 総見院のお庭の奥に進むと突き当たりに信長公一族のお墓があった。道を引き返していると侘助椿の大きな椿が植えられている。今は花の時季ではないが開花時は綺麗なこと間違いなさそうだ。

 総見院を出るとまたも真珠庵が気になる。なぜ気になるかといえば司馬遼太郎が歩いた塔頭だからである。来た道を引き返していると女性がやってきた。真珠庵を尋ねると連れて行ってあげるという。その人は地元の人らしく大徳寺へお墓参りに来たという。真珠庵は境内で行きかう何人もの人に聞いても場所が理解できずにいた。その人について行くと奥まった場所に真珠庵はあった。が、公開されていない。写真だけ写して連れに案内されるままについて行くとお昼を食べるお店に連れて行ってくれた。
真珠庵
 食事の前に立ち寄ったお土産屋で大徳寺納豆を買う、とのことでまねして私も一袋買った。
大徳寺納豆を購入したお店
 道を案内してくれた人はお昼を食べてきたという。お昼の場所を教えてもらってその場で別れた。お店は感じがよくないとか。入ると確かにそうだった。外で待つようにとのことで待つふりをしてその場を去る。(どこかいいお店は?)と探すが適当なお店がない。(じゃ、京都駅で食べよう)、と決めてバスで京都駅に向かう。が、京都駅までは1時間かかる。

 京都駅に着くと地下街に入り、ラーメンでお昼とする。早々と食べ終えるとバスで今宵の宿へ。バス乗り場を探すがわかりにくい。(多分この乗り場に間違いない)と思って並ぶ。若い女性に確認するとバス会社が違うので、同じ場所で次のバスに乗るようにと教えてもらう。若い女性はとても親切で自身のスマホで確認してくれた。(私もスマホを持っているのに)、と思ってもまだ操作はできない。

 1時間バスに揺られて宿に着く。フロントでPCR検査結果のSMSが開かず、大変だったけど何とかクリア。宿代5000円、クーポン券3000円をいただく。夕飯は各自の部屋食。夕飯までの時間も(なぜSMSが開かないのか)と何度も試みる。もう気になって仕方ない。が、諦めモードで翌日の帰宅後ドコモに問い合わせてやっと解決した。

 食事後、部屋のテーブルに書類がある。その1枚を見ているとWIFIに関することだ。早速自分のスマホにWIFIを接続した。そして先ほどQRコードの読み取りができなかったがこれも部屋で触っていると読み取りができた。WIFIは家以外では初めて接続したので嬉しかった。帰りのJR新幹線車内でも利用できた。これも嬉しかった!
宿は花のいえ
 この続きはまた後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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