2022年10月19日水曜日

『人生百年の教養』

 携帯を機種変更してそれに関連する一連の件が終了した。その最後は無線LANによるWIFIである。ネット接続を光にして数年が経つというのにWIFIに設定していなかった。昨日はその記念すべき日となる。午前中、局内での工事が終わり正午になるとすぐにドコモへ電話して設定方法を教わり無事完了した。20日間ほど、いろいろと新たなことをやって頭がパンクしそうになったが何とかそれもクリアできた。しばらくは落ち着いた日々が送れそうだ。

 『人生百年の教養』(亀井郁夫 講談社、2022年第1刷)を読んだ。ロシア研究の第一人者が著している。読む前から著者がロシアのウクライナ侵攻をどう思っているか、興味深かった。本を出版する直前のウクライナ侵攻だが、やはり危惧している。
 
 以下はこの本から気になる箇所を抜粋した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ではなぜ今、教養が必要となるのか?端的に言って、人間の平均寿命が一世紀を超える時代が現実に訪れようとしているからです。この、気も遠くなるような時間を、人間はどのようにして生き、埋めてゆくのか?「教養」こそが、一世紀の時を創造的に生きる、唯一かつ最高の道であると私は考えています。(11p)

★ここで私の定義する人間の幸福とは、何なのかということです。ひと言でいえば、感情豊かに、エモーショナルに生きることです。……より高い次元、より普遍化され、浄化された次元で、「喜怒哀楽」をすこやかに経験できる知性を持つ、それが「エモーショナルに生きる」ということの意味です。……それは、文学や芸術との出会い、関心であり、それによって培われる土壌です。小説でも、詩でも、絵画でも、映画でもよいでしょう。老いの自覚からくる苛立ちや孤独から逃れ、自信をもって、そして創造的に晩年を生き抜くには、何かしら過去の力、ないしは普遍的な力、もっといえば人類が生み出した知恵や伝統の助けを借りる必要があると私は考えています。そしてすこやかな喜怒哀楽を介して、心から信頼できる友人たちと、果ては政治、あるいは科学の未来について幅広く語り合うことができたら、どんなに人生は充実したものとなるでしょう。(20-21p)

★私が今イメージする理想の教養人もまた、人格の理念と深く結びついています。司馬遷の『史記』(「李将軍列伝」)に引用された「桃李不言下自成蹊」がモデルとしては理想的です。桃や李(すもも)の木は、じぶんから言葉を発することはない、しかし、そのかぐわしい香りを求めて、自然と人が集まってくる。その結果、木の下には、みちができる。つまり、徳のある人は、じぶんから声を発さなくても、おのずと人が集い、いつしか道ができてしまうものだ、というのです。(56-61p)

★大学時代の私がドストエフスキーの文学に見出した最大のテーマは「使嗾(しそう)」です。「使嗾」とは、みずからは手を汚すことなく、人をそそのかして悪を実現する行為をいいます。(122p)

★事件から四十年近くがたった今でも、私は空港での出入国の際に通過しなければならない一坪ほどのガラス張りの空間に恐怖を感じます。モスグリーンの制服を身につけた国境警備隊員の疑いに満ちた目で睨まれるた瞬間、身に覚えのない罪の意識に凍りつくのです。……私が、このスパイ容疑事件のなかで経験したことのうちで、もっとも重要な主題が、独裁権力の恐怖というテーマとそこに生きる人々の「二枚舌」です。私の生涯にわたる主題といっても過言ではありません。ソ連時代、多くの人々が、国事犯罪の咎めで、KGB (国家保安院会)の獄中やラーゲリ(収容所)で無残な死を遂げていきました。生き残った芸術家は、恐怖と監視のなかで創造行為に勤しんでいました。この異常事態を念頭に置くことなく、文学や芸術の意味について考えることは意味がなく、所詮お遊びにすぎない。そんな気がしてきました。(135-136p)

★わたしたちは今、世界のすべての人々が自らアドバンテージとしてもっている母語を通して、安心して芸術や科学の進化をぎりぎりまで追求することができるのです。ということは、母語こそが、この、ポストグローバル時代、そしてポストコロナ時代における一人ひとりの可能性を押し上げる大きな力となる、ということではないでしょうか。(167p)

★検索エンジンのなかに対立する二つの概念を入れ、より高次の概念を獲得する――それは「止揚」(哲学者ヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念)の手法と表現してもいいかもしれません。めくるめく知的興奮が経験できます。(173p)

★長老学で知られる小澤利男さんが、老年医学で大事な三大要素として、健康、インディペンデンス(自立)、そしてQOLを挙げています(『「長生き時代」を生きる―ー老・病・死の不安をどう乗り越えるか』)。QOLとは、クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)、生命の質、すなわち人間の満足度をいいます。満足をはっきりと自覚できるかどうかが問題です。……小澤さんはモットーである健康法の三原則として、動く、楽しむ、喜ばす、を挙げています。(246-247p)

★セネカは、「真の閑暇」を求めて「過去の哲人」たることを望み、過去への沈潜を説き、穏やかに生きることに真の生命の価値を発見しました。彼がみつめる先は、過去の時間であり、同時代でも将来でもありません。……あなたが学問に専心するなら、あなたは人生のあらゆる退屈から逃れることができるだろう。昼の光に飽きて、夜が来るのを待ち望むこともなくなるだろう。(中略)あなたは、たくさんの人々を引きつけて、友人にできるだろう。最良の人たちが、あなたのもとに集まってくるだろう。じっさい、徳というものは、いかに微弱であっても、見えなくなることはなく、その信号を外に発している。だから、徳の名に値する人はだれでも、徳の足跡を追って、やってくることになるのだ」(「心の安定について」)司馬遷が「桃李成蹊」で謳った哲学と同じです。引用した最後の一文に記されている「徳」を「教養」と置き換えてみるといいでしょう。老いの作法として、これほどにも慰めに満ちた定義はありません。私も大いに共感します。残りの時間が少なくなったからといって決して生き急いではならないのです。(248-249p)

★七十代、八十代を自信を持って生きるには、やはりそれなりの心構えが必要です。老いて弱者となった人間に活力を与えてくれるのが、読書であり、教養です。読書をしている人間、教養を積もうとしている人間、あるいは地道に自らの趣味の世界に生きる人間、その人たちに「老美」を感じます。単に読書するばかりではなく、衰えを知らぬ創造力が備わっていれば、むろん、何も言うことはありません。(264p)

★人間が暮らす銀河系には、ほぼ同数の恒星が散らばっています。つまり一人に一つ星が与えられているのです。そんな楽しい空想さえ許します。「人生が謎」であり、「私」こそが「教養」の泉であるなら、それを記録に残さない手はありません。自分の人生を記録し、この銀河の星の一つに託すこと。自分の記録を書き残すことは、自分が永遠につながるために、愛する人のために大切な営みです。いつか誰かが(ことによると地球の裏側から)その記録にアクセスしてくるかもしれません。それはささやかながらも人類の発展を願う遺言のようなものとなるでしょう。死という超絶の孤独から救われる道の一つもそこにあります。(273p)

★希望あるかぎり若く、失望とともに老い朽ちる (273p)

★突き詰めれば、生きてさえいれば、道は開かれるのです。(275p)

★ロシアによるウクライナ侵攻――。第三次世界大戦に入ったと指摘する識者の声もあります。かつてチェルノブイリの原発事故で核に汚され、コロナ禍で決定的に傷ついた大地に、なぜ?……国家が第一に果たすべき役割は人命の保護であり、人命の前にいかなる国家の論理も成り立たないというのが私の考えでした。しかしそうしたバランス重視の思考法は意味を失い、いっさいの曖昧さを許さない状況が現出しました。……ロシアの歴史を知る人間からすると考えがたい行動ですが、私自身、いかなる国家にも、人間の命を守る義務こそあれ、奪う権利はない、と信じていましたから、このトルストイの言葉を思い出し、一つの勇気をもらったような気がしました。むろん、「戦え」のアピールに素直に同意することは出来ませんでした。そしてついに、あってはならない「恐ろしい悲劇」が現実化したのです。(283-284p)

★一世紀もの人生が与えられているなら、「教養人」としてできることは、限りなくあるはずです。すこやかな喜怒哀楽をもって現実に接し、人類が犯した過去の過ちを次の世代に向かってしっかりと知らしめ、命の大切さを伝えていくこと。新しい世代の考えや感じ方を理解しようとする努力。文学や芸術そして歴史の学びが、そのための最良の知恵を授けてくれることでしょう。(285-286p)

2 件のコメント:

  1. 大変参考になりました。ありがとうございました。

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    1. 舛井先生

      コメントありがとうございます。興味ある本でした。

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