2021年1月15日金曜日

「馬上少年過ぐ」<『馬上少年過ぐ』収録>

 昨日のメディアによると広島市は緊急事態並みの要請を出した。この調子だと17日までとなっている図書館などの休館はさらに延長になるかもしれない。せめて図書館の開館を、と願わずにおれない。2年余りの間、司馬作品にハマっている。だが図書館で借りた司馬作品もすでに読み終え、今は我が家にある森本哲郎の本を読んでいる。『日本民族のふるさとを求めて』を読んでいるが、読み始めは司馬作品とは違った読みづらさがあった。が、それも慣れると読んでいて楽しい。この本の発行年は平成元年。すぐにはこの年を西暦に置き換えられないが、いずれにしても今は平成が終わって令和の時代になった。ということはこの本は30数年前に買って、その間ずっと我が家の本棚に眠っていた。それを呼び覚まして読んでいる。

 30数年前といえば海外旅行に行くのが楽しみの全盛期だったかもしれない。ゆっくり本を読むゆとりもなく過ごしていたのだろう。今読み始めるとこの本にも夢中になる。まだ出かけていない南インド辺りの話題もある。

 南インドといえば旅で知り合ったお坊さんたちは昨年までの年賀状に南インド行きを希望されていた。ところが、3人とも体を壊されて南インド行きは幻の旅となりつつある。せめてこの本を読んで南インドに行った気持ちになる!?怪しい限りだ。

 以下は「馬上少年過ぐ」から気になる箇所をメモしたもの。

 なお、『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)は何冊かの短編小説を収めた一冊である。その中の代表的なものが「馬上少年過ぐ」。

★「馬上少年過(すぐ)」老人が晩年につくった高名な詩の第一句である。

   馬上少年過ぐ

   世平らかにして白髪多し

   残軀天の赦すところ

   楽しまざるこれを如何せん

 この老詩人が、伊達政宗である。梟雄といわれた。梟はふくろう。あるいはタケダケシ。……「三国志」でいえば、曹操である。曹操が後世にのこした印象はその梟奸さにあるが、しかしながら曹操に一種颯々のすずやかさをおぼえさせられるのは、ひとつは曹操が卓抜した詩人だったということであろう。曹操はかつ行動し、かつ作詞した。乱世の雄としてはめずらしい種類に属するが、わが国でこの珍奇な禀質の人をもとめるとすれば伊達政宗のほかはひとりも存在しない。180-181p

★この小品は、政宗がその権力のために払ったいまひとつの代償を語りのこしている。230p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!  

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