図書館が休館になる前に借りた『馬上少年過ぐ』と『幕末』の2冊を読み終えた。図書館の開館は簡単には望めそうにない。本を借りずに買って読めばいいものを買おうとすら思わず、今日からは平行して読んでいる家にある本を読もう。それは森本哲郎の『日本民族のふるさとを求めて』。この本はタイトル通り森本哲郎が日本民族のふるさとを求めて世界各国を旅するお話。最初の数頁を読んだだけで、まだ見ぬ遠くの国へ行きたくなる。
以下は『馬上少年過ぐ』に収められている「喧嘩草雲」(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)」から気になる箇所を抜粋したもの。
★「二天(じてん)だよ」げっ、と草雲は鷺を見つめた。二天、それは雅号である。戦国末期から江戸初期にかけての剣客宮本武蔵のことである。かれは絵をよくし、その遺作は早くから一部で認められていたが、幕末では観賞界でもてはやされるようになった。(これが二天か)草雲は、はじめて出会った。……草雲は、その幅を床の間にかけて眺めた。三日、ながめた。画技はうまいとはいえない。が、鷺はみごとに生きている。生きているどころか、なにか異常に研ぎすまされた精神が、さりげなく鷺に化って、天地のあいだにいる。凡百の絵ではなく、あきらかに芸術そのものであった。……草雲は、自分と武蔵とのちがいをまざまざと知った。武蔵は天性、巨大な気魄をもって生まれつき、その気魄が剣となり、絵となった。草雲もまた、なみはずれた気魄をもって生まれている。が、草雲のばあいは、気魄は気魄、画技は画技、武術は武術で、三者ばらばらの他人であった。……雅号を変え、草雲と号したのは、このときからである。旧称梅渓をすて、お菊の位牌の前で生まれ変わることを誓い、酒も断ち、乱暴もやめた。158-161p
★田崎草雲の作品が、後世に残りうるものになりはじめたのは、このころからである。作風が、江戸のころとは一変し、みちがえるほどの風韻を帯びはじめた。知らずしらずのうちい、画法はちがうが、宮本二天をおもわせるふしぎな力動感を持ち始めたのも、このころからである。……要するに足利藩の事実上の大将になったことが、かれのなかから「足軽絵師」の毒気を抜きとったという意味なのか、どうか。175-176p
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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