2020年9月30日水曜日

情報社会

  7月の一般検診を9月に変更して昨日受けてきた。昨日現在はどこも異常なし。検査の詳細は後日送付される。検診を終えて受付にいると携帯が鳴る。マナーモードにしていたのですぐに受付を離れる。県北に住む友だちだった。久しぶりに電話で話す。県北にいるとGO TOトラベルも何も関係ない、と友だちは話す。気候も良くなってきたので県北の美術館に来るように、と誘われる。恩人と思っている人なのですぐに誘いに乗る。

 会う日にちを決め、高速バスの時刻をネットで調べるとびっくりする価格で美術館と高速バスなどのパックチケットが売り出されている。高速バス往復運賃と美術館特別展チケット、そしてほかにも近隣の展覧会チケット割引が含まれている。なんと71%引きの金額でたったの1000円。これはどういうこと!?

 夜、友だちに電話でこの話をすると逆のパターンはないのかと聞かれる。県北から広島市内往復のことである。今のところそれについてはわからない。が、県北行きの高速バスチケットを購入する際、聞いてみよう。このチケットは来年2月まで広島バスセンターで売っている。念のため県北のバス会社に問うとこのチケットはあらかじめ購入して、利用する日に乗ればいいとのこと。今週末に街中に出るのでその際、チケットを購入しよう。

 来月と再来月、これでGO TOトラベル利用で計6回、遊びに出かける。今のところ元気。コロナにかからない程度で遊ばないといけない。

 それにしても情報社会。チケット購入やGO TOトラベル利用など情報網を駆使して世の中の動きについていこう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月29日火曜日

『菜の花の沖』(六)

 やっと『菜の花の沖』(六)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年第10刷)を読み終えた。『菜の花の沖』の題名がきれいすぎる。小説として初めて読んだ司馬作品は『坂の上の雲』だった。これも当時の世の中をよくあらわしたタイトルである。今読んでいるのは『胡蝶の夢』。全4巻ある作品だがこのタイトルも素晴らしい。以下は『菜の花の沖』最終巻の6巻から気になる箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ピヨートル大帝以来、陸海軍の近代化と領土膨張をつづけてきたロシアは、つねに西方の硬部を避け、東方の軟部を攻撃したり無血侵略してきたが、領土がとくに東において大きくなりすぎた。それを統治するのに、つねに陸海軍を必要とした。ロシアの領土問題は、いつも軍事問題であった。そのピヨートル以来のロシア史が、いま軍艦ディアナ号に凝縮されているといえる。嘉兵衛が属している国には、それに対応する軍事的な歴史などはない。31-32p

★「何をするか」人間が、他の人間に縛られるということの屈辱感は、それを味わった者にしかわからない。意識のどこかに、自分が鹿か猪といった野獣になってゆくような、ふしぎな部分が生まれる。嘉兵衛の自尊心には、これがたまらなかった。41p

★艦長リコルド少佐は、ロシア帝国の世紀の軍人らしい礼節を身につけていた。かれは、日本国を憎みつつも――さらには嘉兵衛を拉致するという国家行為としての暴挙を働きつつも――この絹服を着た日本の船頭に対し、ヨーロッパの手厚い礼をもって応接したということは、身にそなわった品性があらわれている。この礼節や品性もまた、ロシアが百年かかってその貴族や将校中心に培ってきたものである。軍人の礼節や品性は、その上官に対するときにあらわれるというのは、犬が飼い主に対して従順であるのと同様、当然なことといっていい。それが敵に対してあらわれる場合こそ、真贋が試されるといえる。リコルドは本物であった。50p

★嘉兵衛は捕虜になることによって、さらにはまた両国のあいだを調停することによって、この海域の安全を確立しようと決意した。76p

★(この艦を救ってやろう)と、思いなおした。難破からディアナ号をまぬかれさせることによって、日本人の心のあかるさが、ロシア人につたわるであろう。そうすれば、ロシアでの交渉もうまくゆくのではあるまいか。嘉兵衛は近づいてくる島が水晶島であり、その沿岸が遠浅であることを知っていた。……嘉兵衛は一個の船霊(ふなだま)のようになって、駆けだした。あるいは、危機にある船を牛耳っている怪奇な化身になったというべきかもしれない。ともかくもなまの人間ではなかった。なまな人間としての船長・船頭は、危機のなかの船を操ることができできないのである。……この場合、船長リコルド少佐には、ややその点が欠けていたかもしれない。105-106p

★暴風のもとで、しかも座礁の危険のある状況のなかで船乗りとして何をすべきで何をしてはいけないかをたれもが知っていたことである。ロシア語であろうと日本語であろうと、叫んで身振りをすればわかることであった。107p

★リコルドが解決すべきことは、ゴローニンという皇帝の艦長を日本幽囚からとき放ったことである。幸い、そのための有力なたまとして高田屋嘉兵衛を捕虜にしている。この国家間の事件は、一少佐はペトロバヴロフスクの長官が処置するには、問題が大きすぎた。173p

★問題のすべては、フヴォストフ大尉の樺太その他における暴戻(ぼうれい)きわまりない武力行動から出ている。日本側は、それをロシア帝国の日本侵略の前触れ行為ではないかと疑い、それがためにゴローニン少佐を逮捕した。日本側としては、ロシアの身分ある艦長の口から、フヴォストフの暴挙が私的なものか、それとも政府命令によるものかというただ一点を聞き出したかった。そのことは大げさでなく、日本国の安危にかかわる問題だった。196-197p

★厳格な礼儀というものが、ときに千万言の主張よりも効果的であることは、リコルド自身が、嘉兵衛の容儀に打たれ、自発的に誓いのことばをのべたことでもわかる。嘉兵衛は形式礼儀を好む男ではなかったが、形式礼儀をもつ政治的意味をよく理解し、みごとに使いきったといえる。227p

★嘉兵衛の『自記』では、

聢(たしか)に致さず候ては、甚だ不本意成る事に候故、今宵は、互いに隔てなく積る物語も致す間、面白き談(はなし)とあらば、本国の土産に聞せ候へ。

 と、かれが言うと、リコルドは手を拍ってよろこび、艦長室の多少の酒肴を用意した。そのあと、たがいに椅子にもたれ、過ぎたことどもや少年のころの話、家族のことに至るまで尽きることなく語りあった。嘉兵衛の生涯にとってこの夜のこの時間の流れほど深く心に刻まれたものはない。「菜の花の沖」と、たまたまそういう題のもとで嘉兵衛の人間と人生について考えてきたこの稿も、この一夜のくだりでおわってもいいいほどである。305p

★(日本にもどった)という実感が、嘉兵衛の胸に満ちた。ただし、よろこびのみではなく、一種の恐怖ともいえる緊張がかれの眼光をするどくしていた。「国禁」というたかだかとした無形の槍ぶすまが、かれに対して緊張を強いているのである。日本国にあっては、いかなる理由にせよ、国外にゆくことは禁じられている。いままで漂流民にして外国船で還送されてきた者がすくなからずあったが、帰国後、官憲の手で、監禁され、吟味され、さらには生涯軟禁の憂き目に遭わされたりした。伊勢白子の船頭大黒屋光太夫などは、そのよい例であろう。326-327p

★この時代の日本にあっては、海外を知ってしまった者は、罪人である以上に、保菌者としてあつかわれた。かならずその菌は人に感染し、世間にひろがり、ひいては幕藩体制を崩すもtになると信じられていたのである。日本を戦争という過酷な運命から救うために帰ってきた嘉兵衛といえどもこの例外ではなかった。330p

★書かれている文章は、二行でしかない。

われわれは、士官も水兵も、クリル人のアレクセイも全員生存して松前にいる。 

             ワシリー・ゴローニン  フヨードル・ムール

 。とあった。……歓声が、クナシリ南部の山々にこだまするほどに高く沸きあがった。そのあと艦長室で嘉兵衛が、自分のことを話し、とくに箱達の友人が僧になったことについて物語ったとき、リコルドは、お前さんはいい友達をもってこの上もない物持ちだ、といった。嘉兵衛は、「それも二人!」といった。むろんリコルドをふくめたのである。356-357p

★泊村に帰ると、「すぐ陣屋へ」というよびだしが来た。当然ながら高橋三平の配慮であるった。嘉兵衛ははじめて陣屋の門をくぐりつつ、これで漂流民であるというふしぎな罪科から解放され、元の高田屋嘉兵衛にもどったと思った。「嘉兵衛、苦労であったな」高橋三平が、小兵ながら精悍な表情に心からの同情をうかべて言ったとき、平伏しながら嘉兵衛は不覚にも涙がこぼれ落ちた。去年の八月に拿捕されて以来、一度も涙など流したことはなかったが、この瞬間にせきあげてくる感情はどうにもならなかった。365p

★言葉は、物理的には単なる音声にすぎない。が、うけとめる側の耳の奥に全人間――感受性といってもいい――がひかえているようで、その感受性は、弦楽器に似ているようにも思われる。人によって弦の数の多寡があるが、三平のような受け手を得た場合、弦が微妙に共鳴して、たがいにすぐさま脳裏に正確な情景をうかべることができた。リコルドもそういう人間であったが、残念なことにたがいに言語が不自由であった。366p

★ゴローニンは、日本に幽囚の身になることによって、江戸期の日本という、ヨーロッパ世界から、神秘的とも見られ、野蛮とも見られている国を知ることができた。……かれの『日本幽囚記』は、文学的価値も決して第二流ではない。また自分の悲劇的な異常体験を通じ、当時、世界のなかでも異質で独自の社会と文化をもつふしぎな国について、終始科学的な冷静さでもって観察し、ヨーロッパ諸国語の世界に報告した。そういう分野の報告文学として、きわめてすぐれたものではないかとおもわれる。ゴローニンの右の著作は、具体的な事実を描くことにもすぐれているが、もっとも知的な作業――無数の具体例から概念をひきだし――さらにそれを抽象化する作業――においてもすぐれている。377-378p

★ゴローニン救出という大仕事の鉤(フック)に、ロシアが、国をあげてのながい念願であった日露通商という巨大な魚がかかってくるのではないか。リコルドの本質は、篤実な海軍軍人であるというに過ぎなかった。したがってかれは政治的な射倖心に富んだ功名主義者ではなかったが、しかし海底を蔽うほどの大魚が鉤の下にいるのに黙って通りすぎるというのは、ロシア帝国の官吏としてよろしくないという気持ちがあった。リコルドは別室を出て艦長室に入ると、嘉兵衛に、「タイショウ、私は決心した。あなたを下ろしたら、私はすぐ碇をあげてオホーツクへむかう」といった。嘉兵衛は、このリコルドの決断をたたえるために、ひどくまばゆい表情をした。381-382p

★かれがその晩年を送るために都志本村に建てた屋敷は、小さな野にかこまれていて、季節には菜の花が、青い沖を残して野をいっぱいに染めあげた。「嘉兵衛さん、蝦夷地で何をしたのぞ」と、村の人がきいたとき、「この菜の花だ」と、言った。菜の花はむかしのように村の自給自足のために植えられているのではなく、実を結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている搾油業者の手に売られ、そこで油になって、諸国に船で運ばれる。例えば遠く、エトロフ島の番小屋で夜なべ仕事の網繕いの手もとを照らしている。その網でとれた魚が、肥料になって、この都志の畑に戻ってくる。わしはそういう廻り舞台の下の奈落にいたのだ、それだけだ、といった。411p

メモとして、リコルドの「手記」は『日本幽囚記』、嘉兵衛のほうは『自記』」から引用のようだ。

2020年9月28日月曜日

ペペロミア

 

ペペロミア


 人のブログを見ていると「秋の花は青い花」と題して栂池自然園に咲く青い花を挙げている。山で咲く青い花と言えばリンドウや桔梗がある。ほかにも山歩きが好きな人に言わせるとトリカブトも青い花が咲くそうだ。トリカブトとヨモギは葉っぱがよく似ている。以前、バスツアーで県北の八幡湿原に行った際、この2つの区別を教えてもらった。葉っぱの形はいずれもよく似ており、葉の裏の色で区別できると聞いた。葉の裏が白であれば……、と聞いたのに忘れてしまった。いずれにしてもこの2つは区別しないとひどいことになる。トリカブト殺人事件もあったくらいの猛毒を持つトリカブトだ。

 八幡湿原ヘは春に出かけているので秋に花をつけるトリカブトの花を見ていない。山に咲く秋の花に青い花が多いとはびっくり。我が家はこの秋の彼岸に花屋さんで買ったリンドウを活けている。その際、花屋の屋内で売っていたペペロミアという小さな鉢植えを購入した。ペペロミアは初めて知った名で室内に置いて楽しむ観葉植物のようだ。同じ花屋でもう20年以上も前に1000円で購入したベンジャミンがある。今でも我が物顔で部屋を陣取っている。ベンジャミンは植木鉢を替えて、今日まで生き続けている。今回購入のペペロミアは植木というよりも蝋で作られた観葉植物のように思える。葉っぱに厚みと光沢があって美しい。

 これを買って10日余りになる。毎日、小さい植木鉢のペペロミアを眺めては新たな芽が出るのをひとり楽しんでいる。なんと安い楽しみ、と思ってしまった。いつもは花の購入はスーパーが多い。時に花屋さんに立ち寄って知らない花を購入する。いいかもしれない。ペペロミアは部屋の中で育てる植物。ベンジャミン同様に長く育てよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月27日日曜日

パソコン

  パソコンを買い替えておおよその設定は終わった、と思っていた。ところがWordを利用しようとするとその画面は出てもサインインやアカウントがどうじゃこうじゃと出る。パソコン購入時もサインインなどの設定を終えている。その際、新たに作成したメルアドやパスワードなど控えていた。以前使用していたパソコンではこういったわずらわしさがなかった。セキュリティ云々でいろいろとチェックが入る。サインインやアカウント作成ではいろんな箇所で個人情報を引き出される気がする。セキュリティ云々はパソコンメーカーが一番怪しい?と思ってしまった。ああじゃ、こうじゃと思いを巡らし1時間もかかってWordが使えるようになった。

 パソコンの面倒さを思えば、なぜパソコンを使うのかと自問自答してしまう。ブログをアップしなければ別にパソコンはなくてもいい。ブログと言えば17日から今日までダグニーさんのブログのアップがない。108歳のブロガーに何が起こった!?少々気になる。

 ぶつぶつ言いながらもパソコンを使う楽しさもある。気を取り直してパソコンを使う!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月26日土曜日

「自分の目標をもって突き進む」

  昨日はプールで購入した派手な水着を着てプールデビュー。小雨の中、自転車に乗ってプールに急ぐ。プール到着時点では雨も上がる。いざプールへ。涼しくなったためかプールの人は少ない。浅いプールを占領した感じで泳ぐ。最近は顔見知りも少なくなった。ただ、プールの係から声を掛けられる。昨日も泳ぎ終えて帰ろうとすると係がそばに来て「水着が似合っていた」と言われる。「派手な水着のデビューでした」と話すと「派手な水着のほうがプールでは目立たない」そうだ。プールでの水着は派手なくらいがいいのかもしれない。それでなくても地味人間!

 修了した大学から再来月に開催のホームカミングデーの案内が届く。「〇〇大学校友会だより」を見ると、おととし社会人大学生として卒業した人の記事がある。読んでいると高校の同窓生だ。年齢的には2学年下の人で若いころ大学受験に失敗したとか。同じく、思った大学に入学できず長年「大学で学びなおす」ことを目標にしていた。ひょんなことで仕事を辞めて学びなおした経験がある。若いころは短大で学んだ。だが、社会人入学した大学は1年生から入り、大学は4年で卒業した。大学院を含めると計6年間学んだ。我が人生で一番輝いていた、と思えるほど張り切っていた。11年前のことになる。記事の人は2年前の卒業生だ。

 昨日、大学で学びなおそうと思った直接のきっかけを作ってもらった人ではないが遠からずそういう風に気づかせてもらった人と電話で話すことができた。このタイミングの良さに驚いてしまう。母が亡くなってそれまでのブログを中断し、新たに「敏々日記」を開設した。今から9年余り前のことである。その2日目の投稿で自分の気持ちを悲しみから救うため、奮い立たせる気持ちを込めて長年気に入っている言葉を投稿した。偶然にもそれに目を止めてくださった人がいた。この言葉を本で知った著者ご本人である。10か条ある言葉の最後に「自分の目標をもって突き進む」があった。

 昨日、その方と電話でこの話をすることができた。ありがとうございました。「念ずれば花開く」ではないが目標をもって突き進んでいるとその夢を叶えてあげようと助け船を出してくれる人が必ずいる。これまで長く生きてきて、何の宗教も信じていないが心の隅にいつもそれを感じる。これまでの人生で、そう感じる人を拾い出していけば自分史が出来上がるかもしれない。今は、自分史に関心はないが、ブログという手段で少しずつまとめていけばいいかなとも思っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2020年9月25日金曜日

眼科へ

  今読んでいる司馬作品は『胡蝶の夢』。これは佐渡島の人が主人公の作品である。司馬遼太郎は全国いや世界も含めてあちこちの『街道をゆく』をシリーズ化して書いている。作品に取り上げる人物の出生場所によって作品の舞台も違ってくる。各地を取材して歩いた結果が街道をゆくにもなったのだろう。竜馬は高知、吉田松陰や高杉晋作は長州、『空海の風景』の空海は高野山、と思いつくままに挙げてもいろんな場所が浮かぶ。高野山は再来月、2泊3日で出かける予定。佐渡はまだ行っていないのでここも行きたいリストに上がりそうだ。

 昨日は眼科の定期検診に出かける。先月の眼圧は14と16.昨日は15と17だった。視力は悪くても視神経はきれい、と医師に言われる。今、気になるのは歯科。9月から歯科通いを続けている。80歳で20本以上の歯があるといいそうだが、今のところまだ十分歯が残っている。残った歯は大事にしよう、と改めて心する。次に行く歯科は来週の予定。

 今朝は雨も上がって午後からは晴れそうだ。高野山行きの旅費の請求書が届いた。旅の催行が決定したようで一安心。遊ぶにも元気が必要だ。プールに行くか行くまいかただいま考慮中。いずれにしても晴れなくてはプールへ自転車で行かれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月24日木曜日

《リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展》を見に行く

  県立美術館で開催中の特別展《ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展》を見に行く。コロナ禍以降、2回目の美術館行きとなる。秋とはいえ、広島駅から美術館まで歩くとまだまだ暑い。展覧会会場に着くとコロナ騒動の始めころの美術館とは違って検温など受けなくても会場に入れた。連休明けを狙って美術館を訪れる人も多い。

 リヒテンシュタイン、というのは人の名であって国の名でもあるとは知らなかった。自分自身の名が国名になっている国がほかにもあるのだろうか。もらった美術館のチラシを見るとオーストリアとスイスの間に挟まれた小国とある。それもそのはず全人口は4万人にも満たない。今でも一族は美術品収集を家訓に掲げているという。小国なのにこの経費はどこから、と勘繰りたくなる。農業を主とする国らしく軍備は他の国に依存し、切手販売で利益をねん出しているそうだ。リヒテンシュタイン発行の切手がどれほど美しいものか見てみたい気もする。

 ともあれ、一見の価値ある作品ばかりが展示してある。なかでも美術館のチラシを彩るフェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーの《磁器の花瓶の花、燭台、銀器》(1839年)は1本1本の線が繊細に描かれ、銀器の模様はまるで本物がそこにあるかのように見える。展示の絵は抽象画ではなく、具象画なので見る側にとってもわかりやすい。こういう絵は油絵とか日本画といった区別があっても絵そのものの美しさにはそういったことは関係なさそうだ。

 今回の作品は絵の前に柵がなく、近くで見られた。特別展を見終えて常設展に行く。常設展会場には見る人がいない。係の人と話すと自分の馬鹿さ加減に気づく。展示品の前に柵がなかった、と感動してしゃべっていると係に教えられた。それを知って目からうろこ状態になる。ああ、なんと恥ずかしい、と思ってしまった。

 展示品の前の柵の有無は係によると作品の額にガラスが入っていれば柵がなくてもいいらしい。そう聞いて本当に驚いてしまった!これ、本当!?

 美術館に行く、これは我が家にいるときの気持ちでなく、自分の感覚を取り戻した気がする。人間性を取り戻す、というのだろうか。美術に関して興味が薄かったはずの自分がこうも変わる、と思った瞬間だった。多分、日本画を習って以降、絵を見る際の気持ちが変わったのだろう。美術館友の会を昨年更新せずにいた。再度、今年入会してよかったと改めて思った。絵を堪能した後、3階のカフェに入る。1人で見学に来た人だろうか、それぞれ席についている。4人いた。今回は簡単なセットものがあった。縮景園を眺めながら落ち着いたひと時を過ごす。今回は暑いので縮景園はパス。駅前のデパートに急ぐ。

 久しぶりにデパートに入る。人は少ない。小さいショルダーバッグを買う、と決めていた。旅行鞄の売り場を聞いて5階へ上がる。気に入ったショルダーがあった。このショルダー、来月と再来月計5回の旅に出る。その際、重たいものは持ちたくないので軽めのショルダーが欲しかった。軽いリュックも欲しかったが、家にはいろんなところでもらった使っていないナップサックが3個ある。これをリュックに替えて旅のお供に代用しよう。

 やっぱり家から一歩外に出ると気分まで違う。家に閉じこもっていてはいけない、時には乗り物に乗って出かけないといけない、と改めて気づく。いちばんは気分が晴れる。昨日の万歩計は9258歩とよく歩いた。これで来月の日帰り旅も元気に遊びに行ける、と気をよくする。

 ともあれ今日も元気を出して楽しく過ごしましょう!

2020年9月23日水曜日

「ありのままの、自分で」

  昨夜放送のNHKプロフェッショナル、見ようと思いながらも眠たさに負けて寝てしまった。さっきまで、NHKプラスでこの番組を見る。我が家にはテレビの録画機能が付いていない。ところが最近はNHKはNHKプラス、民間放送ではTVerでいつでも見たい番組の視聴が可能だ。今朝、さっそく「プロフェッショナル」を見る。今回のプロフェッショナルは黒柳徹子。この人の生き方に興味がある。黒柳はウソでなく本当でなくてはいけない、と話す。そして「ありのままの、自分で」ともいう。

 NHKプラスで見る番組もあまりないと思っていた。ところが昨夜、見たテレビの中国語講座も時間を気にしないでいつでも見られる。NHKプラスの利用方法が分かってくるとこれは素晴らしい機能に思えてきた。これを利用しない手はない。いい番組がないと思っていたが、これからはパソコン画面を通していつでもいい番組を選択できる。朝から得をした気分になってしまった。

 連休も終わって今日からいつもの一日が始まる。県立美術館で開催中の特別展。これを見に行こうかどうか考慮中。久しぶりに市内に出てデパートに立ち寄る。これも楽しいかもしれない。今日から図書館はしばらく臨時休館となる。プールは今日は休館日。さてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月22日火曜日

75歳からの青春

  時々、母が私くらいの年齢のころはどうだった、と思うことがある。その頃の母は家の主を亡くしている。ある日、母がつぶやいた。近所の人たちはみんな旅行をしている。しかし、母は主がいる間は旅行、は禁句だった。それを聞いた30年前の秋、母とその孫と私の3人で国内の旅に出かけた。お盆とGWは海外に出るので、その他の会社の休みを利用して年に3度くらい母たちと出かけた。いま思うとその頃の母は75歳。母の青春は75歳からだ。旅費のすべては母任せ。旅の計画は私が決めた。団体旅行でなく、個人でJ〇Bで組んでもらった。ある時は姉家族や妹家族も合流して出かけた。その時も費用は母が持った。「あの世へは何も持っては逝けない」が当時の母の口癖で、いま思うと先が長くない、と思ったのかもしれない。とはいってもそれから20年余も生きている。

 母への思いのうち、旅に何度も一緒に出かけたことは本当によかった。そして、75歳からが青春の母は95,6歳まで生きただけあって、88歳まで旅先でもよく歩いた。決して行きたくない、と弱音を吐かなかった。また、旅先でもよく食べた。88歳の時、家で転んで怪我をした。それからというもの、母との旅はご法度になる。怪我をした時もJ〇Bで四国の旅を申し込んでいた。だが、怪我で行けなくなりキャンセル料を払ったこともある。

 年老いても母は元気に楽しく旅をした。そう思うとしっかり老人になった私も母と同じように何歳になっても旅に出たい。今年のコロナ禍で旅をする元気があるのか疑問符がつきそうになった。親を思えば旅もまだまだこれから、との思いが募る。

 昨日は母の孫が米寿の祝いに植えて大きくなったレモンの木を剪定する。自転車置き場ののひさしよりも大きく伸びたレモンの木。涼しくなったのを見計らって切っていく。これ以上伸びると切るのも大変だ。それにしても我が家のレモン、冬季を除いて年中、新芽が出ている。これじゃ、木が茂るのも無理はない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月21日月曜日

お墓参り

  なぜ4連休?とカレンダーを見る。敬老の日と秋分の日の祝日が並んでいる。働かずにいると毎日が連休なので休日を気にしていない。ただ、休みの日にわざわざ外に出歩くこともないとの思いはある。この連休が明けると図書館がシステム更新とかで臨時休館に入る。本がない生活は今は考えられないので次に読む司馬遼太郎の『胡蝶の夢』(一)を借りる。『菜の花の沖』最終巻の6巻目は今日中に読み終えそうだ。

 司馬作品に魅せられて1年9か月。この間、かなりの司馬作品を読んだ。どういっても司馬作品の登場人物に惹かれる。これが作品の良さになっているのだろう。今この場に竜馬や今読んでいる嘉兵衛が現れたならば人びとはどんな反応をするだろう。すばらしい人たちばかりだ。

 話は変わって昨日はお墓へ参る。墓地までの道は往復で2000歩あまりと遠くではない。途中、声を掛けられる。近所に住む夫妻だ。家が近くても1年位会っていない。しばし立ち話をする。夫婦と別れて墓地を急ぐ。途中、道路わきに腰かけている2人連れに声を掛けられる。なんと27年ぶりだった。1人は姉と同級生で「妹さんでしょ?」と言われる。小さい頃は近所の家へはどこへも遊びに行っていた。今は道路拡張やコンビニなどができて立ち退いた家も多い。その人の家も立ち退いて今は隣の駅付近に住んでいるという。

 しばし、その人たちとも立ち話をする。話しているとすぐに昔の光景がよみがえる。懐かしい瞬間だった。近くにある墓地が昨日は遠かった。やっと墓地に着くと涼しかった朝とは比べようもなくお昼の太陽が暑すぎる。帰りはお宮経由で帰ろうと思ったが暑くて来た道を帰る。

 今朝は最低気温16度。駆け足で秋はやってくる。来月と再来月は個人的に遊び月間となりそうだ。元気でなくてはいけない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月20日日曜日

電気工事終わる

  2階のエアコンを取り外してもらった。普段、人の出入りが少ない家なので工事などがあると疲れる。業者は2階から1階の屋根に降りてまずは室外機を取り外す。2人連れの1人は屋内のエアコン本体を取り外す。2人は電気店の親子と思ったら今春、某電機メーカー入社の研修生だった。コロナ禍で研修がこの時季になったという。3週間の研修後、各所属先へ配置となるそうだ。若いころ、電機メーカーの関連会社で働いていた。その頃は電機メーカーは飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがあり、メーカー取扱店はどの町にもあった。だが、いまは電機産業は大手家電量販店に占領されて街の電気店は衰退気味にある。昨日、電気店の研修に来た若者もそう話していた。

 何十年も前に取り付けたクーラーも近年は全く使用していない。冷暖房でなく冷房だけの器具だ。家の主が階下で生活するようになって以降、2階は居住空間の用を果たしていない。気になっていたエアコンを取り外してホッとする。取り外し後は研修中の若者が掃除機で部屋を掃除してくれる。次にドアホンを取り換えてもらう。これまでのドアホンは時に不具合を生じ、また道に面しているので誰かれなく押されていた。ドアホンはなくてもいいと思って電源を外していた。が、この際、新たなものと取り換える。

 工事中、ついでにと業者にお願いする。それはベランダに置いている4本の物干しざおである。洗濯物はべランダに干さず、物干しざおも放置したままで朽ちてくる。台風など来るたびに気になっていた。費用は掛かってもいいので処分を、とお願いすると快く引き取ってくれた。何かあればこれからは街の電気店にお願いするしかなさそうだ。

 ベランダを掃除していると車が止まる。電気店だ。若者が工事用の手袋を忘れたらしい。2階に上がると手袋があった。その時、代金を払うというと請求書をもってきた。領収書に印紙がない。印紙は?と問うと5万円から必要とか。務めているときは3万円から収入印紙を貼っていた。働いていたのはもう20年近く前のことだ。印紙だけを見ても、世の中、確実に変化している。

 もう1度、2階に上がって掃除していると柱にエアコンのリモコンがついている。これもいらない、しまった取り外してもらえばよかった、と思った。よく見るとねじを2本外せばOKだ。ドライバーのセットからねじに合うのを探して取り外した。またもベランダに上がっていると柵に針金が4,5か所、巻き付いている。鉄なのか、さび付いたままだ。これを外そうとするが手ではどうにもならない。再度、工具を探してペンチを使うとすぐに外れた。ペンチ、は初めて使った。これくらいの作業はまだ大丈夫、できると気を強くする。

 父が使っていた釣り竿もベランダの隅にある。これも業者に頼めばよかったと思った。よく見ると釣竿は竹でできている。触っていると折れそうだ。足を使って折っていく。父が亡くなって30年。すぐには処分できなかった。この際、ごみとして出そうと大きなナイロン袋に詰める。ベランダに放置しているものはほかにもある。土でできた植木鉢。プラスチックの植木鉢は放置すると朽ちてくる。これは前に片づけた。いずれ、土の植木鉢も処分しよう。昔はベランダに花など植木鉢で育てていた。これからはベランダには何も置かないようにして……。

 昨日は人の出入りでお疲れ気味。今日はこれからお墓参りへGO~。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月19日土曜日

GO TOトラベルに便乗!

 昨日の大雨もやんで今朝は秋を感じる。雨の中、歯科へ急ぐ。病院嫌いであっても歯の治療は欠かせない。次は何をされるのかびくびくしながらの歯科通い。今月は何度、歯科に通うことだろう。歯の治るめどが立たないと気分も落ち着かない。やっとどうにかなると感じて本来の気持ちを取り戻す。だが、今朝はこれからエアコンの取り外しとドアホンの取り換えの工事が待っている。この2件の工事は大分頭を悩ますのか夢を見ていた。工事の夢でなく旅先で日程表がない夢。バッグを探しても出てくるのは日程表でなくがらくただ。

 これは工事の問題ではなく、昨日、GO TOトラベルの一環で泊を伴う旅を旅行社に申し込んだことによる。司馬遼太郎の本を読んでいるとまだ出かけたことがない地名が頻繁に出てくる。以前読んだ空海の高野山へも出かけていないと最近気づく。ほかにも今読んでいる高田屋嘉兵衛の淡路島へも行っていない。淡路島の人形浄瑠璃などの旅もキャンペーンにある。だが、旅の催行決定が分からないため旅を申し込んでいない。

 催行になるかどうか気にしていた高野山などへの旅を旅行社のHPで検索。なんと11月の初めの出発日が催行決定とある。2泊3日の旅で高野山以外の観光地は出かけている。いいところは何度出かけてもいい。電話で旅の参加を申し込むと、忙しいのかあとで電話するといわれる。数分後、電話があり参加する旨伝えるとOKだった。

 これまで日帰り旅を4件申し込んでいる。昨日の泊を伴う旅を入れると5件目の旅となった。コロナ禍で遠くへ行く機会がなかった。幸い、水泳も再開したし、自転車にも乗っている。元気を出さなくてはどこへも行かれない。昨日はこのはずみで長くなった髪をカットしに美容院へ行き、花屋へ寄ってお墓参りの花を購入。その後は自転車で百円ショップへ出かける。動く癖をつけよう。電気工事が終われば一日遅れのお墓参り。そして自転車に乗って大型電気店へ行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月18日金曜日

「アダージョ」(オーボエ協奏曲ニ短調より)


  FMを聞いていると聞き覚えのある曲が流れる。フルートの音色だ。曲が終わると曲名が告げられる。モーツアルトのァアダージョ「フルート四重奏」より、だった。コロナ禍で春に巣ごもりシアターをネットで見た。この時も流れた曲だ。楽譜を探すと5月に練習している。昨日、再度吹いてみると以前ほどうまく吹けない。どんな曲もその曲に集中して吹いているときは暗譜もできて吹きやすい。だが、吹いている曲から離れると思うように吹けなくなる。

 どういっても永い間、チャール・ダーシュに集中していた。楽譜を探しついでに曲集をチェックする。某曲集全曲をYOU TUBE先生がアップされている。その中からさらっていない曲をチェックする。曲集の最初の頁の「アダージョ」(オーボエ協奏曲ニ短調より)があった。この曲集の中にはほかにもむつかしそうな曲をさらっていない。この曲の動画を見ると練習すればなとか吹けそうだ。ただ、寂しい感じのする曲だ。秋に吹くのはいいかもしれない。

 楽譜に頻繁に出てくるプラトリラーやこれに線が入ったモルデント。この名前がとっさに出てこない。プラトリラーの指使いはわかってもモルデントはさて?、と考えてしまう。動画で指使いを見てわかった。こういう時はネットでの検索も助け船になる。

 しばらくはこの曲を練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月17日木曜日

国勢調査

  買い物帰りに人から声を掛けられる。馴染みある人であれば誰かわかる。が、そうでなければ誰だかわからない。ましてや、マスク越しの顔はさらにわかりにくい。名前を名乗られてやっとわかる始末。国勢調査の人らしく、調査用紙は持っていないという。あとで家に届けるというので郵便受けに入れといて、とお願いする。手渡しでないといけないというが目の前で用件を聞かれている。

 数時間後、郵便受けに用紙が入っている。ネットで回答する旨、告げていた。すぐにネットで国勢調査に回答する。回答そのものの時間よりもパスワードなどの国勢調査に至るまでのアクセスが面倒になる。ぐっとこらえて回答する。すぐに終わった。この用紙は資源ごみ行き!?ただ、アクセスキーなど記入された用紙は破棄した。

 調査員は同級生の奥さんだ。若いころ、機械編みを一緒に習っていた。それから何十年も経過。数年前に同級生は60代の若さで亡くなる。奥さんは旦那がいた時と同じように1人脚立に上がって庭の樹木の手入れをしている。年齢的は変わらないと思うけど、広い庭のすべての木の剪定をするそうだ。何か月か前に偶然その家の前を通りかかったとき、一度だけ立ち話をした。その時、旦那の訃報を聞く。

 近所の人、特に同級生とは子供のころ、男女関係なくよく家に出入りしていた。それも大きくなるにつれて顔があっても話もしなくなる。子供の数が多い年代に育った。あっちの家もこっちの家も同級生だらけ。今でもそうだけど近所に知り合いは多い。だが、同級生に限らず懇意に話す人はいない。これは長く外で働いていたことにもよる。お陰で面倒なことは起きない。ヒト、モノ、コトなどすべて深入りせず適当に。これに尽きる。

 それにしても国勢調査の係は大変そうだ。どれくらいの報酬を受け取るのか知らないが、日中に家にいる人がどれくらいいるだろう。ましてや書類を手渡しするとなると1度や2度では渡せないかもしれない。まあ、それもかかわりのないこと。気にするのはやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月16日水曜日

『近藤勝重流 老いの抜け道』

 『近藤勝重流 老いの抜け道』(近藤勝重 幻冬舎、2020年)を読んだ。川柳を得意とする著者はあらゆるところに川柳をちりばめて書いている。川柳は著者自身でなく、寄せられたものや著名人、そして本などの引用が多い。本を書いた目的を「要は人生、心ひとつにかかっている――本書はそんな思いで書き下ろした一冊です。……老いの抜け道の心の杖としてお役立てください」(はじめに)とある。以下はいつものように気になる箇所をメモした。

★目下、70代前半ですが、そういうこともわかってきて、老いてきたからといって、心をむなしくして人生を生きてどうする、人生はこれからだという思いが一層強くなっています。(29p)

★よく思うのです。毎日の散歩道で足を止めて見入る木が一本あることのありがたさを、四季折々に風趣に富む木だとなおさら感じ入り、来し方行く末への思いまでも深めさせてくれます。ぼくにとってそんな木は欅(けやき)です。胃がんで入院中の病室に持ち込んだ文庫本の中の一冊、藤沢周平さんのエッセイ集『小説の周辺』に出てくる欅に心が動いたんですね。

「小学校の敷地をはなれると広い芝生のある道に出て、芝生のむこうに大きな農家と見事なケヤキの大木が見えて来る。冬の木々は、すべての虚飾をはぎ取られて本来の思想だけで立っているというおもむきがある。もうちょっと歳取るとああなる、覚悟はいいかと思いながら、道をまた右に曲がって(以下、略)(140-141p)

★(「ささやかな幸福感を覚えるひととき」から)(74-75p)

 ナイターとビールがあれば生きられる 桜田宏 

 この「ナイターとビール……」の句はまさに広島県民大多数に当てはまりそうだ。とはいっても今年はいかがなものか、怪しい。とはいいながらも少しはこの気持ちに近いものは県民誰もが持っている。この本を読んで藤沢周平の本を読みたくなった。図書館の検索で藤沢周平を検索すると半端ない作品がある。司馬作品を読み終えることがライフワークとなった今は、あれもこれも読むのは大変。頭の隅に「藤沢周平の本を読む」ととりあえずインプットしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月15日火曜日

「案ずるより産むが易し」

  7月29日以来、1か月半ぶりにプールで泳ぐ。この間は梅雨の大雨と梅雨明け後の暑さで泳がずにいた。最低気温19度、最高気温29度となった昨日、朝から泳ぎに行こうと気合が入る。

 朝食を終えると近くの電気店に行く。2階のエアコンの取り外しをお願いする。このエアコン、若いころ電気メーカー関係の職場にいた。そこで取り付けた電気製品で電気店での購入ではない。勇気を出して電気店に入る。すぐに取り外してくれるものと思ったら、いつになるかわからない感じだ。ついでに、とドアホンを買い替える。これは思っていたより値が高い。これから何かとお願いすることもあると思ってお店の言いなりになる。エアコン取り外しとドアホンで費用も高くなりそうだ。すぐに1回海外に行けばこんな金額ではない、国内1回の旅行代と思えばいい、と思い直す。これで気も楽になる。

 国内、海外の旅はどんなに費用が掛かろうと行きたい場所へはよく出かけた。今はもっぱらコロナ禍で遠出はできない。そう思えば少々のことはどうだっていい。居直ってしまった。

 電気店でのお願いを終えて一安心。だが2件の工事はいつになるかはわからない。これも言われるままになりそうだ。午後は朝の勢いのままに昼食後、プールへ出かける。最高気温29度であっても自転車に20分乗ると到着時は汗びっしょりだ。泳いだ後にプールで着替えた服も家に戻れば行きよりも汗が出る。上から下までまた着替える。

 どういってもプールは楽しい。久々のプールでいろいろと声を掛けられる。昨日は500m泳ぐ。泳いでプールから出ようとすると係に声を掛けられる。久しぶりね、といわれる。そして、購入した水着を着るようにともいわれる。次回はかなり派手な水着デビューとなりそうだ。

 家に帰って思った。最近の歯科もそうだけど電気店にお願いに行くなど、行動する前から嫌な気持ちになっていた。ところが、それもやり終えるとどうこういうことではない。なぜ思いを巡らす?と自分に問うてみる。「案ずるより産むが易し」の諺がある。これはまさに自分のことだ。ということでこの言葉を今日から自分自身の座右の銘としよう。これは電子辞書によると「物事は前もってあれこれと心配するよりも、実際にやってみると案外にたやすいものだ」とある。ひらめきを行動に移す!忘れないように……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月14日月曜日

世界の新規コロナ感染者数増加中

   今朝のネットニュースによると「世界保健機関(WHO)の13日の集計によると、新型コロナウイルスの新規感染者数が全世界合計で過去24時間に過去最多となる30万7930人を記録した。インドで引き続き高水準で増加しているほか、欧州でも拡大基調にある」とある。日本では少しだけ減少傾向にあるコロナ新規感染者数。19日からは催し物などの人数制限を緩和したり、GO TOトラベルなどコロナ禍前までの行動にするために国も躍起になっている。

 ところがインドや欧州でコロナ感染者数が増加傾向にあれば来年に迫ったオリンピックの開催が危ぶまれる。ましてや海外旅行はこのままでは絶望状態に等しい。

 県内のコロナの新規感染者は毎日でなく時折出ている。そういう人たちは県外に出かけたことがある人だ。日帰りバスツアーを申し込んでいる。今は県内のバスツアーなので少しは安心だが、それでも絶対的安心感はない。そう思うと泊を伴うツアーは用心しないといけないかもしれない。

 何気なく旅のことばかり思う日々は楽しい。ところが一人船頭で生活する者にとっては時に住宅に関することで気になることが出てくる。今一番気になるのは2階のエアコン。家の主が1階に拠点を移して以降、2階で生活することがなくなった。2階のエアコンは必要なくなり、室外機とつながる線類が気になる。今日はこれから近くの電気店に行ってエアコンの取り外しをお願いしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月13日日曜日

大地に根を張る桜の木を描く

 ライブ配信と聞いて有料となっていることに驚く。お笑い芸人のライブ配信はほぼ無料なのにクラシック関係は有料もある。何人が演奏会場並みの金額を支払ってライブ配信を楽しむだろうか。ライブはやはり生がいい。それとも演奏と同時間帯をライブ配信というのだろうか。いずれにしても料金を払ってまでパソコン画面に向かって聞く気がしない。特に人気アーチストでもない限り見る人もそんなに多くはないだろう。

 話は変わって昨日の日本画教室。休む人もいて人数は少ない。3時間の教室も手が動くよりも口のほうが動いてしまう。新たな絵を描き始めた。本画制作の前に画用紙に描く予定の絵を下絵にする。以前に描いた尾関山公園の紅葉した桜とその根っこを描く。画用紙の半分以上は土からはみ出た根っこだ。

 先週、本画になった竹藪の絵を1週間ぶりに眺める。自分の中ではこれまでで一番気に入った絵となった。教室で1人そう呟いていると先生を始め他の教室の人もその絵の話になる。先生曰く「自分で絵にしようと思って写真を撮っているから、出来上がった絵も気に入る!?」。このようなことを言われるとそうかもしれないと思ったりする。ブログを始めて、絵を習うまではもっぱらブログ用だった。ところが絵を習い始めるとブログに加えて絵のモチーフになりそうな写真を撮っている。それもいくら絵になるといっても自分で描けそうなものしか写さない。

 絵を習い始めたころ、何も描けないものに対して先生は全体を描くのでなく描けそうな一部を描くといいみたいなことを話された。これは自分の中では妙に納得できた。線一本も描けないものがいきなり風景を描けるわけがない。ところが風景の一部である木一本ならば描けるかもしれない。ましてや一本の木でなくその根っこだけでも描ければいいと思って樹木を描くようになった。

 これから描く絵は大地にしっかり根を張った桜を描く。むつかしそうだけど描くしかない。と、その前に教室の休みや私的な用があって1か月くらい日本画教室を休む。せっかく入った気合も休むと一気に崩れそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月12日土曜日

らららクラシック

  GO Toトラベルの影響なのか、連日旅行社から旅のカタログが届くようになった。これまで利用していた旅行社が信頼できると思って再度カタログを見直す。この夏、新造船が瀬戸内海を就航した。先日、友だちからのメールと電話で旅に出かけるきっかけを後押しされる。その時はコロナもあってあまり乗り気でなかった。あとで送付されたカタログを見て俄然行く気になる。

 昨日は日帰り旅の4件目を電話で申し込む。ネットで情報を検索すると理想の出発日は満席だった。その1か月後の出発は催行確定で受付中とある。昨夕、ネットで確認すると申し込んだ日もすでに満席となっている。4件申し込んだうち、3件は催行確定。残る1件はさてさて。

 来月と再来月は久しぶりに日帰りで外に出かける。1か月余り暑さに負けて泳いでいない。外で遊ぶには元気でいなくてはいけない。そろそろ泳ぎに、と思って自転車のタイヤの空気を入れる。だが、気温は低くなっても蒸し暑い。ましてや今日は朝から大雨が降っている。

 話を変えて昨夜はらららクラシックを見る。久々にお目にかかる古沢巌。相変わらず素晴らしいヴァイオリンに響きを奏でる。番組タイトルはチャール・ダーシュ。この曲を最初に聞いたのは古沢巌のヴァイオリンの演奏だった。フルートのレッスンでもさらっていた。先日はYOU TUBE先生がこの曲を動画にアップしている。今年になって再度この曲を練習する。そんな矢先のチャール・ダーシュ。

 古沢が子供のころ、この曲を弾きたいと先生に話すとダメ、といわれたそうだ。チャール・ダーシュはそのころ、まだ世間ではクラシックと思われておらず弾かせてもらえなかったという。大人になったらこの曲を弾こう、と思い続けた。大きくなってヴァイオリンで演奏するようになるとクラシック界でも評判となる。いまでは様々な楽器で演奏されている。

 チャール・ダーシュはハンガリーの曲で「居酒屋」ともいわれる。飲んだり食べたりしゃべったりしながら……の曲で「哀愁と情熱」が入り混じり、切なさと激しさが込められている。これが人々を引き付けるのかもしれない。この曲はフルートで吹くがうまく吹けそうなときは何度もICに録音するので今では暗譜で吹けるようになった。だが、哀愁の場面ではうまく吹けても情熱の場面ではリズムが早すぎて哀愁と情熱の中間くらいの速度になる。これもまあ、自分で楽しむにはいいか、と自己満足する。

 降りしきる雨。今日はこれからに日本画教室が待っている。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2020年9月11日金曜日

『菜の花の沖』(五)

 今日は最高気温29度の予想でやっと秋、になるのだろうか。 

 以下は『菜の花の沖』(五)(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年第10刷)の気になる箇所からの抜粋。今は『菜の花の沖』の最終巻(六)を読んでいる。これを読み終えたら次は何を読む!?この1年9か月の間、かなりの司馬作品を読んできた。だが、司馬作品は読めども読めども多すぎて全作品を簡単には読み終えられない。自分の生きている間に全作品を読み終える。これが我が最大のライフワークとなった。これほど引き付けられる本と出合って本当によかった、と思う日々。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★日本には、「元和偃武(げんなえんぶ)」というものが生きつづけてきた。元和元年(一六一五年)五月、大坂夏の陣がおわって、ほどなく幕府が申請して年号をが元和とあらためた。元和とは唐の憲宗のときの年号(八〇六~八二〇)を太平の吉例として借用したものだが、ことばとしての意味は「大いに和らぐ」ということである。家康が漢学者(林道春であろう)に文字をえらばせて偃武(武を偃(や)める)という二文字をつけて諸大名のあいだに流行させた。これが、一種、非成文の憲法のようになった。

 以後、武器の進歩はその時期の段階でもってとどめられた。嘉兵衛のこの享和元年(一八〇一年~一八〇六年)までいっさいの武器の性能、数量は凍結されるという奇跡の歴史がつづいた。関船は、戦国までの戦闘用の船であった。それをもって「武官」松平忠明が、ロシアの南下圏の最前線にゆくのである。24-25p

★同書(ゴローニン『日本幽囚記』井上満訳・岩波文庫)には、ロシア海軍の艦長ゴローニン少佐の日本での運命に、決定的なかかわりをもった艦長リコルド少佐の「手記」も合わせてのせられている。リコルドが、「タカダイ・カヒ」とよんでいた、高田屋嘉兵衛は、どういう状況下でも、言葉にうそがなく、快活で度量が大きく、聡明な人物とされている。さらには、名誉を守るために「敵中」で死を覚悟しつつ、「敵」とともに自爆しようと考えたりするが、やがてロシア人の中に信義を見出すと、逆にかれらを救う立場になったとき、深い友情と信義で最後までつらぬいた人物としてえがかれている。

 私には、そういう嘉兵衛にも興味があるが、かれをつくりあげたこの当時の船と航海と商業について、それ以上に関心があった。39-40p

★「蝦夷地開拓」というのは、産業の感覚がなければできるものではなかった。結局は、かれらが、現地においてたまたま発見した嘉兵衛という船頭が、その点でみずみずしい感覚をもっているのを知り、さらにはエトロフ島の場所をみごとに成功させたのをみて、「ネモロ(根室)とホロイムズ(幌泉)の二つの場所もやってくれぬか」とたのみ、嘉兵衛ひとりにおんぶするかたちになった。45p

★一七一三年、同じ形式で、コサックの五十人長ワシリイ・コレソフという者が、はじめて千島列島の一部にはいり、原住民に毛皮税を課した。要するに、江戸期を通じ、ロシア人にとってシベリアおよびオホーツク海域での進出は、原住民をおどして毛皮を取り上げることを主目的とした。強大な勢力(例えば清国)とは対決を避け、もっぱら交易を持ち掛けた。領土所有欲が先行したわけではなかった。68-69p

★海にあこがれたピヨートルは、一七〇九年スウェーデンとの闘い(ポルタヴァの戦い)に勝って、ネヴァ川の河口の低湿地を得た。沼沢と森林だけのこのまったく無人のデルタに、首都をきずき、彼自身の名をとってペテルブルグ(のちレニングラード)と名づけた。71-72p

★べーリングは第一回の探検(一七二五~三〇)においては濃霧その他のためにアメリカ大陸を見ることができなかったが、それから十一年後、第二回目(一七三三~四三)の探検でアラスカ海岸を見た。かれの名は、ベーリング海峡という呼称のなかで残った。73p

★アトラソフは、イーチャ川の河畔までやってきて、そこで、原住民に抑留されている異邦人伝兵衛を見た。のちにアトラソフは彼をモスクワにつれていき、さらにピヨートル大帝がかれを引見するにいたる。つまりはロシア帝国が伝兵衛において「日本人」というものを見た記録として最初の事件なのである。77p

★ピヨートルは、伝兵衛に国費による日本語学校をひらかせた。その後、ロシアにおける日本語学校は、断続し、漂流民を得るごとにそれを教師とした。82p

★親切は、人間にくらしの日常のなかで、さまざまな数奇を生む要素かと思われる。ふつう日本社会にあっては軽度な親切はあっても、身を破滅させるほどにそれをつらぬく例はすくない。ラクスマンの人柄のなかには、この不思議な感情の液体が多量にたたえられており、光太夫たちは漂流者であるためにそれに応えるべく、何の力ももっていなかった。ただひたすらそれを受益しつづけたのみであった。93p

★加藤氏(加藤九祚)は、二十世紀の在日ロシア人学者で、すぐれた民俗学と言語学者であったニコライ・ネフスキーの学問と生涯を研究し(著作の題は『天の虹』)、大仏次郎賞を得たとき、そのお祝いの会に、一群の初老の人たちがいた。抑留時代の氏の「部下」であった。その人たちの代表がスピーチしたとき、私の考えている氏のやさしい人柄が、当時からのものであることを知った。捕虜たちが、絶望したり、捨てばちになったり、不穏の行動を考えたりしたとき、加藤さんは、つねに同じことばを、真心こめてくりかえした。

 「皆さん。一人残らず、元気で日本に帰りましょう。そのことだけを考えましょう」まことに、十八世紀の光太夫に似ている。105p

★津太夫らは、世界一周をした最初の日本人たちであった。……仙台藩では、かれらを江戸愛宕下の藩邸に一時住まわせたが、このとき藩命によって大槻玄沢らが、かれらの見分録をつくりあげたのである。……「環海異聞」には、ロシア帝国が、かれら素朴すぎる仙台藩領の漂流民たちに対し、対日外交のてこにつかうためとはいえ、、いかに手厚く扱ったかについて、十分に触れている。173-174p

★ロシア語では以後、この陸地のことをサハリン(Sakhalin)とよぶようになった。満州語で黒竜江のことをSaghalienというが、この両語の酷似を見れば、ロシア語のサハリンという地名のおこりがおのずからあきらかになってくる。さらにいえば、ロシア人のシベリア制服と、その地の少数民族との接触の歴史も、この地名の中に押しつまって籠められている。239-240p

★ゴローニンは、目の前にいる林蔵が、この幽囚の時期( 一八一二年)から十一年前に千島を踏査し、また四年前に高田屋嘉兵衛の持船貞宝丸(弟の嘉蔵指揮・千五百石積)で樺太にわたり、陸路北上してついに樺太が大陸から離れた離島であることを発見したことを知らない。このことについてクル―ゼンシュテルンが、後年、林蔵の業績を知って「我、日本人に敗れたり」といったといわれる。林蔵はすでに間宮海峡の発見者であった。392-393p

★嘉兵衛に欠けているものは、業欲というものであった。業欲以前に、金銭についてのごく一般的な欲望もすくなかった。……「あの男は違った男だ」と、幕府の箱館の駐在者も、松前(福山)の駐在者も、おもっていた。嘉兵衛を旋回させているのは、この男が持っている能力というものである。「能力」というものだけでは、世の中はまわらない。それは江戸、江戸封建制というものであった。399p

★嘉兵衛の本質に利という思想があったかどうか。かれの人間のさまざまな属性を洗ってその本質をみると、海と船が好きということになってしまうようであった。好きという日本語は、室町時代以後、数寄(すき・数寄)と書いた場合、マニアの意味をもつ。……しかし嘉兵衛はそういうマニアの性格はもっていなかった。「能力」だけが、嘉兵衛を旋回させているしんのようなものであった。それだけが嘉兵衛的事態でありかれが、まきおこしている状況であり、またかれの人生であった。406-407p

2020年9月10日木曜日

日帰り旅を申し込む

 今朝は燃えるゴミの日。各戸、家の前に出すことも可能.。だが燃えるゴミは大通りを隔てた場所に置いている。ゴミを置く人がいると思ったら道を隔てた前の家の人だった。目の前や横の家の人であっても出会うことはほとんどない。通りを隔てた家の人とは年に1度も会わないこともある。今朝出会った人は昨年末頃、洋裁を習っての帰りに会った。昭和4年生まれと話されていたので今年で91歳。背中が丸くなって痛いそうだが洋裁を習っておられる。その上、1人暮らしだ。

 最近、その人の駐車場に車が止まっているのを見ていない。娘さんの家に?と思っていたら今朝ばったり会った。久しぶりに話すと1人暮らしがいい、と話される。上品な人できれいにお化粧をされている。ピンクのブラウスは?と問うと以前に自分で縫われたそうだ。今日はこれから娘さんの車で整形外科に行くと話される。腰が痛いらしい。

 会えば家に遊びに来るようにと言われる。が、自分自身、親がいなくなって以降、1人になれたのか呑気に日々を暮らしている。この何か月かは歯科がよいが続いているが歯は大事。この年になってつくづくそう思う。

 その合間に旅のカタログを眺める。昨日までにGo Toトラベルに便乗して3か所の日帰り旅を申し込む。旅の金銭面を書くのはどうかと思う。が、それでもあまりにも安いのでアップしよう。1例として県北のバス旅は15000円。そのうち国からと県から合わせて10200円補助がある。旅行社へは4800円の支払い。さらに2000円分の地域共通クーポンがもらえる。ということで実質2800円の日帰りバス旅になる。県の補助はどの旅行社でもあるのかどうかは知らない。ここは大手の旅行社を利用する。ただ、県外の旅は県の補助は出ない。それでも国と地域クーポンで割安感はぬぐえない。日帰り旅、なんとホテルでのお昼もついている。

 今は日帰りバス旅ばかりを申し込んでいる。そのうち、外に出ることに抵抗がなくなれば泊を伴う旅行をしたい。ただ海外旅行はどの国へもほとんど飛行機が飛んでいない。行くのはかなり先の話になりそうだ。来年4月パスポートが切れる。更新準備はいつでもOKなように書類は準備済み。あと4回海外に出れば記念すべき50回目の旅となる。だが、これはいつになるのやら、怪しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月9日水曜日

「時代に翻弄された歌 イムジン河」

  写真をA3サイズに拡大コピーするためにコンビニへ行く。コピー機のプレビュー画面を操作して拡大するのだが、まずは写真サイズからA4に拡大する。230倍で拡大できた。拡大したA4サイズをA3に拡大する。間違って同じく230倍で拡大した。実際はA4→A3は設定画面がある。141倍だった。この230と141、これからも日本画で必要な数字なので覚えておこう。なお、A3サイズはF6に近い大きさでF6サイズの木製パネルに本画を描いている。

 コピー後、店内を見るとマスクがあった。それも日本製のグンゼのマスクだ。2枚入りが数袋ある。1袋を手にするとGunze、日本製が目に付く。国から送られたマスクはどこの製品か知らないがたぶん日本製ではないだろう。グンゼの製品を購入。先日の日本画教室で教室の人からユニクロのマスクを売ってもらった。これもたぶん日本製ではない気がする。

 国から支給のマスク、ユニクロのマスク、そしてコンビニで買ったマスクはいずれも布マスク。布マスクもいいのだが、いずれの布マスクも試しにつけて見ると不織布にはないにおいがある。これもつけているうちになれるのだろうか。

 マスク不足の時、シャープのマスクに勢いがあった。このシャープ製品、いまはどうなっているのだろう。

 話は変わって昨夜のBS、アナザーストーリー。「時代に翻弄された歌 イムジン河」のタイトルで哀愁あるメロディが流れる。番組HPを見ると以下のようだ。

★1968年2月、ザ・フォーク・クルセダーズが歌う「イムジン河」が発売中止となった!北朝鮮で生まれた曲。京都の朝鮮学校で耳にした作詞家の松山猛が作者不詳の朝鮮民謡と思い、日本語の歌詞をつけた。しかし、発売直前に朝鮮総連から抗議が入り、レコード会社が発売中止を決定。それでも歌は枯れることなく、その後、日本、北朝鮮、韓国で数奇な運命をたどることになる。いま明かされる、歌が生んだ数々のドラマ。

 手元にある電子辞書で「イムジン河」を調べると「北朝鮮で作られた歌。…日本でも1960年代に流行した」とある。この歌はよく知っている。ある程度は歌詞もわかる。それも当然、ザ・フォーク・クルセダーズと同時代を生きてきた。3人の仲間のうち北山だけが健在だ。この曲を世に送り出した松山猛は曲のなれそめを話す。当時、日本人学校と朝鮮人学校の交流試合はなかった。松山は朝鮮人学校に試合をしようと話に行くとどこからともなく流れてきたメロディに感銘する。すぐに歌詞が浮かぶ。1番だけの歌詞ではコンサートで歌えない。後日、その曲が知りたくて1番の入ったハングルの歌詞と楽譜を入手。辞書を片手に1番を訳し、2番は自分なりの歌詞をつけた。

 この曲をレコードに、と持ち上がるが録音後にクレームがありレコード化せずに終わる。朝鮮学校の音楽教師はこの曲を次世代の子供たちに受け継ぐ。ある時、北朝鮮でコンサートを、と話が持ち上がる。クラシック風にアレンジしたイムジン河。ピョンヤンとウオムサンのコンサートで、ピョンヤンでの演奏後の反応が鈍かった。なぜ、と思ったら北朝鮮ではこの歌は知られていなかった。だがウオムサンでは日本からの帰国者が日本でこの歌を聞いて知っていた。演奏中、ほとんどの人はこの曲を聴きながら涙する。

 元は北朝鮮の有名な人が作った曲。だが、人々の中から忘れ去られていた。それが日本人の手によって再度息を吹き返す。レコード化に猛反対したイ・チュウウは松山猛にパソコンの画面越しに謝る。イ・チュウウは長く日本や日本人に虐げられていた、と卑下する。ところが日本人である松山猛のイムジン河の歌詞を見て、いままで持っていた日本や日本人のイメージが崩れる。そして、松山の歌を通して日本人の優しさに触れる。イ・チョウウは涙して語り、松山も涙をぬぐって聞いていた。テレビを見る者もみな涙を流していたに違いない。そういう私もこの番組を見て久々に人間らしさを取り戻す。その後、レコード化されなかった幻のこの曲は音源が残っていてレコード化されている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 ブログ投稿後に気づく。北朝鮮に拉致された蓮池薫さんも昨夜の番組に出ていた。拉致される前にイムジン河を日本で聞いて知っていたそうだ。拉致されて後、北朝鮮でこの曲を聞く。そのとき歌詞にあるように鳥になって翼をはばたかせれば日本に飛んで帰れるのに、と不思議な気持ちでイムジン河を聞いたという。

2020年9月8日火曜日

ブログのコメント

 スウェーデンの108歳のブロガー・ダグニーさん。「式」のタイトルで以下のようなブログのアップがある。なお、日本語は自動翻訳機能による。

★……私は確かにブログをしている唯一の108歳に接しています。しかも、話すのもとても楽しい職業です。残念ながら、私はコメントに応答にコメントすることはできません.書いた人たちがお互いに戦い始め、管理が難しくなったので、私たちはコメントの列を閉じなければなりませんでした。たまに。表現の自由は、主に保護する良い権利です。6/9 2020

 全世界にブログの読者がいるダグニーさん。108歳であっても一人暮らしだ。介護の助けは借りていても自分のことは自分でできる。ましてや108歳のブロガーだ。そのブログのアップはほぼ毎日。お元気そうな姿がブログを通じて伝わる。この108歳をブログのコメントが頭を悩ますとはなんと悲しいことだろう。世界のドキュメンタリーで全世界に放送され、ブログの読者も全世界にいるはず。そういう私も日本から毎日ダグニーさんのブログを見て勇気づけられている。
 
 ドキュメンタリーが放送されたときは読者は1日に50万人ともいわれた。世の中いろんな人がいる。コメントを書く人のなかにも様々な人がいることだろう。それが災いとなってダグニーさんを悲しませる。結果、コメント欄の閉鎖となっていく。

 コメント数はダグニーさんとは雲泥の差があるので何とも言えない。が、見ず知らずの人からのコメントは怖さがあるのも確かだ。その反面、勇気づけられるものもある。その辺はその都度対処するようにして厄介になればダグニーさんのようにコメント欄を閉鎖するしかないかもしれない。

 何の取柄もない我がブログ。コメント云々よりもブログを見てもらうだけでありがたいことかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月7日月曜日

「日本史の新常識」を見る

 台風10号の影響でゴーと鳴り響く強い風。南から吹く風なのか南の部屋にいられず北へ移動する。雨はこれから降るのだろうか。台風が無事通り過ぎるといいけど……。

 昨夜、面白そうなテレビもなくチャンネルを変えていると<BSフジサンデースペシャル>「日本史の新常識5」を放送していた。2時間の番組の後半部分だったが興味を持って見る。番組欄を見ると以下のように書いてある。

★新型コロナウイスの影響で、休校・再開で揺れ動く学校教育の現場。そんな中、2020年は「学校教育の大きな転換期」となっている。「学習指導要領」が10年ぶりに改定。小中学校では英語・プログラミング教育をはじめ、生徒が主体的に学べるようにするアクティブラーニング制度が導入される。「何をやるか」だけではなく「どのように学ぶか」が重要視されていく教育現場。それに伴い、教科書の内容も大きく変わっていく。中でも大きく変わるのが日本史の教科書!グローバル化を意識し近現代史を充実させた内容に変化。私たち大人たちが知る日本史はもう古いものとなっている。そこで第5弾となる今回は、昭和と令和の日本史の教科書を比較!日本史がいったいどのように、なぜ変わったのか?を歴史有識者たちが分かりやすく紹介する。さらに番組独自の「教科書会議」を敢行。「史実と異なる歴史認識」や「本当は教科書に載せるべき歴史上の人物」等を新説&異説を交え徹底討論する。
歴史研究によって日々アップデートされる日本史の新常識を深く掘り下げお届けする!

 歴史教科書に登場の人物を半分にする案があるとか。削除されるかもしない人物に坂本龍馬、吉田松陰、西郷隆盛などの名がある。いずれも司馬作品に登場する人物だ。個人的にもこれを削除するのはひどすぎる、と思う。ほかにも後藤新平の名がある。この人も司馬作品に出てくる。

 今、日本はコロナ禍で落ち着かない日々を送っている。後藤新平は感染症が流行したとき、瀬戸内海の島に感染者を隔離する施設を作ったそうだ。コロナ禍の時代、どんな偉い人も後藤のような考えを持っておらず、日本中が慌てふためいている。これを見ても「歴史に学ぶ」ことは大事だ。

 昨夜の番組で初めて後藤の感染症対策を知った。ネットで調べると岩手めんこいテレビの記事があった。以下はその番組から。

★伝染病の拡大阻止した125年前の「大規模検疫」… 偉人・後藤新平の“水際作戦”スピードと実行力に学べ!
・100年以上前、世界でも前例のない大規模検疫事業の責任者を勤めた後藤新平
・国内3カ所に大規模な検疫所をわずか2カ月で建設、自ら注意点など講義
・3カ月間で687隻23万2346人を検疫、コレラ感染者369人などを隔離し感染拡大を阻止

 昨夜の放送に出ていたコメンテータは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」みたいなことを話した。遅まきながら歴史に興味を抱いたモノとしてこの言葉は痛い。昨夜の番組は毎週ではないかもしれない。が、またあるようなので気をつけて見るようにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月6日日曜日

竹林の本画完成

 春に縮景園で見た竹林に魅了されて以来、これを日本画に描こうと思った。昨日、やっとこれを日本画に完成する。以前、筍を描いたことがある。竹林の絵は筍がまさに竹になろうとしている様子を描く。縮景園を訪れた時季がよかったのか、何本かの竹が筍の皮をはいで竹になりつつあった。これは絵になる、と思って写真に収める。何度も縮景園に出かけていてもそこに竹林があると思いもしなかった。今年の春はコロナ禍で縮景園は閉鎖された。ところが、県立美術館が開館となると同時に隣接する縮景園も開園となる。

 美術館の特別展は開館後まもなく出かけた。縮景園も開園後、日も経っていなかったので園内を見物する人はほとんどいない。これ幸いと思っていつもは見ないところまで歩くと竹林があった。竹は樹木になるのかどうか知らない。が、空にまっすぐ伸びる竹は樹木と同じく生命が宿る気がする。

 日本画を習い始めて今月で丸7年。この間に描いた絵の中で昨日完成した竹林が一番うまく描けたようだ。次は何の絵を、と思っていたら教室で長州の功山寺が話題になる。その時、去年出かけた功山寺の古い巨木の写真があった。それを先生に見せるとあまりのタイミングの良さに驚かれる。次に描こうとする候補の写真を数枚持参していた。功山寺の樹木も候補の一つだ。結果、先生に見ていただいて尾関山公園の根の張った桜の木を描くことになった。

 日本画も7年間習っているといくら家で描かなくても本画が増えてくる。すべての絵を木製パネルに描く。あまり持ち物を増やしたくない気持ちがあるので前回からこれまで描いた絵のうち、気に入らない絵を地塗りしなおして描いている。次に描く絵もこれまでの絵から地塗りして描く予定。

 台風のせいか、昨日の日本画教室の帰りの暑いこと。いつになったら涼しくなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月5日土曜日

とりとめもなく

  特別警報級の台風10号。広島県は7日の月曜日に強風が吹き、危険のようだ。何日も前から台風10号がメディアを賑わす。以前、最大瞬間風速60mを経験済みの広島県。今回は九州辺りは最大瞬間風速80m超えとか。台風10号が特別警報級(?)なのもうなづける。じゃ、どうすればいい、と思っても何も準備していない。最低限の持ち出しモノとしていつも使っているバッグを持って出るしかなさそうだ。

 昨夜のカープ。勝ちそうにない試合を見るのは面白くない。早々と寝て、1時間半後に目を覚ますとまだ試合をやっている。午後11時近い時間だ。ラジオをつけると延長10回でこの回が終わる時点でカープの負けはなく、最低でも引き分けになる。2アウト1塁、バッターが打った瞬間で引き分けだった。今朝の朝刊を見ると最後まで応援した観客は6分の1になっていたそうだ。大都会と違って広島の午後11時近い時刻は試合後の帰宅が困難となる。応援を途中で終える観客をとがめることはできない。むしろ最後まで応援した観客に拍手を送りたい。

 カープの遅い試合ではないがコロナ禍で夜に出ていく習慣がなくなってきた。今月は広響定演が2週続いて夜、開催される。演奏後に家に着く時刻は午後11時とまではならないが10時を過ぎることが多い。夜遅いと演奏会に行くのがおっくうになりそうだ。今年の年間パスはなかったものと思うようにしている。来年からは年間の席でなく気に入った演奏会だけを聞く、これがいいかもしれない。

 自分自身から夜、外に出るのがおっくうになるとは想像していなかった。これも年のせい!?そう思いたくないけど十分そう感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月4日金曜日

パソコンのセキュリティ更新

  台風9号が去れば、次には10号が来る。特別警報級の台風、とその大きさの脅威を天気予報で知る。次々と起こるこれらの自然災害。いつ何が起こってもおかしくない時代になった。いまさら何を、と言われそうだが……。

 NHKのごごナマに内館牧子がゲスト出演していた。内館の相撲好きは小さいころからのようだ。体が大きい人は優しいというイメージがあったのだろう。相撲好きが昂じてある場所に最前列に座って大相撲を観覧。そのとき、2人の巨漢合わせて300㎏が土俵際になだれ込み、見ていた内館にかぶさった。痛さをこらえながらも翌日も大相撲を見に行くとやはり体が痛い。それを居合わせた元横綱に告げると相撲診療所に付け人2人が連れて行ってくれた。なんと肋骨が3本折れていたそうだ。相撲好きの内館は女性禁止の相撲協会にあって診療所に入れると知り、骨折の痛さよりもそこに入れる嬉しさが勝ったそうだ。

 ほかにも相撲好きはいろいろとあり、それがさらに昂じて東北大大学院でなぜ女性禁止の場所があるのかなど本格的に知りたくなって宗教学を学んでいる。これからやりたいことは、と聞かれて古事記という。古事記が学べる大学で科目等履修生になって学ぶそうだ。

 内館と同時期に大学で学びなおしているので興味深く番組を見る。似たような年齢にもあるのか、聞いていてかなり刺激を受ける。番組終了後、元気も湧いてきたのでこの勢いに乗って来月半ばで切れるパソコンのセキュリティの更新をする。スムーズにはいかず、悪戦苦闘。頭を冷やして冷静にとわが身に言い聞かせてパソコンと向き合う。

 これまでにも3年おきにセキュリティ更新をパソコンにダウンロードしていた。今回はセキュリティ会社が変わった。だが、やり方は似ている。3か月はお試しセキュリティがある。それに3年延長を申し込む。3か月お試しがあったのでつい「継続」のほうに目が行く。何度試みても思うようにならない。相当、冷静にと自分に言い聞かせて「初めて購入」をクリックすると思うような画面になった。だが、インストールの時間が長い。大丈夫?と思いながらインストールが終わるまでイライラして待つ。OKだった。

 とりあえずパソコンのセキュリティ関係も無事終わる。何でも1人でやることが多い。それも無事終えると次の回にもできるのだろうか、と不安が頭をよぎる。気にしても仕方ないこれからのこと。内館も話していた。ちょっと意味は異なるが、自分がいなくなってもその後のことは自分自身にはわからない。ならば、そんなことを気にするよりも今を楽しく過ごす、と。これには同感。先を思い煩うな、改めて自分に言い聞かせる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月3日木曜日

人の顔が覚えられない

 一年のうちで穏やかな過ごしやすい日は何日あるのだろう。今年になって冬からこれまでコロナが話題にならない日は1日もない。春の桜のお花見もコロナで見ることが不可能になり、梅雨時期は長く続いて大雨が降った。梅雨が明けたかと思えば暑い、暑い夏の日が続く。昨日は暑さも半端ではなかった。昨夜から台風9号の影響で明け方にかけて大風が吹く。この時点では風もやや収まったようだが、次は台風10号が待っている。自然の脅威はこれでもか、と言わんばかりに人間様に襲い掛かる。これから先はもっと大変な自然災害が起きるかもしれない。穏やかな日々はいつやってくる!?

 歯科を終えて図書館、スーパーを経て我が家へ帰る。家に入ろうとすると「やっと家に着いたね」みたいなことを言われる。振り向いて話をすると誰だかわからない。人と話をしても相手がどんな服を着ていたか、どこの人か覚えていない。失礼ながら、「どちら様?」と問うと名前を名乗られる。そしてさっき歯科で……と話される。こちらは人とすぐに打ち解けて話してもいい加減に話すのか全く姿かたちを覚えていない。歯科の診察台の隣に座っていた人と勝手に判断して話を進める。先方は何を言っている?と思われたのか「待合室で話した……」と話される。そして我が家のことをよく知っておられた。親を介護していたことでご存知のようだった。

 家が道に面している。JR駅やスーパーを利用する人は我が家の前の道を通っていく。こちらが知らない人と思っていても先方はご存知だ。次に会った時も失礼があるかも、と目の悪さを言ってその場を離れる。

 人を覚えるのが苦手。その人の特徴があれば覚えるがそうでなければ全く覚えていない。そのくせ、一度会って話せば100年位前からの知り合いのように親しげに話す。これじゃ、先方もビックリ、かもしれない。目がよくないから人の覚えはよくない、そう思っている。

 ともあれ今日も元気で過ごしましょう!

2020年9月2日水曜日

新聞を見て

  コロナ禍で日本画教室が2か月余り休みになったことがある。休み明けの教室での話から某交流会の日本画の先生の話になった。習っている先生と交流会の先生、そしてもう1人の日本画の先生の3人でよく3人展を催されていたそうだ。この3人の先生の名字のうち1文字は同じ文字と聞いて驚いたことがある。当時のことは全く知らないが興味を持って話を聞いた。その話の中で某交流会の日本画の先生の訃報を聞く。

 交流会は病気のために脱退する、と2年前くらいの席で話された。その時の懇親会で日本画を習っている、とお話したことがある。その頃には習っている先生とこの先生が懇意にされていると知っていた。どの人に習っている?と聞かれて先生の名前を告げる。その後、院展の招待状を送付されたこともあった。中に、小さな折り紙も同封されていた。

 習っている先生と交流会の先生はともに院展の院友。昨日の新聞を見ると亡くなられた先生の奥様から住んでおられる市に100点の絵画を寄贈されるという。津和野街道を題材にされた絵もたくさん描かれている。2年位前には交流会の人たちとバスをチャーターして津和野で開かれた個展を見に出かけたこともあった。

 来月上旬、某交流会の総会がある。今年はコロナ禍で延び延びになっている総会も懇親会はなく総会だけになった。長く皆さんと会っていない。絵の先生の話題もあるかもしれない。コロナや暑さに負けず元気でいないといけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月1日火曜日

人と出くわす日

  起床後、急遽、歯科へ行こうと思いつく。いつか抜かないといけない歯とは違う歯に治療をする。5月に行ったとき、先生の顔にはフェースガードがなかった。今朝はフェースガードをしての治療だ。近いうち、別の歯を抜く羽目になりそうだ。欠けた歯はこれまで2本。そのいずれもかぶせ物でごまかしていた。ところがその1か所はごまかしがきかなくなってきた。覚悟を決めて歯を抜くことになった。この年になって改めて歯の大事さに気が付く。

 歯科を出て家に着く寸前で近所のご夫妻に出会う。今年が初盆、と回覧板にその家の人の名があった。目の前に現れた人は初盆の人と思っていたのでびっくり仰天。どういうことと、立ち止まって話を聞くと夫妻の長男が59歳で3月に急死されていた。その影響なのか奥さんのほうが「お母さんは元気?」と亡くなって9年以上になる母のことを聞かれる。旦那さんがもうすでに……と教えておられる。息子さんが亡くなって少々おかしくなりかけた、と奥さん。だいぶ気持ちも元に戻ったと話されていたが、息子の死のショックは大変に違いない。

 家に着くとその足で買い物に行く。暑い暑い。台風の影響なのか真夏を取り越した暑さはまだ続きそうだ。スーパーで高校時代の同級生と出会う。マスク越しに声をかけられても誰だかわからない。レジ待ちで久しぶりに話す。先日、高校時代の同級生が獣医師になり、県北で牧場を経営している記事を見た。そう教えてあげると新聞を入手しようと躍起になっている。出会った同級生は牧場へ出かけたり、ほかでもその獣医師と会っている。来年、高校時代の同窓会があるという。誘われたけど「行かない」とかわいげのない返事をした。よく考えるとこの同級生は以前にも牧場に行こうと誘ってくれたし、会う度に同窓会へも誘ってくれる。だが一度も誘いに乗ったことがない。

 同級生は高校時代は運動選手だった。きっと楽しかったのだろう。私はと言えば運動は全くダメで目立つ生徒ではなかった。だが、話しやすいのか会えばいつでも声をかけてくれる。それなのにその返答のかわいくないことか。我ながらあきれる。

 スーパーを出るとこの近くに住む人と出くわす。夕食にと生魚を買っている。長話をしていると魚が干物になりそうだ。いつかランチを、と言いながらコロナ禍でまだ出かけていない。

 今日は特に暑い。それなのに人と出くわしては立ち話になる。もうちょっと涼しくなれば話はさらに弾む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!