2020年9月24日木曜日

《リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展》を見に行く

  県立美術館で開催中の特別展《ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展》を見に行く。コロナ禍以降、2回目の美術館行きとなる。秋とはいえ、広島駅から美術館まで歩くとまだまだ暑い。展覧会会場に着くとコロナ騒動の始めころの美術館とは違って検温など受けなくても会場に入れた。連休明けを狙って美術館を訪れる人も多い。

 リヒテンシュタイン、というのは人の名であって国の名でもあるとは知らなかった。自分自身の名が国名になっている国がほかにもあるのだろうか。もらった美術館のチラシを見るとオーストリアとスイスの間に挟まれた小国とある。それもそのはず全人口は4万人にも満たない。今でも一族は美術品収集を家訓に掲げているという。小国なのにこの経費はどこから、と勘繰りたくなる。農業を主とする国らしく軍備は他の国に依存し、切手販売で利益をねん出しているそうだ。リヒテンシュタイン発行の切手がどれほど美しいものか見てみたい気もする。

 ともあれ、一見の価値ある作品ばかりが展示してある。なかでも美術館のチラシを彩るフェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーの《磁器の花瓶の花、燭台、銀器》(1839年)は1本1本の線が繊細に描かれ、銀器の模様はまるで本物がそこにあるかのように見える。展示の絵は抽象画ではなく、具象画なので見る側にとってもわかりやすい。こういう絵は油絵とか日本画といった区別があっても絵そのものの美しさにはそういったことは関係なさそうだ。

 今回の作品は絵の前に柵がなく、近くで見られた。特別展を見終えて常設展に行く。常設展会場には見る人がいない。係の人と話すと自分の馬鹿さ加減に気づく。展示品の前に柵がなかった、と感動してしゃべっていると係に教えられた。それを知って目からうろこ状態になる。ああ、なんと恥ずかしい、と思ってしまった。

 展示品の前の柵の有無は係によると作品の額にガラスが入っていれば柵がなくてもいいらしい。そう聞いて本当に驚いてしまった!これ、本当!?

 美術館に行く、これは我が家にいるときの気持ちでなく、自分の感覚を取り戻した気がする。人間性を取り戻す、というのだろうか。美術に関して興味が薄かったはずの自分がこうも変わる、と思った瞬間だった。多分、日本画を習って以降、絵を見る際の気持ちが変わったのだろう。美術館友の会を昨年更新せずにいた。再度、今年入会してよかったと改めて思った。絵を堪能した後、3階のカフェに入る。1人で見学に来た人だろうか、それぞれ席についている。4人いた。今回は簡単なセットものがあった。縮景園を眺めながら落ち着いたひと時を過ごす。今回は暑いので縮景園はパス。駅前のデパートに急ぐ。

 久しぶりにデパートに入る。人は少ない。小さいショルダーバッグを買う、と決めていた。旅行鞄の売り場を聞いて5階へ上がる。気に入ったショルダーがあった。このショルダー、来月と再来月計5回の旅に出る。その際、重たいものは持ちたくないので軽めのショルダーが欲しかった。軽いリュックも欲しかったが、家にはいろんなところでもらった使っていないナップサックが3個ある。これをリュックに替えて旅のお供に代用しよう。

 やっぱり家から一歩外に出ると気分まで違う。家に閉じこもっていてはいけない、時には乗り物に乗って出かけないといけない、と改めて気づく。いちばんは気分が晴れる。昨日の万歩計は9258歩とよく歩いた。これで来月の日帰り旅も元気に遊びに行ける、と気をよくする。

 ともあれ今日も元気を出して楽しく過ごしましょう!

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