写真をA3サイズに拡大コピーするためにコンビニへ行く。コピー機のプレビュー画面を操作して拡大するのだが、まずは写真サイズからA4に拡大する。230倍で拡大できた。拡大したA4サイズをA3に拡大する。間違って同じく230倍で拡大した。実際はA4→A3は設定画面がある。141倍だった。この230と141、これからも日本画で必要な数字なので覚えておこう。なお、A3サイズはF6に近い大きさでF6サイズの木製パネルに本画を描いている。
コピー後、店内を見るとマスクがあった。それも日本製のグンゼのマスクだ。2枚入りが数袋ある。1袋を手にするとGunze、日本製が目に付く。国から送られたマスクはどこの製品か知らないがたぶん日本製ではないだろう。グンゼの製品を購入。先日の日本画教室で教室の人からユニクロのマスクを売ってもらった。これもたぶん日本製ではない気がする。
国から支給のマスク、ユニクロのマスク、そしてコンビニで買ったマスクはいずれも布マスク。布マスクもいいのだが、いずれの布マスクも試しにつけて見ると不織布にはないにおいがある。これもつけているうちになれるのだろうか。
マスク不足の時、シャープのマスクに勢いがあった。このシャープ製品、いまはどうなっているのだろう。
話は変わって昨夜のBS、アナザーストーリー。「時代に翻弄された歌 イムジン河」のタイトルで哀愁あるメロディが流れる。番組HPを見ると以下のようだ。
★1968年2月、ザ・フォーク・クルセダーズが歌う「イムジン河」が発売中止となった!北朝鮮で生まれた曲。京都の朝鮮学校で耳にした作詞家の松山猛が作者不詳の朝鮮民謡と思い、日本語の歌詞をつけた。しかし、発売直前に朝鮮総連から抗議が入り、レコード会社が発売中止を決定。それでも歌は枯れることなく、その後、日本、北朝鮮、韓国で数奇な運命をたどることになる。いま明かされる、歌が生んだ数々のドラマ。
手元にある電子辞書で「イムジン河」を調べると「北朝鮮で作られた歌。…日本でも1960年代に流行した」とある。この歌はよく知っている。ある程度は歌詞もわかる。それも当然、ザ・フォーク・クルセダーズと同時代を生きてきた。3人の仲間のうち北山だけが健在だ。この曲を世に送り出した松山猛は曲のなれそめを話す。当時、日本人学校と朝鮮人学校の交流試合はなかった。松山は朝鮮人学校に試合をしようと話に行くとどこからともなく流れてきたメロディに感銘する。すぐに歌詞が浮かぶ。1番だけの歌詞ではコンサートで歌えない。後日、その曲が知りたくて1番の入ったハングルの歌詞と楽譜を入手。辞書を片手に1番を訳し、2番は自分なりの歌詞をつけた。
この曲をレコードに、と持ち上がるが録音後にクレームがありレコード化せずに終わる。朝鮮学校の音楽教師はこの曲を次世代の子供たちに受け継ぐ。ある時、北朝鮮でコンサートを、と話が持ち上がる。クラシック風にアレンジしたイムジン河。ピョンヤンとウオムサンのコンサートで、ピョンヤンでの演奏後の反応が鈍かった。なぜ、と思ったら北朝鮮ではこの歌は知られていなかった。だがウオムサンでは日本からの帰国者が日本でこの歌を聞いて知っていた。演奏中、ほとんどの人はこの曲を聴きながら涙する。
元は北朝鮮の有名な人が作った曲。だが、人々の中から忘れ去られていた。それが日本人の手によって再度息を吹き返す。レコード化に猛反対したイ・チュウウは松山猛にパソコンの画面越しに謝る。イ・チュウウは長く日本や日本人に虐げられていた、と卑下する。ところが日本人である松山猛のイムジン河の歌詞を見て、いままで持っていた日本や日本人のイメージが崩れる。そして、松山の歌を通して日本人の優しさに触れる。イ・チョウウは涙して語り、松山も涙をぬぐって聞いていた。テレビを見る者もみな涙を流していたに違いない。そういう私もこの番組を見て久々に人間らしさを取り戻す。その後、レコード化されなかった幻のこの曲は音源が残っていてレコード化されている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記 ブログ投稿後に気づく。北朝鮮に拉致された蓮池薫さんも昨夜の番組に出ていた。拉致される前にイムジン河を日本で聞いて知っていたそうだ。拉致されて後、北朝鮮でこの曲を聞く。そのとき歌詞にあるように鳥になって翼をはばたかせれば日本に飛んで帰れるのに、と不思議な気持ちでイムジン河を聞いたという。
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