2022年8月31日水曜日

通話

 音沙汰なかった訪問セールス。夕方インターホンが鳴る。モニターを見ると若い男性が何やら言っている。おかしい?と気づく。新手のセールス、と思いながらも話すとさらにおかしい。ある電気製品の1か所に故障個所があるので交換云々という。会社名を何度か聞いても「変」が先になる。「〇〇メーカーの製品でそこにお願いしています……」と返答すると点検がどうじゃこうじゃと聞いてくる。メーカー名を出したのがよかったのかセールスは「それじゃ、いいです」と引き下がった。 

 あとでネットで検索するとこういう手口でだます、とある。ここに製品名は上げないが新手の詐欺を疑った。というか、チャイムが鳴っても決して通話してはいけない。と肝に銘じる。気分が収まらず姉に電話するも通じない。気も落ち着いたころ姉から電話がある。散歩していたらしく、居留守を使って通話しない、そして気をつけようと話し合う。姉の住む市内北部でも変な業者が来るようだ。

 ブログにいやなことは書かない、はずだったが自分を戒める意味で投稿する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月30日火曜日

「王直」から

 今日の最高気温は34度、明日は33度。この暑さも明日までのようだ。明後日からは台風の影響なのか雨の日が続き、幾分涼しくなりそうだ。

 世の中、少しは動き出したのだろうか。昨日は某金庫メーカーの年一度ある講演会の知らせが届く。講演会開催は3年ぶりらしく、会を催すにもいろいろと決まりごとがある。参加者は送付された資料に必要事項を書いて持参する。来月末の開催で送られてきた情報を見て気分も晴れ晴れとする。それくらい活動的でない生活をしていた!?他にも所属する某研究会から『〇學研究』が送られてきた。近年はこの会の研究会に参加せず、もっぱら送られてくる資料を読んでいる。中を見るといきなり講演録として「兪大猷(ゆたいゆう)の〇涯―明代中国の官軍と海賊ー」のタイトルが目に入る。(海賊?)と思ってすこし目を通すと王直の名がある。

 王直を知ったのは五島での旅でもらったパンフによる。昨年4月、五島列島のツアーに参加した。フリータイムがあった際、パンフの「明人堂」に目が行き、その時のガイドに(歩いて行ける?)と尋ねると可能とのことだった。地図に疎い方だが、教えてもらった通り川沿いを人に聞きながら目的地を探して歩いた。どうにか明人堂にたどり着く。王直についてはそれまで聞いたこともなかった。

 その後、司馬作品の「街道をゆく」の今、読んでいる中国シリーズに倭寇の王直の話がある。昨日、送付された資料にも海賊(倭寇)に王直の名がある。送付された資料を読むのは大変。遠ざかりつつある某研究会に少しでも遠ざからないように資料を読もう。添付の画像は五島列島で遭遇した王直にちなむお堂である。

明人堂
 
明人堂内に掲げられた王直
 王直が司馬作品に登場するとは思いもしなかった。司馬作品を読んで自分自身の知らない世界がどんどん広がってゆく。興味・関心がとても狭い人間だが司馬作品を読むことでいろんな世界が見えて来る。ほんの3、4年前までは知らずにいたことが少しずつながらも司馬作品を読むことでわかってくる。これは本当に嬉しいことであり、また楽しいことでもある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月29日月曜日

電子レンジの修理完了

 電子レンジの電源コードの不具合で大型電気店に修理を依頼した。昨日、電源コードが入荷したとのことで取り付けに来られた。電源コードはコンセントに差し込むだけで修理は終わるとの甘い予想は違っていた。テーブルに電子レジを移動させて本体のビスを外し始める。他の電気器具と違って電源は内部にあるという。途中、技術の人は右手を振り始める。電気が手に走った?と思った。だが電源は入っていない。何度かその動作をされるので話を聞くと指を怪我されたようだ。サビオで応急処置をして再度、レンジにコードを差し込まれる。

 すぐに電源コードの接続は終わった。レンジをもとの位置に移動し、タップのコンセントに差し込む。OKだった。ただ、これまでレンジの電源コードが本体の下敷きになった状態だったのでそれを解決してくださった。電源はコンセントに差し込めばOKと軽い気持ちで使用していた。ところが、そのやり方が間違いと気づいた。これからは技術の人が設置してくれた通りに使用しよう。

 修理に来られた人はとても親切だった。今はこういった人たちへのアンケートもあるらしくその用紙を渡される。もちろんすべて「満足」としてアンケートのはがきに記入した。帰ろうとされるころ、気になっていたことを質問すると気安く教えてくれた。それはエアコンのフロントパネルが開いたままになっていることだ。この修理はいくらくらい?と尋ねると金額をおしえてくれた。が、10年以上使用しているならば壊れるまでこのままで使用すれば、とこれまた親切に言ってくれる。保証期間が切れた製品は修理を依頼せず、ある程度使って新たな製品に買い替えるほうがいいようだ。なお、今回のレンジの修理代は保証期間内だったのでゼロ円だった。また、来られた人があまりにも親切なので帰り際にドリンクを渡した。

 今朝は23度と涼しい。が、日中は33度と暑さはまだまだ続くようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月28日日曜日

葡萄

  昨日は日本画教室の日。来月開催の作品展案内状に名前がない人がいる。気になったので先生に尋ねるとどうも絵を習うのをやめられたようだ。なぜ?としつこく聞くのもよくない。どの人も年々歳を取っていく。高齢化で習えなくなるのかもしれない。

 絵の教室は3時間ある。途中、先生から三次ピオーネの差し入れがある。毎年のことながらその年初の葡萄は先生からのいただきものだ。教室のティータイム前に皆でピオーネをいただく。広島の葡萄といえばピオーネ。それも三次ピオーネが有名。また岡山もピオーネの産地。というか岡山はマスカットの方が有名かもしれない。

 テレビを見ていると岡山にはマスカット以上に美味な葡萄があるという。それは桃太郎葡萄で一粒ずつが桃のような形をしている。桃太郎葡萄という名前はこのテレビで知った。なんとそのお値段はテレビによると一房1万円で県外には出回らず県内で消費されるそうだ。どおりで初めて聞く名前だ。

 さて絵の教室。ティータイムになった。しばし絵を描くのをやめて話が弾む。教室の人は作品展用の小さい絵をたくさん描かれている。その絵に額を入れる準備で忙しそうだ。教室が終わって久しぶり4人で近くのカフェに入る。ここで小さい絵を多く描いている人からなぜ描いたのか、の話を聞く。かなり神妙な顔つきだ。哲学めいた話を聞くのはめずらしいので聞く側も神妙になって聞く。ここで説明しきれないがそれぞれ人にはこれまで生きてきた歴史がある、そう思いながら話を聞いた。

 そういえばその人が最初に日本画を習おうとしたきっかけが面白い。去年から絵を再開されたその人の友だちがいる。その人の友だちは先生が教室を開かれた初期の頃の生徒さんだ。職場が同じだった2人はその友だちが職場で葡萄の絵を描いているのをみて絵に魅せられる。それ以降、その人も日本画を習い始める。そして、ブランクを経て2,3年前に絵を再開された。友だちの描く「葡萄」の絵を見てそれ以降の自身の生き方につながったようだ。

 自分自身はF6を2点出品し、小さい絵の出品はしない。小さい絵は同じコーナーに展示されて絵を見に来られた人に差し上げるそうだ。もちろん無料。話をした人は自分の絵を人にあげようとの気持ちが昂じてたくさん描かれた。どういってもこの人の描く絵は優しさがこもっているし、また絵もうまい。誰もが気に入りそうな絵である。

 暑かった8月ももうすぐ終わる。今日の最高気温は34度。朝晩は涼しくなったが日中は暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月27日土曜日

テレビの影響?

 今まさにこの時、2016年5月20日のブログ「ターリク・イブン・ズィヤード&コルセーロ」の閲覧数がぐんぐん上がる。(なぜ?)と思ってテレビのBS番組欄を見ると8時から「ぐるっと地中海4000キロ」を放送している。9時半までの放送だ。ブログをやっていて閲覧数が急激に上昇するときがある。それは大概、テレビの放送と関係する。誰にも見られず無視されるよりも誰かの目に留まればこれもブログのやりがいと思えたりする。ありがたい。

 メールをチェックすると「島根の世界遺産講座」を知らせる情報がある。コロナが流行しはじめたころの緊急事態宣言中に地元紙に掲載された島根の講座を申し込んでパソコンで視聴した。その新たな講座があるという。早速、メールで申し込む。今回の講座は大阪公立大学大学院の先生のお話だ。大阪公立大学は今年、市立大と府立大が合併してできた大学である。自分自身が社会人大学生になる際、入学試験を受けるにあたっていろいろと連絡してくださった先生が勤務されている。今年の先生の年賀状に新たな大学になる旨、書いてあった。もちろん今回の講座の講師はその先生ではないが所属される学部は同じようだ。

 本来ならばパソコンで講座を聴くよりもその場に出かけて聞きたい。その気持ちは大きい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月26日金曜日

「案ずるより産むが易し」

 一日の最高気温が25度以上は夏日、30度以上は真夏日、35度以上は猛暑日というようだが、最低気温の基準はないのだろうか。今朝は最低気温は25度以下のようでかなり涼しい。しかし、最高気温は相変わらず高くて猛暑日まではいかなくても真夏日となりそうだ。

 暑い中、大型電気店に修理依頼の電話をする。電話を掛けるまでにしばしためらう。時によって電子レンジの電源が入るからだ。とはいえ修理を先延ばしにするといよいよ使えなくなったとき、困ってしまう。というのもレンジを使わない日はなく、ご飯さえも一度炊くと冷凍にしている。夕食のご飯が冷凍で温められないとなると困ってしまう。

 思い切って電話すると本日中に修理に来てくれるという。電話を切るとすぐに担当者から電話が入る。今、町内にいるという。すぐに来られた。事情を説明すると電源コードが原因とのこと。すぐに注文するとのことで2,3日後に入荷次第、電話して持ってくるという。

 担当者がレンジを見て1分もしないうちに故障個所はわかった。「案ずるより産むが易し」のことわざどおり(何を躊躇していた?)と思ってしまった。一件落着で気を取り直して眼科へ。眼圧は12と17だった。眼科のある町はコロナの新規感染者が連日100人近くいる。単独町政の町だが人口は3万人とか。

 それなのに連日の感染者が多すぎる。隣町に位置する我が町もきっとたくさんの感染者がいるに違いない。市内全体でなくせめて区ごとに感染者を発表すれば、と思うが、それどころか国は全体数はどうでもいいようなことを言っている。何がいいのかわからないが、ただただコロナの収束を願うばかりだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月25日木曜日

『心がスッと軽くなる禅の暮らし方』

 1、2日前から電子レンジの調子が悪い。何もなく平々凡々と過ごしている。こういった日常に襲いかかる突然のアクシデント。さてどうしよう?と頭を悩ます。レンジは大型電気店で買い求めた製品。電気店のクレジット決済であれば5年の保証期間がある。商品トリセツと保証書を一緒に保管している。保証書を見ると来年末まで保証期間がある。ここでまたどうしよう?となる。

 レンジの故障はコンセントの差し込み具合で電源が入ったり入らなくなったりする。メーカーの故障診断ナビという検索で調べると修理代はかなりかかる。ただ保証期間なのでその辺はどうなんだろうとまた考える。 

 先日、『心がスッと軽くなる禅の暮らし方』、サブタイトルとして「心配事を『力』に変える」(枡野俊明 光文社、2021年初版)を読んだ。この本にあるように心がスッとしないときはあれこれ悩んでいてもなにもいいことにはならない。「禅即行動」とあるようにとりあえず電気店に修理の電話をかけよう。悩まず行動するしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は気になる箇所のメモから。

★「禅即行動」という言葉があるように、とにかく動くこと、行動することが、(心配事がある)その状況から抜け出す最良の方法、もっといえば唯一の方法だと考えるのです。(はじめに 7p)

★「なるようになる、心配するな」……一休さんの遺言、時空を超えて生きて”います。(173p)

★大きなお寺などには、本堂に行くまでに門が三つ設けられています。お参りをする人は、門を一つくぐるごとに鎧を外してゆき、三つめの門をくぐったときには、素の自分、まっさらな心の自分になるのです。本堂まで時間をかけて歩くことで、祈るための心の体制が整うわけです。祈ることのいちばん大きな意味は、人知を超えた大いなる力に、自分の思いを委ねることにあるといっていいでしょう。(201p)

2022年8月24日水曜日

暗唱


 日本画教室の作品展の案内状を見ると常連で出品されていた数人の名前がない。暇つぶしに誰がいなのかを考える。が、数人のうち1人しか思い浮かばない。その人は県美展入選者の常連で作品展でも絵が上手な人だ。ましてや年齢を重ねられても人一倍ファイトがある人。その人の名前がない、と気になる。

 絵を習っている人たちは年齢的にも似たり寄ったりでそれほど大差がない。というかどの人も長く習われている。作品展の会場でもあれこれ絵について話される。それくらい絵が好きな人たちだ。その反面、絵心もなく人に誘われるままに習い始めたモノとは大違いだ。ただ習いに行っているだけの気がする。これではいけないと思いながらも自分で絵を描く、というだけで御の字だ。これもすべては教室の雰囲気がいいことにあるのかもしれない。

 今朝は幾分涼しさを感じる。とはいえ蒸し暑さはある。覚えようとした「思い出のサンフランシスコ」の歌をやっと覚えた。ただ、唱の前にある詩のような箇所はまだ覚えていない。錆びついた頭を活性化させるには暗唱はもってこいの方法かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月23日火曜日

いつまでも暑い!

 ニュースを見たり聞いたりすると(人間がすることか?)と思えることが起きている。人前で演説すれば背後から銃を撃たれたり、街中を親娘で歩けばこれまた背後から刃物で刺される。飛行場までバスで移動すれば高速でバスが横転炎上し、いつの間にか事故に巻き込まれる。何気ない行動のはずなのに気が付けば……、となりかねない。

 じゃ、どこにも行かないで何もしなければ、となると何のために生きているのかわからない。何がいいのか、どうすれば安心なのかわかる人がいる!?

 物騒な世の中になった。といってメディアのこういった情報に一喜一憂していてもなにもいいことにはならない。こういったことがある度にいつも思う。すべては自暴自棄がそうさせる!?

 自分で自分を虐めず、もっと自分を愛おしく思えばこういうことにはならない。と、思うけどどうなんだろう。それにしてもいつまでも暑い!

 ともあれ今日の元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月22日月曜日

mail

 東京に住む姪から近況を知らせるメールが届く。姪は働きながらこの春から再度、大学で学び直している。それによると「無事好成績で単位を取得できました。……引き続き勉強もパン活も楽しんで卒業目指します!!」とあり、意気込みが伝わる。このなかの「パン活」とはパンダ好きの姪の変わらないパンダ愛がある。メールにはレイレイとシンシンの写真が添えられていた。

 何でもいいから夢中になれるモノ・コト・ヒトがあるのは幸せなことである。何も思わず日々を過ごすよりも人に迷惑をかけない程度に自分が思うように生きる。それも元気で楽しく生きていければそれはそれで幸せな一生と思っている。まだまだ暑い日は続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月21日日曜日

日本画教室で

 異常に雨が降る。そう思うのは自分だけだろうか。秋はいつ来る!?

 昨日は日本画教室の日。来月開催される日本画作品展の案内状を先生から受け取る。案内のメンバーを見ると例年よりも数人少ない。先生も生徒の皆さんも年々歳を取る。絵を習いにこれなくなる人もいる。教室の人も春から足腰の調子がよくないらしく教室を休まれている。絵を習い始めてもうすぐ丸9年になる。この間、亡くなられた人も何人かいる。途中で絵をやめるというよりも亡くなられてやめることが多いようだ。せっかく和気あいあいと習っている人が突然来られないと淋しいものである。

 相変わらず風景を描いている。教室の人は面白そうな絵を描いている。ご自身がクラシック・バレーを習われていたらしく踊っている写真を題材にして絵を描くという。写真を見るとまるでフラメンコダンサーのような格好でロングドレスをまとって踊っている姿だ。いつの写真?と問うと10余年前らしい。

 これを見て少々羨ましくなった。というのもいろんなことを習ってきたが残る習い事が体を表現するダンスだったからである。以前、写真を持参した人との某比較文化研究会で同席したことがあった。その中にバレー教室を主宰されている人がいた。その人の話を聞いているうち、大人のバレー教室に入りたくなった。数年前のことである。だが、元来、運動神経が鈍く歳も取っている。かなりやる気になっていたが諦めた経緯がある。昨日の写真の人を見て本当に体を表現できる人が羨ましかった。その人は、バレーはやめられたが今はオペラで舞台に立っておられる。

 絵のセンスもあり、昨年の秋ごろから長く休んでいた日本画を再開されている。来年の作品展にはバレーを踊っている写真の自画像を描かれるという。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月20日土曜日

金盞花の種購入

 午後は雨の予報だが、朝から太陽はカンカン照りだ。今日も暑くなりそうだ。今年になって 百円ショップで種を買ってコスモスと向日葵を植えた。どちらも花が咲く?と不安だった。コスモスはひょろ長く伸びて花にも勢いがなかった。が、向日葵は自分が出番とばかりに大きく伸びて3輪、大きな花を咲かせた。向日葵の葉っぱは大きいばかりで虫食いのようになる。それを一枚ずつ取ってゆくとそこからまた芽が出て小さい蕾をつけた。今はコスモスは処分し、向日葵を1本だけ残している。

 昨日、百円ショップに出かけて観葉植物用の土を購入した。ついでに花の種を物色していると金盞花の種がある。2袋100円で種を購入。我が家の庭は狭い。だが、何を植えても大きく育つ。レモンを切ったところにコスモスと向日葵を植えた。残る向日葵1本もそろそろ終わりそうなのでその地に金盞花を植えよう。金盞花は仏さん用の花のイメージがある。他の花の種を物色したが今一歩気に入らない。金盞花の種が1袋にどれくらいあるか見ていないが2袋植えれば少しは花を咲かせそうだ。

 種まきの時季は9月中旬から下旬とある。順調に育てば来春3月か4月には花をつけるとか。自分で種から撒いて咲かせるのはコスモス、向日葵に続いて金盞花が3度目になる。徐々に花を育てることが楽しみになるかもしれない。

 金盞花の花ことばは勤勉。来年の春分の日には金盞花をもってお墓参り!?種を撒かないうちからもう楽しんでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月19日金曜日

『街道をゆく』(四十二)「三浦半島記」

 『街道をゆく』(四十二)「三浦半島記」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1997年第7刷)を読んだ。「三浦半島記」とあるように鎌倉と横須賀を取り上げている。8月は原爆の日や終戦記念日などで戦争に絡む報道も多い。この本を読んで鎌倉幕府や先の戦争などが自分なりにわかってきた。

 とくに「鎌倉幕府がもしつくられなければ、その後の日本史は、二流の歴史だったろう」のくだりと「太平洋戦争というのは、その名のとおり、日本側が太平洋いっぱいに散在する大小の島々に兵力を拡散分駐させた戦争だった。私はこの齢になって、この狂ったような兵力分散の構想が、じつはただ一点、オランダ領東インドの石油を抑えるという主題から出ていることに気づいた」の個所、そして「陸軍の初年兵教育は、私の経験では、まず個人の名誉心や自負心を砕くところからはじまった。海軍は、どうやら個人という者を、多少でも残したようである。”海軍軍人はスマートであれ”というのが教育の基本であった以上、個々の名誉心が濃厚に残されていたといっていい」のくだりである。

 父が写った写真を見ると兵隊姿の写真がある。まだ若かりし頃に写ったと思われる写真に「新兵さん」と自らを記している。子供の頃、お酒が入るとよく軍歌を謳っていた。戦地に赴いた話は聞いていないが外地に行ったことはあるようだ。自分自身、今ほど先の戦争についての関心がなく親に当時のことを聴こうともしなかった。今となっては残念な気もする。

 歴史嫌いが大人になって近代史に興味を持つようになった。この頃は司馬遼太郎の本を読んで近代以前の時代にも関心が移っている。すべては司馬作品のお陰である。

 今朝は幾分涼しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく気になる箇所をメモした。

★律令制国家は、農地をふやすために、諸国諸郡に開墾をすすめた。ひとびとの欲望を刺激するために、墾田は、開拓者の永代私有とされた。……当時、鉄が高価だった。鉄製の農具や水利道具を多量に買える者が、逃散した農民たちを集め、山野をひらいた。……要するに、やがて武士とよばれる者どもは、墾田の農場主のことだった。律令制時代を通じての法のおかしさは、せっかく切りひらいた墾田の所有権が、その開発人やその子孫の所有にならなかったことである。……その管理人のことを、通称、武士という。武装して農地を自衛しているからである。(10-11p)

★平安中期以後、特に関東は、大小あまたの武士の巣窟だった。それぞれのうちの管理権を、懸命に守っていた。そのさまを、一所懸命といった。(12p)

★公家は、後生のために殺生をおそれ、数世紀のあいだ、死刑さえ廃してきた。一方、武家は人を殺す。それも自分の利益や面目のために殺すのである。ここで起こっていることどもは、八百十数年前のことである。その後、世々を経、倫理も鍛錬されて、そういうこんにちの目からみれば、武士の世は、悪漢小説(ビカレスク)に似ている。が、鎌倉幕府がもしつくられなければ、その後の日本史は、二流の歴史だったろう。農民――武士という大いなる農民――が、政権をつくった。律令制の土地制度という不条理なものから、その農地をひらいた者や、その子孫が、頼朝の政権によって農地の所有をたしかなものにした。(53-54p)

★登りながら、頼朝をひとことでいうと、”忍人”(にんじん)ということにもなるかもしれない。忍人というのは、わるい意味である。ただし、忍ということばは、儒教でも仏教でも、いいことばとされている。我慢する。なによりも、辱めから耐える。仏教では忍辱(にんにく)といい、儒教では、忍辱(にんじょく)という。忍という文字は、善と悪の両義性をもっている。耐えしのぶには、意志の力がいる。この意志力は、善である。しかしそれだけのつよい意志をもつ者は、いざとなれば残忍だろうということから、”忍人”という場合、平然としてむごいことができる人ということになる。むろん、悪人のことである。(163-164p)

★頼朝の、鎌倉におけるすべては、この八幡宮の造営からはじまった。神は、石清水八幡宮から勧請した。古宮の岩清水に対して鶴岡での殿者が若い。古神道では、神は若さをよろこぶのである。たとえば伊勢神宮では二十年ごとに木肌の初々しい社殿に神を移す。……それに、”古宮”である石清水八幡宮は、伊勢神宮とならび、平安朝以来、朝廷の二大宗廟とされてきた。くどいようだが、その宗廟を古宮とし、頼朝自身が拠って立つこの鶴岡を若宮とよんだのは、平安律令制に抵抗してここに武家独自の政権を樹てようとしたかれの望みに、いきいきと符合している。(201-202p)

★私などは、陸軍に身を置いた。……海軍懐旧者の場合、能を思わせる。舞台の上の翁は杖でかの海を指し、――いまは遥かながら、むかしわが身を托生せしかの日日は、あはれ、べつの星にてありしか、と謡うがようである。陸軍はちがう。……班長が下士官で、上等兵などの古参兵がいる。私的制裁が加えられるのも、この内務班においてである。私はそこに属しながら、刑務所というより、江戸時代の伝馬町の牢だとおもった。人間の誇りはみな剥ぎとられた。一年でも永くいた古年兵が、牢名手のように威張っていた。……海軍はその消滅まで、陸軍のように精神訓話をしないところだった。「海軍士官は、スマートであれ」というひとことだけだったという。(273-275p)

★太平洋戦争というのは、その名のとおり、日本側が太平洋いっぱいに散在する大小の島々に兵力を拡散分駐させた戦争だった。私はこの齢になって、この狂ったような兵力分散の構想が、じつはただ一点、オランダ領東インドの石油を抑えるという主題から出ていることに気づいた。日本海軍は、日本艦隊が二十数日走りまわれば備蓄石油が尽きるという欠陥を背負っている。……ところが、緒戦における南太平洋での成功が、陸海軍の作戦者たちを驕らせたかのようである。……日本がキスカ島やアッツ島にに無血上陸したのは、昭和十七年(一九四二)の六月である。島を要塞化するわけでもなかった。その後、補給がとだえがちになり、年が明けると、飢餓が色濃くなった。(338-340p)

★陸軍の初年兵教育は、私の経験では、まず個人の名誉心や自負心を砕くところからはじまった。海軍は、どうやら個人という者を、多少でも残したようである。”海軍軍人はスマートであれ”というのが教育の基本であった以上、個々の名誉心が濃厚に残されていたといっていい。(350p)

★横須賀の街を歩きながら、一掬の水ということを考えた。火事を消すのに、両掌で結んだ水をかけてもむなしいが、しかし敗色の濃いこの時期のひとびとはみなそのようにして命をすてた。そのきわだった例が、小松幸男兵曹長だったといっていい。(357p)

2022年8月18日木曜日

「想い出のサンフランシスコ」


 お昼はラジオを聴いている。しかしお盆などの時期は通常とは異なる放送となる。「昼の憩い」をNHKのFMで聞いていると今週は「エターナル」という番組に代わっている。エターナルを電子辞書で調べると「永遠の」とある。どおりで聴いたことがある音楽だ。2日前は「想い出のサンフランシスコ」が流れる。なぜか英語歌詞なのに最初の出だしは覚えていた。

 コロナ禍になって話す機会が減った。これはいけないと思って気になる歌を原語で覚えて口を動かすようにした。これまでケ・セラ・セラ、その名はフジヤマ、黒い瞳のNatalie、夜来香などを暗唱している。次は「想い出のサンフランシスコ」を覚えよう。YOU TUBEで探すと英語歌詞の歌があった。歌詞はネット上の掲載を引用しよう。そして、しばらくはこの歌を暗唱できるまで練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

「想い出のサンフランシスコ」

(Verse)
The loveliness of Paris
It seems somehow sadly gay
The glory that was Rome
is of another day
I've been terribly alone and forgotten in Manhattan
I'm going home
To my city by the Bay..

(Chorus)
I left my heart
in San Francisco
High on a hill, it calls to me
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars!
The morning fog may chill the air
I don't care!

My love waits there
in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you,
San Francisco,
Your golden sun will shine for me!

2022年8月17日水曜日

テレビでナイター観戦

 昨夜は久しぶりに楽しくテレビで野球を見た。スタメン起用の選手や監督がコロナに感染し、急遽、数人がスタメンに入った。いつもは代打での出番が多いとテレビを見ていても面白くない。昨夜はスタメンと知ってテレビの試合中継開始からテレビにくぎ付けになる。この時点で何と既にホームランを打っている。これは面白そうと思った。1打席目はホームラン。2打席目は安打。3打席目もホームラン。4打席目は?と思ったら大きなライトフライだ。

 テレビ放送は午後10時まである。昨夜は途中から雨が降る。せっかくホームランを打ったのに雨で試合中止とならないようにと思いながらテレビを見る。最後まで試合ができた。さあ、次はヒーローインタビュー。案の定、森下投手、矢野選手、堂林選手の3人がヒーローインタビューに登場した。話を聴いていてもなんと気分がいいことか。

 試合は今夜もある。が、お天気が気になる。今朝までの雨の降り方は尋常ではなかった。ただ、気温は久しぶりに30度を超えないらしい。とはいえ蒸し暑さは残る。

 自分自身が勝ちの人生を歩んでいないせいか、勝負事は好きではない。と言いながらも選手が活躍する姿を見るのはいい。それも常に第一線で活躍する選手でなく、ひたむきに出番を待って頑張る選手が好きだ。その点、昨日は最高の試合だった。選手の活躍がファンを元気づけてくれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月16日火曜日

日本水彩展を見に行く

 先日、日本水彩展の出品者から招待券が2枚送られてきた。日本画教室の人に展覧会を、と誘うと見に行くとのことで一緒に出かけた。展覧会は八丁堀の福屋で開催中。11時に会場で待ち合わせの予定が早く福屋に到着した。デパート内に入ると次の入口で人が待っている。なぜと思って入り口の掲示を見るとオープン時刻は10時半だった。開店までたくさんの人がいる。この頃は街中へあまり出かけないのでデパートの開店時刻さえ知らずにいた。早めに行って店内をウロウロしようと思った魂胆は見事に外れてしまった。

 展覧会入り口で友だちと合流し絵を見る。お盆というのに絵を見る人が多い。入場券を送ってくれた人、送ってもらうことを教えてくれた人、出品する人などののほかに目録で知っている人の絵を見て歩く。絵を見ただけでは日本画、油絵、水彩画とほとんど区別がつかない。ただ、水彩画はあまり抽象画がなく見ていてもわかりやすい。初入選者の名を見て以前、コーラスで一緒だった人だと気づく。お祝いの電話を、と思ったら電話番号を削除していた。この人とは数年前に合唱の会長夫妻と数人で青森を旅行したことがある。その時に宿は会長宅とほかにホテルに泊まった。その時一緒だった人の絵もある。

 青森旅行は絵を描くのが目的だったが、当時は絵を描く楽しみが判らず遊び半分で旅行した。その時、同行の人たちは皆さん、旅行先でスケッチをされていた。それから後の初入選はきっと喜ばれているに違いない。

 絵を見た後は友だちとお昼を食べる。外は暑いのでのでデパート内の和食のお店を探す。友だちが行きつけのお店は待っている人が多い。仕方なくほかのお店へ行く。空いていた。食事後、お客が少ない意味が分かった。美味しさが違うようだ。その後はティータイム。久しぶりに老舗の朝日ティーサロンへ入る。このお店は半端なく長く営業されている。久しぶり、というか何十年ぶりで入ると店内の雰囲気は以前と変わらず落ち着きがある。

 珈琲を飲んでもこの頃はティーカップで珈琲を出すお店も少なくなった。ところがこのお店はカップからして雰囲気がある。ケーキセットを注文。昭和のレトロ感満載のお店だ。外が暑いので2人で長居をしてしまった。

 いつもはひとり行動が多い。久しぶりに友だちと一緒の行動で話も弾む。さすがに草臥れたのか、というかお腹もいっぱいで早めに寝る。ただ、食事中や話し中にマスクを外していたので(気づいたときはマスクをつけたが)、寝るころになってコロナが気になる。今のところ大丈夫のようだ。それにしても連日の蒸し暑さ。今日は特に暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月15日月曜日

明かりを灯す

 先日塔婆を取りにお寺へ出かけた際、リーフを2枚いただく。うち1枚に「お盆と花火」と題した記事がある。文の始めに「明かりを灯してご先祖様をお迎えしましょう」とある。お盆のこの時季、各地で花火大会が催される。この頃はコロナ禍で例年行われていた花火大会が中止のところもある。この花火、記事によると「死者への慰霊、お盆の迎え火・送り火としての意味がある」という。打ち上げられた花火は華麗に夜空に咲き誇ったかのように思えば一瞬にして消えてゆく。その様はとても美しく、とても儚かないものだとか。それはまるで人生のように。

 またお盆には明かり(灯火)がつきものとか。これには迎え火・送り火・盆提灯、精霊棚ののロウソク、鬼灯(ほおずき)、花火などがある。これらの明かりを目印にしてご先祖様がかえってこられるという。そのためにも心の明かりを灯そうと……。

 父が亡くなって30年が過ぎた。亡くなった後のことは何もわからなかった我が家はお寺で紹介してもらってお墓の建立、仏壇の購入などその年に一気に済ませた。仏壇を購入する際もお店の人が言うままで盆提灯や仏前に供える食器などの道具一式も購入した。ところが盆提灯は母が健在だったころはお盆になると飾っていた。それも今はしまい込んだままで出そうという気力さえもない。食器に至っては買った時のままである。

 何もかも簡素にしすぎた感はあるがそれも仕方ない。お盆の法要もやめてしまった。ただ、せめてもの供養は毎月、命日にお墓参りをするくらい、と雑になっている。

 お盆に鬼灯が花売り場にあることや盆提灯の意味も記事を読んでわかった。一昨日、この記事を目にしたとき、開かずの仏壇を開けてお供えをし、明かりを灯した。普段は仏壇の前にある小さな机にお水などを供えている。

 ともあれ今日も元気で楽しk過ごしましょう!

2022年8月14日日曜日

BSシネマ「ひまわり」を見る

 2日前、NHK・BSシネマで「ひまわり」が放送された。この映画は何年か前にもBSで放送されて見ている。今年になってロシアがウクライナに侵攻し、今も争いが続いている。これを見計らったかのように市内の映画館でこの映画が上映された。一面のひまわり畑の下には先の戦争で亡くなった夥しい数の人たちが眠っているという。

 映画の最後に戦場に赴いた元夫は別の人と結婚。その後、元夫は元妻とつかの間の再会を果たす。最後の言葉が戦争の怖さを物語る。「戦争とは過酷なものだ」「実に悲惨だった」と。

 映画を見た後の昨日の地元紙に〈プーチンの「戦争」(中)〉のタイトルで記事がある。この(上)を読んでいない。前日に(上)があり今朝は(下)がある。紙面を読んでも字面を追うだけで意味がつかめない。じっくり読んでも結構難しい。結果、3日分のこのコーナーを切りとって意味がつかめるまで読まないといけない。それくらいロシアとウクライナの関係は難しそうだ。メディアの報道で知る限り、一方的にロシアが悪いと思っていた。が、この両国のことは簡単なことではなく根深いものがありそうだ。

 そんな矢先、知り合いからウクライナを支援するはがきが舞い込む。あるイベントでのウクライナの応援らしい。何かコトがあるといかにも訳知り顔でボランティアをやる。それはただ、(コトに便乗したイベントではないのか)、と変に勘ぐってしまう。

 もう一度切りとった新聞を読んで理解したい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月13日土曜日

塔婆をもってお墓参り

 昨日、蒸し暑いなか、元気を出してお寺へ塔婆を取りに行く。お寺で声をかけても返事がない。中に入ってチャイムを鳴らすとお上人の奥様がおられた。塔婆を受け取ると「お茶でも……」と話される。言葉に甘えて麦茶をいただく。冷たいお茶を飲みながら「娘さんは大学を卒業された?」と聞くと2年前に卒業して塾の講師をしているという。いつの日かこの娘さんがお寺を継がれるのだろう。

 話していると次々に塔婆を取りにやってくる。長居は禁物とお寺を出て、半端ない蒸し暑さの中を我が家に拠らず、その足で塔婆をもってお墓に参る。お寺を出るとき安芸門徒特有の盆灯篭を建てなくてもいいかをどうか尋ねると建てなくていいとのこと。母が亡くなって以降、お墓に盆灯篭を建てなくなった。我が町辺りは大半が浄土真宗で我が家のような日蓮宗は少ない。そのためお盆のこの時季、盆灯篭がお墓にない家もほぼない。それに代わるのが塔婆と思うので盆灯篭を建てなくてもいいと思うようにした。

 そんな風潮の波もこの頃は変化してきたようで盆灯篭を建てないお墓もあるようだ。スーパーの店頭で売られる盆灯篭は年々、少なくなり、市販の小さい塔婆を売るようになった。お寺で頂く塔婆は1.5m×10cmでその家に関することが筆で書かれている。ちなみに@¥3000で市販の塔婆とは比べられないほど高い。

 塔婆をもってお墓へ行く。蒸し暑さも半端でなく汗がしたたり落ちる。お盆以外の涼しい日にと一瞬頭を過ったが勇気を出してお墓に参る。幸いカンカン照りでなく蒸し暑さがあった。家に着くと何か一仕事を終えた感じになる。

 お寺で2枚印刷物を貰った。落ち着いたところでこれを読む。「お盆と花火」と題した文がある。この続きは、後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月12日金曜日

塔婆

 働かなくなって20年も経つと以前にはなかった祝祭日が何の日?と気づかされる。昨日も新聞の日の丸を見て祝日と改めて知る。祝日であればゴミ出しが気になる。幸い昨日は平常のゴミ出しだった。

 今朝はこれからお寺へ塔婆を取りに行く。本来ならばお寺でのお盆法要(盂蘭盆会施餓鬼大法要)に参列して受け取る。が、だいぶ前に一度それに参加してうんざりしたことがあった。こういう気持ちでの参加は罰当たりというか罪作りに思えてそれ以降、参加していない。お寺での法要はこれ以外にも年に何回かある。一年のお寺のスケジュールは郵送されてくる。お寺の行事にほぼ参加しないけれども、どうしてもかかわらないといけないこともある。お盆の塔婆がそうである。

 塔婆は本来ならば年に3度ある。春と秋のお彼岸とお盆である。数年前にお彼岸の塔婆は断り、お盆だけにした。そのお盆もこう暑くてはお寺へ塔婆を受け取りに行くだけでも大変と思うこともある。そう思っていると罰が当たりそうだが……。

 巨樹や山、大自然に触れると神が宿っている気がする。とはいっても今、世の中を騒がしているような宗教にすがって信心する、これはない。しっかり高齢者と言われる域に達していても何かにすがりたい気持ちが湧いてこない。これはなぜ!?信心深くないのかもしれない。これから塔婆を取りに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月11日木曜日

『長安から北京へ』

 蒸し暑い日々はいつまで続くのやら、と思いながら家でおとなしく本を読んで過ごしている。読む本と言えば飽きもせず司馬作品が多い。今から30数年前に買ってそのままにしていた本もある。テレビの「街道をゆく」にあわせて読んでいたがそれも終わり、先日は新たな「街道をゆく」だった。その合間に『長安から北京へ』(司馬遼太郎 中央公論社、昭和62年7刷)を読む。

 長安は今の西安。だが本にある延安は訪れたことがない。今から40年前に中国語を習い始め、それから4年後に中国へ出かけた。最初の海外旅行が中国ということもあり、またその旅が楽しかったこともあって中国にのぼせていた。ところがこの頃のロシアや中国の状況を見ているとのぼせるどころか脅威さえ感じる始末。何がどうなったのか、自分ではわからないが世の中が確実に変わってきている。

 不安を煽るような話題はこの辺でやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく気になる箇所をメモする。

★「延安では、質問は革命ということに焦点をあわせていただきたい。質問をすると言うより、学習をする、という気持ちで。――」と、日本側から中学生に対するような注意をうけていたのだが、このことは自分のなかにいっぴきのコドモを同居させているような人間たちに、ひどく酷なことであろうとおもった。好奇心というものは、焦点も脈絡も文脈も本来なくて、所かまわずでてしまうものであり、延安滞留中これをおさえつづけることに自信がなかった。延安では、川に沿って、家屋その他の建造物がある。例の黄土の山寄りにはあまり建造物がなく、家屋は、「窰房(ヤオファン)」とよばれる洞窟である。(54p)

★漢民族は多種類の民族の血がいるかいないかで自他を区別した。もし入りまじって民族の成立をみたためもあって、相手が何民族であるかよりも相手が華夏の文化に浴しているかいないかで自他を区別した。もし夷荻の生まれであっても漢民族の衣服を着、その礼の習慣をもち、漢民族の言語を使うという文化性さえ持てば、華夏の民であるとした。(106p)

★遣唐使がゆくまでは、日本には定まった国号がなく、それまでは美称もふくめていろいろ呼び方があったが、中国で知られている呼称は倭国であった。遣唐使の派遣がはじまった以上、対外的に国号をきめておく必要があり、結局は日本になったわけだが、このことについては『旧唐書』の「倭国自ら其名の雅ならざるを悪(にく)みて、改めて日本と為す」が、よく引かれる。(107p)

★漢朝から清朝までにいたる中国の官僚組織の伝統は世界に冠たるものがあり、組織だけでなく官僚他紙が残した詩文や政治論もまた中国の文明の遺産であるといっていい。しかしたとえば日本の江戸末期あたりの諸藩の役人の感覚からこれを見れば、目を蔽うような汚職の歴史であるともいえる。地方長官などは、まれに清潔な者がいたとしても、清潔でもなお在任三年で子孫三代が食えるだけの利を得るとされた。……清末以来の中国の憂国のひとびとにとっての苦しみは、この儒教が存在するかぎり近代国家が成立しえないというところにあった。(116p)

★「隋唐時代の地下倉庫です。最近、発掘されたものです」私は不意に窖(とう)という漢字を思いだした。……洛陽には遠い時代、大地に大きな穴がうがたれて、江南の稲作地帯から大運河によって運ばれてきた穀物をほうりこんで貯蔵する、ということを読んだ記憶がある。(127p)

★中国にあっては儒教という普遍的原理が、大陸にいる多数の民族を融合して一民族にしてゆくのに働きがあった。――逆にいえば儒教はそのためにも存在した――と見ていいであろう。こういう経験を、回教の諸民族も経、キリスト教徒たちも経た。日本に住む私どものほうが特殊だと考えるほうが、素直なように思える。要するに、中国人は二千年来、論語という小冊子を読みつづけてきたのである。(172-173p)

★絶対的な対象にある政治家を持つのが人類の幸福であるのか、それとも政治家たちを自分たちの脚下に見おろして罵倒する自由をもつのが人類の幸福であるのか、このことは人類にとって永遠に解決できない課題であるに相違なく、ひるがえって私の好みをいえば、むろん後者である。(260-261p)   

2022年8月10日水曜日

『街道をゆく』(三十一)「愛蘭土紀行」(Ⅱ)

  『街道をゆく』(三十一)「愛蘭土紀行」(Ⅱ)(司馬遼太郎 朝日新聞社、1996年第4刷)を読んだ。最初に取り上げたのはハープについてのくだりである。知り合いにホームコンサートを開催される人がいる。何度かお家にお邪魔してコンサートに参加した。コンサートはハープを主体とし、ゲストを招いての演奏会である。コンサートの主のお宅にはハープが3台ある。他にもグランドピアノが2台あってコンサートモードにあふれている。

 本を読んで一番に頭をかすめたのがこのハープ奏者だった。その人はアイルランドに留学してハープを学ばれている。お宅にはアイリッシュ・ハープも当然ある。以下がそのくだり。

★ハープは、古代、世界にその仲間がひろがっていった。ヨーロッパ大陸では、中世がおわるとともにはやらなくなったらしい。島国のせいか、アイルランドでは生きた化石のようにその後も好まれつづけた。アイリッシュ・ハープとよばれる地方色のつよい形のものである。(……いまでもアイリッシュ・ハープは民族楽器とされ、これを学んだり、演奏したり、聴いたりすることは、民族の魂をとりもどすことだとされている。なにしろ、お札に、むかしのハープ名人だったなんとかいう音楽家の顔が刷られている国なのである。(79p)

 このほかにもいつものごとく気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ともかくも、アイルランドの大飢饉はアメリカ史のほうに変化をあたえた。ケネディ以後、ロナルド・レーガンをもホワイト・ハウスに送る結果になる。他の歴代大統領にくらべ、このふたりに共通するものとして雄弁と演技力、それに攻撃的性格という三つがあげられるだろう。いずれも、すぐれたアイルランド人一般に共通する特徴としてあげられるものである。(19p)

★アイルランドの人は客観的に百敗の民である。が、主観的には不敗だとおもっている。……アイルランド人的性格は、人類の財産のひとつである。もしこの”不敗”のアイルランド的性格という者が地上に存在しないとしたら、マーガレット・ミッチェル(一九〇〇~四九)もその『風とともに去りぬ』で、女主人公スカーレット・オハラを造形化することができなかったにちがいない。(31-32p)

★毎日夕食後、パブへ出かけてゆくのが流浪だとすれば、このパブじゅうが、漂泊者だらけである。ひょっとすると、人が酒を飲みにゆくというのは、仮りの――時間を限っての――漂泊をしにゆくのかもしれない。(185p)

★かれは一九三二年のローズヴェルトの最初の大統領選挙で大いに働き、当選後、見返りとして駐英大使を希望し、任命された。……なににしても。英国でいやしめられぬいてきたアイリッシュ・カトリックが、アメリカを代表して英国にのめりこむのである。劇的といえばこれ以上に劇的なことはない。ケネディにすれば痛快だったろうし、できれば復讐の機会も得たかったろう。たとえ機会を得なくても、存在するだけですでに復讐ともいえる。ここで思うことは、人は天下国家のために非常のことをするのはともかく、日常のなかで無用に異常のことはなすべきではないということである。そういうことでいえば、ジョセフ・P・ケネディは右の異常のことをあえてなした。はたしてそのことが、ながい目でみて(次男であるケネディ大統領の死にいたるまでをふくめて)ケネディ家にとっていいことだったのかどうか。人生も世界のことも、作用・反作用の連続でできているということからみれば、あるいはよくなかったのではないかと思ったりする(反英論者は、反英であるあまり、相手の英国人にも愛国の感情があるということを見のがすか、軽視しがちなのではないか)。(253-254p)

★私はアイルランドの歴史の苦悩をおもうと、ケネディ大使に愛を感ずるほどに同情がわくのである。しかし、かれがやったことは結局”いやがらせ”にすぎず、ドイツをヨーロッパのぬしにすることもできなかったし、、英国を亡ぼすこともできなかった。ただ、英国の側にアイルランド人への不信をのこしただけではないか、と思ったりする。一つの民族が他の民族に歴史的怨恨をもつというのは、その民族にとって幸福であるのかどうか、わかりにくい。――それは歴史を知らない者の謂(いい)だ。という人があれば、そのひとはきっと歴史というものを別なふうに理解しているのだろう。歴史は本来、そこから知恵や希望を導き出すものなのである。でなければ人類は何のために歳月をかさねるのか、無意味になる。(255-256p)

2022年8月9日火曜日

グー・チョキ・パー体操

 起床後にワンセグでテレビを見ていたらグー・チョキ・パー体操をやっている。面白そう、と思って見ていた。が、この体操は初めて知った。しっかりと見ていたわけではないが、その後、勝手に真似してやってみると結構、大変。何が大変かといえば毎日いくら暑くても、外を歩いていても、所詮、地に足がついている。今朝、見た体操は両足をグー・チョキ・パーとする際に少しだけ飛び上がる。

 これを2回するだけで息が上がる。こんな状態だと長く泳ぎに行ってないので泳ぎ始めはどうなることやらと今から心配になる。体を動かすことが鈍っている。毎日、少しずつでもグー・チョキ・パー体操をして体を動かそうと思った。とはいっても手の動きが判らない。脚の動きと同じように両手をグー・チョキ・パーと動かすに違いない。動画を見て参考にし よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月8日月曜日

『百歳を生きる処方箋』

 先日、石川恭三の本を読み、他にもこの人の本を読みたいと思って図書館のHPで探すとこの本があった。会社勤めをしていた頃、この人はテレビに出演されていた。母はこの人の番組を見るのが好きだったようで「石川先生」と勝手に親しげに話していた。そんな当時を思い出しながら『百歳を生きる処方箋』「一読、十笑、百吸、千字、万歩」(石川恭三 河出書房新社、2019年)を読んだ。

 母は100歳まで生きられず96歳になる年に亡くなった。母を介護している時、母は「役に立たん」と自分自身で何もできなくなったことを嘆いた。その時は「元気を出して100歳まで生きよう!」と、はっぱをかけたものである。

 救急で病院に運ばれた時、すぐに熱も下がり病院から家ではなくどこか施設にと3か所紹介された。施設を見学して5年間入られるところを決めて、その旨、病院側に告げた。その矢先に母は病院で亡くなった。後で(母は施設に入るのが嫌だったのだろう)、と勝手にそう思ったり……。100歳の壁は簡単には越えられそうにない。

 以下はこの本から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★高齢者の認知症予防、と体力維持のために「一読、十笑、百吸、千字、万歩」を生活習慣として取り入れることを長年にわたって提唱してきた。これに説明を加えると、「一読」は一日に一回はまとまった文章を読もう、「十笑」は、一日に十回くらいは声を出して笑おう、「百吸」は、一日に百回くらい(一度に十回くらい)深呼吸をしよう、「千字」は、一日に千字くらいは文字を書こう、「万歩」は、一日に一万歩を目指して歩こう、ということである。(13p)

★もうじき死んでしまうんだから、あとは野となれ山となれ、と開き直るのも、老いの身支度の極意の一つだと思うことにしている。(112p)

★これから先、何が起こるかわからないが、「災い転じて福となす」ことが得意技になっているので、たとえ不運に見舞われても、何とか乗り越えられるだけの覚悟と自信がある。もうそんなに残っていない持ち時間を精一杯面白がって過ごしたいと思っている。(142-143p)

★歳をとるにつれて、物事の先行きが少し見えてくるようになると、ある時点で、このあとはなるようにしかならないとして、成り行きを静観するようになる。しかし、その根拠には、なんとかなる、という醒めた自信のようなものがあるのも本当である。(201-202p)

★若い人はもちろんのこと、高齢になっても、何とかなる、と受動的に考える前に、何とかする、という積極的な発想でことに当たる気構えを持つことが生きる姿勢をしゃきっと整えてくれるように思う。(205p)

2022年8月7日日曜日

「海軍士官はスマートであれ」


  原爆の日の昨日、3週間ぶりに日本画教室へ行く。原爆が落とされた8時15分にサイレンが鳴る。8月6日は毎年、サイレンとともに祈りの一日が始まる。原爆の歌はいい歌なのに作詞作曲した人たちの政治的な思想が込められているとしてあまり歌い継がれない。ところが、昨日、テレビでこの曲をヴァイオリンで演奏していた。原爆の日に相応しい曲と思うが世の中、思想信条でことは簡単ではないのかもしれない。

 さて日本画教室。コロナの新規感染者が県内で最多を更新している。住んでいる町の隣町では89人の新規感染者が出ている。一つの町でこれほど多くの感染者が出るとJRに乗るのも怖さが付きまとう。コロナ禍の前に買っていたマスクにガーゼがついている。暑い中、マスクをすると顔がべたつく。試しにそのガーゼをつけるとマスクの中がべとつかない。これはいいアイデアと気づいて以前、国から支給されたガーゼのマスクを裁いてガーゼだけを利用しよう。

 来月は日本画作品展が開催される。葉書よりも小さい絵を展示するコーナーを設けるそうだが、これには参加せず、例年通り、F6サイズの絵を2点展示する。絵を習っているといっても家では全く描く気がない。教室の人とこの点が大いに違う。元々、絵心がなく、ただ習いに行っているだけで自分としては由、と思っている。これじゃ、うまくならないと言われそうだが教室で楽しく描ければそれだけでも御の字である。

 昨夜は待望のBSのテレビ、新・街道をゆくを見た。「三浦半島記」だったがこの『街道をゆく』(42)は司馬遼太郎が亡くなる1年前に旅した場所だそうだ。そしてこの「三浦半島記」で司馬の『街道をゆく』は終わる。

 番組後半の横須賀では正木生虎海軍大佐の話題がある。司馬は陸軍に従事したが横須賀での取材で海軍と陸軍の訓話の違いに気づく。司馬は海軍の生き残りの人たちに話を聞いた際、正木大佐の証言である「海軍士官はスマートであれ」が訓話にあったと知る。この「スマートとは?」と今回の旅人である岡田は正木の次男と三男に会って話を聞いた。それは「自分を律して相手の心を考える」ことだと。司馬はこのことを「心のスマートさ」=「品格」と書いている。

 正木大佐の三男である成虎は父と同じく海上自衛隊勤務の後、今は横須賀で子供たちにボランティアで船上生活について教えている。

 三浦半島記で取り上げた鎌倉と横須賀だが、横須賀へはまだ行ったことがない。まだまだ日本のあちこちへ行きたい気持ちはあるがさてそれはいつになる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月6日土曜日

新番組

 昨日午後、BSで5月に放送された「街道をゆく」の長州路・肥薩のみちを再度見る。お昼にテレビを見ることはあまりないが改めて見てよかったと思う。それは番組もそうだが、放送後になんと「新・街道をゆく」が今夜9時に放送されるという。早速、番組のHPで調べると次のように書いてある。

〈岡田准一 司馬遼太郎に思いをはせて鎌倉へ!新・街道をゆく 三浦半島記 8月6日(土)[BSプレミアム・BS4K]後9:00 司馬遼太郎さんの歴史紀行作品を映像化し、大きな反響を呼んだ「街道をゆく」(97年放送)が、20年余りの時を経て復活!〉

 これを見てマンネリ気味の生活に新たな光が射し込んだようで嬉しくなる。今朝の地元紙番組欄を見ると新・街道をゆくの掲載がある。今回は「三浦半島記」。昨日、今夜は三浦半島記を取り上げると知って、閉館まじかの図書館へ出かけてこの本を借りる。

 話を番組に戻すとこれまでBSにかぎらずNHK総合でも再放送が多かった。これはコロナ禍で取材などに制限があったことにもあるだろう。ところが、今夜のBSを見ると新・街道をゆくの前やその前の番組も新たな番組だ。それほどテレビを見るほうではないが興味をそそられる番組である。それにしても朝から暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月5日金曜日

「街道をゆく」から

 テレビの番組欄を見ると午後に「街道をゆく」の再放送がある。(また、続きが始まる?)と一瞬期待したが、再放送だった。改めてネットでNHKの「街道をゆく」HPを見ると今回の番組しか放送予定がない。

 「街道をゆく」の新たな放送はなくても相変わらず『街道をゆく』を読んでいる。今は番組で放送されていない「街道をゆく」で30年以上も前に買ってそのままにしていた文庫本である。昨日、『街道をゆく』「中国・江南のみち」を読み終えた。次に読むのは司馬が江南の旅の最後にでかけた「中国・蜀と雲南のみち」を読む。1981年から82年にかけて「週刊朝日」に連載されたのが昭和62年(1987年)に文庫本化されている。初めての外国である中国に出かけたのが1986年。旅から帰って読もうとしたのか『街道をゆく』の文庫本を10冊近く買っている。が、その当時に読まずにいて積読のままにしていたということは今ほど興味が持てなかったのかもしれない。

 それが30年以上も経って興味が持てないどころかのめり込んで読んでいる。人間、いつどういう風に変わっていくのか本人にもわからない。が、気づいたときが吉日と思い直してせっせと読んでいる。

 昨日読み終えた「中国・江南のみち」が最初に中国に出かけた地であり、いつもにもまして興味深く読んだ。読みながらこの個所は知っておくべきことと何ヵ所も付箋紙を貼る。後でパソコンへの入力が大変だけどこれもただの遊び人のせめてもの大仕事と思っている。

 暑さ寒さも彼岸まで、とはいえまだ彼岸まではだいぶある。その前に立秋がある。7日頃からのようだがまだまだ暑さは衰えそうにない。というか、日本の各地で何らかの災害が起きている。せめて気持ちだけは穏やかに……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月4日木曜日

アルビノーニのアダージョ


 連日猛暑日が続いている。東北辺りでは線状降水帯が発生して大雨特別警報が発令され、今は警報になっている。40度前後の暑さも大変だが、警報級の雨の降り方の怖さもよくわかる。これをもたらす線状降水帯というキーワードは以前からあったのだろうか。この先どうなるのやら、と思うが気にしてもどうにもできない。

 6月ごろから昔さらったアルビノーニのアダージョを吹いている。吹きながらICレコーダに録音する。2か月近く吹いていると吹き始めた6月よりも今の方がちょっとだけうまく吹けている。何でもいいからせめて1曲くらいはいつでも暗譜で吹けるようにしていたい。今は飽きもせず、このアダージョと司馬作品を読むのが欠かせない日課になっている。というか、フルートは吹かずにいて久しぶりに吹くと立ち眩みがする。それくらい息がいる。また憑りつかれたように読んでいる司馬作品を読まずにいると頭が錆びつきそうでそれが怖い。

 ゴールウェイの演奏するアルビノーニのアダージョ、再度、アップしよう。吹いている楽譜はゴールウェイとは難しさで雲泥の差がある。が、ネットで探した楽譜を写譜して吹いている。それにしてもフルートの神様が吹くフルートの音色のなんと美しいことか。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月3日水曜日

向日葵の種

 熊谷市では予想最高気温が41度とか42度になるとのメディアの報道で地元でない人が最高気温を見に訪れているという。広島は連日35度前後の猛暑日だが、40度以上の気温は体温を超える。わざわざそれを体験しに各地から人が訪れるとはなんという平和!?

 暑くても午前中に一度、外に出るようにしている。とはいってもスーパーや図書館へ行くくらいで遠出はしない。図書館へ予約確保の本を受け取りに行くが館内ではマスク着用となるため行くのもためらいがちになる。いくらエアコンが効いているといってもマスクをつけての読書はきつい。というか館内の設定温度が高いのかもしれない。

 本を借りるとさっさと家に帰って部屋のエアコンで本を読む方が快適だ。当然マスクはつけない。

 ひょろっとうなだれて咲くコスモスが数個、紅色の花をつけた。もっと元気に咲いてくれればいうことはないのだそれがない。1本、大きく伸びた向日葵の花を見ようと幹を手でもって傾けたらまだ花は満開ではなかった。隣町は向日葵の町として力を入れている。先日のテレビによると町内の公園に植えていた数百本のヒマワリが全滅したとのこと。この犯人は猿だとか。改めて向日葵の種を撒いて咲かせるという。

 向日葵の種は外国などに出かけるとお土産で売っている。3,4年前、シルクロードを旅した友だちからその種をお土産にもらった。が、どうやって食べるのかわからず、会ったときに教えてもらった。種を歯で噛んで中身を出して食べるそうだ。歯で噛めば歯が折れそうなので申し訳ないがくれた人に返したことがある。

 旅のお土産と言って思い出す。外国、特に辺境の旅では果物を干したものがお土産として売られている。バナナ、イチジク、梅干し(日本のようなものではない)、ナツメヤシや向日葵の種などである。モロッコに行った際、お土産に買うものがないので大きなスーパーでナツメヤシの干したのを購入した。ところが家に帰って口にする際、異物(虫?)に気づき捨てたことがある。人にお土産としてあげなくて幸いだった。

 どんな環境下で干しているのか、買う側にはわからない。物珍しいモノであっても口にするものは買わない方がよさそうだ。暑い日は続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月2日火曜日

向日葵

横を向いて咲く向日葵

背が高すぎて花を写せない
  百円ショップで買ったコスモスと向日葵の種を春に撒いた。コスモスは20本くらい育ち、向日葵は3本だけ芽を出した。ところがいずれも大きく育ったのはいいのだが、雨の日が多すぎてひょろ長く伸びた。コスモスは雨が降るたびにわが身を支えきれずに傾いている。起こそうとするがそれもつかの間のことですぐに倒れこむ。向日葵はたった3本大きくなった。が、雨がやみ、連日猛暑日が続くと背丈がぐんぐん伸びて1本は2mを越えた。

 初めて向日葵を咲かせたので記念にとデジカメで写す。2m越えの向日葵の花を写そうとするが背が高くて写せない。真っ青な空に向かって咲く向日葵の花を写せず下から写した。きっと大きな花をつけているに違いない。他の2本は背丈がそれほど高くない。が、向日葵の花は太陽に向かって咲くらしく隣の駐車場に向かって咲いている。電子辞書で調べると向日葵の花は真正面に向かって咲かず顔を横向きにして咲くらしい。道理で写した写真も横向きだ。

 今年、人生初のコスモスと向日葵を植えたが、もうちょっと立派な花を咲かせるにはまだまだ何かが足りない。どちらかといえばコスモスを咲かせたかった。我が家のコスモスは幹と葉っぱばかりが育って花はひょろっとうなだれて咲いている。もっと風になびいても斃されてもすぐに元通りに回復するコスモスを育てたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月1日月曜日

『民衆史に狼火を 追悼色川大吉』

 昨年9月初旬に色川大吉の訃報を新聞で知った。その日までこの人の本は読んだことがなかった。が、新聞に報道される追悼記事を読んで色川の本を読みたくなる。なぜ、訃報記事でそういう気になったのかは自分のことなのにはっきりと覚えていない。ただ、追悼文の何かに惹かれてこの人の本を読もうと思ったことに間違いない。

 それ以来、何冊か色川の本を図書館で借りて読んだ。その矢先に『民衆史に狼火を 追悼色川大吉』(三木健編 不二出版、2022年)が出版された。図書館にリクエストして、この本を借りて読む。リクエストする前は本全部が追悼文で埋め尽くされているとは知らずに借りた。亡くなられてから出版されるまでにメディアで取り上げられた記事や出版を機に特別に追悼文を寄こした人たちの文章で1冊の本になっている。

 読んでいてどの追悼文も文としては大差ない。それでも2人の文に目が留まる。それは色川大吉の最期を共にした上野千鶴子と鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」(34)である。自分自身、なぜ訃報記事に目が留まったかをこの鎌田氏の文を今読んで、「この記事に惹かれた……」と気づかされた。それは次のようである。

〈戦前、密命を受けてチベットに潜行、敗戦を知らないままにラサにたどり着いた西川一三は、後に『秘境西域八年の潜行』を書いた。会った印象を「風雪に洗われた仙人のようだった」と『わたしの世界辺境周遊記』に書いた色川さんは「人間最後まで一人で生きてゆく気概がなければ」とする彼の言葉が、「自戒」という。〉(99p)

 西川一三著の『秘境西域八年の潜行』上下2巻は以前に買って読んでいた。中国にのぼせて以降、1992年夏、15回目となる海外旅行はチベットだった。チベットも中国に属するがいわゆる中国とは文化や言葉など何から何まで異なり辺境に位置する。人生初の高山病体験もチベットだった。ラサの空港に到着後、コスモスが咲いているのを見て嬉しくなり、はしゃぎすぎてすぐに高山病でダウン。2日間ほどホテルで寝ていた。そんなつらい体験をしてもチベットは魅力があった。

 『秘境西域八年の潜行』を書いた西川と色川は会っていた。そしてその人から刺激された言葉である〈「人間最後まで一人で生きてゆく気概がなければ」とする彼の言葉が、「自戒」という。〉、このくだりの新聞の訃報記事を読んで自分自身、色川に惹かれていったのだろう。西川のあの2冊の本も折を見て再度読み返えそう。

 もう一人は上野千鶴子の文である。その一部を記そう。

〈色川さんは人間としてほんとうに上等の人でした。しかも、少年らしい純粋さや正直さを持ちあわせていました。それだけでなく、生きることの哀しさと孤独をよく知っている、おとなの男でもありました。感傷的でドラマに泣き、知己の死に慟哭する姿を、わたしに見せました。この人の晩年に、共に時間を過ごすことができたことは、わたしにとってえがたい幸運でした。多くの人が色川さんの晩年がこんなに豊かで幸せだったのは、上野さんのおかげだね、と言ってくださいます。ですが、同じように幸せなのはわたしの方でもありました。〉(184p)

 これを読んで自然と涙がこぼれてきた。「生きることの哀しさと孤独をよく知っている、おとなの男でもありました」のくだりはいい表現、と思う。

 朝から太陽がぎらぎら照りつける。暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしっましょう!

 追記 この本は上野千鶴子が写した色川大吉が表紙を飾っている。また色川氏と上野女史が写った写真は本文に収めてある。