2022年8月1日月曜日

『民衆史に狼火を 追悼色川大吉』

 昨年9月初旬に色川大吉の訃報を新聞で知った。その日までこの人の本は読んだことがなかった。が、新聞に報道される追悼記事を読んで色川の本を読みたくなる。なぜ、訃報記事でそういう気になったのかは自分のことなのにはっきりと覚えていない。ただ、追悼文の何かに惹かれてこの人の本を読もうと思ったことに間違いない。

 それ以来、何冊か色川の本を図書館で借りて読んだ。その矢先に『民衆史に狼火を 追悼色川大吉』(三木健編 不二出版、2022年)が出版された。図書館にリクエストして、この本を借りて読む。リクエストする前は本全部が追悼文で埋め尽くされているとは知らずに借りた。亡くなられてから出版されるまでにメディアで取り上げられた記事や出版を機に特別に追悼文を寄こした人たちの文章で1冊の本になっている。

 読んでいてどの追悼文も文としては大差ない。それでも2人の文に目が留まる。それは色川大吉の最期を共にした上野千鶴子と鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」(34)である。自分自身、なぜ訃報記事に目が留まったかをこの鎌田氏の文を今読んで、「この記事に惹かれた……」と気づかされた。それは次のようである。

〈戦前、密命を受けてチベットに潜行、敗戦を知らないままにラサにたどり着いた西川一三は、後に『秘境西域八年の潜行』を書いた。会った印象を「風雪に洗われた仙人のようだった」と『わたしの世界辺境周遊記』に書いた色川さんは「人間最後まで一人で生きてゆく気概がなければ」とする彼の言葉が、「自戒」という。〉(99p)

 西川一三著の『秘境西域八年の潜行』上下2巻は以前に買って読んでいた。中国にのぼせて以降、1992年夏、15回目となる海外旅行はチベットだった。チベットも中国に属するがいわゆる中国とは文化や言葉など何から何まで異なり辺境に位置する。人生初の高山病体験もチベットだった。ラサの空港に到着後、コスモスが咲いているのを見て嬉しくなり、はしゃぎすぎてすぐに高山病でダウン。2日間ほどホテルで寝ていた。そんなつらい体験をしてもチベットは魅力があった。

 『秘境西域八年の潜行』を書いた西川と色川は会っていた。そしてその人から刺激された言葉である〈「人間最後まで一人で生きてゆく気概がなければ」とする彼の言葉が、「自戒」という。〉、このくだりの新聞の訃報記事を読んで自分自身、色川に惹かれていったのだろう。西川のあの2冊の本も折を見て再度読み返えそう。

 もう一人は上野千鶴子の文である。その一部を記そう。

〈色川さんは人間としてほんとうに上等の人でした。しかも、少年らしい純粋さや正直さを持ちあわせていました。それだけでなく、生きることの哀しさと孤独をよく知っている、おとなの男でもありました。感傷的でドラマに泣き、知己の死に慟哭する姿を、わたしに見せました。この人の晩年に、共に時間を過ごすことができたことは、わたしにとってえがたい幸運でした。多くの人が色川さんの晩年がこんなに豊かで幸せだったのは、上野さんのおかげだね、と言ってくださいます。ですが、同じように幸せなのはわたしの方でもありました。〉(184p)

 これを読んで自然と涙がこぼれてきた。「生きることの哀しさと孤独をよく知っている、おとなの男でもありました」のくだりはいい表現、と思う。

 朝から太陽がぎらぎら照りつける。暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしっましょう!

 追記 この本は上野千鶴子が写した色川大吉が表紙を飾っている。また色川氏と上野女史が写った写真は本文に収めてある。

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