2020年8月31日月曜日

暑い日に思う

  ほぼ毎日のように投稿しているブログ。投稿者は投計情報など様々な情報を一瞬にして閲覧可能だ。これほどの情報を、と思っていた矢先に投稿方法の変化を迫られる。以前のやり方に戻すことも可能だが、それを読むとインターフェースがどうじゃこうじゃと書いてある。今のやり方に慣れてきたので元に戻す気はない。というかブログ投稿のおおもとは様々な情報集めにありそうだ。ここは固有名詞など差しさわりなくアップしないといけない。

 コロナ禍での生活スタイルはコロナ前の状態のままで、と目にすることが多い。その点では生活のリズムに変化はない。

 会社勤めを辞めて来月でまる18年になる。今思うと若くしてのリタイアだ。この間、いろんなことを経験した。若いうちにやめて本当に良かったと思っている。

 やめる時点でもう働くことはない、と思った。今もその気持ちに変わりはない。ただ、収入が年金頼みなのによくも働かないと思ったことよ、と驚くこともある。ささやかながらもなんとか生活している。これでいいんだ、と改めて思う。これも元気であればこそ、と置かれた状態に感謝する。ふと、思い出すこれらのこと。これもコロナで家にいる状態が長いから思うことかもしれない。

 新聞折込チラシに旅の情報が掲載される。街の情報では来月になると地元の文化センター主催の自衛隊の演奏会やその他のクラシック・コンサートが再開される。また広響定演も来月は2度ある。そろそろ演奏会場に足を運ぶのもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月30日日曜日

外郎(ういろう)で山口を味わう

  日本画教室に行くと部屋の入口に教室の表示がない。気にしながら部屋に入ると模様替えされていた。これまでの教室は一人が畳一畳もあるような工作台で絵を描いていた。絵を習う5,6人が広い教室を占領して描く。ところが工作台がなくなり、会議用の机が10台余り置いてある。絵の教室がまるで講義を受けるような教室になった。3人掛けの会議テーブルを1人が占領する。習う人同士の距離が離れた感じで今一歩落ち着かない。これまでなんと贅沢な部屋を使用していたことか。改めて感じさせられる。

 相変わらず若竹を描いている。絵の下方には竹の葉が茂った様子を描く。次は若竹になる前の筍の脱皮する様子を描く。筍の皮が剥がれる前の節目の個所を濃くしてぼかす。思ってもいなかったほどうまく若竹が描けた。

 今年は来月の作品展が中止になった。ゆっくりと仕上げるつもりでいる。前に仕上げた紅葉の絵は今一歩、思うような出来上がりとならなかった。今描いている若竹は逆に気に入った絵となりそうだ。

 教室の若い人は前日、休暇を取って防府のお寺に行ったという。このお寺はアジサイで有名だ。暑い時期に行く、と思った。広い寺院内は観光客が教室の人以外に1人しかいなかったそうだ。どういっても連日35,6度の暑さだ。涼しさを求めてレストランなど探すがないらしい。あとで気づくと10キロ歩いていたという。昨日の教室のティータイムでお土産の外郎をいただく。久しぶりに山口を味わった。

 若者に刺激され、暑いとばかり言わず持て余し気味の閑を有効に使おうと思った。教室の人は小さいスケッチブックを持参してお寺の屋根などスケッチしていた。その人は日本画を習っていても決して本画に仕上げようとはしない。習う目的が3年間はスケッチを、と意気込んでいる。こういうやり方もあるとその信念に感心する。

 絵を習ってよかった点は旅行先で写す写真が習う前よりも絵になる写真を写すようになった。教室の人もそんな写真を撮っている。おかげで旅の目的が以前よりも増えてきた。

 旅と言えば一昨日、日帰りバス旅を申し込む。催行なるかどうかは怪しいが、申し込んだだけで気も弾む。ここまで年齢を重ねると悠長に構えてはおれない。過行く一日一日が本当に愛おしくなる。と言いながら、コロナはどうよ、との思いも募る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月29日土曜日

「明日へのアンサンブル」を見る

 NHKのBS で再放送の「オーケストラ・明日へのアンサンブル」を見る。毎日見ているYOU TUBE先生のブログで知った番組だ。前回は「孤独のアンサンブル」だったが、今回は前回出演の13人が集まってのアンサンブルとなった。コロナ禍の時代、演奏者もいろいろな思いや覚悟がある。出演者は都内や近郊のプロの交響楽団首席奏者。演奏曲目はどれもなじみある曲だった。中でも”ケセラ・セラ”の演奏では「ケセラ・セラとはなるようになるという意味」、「コロナ禍は必ず乗り越えられるはず。祈るような思いを込めて演奏する」とテロップが流れる。

 YOU TUBE先生は出演後のブログの最後に次のように書いている。

常に諦めず、考えられる事を全部やって、
向かって来るものに立ち向かっていくのが、
音楽家の使命だと。
そう強く思ったのであります。

 素晴らしい!
 
 暑さは和らぐどころか、まだまだこれからも続く。この様子だと短い秋となり、すぐに寒くなるのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月28日金曜日

『文藝春秋』7月号から

  暑さとコロナ禍で遠くへ遊びに行けない。自ずと家で本を読む時間が多くなる。図書館の予約確保の本を取りに行き、カウンターで本を受け取ると雑誌の書架を見渡す。目にするのは今年発売の文藝春秋。コロナ発生後、月刊誌を読む機会が減った。というか、図書館が閉鎖の期間の月刊誌を予約して読む人が多いのか、いつ見てもお目当ての雑誌がない。ところが昨日、文藝春秋7月号があった。借りて読む。この中にいいことが書いてある。

★バッティングは驚くほど人生に似ています。三割で大成功なんです。それなのに完璧を求めて短所を消そうとばかりしていると、そのうち本来の長所まで失ってしまう……。ぼくがまさにそうでした。次男に「俺と同じ失敗はするなよ」と伝えています。ぼくと全く違う打者になって、清原和博なんて超えていってほしんです。(清原和博『文藝春秋』2020年7月号309p) 

 ほかにも感動的な記述がある。清原は4年前の2月2日、覚せい剤取締法違反で逮捕された。それから4年後の今年の同月同日に次男が人生初のランニングホームランを打っている。その時のホームランの動画を元妻から送られる。その数日前に次男と会った際、「もし次にホームランを打ったら……」と話したそうだ。約束通り、2月2日に次男はホームランを打つ。そのバットには次男の手紙が添えられて清原に送られたという。今は送られたバッドが宝物らしい。

 この2か所は涙なくして読めなかった。逮捕されるまで清原のブログを見ていた。どう見ても悪い人に思えなかった。野球で活躍した時代は知らない。手記にはほかにもこう書いている。

★ぼくは、覚せい剤によって、バット一本で稼いだ何十億というお金も仕事も社会的立場もすべてを失いました。ただ一つだけ失わなかったものがあります。人です。……人によって救われた自分が誰かのためにできることがあるとすれば、野球と薬物依存についてのことです。そのために残りの人生を捧げたいと考えています。(311p)

 みんな、頑張れ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月27日木曜日

『菜の花の沖』(四)

  今日の最高気温の予報は34度。午前8時の気温は29度、と朝から暑い。。この先の予報ではまだしばらく34,5度の日々が続く。今朝体重を測ったら減っている。年を取って痩せるのはよくないと聞く。快眠、快食、快便と何も問題ないが、この暑さで食べる量が少ないのかもしれない。気を付けよう!

 『菜の花の沖』(四)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年新装版第11刷)を読んだ。以下は気になる箇所をメモしたもの。予約確保の本が2冊あると図書館からメールが入る。今日はこれから図書館へGO~。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「好き」ということを、商人の敵として戒めあった。「好き」は物好みのことなのである。物好みが激しくなると、精神の平衡を欠き、ついには現実に対する目をうしなう。その危険を知りながらも、あるいは十分にわきまえた上で、美的世界に遊ぶという精神現象を、述語として「数寄」(すき、数奇)とよんだ。16p

★「地頭」(じとう)という古い日本語は、「泣く子と地頭には勝てぬ」などという諺があるように、嘉兵衛の時代でも生きてつかわれている。諸大名も地頭なら、幕府もその直轄領にあっては地頭であった。地頭というのは本来、とるばかりで、出すということが、例外であるにせよ、基本思想としてあるはずがなかった。なるほど蝦夷地担当の幕臣たちは、嘉兵衛をして、かれの武士についての見方を修正させたほどの理想を持つひとびとであったが彼らの背後にある江戸幕府自体が、結局はとる機関で出す機関ではないのである。20p

★――様似へゆけば、最上徳内様にお会いできる。というのが、嘉兵衛のこの航海での張りになった。嘉兵衛には、人好きという病といっていいほどの性格があり、特に無欲人か、あるいは物に熱中している人が好きであった。……「夷人」と、幕臣たちは蝦夷人のことをいう。嘉兵衛が蝦夷人を好きなのは、かれらに欲が薄く、どこか山川草木が人の姿を籍(か)りて物をいっているようなところがあるからでった。23-24p

★船を、嘉兵衛にとって未知な様似のような陸(おか)に近づけてゆくときのふるえるような感激は、浮世でせせこましく世をおわるひとびとのわからぬところであろう。「仙吉よ、様似ぞ」と、嘉兵衛は遠眼鏡で陸地のあちこちを見ながら、炊(かしき)の少年をよびとめて言った。……海水をまぜて大釜いっぱいにめしを炊き、それで握りめしをつくってたくさんのもろぶたにならべておくのである。帰船すると、湊の子供たちが、あつまってくるが、海水まじりの握りめしはかれらにふるまう。いつごろから、どういういわれでできた慣習なのであろう。要するに、無事に湊についたという船のよろこびを、神仏に感謝する一方、土地の子供たちに施餓鬼するように白米をふるまう。江戸期は、常時、白米が食えるという土地や身分は限られていた。25-26p

★「蝦夷人も、和人のしごとを学べば、同じになる」と、嘉兵衛はごく単純に、しかし石のようなかたさで信じ込んでいた。蝦夷人が和人化かするということは、蝦夷人にとって果たして幸福かどうかなどという瑣末で晦渋な課題は、嘉兵衛やこの時代の人々の意識水準ではむずかしすぎた。63p

★――広域社会は、未開の状態のまま自然のなかに孤立している狭域社会にともすれば侵入して「領土」とする。あるいは、してもかまわない。という思想が、十六世紀もスペインの非ヨーロッパ世界への膨張以来、その文明のなかの強国群のあいだで、何の思想的抵抗もなく(ときにはそれがキリスト教の使命であるかのような正義意識のもとで)できあがった。日本は、戦国期から徳川初期にかけての南蛮船の出没によってそのことを知った。122p

★アイヌが千島列島に鮭やラッコなどを獲るべく島々に展開したのは、いつの時代であったか、よくわからない。ただ島々の名が、ことごとくアイヌ語であることはたしかである。つまりは、和人やロシア人が千島にやってきたときは、その島々やこの沿海で狩猟・漁業を営む者がアイヌであったことだけはまぎれもない。かれらは領土権を主張しなかった。129p

★嘉兵衛が上陸したエトロフ島は、のちのちまでその領有をめぐり、本来平和な隣国同士であるべき日本とロシアの間で、不穏のやりとりの絶えない島の一つになるのである。嘉兵衛が上陸する前年(寛政十年・一七九八年)に、この島にきた幕臣近藤重蔵・最上徳内らは、七月二十八日、この島の南端のベルタルべ岬のそばの岩で囲まれた小さな入江(蝦夷地名・リコップ)に上陸し、指揮権をもつ幕臣としての近藤の判断をもって一柱の木を削り、それに文字を書き入れ、領土標識を樹てた。「大日本恵登呂府」と、書いた。151p

★蝦夷人――アイヌ―ーにも。古いむかしからそういう習慣があったらしい。こういうあいさつのことを、アイヌは、「ウイマム」とよんでいた。和語の御目見得からきたことばであることは、定説である。……「ウイマム」が存在するかぎり、松前藩が、千島の島々を自分の版図であると信じていたのは当然といっていい。「版図」という漢語は、十六、七世紀以後の、西洋の概念でいう領土とはわずかに輪郭がちがう。……日本の俗語でいえば、縄張りというようなところと近いであろう。対人主義で対地主義ではない。168-170p

★幕府とロシアの間で結ばれたこの一八五四年の日露和親条約が、両国の関係の基礎になった。ロシア側が日本側に提示した条約草案が残っている。その要領は、……この条約では、樺太問題がきまらず、千島列島における両国境界がきまった。

 エトロフ島以下を日本領とし、ウルップ島以北をロシア領とする。175p

★嘉兵衛は武士ではないために観念的な理想論などあまり口にしなかったが、沼島衆をかえりみて、「せめてこの島々の人達に米をもってきて食べさせたい」と、感動のあまり、声をふるわせながらいった。「米」というものは、蝦夷人と和人をへだてている唯一の隔壁なのである。米を作り、あるいは米を租税にとりたて、または米を売買し、平均して米を食っている者が和人とすれば、蝦夷人はそうでないだけのことである。190-191p

★忠敬の身分は、百姓で、稼業は商いにすぎない。日本国の国家としての役人である幕臣からみれば地下の低い卑しい身分の者が、齢五十半ばを過ぎて、日本国の海岸線を測量じ、正確な日本地図を作ろうと思い立つなど、嘉兵衛にすればおどろくべきことであった。(――百姓・町人が)日本国の地図を書くのか、嘉兵衛は、くりかえし思った。317p

★千島列島に対するロシア人と日本人の産業上の価値意識がまったくちがっていた。たとえば、ロシア人は魚には見むきもしなかった。それよりも、ラッコその他の動物の毛皮に固執した。かれらがシベリアを欲したのもその森林に棲む貂(てん)の毛皮が直接の目的であったように、カムチャッカ半島を得てもそのことに変わりがなく、さらに千島列島に南下したのも、その欲望の延長線上にあった。ところが、日本人は、魚を欲した。食用のためというよりも、のちにゴローニンがふしぎな情景でも見るような驚きで指摘したように、木棉栽培のためであった。338-339p

2020年8月26日水曜日

旅のパンフ&ゆで卵の話題

  旅行社から旅のパンフが送付された。コロナ禍で一時止まっていた送付が今月に入って届くようになった。昨日、届いたパンフは4か所目の旅行社からだ。本命の旅行社のパンフも出来上がったようだがまだ送付されてこない。

 関西と福岡の旅行社のいずれのパンフを見ても以前ほどの行きたい気力がわかず、パンフはそのまま資源ごみ行きとなる。ここは広島発を、との思いが募り、他の2か所のパンフをしばし眺める。行きたいところがあった。電話をすると、それは誰も予約がないとのこと。催行なるかどうかを聞いても出発3週間前にならないとわからないという。これはダメだ。そう思った。また電話する旨、告げて電話を切る。もう1つの旅行社へも電話しようとしたが、考え直す。

 2席に1名が座る、と思っていたら某社のパンフには19名以下と30名以下の乗員数を決めている。30名になればバスの座席の半分を1名ずつ座り、片側の座席は2名のところを1名が座るようになっている。やることがおかしい。この会社は利益追求に走っている。

 涼しくなるどころか暑さはいつまでも続くのか連日35,6度の最高気温の予想だ。今日も36度の予想で朝から暑い。

 熱中症はゆで卵だ、と今朝見た人のブログにあった。熱中症は冷ますと元通りになるがゆで卵は冷ましても生卵にならない。面白いことを思いつく人がいると思って読む。そう言えばシルクロードの熱砂で卵がゆで卵になる話は先日取り上げた。いずれも生卵がゆで卵になるくらいの暑さを言い表している。

 体がゆで卵ならぬ、ゆでだこにならないように今日も暑さに気を付けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月25日火曜日

「“美ら海”ドローン大航海~八重山・宮古の島々へ~」を見る

  NHK総合の「“美ら海”ドローン大航海~八重山・宮古の島々へ~」を見た。八重山諸島や宮古島辺りは出かけたことがなく興味津々で見る。シーカヤックで島と島を一人漕いで渡る。60㎞先の島だと9時間くらいかかる。時にカヤックから飛び降りて海に潜る。その理由はカヤックを漕ぎ続けると足が思うようにならなくなるから、とか。さらにまた波にのまれてカヤックがどこにいるか見えなくなる。見ていてドキっとさせられる。

 番組の詳細を見ると以下のようだ。

★「美しいサンゴ礁と透明度抜群の青い海が広がる沖縄県八重山諸島と宮古諸島。その知られざる絶景スポットをシーカヤックで巡り、圧巻のドローンカメラで追いかける!

★透き通る青い海と密林の奥深くで神秘の花が咲く西表島。マンタが乱舞する石垣島の海。そして素潜り漁で生計をたてる多良間島の漁師、日本最大級のサンゴ礁が広がる八重干瀬。沖縄県八重山諸島と宮古諸島には、まだまだ観光ガイドにはのっていないとっておき絶景スポットが沢山!そこで海洋冒険家の八幡暁が島々をシーカヤックで巡り、その絶景をドローンカメラでおさめていく。

 透き通った海の美しさはもうこの世のこととは思えない。画像を載せようとしたらコピーは厳禁だった。画面を写真に、と思いつつ見たけどやはり写せばよかった。残念。山がいいと思っていたけど海もいい。このあたりのツアーもある。が、カヤックは無理。

 2018年初夏、大王わさび田で漕いだクリアボート


 カヤックではないが、2年前に出かけた信州の大王わさび農場を流れる川でツアー客は各自長いオールを手にしてクリアボート(舟)を漕いだ。10数人が乗船して2,30分漕ぐのだが、初めてのことで慣れない上に力も必要で大変だった。

 広い大海原をカヤックで一人島を渡って、自分で食べるだけの魚などの食料を取って生活する。生きるとは食べること、否、食べることは生きること!?一人カヤックを漕ぐ旅人はこのようなことをつぶやく。その前にお金と食べ物の関係も話していた。

 ああ、どこかへ行きたい!そういえばこの番組の再放送が30日にある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月24日月曜日

徒歩と自転車

  先日、ちょとだけ重いものを買おうと思って自転車でスーパーに出かける。コロナ騒動後からはプールに行く以外、ほぼ歩いて外に出かけていた。酷暑の中、午前中であっても自転車に乗ると暑い。傘と帽子の違いをもろに受け、手には百円ショップの長い手袋をつけて自転車に乗る。徒歩と自転車、歩くほうがエネルギーを消耗すると思っていた。ところが、自転車に乗るほうが徒歩よりも体力を消耗する。そう感じた。その理由は自転車を降りた瞬間と歩き終えた瞬間の汗の量による。自転車に乗るほうが徒歩よりも比べ物にならないほど汗をか

 特に顔から頭にかけてどこから汗が出てくるのかと思えるほど汗が噴き出る。自転車はまた日焼けも半端でない。もとが色が白いほうでないのに年中自転車に乗って外に出ていた。今年はほぼ毎日徒歩なので傘をさして外に出る。お陰で真っ黒にまで日焼けしなくなった。

 日焼け云々よりも暑さはまだ和らぎそうにない。昨夜久しぶりにエアコンでなく扇風機で寝た。日中は今日も35度の予想。この調子だと秋の気配はまだ先になりそうだ。

 話は変わって昨夜のヒーローインタヴュー。ヒーローは2人。1人はあまり好みの選手ではなかった。ところがラジオのインタヴューに応えて話す声と話し方を聞き、これまでの思いが覆る。いい人に思えてきた。人は話し方で人柄が出る!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月23日日曜日

『ひとりで生きる』

  図書館で予約した本の順番が回ってきた。その本は『ひとりで生きる』、サブタイトルとして「大人の流儀9」(伊集院静 講談社、2019年)。伊集院静の「大人の流儀」シリーズの9冊目だ。

 暑い日中に読むエッセイは読みやすい。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私は自分の能力を、この程度だと、三十歳半ばで知ったが、遊べば遊ぶほど、自分の程度に抗って生きるのも面白かろうと思うようになり、五十歳半ばから他人の倍、次に三倍と働き出した。”量は質を凌ぐ””バカは倍やるしかない”これを信じることにした。

 まだ失敗続きだが、瓢箪とて、やたらと振っていれば妙な駒が出るやもしれない。ヘエへへへ。なぜそうしたか?

 ”ひとりで生きる”ことが人間のまず基本らしいということが経験でわかったからである。孤独とは違う。まずはひとりで生きる力と精神力を養うことが、大人の男になる大前提だとわかったからだ。(22-23p)

★人の死は、残った人に、一人で生きることを教えてくれる。それを通過すると、その人は少しだけ強くなり、以前より美しくなっているはずだ。(28p)

★人間の一生などというものは、どこで何が起こるかわからないし、どこで歩む道が見つかるかわからないものだ。

 大切なのは探し続ける。信じる。希望を失なわないことだ。(67p)

★少し高齢者になったからと言って、フラフラ生きていたら、まともな死に目には遭わないことをわかっているのか・

 若い時は自分を鍛えて。年を取れば他人のために生きるのは常識と違うのか?(117p)

2020年8月22日土曜日

メディア

 メディアを通して夥しい数の情報が流される。そのうち、どれだけのことが目に入っているだろう。たとえ目に入ったとしても、わからない人が多すぎる。新聞の訃報欄を見ても同世代以上の人の名前はわかる。が、有名と思われる人であってもわからない人が多い。訃報でなく現役世代であっても、最近の歌手や俳優と名の付く人々がわからない。また漫画の話題やゲームなどは全く意味がわからない。昨年末に偶然目にしたM-1グランプリ。 これを見てお笑い芸人が少しはわかってきた。だが、それもテレビに出る人しかわからない。

 年を取った、と感じる瞬間がある。それはテレビを見ていて見る側に問題があるのか落ち着かない時がそうだ。最近の人気番組らしい「ポツンと一軒家」。落ち着いて見られる番組だ。というか山奥の一軒家の主たちの生き方に共感するのかもしれない。

 昨日の情報によると「山」が売れているという。キャンプの流行によるのかもしれない。そういえば生まれて一度もキャンプをしたことがない。わずらわしい俗世間を離れた山でのキャンプは楽しいだろう。だが、今さらキャンプという年でもない。人にはその時その時に合った楽しみ方がありそうだ。さて、今の私の楽しみは?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月21日金曜日

旅のカタログ

  この夏一番とも思えるほど暑い夜が明けた。また最低気温が28,9度もあると日中の暑さが思いやられる。この暑さも明日からは幾分和らぎ33度の予想だ。とはいっても33度も結構暑い。最低気温も高く、まだまだ秋はやってきそうにない。

 こう暑くては買い物にも……、と思って昨日は外に出なかった。ところがこれは失敗。毎日外に出ていると出ない日の寝つきが悪い。朝の目覚めはアラームで起きる。

 地元の旅行社からカタログが送付される。この会社は飛行機がチャーター便になることが多い。昨年の知床の旅がそうだった。これを利用して今年は利尻・礼文を狙っていた。ところがその設定がない。ほかにも行きたい場所に国東半島がある。だがこれは2名から催行。年を取ってくるとわがままになる。その点1人参加は気楽だ。少々高くてもいいので1人参加を増やしてほしい。

 といいながら広島のJ〇Bからのカタログ送付がない。募集しても人が集まらない!?この会社が一番信用できる!もう少し様子を見よう!

 図書館から予約確保のメールが届く。真昼の暑さになる前に本を受け取りに行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月20日木曜日

『菜の花の沖』(三)

 2日くらい前の新聞にアイヌの人(コタン)の鮭漁の記事があった。今、読んでいる『菜の花の沖』(全6巻)のうち、4巻目までを読んだ。これは淡路島に生まれた高田屋嘉兵衛が蝦夷地を開拓していく話。蝦夷人と和人、さらには北方四島にちなむロシアとの関係もある。他の和人にはない蝦夷人への思いやりが嘉兵衛にはあった。蝦夷地は元来、蝦夷人の地であり、鮭の捕獲を生業としていた。コタンの漁業権云々は和人に同化させられてそれも奪われていったに違いない。外野がとやかく言える立場にない。が、ここは当時の同化政策を考慮して漁業する権利を認めてあげたい。

 『菜の花の沖』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年第10刷)を読んだ。以下はまたいつものように気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「北前船」といえば、船籍がどこであれ、大阪・兵庫を始発点として北海道へゆく交易船とその航路のことをさす。46p

★古今東西とも、人間は船に人格を感じてきた。このため船に名をつける。日本では奈良朝や平安朝の初期まで遣唐船という航用船をもったが、慶雲三年(七〇六年)の大使の座乗船は「佐伯」であり、天平宝字二年(七五八年)の船団の一隻は「播磨速鳥」という名をもっていた。しかも、どの船も従五位下(じょごいのげ)という位階までもらっていた。……船首の棕櫚(しゅろ)の毛だけは例外らしい。何を意味するのかわからないが、もともとは注連縄のつもりであったか、どうか。この船首装飾を舟人たちは、「下がり」という。あるいはかもじともいう。76-77p

★……松前・蝦夷地は遠かった。この地方が、「北海道」という名称にかわるのは、幕府瓦解後、明治二年、新政府によってである。
 立案者は、江戸末期における最大の探検家松浦武四郎(一八一八~八八)であった。82p

★鰊をニシンというのは、アイヌ語である。蝦夷地交易によってひろまったことばで、カドといわず、蝦夷語のニシンといったのは、そのほうが魚名でなく商品名としてよぶのにより鮮明で的確な呼称だったからであろう。ただしはらごにだけは古語のカズノコの語が残った。90p

★豊臣期、松前氏は、「蝦夷島主」であって、大名ではない。大名というのは稲作地を支配する者の謂(いい)で、一万石以上の領主をいう。91p

★「朱印」とか、朱印状とかよばれるのは、武家政権において用いられる公的文書のことである。鎌倉・室町のころは文書に花押(かきはん)が書かれたが、戦国のころから朱印が押されるようになった。91p

★蝦夷錦というのは、清帝国の官吏の官服の古着のことである。……松前藩ではこれを交易品のなかでも最高のものとし、本土に売る。本土ではすでに豊臣期のころから、とくに、「蝦夷錦」とよんで珍重し、江戸期では上等の女帯や、高僧の袈裟に用いていた。蘇州の錦がはるかに北方をまわり、海をわたり、樺太をつたい、蝦夷地に入り、ついには江戸や上方に入るという経路をとっていたのである。105-106p

★「無名の師」という漢語がある。理由もなく他国を侵略する戦争行為をいう。ロシアはその領土拡張にあたって無名の師を出さない、というのである。176p

★松前藩では、アイヌ人が和人の言葉を使えば罰を加えるという。使うという以前に、おぼえさせないようにしているのである。和語には和人社会の文化、産業技術が充填されているのだが、言葉という縄梯子をつたってそういう文化へ昇ってゆくことをふせぐ一方、外界からの隠密などが潜入したしたときに、蝦夷の惨状を訴えないようにもしているのである。……まことに獣類のごとき境界なり。と徳内はいうが、松前藩は武力を背景とした政策ををもって、蝦夷をその段階にとどめているのである。307p

★嘉兵衛は、好奇心がつよかった。あるいは好奇心が強いために町船(商船)の船頭になったともいえるし、とに蝦夷地をめざしたのも、そういえるであろう。
 「数寄(すき、数寄、好)という室町時代の堺の町人や武将のあいだで流行したことばが、好奇心ということと半分ばかり重なるようである。……右のような損得とからんだ素朴な好奇心が、その暮らしを繰りかえすうちに不意に発酵してくる部分が数寄である。
 さらに発酵した数寄が、蒸留して酒精度の強い液体になると、損得という発酵の素材の原形をとどめない本物の数寄になってしまう。……ただ、損得をやや離れた好奇心だけはうごいている。蝦夷地とはなにか、ということである。308-310p

★――なぜ、蝦夷地が好きなのだろう。と、嘉兵衛は自問したことがある。……(強いて言えば)と、嘉兵衛は考えたことがある。極北だからではないか。……そこへ身を移動させることを禁じられたこの国にあっては、ただ密かに想像するしかなく、またその一角に身を置けない以上、極楽や地獄を想像しているのとかわりがない。……「行けないからしあわせなのだ」と、そのとき嘉兵衛はいった。多少のくやしさも、むろんこの逆説の塩味になっている。
 この江戸体制の中で、嘉兵衛がゆくことが可能な極北というのは、蝦夷地だけなのである。358-360p

★松前家にとって、蝦夷地の蝦夷は人間の機能をそろえた家畜であった。働かせるばかりでいっさい庇護を与えず、さらにはかれらが進歩することを阻んでいた。その事実を知られるのが嫌だったんであろう。……この温和な民族が、塩、味噌、醤油すら用いず、真水で煮た気をしているのを見たとき、嘉兵衛は涙がこぼれた。372p

★アッケシでの蝦夷との接触は、嘉兵衛の精神に大きなふくらみや変化あるいは影響をあたえた。かれはは帰路、日本海を帆走しながら、夜も昼も蝦夷のことが脳裏から離れなかった。蝦夷の老人が笑ったときの表情が神のように澄んでいると思ったし、またかれらが自然に密着して、俗欲をもたないという点では、本土のたとえばどういう高僧でも達せられないものを、平然と身にそなえていることに嘉兵衛は驚かされた。
 さらには、いやおうなしに、大きな地球というものを思わせられた。日本の本土という社会にあくせくして、小沼の小魚のようにこれ以外に棲処(すみか)はない、と思っている矮小な心が、蝦夷人とその文化という異質なものを見るうちに、大きくなってゆくような気がした。言いかえれば、自分や本土人たちが要するに地球の上の「人」に過ぎないのだということを一挙に頓悟させられてしまった感じでもあった。大名や武士、あるいは北風家といってもなんであろう、地球の上の人にすぎないのではないか、ということであった。379-380p

★日本という言葉がはじめて文献にあらわれるのは『随書』である。つまりは元来、対外関係においてつくられ、古いころは庶民のあいだではほとんどつかわれず、ようやく豊臣政権ころからしきりに使われるようになった。江戸期に入ると、井原西鶴が勃興期の商業社会の沸騰をえがいた小説に『日本永大蔵』という題をつけたように「天下」より「日本」が庶民の世界でふつうに用いられるようになった。397-398p

★寛政十一年正月、「天下人」である将軍が東蝦夷地を直轄領にしたのは「天下」の拡大であり、劃期的な大事態といっていい。399p

2020年8月19日水曜日

タクラマカン砂漠の卵

 昨夕、これまで何度も放送されたと思われるシルクロード自然編を見る。タクラマカン砂漠をラクダが撮影隊員や機材、そして食料などを積んで運ぶ。ラクダが何十頭も連なって歩くキャラバン隊。気温は今の日本よりも高いだろう。運ぶ荷物の中に食料としてバケツの中に砂を入れて生卵が割れないようにしてある。この卵、キャラバン隊の食料となる。食事の際、砂漠の砂に生卵を入れて放置すると半熟卵(完熟卵かもしれない。はっきり聞こえなかった)になったという。

 これで思い出す。敦煌に鳴沙山がある。この砂漠の山を靴を履いて登るが、細かい砂の上に熱いため足が滑って上に行けない。そのとき添乗員曰く「明日はこの山をはだしで登ります」。そう聞いて、「はだしじゃ熱くてとてもじゃないが登れない」、と思った。あとで添乗員曰く「ラクダに乗ってこの山を通過します」。この時、ツアーの誰かが言った。「ポケットに生卵を入れていたらゆで卵になった!?」。日本に帰国したら皆にそう話そう、と言って笑わせる。

 昨日のテレビにタクラマカン砂漠の砂に生卵を入れるとゆで卵になる場面が放送された。これは理解できる。ポケットの中に入れるとどうなるかわからない。だが、生卵を砂に埋めればゆで卵になる。それくらいシルクロードは遮るものがなくて暑い。

 日本の今はシルクロードに負けずに暑い。こう暑くては旅どころではない。が、こういう番組を見るとコロナ禍など想像もしていなかった30数年前のシルクロードの旅が懐かしい。今も元気なので行こうと思えば再度行かれるかもしれないシルクロード。それよりもコロナで飛行機が飛ばず、外国へはどこへも行かれない。

 国内を見ると昨日のネットニュースでGO  TOキャンペーンの宿での感染が6件報告されている。おとといの札幌✈成田の機内感染などまだまだコロナが危ない。今は禍が過ぎるのをじっと待つ。これに尽きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月18日火曜日

NHKプラス登録

 民間放送の見逃し配信にTverがある。NHKはNHKプラスに登録すれば民間同様に見たい番組が見られる。だが、登録しないといけない。登録もパソコンのバージョンが古いとできなかった。昨日、ふとそれを思い出して登録を試みる。パソコンを買い替えたのでNHKプラスに適応可能だった。登録後はその場で見逃し配信を視聴する。だが、正規の登録は先方から送付されるはがきでの手続きで完了するらしい。

 姪からのメールに昨夜のNHKの番組「逆転人生」をすすめられる。見るつもりでいたが眠くなって寝てしまった。今日はさっそく見逃し配信でこの番組を見よう。

 NHKプラスは顧客にとってはありがたいシステムだ。とはいっても配信する側はほかにも目的がありそうだ。登録画面を見るとパソコン云々はなく、スマホなどのアプリのバージョン情報がある。テレビの契約をしないで見る人たちをターゲットにして視聴費を徴収するのかもしれない。まるでおとり捜査!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月17日月曜日

『歴史に「何を」学ぶのか』

 午前7時半、燃えるごみを出しに外に出る。いくらか涼しさを感じる。午前8時、気温26度。最低気温27,8度と1,2度低いだけでも涼しい。あと2,3日すれば最高気温36,7度から34,5度になる予想。暦の上では秋。そろそろ涼しくなってもらわないと老体には厳しすぎる夏だ。

 暑い夏に読んだ『歴史に「何を」学ぶのか』(半藤一利 筑摩書房、2017年)。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 歴史嫌いが司馬作品やこの本のようにいつの間にか歴史好きになっている。歴史と同じく嫌いだったものに運動と絵を描く、がある。運動はどういっても人並み以下。だが、泳げるようになって以降、いつの間にか自分の楽しみとなった。絵もそうだ。30代半ば以降になって目覚めた人ができて自分にできない数々のこと。苦手意識も年を取って図々しさも加わってだいぶ克服できたのかもしれない。まだ、当分は元気な気がする。さて、これから先の新たな挑戦は……。楽しみ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「絶対に正義は勝つ。絶対に神風が吹く。絶対に日本は負けない。絶対に東京は焼け野原にならない。絶対に俺は人を殺さない。なんて俺はもう言えない。そんなの嘘だ」
 川でおぼれかけていたとき、わたくしはだれかの手を必死で振りほどいていました。「これからは二度と”絶対”という言葉はつかわない」と心に決めました。
 あの空襲は、わたくしにとって何だったのか。
 なぜこんなことが起きてしまったのか。
 そんな疑問がわたくしの体をつき動かした。
 歴史と正面から向き合うことになる、これがわたくしにとっての原点だと思っています。45p

★余談ですが、「維新」という言葉は幕末にはいっぺんも出てきません。同時代につかわれていたのは「御一新」です。「維新」という中国由来の言葉が出てきたのは明治十年代。元勲、西郷隆盛も、大久保利通もこの世を去り。まだ明治政府の屋台骨がグラグラしていた時代に出てきた。つまりは、政治を担う自分たちの明治政府には正統性があるのだということを示すために「維新」という立派な看板を中国の古典から探してきたというわけ。73p

★スポーツの醍醐味とは繰り返すことに飽きないこと。……歴史の開眼もまた然り。どうしても不可思議としか思えないことが、飽きずにいろんな史料を読んでいるうちに、パッとひらめくようにしてわかることがあるのです。その意味ではスポーツの練習と同じだと思います。94p

★明治の新政府、太政官府の布告によって、正午になったことを広く知らせるために「ドン」と大砲を撃ち鳴らすことにしました。そこから土曜日の午後が休みになるkとを「半ドン」といいならわすようになったわけですが、これが明治四年(一八七一)のことでした。近代の日本人はこのときからしだいに時間に支配されるようになるのです。168p

★手塚治虫さんの漫画「アドルフに告ぐ」で有名なヒトラーです。そしてもう一人、ソ連(いまのロシア)の独裁者スターリン。この二人も忘れてはなりません。人間が歴史をつくる、とさきほどいいましたが、歴史がまた人間をつくることもある。歴史の面白さとは人間とは何かを知ることの面白さでもあるわけです。209-210p

★八月は敗戦を思う月である、とは亡き作家・大岡昇平氏の言葉です。六日のヒロシマ、九日のナガサキ、そして満州、十五日の天皇放送と、あの惨めであった日々をわたくしは思いおこさずにはいられない。……この三つの歴史的日付は死ぬまで消し去るわけにはいきません。240p

★「日本語には、外国語に直訳できないことばがむやみに多くあるんだよ。”いっそ小田急で逃げましょか”のいっそ、どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき”のどうせ、それから、せめて、ということば。”カチューシャ可愛や別れのつらさ、せめて淡雪解けぬ間に”のせめて。これらをどんなに苦心して説明してみても、外国人には論理的にわからせるには困難なことなんでね。……「人は絶えず挫折と妥協とがまんの日常をすごしている。どうせとか、いっそとか、覚悟しつつもなかなかいっぺんに思いきれない。そこに、せめての心情が大きく浮かびあがってくるというわけでね」これには心から同感しました。せめて一言、せめて一目でも、せめて一杯だけは、せめて子供だけは、せめて二人でいるときは、エトセトラ。なんとわたくしたちの周りには多くのせめてがあることか。243p

★人間の経験などタカが知れています。その意味からも、同じ過ちを避けるために、歴史を楽しんで大いに学ばねばなりません。251p

2020年8月16日日曜日

衰え知らずのコロナ感染

  ネット記事を見ると「国内感染者1300人超え 飛行機の“前後の席”で感染」の見出しがある。機内は安全と思ったらそうでもなさそうだ。記事の中身を読むと「14日、全国で新型コロナウイルスに感染した人は、5日ぶりに1,300人を超え、飛行機内で、前後の席に座っていた人同士が感染した例もあった。……飛行時間は、およそ1時間40分で、2人に面識はなく、会話もしていなかった。……」。

 今朝の地元紙に旅の広告が2頁にわたって掲載される。この暑さで気持ちは旅どころではない。が、広々としたどこかへ行きたい気持ちもある。友だちは日帰り旅を3か所申し込んだとメールをくれる。新たなローカルの観光列車にも乗りたい旨、記している。だが、いま一歩気が乗らない。気が乗らないままで遊べばケガの元になりかねない。今は暑さが過ぎるのをただ待つばかり!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月15日土曜日

『老人と海』

 今日の最高気温の予報は36度。来週いっぱいは36,7度の暑さが続きそうだ。午前中は何とかエアコンなしでも過ごせる。だが、扇風機は欠かせない。この夏は熱中症とコロナ禍でいつになく暑い夏。そんな夏に読んだ『老人と海』(ヘミングウェイ 高見浩訳 新潮社、令和二年)。先日、NHKのBSシネマでこの映画を見た。その後もヘミングウェイを取り上げる。そんな矢先に令和二年発行の『老人と海』を図書館の新刊で見つける。

 以下は本文ではなく解説から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
★一読して、だれもがまず打たれるのは、次々に迫りくる困難に直面しながら、体力と知力の限りを尽くして老人が渡り合うその姿ではないだろうか。
 人間は叩きつぶされることはあっても、負けやせん。
その思いを胸に、サンチアゴは執拗に襲いかかるサメの群れと戦いつづける。
その姿はまさしくヘミングウェイが一貫して希求してきた行動規範、いわゆる”grace under pressure(困難に直面してもたじろがずに立ち向かう)”の具現とも言えるだろう。大海原をただ一人飄然とゆく老人の孤影に、ヘミングウェイは原初的な人間の尊厳を刻みたかったのではなかろうか。(解説142-143p)

★老人の頭の中で、海は一貫してスペイン語の女性形”ラ・マール”であり。優しくも険しくもなる海を、人間の女性のように、亡き妻のように愛している。してみればこの物語は、老人と海の壮大なラヴ・ストーリー、大きな意味での自然賛歌とも言えるのではなかろうか。(解説144p)

★「老人と海」はヘミングウェイにピューリッツアー賞(一九五三年)とノーベル文学賞(一九五四年)をもたらした。(解説151p)

★「老人と海」という作品はなおさらに、いっそうの輝きを帯びてくる。それは”one true sentence”の彫琢を目指して文学のデモンと闘い続けた作家の生涯を飾る、落日前の最後の夕映えだったのではなかろうか。……このシンプルな物語の語りかけてくるものは、深く、またみずみずしい。その煌めきは、海と、そこに連なる生きとし生けるものが在り続ける限り、今後も永く色褪せることはあるまい。(解説155p)

2020年8月14日金曜日

健康あれこれ

  関西のJ〇Bから旅のカタログが送付される。コロナ禍での国の方針に基づく旅の再開のようだ。掲載されるのは国内の旅。それも国などの支援を受けた1週間以上の長期滞在の旅が多い。しばし手に取って眺めていると、ふとどこかへ行きたくなる。だが、それもつかの間に終わる。暑い時期、マスクをつけての旅は息苦しくて無理というもの。マスクはコロナ禍が収束しても必要かもしれない。マスクになれる練習をしないとモノゴトは始まりそうにない。

 暑くても相変わらず一日に一度は外に出かける。出かける先はスーパーと図書館。スーパーに行くと係がこの秋収穫したリンゴを並べている。これまでのリンゴは冷蔵保存だといって収穫後のリンゴをすすめる。冷蔵保存のリンゴは2個入りが500円前後。今年収穫のリンゴは3分の2くらいで買える。買って帰って早速食べるとこれまでのよりも濃い味がする。酸っぱさも適当にある。

 この頃のリンゴ1個は大きい。医者いらずといわれるリンゴ。一個は1回で食べきれないので一日に半分食べる。リンゴ以外にも気を付けて口にするのはヨーグルトとトマト。この3種は自分の中では大事な健康要素三成分。健康でいえばほかにも十分な睡眠と運動などがある。特に朝の太陽を浴びながらの買い物と午後の水泳がある。今は暑くて水泳は小休止。今月末から再開予定だ。

 ほかにもテレビ・ラジオで言っている熱中症対策のエアコンは欠かせない。ここ最近は夜もずっとつけて寝る。母はよく寒い季節は「暖かいのが何よりのごちそう」と言っていた。暑いときは「エアコンの効いた部屋にいるのが何よりのごちそう」になる!?

 この頃のお天気は何もかも凝縮した感じがする。梅雨の雨が一気に大雨となり、梅雨が明ければ一気に暑くなる。この調子だと秋も一気にやってきて一気に寒くなるのだろう。季節に左右されるようになった。元気でいなくてはいけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月13日木曜日

暑さ続く

 今朝、ダグニーさんのブログを見て驚く。タイトルが「死亡」となっている。ブログを読むとタイトルとはどうも違うようだ。ブログには「今日、その考えが突然私に当たり、なぜ私は実際にブログをしているのか、それが本当に役立つのか考え始めました。わたしは伝えるメッセージを持つ預言者です。私はただの『かゆみを書く』老婦人です。.私が始めた理由は、カール・ビルトがブログを始め、もしそうなら、それは私にとっても何かかもしれないと思ったからです。……」とある。ダグニーさんは108歳。時に「死亡」の文字が頭をかすめるのだろうか。

 連日、暑い日が続く。塔婆を持参してのお墓参りも無事済ませた。塔婆を左手にお花はリュックに入れてのお墓参り。往復2400歩の距離なのに山道を歩くので暑さも半端でない。いつもなら神社を抜けての帰宅も暑さに負けてさっさと家に帰る。到着するや否や頭から顔から汗が噴き出る。そのままシャワーへ。

 この暑さ、広島は33度の最高気温も関東辺りでは40度近い。どうなっている、日本列島。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月12日水曜日

塔婆を持ってお墓参り

 春の彼岸、お盆、秋の彼岸と年に3度、塔婆を受け取っていた。ところが今年はコロナ禍でお寺での法要を縮小する旨、書類が届く。これ幸いと罪作りと思いながらも、今年からお盆だけ塔婆をお願いすることにした。昨日、お盆の塔婆を受け取りにお寺へ行く。今年のお寺でのお盆法要は初盆の家だけで行われていた。

 これから塔婆を持ってお墓参り。自分の背丈もある長い塔婆とお花を持ってのお墓参りは大変。父が亡くなる前は母の先祖のお墓参りをしていた。先祖のお墓は我が家のお墓とは違って墓地の一番上にある。最後にこのお墓へ参ったのは母と一緒だった。いつもは我が家だけのお墓参りだったが、その日は母が自身の先行きが長くないと悟っていたのか急遽、上のお墓にも参った。その翌日、母は仏壇の前で後ろ向きに倒れた。それから半年後、我が家のお墓に参った翌日早朝に2度目の転倒。いずれもお墓参りの翌日だった。

 2回の転倒でいずれも即入院。最初の時は打撲だけで2週間で退院。2度目は複雑骨折で4か月の入院だった。これがもとで退院後7年で母は亡くなる。2回の転倒で思う。1度目は母の両親と兄弟、そして2度目は父の最後のお墓参りを済ませたかったのだろう、と。

 お墓参りの度、このことを思い出す。今日も暑い。気を付けてお墓参りをしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月11日火曜日

『菜の花の沖』(二)

 梅雨の大雨が過ぎれば連日の真夏日が続く。きちんとした生活をしないとこの夏の暑さに負けそうになる。午前中に一度は歩いてスーパーに出かけるが午後からは暑さを避けて家で本を読むことが多い。今は『菜の花の沖』(四)を読んでいる。図書館の書架を見るとその1巻から3巻までが書架にない。この本を読む人がいると思って4巻目を借りる。とはいってもまだ3巻目も借りている。

 これからお盆の塔婆を受け取りにお寺へ向かう。お墓参りは明日!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 『菜の花の沖』(二)(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年第10刷)もいつものごとく気になる箇所をメモしよう。

★帆の大小を何反という。千石船なら二十六反帆などというが、この反はもと端の文字をあてた。
 筵一枚の幅を――縦につないだ枚数如何にかかわらず――一端と呼ぶ。
ということを、絵画資料や文献資料のよみ方から発見したのは、和船研究家の石井謙治氏である。ムシロを縦に一列につないだものが一端で、それが横につながれた数をもって何端帆という(帆の長さは関係がない)。26p

★金毘羅さんは、本来、山なのである。象頭山ともいわれる秀麗なすがたの山で、海上を走っている航海者の側からいえば類なく素晴らしい目じるしになる。その山を見て自分の船の位置を教えてもらい、また他海域から帰ってくると、ふたたびその山を見て、こんどの航海もぶじだったことをよろこびあう。自然、山を崇敬するようになる。40p

★鰹も、干物にされた。この魚肉は干せば硬くなるため、古くは堅魚とよびやがてカツオという音に変化した。後世、生魚を鰹と言い、干したものを鰹干し(鰹節)とよんで分けたが、上代では二義が一語で済まされていて、カツオといっただけですでに干したものを指した。100p

★嘉兵衛は材木を筏にして太平洋に浮かばせるときいたとき、とっさに(死ぬような目に遭ってみよう)と、覚悟した。130p

★「わしらは、武士ではない」嘉兵衛は、嘉蔵らに口ぐせのようにいってきた。かれがいう場合、武士とは、有閑階級をさす。あるいは空論の徒をさし、賄賂(まいない)役人という意味もふくみ、また責任のがれしか考えていない身分渡世者をさす。140p

★希望といえば、頭の中では持っていた。
 この船に乗ってはるか兵庫まで帰るというだけでなく――ひとがきけば気が狂ったかと思うかもしれないが――この船によって日本海を乗り切り、蝦夷地までゆきたいということであった。207p

★船乗りは水という言葉を忌んでいる。仏事の場合、仏に供える水を閼伽(あか)というが、「水」を忌み、仏事の言葉を借用し、船底の溜まり水のことをあか、といい、ふつう淦という国字をあてる。228p

★徳というのは、本来の意味でいえば、儒教の徳目である仁儀礼智信を総称するものであろう。235p

★「トクをする」という言葉は、室町期以来の徳の誤用がそのまま生きているといっていい。トクは得の文字より徳の文字をあてるべきであろう。236p

★宇竜は『出雲風土記』に宇礼保と書かれているから、竜をリュウという俗音でよまず、リョウという漢音でよむのが正しいらしい。245p

★この時代の日本社会の上下をつらぬいている精神は、意地悪というものであった。
 上の者が新入りの下の者を陰湿にいじめるという抜きがたい文化は、たとえば人種的に似た民族である中国にはあまりなさそうで、「意地悪・いじめる・いびる」といった漢字・漢語も存在しないようである。249p

★嘉兵衛は都志新在家の若衆宿でいじめぬかれてきただけに、炊(かしき)にこの種のそぶりを見せる者に対してゆるせず、時に血相を変えて叱った。「みな、人ぞ」というのが、こういう場合の嘉兵衛の一つせりふであった。人は世にうまれて愉快に暮らしてゆくべきなのに、人が人に対して鬼になるのはゆるせぬ、というのである。250p

★……「艫を廻す」という。……――口さきばかりでは艫は廻らんぞ。という陸(おか)の言葉がうまれた。転じて、あまりうまく艫をまわすのを、悪達者、小ざかしい、という人格批評のことばになった。――あいつは艫廻しのうまいやつで、ゆだんがならぬ。などという。嘉兵衛のこの時代は、大船は櫨櫂(ろかい)をもたず、風帆のみでうごくために、艫を廻すのは附舟のしごとだった。嘉兵衛たちは、船上で見ていればいい。275p

★江戸期には浦請けとよばれる税制をもつ大名もあって、漁獲高から一定の率で納税させたりもしたが、海産物などたかが知れていた。このことで在所(農村)が浦方(漁村)を馬鹿にするふうがうまれ、いまも意識のどこかに根づよくのこっている地方もある。422p(あとがき)

★普遍性の高い文化の形成には、もっと多種類の文化――たとえば牧畜民や狩猟性の文化、さらには古代の商業に従事するひとびとの文化――が混在したほうがいいと思うが、弥生式農耕の渡来以後、日本文化にあっては、大きくわけて在と浦の二種類しかなかった。426p(あとがき)

★その都志村という村社会に、在と浦というたがいに異質な生産文化・風習・儀礼が併立つし、嵌入しあっていたということが、嘉兵衛という人間の成立のためには大きかった。427p(あとがき)

2020年8月10日月曜日

チャル・ダッシュ

 YOU TUBE先生のインスタに「チャルダッシュ攻略動画」のアップがある。URLは次の通り。 https://www.alsoj.net/flute/magazine/view/1062/4065.html

 さらった曲だがコロナ禍で家にいる間にこの曲を吹いている。その曲が動画にアップされる。それも吹き方の説明付きのアップである。これは大いに参考になる。

 今朝は曇りの天気予報とは異なり、カンカン照りだ。朝からこう暑いと日中はどうなる!?

 今朝の新聞折込に旅行社のチラシがある。旅行社に個人が支払う実費負担と国などの制度で支払ってくれる費用を併用しての掲載だ。「今ですよ、旅は?」「安く行けますよ」、と言いたいのだろう。そう思いながらチラシを眺める。だが、いま一歩、いや二歩も行く気にならない。暑さもあるかもしれないが……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月9日日曜日

竹を描く

  日本画教室で相変わらず筍が竹になりつつあるさまを描いている。昨日は竹藪の奥のほうに生えている竹に光の当たり具合の濃淡をつける。その際、まっすぐに伸びた竹の光の当らないほうに色を施す。そして光が当たるほうに他の筆でぼかしを入れる。先生にお手本を描いてもらって他の竹もまねて色を施す。手前の太い竹もこうやって色をつけていくと丸いまっすぐな竹になる。この時点で声を出して一人感動する。

 絵を習って何がいいといって絵の途中経過で思うように描けたときが一番うれしい。先生曰く、「〇〇さんのように描く途中で喜ぶ人はいない!」。人からどう見られても自分で楽しければそれでいい!?かといって逆もまた然りで描いていて気落ちすることもある。

 それにしても毎日暑い。ブログ投稿中、マイクロソフト……と画面表示が出る。またも表示、と思ってその画面を触っていると「次回から表示オフ」の設定が出た。それをクリックする。気温も暑いがパソコンを触ってるといろいろと表示が出て気持ちも暑くなる。時に頭を冷やして冷静に対処しないといけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月8日土曜日

知らないということ

 買い替えたパソコンの検索画面がこれまでと違って華氏で表示される。気温89度は摂氏で何度かすぐには換算できない。検索画面をYahoo!にすれば摂氏の表示だ。edge画面の華氏を摂氏で表示したい、と思って探す。今一歩はっきりしない。ほかの回答を探しているとわかった。華氏と表示されるあたりにマウス・ポインターを当てると瞬時に摂氏の表示となった。世の中、わからないことはなんでも検索画面で検索すればわかる!?朝からちょっぴり感動してしまった。

 パソコン関係でいえば先日の日本画教室で若い人と話す。ネット接続は何?と聞くと返事はバッファローだった。だが、このワードを知らない。人と話をしていて言葉が理解できないとそれ以上会話は続かない。日に日に進化するパソコン用語。世の中についていくには語彙の豊富さが必要だ。改めてバッファローを調べるとネット接続のためのルータだった。我が家もルータを使用している。光ファイバーのルータだ。

 今朝、新聞折込チラシを見ると大型電気店のチラシがある。Wi-Fiルータとしてバッファローの宣伝もあった。チラシは必要なのだけ見てあとは資源ごみ行きとなる。世の中の流れについていくためにも時にどんな電気製品が、どんな衣服が、どんな……と目にすることも大事かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月7日金曜日

セレンディピティ

 ここ1,2年は司馬作品の小説を読むことが多い。だが、以前は本と言えばほとんどエッセイを読んでいた。その中に外山滋比古のエッセイもある。昨日のニュースで外山滋比古の訃報を知る。ネットニュースには〈外山滋比古さん死去。96歳=ベストセラー「思考の整理学」〉の大見出しがある。人生の大先輩の書かれたエッセイは参考になることが多い。外山氏のエッセイもいろいろと読んだ。最近は著者のこれまでの作品を編集者が編集しなおして発行されている。

 外山氏の本で知ったキーワードに「セレンディピティ」がある。改めてこれを電子辞書で引くとイギリスの作家ホレス・ウオルポールの造語だそうだ。ウオルポールの寓話に出てくる主人公のSerendipにこのような発見の能力があったことによるという。なお、Serendipはスリランカの旧称。

 デジタル大辞泉によるとセレンディピティ(serendipity)は「求めずして思わぬ発見をする能力。思いがけないものの発見。運よく発見したもの。偶然の発見」とある。身内でなくても本で知った人の訃報を聞くと寂しさが募る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月6日木曜日

『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』

 『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(田中信彦 日経BP社、2018年)を読んだ。著者の妻は中国人。スジと量で日本と中国論を述べている。量ではどういっても世界一の国土と人口を有する中国、これを見てもどんな国も量では及ばない。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★中国語では学歴のことを「文化水平」と表現する。この場合の「文化」とは日本で使われてる「文化」(カルチャー)とは使い方が違う。ここでの「化」は「機械化」とか「近代化」という時の「化」である。つまり手でやっていた作業を機械でやるようにするのが機械「化」であるように、「文」でないものを「文」の状態にすることが「文化」である。……「文化水準」とは「“文”化された程度」という意味である。……中国社会の学歴とは「野蛮」からどれだけ「文」に近づいたかを示す指標なのである。
 必死で勉強して高い「文化水平」を手にし、社会から尊重されて、権力を持ち(もしくは権力との関係を深め)、それらのリソースを利用して資産を増やし、「面子」=「量」の競争における勝利を目指す。そういうレースに向かって、誰もが――自分の人生観や能力、嗜好の違いなどをほとんど顧慮せずに――挑戦していく。社会の競争の方向が単一だから、勝った人には、結果として名誉や地位、学歴、権力、金銭など全てのものが手に入る――という構造になっている。……単一な価値基準の下での競争では、必然的にほとんどの人は負けることになる。227-229p

★中国社会がどうしてこのような体質を持つようになったのか、そこにはさまざまな要因があるが、1000年以上続いた「科挙」という試験制度による人材選抜の仕組みが決定的な影響を与えていることは間違いない。230p

2020年8月5日水曜日

IT社会

 所属する研究会から研究史料が届いた。先日は同じ研究会から「オンライン Teamsを利用」しての研究会開催を知らされる。zoomを利用してのオンライン飲み会は芸能人などの開催をネットで知った。「オンライン Teams」とはどんなものか興味がある。これに参加するには大学のIDなどがいるらしい。会員であればメールを送ればそれも取得可能だ。試してみたい気もするがパソコン画面を通しての研究会参加にためらいがある。

 ネットを見ると送り主不明の謎の種が郵便で自宅に送られてくるとか。ウイルスでなく種とは、なんとおかしな世の中だ。ウイルスでもなく種でもないが、昨夜は久しぶりに怪しい携帯メールが入る。ネット社会は目に見えないヒト・モノ・コトとのつながりがある。これは恐怖感そのものだ。こういうことに対してわが身を守ろうとする。だが、メールアドレスをどうやって知るのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月4日火曜日

ネット記事

 カープが低迷している。ネットニュースに黒田氏のインタヴューがある。低迷理由を個人攻撃に向けず、頑張っている選手を中心に……、と個人的見解を述べる。これを読めば希望も湧いてくる。心無い解説者は低迷理由を監督以下の個人攻撃に向ける。ファンとして記事を読んでなんと腹立たしいことか。

 本など読んでも決して批評など悪く書いてはいけないと教わった。プロで活躍した選手であればあるほど悪くは言えない。逆に、スポーツ記者と名乗るほど悪く書く。これはどんな業界にも当てはまりそうだ。

 絵でも音楽でも自分自身がやってみればむやみやたらと人の批判はできない。自分自身がやってもいないモノ・コトに関して簡単に批判する。ましてやこれが記者の書いた記事かと思えるような文もある。それは著名人のツイッター、インスタ、ブログを見ての記事だ。朝から吠えてはいけない。

 とまれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月3日月曜日

コロナ禍での運動

 いつも見ている人のブログにコロナ禍の間、お腹周りの鎧達をどうにかしようと思って筋トレとウオーキングを続ける話題がある。テレビ出演の疲れもこの2つのおかげで楽になったという。コロナ禍前までのジム通いは長続きしなかったようだが、筋トレとウオーキングは続いてるらしい。

 コロナ禍で懸念したことは運動不足。自分の中では唯一、運動らしいものは水泳。だがコロナでプールが閉館となった時から自転車に乗るのをやめて歩いて買い物に出かけている。真夏となった今も歩いて出かける。暑い盛りに自転車に乗るのは大変。その点、歩いていくには日傘がさせる。これだけでも少しは暑さ対策になる。

 8月になった。梅雨明けと同時に暑さも半端でない。気温35度の炎天下に自転車に乗ってプールに急ぐ。これは結構ハードな運動になる。ということで8月のプールは休みにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月2日日曜日

今年の日本画作品展中止

 来月下旬に予定されていた日本画教室の作品展の開催中止が決まった。今年で29回目となる作品展。コロナの感染者が日に日に増えて作品展開催を懸念されたようだ。今、描いている筍が竹になる絵を出品しようとした。だが、これは来年の作品展に出す予定。

 それにしてもコロナはどうなっている!?いつ収束となるか全くわからなくなってきた。今朝の地元紙によるとコロナ禍前の状態には永久に戻らないかもしれない、との評論家の声がある。気長にコロナの状況を把握するしかなさそうだ。

 教室の作品展出品者の年齢は年々高くなっている。コロナ禍になる前までは自分自身の年齢をそれほど意識していなかった。ところが、コロナでいろいろと制限される生活になると一挙に年齢が気になりだす。人は何歳になってもやろうと思えばやることができる。ところがそれも年齢的に制限されるモノコトもある。これが曲者!

 先生曰く「来年、生きていれば作品展に出品します」、との生徒さんからの声があるとか。長年絵を習っている人も習う年数に応じて年を取っていく。年を取っての1年は若い時の1年とは違って見える。これは実感する。過行く日々が愛おしい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年8月1日土曜日

『菜の花の沖』(一)

 長い梅雨もやっとあけて本格的な夏がやってきた。8月になった。今年はコロナでなんだか気分的にも無駄な月日を過ごしている気がする。だが、75年前の日本はコロナ禍とは比べられないほど悲惨な日々であったに違いない。父母たちの生きたあの時代を思うとき、今、コロナで思い通りにならない日々を悔やんではいけない。

 『菜の花の沖』と並行して『老人と海』や半藤一利の本を読んでいる。この3冊は全く関係ない本と思える。だが、『老人と海』を読んでいると老人が大物の魚と格闘する心理描写は『菜の花の沖』の嘉兵衛の心理と重なる部分がある。『菜の花の沖』の著者である司馬遼太郎は歴史小説をたくさん書いている。半藤一利の『歴史に「何を」学ぶのか』を読んでいると司馬遼太郎の話題もある。
 
 暑い日に家でおとなしく本を読んでいる。ただ1冊だけの本よりも気分転換を兼ねて3冊を同時に読む。以下は『菜の花の沖』(一)(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年第10刷)の気になる箇所の抜粋から。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★義叔父の喜十郎は都志本村の弥吉を訪ねて名前を相談し、菊弥(キッキャ)をやめて嘉兵衛と称することに決めた。……「これで嘉兵衛になった」
 喜十郎が、剃刀の柄で嘉兵衛の新品の月代を一つたたいていった。27p

★(海とは、こうもうつくしいものか)
 沿岸漁業しか知らない嘉兵衛が、朝を船上でむかえたのは、はじめてであった。この光景が嘉兵衛を瞬時ながら詩人にしてしまい、生涯忘れられぬものになった。70p

★(この子は村を抜ける気でいる)
 おらくならずともそのことはわかる。柄杓は「抜け参り」のしるしであり、暗に抜け参りという名目をたてて、村のたれにも言わずに掻き消えてしまうつもりであろう。193p

★南海道(紀州、淡路、四国)は、ことばがきたないことで知られている。このことは、古代以来、そのあたりは南方的無階級意識がつづき、それが土壌になって、その後どういう階級社会がその上に載っても、原文化の体質が消滅しなかったであろうことと無縁ではあるまい。東国のように、上部階級の者に畏れ入るところが薄いため、敬語が十分には発達しなかったのである。……が、嘉兵衛の父弥吉は水呑百姓のくせに、余人に対しては軽い敬語ながらつかっていて、物腰も丁寧だった。227p

★潮汐や風、船舶類の構造とおなじように、嘉兵衛は自分の心までを客観化してしまうところがあった。すくなくとも自分のすべてについて、自分の目からみても他人の目からみてもほぼ誤差がないところまで自分を鍛錬しようとしている。つまり正直ということ出会った。しかし不正直なものほど楽なものはなく、正直ほど日常の鍛錬と勇気と自律の要るものはないとおもいはじめていた。230p

★「くだり物」というのは貴重なもの、上等なものという語感で、明治後の舶来品というイメージに相応していた。これに対し関東の地のものは「くだらない」としていやしまれた。これらの「くだりもの」が、やがて菱垣線の発達とともに大いに上方から運ばれることになる。305p

★家康と徳川官僚はその政治原理において成功した。前時代のような西洋式の帆をもった大船を野放しにしておけば、徳川幕府は二百六十五年もの長い寿命をもたなかったにちがいない。310p

★嘉兵衛がこの世でなにがきらいといっても、侍ほど好かぬものはなかった。(天はなぜかれらに安逸と空威張りをゆるしているのか)ということは、嘉兵衛のこどものころから疑問であった。……戦国末は兵農未分離で、農民が武器をもてば士であり、富裕な農民は郎党を率いる騎乗の士になったし、抜きん出れば侍大将にも大名にもなれた。
 豊臣期の刀狩によって兵農は分離され、江戸期にそれが身分として固定された。……(働かずに威張ってめしを食う連中)と、嘉兵衛はおもっている。340-341p

★このため同心は、嘉兵衛の名も、生国、寄留先、職も聞かずに取り逃がしてしまった。この経験は。嘉兵衛の生涯に影響した。
 こちらが裸の人間としての尊厳をもちさえすれば、相手も身分制や立場の衣装を脱いで裸にならざるをえないという人間関係の初等力学のようなものが、嘉兵衛の腑のなかに棲みついた。――むろん、相手をも、裸の人間として頭の髪から足指の爪先まで尊重するのだ。ということは後年、嘉兵衛にわかってくる。348p

★武力を持った豊臣・徳川氏が、ひとたび天下をにぎると、非武装階級をつくり、武装階級に奉仕させた。それだけのことで、世の制度はあくまでも武装階級がこしらえた仮りもので、万古不易のものではない。すくなくとも、そう思わねば、嘉兵衛のように、内心、佶屈としたものをもっている男には、生きてゆけないのである。349p

★「真艫に帆にあたっている」と、たれもがうれしそうにいった。船乗り冥加というもので、こういう場合は口々に声を出して祝いあうのである。マトモな話ではないとか、マトモな人間とか、あるいはマトモにぶつかってしまったとかいう陸の言葉はこういう船乗り言葉からきたのであろう。380p

★船中の武者とは、船乗りのことである。384p

★いじめる、という隠微な排他感覚から出たことばは、日本独自の秩序文化に根ざしたことばというべきで、たとえば日本語が古い時代に多量に借用した漢語にもなく、現代中国語にも なさそうである。英語やフランス語にもないのではないか。400p(あとがき)