2020年8月6日木曜日

『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』

 『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(田中信彦 日経BP社、2018年)を読んだ。著者の妻は中国人。スジと量で日本と中国論を述べている。量ではどういっても世界一の国土と人口を有する中国、これを見てもどんな国も量では及ばない。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★中国語では学歴のことを「文化水平」と表現する。この場合の「文化」とは日本で使われてる「文化」(カルチャー)とは使い方が違う。ここでの「化」は「機械化」とか「近代化」という時の「化」である。つまり手でやっていた作業を機械でやるようにするのが機械「化」であるように、「文」でないものを「文」の状態にすることが「文化」である。……「文化水準」とは「“文”化された程度」という意味である。……中国社会の学歴とは「野蛮」からどれだけ「文」に近づいたかを示す指標なのである。
 必死で勉強して高い「文化水平」を手にし、社会から尊重されて、権力を持ち(もしくは権力との関係を深め)、それらのリソースを利用して資産を増やし、「面子」=「量」の競争における勝利を目指す。そういうレースに向かって、誰もが――自分の人生観や能力、嗜好の違いなどをほとんど顧慮せずに――挑戦していく。社会の競争の方向が単一だから、勝った人には、結果として名誉や地位、学歴、権力、金銭など全てのものが手に入る――という構造になっている。……単一な価値基準の下での競争では、必然的にほとんどの人は負けることになる。227-229p

★中国社会がどうしてこのような体質を持つようになったのか、そこにはさまざまな要因があるが、1000年以上続いた「科挙」という試験制度による人材選抜の仕組みが決定的な影響を与えていることは間違いない。230p

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