2020年8月17日月曜日

『歴史に「何を」学ぶのか』

 午前7時半、燃えるごみを出しに外に出る。いくらか涼しさを感じる。午前8時、気温26度。最低気温27,8度と1,2度低いだけでも涼しい。あと2,3日すれば最高気温36,7度から34,5度になる予想。暦の上では秋。そろそろ涼しくなってもらわないと老体には厳しすぎる夏だ。

 暑い夏に読んだ『歴史に「何を」学ぶのか』(半藤一利 筑摩書房、2017年)。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 歴史嫌いが司馬作品やこの本のようにいつの間にか歴史好きになっている。歴史と同じく嫌いだったものに運動と絵を描く、がある。運動はどういっても人並み以下。だが、泳げるようになって以降、いつの間にか自分の楽しみとなった。絵もそうだ。30代半ば以降になって目覚めた人ができて自分にできない数々のこと。苦手意識も年を取って図々しさも加わってだいぶ克服できたのかもしれない。まだ、当分は元気な気がする。さて、これから先の新たな挑戦は……。楽しみ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「絶対に正義は勝つ。絶対に神風が吹く。絶対に日本は負けない。絶対に東京は焼け野原にならない。絶対に俺は人を殺さない。なんて俺はもう言えない。そんなの嘘だ」
 川でおぼれかけていたとき、わたくしはだれかの手を必死で振りほどいていました。「これからは二度と”絶対”という言葉はつかわない」と心に決めました。
 あの空襲は、わたくしにとって何だったのか。
 なぜこんなことが起きてしまったのか。
 そんな疑問がわたくしの体をつき動かした。
 歴史と正面から向き合うことになる、これがわたくしにとっての原点だと思っています。45p

★余談ですが、「維新」という言葉は幕末にはいっぺんも出てきません。同時代につかわれていたのは「御一新」です。「維新」という中国由来の言葉が出てきたのは明治十年代。元勲、西郷隆盛も、大久保利通もこの世を去り。まだ明治政府の屋台骨がグラグラしていた時代に出てきた。つまりは、政治を担う自分たちの明治政府には正統性があるのだということを示すために「維新」という立派な看板を中国の古典から探してきたというわけ。73p

★スポーツの醍醐味とは繰り返すことに飽きないこと。……歴史の開眼もまた然り。どうしても不可思議としか思えないことが、飽きずにいろんな史料を読んでいるうちに、パッとひらめくようにしてわかることがあるのです。その意味ではスポーツの練習と同じだと思います。94p

★明治の新政府、太政官府の布告によって、正午になったことを広く知らせるために「ドン」と大砲を撃ち鳴らすことにしました。そこから土曜日の午後が休みになるkとを「半ドン」といいならわすようになったわけですが、これが明治四年(一八七一)のことでした。近代の日本人はこのときからしだいに時間に支配されるようになるのです。168p

★手塚治虫さんの漫画「アドルフに告ぐ」で有名なヒトラーです。そしてもう一人、ソ連(いまのロシア)の独裁者スターリン。この二人も忘れてはなりません。人間が歴史をつくる、とさきほどいいましたが、歴史がまた人間をつくることもある。歴史の面白さとは人間とは何かを知ることの面白さでもあるわけです。209-210p

★八月は敗戦を思う月である、とは亡き作家・大岡昇平氏の言葉です。六日のヒロシマ、九日のナガサキ、そして満州、十五日の天皇放送と、あの惨めであった日々をわたくしは思いおこさずにはいられない。……この三つの歴史的日付は死ぬまで消し去るわけにはいきません。240p

★「日本語には、外国語に直訳できないことばがむやみに多くあるんだよ。”いっそ小田急で逃げましょか”のいっそ、どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき”のどうせ、それから、せめて、ということば。”カチューシャ可愛や別れのつらさ、せめて淡雪解けぬ間に”のせめて。これらをどんなに苦心して説明してみても、外国人には論理的にわからせるには困難なことなんでね。……「人は絶えず挫折と妥協とがまんの日常をすごしている。どうせとか、いっそとか、覚悟しつつもなかなかいっぺんに思いきれない。そこに、せめての心情が大きく浮かびあがってくるというわけでね」これには心から同感しました。せめて一言、せめて一目でも、せめて一杯だけは、せめて子供だけは、せめて二人でいるときは、エトセトラ。なんとわたくしたちの周りには多くのせめてがあることか。243p

★人間の経験などタカが知れています。その意味からも、同じ過ちを避けるために、歴史を楽しんで大いに学ばねばなりません。251p

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