長い梅雨もやっとあけて本格的な夏がやってきた。8月になった。今年はコロナでなんだか気分的にも無駄な月日を過ごしている気がする。だが、75年前の日本はコロナ禍とは比べられないほど悲惨な日々であったに違いない。父母たちの生きたあの時代を思うとき、今、コロナで思い通りにならない日々を悔やんではいけない。
『菜の花の沖』と並行して『老人と海』や半藤一利の本を読んでいる。この3冊は全く関係ない本と思える。だが、『老人と海』を読んでいると老人が大物の魚と格闘する心理描写は『菜の花の沖』の嘉兵衛の心理と重なる部分がある。『菜の花の沖』の著者である司馬遼太郎は歴史小説をたくさん書いている。半藤一利の『歴史に「何を」学ぶのか』を読んでいると司馬遼太郎の話題もある。
暑い日に家でおとなしく本を読んでいる。ただ1冊だけの本よりも気分転換を兼ねて3冊を同時に読む。以下は『菜の花の沖』(一)(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年第10刷)の気になる箇所の抜粋から。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★義叔父の喜十郎は都志本村の弥吉を訪ねて名前を相談し、菊弥(キッキャ)をやめて嘉兵衛と称することに決めた。……「これで嘉兵衛になった」
喜十郎が、剃刀の柄で嘉兵衛の新品の月代を一つたたいていった。27p
★(海とは、こうもうつくしいものか)
沿岸漁業しか知らない嘉兵衛が、朝を船上でむかえたのは、はじめてであった。この光景が嘉兵衛を瞬時ながら詩人にしてしまい、生涯忘れられぬものになった。70p
★(この子は村を抜ける気でいる)
おらくならずともそのことはわかる。柄杓は「抜け参り」のしるしであり、暗に抜け参りという名目をたてて、村のたれにも言わずに掻き消えてしまうつもりであろう。193p
★南海道(紀州、淡路、四国)は、ことばがきたないことで知られている。このことは、古代以来、そのあたりは南方的無階級意識がつづき、それが土壌になって、その後どういう階級社会がその上に載っても、原文化の体質が消滅しなかったであろうことと無縁ではあるまい。東国のように、上部階級の者に畏れ入るところが薄いため、敬語が十分には発達しなかったのである。……が、嘉兵衛の父弥吉は水呑百姓のくせに、余人に対しては軽い敬語ながらつかっていて、物腰も丁寧だった。227p
★潮汐や風、船舶類の構造とおなじように、嘉兵衛は自分の心までを客観化してしまうところがあった。すくなくとも自分のすべてについて、自分の目からみても他人の目からみてもほぼ誤差がないところまで自分を鍛錬しようとしている。つまり正直ということ出会った。しかし不正直なものほど楽なものはなく、正直ほど日常の鍛錬と勇気と自律の要るものはないとおもいはじめていた。230p
★「くだり物」というのは貴重なもの、上等なものという語感で、明治後の舶来品というイメージに相応していた。これに対し関東の地のものは「くだらない」としていやしまれた。これらの「くだりもの」が、やがて菱垣線の発達とともに大いに上方から運ばれることになる。305p
★家康と徳川官僚はその政治原理において成功した。前時代のような西洋式の帆をもった大船を野放しにしておけば、徳川幕府は二百六十五年もの長い寿命をもたなかったにちがいない。310p
★嘉兵衛がこの世でなにがきらいといっても、侍ほど好かぬものはなかった。(天はなぜかれらに安逸と空威張りをゆるしているのか)ということは、嘉兵衛のこどものころから疑問であった。……戦国末は兵農未分離で、農民が武器をもてば士であり、富裕な農民は郎党を率いる騎乗の士になったし、抜きん出れば侍大将にも大名にもなれた。
豊臣期の刀狩によって兵農は分離され、江戸期にそれが身分として固定された。……(働かずに威張ってめしを食う連中)と、嘉兵衛はおもっている。340-341p
★このため同心は、嘉兵衛の名も、生国、寄留先、職も聞かずに取り逃がしてしまった。この経験は。嘉兵衛の生涯に影響した。
こちらが裸の人間としての尊厳をもちさえすれば、相手も身分制や立場の衣装を脱いで裸にならざるをえないという人間関係の初等力学のようなものが、嘉兵衛の腑のなかに棲みついた。――むろん、相手をも、裸の人間として頭の髪から足指の爪先まで尊重するのだ。ということは後年、嘉兵衛にわかってくる。348p
★武力を持った豊臣・徳川氏が、ひとたび天下をにぎると、非武装階級をつくり、武装階級に奉仕させた。それだけのことで、世の制度はあくまでも武装階級がこしらえた仮りもので、万古不易のものではない。すくなくとも、そう思わねば、嘉兵衛のように、内心、佶屈としたものをもっている男には、生きてゆけないのである。349p
★「真艫に帆にあたっている」と、たれもがうれしそうにいった。船乗り冥加というもので、こういう場合は口々に声を出して祝いあうのである。マトモな話ではないとか、マトモな人間とか、あるいはマトモにぶつかってしまったとかいう陸の言葉はこういう船乗り言葉からきたのであろう。380p
★船中の武者とは、船乗りのことである。384p
★いじめる、という隠微な排他感覚から出たことばは、日本独自の秩序文化に根ざしたことばというべきで、たとえば日本語が古い時代に多量に借用した漢語にもなく、現代中国語にも なさそうである。英語やフランス語にもないのではないか。400p(あとがき)
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