2020年5月31日日曜日

行くぞ!最果て!秘境×鉄道ミャンマー編を見る

  BS3で放送された「行くぞ!最果て!秘境×鉄道ミャンマー編」を見る。ミャンマーは今年1月に出かけたばかり。だが、コロナの影響でミャンマーに行ったことが遠い過去に思える。番組HPによると以下のようだ。

★鉄道王国ミャンマーの思いやり列車。多民族が乗車するスイッチバックとループ線の急峻な山岳路線。そしてなぜか終着駅が地図にない謎の路線も!旅人は俳優の音尾琢真さん。何が飛び出すかわからない!ミャンマー「秘境×鉄道」。立ち入り禁止の村でなぜか途中下車し、岩盤だらけの間を通る山岳路線!そこで見た神様の動物の姿とは?そして終着駅はなんと地図にも載ってない。どうして?そこで出会った少年との不思議な巡り合わせに、旅人の音尾琢真さんも絶句。異国の小さな無人駅で知った現実。時速15キロ、様々な民族衣装の陽気な人々と一緒に乗り合うオンボロ列車で2000の仏塔が林立する絶景へ。

 番組が始まるとナレーターは「オトウサン、オトウサン」を繰り返す。これはもしかして以前に見た?と思った。「オトウサン」がどうしても「お父さん」に聞こえる。以前にも感じたことだ。旅する人は「音尾さん」であり、インドネシア編は見たが、ミャンマー編は今回初めて見る。

 これまで2度ほどミャンマーに出かけている。だが、昨夜放送のカックー遺跡は行ったことがない。番組HPにある「2000の仏塔が林立する絶景」は是非とも見たいものである。また「そこで出会った少年との不思議な巡り合わせに、旅人の音尾琢真さんも絶句。異国の小さな無人駅で知った現実」、このシーンも切なさにあふれる。

 番組スタッフと旅人音尾さんたちは列車に乗った少年が無人駅でただ一人になってしまう、と心配する。スタッフたちは後日、この少年との再会を約束してその場を離れる。再会後、少年は母親を探して列車を待っているのではなく、親に見捨てられ祖父母に預けられて家出していた。少年は居心地が悪くなると何度も家出を繰り返す。祖父母は自分たちが食べるだけで精いっぱい、と言って少年を見捨てる。これを知った音尾さんたちスタッフは役所を通して少年を施設に預ける。その手続き後、少年は無事保護された。

 いろんなテレビを見るが、ここまで放送する場面は初めて見た。

 ツアーで旅する時は出かけた先の嫌な部分は目に触れず、もっぱら観光地を歩く。だが、一歩違うところに入れば観光客が知りえないモノ・コト・ヒトがある。民族学に興味がある。昨夜の番組はそれに相応しい番組だった。そして旅人音尾さんのゆったりした話し方や態度は見るものの気持ちを和らげてくれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月30日土曜日

写真の整理

 1人10万円の特別定額給付金申請書が届いた。だが、マスクは届かない。
 写真の整理をしている。海外旅行など行先別の写真でなく、種々雑多な写真の整理である。アルバムから写真を取り外す作業は簡単であっても何十冊かその倍以上もあるとすぐにはできない。時に手を止めて写真に見入る。どこで写したのか全く分からない写真もある。すべてともいえるほど写真の撮影日や撮影場所を記していない。山などであれば山頂の〇〇山山頂といった風に目印となるものがある。これだとどこの写真かわかりやすい。

 山でいえばハイキングクラブに入っていた時に出かけた山歩きの写真が何枚かある。県北の吾妻山へも行っていた。また八幡湿原にある尾崎谷湿原の写真もある。これらの写真を見なければ自分がそこへ行ったことも思い出さずにいた。人に誘われれば山に行っていたのか、いろんな関係の人と出かけている。今はもう付き合いのない人が大半だ。

 中国語を習った初期のころの写真もある。市の催しで1982年に初めて中国語講座を受講した。当時は戦時中、中国に住んでいた人や中国と仕事で関係ある人たちの受講者が大半だった。その中に中国とは何のかかわりもない私ともう1人の女性がいた。仕事帰りを職場とは逆方向にある教室まで通った。その時の講師は大学の中国語の教師と国費の中国留学生だった。今は誰でも留学生名目で日本にやってくるが当時の広島大学の中国国費留学生は1年に8人しか来なかった。優秀な人たちで留学生から聞く中国の話は興味津々だった。何も訳が分からず、いざ日本語を中国語に、と言われても全く意味が解らなかった。

 そんな状態のまま中国語講座を受講。若かった友だちはその後結婚。子供さんも生まれて、留学生と一緒に家に遊びに出かけていた。写真を見るとお雛様が飾ってあり、私の膝に友だちの長女が座っている。家に遊びに出かけたことは覚えていた。だが、膝の上で遊ぶ子供と一緒に写っていた、とは驚き。それから10数年後(会社リタイア1年後)、写真に写った友だちの長女と社会人大学生となって同じ学部学科で学ぶようになるとは……。入学式でその親娘と会った時、写真のことは覚えていなくて「子供のころ一緒に写真に写ったね」とは言えなかった。

 まだほかにも思い出す。その頃から海外へ出かけるようになった。旅先で知り合った人と帰国後も頻繁に会っている。今はこの世の人でなくなった人も多い。昨日は阿蘇山に連れて行ってもらって馬に乗った数枚の写真を見つける。大きく伸ばしてもらった写真を見ると今と比べると当然、若い。当たり前ことだが楽しそうに生き生きとして写っている。阿蘇だけでなくいろんな人といろんな場所で再会している。もう2度と会えない人たちが大半になった。

 話を戻して、ほかにも中国語関係の人の写真を見ると講座の忘年会の写真がある。隣席に座っている人は3,4年前、国内のツアーに出かけた際の添乗員だ。ツアーで再会して以降、その人と会うことがある。昨夜、その人にいつの時代にどの講師と一緒に中国語を習っていたかをメールで知らせる。と同時に次回会う時、写真を持参する旨、報告した。

 今から30数年前の写真はハイキング仲間や中国語講座で知り合った人たち、海外旅行で知り合った人たちが多い。その大半は連絡も途切れている。その中でも数人とは今も連絡がある。2000年代に入るとその2年後に会社を早期リタイアして自分の人生はこの時点で様変わりする。だが、それも2011年に母がいなくなると新たな人生になった感じで今に至る。

 写真整理で別の面から思い出す。それは海水浴と自転車。自転車に乗り始めたころ、自転車に乗って方々に出かけて写っている。れんげ畑のそばを通り抜けたり、奈良や萩の町も自転車で観光している。今思い出しても大人になって、それも30代半ばで自転車に乗れるようになったことは自分のなかの革命に思える。そして海で水着で写った写真。自転車に乗るようになっても水泳はまだまだ時間がかかった。それなのに海に行くのが好きだった。水着の写真もあった。これは自分のなかでは貴重な1枚。

 今、写真をアルバムから外している。外した写真のうち、3分の1くらいは処分する。あと10年後、残した写真をさらに1割くらいだけ残す予定、ということで今はその通過点。ちょっぴり過去を懐かしむ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月29日金曜日

徐々に元の生活に!

 BSシネマで「遥か群衆を離れて」を見る。番組HPによると「19世紀、イギリスの田園地帯を舞台に、農場を切り盛りする女性と、彼女をめぐる男たちとの愛と葛藤を描く文芸ロマン。独立心が強く、若くして農場を継いだバスシバは、誠実な羊飼いガブリエルや、裕福な農場主ボールドウッドに求愛されながら、プレーボーイの軍人トロイと結婚してしまう…。原作は文豪トマス・ハーディ。ジュリー・クリスティ、テレンス・スタンプはじめ名優が共演、田園風景をとらえた美しい映像も印象的」とある。

 映画や演劇は好んで見ようとしない。だが、映画タイトルにひかれてBSシネマを見た。番組詳細の最後に「田園風景をとらえた美しい映像も印象的」とあるように画面を通して見る田園風景は旅先で見る景色のように思えてくる。映画は3時間近くあったが、退屈せずに見た。終わるのは午後4時近い。結局、昨日は1頁も本を読まずに終わった。

 今日から市の図書館は従来通りの開館となる。本を通してウイルス付着もあるらしい。どこかの図書館では消毒云々のネット記事があった。図書館の本は不特定多数の人が利用する。確かに清潔なことではない。借りる本の大半は新刊を予約する。だが、司馬作品は従来からのベストセラーであり、何人が借りて読んだ本なのかわからない。ヒト・モノ・コトを通してウイルスが付着するのも困りものだ。かといってウイルスのことばかりを考えていてもモノゴトは進まない。コロナにかかるのは怖いけど、気持ちだけでもゆったり構えてなんとかなる、くらいでいるほうがいいかもしれない。

 とは言いながら駅などのエスカレータの手すりやエレベータのボタンを触らずに階段を歩いている。来月になると習いごとも本格化する。これまでと同じようにエスカレータ、エレベータは利用せず歩くようにしよう。そういえば自転車も乗らなくなって毎日よく歩く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月28日木曜日

旅の思い出(ポルトガル)

 暇になると相変わらずアルバムを整理する。分厚いアルバムはほぼ処分した。しかし、カメラ屋がくれた小さなアルバムの写真がまだある。その中に21年前に出かけたポルトガルの旅がある。これを見ていると1枚のコピーをはせていた。読むうちにANAの機内誌に応募した記事、と思い出す。当時の気持ちがこれを読むとよくわかる。ここに記そう。

 8月ポルトガルへ行った。関空からNH921便に乗り、ロンドン乗り継ぎでポルトガルのリスボンに着く。2日目のポルトの町で日本のポートワインはポルトワインからきていると知った。
 
 ポルトガルの人々はその国の独特の感情を「サワダーディ」という。日本語では「哀愁」とはじめに誰かが訳したのか「哀愁のポルトガル」といわれる。その言葉に引かれてポルトガルに行った。

 3日目、プサコという町の宮殿ホテルに泊まった。町からずんずん奥まった山の中にあり、まわりは広い樹海である。ツアーの人たちとディナーまでの数時間、どんどん奥深くの樹海に入って行った。ふと気がつくとあたりはシーンとして鳥の鳴き声もしない。翌朝も朝早く起きて1時間くらい違う方向の樹海を散策した。朝の太陽は清々しい光を私たちに照らし始める。 

 4日目、今世紀最後の皆既日食をコインブラ大学で見ることができた。
 ポルトガルの旅の終わりは首都リスボンの観光である。ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬に立つ。ああ、これがあの有名な「ここに地尽き海始まる」が書かれてある岬なのか、と思った。強い風に吹き飛ばされそうになった一人身の私は余計この言葉に哀愁を感じた。
 
 その夜、私たちは哀愁あふれるファドの音楽を聴く予定になっていた。ディナーも終わり5台のタクシーに分乗してファドを聴きに行った。1台目のタクシーに添乗員は乗った。私も乗ったとき添乗員は運転手を見て「ジョージ!」と悲鳴とも思われる声をあげた。お昼にリスボンで観光のアシスタントガイドのジョージ・ぺドロだったのだ。
 
 この偶然に私たちはびっくりした。その夜のファドは楽しくて哀愁はあまり感じられなかった。深夜まで続いたファドの歌手は決してお客に目を合わせて歌わない。これも哀愁あふれる歌い方なのだろうか。
 
 お土産に買ったポルトのワイン。これを口にするとき私もまたポルトガルに哀愁を感じるのだろうか。そう思いながらポルトガル航空でロンドン乗り継ぎ後、NH922便でポルトガルを後にした。
                                                 (1999年9月6日全日空機内誌投稿より)

 記事は機内誌に掲載され、お礼に腕時計をもらった。ポルトガルは「哀愁のポルトガル8日間」の旅で1999年8月8日から15日までの旅だった。ポルトガルから帰るとファドにのぼせた。ファドといえば月田秀子が有名だ。当時、広島の街中でなく奥まった可部の町のライブハウスで月田秀子のライブがあった。遠くにも関わらず2度ほど聴きに行った。ネットで検索するとこの人はもうこの世にいない。

 ポルトガルといって思い出すのはまだある。名古屋からポルトガルまで1人旅をしている人と出会った。1人でリュックを背負って世界を歩く、それも若い女性だ。話を聞いて自分はまだまだと思った。帰国後、連絡を取り合うとフラワーデザイナーだった。旅先でいろんな人と出会う。その都度刺激を受けて帰国する。そして新たな気持ちになり元気が湧いてくる。これも旅の良さかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月27日水曜日

♩レジェンド♩


 YOU TUBE先生のツイッターによると、7月から5000人収容のホールで100%入場の演奏会が開催できる予定という。東京がそうであるならば広島の演奏会も開催となるかもしれない。6月までの広響定演は先延ばしでの開催だが、7月の定期演奏会は予定通り開催されるだろう。

 YOU TUBE先生は今度の日曜日、BS1に出演するそうだ。動画は拝見してもテレビで初めてお目にかかる。自粛ムードの中、夫婦で出演する、と喜びのブログ・アップがある。

 チャールダーシュを毎日練習している。だいぶ吹けるようになったので、次はアンデルセンの「レジェンド Op.  55 No .  5」を練習しよう。なんとなく寂しい感じの曲だが、いつもの動画でなく違う人の動画で練習しよう。なじみのない曲だが……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月26日火曜日

ツイッターから

 著名人のツイッターを見ると「認知症のチェックもしてもらえるみたいです。気がつけばこんな年に・・・ほんのちょっと前まで高校生だったのになあ」とある。「ほんのちょっと前まで高校生だった……」の件、よくわかる。こうつぶやいた人は70歳前後。「ほんのちょっと前まで……」がおかしい。自分自身も歳をとった。が、この人と同じようにそう感じる。高校生からいきなりの年寄!?働いていた期間が抜けている。

 今、年金生活者。働いたからこそ年金で生活できる。だが、その間の仕事面での楽しさはあまり浮かばない。それよりも就業を終えた午後5時半からの習い事などが思い起こされる。今になると、その頃に習ったことがリタイア後の生活の潤いとなっている。仕事だけに明け暮れた生活であれば今の生活はなかったかもしれない。人のツイッターを見てそう感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月25日月曜日

桑原隲蔵(じつぞう)

 先日の『項羽と劉邦』(中)に井上靖が書いている桑原隲蔵(じつぞう)はブログに取り上げた。だが、司馬遼太郎の桑原の詳細は取り上げていない。司馬遼太郎は『項羽と劉邦』(上・中・下)3巻のどこかに桑原隲蔵の中国における人肉の風を書いている。これは本を読んだので確かだ。だが、何巻の何頁に書いてあるのか付箋を貼らずにいたためはっきりしない。それを確認すべく『項羽と劉邦』3巻から「桑原隲蔵」を探し始める。文庫本であっても1巻が350頁近くある。それを「桑原、桑原、……」、と目で追っていく。一昨日は探せずじまい。昨日もまた探すと下巻に掲載があった。これで一安心。

 下巻はまだブログにアップしていない。アップしていなくても付箋を貼っていなかったので探し出して幸いだ。その個所を記そう。

 ★彭越には後日の運命がある。かれは高祖(劉邦)によって梁王になったが、高祖の妻呂公(りょこう)に嫌われ、謀反のうたがいをうけて誅殺された。その肉は塩漬けにされ、ハムのように切りきざまれて、諸侯に洩れなく贈られた。憎しみを共にせよ、という寓意であったが、この塩漬けとそれを啖(くら)うという形式にはこの大陸に食人の習俗があったことを想像させる。大正十三年、桑原隲蔵博士が史学上の立場からこの大陸における食人習俗(カニバリズム)を論考しているが、いずれにせよ彭越の場合、その末路は食われてしまう。この滑稽とも悲痛とも言いようのない終局によって、かれの人間と人生そのものが痛烈な演劇にされてしまった。(『項羽と劉邦』下巻151-152p)

 人の作品を取り上げたり引用するにはいい加減ではいけない。桑原隲蔵は忘れられない人になった。桑原、と電子辞書で調べるとその子息は桑原武夫だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月24日日曜日

「人がもし旅をしなければ、どうして世界と人生の美しさを知ることができよう」

 マスクや一人10万円の特別定額給付金はまだ届かない。しかし、郵便受けに共産党の市議団ニュースのチラシが入っている。申請ができない人向けに手伝う旨、書いてある。共産党に興味はない。が、申請の見本がコピーされ、市から29日に送付されると書いてある。

 年に1度くらい年賀状作成にパソコンのプリンタを使用する。本来ならばプリンタはもっと利用するほうがいいらしい。そう思ってコンビニでなく我が家のプリンタを使って申請書類をコピーする。この国では「いただく」モノ・コトは自分でしないと受け取ることができない。もしも体のどこかに不具合を生じて文字さえ書けなくなればチラシにあるような人たちにお願いするのだろうか。国が皆にくれるものならば面倒な手続きなしでくれるといい。

 井上靖の歴史エッセイ集①『歴史小説の周囲』の「西トルキスタンの旅」を読んでいる。いい言葉に出会った。

★今や「辺境」はなくなったと言えるかもしれない。荒れた砂漠に水を引いて広大な綿畑をつくり、樹木のないところに鬱蒼とした森林をつくっている。どこへ行っても樹木を大切にし、古い記念物を保護していることには感心した。そして何よりも貴いものに思われたのは素朴で明るい住民の人情である。ここである旅行家の言葉を引用させてもらえば、「人がもし旅をしなければ、どうして世界と人生の美しさを知ることができよう」。195p

 この文章のなんと美しいことだろう。井上靖が書く言葉はどれも美しい。そしてこの最後の「人がもし旅をしなければ、どうして世界と人生の美しさを知ることができよう」。これに強くひかれた。

 今、旅どころか他所への移動さえままならない世の中だ。いつか旅が再開された日には旅をしよう。先ほど旅のメモを見るとこれまで46回、海外旅行をしている。あと4回で記念すべき50回目の旅となる。来年か再来年にはそれもクリアできる、と思っていた。その矢先のコロナ禍で足踏み状態が続く。

 1986年に初めて外国に出かけた。それ以来、海外の旅にハマってしまった。それも2002年にいったん終わりを告げる。8年のブランクの後、2011年に人に誘われて海外旅行を再開した。再開後の旅はいきなり2週間のスペイン旅行だった。それ以降、旅の楽しさを再認識し、今年1月のミャンマーの旅を終えて今は身動きできない状態のままだ。国から受け取る10万円は当然旅行費用に回す。お金よりも早く元の生活が戻るといい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月23日土曜日

『項羽と劉邦』(中)

 『項羽と劉邦』(中)(司馬遼太郎 新潮社、昭和63年19刷)を読んだ。このなかに「中国はすでに秦漢以前から比類ない大文明を築いた。しかし食人の風があった。とくに飢饉や戦乱にあっては子を易(か)えあって食い、あるいは市に商品として人肉が出た」(80p)の件がある。中国における「食人の風」だ。これは桑原隲蔵(じつぞう)の論文がもとになっている。

 以下は今、読んでいる井上靖の本から。「私は先生の論文の中で、東西交渉史関係のものばかりを拾って行くうちに、どうしたものか、『支那人の食人肉風習』という論文に小説家的な食指を動かし、それを小説の書き出しの部分に使わせていただく結果になった。その小説には長安の郊外の市場で、裸身の女を売っているところがあるが、桑原先生が知ったらさぞ苦笑されることであろうと思う。……他には『敦煌』の場合のようなことはないが、中国を舞台にした歴史小説を書く時は、いつも桑原先生の諸論文を、辞書替わりに使わせていただいている。このこともまた先生は苦笑されることことであろう」。(『厯小説の周囲』「桑原隲蔵先生と私」150-151p) 

 日本における小説の大家2人がともに桑原隲蔵の論文を参考にして小説を書いているとは驚き。『敦煌』を読んだ際、市場で女性を売っている場面がある。まさにこれが人肉になるとは……。以下は『項羽と劉邦』(中)から気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
★「沛公(劉邦)はまれにみる長者だ」と、たれもがいう。……この大陸でいうところの徳という説明しがたいものものを人格化したのが長者であり、劉邦にはそういうものがあった。6-7p

★張良というこの若者はのちに卓越した作戦家の名をうたわれるにいたる。……この時期、始皇帝自身の側近をのぞいては、天下で張良ほど始皇帝の動静を知っていた者はいなかったかもしれない。20p

★張良が下邳(かひ)時代、かくまって命をたすけた旅のお尋ね者とはこの項伯であった。項伯はこの恩を忘れず、のち張良に恩返しすることによって、劉邦までが一命を拾うというひどく劇的な結果の因をつくる。この時代の侠の心、習慣、紐帯(じゅうたい)を考えると、侠の精神そのものが劇的な因子をもつものだといってよく、一面、張良の生涯をいろどる華やぎそのものも、侠という異常な倫理によるものであったかと思える。25p

★劉邦の人間について、「生まれたままの中国人」という含蓄に富んだ表現を、古くは内藤湖南博士がつかい、近くは貝塚茂樹博士がつかっている。……中国の長い歴史のなかで無名の農民から身をおこして王朝を建設したのは、劉邦以外にない。……劉邦という男は……、この大陸の土俗の中から生まれ、土俗という有機質を、育ちのよさや教養で損ねたり失ったりすることなく身につけ、文字どおり裸のまま乱世の世間に出た。47p

★この関中の戦場における張良ほど、非戦闘員に対しては慰撫を、軍人に対しては打撃をという両面を徹底的に使い分けた軍略家はいなかった。この方法が、後世の範になった、後世、この大陸で革命を成功させようとする多くの者が、この方法をとった。69-70p

★「小僧と(項羽)」と、すでに席にいない項羽をののしった。世は劉邦のものになるだろう、連中(項羽の血族・幹部)はやがてことごとく、劉邦の虜になる、思いかえせば、小僧は所詮は小僧に過ぎなかったのだ、といった。122p

★漢中とは、そこを流れている漢水という河の名から出た地名らしいが、その地域は単に漢ともよばれることのほうが多かった。あらたに漢中王になった劉邦に対し、ひとびとは漢王とよんだ。この故秦の流刑地の呼称が、後代、この大陸のすべてに対する呼称になり、またこの大陸で共通の文化をもつ民族に対する呼称にとして二十世紀にいたってもなおよばれるようになろうとは、この当時、韓信もその女も、あるいは劉邦自身、もしくはその謀臣の張良でさえ夢にも予想できなかった。146p

★すでに十三人が首を刎ねられ、つぎは韓信というときに、夏侯嬰はひとめ見て、(こいつは尋常の人間ではない)とおもい、劉邦のもとに駆け寄り、――主上よ。あなたは天下をお望みにならないのですか。と、ささやいた。……劉邦はあわてて処刑役人を制し、韓信の縄を解かせた。154p

★韓信は、話すうちに劉邦といういう男がひどく新鮮にみえてきた。当初、どろがあいまいに人の形らしい恰好をなしてすわっているような印象でもあったが、韓信が話おわったときどろがいきなり人になった。劉邦は右こぶしを挙げ、よろこびのあまりかたわらの小机を打った。――将軍よ、わたしはあなたを得ることが晩すぎた。と、叫んだ。劉邦はどうやら韓信によってはじめて自分を知ったようでもある。すくなくともあらたな自分をつくる方向を得、さらには明日から行動すべきすべての方針と日程まで手に入れた。171-172p

★関中は、通常、地名と秦とよばれる。
項羽が三分して亡秦の将だった三人の王(章邯、司馬欣、董翳)にあたえたためこの地域名は三秦とよばれるようになった。174p

★関中の農民がすべて劉邦に味方したということは、劉邦の戦いにとって戦略以前の大政略をなしていた。このやり方は後世のどの時代の革命軍にもひきつがれるようになった。175p

★劉邦は、国名を創った。漢と、よんだ。漢中王であったときその地域呼称にすぎなかった漢を、そのまま関中にまで持ってきたのである。177p

★伊勢神宮は古代権力が多分に人工的につくった廟所だが、まず日の神がまつられた。ついで後代、いつのほどか同格の農業神があわせてまつられた。それが、稷(しょく)やがて内宮・外宮を律令国家の社稷とした。律令日本は仏教を輸入しただけでなく、国家の社稷も輸入したといっていい。178p

★「殺されたくなければそむく(厥の厂がない文字)な」というのが、項羽の政治学に書かれているたった一行の鉄則だった。……このため、項羽の戦いは戦闘より虐殺のほうで多忙だった。185-186p

★項羽と劉邦――楚と漢――の血みどろな激闘はこの洛陽の三月からはじまったといっていい。196p

★まったくこの時期――彭城を落とすまで――の劉邦と漢軍は、奇跡という彩雲に乗って東進しているようなものであった。222p

★時代は、急湍(きゅうたん)のように流れている。日ごとに歴史が変わった。項梁の楚軍も変化してゆき、総帥の項梁が定陶で戦死したあと、楚軍のなかで多少の権力闘争があって、結局は項梁のおいの項羽が血脈相続のかたちで相続した。250p

★(張良もまた、おもしろい)と、劉邦はおもう。あの年中風邪ばかりひいている男は、欲得を離れて劉邦を補佐し、劉邦に天下をとらせることだけを楽しみにしている。私心がないために物もよく見え、さらには劉邦に直諫(ちょっかん)し、その浮きあがった足に抱きついて地につけさせてくれた。(人はさまざまだ)劉邦はおもった。337p

2020年5月22日金曜日

「木乃伊考」より

 清々しい朝を迎える。コロナ禍さえなければ最高の季節。だが、どこへも行く当てがない。ああ、遊びに行きたい。来月になれば習っている教室も始まりそうだ。それよりもどこか遠くへ遊びに行きたい。

 図書館は開館してもネットで予約した本を受け取るだけ。自分で本の閲覧どころかか受付カウンター以外は中へは入られない。いざ、ネットで、とさっそく本を検索する。だが、思うようにつながらない。今日あたりは大丈夫!?家にある本を読んでいる。最近は司馬作品にハマっていた。それも底をつき、今はもっぱら井上靖の作品を読む。今から30数年前に買った本。しかし、積読だったためか今買ったように真新しい。

 井上作品は中国に関する小説や紀行文のほかに日本の戦国時代の小説が多い。30数年前は歴史に今ほど関心がなく、買っても読まずにいた。今、歴史エッセイ集①の『歴史小説の周囲』を読んでいる。270頁の文庫本だが司馬作品同様に読めない文字が出てくる。これも司馬作品と同じくノートに書き記す。この本に「木乃伊考」の話題がある。木乃伊はミイラの漢字表記と初めて知った。今、ブログに入力してもすぐにミイラの文字変換ができる。ということは知らないのは自分ばかりなり!?

 「木乃伊たちは殆ど全部が真言修験の行者で、それも湯殿山で修業した行人に限られており、彼らは自分の意志で自分を木乃伊にしていた。……三年五穀を断ち、あとの三年十穀を断つといった風に木食行にはいって入定するのである。入定するまでの辛苦は考えただけでも大変だ。このような過程を経るから、木乃伊になるものの体は、内臓などぬく必要のない状態になっているわけである」。(157p)

 「木乃伊になる意思をもって入定しても、人の手で掘り出されて地上に出ない限り、衆生を済度するという目的は達せられない。……湯殿山周辺に塚と呼ばれているものが幾つかあるが、それらは大抵こうした不幸な木乃伊たちの眠っている場所である」。(157p) 

 「日本の場合、木乃伊になった人が多く出たのは文化文政のころである。……木乃伊になった人たちが、一、二の例外をのぞいて、土方とか、砂利人足とか、水のみ百姓とかの下層階級の出であり、そのうちの何人かは犯罪を犯して寺へ逃げ込んだ連中である。修験道の方の身分は、殆ど全部が行人で、この行人というのは一番下の階級で、一生経っても上には登れない。そのような立場の人たちが仏になり、衆生を済度しようという気持ちを持ったのであり、自分一人の往生を願ったのではないことは興味ある問題である」。(158p)

 「……どうしてこのように沢山の人たちが木乃伊になろうとしたかということである。……信仰物語にも、それとは反対に残酷物語にもなりそうなものを併せ持っている」。(158p)

 「それにしても、どうして東北の一角に生まれた大勢の人たちが木乃伊などになろうとしたのであろうか。そして即身仏になって衆生を救おうなどという考えを持ったのであろうか。いまのところ私に判ることは、その時代が決していい時代ではなかったであろうということだけである」。(159p)

 湯殿山へは3,4年前に国内のツアーで出かけた。月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山を巡るツアーである。月山に興味を持って出かけたが湯殿山、羽黒山も興味深い場所だった。特に湯殿山は参拝の前に注意を受けた。写真を撮ってはいけない、見たことを言うのも聞くのもダメ、ということだった。ということでこれ以上、ここに書くのはやめよう。

 湯殿山と木乃伊が関係あると知ってお参りすれば、また別の気持ちを抱いたかもしれない。もう一度行ってみたくなった。だが、今はコロナでどこへも行かれない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月21日木曜日

付箋を貼る!?

  昭和12年発行の国史を現代風にアレンジする作業を終えた、との報告が入る。メールを送信してくれた人は小学校の同級生。自身とつながりがある人に一斉メールで知らせてもらう。専門外のことを長い月日をかけてやり遂げている。今は仮製本の段階だが、近いうち本として出版するそうだ。昭和12年発行と言えば我が家には父が愛用していた漢和大辭典がある。 

 今朝の地元紙「天風録」に毎日が日曜日ともなると曜日が分からなく云々の記事がある。それに付箋を貼るには何曜日には何を食べると決めるとか日記も効果があるそうだ。日記はブログという手段で代用している。ブログが曜日云々となるかどうかは怪しいが自分のささやかな楽しみとなっているのは間違いない。朝食後、新聞を読み、ネットニュースをチェックしてブログをアップする。これを終えればいざ出陣とばかり一日の行動が始まる。

 コロナ禍でいつにもましてフルートを吹いている。吹いてはICに録音し、それを聞いては録音を消す。これを繰り返す。自分の吹いた音であっても何がいいか悪いかはよくわかる。ましてやYOU TUBE先生の吹く音と比べると雲泥の差がある。それでも少しでもうまく吹けたときは録音のままにする。

 YOU TUBE先生のタンギングの吹き方を動画で見る。「トゥク、トゥク、トゥク」ではなく、「ド、ド、ド」や「ゴ、ゴ、ゴ」で練習し、ダブルタンギングは「DO GO、DO GO、DO GO」で練習するように、とある。 これを♩=120で4つ入れるといいらしい。フルートの初歩から動画アップがある。家に居ながらにして何かをしようと思えばかなりのことが情報として受信可能となる。これは何も金銭とは関係ない!ただ、自分がやるかやらないかだけのようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月20日水曜日

オペラ「ドン・パスクワーレ」を見る

 イタリアの作曲家ガエターノ・ドニゼッティのオペラ「ドン・パスクワーレ」を見る。新国立劇場が巣ごもりシアターで公開中のオペラをパソコンで見た。コロナ禍で見るオペラはこれで4本目。作曲家もオペラのタイトルもなじみのない名前だ。パスクワーレはタイトル通りこのオペラの主役。その相手役はノリーナで修道院出の妹ソフローニャも兼ねる。最後にパスクワーレとノリナーが繰り返し歌う場面がある。これがオペラのハイライト!?

「この話の教訓を見つけるのは簡単 よかったら 私が教えましょう」
「年寄なのに花嫁をもらうなんて 揉め事と苦悩を 探すようなものよ」
「年老いて花嫁を望むなんて愚か者 わざわざ揉め事を探すようなもの」
「素晴らしい教訓だ ドン・パスクワーレにはピッタリ」
「抜け目ない娘にしてやられた」
「彼女は我々よりも知っている」
「ドン・パスクワーレには ピッタリな素晴らしい教訓だ!」

 この歌を繰り返し歌って幕を閉じる。オペラの見はじめは何をやっているのかさっぱり意味がつかめない。1幕が終わり2幕目になるとやっと理解し始める。音楽は聴いても映画や演劇など見ることがあまりない。テレビのドラマも全く見ない。理解できないのはその辺にあるかもしれない。次に見る5本目のオペラは藤原歌劇団が公開中の「ラ・チェネレントラ」。これは3時間の上演。明日まで公開中だが、さてさて見終えることができるかどうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月19日火曜日

山歩きに思う

 母の月命日はお墓まりから始まる。墓地に着くと人気が無い。水くみ場にも誰もいないと思ったら挨拶される。1か月来ない間に墓周辺は草茫々状態になっている。しばし草を抜き、お墓参りを済ませてお宮の方へ向かう。途中、山歩きの恰好でカメラ持参の人に出会う。隣町から山の風景を写しに来たという。山に面した道だが、それほど山奥ではない。出かける時は山歩きの恰好をするらしく、チェック柄のシャツにベスト、背中にはリュック、手にはストックを持っていた。

 家に帰ってふと思った。なぜ山歩きの人はチェック柄を着るのだろう。ネットで調べると次のように書いてある。

 ★日本は『登山』と『信仰』の深い結びつきがあったため、明治・大正時代は白装束から着物、次第に襟やボタンの付いた上着を着てスボンを履くようになりました。そして昭和初期からは、チェックシャツとニッカポッカが定番の登山スタイルに。その名残で、今も多くのメーカーがチェックシャツを販売しています。チェックシャツは登山では視認性が良く、汚れも目立ちません。昔からある『山シャツ』は、今も登山の定番ファッションです。https://yamahack.com/2696(参照)

 お宮からの下り道でまた人と出会う。急こう配の坂道だ。その人曰く「毎日エベレストへ上っておるようなもんよ」。「勾配は何度くらい?」と問うと25度あるそうだ。お宮の鳥居付近まで家が建っている。ひと月前、急こう配を上って桜を見た時は結構きつかった。この道を買いもので毎日通るとは恐れ入る。その人もチェック柄を着て、リュックを背負っていた。買ったものをリュックに入れて帰るらしい。

 先日押し入れを片付けていると山で使用するリュックやアルミニウムの食器など山の道具一式が出てきた。30代のころ、ハイキングクラブに所属していた。何かをやるにはまず格好(道具)から、ということで道具一式を購入したのだろう。ハイキングクラブは当時アルバイトをしていた職場の人に勧められて入った。運動音痴も歩くことだけは人並みだったようで何のためらいもなく山歩きをしていた。だが、次第にアルプス当たりの本格的な山歩きをすすめられて以降、山歩きから遠のく。ただ、今でも日本百名山などのテレビ番組を見ると山へのあこがれは募る。が、もうそれも無理というもの。見るだけで満足してしまう。

 それにしてもああ、コロナ。山歩きでなくても乗り物に乗って遠くへ行きたい!1、2か月では元の状態には戻れそうにない。もしかしたら1年あるいは2年くらいかかるかもしれない。それまで我慢、我慢!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月18日月曜日

本の整理etc.

 先日、古本屋さんに100冊余りの本を引き取ってもらった。本を片付ける際に家にある本を作家別に本棚に置けばいいのに相変わらず適当に置いている。図書館が休館中に読もうと家にある井上靖の文庫のエッセイ2冊を読み始める。昭和61年増版の歴史エッセイ集1,2である。それは『歴史小説の周囲』、『歴史小説の光と影』であり、目次を見るだけで作家が歴史小説を書こうとした意図が伝わってくる。

 本を読むうち、もっときれいに本を整理しようと思った。次に本を片付けるときは作家別に書棚に本を置くようにしよう。今は、文庫本、単行本、〇〇全集などと本の大きさで区分している。そうではなく、作家別に本を分けよう。ここ1年半は司馬作品にハマっている。だが、その大半というか全てともいえるほど図書館の本を読んでいる。図書館が家の近くになかったときは本は買って読むものと決めていた。その頃は今より若かったこともあり、本が増えることがうれしかった。それも年齢を経るにつれて本が増えるのが重荷になりだす。それは本ばかりでなく、自分が所有するものすべてにおいてそう感じるようになった。

 アルバム、旅先で購入したお土産、衣服、その果てはオルガン、ギター、エレクトーンといった楽器類まで及び、そのほとんどは処分した。手元に置くのは自分で持ち運べるものがいい。その点、フルートは小さくできる。

 年を取って始めた日本画。近年は描いた日本画がたまりだした。ただ、作品展で先輩から額は作品ごと揃えないようにとアドバイスを受けた。額は高価なうえに持ち運ぶにも重すぎる。馬子にも衣裳で絵も額で良さが引き立つかもしれないが、日本画の額は重たい上に絵よりも半端なく大きいものになる。アドバイスを受けずに作品展ごとに額を買っていたら重量オーバーで我が家が沈没するところだった。

 本の整理から自分の持ち物や生き方まで考えるようになった。それはコロナの影響もあるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月17日日曜日

4本目のオペラを見る

 降り続いた雨も上がる。昨日は1日パソコン三昧。新国立劇場で公開中の巣ごもりシアター「ドン・パスクワーレ」を見る。コロナ禍で家に閉じこもる日々に見るオペラはこれで4本目。ここで余談。ものの数え方が怪しいことがある。先日、愛用の電子辞書を触っていると「数え方の辞典」が内蔵されてある。中国語はモノにそれぞれ量詞が付く。専用の量詞を持たない普通名詞は「个」(個の簡体字)をもちいるが、わからないときはこれを使ってもよい。日本語は中国語ほど助数詞については厳しく言われない。日本語のオペラの助数詞は何かをこの辞書で調べると作品数は「本」で、上演数は「回」や「度」だった。ちなみに中国語の京劇は「出」、映画は「場」が使われる。

 「ドン・パスクワーレ」なるキーワードはこのオペラで知った。全部を見終えていないが、パソコン画面に映し出される場面はまるで西洋絵画を鑑賞しているようだ。というか、西洋絵画をまねて時代背景や衣装、光の当て方などの舞台装置がされているのかもしれない。先日の「紅天女」は日本語での上演だが、字幕を見ないと何を意味しているのか日本語が聞き取れない。その点、外国語の上演は初めから字幕を見てしまう。

 オペラの鑑賞は本物を見た本数がどういっても少ない。同じ見るなら見栄えするオペラがいい。もともとオペラが公開されると知ったのはYOU TUBE先生のツイッターによる。YOU TUBE先生は自身が演奏された作品しか紹介していない。だが1作品を見終えるとそのHPで次々公開される作品を知ることができる。新国立劇場以外にも藤原歌劇団も「紅天女」に続いて「ラ・チェネレントラ」を公開している。2本を同時に見るほどオペラ好きでもないので1作品を細切れにして見る。

 何年か経ってコロナの話が出るころには「パソコンでオペラをよく見た」、と思いだすかもしれない。これもコロナ禍のお陰と思っていい方に解釈する!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月16日土曜日

熱が出た!

 昨夜の午後8時から今朝7時まで長く寝た。お陰で体温が下がる。一昨日、美術館に出かけた。コロナ対策で入館するにもいろいろと監視される。持っていた日傘まで注意され、傘置き場へといわれる。だが100円硬貨がない。係に話すと4階で両替するようにとのこと。館内に入るためにあれこれ対策を講じているのに両替をするために先ず4階まで行けとはどういうこと?これは変、と思って傘を折りたためばOKかを問うとそれでよかった。

 絵を見るのも大変、と思いつつ特別展会場へ行く。ここでもああじゃこうじゃと注意を受ける。わかっている、と心で思いながら絵を見る。というか見させていただく、という感じで見る。係はここまで高圧的にならねばならないのだろうか。これはコロナのせいではない。いつもにも増してコロナで余計高圧的態度だ。

 一昨日の特別展鑑賞で熱が出た、とは思いたくない。昨日は朝から変だった。今一歩、いつもと違う。午後になると異常に眠たくなる。昼寝の習慣がないにもかかわらず、1時間お昼寝タイム。夕方になってもいつもと違う。夕飯後、ここ数年というか全く測ることもない体温を測定すると37度6分だ。3回測るとやはり37度台半ば。これを見てもしかしてコロナ、と思ってすぐに寝る。11時間の睡眠後、今朝は体温も下がる。

 あれは何だったのか。久しぶりに外に出て神経を使ったのだろうか、それとも縮景園で休憩もせず動き回りすぎたのだろうか。思いを巡らす。今朝は元気になった。だが朝から大雨が降っている。それも異常な音で降り続く。不気味なほどに……。元気を出してチャールダーシュ、練習しよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月15日金曜日

川端龍子展を見に行く

 12日から県立美術館で開催中の川端龍子展を見に行く。コロナで危ぶまれた特別展は会期が延長されて6月21日まで開催される。初日の人出を新聞で見ると多くはなさそうだ。昨日は開催3日目だが、思い切って出かけた。広島駅に久しぶりに着くと駅表口は新たな駅ビルに建て替わるため、なんともわびしい雰囲気だ。駅横のホテルや郵便局もすべて建て替わるため、広島の玄関口はコロナも加わって寂しい感じがする。
 
 美術館まで歩いて行くが人の歩く姿はほとんど見えない。美術館に到着すると係があれこれ指図する。まずはセンサーの前に立ち体温を測る。書類を記入し説明を受けていざ会場へ。絵を見に来た人はいつもの特別展ほどではないが、広い会場にはぼつぼつ人がいる。絵を見ているとご夫妻で来場の某交流会の人と出会う。この方たちは油絵画家で川端ほどではないにしても大きな絵を描かれる。コロナでやる気をなくしたので川端の絵を見て刺激を受けに来場されたようだ。今月末には某美術館で3人展を催されるという。
 
 もらったパンフによると川端龍子は「衝撃の日本画 スケール、発想、いきざま、すべて規格外!」とある。まさにその通りで「龍子垣」の大きさは242㎝×725.5㎝とスケールがでっかい。この絵は竹で垣が描かれている。この絵に引きつけられたのか絵を堪能した後、隣の縮景園に入る。お天気も良くまさに行楽日和。街中で野山に出かけた雰囲気が味わえる。そう思っていつもは隅々まで歩かない園内をカメラ片手に見て歩く。竹林があった。筍がまさに竹になるところだ。これは絵になると思って写真を撮る。日本画教室も2か月くらい休みが続く。今描いているモミジを描いたならば次は筍が脱皮する様を描く、これ、いいかもしれない。
 
 縮景園の園内は数人も人はいない。それなのに園内全ての椅子は座らないようにとの張り紙がある。それほど大きな園ではないが、歩けば暑くなり休憩もしたくなる。1人、自撮り棒をもって歩く人と話す。自分を写してインスタにアップするのだろうか。
 
 昨日の携帯万歩計は9500歩。暑い上にお腹がすいていてもどこもお店が閉まっている。広島駅まで行けばお店も、との甘い考えは通用しなかった。
 
 今朝の新聞によると自粛もだいぶ解除されるようだ。図書館のHPを見ると貸し借りだけは来週火曜日からになっている。久々に乗り物に乗って市内に行く。だらだらした生活をしていると普通の生活に耐えられるのだろうか。特に学校が休みの人たちは厳しい生活になりそうだ。とはいっても子供たちは成長盛りで元気いっぱい!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

縮景園の竹林

縮景園の竹林


園内いたるところにアヤメが咲いていた

鯉も気持ちよさそうに泳ぐ

2020年5月14日木曜日

巣ごもりオペラetc.

 関西のJ〇Bから旅のカタログが送付されてきた。ここ2,3か月、世の中コロナ騒動にもかかわらず平然とカタログが送付されていた。ところが5月号を見ると新型コロナ云々がある。4月号は送付しなかった旨の断りもある。が、送付案内の日付をみると4月になっている。送る側の送付への戸惑いがあるのかもしれない。長々と書かれた文の中ごろに「事態収束後のご検討材料としてご査収……」とある。さすがに海外旅行の案内はないだろうと思って見るとモンゴル、カナダ、リヨンの長期滞在の旅の掲載があった。

 次に国内を見ていく。今年も尾瀬や北海道の利尻・礼文に魅せられる。だが、どういっても緊急事態宣言発令中。それは今日にも解除されるようだが、それでも県をまたいでの旅はできそうにない。国内の旅はすぐに行けるかもしれないと思ったが、この様子だとまだまだ先になりそうだ。ましてや海外ともなると1年くらい先になるかもしれない。すぐには行けなくてもパスポートの更新は切れないうちに忘れないようにしよう。

 巣ごもりシアターのoperaを細切れでみている。新国立劇場のオペラ「魔笛」「トウ―ランドット」、藤原歌劇団の歌劇「紅天女」を見た。ところが「トウーランドット」は見たはずなのにあまり印象に残っていない。「紅天女」は日本の南北朝時代のお話。紅天女が最後に歌う歌詞が耳に残る。この歌劇は見栄えがする。見栄えで思い出した。トウーランドットは中国のお話。演じるどの人の顔も実物よりも薄汚れた感じだった。時代背景があるのかもしれない。

 まこと紅 千年の 
 命の花ぞ 今開かん
 咲くや此の花 世を照らす 
 天照らすなり 我が花は……

 新国立劇場は他にも明日からオペラの公開をするようだ。どのオペラも一気に見るほど大好きでもないので細切れにして見よう。

 昨日はICレコーダにドルドラの「思い出」を録音。自分で吹いた曲を後で聞くとなぜか切なくなる。もっと練習してもっとうまく吹けるようになったら録音をやり直そう。今は「チャールダーシュ」を録音できるように練習しよう。自分の曲を聴くとうまく吹けたかどうかがよくわかる。これはいい練習方法だ。それにしてもYOU TUBE先生が吹く曲はどれも本当に素晴らしい。

 また昨日は2階の押し入れを片付ける。処分したアルバムのそばに置いていた和服を着る際の草履や小物、そして狐の襟巻がある。この襟巻は若いころ大流行した本物で着物を着る際のショール代わりにしていた。もう何十年も着物を着ないのに草履などが5足あった。これは処分せず和装バッグや狐の襟巻などをゴミに出す。ほかにもまだ残っている布団類を処分しなくては……。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月13日水曜日

生協でマスクを売っていた!

 家の近くにある生協へ行くと大量のマスクを売っていた。50枚入りで2980円。ネッ上では連日、マスクを売っている話題でにぎわう。だが、我が家のあたりではマスクが販売されている様子は見られなかった。家の前のドラッグストアも売っているのだろうか。とは言いながら我が家には昨年かそれより前に買ったマスクがかなりある。

 不織布マスクは昨年までは1回使うごとに廃棄していた。ところがコロナ騒動で、それもマスクが手に入らないと知ると使用の都度、捨てるわけにはいかない。ネット上で不織布マスクも洗えると知って念のため試してみた。洗面器に少しのアクロンを入れてマスクをつけておき、水洗いする。その後タオルなどで水気をとって干す。洗ったマスクも乾けば何ら変化もなく大丈夫だった。

 国からのマスクはまだ届かない。広島県も数日感染者はゼロ。マスクがいらなくなって届くのだろう。文化的な暮らしになればなるほどコロナ、といった突然のアクシデントに見舞われるとヒトはパニックになってしまう。そんな時、子供だった頃のテレビもないエアコンも何もない自然の暮らしが一番人間らしい生活に思えてくる。手作りマスクをつくった人はミシンがなくても布地がなくてもいざとなれば手縫いや何かの布地を利用して作っている。昨日はワイシャツでマスクをつくるとのネット記事もあった。

 最後に生き残るのは知恵を絞ってサバイバルゲームに勝つ人かもしれない。
 
 県立美術館が昨日からやっと開館した。このHPを見ると特別展の開館期間が3週間延長して6月21日までとなっている。今朝の新聞記事を読むと絵を見るにもコロナでいろいろと対策が講じられて簡単には見られそうにない。もう少し様子をみて見に行こう。

 それよりも図書館を開館してほしい。県知事はいろいろと情報発信してくれるが市長はどうよ、というくらい反応が鈍い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月12日火曜日

『項羽と劉邦』(上)

 『項羽と劉邦』は上・中・下の3巻ある。今日中には3巻目を読み終えそうだ。天下をおさめるものは人民に「食」を与えねばならない。そのために版図を広げる略奪がおこる。これが天下人の地位の奪い合いになり、これにそむくものは死へと追いやられる。死に至らしめるやり方はこの3巻の本を読んでいるとあちこちで見られる。読んでいる途中、その方法を付箋紙に張るとその残酷さがわかる。

 コロナ禍で感染者を減らすために事業を自粛する要請が出される。それに伴い、コロナ禍でなくなる人よりも自粛要請で事業不振に陥り、それによる自殺者が多く出ることも考えられると大阪の府知事は話す。自殺者は生活苦が原因、もある。生活苦はこの本の時代からすると「食」がないのと同じかもしれない。人が生きていくうえで最も大切な食べるということ。いつの時代も人民は食べ物を与えてくれる政策者についていったに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『項羽と劉邦』(上)(司馬 遼太郎 新潮社、昭和63年19刷)から気になる箇所の抜粋。

★秦がもつ統制主義と生産力と兵器の優越が、この国をして六国(素、斉、燕、韓、魏、趙)を凌がせ、秦王政にいたり、やがて六国をほろぼして、奇跡としか言いようのない大陸の統一を遂げさせた。……元来、旧六国の遺民たちは秦を野蛮国と見、漢民族の血液が薄いと見て軽蔑していた。軽蔑されてきた国の王が皇帝になったところで、劉邦や項羽ならずとも神聖視しなかった。
 始皇帝にもそのことがわかっている。だからこそ人民どもの肝をとりひしぐような巨大な建造物を各地で造営し、また行列をつらねて、皇帝としての自分の顔を見せてまわる必要があった。しかし、顔をみせてまわることは、かえって効果が逆になった。劉邦や項羽のような手合いの野望を刺激し、挑発してまわるという奇妙なはめになった。13-14p

★趙高は、始皇帝とともに、宮廷の中を日夜転々とした。……
(この男のいのちは、自分だけが握っている)
……ちょうど掌の中に黄色くやわらかいひな鳥のいのちでも握っているような感覚で、そう思うようになった。……殺そうと思えばいつでも殺せる、というえたいの知れぬたかぶりが張高の身のうちで成長しはじめた。18p

★法に明るい趙高は、ひとりひとりについて罪状をつくりあげ、法に照らして処断した。36p

★秦帝国が事実上自壊するのは、咸陽の市場の乾いた土の上に李斯の首がころがったときであったといっていい。38p

★三戸といえども、秦を滅ぼすものは必ず楚ならん。項羽はその楚人である。45p

★この叔父(高梁)とおい(項羽)が最後に腰を落ちつけたのは、呉中(いまの蘇州)の町である。呉中は春秋の呉国の旧都で、呉国がほろんでからも、単に「呉」といえばこの都市のことを指した。はるかな後世、この呉の発音が漢籍や経典とともに東方の朝鮮南部や日本に伝わって呉音となり、また絹織物をつくるこの土地の方式も伝わって呉服と呼ばれたりした。52p

★中国にあっては、王朝やその出先の地方長官が人民に利益をもたらすという例は秦以後もほtんどなく。人民としては、匪賊同様、これも虎狼のたぐいと見、できるだけその害をすくなく逃れることのみを考えてきたし、でなければ暮らしも命も、保(も)ってゆかない。
 「高梁様」というのは、この虎狼の害をふせぐ守護神のようになってきた。守護神はいるも項羽という馬鹿力の大男を護衛につれている。56p

★この大陸の社会では、徳が重視される。徳ある者が人を魅(ひ)きつけ、ひとびとに推しあげられ、ときに神の代用物のように信仰されて、結局は勢力をなす。……徳者といえば簫何自身のほうがそうであろう。が、劉邦にあって簫何にないものは、可愛気だった。114-115p

★国号というのは、たとえば、夏、殷、周、あるいは趙、魏、楚、さらには秦といったように、一字であるのが普通である。二字というのは、漢民族の正統の国ではなく、周辺の蛮国が、中国に遠慮して――あるいは中国側が勝手に文字を選んで――つける場合が多かった。後代の朝鮮、吐蕃、南詔、あるいは月氏、烏桓、大食などというのもそうであろう。184p

★流民のめざすところは、理想でも思想でもなく、食であった。……親分――英雄――は流民に食を保証することによって成立し、食を保証できないものは流民に殺されるか、身一つで逃亡せざるをえない。食は略奪によって得る。197p

★阬(あなうめ)がいつごろがはじまりであるのか、よくわからない。上代は殉死者を生きながらに阬にしたということはあったが、刑罰としてこれをやったのは、すくなくとも記録の上では始皇帝が最初であった。儒教の学者四百六十余人を咸陽の郊外につれて行って、阬にした。……項羽がやった理由は、始皇帝のように刑罰ではなかった。生かしておけばせっかく襄城において獲(え)た穀物をかれらも食う、というだけが、かれにとっての理由であった。259p

★劉邦が理解した問題の本質とは、要するに何でもない。秦が強いということである。……次いでいえることは、秦の一大野戦軍を指揮している章邯(しょうかん)という男が途方もない名将だということである。292p

★項羽は、つねにありきたりの騎士のような軍装で馬上にゆられていた。それだけで十分だったのは、ひとつにかれ自身の肉体の雄偉さが、いかなる車駕や美服を用いるよりも、士卒の心を打ったからである。354p

★胡亥をたれよりも容易に殺せる位置に趙高はいる。……楚軍がなだれを打って函谷関の内側に入る日、趙高はただちにクーデタをおこして二世皇帝を殺し、その首を楚の将軍に捧げることによって新帝国の地位を得たい。この関中をめざしつつある楚の別働軍の総帥が劉邦という男であることを趙高は知っていた。383p

★殷の時代、権力者の大墓は、必要があれば入り口を開く仕掛になっていたらしい。既有の墓においても、御供物をそなえるようにつぎつぎに殉葬者を阬しては、地下をにぎやかにしていくかたちがとられた。いずれにしても、殷の墓のように人間が大量に阬されているというのは、地球上の他の古代世界には例を見ない。399p

★大虐殺(ジェノサイド)は、世界史にいくつか例がある。
一つの人種が、他の人種もしくは民族に対して抹殺的な計画的集団虐殺をやることだが、同人種内部で、それも二十余万人という規模でおこなわれたのは、世界史的にも類がなさそうである。さらには、項羽がやったような右の技術も例がない。ふつう大虐殺は兵器を用いるが、殺戮側にとってはとほうもない労働になってしまう。項羽がやったように、被殺者側に恐慌(パニック)をおこさせ、かれら自身の意志と足で走らせて死者を製造するという狡猾な方法は、世界史上、この事件以外に例がない。406-407p

★秦が亡んでのちも、関中は通称、地域呼称として秦とよばれた。関中には秦兵二十余万人の父兄が充満していた。彼らは項羽と章邯それに欣と翳(えい)を憎むこと甚だしく、そのぶんだけ項羽の対抗者である劉邦の人気を大きくしている、と韓心は説くのである。
「沛公(劉邦)は、なんとご運のよいことか」と、韓心はいった。408p

2020年5月11日月曜日

歯科へ

 前から気になっていた歯の治療。今朝、朝食を済ませると思いきって出かける。長い間、ご無沙汰気味の歯科医院は開業しているかが気になる。電話予約もせずに出かけた。医院や病院はなるべくならば縁がないほうがいい。そうはいってもよくないところがあればそうも言っていられない。住んでいる町の界隈には5月になって眼科が1件できた。昔は1件だった眼科が今は5件もある。それよりも多くあるのが歯科医院だ。緊急を要する治療ではない。だが、気になることがあると体に良くない。思い切って歯の治療に行って良かった。しばらくは歯科通いとなりそうだ。

 コロナの影響で歯科医院の窓は全開してある。患者が入れ替わる度に、椅子など拭いている。久しぶりに買い物以外の場所に出かけた。朝から気合が入る。長い間、コロナ、コロナと気持がコロナになりそうだった。それも外に出かけると少しは本来の気持ちを取り戻す。

 雨も上がってさわやかな初夏になった!歯科に出かけて気持ちも爽快だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月10日日曜日

ひそやかな楽しみ!

 

 スウェーデンンのダグニーさんのブログを見ると一昨日は108歳の「誕生祝い」をされ、昨日は「翌日」、と題して誕生祝いの余韻をつづっている。108歳でほぼ毎日ブログをアップされる。その年齢まで生きているだけでも素晴らしいのに、ブログアップはさらにすごい。

 108歳ではないが、昨日、お昼前に突然我が家を訪ねてきたともだちは103歳で母親を亡くしたそうだ。昨日は亡くなって丸3年の祥月命日のお参りで実家に来たという。買いものに出かけようとすると水路と庭のコンクリの間に生える根性ドクダミが気になる。ドクダミを抜いていると、ともだちに声を掛けられる。いつも会う人でないため声をかけられても誰だかわからない。車を道の真ん中に止めている。校門の前に車を移動してしばし話をする。親が亡くなった後の話だが、その後のことで弟ともめているという。これは世間でよくあるお話。なぜ親が亡くなるともめるのだろう。自分自身、そういうことが分からない。残り少ない人生、みんな仲良く元気で楽しく過ごす、これに勝るものはない。

 ダグニーさんのブログを見ると健康はお金で買えない、というような今朝のブログだった。もめてばかりいると健康どころではなくなる。ストレスが一番体に良くない。昨日のともだちも元気でないと話していた。もう嫌な話を聞かせないでほしい!

 気を取り直して「アダージョ」を練習する。昨日、ふとひらめいたことがある。これまで練習した曲をICレコーダに録音すること。録音となると途中で間違って吹けないので1曲の録音に時間を要する。間違えたり、変な音が出たりするとすぐに録音を取り消す、これが何度も何十回にもなる。こうして吹いていると時間はあっという間に過ぎる。これは嫌な話を聞いてストレスになるよりよっぽど体にもいい。

 前回、「アンダルース」を録音した。練習済みの曲を再度吹いて納得したならばICに録音する。これも自分だけのひそやかな楽しみとなった。さてさてこれから何曲、いや何十曲、いやいや何百曲の録音となるやら、楽しみだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月9日土曜日

巣ごもり生活

 YOU TUBE先生のツイッターを見ると前回の巣ごもりシアターとは違う藤原歌劇団のオペラ「紅天女」出演の知らせがある。地方に住んでいると新国立劇場や藤原歌劇団等のオペラを見る機会はなかなかない。特別にオペラ好きではないが日本で一番ともいえるほどのオペラをネットを通して見るのも悪くはないだろう。

 この人のツイッターには自ら吹いたフルート演奏の動画や1人でアンサンブル等演奏した動画のアップがある。知らないフルート曲も次々と動画にアップされていく。コロナの影響でままならない日常の中、こうした動画アップはとても新鮮味がある。ありきたりのフルートの曲でなく知らない曲が連日アップされている。

 コロナ禍でもいい面がある。知らなかった人のブログやツイッター、特にYOU TUBE先生やお笑い芸人の動画はちょっとした巣ごもり生活でのオアシスになる。ネット時代でなければコロナ禍をどうやって過ごすだろうか。本の整理ではないが生活上、本当に必要なモノ・コト・ヒトとは何だろう、と考えてしまう。

 巣ごもり生活が終わったらどうする!?昨日の姪との電話ではないが、プール再開となって泳いでも後で筋肉痛になりそうだ。とは言いながらプール再開の目途は立っていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月8日金曜日

本の整理

 今朝の新聞を見ると久々に多くのチラシが入り、記事には大型電気店などの宣伝がある。コロナもいよいよ収束、となればいいけど……。来週あたりから県立美術館が開館するようだ。特別展は今月末くらいまで開催なので見に行かれるかもしれない。

 コロナの影響で5月末までが有効期限のJR株主優待券が利用できそうにない。姉夫婦から毎年貰う優待券。5月に行く予定にしていた海外旅行の国内移動に使おうとした。今回はそれどころか家にいるだけで利用せずに終わりそうだ。

 昨日は重い腰を上げて本の整理をする。本と言ってもいろいろある。気になっていたのはA3くらいの大きさの兵馬俑の写真集。箱入りの豪華な写真集だが、家にあっても見ることがない。兵馬俑は2度現地で見ている。ほかにも龍門石窟の写真集。これも豪華版だ。両方を同時に購入したとは思えないのでそれぞれ時期を変えて買ったのだろう。本の整理は本を処分することになる。今朝は資源ゴミの日。これに間に合わせようとした。ところがせっかくの本をゴミとして出すのが忍びない。

 ふと8,9年前に古本屋に引き取ってもらったことを思い出す。その時は3000円もらった。古本屋さんに渡すのはお金がどうこうではない。ゴミとして処分するよりも古本屋さんに引き取ってもらおうと電話する。OKだった。これ以外にも100冊以上の本を出す。最後に西安の碑林の写真集も添える。これは書道をする人にとっては価値がありそうだ。30年以上前に中国で買ったときは書道を、と思って買ったのかもしれない。古本屋さんにはわざわざ遠くから取りに来てもらう。それだけでもありがたい、と思ってこれも渡す。

 本を整理していると「西域」に関する本が大半だ。30代半ばで中国語を習い始めて如何に「中国」に引きつけられていったかが本を見てよくわかる。西域を辞書で引くと「……一般に、中央アジア・西アジア全域、時にはインドを含めていう。……」とある。そのあたりの国へよく出かけた。海外で買った本のなかには現地の国の本もある。英語や中国語はまだいいが、アラビア文字は全くダメ。アラビア語をなっらている友だちがいる。今度会うとき、もって行こう。いらない、といわれるかもしれないが……。

 今読んでいる本は『項羽と劉邦』。辞書によると「西域」はほかにも「狭義では、漢代に西域三十六国と総称されるオアシス都市国家が分立したタリム盆地をさす」とある。この本は劉邦が項羽と争って漢をつくる話。この本も西域と関係がなくはないようだ。

 先ほど古本屋さんに渡す前にと再度本を確認する。渡そうとした『中国の赤い星』と貝塚茂樹の本は手元に留めた。コロナで県立美術館は開館となっても市の図書館は開館が先になりそうだ。図書館で本が借りられないので家にある読んでいない本を読もう。手元に残したこの2冊を読む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に古本屋さんが本を取りに来てくれた。古本屋さんと言ってもそれほどの年齢ではなくはつらつと見える。本をゴミに出すよりも引き取ってもらえば御の字だ。それなのにざっと本を見て500円くれた。1年くらい前にも本を処分している。その時は資源ゴミに出した。今回は古本屋さんを思い出してよかった。1つの書棚だけに本を置くのが理想だが、思うように本の処分ができない。愛着ある本は手元に置きたい。まだまだ余計な本がある。そういえば古本屋さんのデータによると11年前に本を引き取りに来たという。社会人で大学を修了した年だ。

2020年5月7日木曜日

ささやかな楽しみ!

 GW中の燃えるゴミを朝早めに外に出す。空を見上げればこれこそが爽やかな5月、と思わせるほど澄み切っている。これにコロナがなければ気持ちも晴れ晴れする。だが今年の初夏は何もかもすっきりしない。

 そんな矢先に見るテレビ。一昨日、お笑い芸人たちが出ていた。番組自体はコロナの影響で以前の番組を編集して放送している。昨年のM-1グランプリの際、テレビのチャンネルを変えると準決勝が終わる寸前だった。その時、目にしたのがミルクボーイ。その時まで今の漫才をあまり見ることがなかった。偶然目にしたミルクボーイの漫才を見て思わず声を出して笑ってしまった。それからというもの漫才に目が行く。

 一昨日はM-1 決勝でミルクボーイに敗れて2位になったかまいたちのコントを見る。見ていて思わず声を出して笑ってしまった。かまいたちもM-1決勝進出で知った芸人で本当に面白い。昨日ネットでこの人たちのコントを探すと同じ動画のアップがあった。何度見ても面白すぎる。

 最近のお笑い芸人はコロナ禍で仕事も減少気味。そんな中、自分たちのチャンネルを作って動画を流している。これも見ていて面白い。しかし、テレビの画面と違ってパソコン画面で見るのは今一歩という感じになる。

 テレビやネット、そして本を読んだりと目を使いすぎている。1日に1度は外に出るようにしているが、そんな時、誰かに出会う。先日はプールで知りあった人に声を掛けられる。プールで泳げないので遠くの川の土手を歩くという。出会った日も1万歩ほど歩いて帰るとこだったようだ。

 コロナで不自由な生活の中、皆さんそれぞれ工夫して楽しんでいる。広島は来週から一部、制限が解除されるようだ。個人的には昨日、思いついたICレコーダにお気に入り曲を練習する。そしてある程度納得して吹けたならばその曲をICに録音する。こうしてノートにメモするような感覚でフルートをICに録音する。そう思ったらフルートの練習にも身が入る。とりあえず昨日は「アンダルーサ」を録音。前より少しは良く吹けたと自画自賛。これも自分だけのささやかな楽しみ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月6日水曜日

イヌガラシ

黄色の草花はイヌガラシ

 今年の春はコロナに季節を奪われて一気に夏になった。鉢植えの草花はコロナがなんじゃ、といった感じで花をつける。暇つぶしに鉢植えを眺めていると大きく開花したゼラニウムやベゴニアのそばでひっそりと咲く小さい草花を見つける。抜かずにそのままにして電子辞書の図鑑で調べるとイヌガラシだった。道端などに咲く草花であり、我が家の狭い庭にも咲いている。

 ネットで調べると「イヌガラシ(犬芥子、Rorippa indica)は、アブラナ科イヌガラシ属多年草水田などのやや湿った場所に生える雑草である」、と載っている。名もなき草花もよく見るとかわいい花をつけている。植物や動物などの名前に疎い。有名無名の動植物であっても生きているものすべてに名前があると思うとちょっとずつでも覚えていく、これも楽しいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月5日火曜日

♪チャールダーシュ♪




上の方が倍音の楽譜
倍音は下の音符の指にして上にある音符の音を出す
 


 先日テレビを見ていると「チャールダーシュ」をヴァイオリンで弾いていた。この曲は練習済みと某曲集を探す。なじみある曲で、すぐに吹けると思い吹いてみた。ところが70小節目から85小節目にかけて、あれ?と思う箇所がある。さて、これは?としばし考える。だが、だいぶ前に練習した曲でこの記号が何を意味するのか分からない。ここでパソコン登場となる。いろいろと検索画面にキーワードを入力するが納得する説明がない。

 YOU TUBE先生が吹くこの個所のフルートの音は普通に吹くのとかなり違う。いろいろ検索してやっと納得する。それは以下のようだ。https://musicsounds.art/instrumentation_flute/ (参照)

★フルートのハーモニクス(上部吹奏)について

 ハーモニクスは倍音のことです。管楽器の高音部、高い音はすべてハーモニクスといいます。フルートやリコーダーはそれとは別にハーモニクスが存在します。フルートのハーモニクス奏法について知っていきましょう。

・フルートのハーモニクス奏法と音の特徴
フルートのハーモニクス・倍音の出し方は強く吹くことだけです。強く吹くことで高い音が出ます。そのままの指使いで強く吹くだけでOKです。

 これを見て「倍音」=ハーモニクスであり、フルートの練習でよくやる方法、と改めて思う。そのままの指使いでフルートを強く吹いて倍音の音を出す。しかし、倍音で曲を演奏するにはかなり練習しないときれいな音が出ない。

 「倍音」を改めて電子辞書で調べると「音楽用語。基音の振動数に対して整数倍の振動数をもつ上音をいう」とある。音楽ノートに早速これを記す。司馬作品を読んでわからない漢字を別のノートに記している。わからないことを記すことが多くなった。その集大成はやっぱりブログ!?

 ちなみにチャールダーシュとは曲集によると「ハンガリーの民族舞踊の音楽で4分の2拍子という単純な拍子ながら、緩やかなテンポから速いテンポになることや、強いシンコペーションがあることを特色としている」とある。

 チャールダーシュ、再度、練習しよう。それにしてもこの曲は吹きがいがあるいい曲だ。ダブルタンギングはあるは、指使いは速いは、でボケっとして吹いていては吹けそうにない。自分のお気に入りの1曲になるよう練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月4日月曜日

「ほとぼり」

 コロナの影響で有名無名を問わずどの人も皆、それぞれのやり方で巣ごもり生活を強いられている。そんなとき同じことを一日中やるほど熱中するものがない。一日のリズムはコロナ発生前とそれほど変わりはない。ただ、散歩や買い物をのぞいて外に出かける機会が大幅に減った。それと合わせてささやかな楽しみだった水泳、旅行、演奏会、展覧会、図書館などや人と会う機会がなくなった。

 今日発表される政府の緊急事態宣言延長で特定地域に入らない広島県はもしかして図書館や美術館などが開放されるかも、と期待する。プール、美術館、広響定期演奏会等、年間パスポートを持っている。だが、今の状況では全く利用不可能だ。コロナ発生前の状態に本当に戻るのだろうか、と不安は隠せない。

 家での楽しみと言えば同じことをずっとやるのは苦手で小刻みに分けて毎日、同じことを続けている。それはパソコンを使った毎日のブログアップ、司馬作品を読む、フルートを吹くetc.などだ。ブログは1日に1度しかアップしない。だが、パソコン、司馬作品、フルートの3つは気が向けばいずれかをやっている。これは今朝見た人のブログによると、ほとぼりが冷めたらやっていることをやめて、次のことをほとぼりが冷めるまでやると表現する。そして仕事とは関係ないスタインウェイ製のピアノを弾く画像をアップしている。

 「ほとぼり」は電子辞書によると「熱り」や「余熱」とある。気持ちが熱しきったあとの余熱のようだが、それもいつの間にか冷めると次はほかのことをしたくなる。演奏家や画家などのプロは一日中、何時間でも同じことをやるような、熱りが冷めない人たちかもしれない。これがもしかしてプロとアマの違い!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月3日日曜日

『ナナメの夕暮れ』

 お笑いのオードリー若林の『ナナメの夕暮れ』(若林正恭 文藝春秋、2019年)を読んだ。図書館で借りた本だが、予約本を確保するまで1年以上かかる。若林は一昨日と昨日、続けてテレビに出ていた。その話の中で父親と最後にかわす場面がある。本のタイトルにもなっている「ナナメ」についてその時、語っていた。父親が死の病で最後に食べたいものはアイスクリームだったそうだ。体が不自由になっていたころ、見舞った病室で一緒にテレビを見ていると偶然にもオードリーの相方が出ていたと話す。

 若林は今の時代、アイスクリームはコンビニですぐに手に入る。また日本も発達して病に伏していてもテレビを見ることができる。そう思ったとき、モノ・コト・ヒトなど「ナナメ」に見る癖をやめてもっと人生を楽しもう、と思えるようになったという。今の著者はこの本を書いたころとは違って斜に構えず、まっすぐに前を見ているに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は本の抜粋。

★”好きなことがある”ということは、それだけで朝起きる理由になる。
”好き”という感情は”肯定”だ。
つまり、好きなことがあるということは”世界を肯定している”ことになる。
そして、それは”世界が好き”ということになるという三段論法が成立する。153p

★近頃、ぼくは家でゲームをやらなくなった。
昨日より今日の方が感覚的に若くなるということが、実際にあるんだなと驚いた。
それは、何歳になっても”昨日より伸びしろが広がることがある”という新発見だった。
これが掴めたなら、過剰な自意識を連れ去ってくれる体力の減退も悪くない。
自意識過剰な人間は、歳を重ねると楽になって若返る。202-203p

2020年5月2日土曜日

情報etc.

 いつも見ている人のブログによるとマスクの自販機があるという。5枚組と50枚組があるようだが、5枚組を買ったそうだ。というのもTシャツの袖を切って手作りマスクをつくり、多くを必要としないらしい。マスク不足と言われながらマスク自販機があるとはどういうこと?有名人による公共機関へのマスク寄贈も報道される。不足気味のマスクも入手ルートを知らないのは庶民だけかもしらない。マスクはあるところにはある!?といっているうちにマスク供給過多になるかもしれない。

 次に見るのはツイッター。いつも見ているYOU TUBE先生のツイッターにフルート某曲集全曲の動画アップがある。以前にアップされた曲集以外からの動画だ。新たにアップされた動画は個人的には練習済みの曲集だが、難しい数曲はさらっていない。これも徐々に練習しよう!

 今年のGWはコロナの影響でままならない生活を強いられている。本来ならばにぎわうGW 。皮肉にもお天気は例年にもまして良さそうだ。外に出るのはもっぱら近場を歩くか買い物くらい。それも昨日から気温が上がり、一気に夏になった。マスクをして帽子をかぶって歩くと暑さに耐えられなくなる。日傘を用意し、夏服に着替えていざ出陣!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年5月1日金曜日

「厥」の厂がない漢字

 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』(中)(新潮社、昭和63年19刷)を読むと「『殺されたくなければ〇(そむく)な』(注:厥の厂がない文字をここでは〇と表記する)というのが、項羽の政治学に書かれているたった一行の鉄則だった。……このため、項羽の戦いは戦闘より虐殺のほうで多忙だった(185-186p)」の件がある。この〇をパソコンで入力しようとするが手持ちのどの辞書にも掲載がない。かなり調べるうち、やっと〇を見つける。だが、パソコン上では表記できない。
 
 辞書は大修館書店の「中日大辞典」、電子辞書に収められてある「デジタル大辞泉」、「明解国語辞典」、「新漢語林」、そして学研の「漢和大辞典」 と手元にある辞書を探す。司馬遼太郎はこの〇に「そむく」とルビをつけている。ほかにも我が家に辞書があると思って探すと父が仕事で愛用していた昭和12年発行の分厚い「新選漢和大辭典」がある。さらには新華書店発行の「新華字典」も探す。いずれも〇の掲載がない。最後に探したのは中国で購入した中華書局発行の分厚い「中華大字典」上下2冊を調べると〇が載っていた。もう、半端でなく嬉しかった!久々にわからないことがわかる喜びを味わう。
                                    
                   〇に当たる文字があった ↓
中華大字典
 

 〇に当てはまる文字は部首の「欠」、「屮」、「艸」 、「」で各辞書それぞれ調べる。「欠」の部首に〇の掲載があった。〇が掲載された「中華大字典」は中国に出かけて購入したもので1985年発刊となっている。が、紙質が悪いためかボロく思える。この辞書、〇の掲載がなければ資源ごみ行きとなるところだった。しかし、〇が見つかったので大事に保管しよう、と気も変わる。

 ちなみに電子辞書の「新漢語林」で〇を探すと「解字」としての説明箇所に「形成。厂+〇音符。音符の〇(けつ)は人が大きな口をあけてせきこむの意味」として〇の記載がある。音符は音楽用語だけでなく、「音符とは漢字や仮名の文字につけて発音を示すための補助符号」として「々」などがあり、さらに「漢字の構成で、音を表わす部分」として銅の「同」などがあるようだ。厥の〇は音符の意味がやっと理解できた。

 司馬遼太郎が作品を書いていたころはパソコンもなく、手書きだったに違いない。それもむつかしい漢字を大量に書いて本にしている。文字を書くだけでも大変な作業だったと思われる。本を読むと知らない漢字が頻繁に出てくる。去年の10月くらいから読めない漢字を拾い出してノートに書き留め、その文字を辞書で確認する。今回、わかった〇は忘れられない一文字となりそうだ。なお、今回知った〇は「けつ」と読み、司馬作品には「そむく」とルビがある。コロナの影響で家にいる時間が長くなり、暇つぶしに調べる癖がつきそうだ!それにしても、『項羽と劉邦』に〇の字が印刷されている。どうやって印刷したのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!