暇になると相変わらずアルバムを整理する。分厚いアルバムはほぼ処分した。しかし、カメラ屋がくれた小さなアルバムの写真がまだある。その中に21年前に出かけたポルトガルの旅がある。これを見ていると1枚のコピーをはせていた。読むうちにANAの機内誌に応募した記事、と思い出す。当時の気持ちがこれを読むとよくわかる。ここに記そう。
8月ポルトガルへ行った。関空からNH921便に乗り、ロンドン乗り継ぎでポルトガルのリスボンに着く。2日目のポルトの町で日本のポートワインはポルトワインからきていると知った。
ポルトガルの人々はその国の独特の感情を「サワダーディ」という。日本語では「哀愁」とはじめに誰かが訳したのか「哀愁のポルトガル」といわれる。その言葉に引かれてポルトガルに行った。
3日目、プサコという町の宮殿ホテルに泊まった。町からずんずん奥まった山の中にあり、まわりは広い樹海である。ツアーの人たちとディナーまでの数時間、どんどん奥深くの樹海に入って行った。ふと気がつくとあたりはシーンとして鳥の鳴き声もしない。翌朝も朝早く起きて1時間くらい違う方向の樹海を散策した。朝の太陽は清々しい光を私たちに照らし始める。
4日目、今世紀最後の皆既日食をコインブラ大学で見ることができた。
ポルトガルの旅の終わりは首都リスボンの観光である。ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬に立つ。ああ、これがあの有名な「ここに地尽き海始まる」が書かれてある岬なのか、と思った。強い風に吹き飛ばされそうになった一人身の私は余計この言葉に哀愁を感じた。
その夜、私たちは哀愁あふれるファドの音楽を聴く予定になっていた。ディナーも終わり5台のタクシーに分乗してファドを聴きに行った。1台目のタクシーに添乗員は乗った。私も乗ったとき添乗員は運転手を見て「ジョージ!」と悲鳴とも思われる声をあげた。お昼にリスボンで観光のアシスタントガイドのジョージ・ぺドロだったのだ。
この偶然に私たちはびっくりした。その夜のファドは楽しくて哀愁はあまり感じられなかった。深夜まで続いたファドの歌手は決してお客に目を合わせて歌わない。これも哀愁あふれる歌い方なのだろうか。
お土産に買ったポルトのワイン。これを口にするとき私もまたポルトガルに哀愁を感じるのだろうか。そう思いながらポルトガル航空でロンドン乗り継ぎ後、NH922便でポルトガルを後にした。
(1999年9月6日全日空機内誌投稿より)
記事は機内誌に掲載され、お礼に腕時計をもらった。ポルトガルは「哀愁のポルトガル8日間」の旅で1999年8月8日から15日までの旅だった。ポルトガルから帰るとファドにのぼせた。ファドといえば月田秀子が有名だ。当時、広島の街中でなく奥まった可部の町のライブハウスで月田秀子のライブがあった。遠くにも関わらず2度ほど聴きに行った。ネットで検索するとこの人はもうこの世にいない。
ポルトガルといって思い出すのはまだある。名古屋からポルトガルまで1人旅をしている人と出会った。1人でリュックを背負って世界を歩く、それも若い女性だ。話を聞いて自分はまだまだと思った。帰国後、連絡を取り合うとフラワーデザイナーだった。旅先でいろんな人と出会う。その都度刺激を受けて帰国する。そして新たな気持ちになり元気が湧いてくる。これも旅の良さかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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