2014年9月18日木曜日

『百歳の力』

篠田桃紅『百歳の力』(集英社、2014年)を読んだ。百歳といえば一昨日、フルートのレッスン前にデパートで開催された笹本恒子の100歳展を見に出かけた。この人は日本初の女性報道写真家。

以前、テレビでこの人を見て、すごい百歳がいるんだと初めて知る。

何がすごいといって年齢もさることながら、パンフの顔にもあどけなさが残っている。かわいい人だ。

写真展を見た後は、会場横でビデオを見る。話していることはこれまた百歳とは思えない。主食はワインだと言い切る。

人より秀でている人はすべてに於いて秀でている。

笹本は1914年生まれ。ということは生きていれば母よりも年齢が多いことになる。今日は母の月命日。これからお墓に参り、午後からは泳ぎ行く予定。

ちょっと忘れている。昨日のこと。絵手紙を勝手にブログにアップした。これを寄こしてくれた友人から昨朝、コメント代わりの電話を受ける。アップは喜んでもらったようでこちらまで嬉しくなる。

ブログを見てもらってありがとう!また電話も楽しかった!描いた本人曰く「以前はもっとうまく描けた!」。いずれにせよ、上手い!

今日も元気を出して行動開始!

以下はいつものごとく気になる個所をメモしたもの。

裏表紙「百歳を過ぎた今も現役で活動を続ける美術家・篠田桃紅。墨や金箔などで構成する大胆な抽象画は、海外からも高い評価を受ける。女学校を卒業したら、その多くがお見合い結婚する時代に、『くじびきみたいな結婚なんて、とんでもない』と独身を貫き、戦後、まだ海外へ行く人がほとんどいない時期に、単身ニューヨークへ渡って個展を開くなど、その行動は前例のないことばかり。『常識の世界に生きなかったから長生きできた』、『人生というものをトシで決めたことはない』と断言する著者が、年齢に関係なく、いつまでも第一線で活躍するための秘訣を語る。」とある。

この結婚しなかったこと、トシ、自由のキーワードは本文にしばしば出てくる。

※(作品を)つくるということは、続けるということです。道と同じ、ここで終わるということがない。道を歩いていると向うのほうが見える。その向うへ行くと、また向うのほうが見える。山は登って頂上へたどり着いたらあとは下りますけど、道は折り返し地点がなく延々と続いている。人生と同じです。16p

※ほんんとうの自由っていうのはどういうものかっていうと、私なのかもしれないと思いますね。「自」というじ字に「由る」が自由です。私は自由です。自らに由っていきていますから。…自由になるというのは、超越するというのとは違います。客観視するることができる、ということです。…客観視は、すべてのことを一歩離れて、すこし高いところから見ること。…私はなにものからも自由でいたい。すべてからの自由、というものを得たい。25-26p

※性格が運命を拓き、もって生まれた性格というものが、いい作用をするときにいい運命になって、悪いほうに働いてしまうと悪い結果をもたらす。50p

※特に一人で生きていこうとか、こんなふうな人と結婚したいとか、そういう希望とかプランとか立てたことはない。みんななりゆき。51p

※百歳になったとき、長生きの秘訣は、と聞かれて、「トシのことを考えないこと」、そう言いました。忘れているんですよ。気にしないようにしているんではなくて、ほんとうに気にしていない。112p

※独創性を得るためには、考え方や生き方を自由にして、なにかの枠の中に収めないことが大事です。138p

※いまの私は、肉体的に、物理的に、自由になることは無理です。行ってみたいところへすぐに行くというわけにはいかない。桜を見たいと思っても、酒宴なんてことはできない。でも、自由な気持ちを持つことは、とてもいいと思いますし、年齢に関係なく続けられることだと思っています。139p

※人間性の奥底が求めているもの、それがほんとうの“美”でしょう。学問のある人もない人も、なにかの経験のある人もない人も、富める者も、貧しい者も、あらゆる人に「ああ美しいなあ」と感動を呼ぶもの。そういうものがあれば、それは人類の宝ともいえるでしょう。…そういう望みは、私だけはでなく、それぞれの人が抱いていて、生きる源になっている。ですから、叶えられなくても人は望み続けている。164p

※大人になっても、モーツアルトの「レクイエム」を聴いてなみだを流すなんていうのは、いつまでたても少年少女みたいなもんでね、って笑う人がいるでしょう。大人になってもモーツアルトの「レクイエム」を聴いて涙ぐむのは、そういう感性を持っているということです。私は、そういう人こそ「ひと」だと思う。165-166p

※自分の感覚、自分の世界を広げないのは、人としてもったいないし、惜しいことです。両方は、無限の想像力を誘い出す一つの道筋であると、私は思っています。何かを引き出す糸口になりうる。171-172p

※人の生き方は、何においても、どんなときでも、自由です。しかし、不幸や悲劇を周りにもたらすようなことは、許されない。そんなことをする権利はないと思います。いつだって、人は、昨日の私と今日の私はちがう。それは人は自然の生き物だからです。181p

※私は三月生まれなので、父は中国の古い書物『詩格』のなかの春の情景を歌った「桃紅白薔薇紫 問起春風総布置」から「桃紅」としました。桃は紅、李は白、薔薇は紫、これを春風に問えども総てに知らず。182p

※(葛飾北斎の言葉のあと)私も生きているうちにやりたいことはどんどんやろうと思っています。

まだ、ふと心にかつて見ない、
美しい線が走り抜けるように感じるときがあり、
それを可視のかたちにしたいと思い、
それは一種、熱望というような希いでもあり、
この老い、老いさらばえた私の心を駆り立てます。                                                                                                                                         篠田桃紅
             184-185p 

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