2022年10月31日月曜日
「口角泡を飛ばす」
2022年10月30日日曜日
ゴールドカード
パソコンを起動するとラヴィ―・ウイズの更新プログラムが出る。しばらく放っておいた。が、徐々に更新しなければならない気持になる。先日、悪戦苦闘して更新を試みる。何度試みてもダウンロードがうまくできない。何度かするうちダウンロードはできた。だが、操作方法通りの画面にならない。それもなんとかなると次はそのインストールである。別画面にその手順方法を出す。かなり試みた後で手順通りの画面になった。パソコン上にはそのアイコンも現れた。ところが、誤ってアイコンを消してしまった。ああ、なんということか。そう思って数日が過ぎた。
画面上のアイコンを消すとインストールはできなかったことになるのだろうか。それが気になる。いまのところ更新するようにとの画面も出ず、パソコンも今までどおりスムーズに運んでいる。これでいいのかもしれない。
パソコン、スマホと毎日電子機器に振り回されている。携帯を機種変更して1か月が過ぎた。機種変更の使い始めと違って今は何とか使いこなしている。機種変更時、ドコモの係はスマホはパソコンよりも簡単、と話したけど今となれば確かにパソコンの方が簡単ではない。常にダウンロードやインストールが待っている。
この2件の支払いをドコモに言われて専用のクレジットカードをつくった。先日、そのカードが届く。このカード、以前、NTTに勤める人から頼まれて作ったことがある。しかし、カードを増やしたくなくて1年余りで解約した。その経緯があるのでドコモがいくら言っても無駄では、と思った。ところがクレジットはつくれるという。それもゴールドで。ゴールのクレジットカードは勤めていた時、銀行系のカードを持っていた。が、勤めを辞めてそれを解約。それなのに、このたび、ドコモの言われるままにクレジットのゴールドをつくった。
ナニゴトも面倒なヒト、モノ、コトを増やしたくない気持ちが強い。それなのにクレジットカードを作ってしまった。人生の先が長くない気持ちがあるためか、身の回りをスリムにしておきたい。その反面、(元気であればいやいやまだまだ先はあるよ)、と自分に言い聞かせたりして気持ちが揺らぐ。
会社をやめて20年。ということはゴールドのクレジットを20年ぶりに使うことになる。これを使っての決済であれば旅行の傷害保険などが付帯する。今は海外旅行は無理だが、それでも先日三滝でオーストラリア人などに会ったように、近いうち海外も自由にいけるようになるだろう。そうなれば使える!?秋晴れの日は続く。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2022年10月29日土曜日
「道連れは好奇心」
三滝寺の紅葉はまだのようだ |
三滝寺の参道 |
つわぶきが咲いていた |
静かな境内に滝の音が響く |
境内を流れる水は澄んでいる |
紅葉の時季には早かった |
本堂を見上げる |
個々にも滝が…… |
三滝というだけあって滝があちこちに流れる |
2022年10月28日金曜日
『街道をゆく』(三十四)「大徳寺散歩」
家にいるのがもったいないようないいお天気だ。スケジュール表に予定をいれたり消したりした日だが、どこかへ出かけたくなる。そんな日は近場をうろつく!?
『街道をゆく』(三十四)「大徳寺散歩」 (司馬遼太郎 文藝春秋、一九九七年第三刷)を読んだ。気になる箇所をいくつかここにあげたが、大仙院と高桐院は又の機会に行きたいと思っている。せっかく三門である金毛閣を見たのに、それに気づいたときはその裏側だった。来た道を引き返して前方から見直せばいいものを横着して見なかった。そのため扁額も見ていない。大徳寺は広い境内に多くの塔頭が林立している。一度出かけたくらいではその大半を見ることは不可能だ。いつかまた是非とも大徳寺に出かけよう。
それにしてもお賽銭箱もなく、観光寺院でない大徳寺がどうやって広大な寺院を維持できるのだろうか、と変な考えをもった。先ほどそれを調べると全国の同じ宗派の系列からのおあがりがあるとか。観光寺でないため、観光地に見られるような観光客でにぎわうことがなく、落ち着いた雰囲気がある。これは自分の性格に合っているかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★大徳寺の特徴は、大燈国師(一二八二~一三三七)以来のきびしい禅風をまもるべく、できるだけ世塵から超越しているところにある。ただ、東山・桃山時代以来、俗権とのかかわりをもったのは、茶を通じてだった。村田珠光(一四二三~一五〇二)・千利休(一五二二~九一)以来、茶道の本山として知られてきたために、「大徳寺の茶づら」とよばれた。禅僧でありながらしきりに茶の話をする、というところからついたあだなだろうが、このことが大徳寺のえがたい個性をつくったようである。(19p)
★人間は、煩悩といういやらしいものをもっている。煩悩の種類は、百八もしくは八万四千もあるという。それが人間の心身をまどわせるのだが、さきにふれた解脱とは、自力でいっさいの煩悩を断ち切ることなのである。断ち切れば、貪らず、嗔(いか)らず、痴(こころくら)からず、という春のような佳境に入る。このことを自力の禅はめざしている。ところが、親鸞は、自力を用いずに、阿弥陀如来という他力が、人間を煩悩具足のまま(悪人の、まま)救ってくださる、それに委ねて、感謝しよう、というのである。(42p)
★大徳寺山内の二十余の塔頭は、ことごとく第一級の美術館といっていい。(46p)
★禅において”玄”ということが、重要とされる。……玄は、中国で加味された。中国に古くから存在した老荘思想が、仏教とくに禅に似ているところがあったから、中国僧たちは、老荘というシソ(紫蘇)の葉の上にダルマ禅を盛ったともいえる。シソの移り香が、玄である。(95p)
★大徳寺の三門(山門)はまことに雄大である。しかも、あかあかと丹塗りなのである。このこは、宗風の枯淡とはひどく印象がちがうために、ひとびとをとまどわせる。私などは、昭和二十年代にこの山内に入ったとき、戸惑い以上に、不透明な感慨をもった。さらには、その名も「金毛閣」なのである。黒地に白く”金毛閣”と大書された扁額がたかだかとかかげられている。金毛とは、金毛の獅子のことで、すぐれた禅僧のことをいう(『雲門録』上)。精神の王者と解してもいい。楼門の雄大さ、その色の華やかさ、さらにはその名前が大仰であるあたりは、およそ塔頭群にみられる瀟洒なわびの感じとは、美学的に不調和なおもいがする。ともかくも、中国の宮殿の正門のようなものを、豊臣時代に建ててしまったのである。(107-108p)
★大徳寺における大型建築は四つしかなく、三門である「金毛閣」と、その背後の仏殿、さらにその背後の法堂、もう一つ背後の本坊(方丈と庫裡)である。それらがみな南面し、南北一線にならんでいる。(117p)
★大徳寺のすがすがしさは、大寺によくある賽銭あつめの廟祠がないことである。……収入の面では清貧にも耐えている。さらにいえば、建物、庭園から右の松柏にいたるまで、省庁制に徹していることでもある。現世利益では象徴にならないのである。(121p)
★私どもは本坊を出て、石畳の上の自分の跫音(あしおと)を楽しみながら、散策した。仏殿と道をはさんで、西側に三玄院がある。沢庵が住したあの塔頭である。(122p)
★大仙院は、料金をとって、観光させる塔頭である。観光はともかく、私はこの塔頭がすきで、しばしばここにきた。枯山水の庭は部類なもので、せまい空間に大景観をとじこめて、しかも煩雑さを感じさせず、悠々とひろがっている。この塔頭は、室町末期の古岳宗亘(そうこう)(一四六五~一五四八)によってつくられた。庭に古岳の禅風をみることができる。また、潔癖の化身のようだった沢庵も、四十代の初期に、ここに住したこともある。(132p)
★(大仙院の)式台をあがると、何人かの俗人がいて、「三福茶はいかがですか」とすすめてくれる。壁に「覚悟」と書かれている。
今飲んで頂いた大仙院のお茶は三福茶といい太閤秀吉もこの茶を飲んでから良いことが三 回続いたと言います。覚悟してください
とあり、一服二百円という。売店には住持の似顔絵の首が、鉢巻きを締めている。ハチマキには「奮発心」と墨書されていた。この一角に衝立があり「喝」という一字が大書されていた。室町から江戸期までの臨済禅は、おどろくほどのなまの中国語(浙江方言が多かった)を問答につかった。(141p)
★大燈以後、大徳寺での僧は、ほとんど名に”宗”がつく。室町時代の一休は宗純(そうじゅん)であり、江戸初期の沢庵は宗彭(そうほう)である。居士ながら、大徳寺に三十年参禅したした茶の利休は宗易(そうえき)であり、千家はいまも宗がつく。宗という字の音は、正しくは「ソウ」で、「シュウ」というのはいつのほどかまちがってしまった慣用音なのである。シュウは、宗門(しゅうもん)、宗派(しゅうは)、宗教、みな慣用音である。大徳寺歴世はみな正音のソウだが、大燈だけが慣用音で宗峰(しゅうほう)とよむ。師の高峰がよんだとおりに大燈が慣用音に従ったかと思えるが、大燈のゆかしさが感じられる。(149p)
★塔頭の高桐院にいる。織豊期を代表する趣味人で、かつ武将としても余人に劣らなかった細川幽斎(藤孝)とその子三斎(忠興)の世界が感じられるといっていい。(157p)
★禅のむずかしさは、悟ろうが悟るまいが、人間はすべて死ぬことに決まっていることにある。人生は行雲流水である。とわざわざいわなくても、王侯の生涯も行骨の生涯も、雲のようにさだめがたい。であるのにわざわざ、「雲水」という姿に身をやつして漂泊を演ずる必要もないのだが、山頭火はことさらそれを演じたのである。(174p)
2022年10月27日木曜日
日本画展と水彩画展を見る
久しぶりに街中へ出た。向かう先は県民文化センタ―ギャラリーで開催中の日本画展と水彩画展である。日本画の大半は先生たちの小品展であり、水彩画はいつも案内を知らせてくれる人たちの作品展だ。案内を知らせてくれるのはいいのだが今回、あて先が一文字違っている。これを知らせるべきかどうか考えたけど結果、葉書を持参して訂正をお願いした。ところが、絵を見ていると案内状の係の人なのか謝りに来られる。その前にいつも送付してもらうチケットのお礼を先に言わないといけない。が、お礼は絵を見た後になってしまった。
水彩画を見た後、隣室の日本画展を見る。水彩画の方は大作だったので、その点で日本画の小品は見劣りがする。とはいえ、自分自身は日本画を習っている。ましてや知り合いも多い。ここはひいき目に日本画に見入る。
絵を見た後は隣接する大型電気店に立ち寄る。ここで加湿器を購入。以前に使っていた加湿器と違って形も色もカラフルだ。さて何を、と係に相談するもはっきりしない。日本製を、と思って聞くと大半は外国製のようだ。こうなったら気に入ったデザインで、となった。品物を決めると何とか持ち帰りできそうだ。高価ではないがポイントがたまっている。大半をポイントで購入した。残りをクレジット決済すると安くても5年の保証がついている。これには驚く。
次にバスセンターの案内所によって県内の高速バスの割引チケットの話を聞く。ネットで調べると行先によっては完売の場所もある。ところが自分が行きたいと思っている竹原と三次は大丈夫のようだ。竹原行のチケットの購入日を聞くとネットで調べた通り、利用日の当日か前日の購入だった。竹原はあきらめて三次行を聞くと広島駅の案内所で乗る前に購入できるとのこと。まだ紅葉は早いのでしばらく様子を見て出かけよう。その前に、久々に三滝へも行きたくなる。好天に恵まれると外へ外へと目が行く。遊ぶ計画を立てて出かけよう。
そごうでお昼を食べてバスに乗り、広島駅の福屋に向かう。お菓子処高木でお礼に渡す品物を購入。加湿器を手にしているので店内をキョロキョロせず、お菓子を買っただけでJRに乗って家路へ。
ともあれ今日も元気で楽しk過ごしましょう!
2022年10月26日水曜日
「他人のために生きるほど惨めな人生はない」
2022年10月25日火曜日
PCR検査
先日、京都の旅に出かける前、宿から全国旅行支援が適用されるとの電話があった。その詳細についてはその時はよく知らずにいた。宿の予約もその制度の前であり、安く泊まれるとは思いもしなかった。ところが親切に電話でその旨知らされて急遽PCR検査を受けた。まずはネットで検査場所を探して予約を入れる。旅の3日前の検査が必要らしい。検査当日、会場に出かけるとテントの中での検査だ。今は気候もいいが、雨や雪などの季節は大変かもしれない。11時の予約のところ、遅いよりは早めがいいか、と思って早く行くと係に時間通りに来るようにと注意される。ただ、その日はその時間、誰もいなかったのですぐに検査となった。が、その前にいろいろと注意を聴く。
予約時、検査結果を知らせてくれる携帯番号を入力ミスで同じ番号を2度も入れた。これが気になり、携帯番号を紙に書いて係に確認してもらうため渡そうとした。ところが、会場で質問票にそれらを記入する項目がある。メモは必要なかった。さて検査である。椅子に座って渡されたキットに唾液を入れる。キットにはストローと入れる容器がある。ストローを容器に入れようとするとそのまま入ってしまった。必要な唾液が入らずストローが入るとは……。係に再度ストローを貰って唾液を入れるが全く入らない。そのうち検査する人が現れだした。私を入れて計5人である。
受付の人との話を聞いているとどの人も旅行のための検査のようだ。ある人は旅行の2日前の検査である。旅行当日、検査結果が間に合うのだろうかと危ぶんだが、翌日にはSMSが届いたのでその人も間に合うだろう。唾液は相変わらずでない。係にこれくらいでどう?と何度も呼び出して確認を請うが中にストローが入っているのでその分、多く入れるようにと促される。30分かかってやっと容器に唾液が溜まった。係に確認するとOKだ。やれやれ、やっと終わった、と席を立つとほかの人はすぐに終わったようで誰もいない。
もしもまた検査をするとなると大変だ。が、人に聞くと2回目からは1回目ほど大変ではないらしい。慣れがあるのかもしれない。
それにしても何をやらせても人よりも鈍い。とはいいながらも1度検査を試みたと気を良くする。全国旅行支援は12月20日までのようだ。が、この制度に関わらず、行きたいときに行きたいところへ行くつもりでいる。
10月に出かけた下関と京都の一人旅でかなり一人旅に気を良くした。鶴瓶の家族に乾杯やBSなどで放送のバス旅などを見ると、皆さん、現地の人に声をかけて聞いている。司馬遼太郎の「街道をゆく」にも現地で知り合った人との話題が頻繁に出てくる。それをまねしたわけではないが人に声をかけると皆さん、決して嫌な顔をされずどの人も親切に教えてくれた。それは若い人も同じだ。
コミュニケーションが薄れゆく時代、まだまだそれも廃れたものではない。ましてや2か所の旅では尋ねた人が一緒に行くといって道ずれになったほどである。今日もいいお天気だ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2022年10月24日月曜日
お墓参り
あいにく大悲閣は見学していないが、司馬によるとここにはまた角倉了以の像が建っているそうだ。またいつか訪れたい。
一昨日、月命日に数日遅れてお墓参りをした。この2,3か月、頭を悩ませていたことがある。それを心配しながらお墓に参る。悩みは無用だった。それは何か。梅雨の時季、お墓に参ると墓石の前の草を抜いた。抜いたのはいいのだがその後に穴ができた。草を抜いただけなのに……、と思ったが応急処置をして墓地を去る。それから1か月後、お墓に行くと穴が開いている。隣の墓地を見ると我が家よりもさらに大きな20㎝四方の穴だ。墓地の主をよく知っているので教えてあげようか迷っていた。が、そのままにした。
先月のお墓参りには小さいスコップを持参して墓地の穴に石や土を入れて穴をふさいだ。隣の墓地はやはり穴が開いたままだ。家に帰っても寝ても覚めても穴が気になる。誰に相談すればいいのだろう、と思い悩んでいた。そして一昨日のお墓参りである。穴を気にしながら恐る恐る墓地に近づくと穴はなく、隣の墓地も秋のお彼岸に参られたのか穴をふさがれていた。これを見てホッとする。なお、この穴の正体はイノシシだとか。
2022年10月23日日曜日
京都一人旅その3(嵯峨野)
宿は元、角倉了以の別邸 お庭がすごかった! |
朝は渡る人も少ない |
宿を出ると目の前に渡月橋が見える |
川を見下ろすと白い大きな鳥がいた |
道を尋ねたホテルの生け垣の桔梗 |
この「周恩来……」の標識板を見て是非とも探そうとなった |
階段を上ると展望台になっている |
角倉了以像 |
周恩来総理詩碑 |
周恩来総理の詩碑 |
周恩来総理の詩碑を見てもはっきりと文字が読めない。ネットで検索すると次のように書いてあった。引用させていただこう。
雨中嵐山――日本京都
一九一九年四月五日雨の中を二度嵐山に遊ぶ
両岸の青き松に いく株かの桜まじる
道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
雨濛々として霧深く
陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
真(まこと)にいよいよなまめかし
訳 蔡子民先生
この詩碑建立についての説明はネットに詳しく載っている。後でゆっくり見ることにしよう。それにしてもまさかこの場において「周恩来……」の名を目にするとは驚き。天龍寺行きの予定が大幅に遅れたけど、そのお陰で地元の人に観光案内を乞うことができた。世の中、何が幸いするかわからない。
竹林への道を抜けて天龍寺へ |
清凉寺は外から眺める |
トロッコ電車が通り過ぎた |
境内に咲く酔芙蓉 |
境内に入るとススキが…… |
曹源池 |
天龍寺の庭園の上から見下ろす |
天龍寺境内 |
2022年10月22日土曜日
京都一人旅その2(大徳寺)
大徳寺総門 |
大徳寺のイブキ |
三玄院 |
金毛閣(三門、山門ともいう) |
大徳寺総務本所 |
聚光院 |
左は閉鎖中の高桐院、右へ行くと今宮神社へ |
侘助椿 |
このなかは信長公墓地 |
総見院 |
総見院茶室 |
総見院茶室 |
総見院茶室 |
掘り抜き井戸 |
信長公一族の墓 |
真珠庵 |
大徳寺納豆を購入したお店 |