2022年6月4日土曜日

『街道をゆく』(三)「肥薩のみち」

 一週間ぶりに図書館へ行く。向かう場所は司馬遼太郎の紀行の書架だ。先日、発行年を書き忘れていた「南蛮の道」(一)を見る。次に一昨日放送の「街道をゆく」選から「白河・会津のみち」を借りる。ふと『街道をゆく』シリーズの横に目をやると『司馬遼太郎の風景』のタイトルで、これまたシリーズがある。これらの本はテレビで再放送されている「街道をゆく」取材班の書いた本のようだ。これも番組にあわせて読みたい。と、思うが、まずは司馬の『街道をゆく』シリーズを読むことにした。

 このシリーズを読んでもそうだが、司馬作品には引用や参考文献がいたるところで見られる。この中から時に読みたくなる本も出てくる。限りある人生の時間、読みたい本が次々とあってはボケる暇がない!?そうなれば本のお陰で元気といえるのかもしれない。司馬作品をせっせと読もう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『街道をゆく』(三)「肥薩のみち」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1997年第20刷)から気になる箇所をメモしたもの。

★要するに熊襲(くまそ)の国から隼人の国へゆくのである。(139p)

★「肥後モッコス」と、よくいわれる。……肥後人のモッコスには、中世の肥後の地侍たちが中央の掣肘をうけたがらない気分が濃厚であったように、自前の美田をかかえこんで誰に頭をさげる必要もないという自信が裏付けになっているようにおもえる。美田が江戸期以降は教養になった。自説をあくまでも曲げないというのが細川侍・肥後武士の一徹さで、明治初年の神風連の乱から自由民権運動の最盛期にかけての一時期に、「肥後はなにぶん一人一党だから」などといわれたりした。モッコスは要するに空っつね(注:肉月偏に当。漢字入力できない)でなく、蜂の巣の城主のように田畑山林があるか、それとも明治期に大量に排出したジャーナリストたちのように教養があるか、いずれにしてもそういう肉の厚さが重要な組織要素になっているらしい。一徹型で有名な土佐のイゴッソウともニュアンスがちがうのである。(140-141p)
                                                                                                                                                 ★西郷とその麾下の意外な敗北によって一挙に拠りどころをうしない、その敗北は日本国に史上類がないほどに強力な官権政府を成立させるもとになった。あるいは西郷の敗北は田原坂にとどまらず、こんにちにいたるまで日本の政治に健康で強力な批判勢力を成立せしめない原因をなしているのではないかとさえおもえるのだが、あるいはそうではなく、律令時代もさらには徳川体制下においてさえ無言の批判勢力でありつづけた薩摩という独立圏が、明治政府という中央集権権力の出現によってついに消滅せざるをえなくなった、ただそれだけのことであるともおもえるのである(158p)

★日本歴史というものは国内統一する場合に英雄が出る。源頼朝、織田信長、前期の豊臣秀吉、そして徳川家康、あるいは倒幕革命政略における西郷隆盛といったような、他の国の歴史の類型のすくない人物が出るが、この民族の歴史にまれにあらわれる海外への膨張気運のおこる時期には、その時期の好戦的指導者はかならず凡庸なお調子者にすぎなかったという実にふしぎな法則をもっている。戦後の日本の社会科教科書はヒトラーやムッソリーニを呪い嘲るが、しかし、ヒトラーやムッソリーニにすら持たずにそれとそっくりの似たまねをした昭和前期の日本というもののふしぎさを解明した教科書があるだろうか。(194p)

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