2022年6月29日水曜日

『街道をゆく』(六)「沖縄・先島への道」

  今日のテレビ欄を見ると「街道をゆく」はなく「世界遺産・時を刻む」選がある。世界遺産も興味があるのでこの番組を見よう。

 短い梅雨が明けた。と言っても雨が降らないだけで蒸し暑さは半端ない。昨日は思い切ってプールへ、と一瞬思った。持っていく水着などを確認したが、暑さに負けて行かずじまい。以前はいくら暑くても自転車に乗って出かけていた。今ではこの暑さで自転車に乗る勇気さえない。では隣町の町内循環バスで……、と思って時刻表を調べると便数が少ない。たとえバスで行っても帰りのバスの時刻まで1時間余りと短い。これでは安心して泳げない。と何やかや言っているけど結局は暑くて泳ぎに行くどころではない、となった。

 以下は『街道をゆく』(六)「沖縄・先島への道」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1998年第13刷)から気になる箇所をメモ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★古代の漢民族は、自分たちと他者を区別するのに敏感だった。かれらは、ある種の風体と、肉体的特徴(背丈が小さいというふうな)と、そして非漢民族的な生産文化(漁労をするというふうな)を持った連中を指して、倭とか倭人とかと称した。この呼称のほうがずっと気楽で、これを称するだけで、精神の駆動範囲がひろがってゆくような感じがする。(26p)

★軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど稀有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるようである。(49-50p)

★この島は、人類の他の歴史の進展をよそにながながと石器をつかい、それによる小規模な生産で自給自足していたころこそ極楽島であったかもしれない。鉄器時代に入り、鉄の鍬で土を深く耕すようになってから別な苦しみが始まったといえる。……竹富島では、古くからこの鍛冶場を神聖地域にし、御嶽(うたき)にしてあがめてきたのである。この島の先祖たちが鉄をよろこんだらしいことは、鍛冶を神としてまつったことでもわかる。(157-158p)

★一六〇九年、薩摩の島津氏が琉球に入り、王府を支配下に置き、王府ぐるみの規模で、搾取をはじめた。王府はそれまで八重山諸島に対しいわゆる人頭税を課していたが、薩摩へ貢物をおさめるために、この重荷を八重山諸島にかぶせた。八重山を搾れるだけ搾って、薩摩へ納めた。八重山ぜんたいの住民が、奴隷以下の状態におとされた。この苛烈な歴史が、明治の規制改革までつづくのである。……最後にやってきた明治国家は、島津のようなやらずぶったくりではなく、多少の施設はつくった。……しかしながら明治国家が、あの世界税制史上もっとも非人間的なものとされる人頭税(にんとうぜい)を廃止するのは、明治三十六年になってからである。昭和前期国家はさらにそれ以前の国家よりも重く、ついに沖縄本島を戦場にしてしまうのだが、幸い与那国島は遠く離れているために、そのことからはまぬがれた。……「トウング田です」、と、かれはいった。トウングは、度量衡のマスのことである。人頭税の時代、役人が島の男どもをこの田に追いこんで、耕作能力のない身体障碍者を取り除いたという伝説のある田だが、見るのは少し憂鬱だった。(267-268p)

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