一行は常呂(ところ)町へ向かう。オホーツク海はオホーツク人の海と言われる。海のそばには雑木林がありオホーツク海沿岸に住む熊像とアイヌによるイヨマンテの関係がわかるとか。樺太アイヌは北海道常呂町に移住。ここには藤山ハルというアイヌ語を話す人がいた。ハルさん亡き後、アイヌ語は廃れた。が、ハルさんの話すアイヌ語のテープが残っている。
次に一行は冬のオホーツクである枝幸(えさし)を目指す。枝幸の雪の下にある雪原にはオホーツク人の遺跡がある。この遺跡からは蕨手刀や帯金具などが見つかった。これらはオホーツク人がアザラシと引き換えに手に入れていたものだった。
一行はクッチャロ湖へ。ここは白鳥の日本での最初の中継地である。山内昇氏は営林署勤務の傍ら水鳥に餌をやる。餌を与えすぎると水鳥は長くここにとどまるという。一行は宗谷岬へも行く。間宮林蔵がたどった道を訪ねる。間宮林蔵のたどった道は司馬に言わせると「韃靼人街道」とか。宗谷岬からは少数民族が暮らすサハリンが見える。オホーツク人はこのサハリンからやってきた。
そして知床半島へ。日本は縄文文化の国。だが、北海道は縄文文化とともにオホーツク文化も入っていた。
番組HPによると「原作・司馬遼太郎。壮大な紀行文学を映像化! 5世紀から数百年間、北海道の沿岸に暮らしていたオホーツク人とは?謎の海洋民族の痕跡を訪ねて網走から稚内、サハリンへ」とあり、さらに昭和から平成へ。亡くなるまで25年にわたって司馬遼太郎が書き続けた「街道をゆく」▽サンゴ草で赤く染まる湿原!実りの秋▽重要な遺跡『モヨロ』を発見した理髪店主▽牙偶『オホーツクのヴィーナス』▽アイヌ文化への影響は?手がかりを求めて▽残された樺太アイヌ語の音声テープ▽本州や大陸との交流を示す出土品の数々▽サハリンで暮らす北方少数民族▽消えたオホーツク人の正体は?▽1999年放送の番組がよみがえる」ともある。
図書館で早速『街道をゆく』(三十八)「オホーツク街道」を借りる。この本もせっせと読まねば……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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