2022年6月25日土曜日

『街道をゆく』(三十七)「本郷界隈」

 1か月くらい前に百円ショップでコスモスとヒマワリの種を買って鉢と地に撒いた。ヒマワリは3本だけ芽を出し、うち1本を鉢から地に植え替えた。先日まで土に戻した1本は鉢植えよりも小さかった。ところがこの頃は鉢が小さいのか土に植え替えた方に勢いがある。雨が止んだ後の今朝、鉢植えの2本のヒマワリも地に植え替えた。ヒマワリが花をつけるかどうかは怪しい。が、以前に地に戻した1本は勢いがあるので花を咲かせそうだ。コスモスは20本ほど芽を出して勢いよく育っている。これも花を咲かせそうだ。

 一昨日から暑さも半端でなく蒸し暑い日が続いている。梅雨とはいえ、例年ほどの雨量ではないのかもしれない。今日も晴れて暑くなりそうだ。

 以下は以前に読んだ『街道をゆく』(三十七)「本郷界隈」(司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九七年第七刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この屋敷は、明暦三年(一六五七)一月の振袖火事(明暦の大火)という江戸時代最大の火事で焼けた。……このため、加賀前田家は。移転せざるを得なくなり、代替え地として、本郷に大きな地所をもらった。のちの東大構内の主要部で、本郷から不忍池にいたる十万三千坪という広大なものであった。(41p)

★甲斐庄喜右衛門の屋敷跡に、いまも一樹で森を思わせるほどのクスノキがそびえている。……江戸時代、”本郷のクスノキ”とよばれて有名だったという。……いまの当主の中山弘二氏は昭和初年うまれで、……この家に育った人である。……「楠亭」というフランス料理をはじめられた。……私は、本郷を歩きはじめた最初の日に、門前の大樟の下をくぐって、道路から奥まっている楠亭で食事をとった。本郷歩きの最後の日、クスノキがわすれがたくて、もう一度その下をくぐり、楠亭に入った。(66-71p)

★からたちの葉のにおいは、みかんに似ている。木は、低い。ながく鋭いとげがあって、それが用心になったのか、寺や大屋敷の生垣につかわれてきた。からたちは、漢語で枳殻(きこく)という。垣のことを、「枳殻垣」といった。芭蕉の句に「うき人を枳殻垣よりくぐらせん」というのがある。芭蕉の人柄がわかる。(159p)

★漱石は、平凡に枳殻と表記しているのである。この柑橘の一種は中国の原産だそうで、日本にきて、「唐たちばな」といわれ、略してからたちというようになったらしい。(161p)

★「神田界隈」のくだりでふれたように、明治後、東京そのものが、欧米の文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、”文明”の一大機関だった。大学にかぎっていえば、「大学令」による大学は、明治末年に京都大学の各学部が逐次開設されてゆくまで、三十余年間、東京にただ一つ存在しただけで、そういうことでいえば、配電装置をさらに限っていえば、本郷がそうだった。(339p)

★池田菊苗は薩摩藩士の子で。大学は漱石よりすこし先輩である。ドイツ留学をし、やがて食べ物の味には五味のほか、”うまみ”というのがあるはずだと着想し、コンブのうまみ成分からグルタミン酸ナトリウムを発見した。商品名の”味の素”がそれである。(370p)

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