2022年6月30日木曜日

「なんとかなるさ。世の中、オーライだぜ」

 図書館から『背進の思想』(五木寛之 新潮社、2022年)が予約確保されたとのメールが入る。毎日、飽きもせず司馬遼太郎の本を読んでいる。その合間に予約した本を一気に読む。エッセイは司馬作品などの時代小説とは違ってすぐに読める。というか、ジャンルが異なる本は束の間の気分転換になる。

 この本は新潮新書なので今の時期に相応しい話題だ。世の中、「断捨離」や「終活」など聞くだけで嫌な言葉が幅を利かせる。これに警鐘を鳴らすほどではないかもしれないが五木は反旗を翻す。自分自身、とくに「終活」は誰がつけたと思うほど嫌な言葉だ。この気分を吹き飛ばすような文をこの本から記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★捨てるべきものはモノではあるまい。さまざまな事に執着する自分の雑念である。しかし、そこをすっきりさせてしまえば、生きる意味も失われてしまうのではないか。いま自分を生かしているのは、雑念であり俗な欲望である。それを完全に捨て去ってしまえば、生きている必要も、意味もないような気がする。人生というものは、死してなおスッキリとは片付かないものなのだ。死後の事まで気にするのが人間だと諦めるしかない。……〈家貧しうして孝子いづ〉という言葉を、ふと思い出した。乱雑の日々は今日も続く。(68p)

★最近の新聞は広告が多い。……広告もまた貴重なニュースである。ことに、月刊誌、週刊誌の広告は、つい丹念に読んでしまう。ことに週刊誌の広告となるといやでも目に飛び込んでくる感じで、一読、最近の世相が体感されるような気がするのだ。(111p)

★捨てない生活。それが私の理想であるが、現実にはなかなかそうもいかない。若い頃、外国の街角で発作的にパスポートを道路に放り出したことがある。こんな手帖一冊にしばられている生き方はつまらない、と思ったのだ。しかし、パスポートが地上に落ちた瞬間、私はあわててそれを拾いに走ったのだった。バガボンドとして生きる覚悟も、能力もない自分に気づいていたからである。私たちはいろんなモノたちに囲まれて暮らしている。モノだけでなく人間関係や、仕事や、悩みなど、山のように背負って生きているのだ。自分にはとても「断捨離」は無理だと、今さらのように思う。(137p)

★〈オールライト〉という言葉が、行き詰ったときに、ふっとどこからか聞こえてくるのだ。……「世の中、オーライ、オーライだぜ」コロナにかぎらず、八方塞がりの現実はくり返しやってくる。そんなときに、ふと呟いてしまうのだ。「なんとかなるさ。世の中、オーライだぜ」と。(204p)

0 件のコメント:

コメントを投稿