2022年2月28日月曜日

また一難!?

 今朝は澄み切った青空。だが、明日の天気は下り坂となるようだ。一難去ってまた一難ではないがティファールの湯沸かし器が壊れた。何年か前にも急に壊れてエディオンへ急いだことがある。今回は新たに購入せず、ガスで湯を沸かそう。都市ガスの1か月の代金は1000円前後。使用料を見るとゼロ㎥か1㎥だ。ガスよりもほぼ電気の生活だが、もしものことを考えて都市ガスも使用している。

 ガスを何で沸かす?と思って見つけたのがミルクパン。小さいやかんがあれば、と近くのスーパーへ行くとフライパンや鍋があるくらいでデパートのような品ぞろえではない。生協にいくと台所用品はほぼ皆無だ。家の近くにスーパーが8件もあるのに全てともいえるほど食品スーパーでいざという時の日用品売り場がない。

 コロナ禍前までは働いてもいないのにJRの定期を購入してよく街中に出かけていた。ところが今は定期も買わなくなりJRに乗って街中へ出ることもなくなった。まん延防止措置が解除されれば習いものなので街中へ行く機会も増える。その時、デパートの台所用品売り場へ行こう。

 『十一番目の志士(下)」を読み終えて次に読む司馬作品は『夏草の賦(上)』。司馬作品以外も読もうと思ってネットで本の記事を見る。いい本があればすぐに図書館にその本の予約を入れる。今朝は帯津良一の記事を見て予約しようとしたがまだ図書館の蔵書になっていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月27日日曜日

一難去って……

 屋根の瓦が1枚外れたことから始まった屋根の修理は年末に屋根瓦の漆喰を塗り、瓦棒を新たにした。年初めにはベランダの屋根と鎖樋を付け替えた。だが、鎖樋は効果をなさず、依頼した業者に再度お願いをする。その日に職人さんが近くに来ていたらしくすぐに様子を見てくださった。その際、鎖樋から新たな樋に付け替える旨、話される。だが、その後はなしのつぶてでその間に1度だけ雨が降る。雨が降れば雨音が気になる。

 気にしていたら昨日、仲介の電気屋さんが見積書を持ってこられた。どうも職人と仲介する業者との連絡が取れていなかったようだ。近いうちベランダの樋も解決となりそうだ。それにしても、屋根の件で長い間悩まされた。夕方、偶然にも姉からベランダはどうなった?と電話がある。その時は見積もりも出ていたのでいい具合になりそうと話したけどいろいろと皆に心配を掛けた。

 食料や衣服、電気、ガス、水道といったような日常と関わることは誰に依頼すればいいかわかりやすい。が、今回の屋根などは日常、それほど気にせずに暮らしている。今回のことで仲介してもらった電気屋さんに感謝するものの時に、本当にやってもらえるのだろうかと疑問に思ったこともある。その時、姉から信頼するしかないと念を押された。確かに業者を信頼するしかなさそうだ。

 とはいっても昨日の報道で特殊詐欺で市内の80代の女性は1億4千万円という高額な詐欺被害にあっている。こうなると人を信頼するのも何か変!?県内の詐欺で一番高額な被害とか。この金額に見合うお金を持っている人はそれほど多くはないと思われるから誰もが高額な詐欺にあうとも思えない。が、それにしてもこういう報道を見るたびにお金があるところにはいくらでもあるんだ、と変なことを想ったりする。

 来週になれば樋の問題も解決しそうだ。が、一難去ってまた一難ではないが、生きている限り問題は付きまとう!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月26日土曜日

ツバキの名はヒットパレード

 地元JR最寄り駅に咲く寒桜を見た後、生協に立ち寄る。買い物を済ませて出ようとすると出入り口の片隅にツバキが置いてある。手に取ってみるとポットに植えられたツバキだ。この枝に名札がついている。外国、ツバキとあり、ヒットパレードという名だ。ポットに植えられたツバキは花が咲いたのと蕾のがあった。価格を見ると手ごろなので再度レジに行って蕾のツバキを購入。

 レジでは30㎝丈のポットに入ったツバキの鉢植えを小さいナイロン袋に入れてくれる。袋は鉢のところだけなのでツバキの蕾の首がぽろっと落ちそうだ。蕾が落ちては縁起が良くないと思って、さらにナイロン袋で補充して丁寧に持ち帰る。

 先日、家の前で近所の人と出会うと我が家の狭い庭を見て寂しすぎると言われた。庭を我が物顔で陣取っていたレモンの木を伐採したのでそういわれる。レモンの木を伐採せずに背を低くして残しておけばよかったのに、と何人かに言われた。が、どうやっても大きくなりすぎて自分の手には負えなくなった。
 
 レモンの後に何か植えたいと思っていたので早速、ツバキを植えた。無事、育つといいけど……。ツバキの周りにはラッパ水仙の芽が出始めている。10年くらい前に買って植えたチューリップの球根は今年一枚だけ葉っぱを出した。

 数日前には鉢植えのゼラニュームを購入。花を咲かせるには一番楽なゼラニュームなのに以前の鉢植えのゼラニュームは水のやりすぎで枯らしてしまった。ゼラニュームは挿して増やせる。レモンの木が小さい頃は庭の半分をゼラニュームが占めていた。芽を挿してゼラニュームを増やそう。 
外国産のツバキ(ヒットパレード) 丈は30㎝くらい
 購入したツバキのヒットパレードは紅色、八重、蓮華咲き、大輪と書いてある、蓮華咲きが判らずネットで調べると「花弁が樋状に中折れしてゆるく反り返るので、彫りの深い立体感のある美しい花です」とある。今は蕾だが無事育って花が咲くのを楽しみに待つ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月25日金曜日

『覇王の家(下)』

 今季の寒さは今朝までとなるのかこれから先は暖かい日が続くようだ。先日、自宅最寄り駅1番ホームに咲く寒桜を見に出かけた。昨日の地元テレビ局のニュースによるとこの寒桜は今が見ごろのようだ。スーパーに行く前に桜を見に行こう。

 ロシアのウクライナ侵攻と関係あるのか一昨日から低空飛行を繰り返す。アメリカ軍の岩国基地の飛行機が練習するのか、かなりの低空飛行だ。この音がうるさすぎて耳から離れない。

 以下は先日読み終えた『覇王の家(下)』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年二十四刷)から気になる箇所を抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ところがこの海道諸国で、「三河殿」とよばれている家康にかぎり、いまだ一度もその種の酷なことをしなかったという、ふしぎな経歴をもっている。だけでなく、彼は自分にそむいて反乱した家臣たちを大量にひきとってもとの知行のままにし、過去をいっさい問わなかったという。ほとんど信じがたいことを平然とやっている人物であり、そのことはすでに世間に知られていた。奇妙といえば奇妙な男だが、しかし家康はそれだけの男であった。かれは積極的な人心収攬術をつかったこともなく、さらにどうにもならぬほどに彼は生来の吝嗇家というべきところがあったため、有能の士を厚遇するということは一切しなかった。が、ひとびとにとって奥川の傘下に入ることは、他のどの大名に仕えるよりも安堵感ががあった。ただ、この安堵感こそ、士にとって最大の魅力であるであろう。(12-13p)

★秀吉は、家康に対して自分以上の位をあたえて、軟化させようとした。「これを古来、位打ちというのだ」と、家康は、その家来たちに語った。一人の人間を没落させようとすれば位打ちがいい、というやり方が、公家なかまにある。位をどんどん昇らせてゆけば人間がだめになってゆく、という方法で、むかし鎌倉で幕府をひらいた源頼朝は、京の公卿からこの位打ちの目に遭い、懸命にそれを回避し、ことわりつづけたという先例がある。……ただ秀吉は、家康に対し、他意のないことを示すために、こういう方法で自分の赤心を証しただけのことであった。(31-32p)

★現今(こんにち)、アメリカで、「キング・オレンジ」とよばれて栽培されている柑橘類がある。もとは日本でいう九年母(くねんぼ)を改良したもので、原産地は日本ではない。インドネシアであった。日本には、この時期に南蛮人によってもたらされ、九州の各地でこれを植えるのが流行した。それが、京へきた。……家康は早くから京の呉服商をつかって京都情報を送らせているのである。(45-46p)

★家康はそれを一点一画まで模倣した。「まあ、いけるだろう」と家康がみずからを安心させたのは、結局は模倣家というのは、才能の質よりも独創を激しくおそれるところがあった。独創的な案とは、多量の危険性をもち、それを実行することは骰子(さいころ)を投ずるようなもので、いわば賭博であった。模倣ならば、すでにテスト済みの案であり、安全性は高い。「家の制度はすべて三河のとおりにせよ」と、後年、家康は死ぬ直前、子の秀忠や幕府の要人たちに遺言としてのこしたのは、ひたすらに独創を恐れる言葉である。……徳川幕府は、進歩と独創を最大の罪悪として、三百年間、それを抑圧しつづけた。……異とは独創のことである。異を立てててはならないというのが徳川幕府史をつらぬくところの一大政治思想であり、そのもとはことごとく家康がつくった。(64-65p)

★秀吉は死後神になることをのぞみ、その旨朝廷に内奏して豊国大明神という神号を得たが、家康はそのことまでまねをし、東照大権現という神号を得た、大明神の創造性は大権現の模倣性によってひきつがれるのである。(66p)

★平八郎は、その足軽を馬にのせたのである。「馬足軽」とよばれているこの連中は、戦闘につかうよりも主として捜索に使われた。捜索騎兵隊であった。戦国時代に捜索騎兵隊を創設したのは、ひょっとすると本多平八郎だけだったかもしれない。(198-199p)

★ひどいときは「猿」とよんでいた。猿め死に場所を失うて狂うたか、という有名なことばは、氏郷がこの小牧の陣中で吐いたことばである。氏郷にはそういうところがあった。かといって秀吉を愚弄しているのではなく、おそらくはかれの志がすでに天下にあり、自分の志が秀吉に威圧されることによって委縮することをきらっていた。それが不用意に、「猿」ということばになって出た。(223-224p)

★貴人、情を知らずという。信雄は織田家の公達として育った。他人に対する情誼や他人からうける恩義といった観念は貴族育ちの者には欠落していることが多い。生い育つ環境のなかにそういう道徳的情感を感じる条件がないからだが、それにしての織田信雄の不覚人ぶ、一通りではない。(246p)

★家康のこの時期より一世紀前、碧海郡安祥城を松平氏が手に入れたときが、この家の飛躍の時期であったであろう。それまでの松平氏は、その家系をいかに潤色――たとえば源氏の流れといったふうに――しようとも、その実質は狩猟・林業民のお屋形であり、あるいは蛮族の酋長、もしくは剽盗団の首領であったといっていい。しかしながらそのことは松平・徳川氏の恥辱ではない。ジンギス汗とその徒党も本来そうであり、満州でおこって中国大陸の皇帝になった狩猟民の酋長である愛新覚羅氏も、本来、剽盗とかわらない。(257p)

★家康はこの病状悪化より前に、本多正純と僧天海、僧宗伝の三人に指示し、自分の遺体は駿河久能山に葬るべし、葬儀は江戸増上寺でおこなうべし、位牌は故郷の三河大樹寺に納むべし、さらに一周忌をすぎてから下野の日光山に小廟をたてよ、これをもって関八州の鎮守とせよ、といった。家康は元来、三河者の才覚を信じておらず、死後のことまで、父が子にさとすようにこまごまと指示したのである。この指示の内容は宗伝が板倉勝重へ出した手紙によってこんにちまで残っている。(362p)

★室町末期に日本を洗った大航海時代の潮流から日本をとざし、さらにキリスト教を禁圧するにいたる徳川期というのは、日本に特殊な文化を生ませる条件をつくったが、同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸をつくった。その功罪はすべて、徳川家という極端に自己保存の神経に過敏な性格から出ている。その権力の基本的性格は、かれ自身の個人的性格から出ているところが濃い。そういう意味で、この人物に興味をもっていたが、興味をもつ以上、この人物の死後、徳川家というものの権力的思考法をめぐる課題をも、できれば小説にしたかった。(あとがき 366-367p)

2022年2月24日木曜日

蒸し器

 先日、徹子の部屋に松島トモ子が出演していた。5年半、介護した100歳の母親を亡くしている。亡くなった後の葬儀や戒名の話など聞くと有名人だから?、と思えるほど金額的にびっくりしてしまった。祭壇は3000万円もするものがあるとか。戒名も金額に応じてつけられる。さらには灰になるだけの棺なのに最高金額は800万円のものがあると聞かされたそうだ。こう話す本人も目を白黒させて言っている。それをテレビで見ているモノはもっと驚く。また亡くなっても荼毘に付すのは10日後になるとか。話を聴いていて何もかも広島辺りの風習とは違うとびっくりする。これも大都会の人の多さにある!?

 テレビを見ていて妹の義父や義母の不幸の際を思い出す。当時、妹の子供2人はまだ高校生と中学生だった。ポケットを見ると膨らんでいる。なぜ?と聞いたら葬儀費用をそれぞれ入れているとのこと。それも札束である。あとで妹に聞くと大阪の豊中市は葬儀代が高いらしく現金での支払いという。そのため子供にももたせていた。こう高くて都会では死ねない!?

 また松島トモ子は5年半の介護で初めて料理をして親に食べさせた、とも話していた。これを聞いて同じく働いていた時は料理をしてこなかったので美味しいものを食べさせていたかどうか怪しい限りだ。魚の煮付けも親に聞きながらだった。料理といえば最近になって何を思ったか蒸し器を出してみる。ところが、それに合う鍋がない。昨日、100円ショップに行って蒸し器を探すとあった。野菜などを蒸さずにレンジで調理していた。それよりも蒸し器があれば、と急に思いつき利用するようになった。温野菜である。人参もブロッコリーも蒸し器で蒸すとそれだけでも美味。当分、これにハマりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月23日水曜日

「ローマでの”大患”」から

 図書館に予約した「文藝春秋」新年号を読んだ。文春100周年の新年特別号とあってずっしりと重い。この中で興味を持って読んだのは塩野七生の「ローマでの”大患”」である。塩野は昨年の夏、家の絨毯に靴のかかとをひっかけて転倒し大腿骨を折ったそうだ。その際、法王御用達の病院に入院し、その様子を書いている。大腿骨骨折は徹子の部屋に出てくるある年齢以上の女優さんたちにも多い。88歳まで元気だった母もある朝、トイレに行こうとして転倒し大腿骨を骨折した。年老いて骨折するとそれがもとで命取りになるケースもある。

 イタリアは日本と同じく国民皆保険制度の機能があるとか。だが、法王御用達の病院は保険は適用されず費用はすべて先払いらしい。塩野は息子が生まれるとき以来、入院経験がなく今回が2度目だそうだ。1回目は医師の旦那が担当医であったが塩野に言わせると子の誕生は病気ではないとのこと。

 面白いと思ったのは「確信犯的にアンチ一神教の私がなぜ『法王たちの病院』とも呼ばれているジェメリッを選んだかだが、それには宗教的な理由は全くない」のこの「確信犯的にアンチ一神教」のくだりである。言われてみれば自分もその通りの確信犯的アンチ一神教だ。それなのに評判通りの機能ぶりの病院であることから入院したという。

 記事の中で何度か出てくるキーワードは夏目漱石の「修善寺の大患」である。この本を読んでいないので何とも言えないが塩野に言わせれば病院での対応をめぐって漱石ほどに名を揚げていないので入院はショックだったという。塩野は入院から退院までの総額は400万円かかったとか。漱石の件を塩野は次のように記す。「持って来てもらった本の中に夏目漱石の『修善寺の大患』があって、そこに漱石は次の一句を書いている。東京の本社にもどる朝日新聞社の社員の一人が、こう言い残して修善寺から発って行ったというのだ。『もっと居たいが忙しいから失礼します。その代わり手当は充分にするつもりであります』と」。

 ところが文春と新潮に記事を書いている塩野に対して二社は「大変でしたね、がんばってください、退院したら甘いものでも送ります」だけであったという。塩野は漱石との重要度の違いを「この程度」と再認識するしかなかったそうだ。だが、比べるものが漱石とあっては再認識も笑いながらであったという。

 次に病院での喫煙の場面である。ロンコーニの「黙認」に喫煙を楽しむ場面があるとか。その例を踏襲するのは日本人の名誉にかかわる。だからと言ってあきらめるのは癪に障ると思って一日一本だけ、と塩野は息子を説得。その時間になると塩野は浴室に閉じこもって日本の煙草である「峰」を吸った。人が来ても入浴中、とごまかしたそうだ。 

 リハビリを経て松葉づえなしで歩けるようになった塩野は最後にこう書いている。「入院中の夢は自宅にもどることであり、退院後の夢は、日本に帰ることである。だがそれがいつ実現するかまではわからない。リハビリはいつかは終わるが、コロナ騒ぎがいつ落ち着くのか、またそれに対する日本政府の方針がどうなるのかは、私の努力には関係なく決まることなのだから」。

 大腿骨骨折のニュースや記事を見ると目が釘付けになる。骨折は家の中でのことが多い。そして骨折がもとで寝たきりになることもある。骨折しないように気をつけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月22日火曜日

春よ 来い!

 梅についての歌があると考えていたら「東風吹かば~」が口から出た。これは菅原道真の歌と思ってネットで確認する。さらに電子辞書で菅原道真を探すと天満宮とある。逆に天満宮を探すと菅原道真の霊である天満天神を祭った神社とある。その最後に天神ともある。さらに天神を探すと梅干し。または種の中にあるその実、とある。以上の事から菅原道真⇔天満宮⇔天神⇔梅、と関係してくる。

 道真の歌の「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」は、ネットによると「菅原道真が無実の罪を着せられて太宰府へ左遷される前に、大事にしていた梅の木を前にして語り掛けるように詠んだ作品」とある。有名な歌なのに下半分が怪しくなってネットで確認してしまった。

 旅行社から旅のカタログが届く。広島と福岡の事業所から撤退したJ〇Bの関西からである。国内の旅を広島からわざわざ関西出発を利用する人がいる?と訝りながらカタログを見る。どう考えても関西発は変、と見るのをあきらめる。というか、関西発がどうこうというよりも今の感染状況を見てどこへも行く気が起きない。しばらくは様子見となりそうだ。

 毎日吹いているリベルタンゴ。いくらいい曲でも少々マンネリ気味になる。春はもうすぐやってくる、と思ってユーミンが歌った「春よ 来い!」の楽譜を出してきて吹いてみる。さらった曲も久しぶりに吹くとうまく吹けない。しばらくはこの曲を練習、練習。フルートの第一人者の上野星矢の動画を見るとリズミカルで滑らかに吹いている。

 今日もいいお天気。だが、外は寒そう。昨日、お昼前にスーパーへ行く。が、帰りは粉雪が舞いだす。今日も粉雪が舞う!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月21日月曜日

天満宮と梅

 今季一番とも思えるほど冷たい朝である。雨や雪が降っているとか曇っているとかではなく太陽は燦燦と輝いている。今朝は燃えるゴミの日。前回、起床時間が遅すぎてゴミ出しに間に合わなかった。今日は何が何でも、と思ってアラームを設定して眠る。目覚まし時計に起こされて何とか今朝のゴミ出しは間に合った。ゴミは各戸家の前に出してもOK。だがカラスにつつかれるので燃えるゴミとプラスチック製品だけはゴミ置き場に出している。

 正式な名前を知らないがゴミ箱というかゴミを入れるケースの世話人から半年くらい前にこれを購入するために署名を求められた。市で購入の為らしい。ところが先日、道路の反対の地区からも購入する署名を求められる。先に署名した、と告げるとまたの署名もいいとか。ゴミ置き場の管轄の地区は違うが道を隔てて2か所ある。どちらも家のすぐ近くにある。このゴミ置き場を世話する人はゴミの日には年中出してはしまう作業をされている。もしも自分にそれをせよ、といわれれば到底できそうにない。どういっても朝起きるのが遅すぎる。

 今日の最高気温は7度の予報とまだまだ寒い。が、日差しがあるので日中は暖かさを感じるかもしれない。メディアによると防府天満宮は梅まつりとかで梅が咲き誇りつつある。毎週見に行きたいという人もいるほど人気の梅まつり。久しく防府天満宮へ行っていない。先日のお墓参りの道中で梅がほころんでいた。梅といえば市内の縮景園の梅も有名だ。が、今はまん延防止措置適用で閉園中。それにしても遊びに行きたい!思いっきり遊べる日はさてさていつになる!?

 ふと思った。梅といえば防府天満宮だけでなく、太宰府天満宮や北野天満宮も有名だ。天満宮と梅、なにか関係あるのだろうか。後で調べてみよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月20日日曜日

「紫禁城」を見る

 今日も昨夜見たテレビの話題から。満島真之介と浅田次郎が中国“最強”皇帝の秘めた思いに迫る番組でNHKのBSで放送された。番組HPによると「北京テレビとNHKの国際共同制作8Kカメラが “紫禁城” の未公開部分を撮影、宝石と不思議な建築が王朝のなぞを解き明かす。作家・浅田次郎氏と俳優・満島真之介氏で一人の皇帝の秘めた思いに迫る。“紫禁城” は今は故宮と呼ばれる博物館。奥に清の乾隆帝の園がある。版図を最大にした皇帝で文武に秀でた。狭い迷路に玉座6つ、なぜ? 少数民族の王朝、したたかさとは? 不思議な中国画に西洋人画家との秘話! 皇帝の世界観に迫る」とある。

 紫禁城は天安門広場に隣接しており故宮ともいわれる観光名所。中国北京の観光では必ずといっていいほどコースになっている。ここへは2,3回は出かけているがテレビを見て知らない紫禁城を垣間見る。紫禁城を映し出す途中に作家の浅田次郎と俳優の満島真之介の会話がある。浅田次郎は40数回もここへ訪れているとか。

 紫禁城といえば乾隆帝、なのか番組ではこの人を取り上げる。乾隆帝は漢民族ではなく少数民族である満州族だ。築600年ともいわれる紫禁城だが広い敷地に建つ太和殿が中心をなしてここに保有する宝石類などは180万点もあるそうだ。気になることを羅列しよう。

・屋根の黄色 黄色はもっとも尊い色で、皇帝のみが使用。また黄色は台地の色
・建物の赤色 赤は邪気を払う色
・竜の爪 皇帝だけが5本の爪を持つ
・太和殿の丸い柱 直径1mもある柱が72本もある
・太和殿の竜の数 13843匹
・乾隆花園 太和殿内にある符望閣は宇宙をあらわす
 
 乾隆帝の為した主なこととして版図を広げたことがある。それには世界一の玉をウイグルから運ばせていた。全国から書籍を集めて「四庫全書」を編纂させた。絵画を見ると180㎝もある弥勒菩薩をチベットの寺院に作らせた。乾隆帝はチベット仏教に帰依し、モンゴルやチベットの人たちを尊敬して抵抗させないように仕向けた。陶磁器などの職人を育てて海外に売りさばいて銀を獲得、などがある。
 
 乾隆花園の秘密のエリアには時計、刺繍の部屋などがあり、イエズス会のカステリオーネに乾隆帝の肖像画や風景画などを描かせている。絵には中国にはない陰翳や立体、遠近法を取り入れており、乾隆帝とカステリオーネとのせめぎあいが絵から見られるらしい。なお、カステリオーネは中国に帰化して中国名で描いている。

 番組のなかで「如意」があった。この如意、わかりもせずにいたと思いながら見ていると孫の手が背中のかゆいところに届くように意のままになる、ということらしい。そのためか僧が読経などの道具の一つに孫の手に似た仏具をもっておこなうそうだ。

 番組最後にナレータは言う。「中国の最強の皇帝は言った。中国皇帝の長い歴史の中でこんなことがどれほどあっただろうか」と。

 いい番組だった。ここに取り上げた中には聞き間違いがあるかもしれない。

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2022年2月19日土曜日

「名品の来歴」を見る

 NHK・BSで「名品の来歴」を見る。名品とは1934年に実業家の10代目浜口吉衛門によって建てられた洋館である。浜口は芸術に深い造詣を持つ人物だったらしく建物の至る所には浜口が収集した絵画や彫刻が飾られている。今、この洋館はタイ大使館の公邸になっている。というのも第2次世界大戦中の1943年にタイが浜口から当時のお金の100万円で購入したのだという。タイ大使館によると、当時、日本政府による金属類回収令により、建物や美術品が失われる危機にあった。浜口は友好国のタイに譲渡することで、建物や美術品、調度品を接収から守ろうとしたとか。

 洋館の外観も中もほぼ当時のままで保存されている。この洋館にはタイに譲り渡す前、嵯峨浩も住んでおり、ここで愛新覚羅溥傑とお見合いしてその後結婚。洋館の玄関に立つ浩と溥傑の写真もある。1987年、浩は亡くなり、その3か月後に溥傑はこの洋館を訪ねている。今はタイの大使館公邸となったが洋館に関わりある人たちが集うこともあるそうだ。浩の次女である愛新覚羅嫮生、浜口の孫である12代目浜口吉右衛門、そしてタイ大使夫妻などである。

 当時のお金持ちのすごさをこの番組を通して知った気がする。すぐになんでも取り壊す時代だが、こうやって大事に保存されてゆくのはいいことだ。洋館全体が生きている博物館のようだ。一度でいいから中に入ってみたい、と思いながらテレビを見た。

 話は変わって昨日は母の祥月命日。幸いお天気も良くお墓参りをする。その後はお宮を経由して帰る。家に着くと旅行社から旅のカタログが届く。寒い時季でもあり、また、まん延防止措置延長も決まって気持ちは旅どころではない。日本画の先生から美術館行きの変更を知らせるSMSも届く。

 何を計画するにもコロナが収まらなくてはどうにもならない。こうやって月日だけが過ぎてゆく。

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2022年2月18日金曜日

「遅い配達 はがき・手紙 じわり影響」

 今日は母の祥月命日。毎月、ほぼ欠かさずお墓参りをしているが祥月命日はいつもの月とは格別さがある。人の一生は長いとか短いとか言われるが、ここまで生きてきても決して長いとは思わない。あっという間に年老いたように思う。母は95歳で亡くなった。人さまから見れば十分な年齢に思われるかもしれない。が、自分の親であればもっともっと生きていてほしかった。

 冷えた朝だった。が、最高気温は10度の予報で暖かくなりそうだ。もう少ししたら散歩を兼ねてお墓参りをしよう。

 姪に送った郵便物は4日かかって届いたと連絡がある。無事届いてよかった。これは先日姪が送ってくれた『司馬遼太郎全仕事』のお礼。今朝の地元紙に「遅い配達 はがき・手紙 じわり影響」との記事がある。日本郵便によるとはがきや手紙の配達が従来よりも数日間遅くなっているという。これもすべては従業員の働き方改革によるとか。

 はがきや手紙を出す機会は年賀状以外はほぼ皆無ともいえるような状態になった。これもネット社会にあるかもしれない。NHKなどの公開放送などがあれば往復はがきで応募していた。が、最近は公開放送があるのかさえもわからないほど応募機会が減った。手紙に至ってはほぼ皆無だが今回のように郵便を利用することもたまにある。

 コロナ禍で人と会うことも減少し、郵便でのやりとりもほぼなくなった。そんな時に出す郵便物は切手の料金さえも分からずネットで調べて出す始末。何もかも味気なくなっている。

 そんな時に目にする記事はソロ社会。2040年ごろには日本人の半分がソロになるとか。その前にソロで生きているモノとしてはこれがいい、とは決して思わない。が、社会的にはどうなんだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月17日木曜日

「学問は最高の道楽である」

 姪からメールが届く。その最後に「最強の暇つぶしは勉強なのかも」と書いている。これを見て同じようなことを考えている、と思った。先日、姪から『司馬遼太郎全仕事』という文庫本が送られてきた。この本は絶版だがどうしても欲しかった本である。それを送ってくれた姪に感謝の気持ちを込めて寸志を送った。それが届いたとのメールかと思ったら違っていた。

 日中はパソコンと本を置いたテーブルの前に座っている。ほぼ会社の事務机に座っている状態だ。気ままに過ごす毎日だが自分の中ではこの環境が一番居心地がいい。もしかしたら姪が言うように暇つぶしの勉強?と思ったり。

 梅棹は『梅棹忠夫、語る』のなかで「学問とは最高の道楽である」(109P)と語っている。知らないことを知る喜びは何物にも代えがたい。そういう意味で姪がこの春から始めようとしている考えを応援したい。自分自身、会社をリストラされた際、母から大学で学ぶようにと励まされた。ところが姪は仕事との両立らしい。頑張れ!

 「学問とは最高の道楽である」、というように道楽にはお金がつきもの。それを惜しんでいては何もできない。元気であればやりたいことはなんでもできる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月16日水曜日

「老後は成果主義の価値観より、単なる趣味こそが人生を支える」

 2月14日のネット記事に稲垣えみ子の「老後は成果主義の価値観より、単なる趣味こそが人生を支える」〈AERA〉がある。記事の最後に「例えばピアノを習いメキメキ上達して発表会に出て『すごーい』と言われることをゴールになどしてはいけない。そのような成果主義は『第一の人生』の価値観である。下り坂を行くものがその価値観のままでいては敗北と恐怖の人生となろう。その圧倒的現実と向きあった先に、単なる趣味が人生を支える豊かな泉となる」と書いている。

 これを読んでフルートの発表会を思う。長く習っていたフルートだが2年半くらい前からYOU TUBE先生の動画を見て練習している。とはいっても最近は20年くらい前にさらったリベルタンゴを再度練習している。フルートの発表会は何回も出たが「すごーい」といわれることは一度もなかった。というかその真反対で演奏後はいつもがっかりだった。そのため「すごーい」のゴールは自分とは無縁だった。元来、「成果主義」に組み込まれない人生を選択しているモノにとってはこういったことはどうでもいいこと。

 フルートを習おうと思ったのは音楽の基礎から学べるものを、との気持ちがあった。だが、そこには肺活量がネックになる。高校の頃の肺活量は1900くらいと少なくためらいがあった。習っても音が出ずにすぐにやめるのではせっかく買ったフルートがもったいない。今からちょうど30年前に当時の金額で50数万円の総銀製のフルートを購入。もっと安いフルートはある。が、ある程度の金額の物を買えば途中で挫折しないのではとの思いから購入した。

 30年後の今も使っているからこれはこれでよかった。習い始めはグループで習っていた。が、音が出るのは人よりも遅れた。さらに肺活量が少ないために息が続かず、3秒、5秒、8秒、とロングトーンの練習をした。今でも10数秒くらいしか長く続かない。が、その後に測った肺活量は2500と増えた。練習を続けていれば何とか吹けるようになってゆくものだ。

 フルートを習う前に自転車と水泳を始めていた。フルートもこの2つに加えて有酸素運動になる。この3つは相乗効果となるのか風邪もひかずに元気だ。とはいってもフルートをやっていて途中で何度か躓いたこともある。稲垣えみこがいうように「単なる趣味が人生を支える豊かな泉となる」は自分にとっても間違いなくそうである。フルートを通していろんな人たちと知り合えた。だが、今はその人たちともコロナ禍でなかなか会えない日々。この時季恒例のフグを食べる機会が去年と今年はなくて本当に残念!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月15日火曜日

牡蛎ほうれん

 大手旅行社から旅のカタログが届く。カタログに目を通すもただ違和感があるのみ。まん延防止措置適用の真っ最中に読むにはあまりにも変な気がする。3月末から4月初めの桜を見る日帰り旅。行きたい気持ちは満々だが3月はもうすぐやってくる。その頃にコロナが収束しているとは思えず、カタログを見ても何だか白々しい。さらに見ると県内の1泊2日の旅が14万5千円とある。なぜこれほど高額になる?!旅費が59万円の旅もある。国内の旅なのに59万円はどういうこと!?

 旅行社も経営維持が大変なのだろう。それにしてもやり方が無茶苦茶だ。きっと海外の旅が再開されたら旅費もけた外れに高い金額になること間違いない。

 話は変わってベランダの屋根の張替も無事終わった、と思っていた。ところが先日の雨でベランダの屋根の鎖樋の効果がなく、雨だれの音で悩まされる。姉夫婦や友だちも巻き込んで電話で相談する。昨日、業者を仲介してくれた電気屋に行って説明する。業者が近くに来ていたらしくスーパーから帰ると家の前で2人が車を降りた。家に近づくと2人はまるで猿のように梯子も脚立もかけずに塀に飛び上がった。さらに屋根に上がりベランダの柵につかまって歩き出した。これを見てびっくり。

 家に着いて2人と話すと樋をやり替えるという。当然、新たに費用が掛かる。どうであっても雨だれの音がしないようにしてもらわないと気が気でない。見積書をよこすと言って帰られた。

 それにしても屋根に上がる速さはどうよ?これでは2階の窓からもすぐに家に入られそうだ。泥棒が部屋に入る意味がよく分かった。といっても業者の人はそんな悪い人たちではない。

 気が小さすぎる。今は家廻りのことであたふたしているが、いつか自分自身の身にあたふたするときが来るかもしれない。その時はその時、と思えばいいのだが、さてさて……。もっとどっしりとした気持ちでいないと先が思いやられる。

 またも話は変わって今日の市の広報紙に「雲丹ほうれん」ならぬ「牡蛎ほうれん」の作り方が載っている。雲丹ほうれんは居酒屋で食べて気に入った。が、このごろは雲丹の入手は困難だ。ところが牡蛎は寒い季節に魚売り場にいつも並んでいる。今夜はこの牡蛎ほうれんを作ってみよう。魚売り場にある牡蛎は安くてもなかなか食べる機会がない。今年は鍋にして1回食べただけである。牡蛎ほうれんがうまく作れたらこれからたびたび牡蛎が食べられそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月14日月曜日

図書館は閉館中

 コロナ禍で図書館は閉館中。開館していれば月刊誌の「文藝春秋」は閲覧室ですぐに読める。ところが雑誌などを読もうとすれば閉館中は予約を入れなくてはいけない。予約も当月発刊の雑誌類は貸出不可能のため前月より前の発刊分の予約になる。借りたい雑誌類は「文藝春秋」。この本を読めば世の中の出来事や動きが凝縮されている気がして読んでいる。ところが図書館が閉館中のため1月号ですら読めずにいる。自分で買って読めば、といわれそうだが……。当月発刊分の雑誌類は次月号が発刊されるまで持ち出し禁止で予約を入れても予約前の予約かごに入ったままだ。

 図書館といえば学生たちにとっては勉強の場でもある。図書館閉館中とあって勉強する場所に学生たちは困っているとか。市民の投書を受けて県立図書館はその人たちに閉館中であっても人数を制限して勉強の場を提供するようだ。

 県内のコロナ新規感染者は今のところ1000人を下回ってきた。自分のような高齢者もコロナ禍の1,2年の年月はもったいない。しかし、先がある子供たちや若者は高齢者よりもっと人生がかかっている。どんな立場にあっても皆、コロナ禍にどうすることもできず、じっと我慢するしかないようだ。そう思えば雑誌が読めないくらいでぼやくのはよくない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月13日日曜日

寒桜


 ネットニュースで寒桜が咲いた、と知って早速見に行く。寒桜は自宅最寄り駅の1番ホームに咲いている。例年ならばJRに乗って習いものに出かけた際、1番ホームに立って見ていた。が、今年は習いものはコロナ禍で休講となりJRで出かけることがなくなった。ホームそばの道に立って桜を見上げる。桜の木はホームに植えてあり、道かだと3mくらい高い位置になる。

 寒桜はソメイヨシノよりも花の色が濃いピンク。今朝は雨。といっても寒桜はソメイヨシノよりも開花時期が長いらしくこれから満開のようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月12日土曜日

『覇王の家(上)』

 一昨日の地元民放のネットニュースに桜の開花を告げていた。JRの自宅最寄り駅1番ホームに植えてある桜である。以前、この桜は全国放送されたこともあった。久しぶりにネットで開花を知って今日の買い物前に桜を見に行こう。寒桜というそうだが1年で一番寒いこの季節に咲く桜としてこの名はふさわしい。

 この冬は先日、うっすらと雪が降った程度で例年よりも暖かさを感じる。久しぶりにカメラを持って出かけよう。といっても桜が咲いているのは歩いて数分の場所である。JRに乗って出かける用もないので1番ホームでなく駅の外の道から桜を写そう。幸い今日もいいお天気。

 以下は、先日読んだ『覇王の家(上)』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年第24刷)の気になる箇所を抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★親氏はこのキコリ部落にながれついたときは乞食坊主の姿をし、「徳阿弥」と名乗っていた。阿弥と名のつくのは、室町期に流行した時宗の徒のシルシである。念仏をとなえては食を乞うて諸国を遊行してまわり、どこで果てるともわからない。……松平親氏、つまり徳阿弥は、どうやらその種の魅力に富んだ人物であったらしい。……以後、家康の代までこの家系はときにさかえたり、ときに衰えたりしたが、ともかくも三河国で三割ほどの面積を領にし、岡崎城の城主であるほどの分限になっていた。しかし、新興は新興でも大名といえるほどの存在ではない。(8-9p)

★――三河馬鹿。と、尾張衆は三河の農民をあざける。しかし、三河という国の風土にはもともと尾張のような風土がなく、三河衆はどうにも尾張風の精神の軽快さをもつことができない。この時期の三河岡崎衆を動かしていた精神は、「だから汝(わい)らは働け」という、尾張衆からみればおよそ阿呆臭い思想であった。……ついでながら、「駿河衆(今川家)は狡猾」ということになっている。(17p)

★この三河という地帯は念仏のさかんなところで、日常の会話にも念仏用語が出た。人生は、無明長夜(むみょうじょうや)であるという。念仏はその無明長夜のともしびであるという。「竹千代様は、われわれが無明長夜のともしびよ」と、三河岡崎衆は口ぐせのようにいった。竹千代はかれらの生き甲斐のようなものであった。(19p)

★「威」「思いやりの優しさ」というのが、古来、日本にあっては人の大将たる二大要件とされている。ほかに、偶然知恵がそなわっていたりたまたま勇武の性格であったりするのは、そうあるほうがのぞましという程度で、必要の絶対条件ではなく、知恵や勇気ぐらいのものなら、それを備えた補佐者さえ付けばいくらでも大将はそれをもつことが出来るのである。(20p)

★この桶狭間の奇襲は信長の運命を飛躍させたが、家康が今川氏から解放される運命をもつくった。「人の一生は重き荷物を背負って坂道をのぼるようなものだ」というおよそ英雄とか風雲児とかといったような概念とは逆のことばは、晩年の家康がいった言葉であると言い、また偽作であるともいうが、このことばほど家康の性格と処世のやりかたをよくあらわしたことばはない。(46p)

★かれのような弱小勢力としては、律義さを外交方針にするのがもっとも安全な道であった。家康はずっとそうであった。後年、日本第二の勢力になっても自分の頭上の支配者――秀吉――に対して羊のようにおとなしく、犬のように忠実でありつづけた。かれが豊臣家に対し譎詐奸謀(けっさかんぼう)の大親玉に変身するのは秀吉の死の直後からである。(50p)

★武田信玄の趣味なり好みなどは、中世風であった。「あれは町人のすることよ」と、見むきもしなかった。宗教についてもそうであった。信長は先鋭的な無神論者であり、神仏を否定した。秀吉はそういう思想はなかったにせよ、無信仰であった。家康はややちがってる。庶民的な浄土宗(一向宗ほど庶民的でなかったにせよ)のよき檀徒であり、戦陣にも「厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)」という旗をかかげた。(60p)

★美術史上の安土桃山時代は、安土城をつくったり、つば広の南蛮帽子かぶったりするこの織田信長という男のこういう感覚世界から生まれ出たものであった。(238p)

★「信長はキリスト教を保護した」と、日本西教史に報告されているように、かれは南蛮僧の誠実さとかれらがもたらしてきた異質の文化を好み、その布教をゆるし、教会を保護した。……信長は人間の欲深さを憎むことが異常なほどであったから、南蛮僧のそういうやりかたをつねづね感心していた。(266p)

★徳川家の正規の呼称として、「伊賀者」とよばれるグループがそれで、後年幕府が安定すると、かれらの使いみちがないため、江戸城内および幕府所管の空屋敷の番人にした。ついでながらこの徳川家臣団の中での最下層のこのグループが、寛政年間、大名や旗本のあいだで系図をつくることが流行したとき、――自分たち伊賀者の先祖は、武士のなかでも特殊な軍事技術をもっていた。ということを書き物にしたりして、それによって彼等の仲間内で伝承されてきた伊賀流忍びの術についての内容やら怪奇譚やらが、世間に知られるようになった。(291-292p)

★岡部正綱は、死をもって家康のために巨摩郡一つをあがなった。――この手だ。と、それまで主として軍事的才能ひとすじで生きてきた家康は、この巨摩郡工作の成功で、調略というものの効能をまざまざと知った。調略とは、のちの言葉でいう謀略外交である。城壁を軍事的に砕くよりも、城の中にいる人間の心を利で釣り、情で溶かして変化させるほうが、はるかに効果があることを知った。このとし家康は、四十である。謀略家としては、晩熟(おくて)のほうであった。(322-323p)

★「一生の御勝利三十六度、ついに一度も総角(あげまき)を見せ給わず」。総角とは、子どもの髪型ののことだが、ここでは大鎧の背中についているふさのことをいう。敵に背を見せたことがない、という意味である。(334p)

★信長や秀吉は貨幣経済に力点を置き、さらに国家貿易を考え、国家そのものを富ましめようとしたが、家康の経済観は地方の小さな農村領主の域から一歩も出ず、結局この家康の思想が徳川政権のつづくかぎりの財政体質になり、財政の基礎を米穀に置きつづけるようになり、勃興してくる商業経済に対抗するのにひたすら節約主義をもってし、そのまま幕末までつづく。が、家康にとっては、これは抜くべからざる信念であった。(349p) 

2022年2月11日金曜日

姪からの贈り物

 一昨日の夜、昨日ブログに投稿した舛井一仁氏と東京に住む姪からメールが届く。それは昨日のブログに関連している。舛井先生、ありがとうございました。

 姪のメールには何か送ってくれたようだった。昨日、姪からの贈り物が届く。それは前からどうしても手に入れたかった『司馬遼太郎全仕事』の文庫本である。ブログを見てこの本を手に入れたい気持ちが姪に伝わったらしく本を紀伊国屋書店で購入して送ってくれた。

 近所の本屋へ買いに行くと絶版だった。仕方なくネットで検索して探したが中古品はあるが新品はなかった。中古でも何でもよかったがネットで購入時、中古品だと不安で買うのをあきらめた、仕方なく図書館で借りて目次だけをコピーした。ところがまさかのプレゼントの本が届いて姪に感謝、感謝!

 パンダ好きの姪は郵便物に貼る切手や封緘、さらにメッセージカードもすべてパンダ尽くしである。そのなかに『司馬遼太郎全作品』が入っていた。この本は自分にとっては何物にも代えがたい贈り物である。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
姪が送ってくれた本など

2022年2月10日木曜日

改めて「人に元気を与えるポイント」

 2011年2月にこのブログを開設してもうすぐ丸11年になる。その翌日のブログに自分自身を奮い立たせるために長年したためてきた言葉を投稿した。それは「人に元気を与えるポイント」(舛井一仁)である。

1 声を大きく、よく話をする
2 健康である
3 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す
4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする
5 人脈を豊富にし、質を高く保つ
6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない
7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく
8 金銭的に少し余裕をもっておく
9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく
10 自分の目標をもって突き進む

 この十か条、自分ではすべて守っているかあてはまる気がする。今から30数年以上も前に読んだビジネス書に書いてあった文だ。当時は会社に勤めていて仕事に行き詰まっていた。その時に目にした文に心が揺さぶられた。意気地がなくなるといつもこの言葉に励まされた。その究極は10の「自分の目標をもって突き進む」である。会社をリストラされたときのその後の人生を大学に入りなおそうと決めたこともこの言葉に拠る。

 リストラで気持ちが萎えるどころか逆境をバネにして、目標に向かって突き進む大学入学への志望動機にもなった。

 ブログを通してこの文を書かれた弁護士の舛井一仁氏と知り合えた。人との深いご縁を感じる日々である。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月9日水曜日

「夜明けの風」の歌詞

 南こうせつが歌う「夜明けの風」の1番をやっと覚えた。日本語の歌や歌詞であってもこの頃は新たな歌を覚えることがなかった。2か月くらい前から歌っている「ケ・セラ・セラ」「その名はフジヤマ」「夜来香」「黒い瞳のNatalie」に続けて「夜明けの風」が毎日歌う歌になった。一日でも歌わないと忘れそうな気がして飽きずに歌っている。

 今はコロナ禍のまん延防止措置適用の真っ最中。遊びに行きたくても行く当てもなく独りで家にいることが多い。そんな時に歌うこれらの5曲。他に家でのこととして司馬作品を読み、フルートでリベルタンゴを吹く、がある。外に出かけるのは買い物が多い。せめてプールへ、と願うも閉館とあってはこれも無理なお話。

 読んでいる司馬作品は『十一番目の志士』。この前まで読んでいた『覇王の家』(上・下)は徳川家康の話だった。これまで読んだ司馬作品の中で一番ともいえるほど読みづらい本だった。というか、徳川家康に対して本から受ける印象が良くない。が、『十一番目の志士』は天堂晋助を取り上げた作品で本来の司馬作品とも思えるほど読んでいて楽しい。おのずと読む速度も上がる。

 以下は「夜明けの風」の歌詞。まだ2,3番を覚えていない。メモとしてこの歌詞を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 夜明けの風  歌詞 南こうせつ

今日も目が覚めたら  世界は闇に包まれている
最後に光を見たのは  いつだったっけ
賑やかな日常も  友との語らいも
ゆるやかに流れるメロディも  遠い昔のことのよう

どんなに世界が暗くても  夜明けの風は吹く
いつか晴れる日を信じて  今をひたすら生きるだけ

いつまで闇が続くのか  ため息ついた昼下がり
ふと顔を上げれば  いつもの空の青
この空の色は  明日も続いていくのか
変わらない青さのその先に  あの日と同じ僕がいる

どんなに世界が暗くても  夜明けの 風は吹く
いつか晴れる日を信じて  今をひたすら生きるだけ

世界が闇に包まれても 今も誰かと繋がっている
名前も知らないあなたと 支えて支えられて
いつの日か晴れたら あなたの顔を見られるかな
あの時は重い日々だった 暗い過去を笑い飛ばしながら

どんなに世界が暗くても  夜明けの風は吹く
いつか晴れる日を信じて  今をひたすら生きるだけ

2022年2月8日火曜日

競争社会を潜り抜けて

 地元紙のくらし欄に投書がある。それは「わたしたちは『団塊の世代』。幼い頃から『君たちは常に戦いの中にいる』と言われ続けた。……」とある。これを読んで同じように言われて育ったことを思い出す。「君たちの一生は競争だ」と。小学校は県内で2番目に多い学校で全校生徒は2000人いた。そのうち地元の中学校に進学するのは3分の2。残る3分の1は市内の私立の中学校に進学した。

 当時は市に合併しておらず町制を敷く郡部にあった。そのため市内にある公立高校は学区制があり、地元の公立高校へ進学。その数年後に学区制が廃止されたのか市内の公立高校への進学も可能になった。

 小さい頃から聞かされて育った競争社会。競争は徒競争から始まって動きが鈍いモノにとっては極めて生きにくい社会だった。人生の半分はそんな気持ちで過ごした気がする。ところが人生半ばを過ぎて突如、行動的になりその思いが変わってきた。人生前半よりも後半の今の方が生きやすさを感じる。競争社会を一人潜(くぐ)り抜けて(そんなこと関係ない)、と我が道を歩み始めたからかもしれない。

 地元紙といえば今朝もわからない漢字を見つけた。「昱」である。「いく」と読む人の名前である。こういう名前を子供につけた親はどんな人なんだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月7日月曜日

「免疫力を高め身体を守りましょう」から

 毎日見るネットニュースは相変わらず自分にとって都合のいいものというか参考になるモノしか見ていない。「免疫力を高め身体を守りましょう」(2月6日 ココカラネクスト)の記事がある。それによると「免疫力が低下していると風邪をひきやすくなったり、アレルギー性の病気や生活習慣病、がんなどの命に関わる病気にかかりやすくなる」という。

 「免疫力を高めるためには」として4点あげてある。

1.腸を元気にする 善玉菌を増やすには食物繊維を積極的にとる

2.体を冷やさない 体が冷えると、肩こり、腰痛、下痢、便秘、貧血などのさまざまな不快症状が現れる

3.ストレス解消 ストレスを受けると交感神経と副交感神経のバランスが崩れ、交感神経が優位になり、その結果免疫力が低下する。ストレス解消は軽い運動や入浴、そして十分な睡眠をとる。

4.免疫力を高める食品を食べる ニンニク バナナ かぼちゃ ヨーグルトなど。

 この中の4のニンニクだけはいくら免疫力を高めるといってもダメだ。他はかなり守っている。とくに気にかけているのは体を冷やさないこと。夏でも常温以下のモノは口にしないようにしている。ただビールは別。ビールの生ぬるいのは飲めたものではない。というか家ではビールを飲まない。

 今のところ至って元気。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月6日日曜日

運動不足

 厳しい寒さ、との予報に反して朝からいいお天気だ。予想最高気温6度でも日差しがある。いくらいいお天気でも連日の新規感染者が多いと(さて、どこかへ?)という気も起きない。というか、不要不急の外出を控えるようにとのことなのでこれも仕方ない。せめてもの慰めは近くのスーパーへ行く程度。それも運動不足を兼ねての買い物だ。家でどんなに運動するよりも外に出歩くほうが太陽を浴びて運動になる。さらには外に出るほうが気分も晴れる。もう少し暖かくなれば自転車に乗ってあちこち出かけよう。が、まだ寒くてその気持ちが起きない。

 家での運動といえば先日、徹子の部屋に出ていた草笛光子、岸恵子と黒柳徹子の3人は88,9歳の年齢でリハビリを兼ねて運動している。3人とも骨折を経験。母も88歳の時、転んで大腿骨骨折をした。そのこともあって(88歳の米寿が健康の分岐点?)と思ったりする。いずれにしても骨折が死を招く。気をつけよう。草笛光子は背骨を、岸恵子は足や肋骨を骨折している。黒柳は大腿骨骨折をし、リハビリの先生を鬼軍曹と話していた。リハビリがきついのだろう。ただ岸だけはあまりリハビリをしないのか草笛から足が細いと言われていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月5日土曜日

次は『十一番目の志士(上)』を読む

 今朝のネットニュースに「ナスカで遊覧機墜落、7人死亡 日本人含まれず ペルー」の見出しがある。セスナ機に乗っての遊覧飛行で墜落したとの記事だ。20年くらい前に出かけたペルーで遊覧飛行をした。その際、(もしも飛行機が落ちたら……)と思いながら覚悟を決めて遊覧飛行に挑戦。ところが気持ちがぐらついていたのと地上絵を見せるためにセスナは旋回するなどで遊覧を終えて飛行機から降りるとき、ひどい吐き気を催した。極度の緊張と揺れで大変だったことを思い出す。

 遊覧飛行といえばネパールが有名だ。が、ネパールへは出かけていない。というのも遊覧飛行はもうこりごりだからだ。吐き気を催すといえば高山病も同じである。これに関しては性懲りもなく何度も出かけている。ペルーのクスコでも高山病でクスコ市内の観光をせず、ホテルで寝ていた。旅の話をするとやっぱりまた、辺境の地へ行きたくなる。と同時に旅の話題は元気が出てくる。

 司馬作品である『覇王の家(下)』を読み終えて2日ほど読む本がなかった。すぐに図書館へ予約を入れると昨日、『十一番目の志士(上)』を入手。2日間ほどは家にある他の作家の本を読む。司馬作品を読まない日はこの3年間、ほぼなかった。そのためか読まない日は一日の仕事をし忘れたような気持になる。司馬作品を読むのはライフワーク!?

 2か月くらい前に『司馬遼太郎全仕事』の本の目次をコピーした。この本を買おうとしたが絶版のため仕方なくコピーで読んだ本を確認している。目下のところ、司馬遼太郎の全作品を生きている間に読み終える気持ちで満々だ。

 毎日のこととして他にも笛を吹く、がある。練習しているリベル・タンゴ。16分音符の4連符が4つ連なる箇所がある。この一音づつを丁寧に、そして早く吹く練習をする。速度は4分音符=84の練習で本来の速度とは比べようもなく遅い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月4日金曜日

♪夜明けの風♪

 見たい放送もなくチャンネルを変えているとBSで八代亜紀の番組に南こうせつが出ていた。この頃はほとんどというか全く歌番組を見ない。ところが昨夜は南こうせつがゲストで歌っていた。コロナ禍で誰もが身動きできない生活を強いられている。そんなときに「夜明けの風」が出来たという。先ほどネットで探すと動画のアップがある。この中の最後の歌詞がいい。本当にその通り、と思って曲を聴く。この歌を覚えよう。

♪どんなに世界が暗くても 夜明けの風は吹く
 いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ♪

夜明けの風 詩(南こうせつ)

今日も目が覚めたら 世界は闇に包まれている
最後に光を見たのは いつだったっけ
賑やかな日常も 友との語らいも
ゆるやかに流れるメロディも 遠い昔のことのよう
どんなに世界が暗くても 夜明けの風は吹く
いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ

 南こうせつの歌を一度は聞きに行きたいと思いながら年月が過ぎてゆく。この人の歌は何年経っても飽きがこない。連日、飽きもせずに歌っているのは例の4曲。今朝も歌った。この4曲に「夜明けの風」を加えよう。日本語の歌詞であっても外国語同様に気合を入れて暗唱できるまで歌って覚えよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月3日木曜日

依り代

 新聞番組欄を見てNHKのラジオ第一に五木寛之出演とある。先ほどまでこのラジオを聴くと「よりしろ」の話題がある。辞書で「よりしろ」を調べると「依り代・憑代」とあり、「神霊が寄りつくもの」とある。五木寛之は先日亡くなられた石原慎太郎と生年月日が同じだそうで89歳になられる。五木自身の依り代はパスポートなどいくつか挙げられていた。パスポート、と聞いて自分自身の依り代も捨てがたいものなのでそうかもしれない。

 昨年の今頃、10年のパスポートを更新した。幸い取得日というか更新日が誕生日と同じ日になった。新たなパスポートはコロナ禍で海外旅行に行かれず幻のパスポートになりつつある。

 先日、添乗員をしていた友だちと海外旅行の渡航国の話になった。その時点では海外旅行に出かけた回数は覚えていても出かけた国の数は把握できていなかった。その後、改めて行先を数えると43か国で旅行回数は46回だった。43か国のうち、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイとフィンランドはトランジットで何度か立ち寄っただけで観光はしていない。世界で一番の文明国ともいえるアメリカ大陸はアメリカ合衆国とペルーに出かけただけで行先としては一番少ない。アメリカはロスのほかにハワイとサイパンに出かけている。海外への旅は辺境の地から出かけよう、との思いからこうなった。

 もしも、もしもはよくないかもしれないが再度、海外旅行ができるようになればアメリカ大陸に行ってみたい。本場のジャズやアルゼンチンタンゴを聞いてみたい。

 昨日、やっとベランダの屋根の張替工事が終わった。近くの電気屋さんに依頼してその仲介での工事だった。電気屋さんが来られて話をしていると以前、国内の旅で知り合った町内の人の名前が出る。その人との話で「旅好きらしいですね」と聞かれる。町内の知らない人であっても旅先では気軽に話をする。いくら近くに住む人であっても自分のことを話さないので趣味や旅好きを知る人はいない。ところが旅先で話したことは別に悪い話ではないので知られてもいい。

 読み続けている司馬作品。図書館の予約に新刊ばかりを入れていたので手もとに司馬作品がなくなった。これも淋しいものである。今から図書館に出かけて新刊予約確保の本を受け取る。その後に司馬作品の予約を入れよう。今日もいいお天気!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月2日水曜日

世の中いろんな人がいる!?

 チャイムが鳴ってモニターで応答すると仏壇の修理はどうか?を問われる。これまで長く生きていて仏壇の修理云々の話は聞いたことがなかった。世の中、様変わりしていると感じる。その前の日はなんちゃらなんちゃら研究会、と長い名前を名乗る人が来た。もう、これは宗教に間違いないと思った。家の三方が道路に面しているため、チャイムを鳴らされることが多い。が、長いことそれもなかった。油断は禁物。新聞を見ると相変わらず特殊詐欺の被害が出ている。

 特殊詐欺は電話に拠ることが多い。電話はディスプレイを見て出るのでその点はあまり気にならない。ただ、迷惑電話指定にするもそれがいっぱいになってしまって新たな迷惑指定が困難な状況だ。仕方なくかかってこないような電話番号を迷惑から解除して新たな電話番号を迷惑に設定する。

 長く生きているとメディアなどでいろんな事件を目の当たりにする。そしていろんな人がいると思ったり。先日、スーパーに行く途中の踏切で遮断機が下りた。その場に居合わせた見知らぬ人から近くにいた救急隊員のことを聞く。救急車を呼んだ呼ばないともめているらしい。その話の後、自身の仕事について話される。踏切近くに住んでいて町内でも有名な家の庭掃除を45年間しているという。それも早朝からの3時間で時給700円余り。一日2000円余で週5日働くそうだ。この金額は最低賃金よりも低い。かなり年配の女性で話を聞いた後、こちらの気分がふさぎそうになる。その人は雇われている人のアパートに住んでいるとも言っていた。大金持ちほど生き方が汚い!?

 別れ際、雇い主に罰が当たる、と励ましてあげた。町内に古くから住んでいる人であれば雇い主の家を知っている。(汚いやり方で人を使っている)と思うとこちらまで腹立たしくなる。その人が辞めたらだれも働きに行かない、とも言っていた。悔しいに違いない。

 ここまで書いてふと思った。訪問販売や特殊詐欺に関わる人たちももしかしたら何かの事情があってやっているのかもしれない、と。それでもやはりよくないことはどうであれよくない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月1日火曜日

2022年のダグニーさん

 2022年1月28日付のダグニーさんのブログに「孤独は退屈」と題して「~孤独は退屈です、私はむしろ私が生きている限り、いくつかの楽しみを持っていると思います。コロナンが少し落ち着いたので、私は私の友人が再び訪問することを願っています~」とある。これを受けてかどうか友人のエレナが1月30日付でダグニーさんのブログに「~私はダニーが書いている『そのコロナが少し落ち着いた』に関する情報がどこから来たのか理解していません~」と書いている。スウェーデンもまだコロナの収束はないようだ。5月になればダグニーさんは110歳になられる。(ダグニーさんの記事は日本語翻訳機能による)

 何歳になっても頭がしっかりしている人はいい。昨日の地元紙に県内に住む石井哲代さん101歳の記事がある。一時、この人の記事が途切れたことがあった。が、お元気になられて再度一人暮らしを始められて以降、毎月記事になる。顔写真を見ると笑顔だ。顔に表情があるうちは人は元気。親を介護するうち体が衰えてくると顔の表情も衰えてくると知った。喜怒哀楽があるうちはまだまだ元気な証拠、そう感じている。

 石井哲代さんに「一番会いたい人は?」と尋ねるとアンガールズの田中だそうだ。その理由はご自身が初めて教師として赴任した町の出身の人だからだとか。ローカルの番組にアンガールズのレギュラー番組がある。それに石井さんも一緒に出演されるといいのに、と思ったりするがさてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記:ダグニーさんのブログは以下の通りです。