2022年1月31日月曜日

70代が「老い」の分かれ道、よぼよぼの80代にならないための過ごし方

 日本画の先生から2月の教室は休講、との連絡が入る。そして2月末の土曜日に先生が1年間を通して出品されている八代の丘美術館の3期目の見学云々を問われる。行きたい旨、報告するもコロナ新規感染状況が気になると返答した。いずれにしても2月20日まではまん延防止措置が適用され、今のところ感染者の減少傾向は見られない。先のことは様子見となりそうだ。
 
 DIAMOND don-lineによると〈70代が「老い」の分かれ道、よぼよぼの80代にならないための過ごし方〉の和田秀樹の記事がある。和田秀樹の『70歳が老化の分かれ道 若さを持続する人、一気に衰える人の違い』(詩想社新書)によると「私が長年高齢者とかかわってきて、痛感してきたことはいくつかあります。気持ちが若く、いろいろなことを続けている人は、長い間若くいられる。栄養状態のよしあしが、健康長寿でいられるかどうかを決める。そして、それ以上に重要なのは、人々を長生きさせる医療と、健康でいさせてくれる医療は違うということです」とある。

 そのうえで「コレステロールが高めの人や、太めの人のほうが高齢になってからの死亡率が低いことが明らかになっています」という。その締めくくりとして「戦後生まれの人たちはこうして平均寿命を延ばし、体格も立派になって、健康で若々しさを保つようになってきたのです。その先駆けが、いま、70代を迎えている人たちなのです。人生における『最後の活動期』と言ってもいいと思います。70代が活動期になったからこそ、その過ごし方が、80代以降の老いを大きく左右するようになったのです」と。

 この記事にまさにあてはまる年齢にいる。「70代が活動期になったからこそ、その過ごし方が、80代以降の老いを大きく左右する」という。(活動したいよね)と思う。が、今はコロナでそれも無理な面がある。それでもできるだけ体を動かして好奇心を失わないようにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月30日日曜日

〈空旅中国「李白 長江をゆく」〉を見る

 NHK・BSで〈空旅中国「李白 長江をゆく」〉を見る。番組HPによると〈南京から長江を三峡へのぼり詩人・李白の旅をたどる。「万の酒屋あり」と招かれた村、動乱から身を隠した廬山の奇岩。出世を夢見た旅、流刑の旅、常に言葉を信じ酒をあおる 唐代の詩人、李白は大河、長江流域の出身。都で活躍も失敗し長江に戻り、旅が始まる。古都、南京から上流へ。都での活躍ゆえ各地で歓待され…村人から「万の酒屋」の誘い文句で訪れた美しい村、桃花潭。動乱から身を隠し大自然のすごみを詩に著した廬山。やがて反乱の一味として流刑!さらに上流、三峡の断崖へ。言葉を信じ続けた李白の旅をたどる。李白に欠かせぬ“酒”も登場〉とある。

 久々に旅心を誘われる番組を見た。前夜は〈名僧たちの足跡 「空海が越えた峠」〉が放送されたが番組があるのを知らず見ずに終わった。今夜は昨年末に放送された〈英雄が駆けた道 「蜀の道」〉がある。これは忘れずに見よう。

 李白が生きていた頃、今でいう追っかけがいて李白の詩を遺した人物がいたそうだ。その人の名は魏文(ぎぶん)と放送していたが「魏」の文字をはっきりと覚えていない。今に残る李白の詩はこの人のお陰があるとか。その李白は途中、囚われの身となる。その間、長江の奥地までの様子をドローンを使って映し出す。途中、武漢がある。最近の映像なのか武漢の人たちのマスク姿も見える。

 三峡の断崖に今は高い塔が作られ、そのてっぺんにはガラス張りの通路になっている。この通路を歩いて観光する。さらにはそこから向こうの渓谷まで同じくガラス張りの高架橋がかけられスリル満点だ。

 さらには当時の長江を舟で上る方法を試す場面がある。今はエンジンの舟で簡単に上るが李白の時代は長江に上る舟に紐をつけてその紐を3人がかりで引っ張って陸を歩いて上ったという。

 李白が生きていた時代を想像しながら見ればいいのだがそれも叶わず、ただ旅に行きたい気持ちだけが増してくる。初めて中国に出かけて以来この夏で36年になる。当時の旅をブログ(or日記にでも)収めていれば、と悔やまれる。というのも思い出というか記憶では旅の断片しか覚えていない。ブログを開始してからの旅はすべて記録しているが……。

 しばらくは「空旅中国」にハマりそうだ。どうであれ、旅が再開されるまで元気でいなくては、とただそれだけを思ってテレビを見る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月29日土曜日

『司馬遼太郎の描く異才(Ⅱ)』

 今年もまた某金庫メーカーから「抜粋のつゞりその八十一」の冊子が届く。この企業は本来ならば毎年、広島国際会議場で著名人を招いての講演会を催す。その際に冊子も配布される。が、コロナ禍で開催されず、自宅に送られてきた。何十万冊もの冊子を国内ばかりでなく世界各国に送付する。何と奇特な企業なのだろう。

 今朝の地元紙に「翫」の姓の訃報記事がある。またも知らない字、と思って電子辞書で検索する。「翫」の俗字は「玩」であり「いとう」と読むようだ。

 以下は『司馬遼太郎の描く異才(Ⅱ)』(高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平)(朝日新聞出版 週刊朝日編集部、2014年)からの抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★司馬さんの命日が「菜の花忌」(二月十二日)と名付けられたように、司馬さんが菜の花が好きだったことは有名だ。……司馬さんは、野に咲く花を好んだ。『歴史の世界から』(中公文庫)のあとがきでは、さらに条件を付けている。たとえば黄色い花が好きであるということである。それも、できるだけたんぽぽに似た花であることが望ましく、結果はたんぽぽがいい〉神木さんも、実は菜の花よりもタンポポのイメージのほうが強いのだという。……しかし、「タンポポ忌」では、なんとなく緊張感が出ない。(24-25p)

★青年は嘉兵衛を慕って日本に来たけれども、この世では会えなかった。涙がこぼれて仕方なかった。しかし青年はそのまま日本にとどまったんです。ロシア正教の日本における最大の建造物が、東京の神田にあるニコライ堂です。ニコライさん、そのロシアから来た青年がつくったからニコライ堂であります。……戦争中も日本人はニコライさんを大事にし、その後、ニコライさんは東京で生涯を終えました。繰り返しますが、嘉兵衛に会うためだけに、ニコライさんは日本に来たんです。(97-98p)

★めったにすぐれた人間というのはいないんです。すぐれた人間というのは、金もうけができる人とか、そういう意味ではありません。よく働くこともけっこうですが、そういうことでもない。やはり魂のきれいな人なんですね。ロシア人は高田屋嘉兵衛の魂を信用して、彼に全権を一任します。信頼にこたえようと、嘉兵衛は幕府を口説きに口説きます。やがてすべてはうまくいき、ゴローニンは釈放されることになる。(98p)

★ご存知のように、「ウラア」はロシア語で万歳という意味です。別れを惜しみ、感謝してくれた。嘉兵衛はこの感激を一生忘れませんでした。淡路で亡くなる時に、枕もとの人たちに頼んだそうです。「大将、ウラア」と言ってくれと。高田屋嘉兵衛は大きな仕事をした不世出の人でした。我々は嘉兵衛のような人ではありません。けれども人はその人なりに「大将、ウラア」ということがあるといいですね。総理大臣になることより、大きな企業の社長になることより、死ぬときに「大将、ウラア」ということがあるかないか、あの瞬間がおれの人生だったという思い出を持つかどうかが、大事だと思います。(99-100p)

★佐賀の乱(一八七四年)も首謀者として捕らえられ、大久保の主導で強引な裁判の末に斬首された。『歳月』のなかで、佐賀の古くからの友人、文部行政に足跡を残した大木喬任が江藤を語る。「江藤の目はなんでも見えるのだ。行ったこともないヨーロッパさえ見えるのだ。しかしあの目は奇妙で、自分という者が何者であるかということだけがよく見えない」 見えすぎた先覚者の悲劇を描いた作品となっている。(183p)

★結局、低い身分の江藤は、脱藩という危険を冒し、自分の才能を主君に認めさせようとしたことになる。国に戻る直前に会った友人にかかっている。「男子はすべからく巌頭に悍馬を立てるべきだ」男は気の荒い馬に乗り、巖頭に立つべきだという。転げ落ちるか、大きく飛躍するか。常に「諸刃の剣」の危うさを持ち続けた男だった。(187-188p)

★江藤に人権志向はいつ始まるのだろう。毛利さんは、二十三歳で発表した開国論「図海策」にも、人権志向が見てとれるという。「攘夷を理由にして戦争をしたら、結局、人民が困る年、開国して貿易をすれば、人民の生活にプラスになるとある。開国論の根拠を人民にとってプラスかマイナスかで説明するのは江藤ぐらいでしょう。『国の富強の元は国民の安堵にあり、安堵の元は国民に位置を糺すにあり』という江藤の有名な言葉がありますが、民生の安定が大事で、そのために司法の力が必要だとする。私は江藤のことを、日本の『人権の父』だと考えています」しかし、”人権の父”、はやがて本来の仕事を離れ、激しい政争に巻き込まれていく。(215p)

★司馬作品は、すぐそこにいるような人間っぽい登場人物が躍動感を生んでいるステレオタイプの人間ではなく、人間のリアリティーがあります。幕末は外圧によってよって変化していきますが、内部から次代を変えようというマグマが吹き上がった、いわば日本の青春期だったと思います。司馬さんの小説は純粋に読んでいても楽しいし元気づけられました。『竜馬がゆく』八巻を買って、そのまま近くの喫茶店で一気に二巻まで読んだことは今でも忘れられません。〈インタビュー私と司馬さん「身分を取っ払った新選組の魅力」木内昇(のぼり)〉(269p)

2022年1月28日金曜日

思い切って眼科へ

  大学共通テストで試験問題を流出させたと思われる人物が警察に出頭したとのニュースを見る。19歳の女性で大阪在住とか。すでに大学生として日々過ごしながらも東京の大学にあこがれたようだ。上着の袖にスマホを隠して試験問題を流出させるほどの根性があれば、どんなこともできる、と外野は思うけど……。新たな犯罪の報道を見ると(ここまでよくも考えたこと)とその方が怖い。

 気分を変えよう。連日のコロナ新規感染状況を見ていると住んでいる町は市内に属するため町内ごとの感染者数は発表されない。我が町は単独町政を敷く町と町にはさまれている。どちらの町も連日30数人や20人前後の感染者がいる。両町にはさまれた我が町もきっとかなりの数の感染者がいるに違いない。

 月1度定期的に出かける眼科に行くかどうか考える。眼科は連日20数名前後の感染者が出ている町にある。我が家はその町の境近くにある。一昨日、病院に通っているという友だちに電話で話すと「大丈夫よ。眼科へ行けば……」とはっぱをかけられる。思い切って昨日お昼ごろ眼科へ行く。誰一人来院者はいない。「視力を測る?」、と言われる。視力が悪いので視力測定は苦手。「年に1度は測定を」、と催促されて測ると相変わらず左目0.3と右目はもっと悪い。眼圧は15と17でこれも変わらず。

 今年になって日常と変わった行動は院展に出かけたことと昨日の眼科くらいだ。こう動きが鈍ると体に良くない、とわかっていてもどうすることもできない。先日別の友だちと電話で話すとコロナ禍で10㎏太ったという。生まれてこの方、体重の変化はあまりない方なので10㎏太ったらどんな感覚かわからない。急激な体重変化とならないようになるべく体を動かすようにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月27日木曜日

ネット情報

 朝起きてまず目にするのは新聞で、時間の経過とともにパソコンでネット情報を見る。その時、自分にとって都合のいい情報にだけ目が行く。そして意識しなくても悪い情報をスルーしている。そうしないと器の小さい人間にはすべての情報を受け入れることが心の負担になってゆく。これでは情報が偏ってしまうかもしれない。が、自分の身を守るためにはこれも一つの生き方だ。何もかも受け入れてしまうとそれがストレスとなり、その結果、病気になってしまう。

 昨日も都合のいい情報を目にする。それは幻冬舎on-lineに小嶋 勝利が書く〈同じ「おひとり様」でも…家族がいた場合のほうが悲惨なワケ〉である。これによると「人の一生とは面白いもので、子供として生まれ、親に生活の面倒を見てもらいながら成長し、やがて親と対等な立場になり、最後は、親の面倒を見る立場になっていく。こう考えると、親の面倒を見ることができる子供は、幸せな子供なのかもしれません。『親孝行、したい時に親は無し』。昔の人は、うまく表現したものです」の記事だ。

 このなかの「親の面倒を見ることができる子供は、幸せな子供なのかもしれません」の件に妙に納得する。ほぼ最期まで親と暮らしたので親の面倒をみるのは当然という気持ちだった。(誰か親の面倒を見てくれれば……)と思ったことはない。先日、屋根の工事で姉に相談したとき、姉は何を思ったのか「〇〇ちゃんに親の面倒を見てもらったのでお礼を用意している」と金一封を封筒に入れているという。もちろんそんなことは露にも思っていないのでもらう気はない。姉も歳をとって親の気持ちがわかりだしたのか突然、そう言われて少々驚く。親の死後、兄弟姉妹でもめるという話をよく聞く。我が家には遺産がなく、もめることはない。今日も暖かくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月26日水曜日

昨年に続いて今年……

 昨年から毎日続けている「ケ・セラ・セラ」(英語)、「その名はフジヤマ」(スペイン語)、「夜来香」(中国語簡体字)の3曲に加えて今年は新たに「黒い瞳のNatalie」(スペイン語)の暗唱がある。最後の曲は最近やっと覚えた。今朝起き掛けに1番だけ暗唱すると何とかクリアできた。他の3曲は毎日暗唱しているので忘れずにいる。4曲になっても忘れずに暗唱しよう。

 昨年に続いて、といえば司馬作品の全読破がある。これは生涯をかけて読み終える覚悟で読んでいる。他にもピアソラ作曲の曲集にある6曲をいつでもフルートで吹けるように練習する、がある。ピアソラの曲の大半は20年前にさらった。が、再度練習している1曲目の「リベルタンゴ」につまづく。どうにか最後まで吹けるようになったが自分の思う吹き方ではない。ICレコーダに録音してうまく吹けたかどうか確かめる。が、納得できずにいる。

 とはいっても人に聞いてもらうわけではなく自分の楽しみで吹いている。吹くのが嫌になったら長くフルートを習ったことが水の泡になる。その辺を考えて練習、練習。

 昨年の続きといえば水泳もあるが今はプールが閉館で泳げずにいる。他にも旅があるがこれもコロナの状況次第となりそうだ。

 世の中がどうあっても一番大事なことは健康であること。これなくしてはなにもできない。コロナ禍で動きが鈍っている。家の中で出来る太ももを延ばしたりスクワットも欠かせない。そして一番は外に出歩くこと。今朝の地元紙投書欄に毎朝5時から1時間の散歩をする人がいる。朝5時はまだ夢の中。たとえ大金を積まれても5時に起きて何かを始めようとは思わない。と、いうか到底無理というもの。

 姉も毎日散歩すると言っていたけど5時ではない。そういえば昨年の作品展に来てくれた友だちは朝5時半に起きると話していた。皆、朝が早い。が、自分はどうやっても早起きは無理。無理してモノ・コトを始めると怪我のもとになる。自分のペースでやればいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月25日火曜日

再興第106回院展を見に行く

 昨日投稿した「数値過敏症」の記事である「まもなく丸2年のコロナ禍 感染者数報道がもたらした“数値過敏症”という病 評論家・與那覇 潤」を改めて読む。自分なりにこれを解釈すると〈人は元気な時はなんとなくが積み重なって日常をなす〉。ところが日に日に感染者数が増すと〈「今日の感染者数」→「数値過敏症」→「自分自身の感覚を信じられなくなる」→日本社会全体の「うつ病化」→怖くて誰も自由に行動できなくなる→政府の数値目標にみんなが依存する→一種の無限責任社会が生まれる〉とか。そして〈社会全体のうつ病化に伴う「数値依存症」が行き過ぎると、人は逆にお金を使えなくなる〉そうだ。

 文の最後にSNSのフォロワー数を気にする人を例にあげて〈数字を気にかけなくても、「まぁなんとかやっていけてるじゃないの」という状態が、はじめて安心感を作る。数値化とは本来、その状態に達するための補助具――たとえば「俺にだって〇人はフォロワーがいるじゃないか」といったものでなくてはいけない〉と述べる。

 これを読んでコロナ、コロナで自分を見失ってはいけない、と二重マスクをして院展を見に行く。院展は福屋八丁堀店と駅前店で開催中。まずは習っている先生の絵が展示されている八丁堀店に行く。JRもバスも果ては院展会場も人の動きが少ない。先生は近年、院展が開催される度に入選されている。入選作には山道や郷の道が描かれる。ひいき目でなくてもやっぱり先生の絵が一番!?と、思いながらも齋藤満栄 の「淡墨桜」は気に入った!

  八丁堀店を後にして三越に立ち寄る。夜のご飯としてアナゴ弁当を購入。その後は駅前店の院展を見る。近年、気になるのがまるで油絵か日本画かの見当もつかないような抽象画が多いことである。絵の素養がないので抽象画的な絵を見るのは苦手でそのままスルーして和食のお店に入りお昼を食べる。いつもは混雑しているお店もさすがにお客が少ない。これは大丈夫、と思って頂く。

 家に着くと九州のJ〇Bからリーフと「閉店のご案内」が届く。広島と同じく今月末で閉店し、大阪や東京に引き継ぐ、とある。ただ1枚入っていたリーフを見て(最後の旅の募集?)と思うとなぜか切なくなる。福岡は関西よりも広島から近く(海外旅行は福岡、国内は広島の旅行社から)、とほぼ決めていた。だが、それが叶わなくなった、と思うと本当に残念。

 世の中、悪いことばかりが続くとは限らない。(いつの日か、また、これまでのように何も考えず楽しい旅ができる日がきっと来る)、と信じてさあ、今日の行動開始!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月24日月曜日

「数値過敏症」

  一日中降り続いた雨も上がり今朝は日差しが出ている。今週は気温が10度以上となる予報で幾分暖かくなるようだ。お天気がいいと市内のデパート2か所で開催中の院展を見に行く気になる。ただコロナの感染状況が気になる。今朝のネットにデイリー新潮の〈まもなく丸2年のコロナ禍 感染者数報道がもたらした“数値過敏症”という病 評論家・與那覇 潤〉の記事に目が行く。

 この「数値過敏症」というキーワードは自分にも当てはまりそうだ。結構、広島県内のコロナ新規感染者数に一喜一憂している。この記事を全部読んではいないが見出しを見るだけで何となく意味が理解できる。

 今日は勇気を出して院展を見に行こう。ただ、飲食や会話が感染しやすいようなので院展を見てすぐに帰ろう。といいながらもちょっぴりデパート内を見てみたい。だが油断は大敵。気を引き締めて絵を見に行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月23日日曜日

『司馬遼太郎の描く異才(1)空海、義経、武蔵、家康』

 今日は一日中、雨が降るようだ。明日からこの先一週間は天気予報によると最高気温が二けたとなり、晴れの日が続く。今月中に市内のデパート2か所で開催中の院展に行く予定にしている。が、日に日にコロナ新規感染者が増すと出かけるのがおっくうになる。

 ただ、一日一度は運動を兼ねて買い物に行くようにしている。それ以外はじっと家でおとなしくする。県北に住む友だちから今、(どうしている?)と電話がある。県北までの高速バスの割安往復チケットはコロナ感染者増加で中途で廃止となった。桜の季節にコロナ感染者が減少すれば県北へ遊びに行くつもりでいる。が、これも今の感染状況ではどうなるかわからない。

 家でおとなしくしている間に「黒い瞳のナタリー」をスペイン語で覚えようと連日歌っている。まだ、一番の歌詞の半分しか暗唱できていない。外国語の歌詞を覚えるのは頭の運動にもなる。毎日、「ケ・セラ・セラ」「その名はフジヤマ」「夜来香」を暗唱して歌っている。これに「黒い瞳のナタリー」をくわえて暗唱すると、歌うノルマも増えそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『司馬遼太郎の描く異才(1)空海、義経、武蔵、家康』(週刊朝日編集部 朝日新聞出版、2014年)から気になる箇所を抜粋。

★〈密教そのものの思想をいちいち教えたわけではなく、すべて空海が独学してきたものを追認しただけである〉山野を歩き、多くの経典をそらんじて作り上げた密教は、ここでお墨付きを得たことになる。三カ月後、すべての儀式は終わり、空海は「遍照金剛」という号を与えられた。「猶、瓶ヲ瀉スガゴトシ」と恵果はいったという。瓶から別の瓶へすべての水を移し終えたようなものだという意味で、空海はこの時点で恵果の完全な後継者となった。安心したのだろうか。恵果は約四カ月後に亡くなり、空海は選ばれてその碑文を書いている。(49-50p)

★日本の平安時代の指折りの能筆家でもあった空海だが、長安でもその書は高く評価され、「五筆和尚」という異称があった。評判を聞きつけた皇帝が空海を宮殿に招き、御座所に近い一室の壁面に揮毫を命じた。空海は五本の筆を両手、両足、さらには口にくわえ、一気に書き上げたそうだ。〈そのあと一字だけ書き残したのに気づき、磨った墨汁を大盆にたたえ、その盆をもちあげてそのまま壁面にそそぐと、自然に「樹」という一字が筆勢たくましくあらわれ出た、という〉(53p)

2022年1月22日土曜日

寒行

 深夜1時8分、緊急エリアメールで目を覚ます。地震を知らせるメールだ。その後すぐに地震発生。住んでいる隣町は震度4.だが、隣接する町に住んでいながら広島市内とひとくくりにされると震度3になる。どうであれ、今回の地震は長く、久々に地震の怖さを知ってその後の寝つきが悪い。

 1月18日のネット記事に「毎日が発見ネット」〈平時には必要だが、旅に出る時にはいらない。「習慣化と脱習慣」/岸見一郎「生活の哲学」〉の記事がある。その最後に〈出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味うことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである」(『人生論ノート』三木清〉とある。

 さらに〈毎日、通勤している人は今日はどこへ出かけようと考えない。そのような日常は安定しているが、旅に出ることは安定した関係を脱することである。そして、人生は──旅である」(『人生論ノート』三木清)〉と文を結ぶ。

 この「人生は――旅である」に魅せられる。三木清の『人生論ノート』(角川書店、昭和49年初版)は家にあると思って探すとあった、20代に買った「日本教養全集」の1巻に収めてある。全18巻からなる全集だがすべてを読みつくしていない。たとえ読んだとしても若い頃と今とでは同じ本でも読み方が違ってくる。再度、40数年振りに『人生論ノート』の「旅について」を読む。家の中で半世紀近くも眠ったままの本を読むとその内容は色褪せることがない。

 本と言えば昨日の地元紙に鎌田慧が「忘れ得ぬ言葉」として色川大吉の『わたしの世界辺境周遊記』を取り上げている。この本が読みたい気持ちに駆られて図書館蔵書を探すが見つからない。この本を図書館にリクエストしよう。

 大寒とはいえ今季は今のところ我が家のオリーブ油が固まるほど寒くない。年に一度、この時季、お寺から寒行に参られる。以前は団扇太鼓を鳴らしてお上人や信者さんたちが集団で寒行をされていた。ところが昨日、寒行に参られたのはお上人だけだ。コロナ禍を考慮して一人で寒行をされているのだろうか。玄関に立つお上人を見て思わず「お上人さん?」と念を押してしまった。「そうです」とお上人。マスクの姿の顔は誰だかわからない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月21日金曜日

「橳」は国字

 昨日の地元紙の識者評論欄に橳島次郎の記事がある。橳島という名の「橳(ぬで)」は初めて知る文字だ。この字は木篇に勝がつく。(めずらしい名前)、と思って電子辞書に収めてある「新漢語林」で調べる。〈ぬで。橳島は群馬県前橋市の地名。「木+勝」はぬるで(ぬで)の別名、かちのきの「かち」を勝ちで表し、しかも、「ぬで」と読ませる国字〉とある。

 さらにネットで調べると〈橳島(ぬでしま、ぬでじま)、橳嶋(ぬでしま、ぬでじま、ぬてじま)、橳嶌(ぬでしま)は、日本の地名、日本人の姓。難読で知られ、橳は国字であるが、JIS基本漢字に未収録だったことから環境依存文字となり、ひらがな表記も多かった。後にJIS X 0213では収録された〉ともある。

 この国字が気になりさらに国字の数も気になる。ネットで国字を検索すると〈「漢字辞典」on-line〉に掲載がある。それによると「国字とは日本で作られた漢字のことで、和字・和製漢字などとも呼ばれます。国字かどうかの判断は辞書・辞典によって異なり、明確に定義されてはいません」とある。国字の数も定かではないのかもしれない。

 それにしても聞いたこともない知らない文字が多すぎる。これは文字だけでなく何事においてもそうだが……。

 昨夕、電気屋からベランダの屋根の工事の見積書を受け取る。工事をする人たちは県北からやってくる。大寒のこの時季、雪で市内まで来れないのでは?と問うと毎日市内に来るそうだ。近いうち、工事になるとか。年末に屋根の工事が終わり年始はベランダの屋根の取り換えが始まる。

 これが終われば、さあ何処かへ遊びに、となればいいのだが連日、コロナ新規感染者が過去最多を更新している。昨日の新規感染者は1569人。昨日から院展が始まったというのにこれほど感染者が増えては市内まで出て院展を見る気持ちになれない。しばらく様子を見てからにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月20日木曜日

1枚の葉書から

 大手旅行社であるJ〇Bからハガキが届く。葉書裏面を見ると「閉店のご挨拶」とある。(ああ、ついに閉店か、道理でパンフが来ないよね)と、かなり残念な気持ちになる。葉書の内容は今月末をもって広島支店閉店とあり、今後は「大阪の西日本販売部、および東京本社より、海外旅行商品を中心にご案内させていたたくことになりました」とある。これを読んで(もう海外旅行はするな)と、言われたような気持になる。もしかしたら福岡も閉店になっているのかもしれない。

 近鉄関係のクラブツーリズムは11月の日帰り旅で添乗員から昨年3月をもって広島を閉じたと聞いた。その時はまだJ〇B があると思ってそれほどがっかりしなかった。が、今回のこの知らせはかなり衝撃的なニュースである。広島には他にも旅行社はあるがJ〇Bほど利用したことがない。ましてや旅行社の名を聞いただけで拒否反応が出そうになる会社もある。

 今はコロナ禍で旅行どころではないが、それでもコロナが収束すれば、また海外に行ける、と淡い期待を抱いていた。その夢が壊れつつある。しかし、こうなったら(何が何でも何歳になろうとも、もう1回いや、何回も海外に行くぞ)、と気合を込めて元気でいなくてはいけない。

 昨日、直木賞受賞者が発表された。その中に今村翔吾がいる。(この名前、聞いたことがある)と、思って年賀状を確認。旅で知り合った人からの今年の年賀状に「今村翔吾さんと会いました」とある。今村翔吾の本は読んだことがないが司馬作品の合間に読んでみよう。

 旅で知り合った人といって、年賀状を再度見直す。海外旅行の良き時代に知り合った人から今年も年賀状をいただく。今はペルー、パキスタン、チベット、シルクロード、スリランカの旅で知り合った人たちになったが、どの人たちとも長い付き合いになっている。他にもたくさんの人たちと知り合ったが既にこの世におられない。先ほどの今村氏と会ったという人とはパキスタンの旅で知り合った。もう33年前のことになる。この人たちを見ると皆さん、辺境の地で知り合っている。そのほとんどの旅先でただ一人高山病にかかった。が、厳しい環境の旅の道中、皆さん、いい人たちばかりで本当に楽しい旅だった。

 ペルーの旅で知り合った人たちはツアー同士がその後、結婚されて今は中学生の一男のパパとママになられている。毎年、写真入りの年賀状を送ってもらい子供さんの成長ぶりがよくわかる。チベットで知り合った人は年齢を経て今年の賀状で終わりにするそうだ。シルクロードの人は体が弱っておられるようなのに年賀状を書いてくださる。スリランカの旅は宮崎のお坊さんで一昨年の賀状には体が壊れたと書いてあったが今年のはコロナが収束すれば〆の仏跡巡りに行きたい、と書かれている。

 またいつかきっと楽しい旅に出られることを待ちわびて、気合を入れて頑張れ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月19日水曜日

近所の同級生と出くわす

 東京に住む姪から写メールが届く。今年もさっそく和歌山のアドベンチャーワールドにパンダ詣でをしたという。なんと3泊4日の旅だそうだ。新年は上野動物園のパンダ詣でだったようだが、双子パンダはまだ見ていないという。コロナ禍前までは四川省まで出かけてのパンダ詣でだったが今はコロナ禍で海外へ行かれない。そのぶん国内で、となるのだろう。何でもいいから夢中になれるものがあるのは幸せなことだ。

 昨日は母の月命日。お天気も悪く寒い日だったがお昼前になってお墓参り、となった。ところが家の前で小・中・高校時代の友だちと出くわす。この人とは3日前にもバッタリ会っている。1年以上、会う機会がなかったにも関わらず会うときはよく出会う。以前、会ったのは土曜日の日本画教室の帰りにJR到着駅で出会っていた。最近会わないと思っていた矢先の出会いだった。聞くところによると以前はパート勤務だったが今は週2日フルタイムで働いているという。

 勤めを辞めてこの夏で丸20年になる。友だちはまだ現役で働いているとは恐れ入る。ただ、遊ぶことばかり考えているモノとの違いは大きい。と言いながらも生き方は人それぞれ。何がよくて何が悪いとはだれも言い切れない。人それぞれ思うように生きていけばいい。それも楽しく元気で生きられたらもうそれで最高の生き方になる。それには好きなモノ・コト・ヒトが大事になる。姪のパンダ好きもこれはこれで楽しいに違いない。

 友だちと長い話の後、お墓参りを忘れないようにとくぎを刺される。(毎月のお墓参りは来月で丸11年になる)と話す。が、その間、参る日は多少ずれても欠かしたことはない。

 こうやって元気で呑気に暮らせるのも親のおかげがあるかもしれない。(大丈夫、元気でやってるよ)、と墓前に報告はしないがきっと両親はわかってくれるはず。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月18日火曜日

「ミチクサが多いほうが、人生は面白い!」

  YOU TUBE先生はブログのタイトルに「トロヴァトーレを選んだ事がその後の人生に繋がるはず」と書いている。この意味がさっぱり分からずネットで調べる。まずはトロヴァトーレを検索する。どうもオペラの中でのことのようだが、いまだにはっきりと意味がつかめずにいる。

 話は変わって先日のネット記事に伊集院静の夏目漱石を著した『ミチクサ先生』がある。この記事とは全く関係ないが御両人とは誕生日が同じだ。先日、ネット記事に夏目漱石の『私の個人主義』の話題があった。早速、手もとにある電子辞書に収めてある「日本文学1000作品」から『私の個人主義』を読む。その後に夏目漱石についてウキペディアを見ると同じ誕生日だった。

 講談社のbook倶楽部を見ると以下のような『ミチクサ先生』の紹介記事がある。

★ミチクサが多いほうが、人生は面白い!てっぺんには裏から登ったって、足を滑らせたっていい。あちこちぶつかったほうが道は拓ける。夏目家の「恥かきっ子」金之助は生まれてすぐに里子に出されたり、年老いた父親にガラクタ扱いされながらも、道楽者の祖父の影響で子供ながらに寄席や芝居小屋に入り浸る。学校では異例の飛び級で頭角をあらわし、心のおもむくままにミチクサをして学校を転々とするように。その才能に気付いた兄に英語を仕込まれ、東京大学予備門に一番で合格した金之助は、そこで生涯の友となる正岡子規と運命の出逢いを果たす――。伊集院静がずっと共鳴し、いつか書きたかった夏目“漱石”金之助の青春「日経新聞」大人気連載、待望の書籍化!

 自分自身を振り返えるとミチクサだらけの人生だ。ひらめくままにすぐに飛びついて本来の目的から外れることがある。これも自分が選んだ道。自分自身に正直に生きようと思えば頭を過るモノ・コト・ヒトがあればそのまま突き進む。こうして思いつくままに生きている。これはこれからずっと死ぬまで変わりそうもない。「ミチクサが多いほうが、人生は面白い!」そうだが、これも一人で生きているから出来ること?!まあ、どうであれやりたいことをせずして悔やむよりはミチクサを食って回り道しても人生、楽しい方がいいよね。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月17日月曜日

「ゆったり温泉ひとり旅~冬・東北編~」を見る

 先週の土曜日、番組のタイトルに惹かれてテレビを見る。それは「いつもよりのんびりと、全国各地の名湯・秘湯へ二泊三日のひとり旅♪」の「ゆったり温泉ひとり旅~冬・東北編~」である。コロナ禍でちょっとそこまで行ってくる、とはいいがたい世の中になった。こんな時に見る旅番組で旅に出かけた気持ちになる?!

 番組HPによると「全国にある魅力的な温泉地の数々。いざ旅行で訪ねても、限られた時間のなかで、駆け足で回る人も多いのではないでしょうか。そんなあなたに、ゆったりとした時間のなかで、温泉地本来の魅力を味わいつくすひとり旅をご紹介します」とある。そして今回の舞台は、冬の東北。

 旅は一人旅でなくツアーに一人参加することが多い、その旅も特に温泉好きとはいえない。宿に大浴場があると何度もお湯につかる人がいる。が、いくら立派な宿であっても何度もお湯に入る気が起きない。とくに朝風呂は入る気がしない。それでもテレビで見る雪の温泉宿は風情がある。

 ずいぶん前に旅を兼ねて各地の演奏会に出かけたことがある。一人でやっと行動し始めたころだ。高松に志度ホールがある。フルートの神様であるランパルの演奏会に出かけた。その日の宿をホテルでなく旅館にした。一人旅初心者は旅館に泊まってはいけない、とつくづく感じた。旅館はホテルのよう気楽さがない。それ以降、一人での旅はホテルに限ると悟る。

 雪の温泉宿の番組を見ていると宿は旅館だ。それも一人旅だ。今までの自分の思いはもしかして間違っているかもしれないと思い始める。何はともあれ、コロナが収まり旅が再開されれば温泉巡りも楽しいかもしれない。というか温泉=美味しい料理がいいのかもしれない。が、今は連日、新規感染者の数が過去最多を記録する。昨日の県内の感染者は1280人。安心して楽しめる旅はいつになる?!その日が来るのが待ち遠しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月16日日曜日

メディアに惑わされないように

 朝起きて飛び込んでくるニュース。それはトンガの火山島で大規模な噴火が発生し、岩手県に津波警報が出ている。また全国的にも津波の避難を呼びかける注意報も出ている。本当にいつ何が起こるかわからな時代になった。広島県の1日のコロナ新規感染者はついに1000人を超えて1212人になった。感染はさらに速度を増して勢いは収まりそうにない。こんな不安な時代になるとメディアを賑わす記事もいい記事はない。

 東京では自暴自棄になったと思われる高校生が共通テストの会場付近で見知らぬ受験生を3人斬りつけている。世の中や人生が嫌になったといって他人に被害を及ぼす事件が多すぎる。世を憂う気持ちがわからないわけではないがそれにしても他人を道連れにするとは卑怯としか思えない。

 なるべく嫌なニュースや記事は目に触れないようにしている。これもすべては自分を護るため。嫌な記事やニュースで自分自身の気持ちが一喜一憂するのが怖い。それでなくても感受性が強い。なるべく楽しい話題を見つけて生活する。これしか自分を護る術はなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月15日土曜日

次に描く絵は?

 本来ならば土曜日は日本画教室の日。だが、まん延防止適用でこの先の教室再開はどうなるか怪しい限り。そう思いながらも先週先生に写真を見てもらって次に描く絵を決める。候補として以下の3点になった。というか、この3点は描く時期は違ってもすべてを本画にするつもりでいる。

 2、3年くらい前から樹木を描いている。これまで描いた樹木や風景は2018年に出かけた信州の旅で写した絵からその大半を描いている。3枚のうちの1枚も信州の写真からになる。

 日本画は木製パネルに鳥の子紙などを貼って描く。また木製パネルは紙一枚と違って厚さはあるが重さはそれほどでもない。ただ、年に数枚も描けなくても習っていると絵が溜まってくる。あまりものを溜めたくない気持ちが昂じて絵を習い始めたころに描いた気に入らない絵を地塗りしなおして描くようになった。とはいっても苦手意識しかなかった絵なので再利用するパネルはよく考えて決めている。

 絵にする写真を見ると無性に旅に行きたくなる。あの、何も考えず次々と旅の予定を立てていた頃が今となってはまるで夢の世界のように思える。いつになったら、その日がやってくるのか今は全く予想がつかない。たとえ旅が再開となってもマスクをせずに無邪気になって笑って食べて飲んで楽しむ旅はやってくるのだろうか。ましてや海外の旅となるともっと考えられない。とりあえずは今日の事だけを考えよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 2016年11月 雷山千如寺大悲王院の樹齢400年の楓の木
2019年6月 功山寺
2018年5月 戸隠神社への道

2022年1月14日金曜日

「黒い瞳のナタリー」を覚えよう

 連日メディアを賑わすオミクロン株。昨日の広島県内の感染者は805人と過去最多を記録した。このままいけば一日3000人の感染者になるのももうすぐらしい。オミクロン、オミクロン、とまるで何か楽しいキーワードのようにメディアで取り上げる。これを聴く側にとっては(もう聞きたくない)気持ちになってくる。もっと楽しい明るい話題はないのだろうか。

 今朝は今季一番とも思えるほど冷たい。屋根を見るとうっすらと雪が降っている。ただ、日差しがあるのでその点は救われる。朝からぶつぶつ言っても体に悪いだけだ。気を取り直して……。

 「黒い瞳のナタリー」を覚えよう、とやっと重い腰を上げる。昨夜はこの1番の歌詞(スペイン語)をノートに記す。メロディーが判っているので覚える、と覚悟を決めれば割と早く暗唱できそうだ。暗唱といえば毎日、「ケ・セラ・セラ」「その名はフジヤマ」「夜来香」とその国の言葉で歌っている。一日でも歌わなければ忘れそうな気がするので毎日歌う。何かにのぼせると飽きもせずに同じことを繰り返す。これは歌もそうだがフルートで吹くピアソラの曲、司馬作品を読む、樹木の絵を描くなどあり、他に食べ物も気に入れば何日も同じものを食べてもいい。が、食べ物はそのうち飽きてくる。水泳も同じことの繰り返しになるかもしれない。こうしてあることに目覚めると長続きする。これもいいのか悪いのかわからないがのぼせると長続きするのはそういう癖かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月13日木曜日

「リベルタンゴ」は「かばん語」


 何を思ったかフルートで「リベルタンゴ」(Libertango)を練習している。この曲はピアソラ曲集に5曲あるうちの1曲。20年くらい前にさらったはずの曲なのにリズミカルに吹けない。この曲が思うように吹けるまで練習し、その後はピアソラ曲集の残り4曲を練習するつもりでいる。

 練習していて「リベルタンゴ」とはどういう意味かを知りたくなる。先ほどウイキペディアで調べると「アストル・ピアソラ作曲のタンゴの楽曲。1974年発表の作品。Libertangoという単語は、libertad(自由)とtango(タンゴ)と合わせて作ったかばん語である。ファン・ペロンが大統領に返り咲くようなアルゼンチンの雰囲気に嫌気をさして、イタリアで演奏活動していたときの作品である」とある。

 このなかの「かばん語」が判らずさらにネットで調べる。「かばん語(かばんご、portmanteau word)または混成語(こんせいご、blend)とは、複数の語のそれぞれの一部を組み合わせて作られた語。混合語、混交語、または合成語とも呼ばれる。合成語と似ているが、合成語が語の語基を完全に保って2語を組み合わせたものであるのに対し、かばん語は語の一部分同士を組み合わせる点で異なる」とある。

 リベルタンゴの意味はわかった。YOU TUBEでこの曲のフルート演奏を探すと手もとにある楽譜と同じのがあった。曲の速度もこれまでアップした動画よりも遅い感じで練習しやすい。
 
 まだまだ寒い日が続く。大寒ももうすぐやってくる。県内のオミクロン株は連日600人超えで衰え知らずだ。こんな日には家でおとなしく笛を吹く!?運動不足にならないように寒くても一日一回は外に出よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月12日水曜日

朗報?!

 今朝の地元紙によると岩国基地で酒類の提供は継続されており広島県の要請は効力を発揮していないとある。岩国市は山口県に属するが広島県西部と隣接しており広島市とも近い。感染者が減る気配は見えずコロナは衰え知らずだ。これでは何年経ってもどこへも行けそうにない、昨年更新したパスポートは幻のパスポートになりつつある。

 そんな矢先、昨日はちょっぴり朗報が届く。土曜日の郵便が配達されなくなり、月曜日が振り替え休日などの休みになると郵便物の届くのが遅い。昨日、関西の大手旅行社から旅のパンフが届く。まん延防止適用のこの時期、旅の情報誌を見ても何か白々しい。他にも届いたものがある。それは宮崎のお坊さんからの年賀状である。賀状の裏面を見ると「賀正 コロナがおさまったらもう一度、〆の仏跡行きたいです?!」と筆で書かれている。お元気になられたようだ。

 言われてみればこれまで3回のお坊さんたちとの旅は仏跡巡りだった。スリランカの旅で知り合って、その後にインドネシアのボロブドール遺跡、タイのスコターイ遺跡である。スコターイ遺跡は宮崎のお坊さんが九州のお寺全体の世話人をされていた関係でいろんな宗派のお坊さんたちとの旅だった。個人的には信心深くないのでお経も全く覚えていない。せめて般若心経くらいは覚えて、と思うこともあるが覚える気が全くない。

 お経といえば母が元気なころは父の月命日にお寺さんに参ってもらっていた。当時は勤めていたので月命日にお寺さんと会うことはなかった。母はお寺さんが参られるたびに一緒にお経を詠んでいたようで何か所かのお経を覚えていた。母に覚えるようにと諭されたことがある。が、覚えずにいる。

 新年に届いた年賀状でお世話になった若い先生の賀状がある。大阪の2つの公立大学が統合するらしく、4月までバタバタ続きとある。昨年の賀状には30年続けてきた海外でのフィールドワークがコロナで初めて行かれなかった、とあった。先生が初めて赴任された北海道大学にアジア塾生4人で訪問した再会から20年くらい経つ。立派になられた。そういえば昨日の郵便物にはアジア塾で学んだ人からの寒中見舞いもある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2022年1月11日火曜日

〈こころの時代~宗教・人生~ 選「100年のアトリエ 画家・野見山暁治」〉を見る

 我が家のテレビは録画機能がついていない。そのため早朝や夜遅くのリアルタイムの番組を見る機会がなかった。ところがそれもNHKプラスの見逃し配信やTVerで四六時中、観ることができる。

 先日の日本画教室で先生と絵を習っている仲間の1人にスマホで閲覧可能と教えてあげるとすぐに設定されていた。日中はほとんどテレビを見ない。が、パソコンでNHKプラスのプレイリストを検索すると早朝や深夜にいい番組をやっている。昨日はその中からNHKプラスで見つけた〈こころの時代~宗教・人生~ 選「100年のアトリエ 画家・野見山暁治」〉を見た。

 番組HPによると「野見山暁治さんはひょうひょうと激動の人生を語る。福岡の炭鉱での少年時代。戦争で断ち切られた東京美術学校での青春。戦後パリ留学を果たすもそこで妻と死別。帰国後、戦争で生き残ったしょく罪のように戦没画学生の遺作の収集に奔走した。融通無碍なその絵に似て野見山さんの言葉は、時に聞く人を煙に巻きながら何にも寄りかからないたたずまいを伝える。絵だけがあった100年に今さら気負いはないが今だから見える風景もある」とある。
 
 元気に長生きされて第一線で活躍されている人の生き方に関心がある。放送の後半にパリで知り合った椎名其二と交わしたやり取りを回想するシーンがある。椎名さんは「若い時は世の中を寂しいと思った」、「歳をとってきたら寂しさが変わってきた」、「この宇宙は寂しいものだと思うようになった」、「自分が寂しいのと宇宙が寂しいのは違う」、「もっと人が長生きするだけ生きてどのように寂しさが移り変わっていくかそれを見てみたい」、「苦しいとか体が辛いというのもどういうものか見極めてみたい」、「せっかく生まれてきたのだからみんな知って死にたい」などと話されたそうだ。

 これを聞いて野見山は「これからはどんなに辛くてもどんどんどんどん辛くなくなってきた、楽天的になってきた、ああみんな、芝居の脚本通りじゃないか」と思ったという。そして「栄光やお金はこの世のものだからね」、「この世を去る人はこの世のそういう物はなにもああここはこの世の事だったんだなと思う」、「たとえ自分が好きだったものがあっても自分の方から消えるから何一つ自分のものはない」と話す。そして番組の最後で「僕はケチだから頂いた命、容易には離さない」という。長生きする人は生きる気合が凡人とはまるで違う。

 年を取るにつれて「楽天的になってきた」の件は100歳過ぎの足元に到底及ばないが、自分自身、そう実感する。2人の奥さんはともに病死され、今は一人暮らし。ただ毎日お手伝いさんと秘書が通ってくるという。今年102歳になられる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月10日月曜日

『国家・宗教・日本人』

 小寒が過ぎてもうすぐ大寒がやってくる。大寒とは名ばかりなのか新年になって暖かい日が続く。寒いより暖かい方がいいが、どういってもよくないものにコロナがある。昨日の広島県の新規感染者は619人とまたも過去最多を更新した。そのうち市内の感染者は400人余りとこれまた最多である。

 コロナの新規感染者を一喜一憂してもなにもいいことにはならないがそうとわかっていても気になるコロナ。世の中、科学がいくら発達しても、またノーベル賞を取るような偉い人たちがたくさんいても目に見えない生き物に皆、振り回されている。いつになったら世の中は落ち着くのだろう、と先を訝ってもいいことにはならない。目の前の一日を元気で楽しく過ごす以外に方法はなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は師走に読んだ『国家・宗教・日本人』(司馬遼太郎・井上ひさし 講談社、1999年)から初めて知ったキーワードを太字で羅列した。その意味は()で記す。

★いまはもうこの五体の内がひからびて、リビドーの支えがなくなって、カラカラ音がしている。(精神分析用語)(10p)

★室町末期から戦国時代初頭に倭寇がおこって、一時期、上海の南の舟山(しゅうざん)群島を二十年ほど……。(中国浙江省北東部、東シナ海にあるある群島)(10-11p)

俊寛僧都(そうず)のように。(平安末期の真言宗の僧)(11p)

★参謀本部の暴走を招いたということを「鬼胎」という言葉で書かれたように。(心配すること)(48p)

★天に二日ないがごとく地に二王なしという意味での絶対であって、西洋哲学やカトリックのアプソリューションではないわけです。(許し)(55p)

★たくさんの苦患(くげん)を味わう(地獄に落ちて受ける苦しみ)(61p)

練袂(れんべい)辞職(行動をともにすること)(65p)

★ああ、漢字の「谷」というのは、本来ヤトなんだと。(やと(谷))(76p)

★うちのやと(谷)にもやぐら(窟)がふたつあります。……窟というのは位の高い武士や坊さんを葬るところですが、まだ生きているうちに運ばれて、窟の中で息を引き取るんだそうですね。(77p)

マザータング (母語)(95p)

靺鞨(まっかつ)(中国、隋・唐の時代に中国東北部から朝鮮半島北部に住んでいたツングース系諸族の中国側からの呼び名)(80p)

アウフヘーベン(ヘーゲル弁証法の基本概念の一)(100p)

俚耳(りじ)(世間の人々の耳)(108p)

没義道(もぎどう)(非人情)(109)

驥尾(きび)に付す(すぐれた人に従っていけば何かは成しとげられる)(125p)

★広島の衛戍病院(えいじゅびょういん)(陸軍病院の旧称)(126p)

萎靡沈滞(いびちんたい)(活気がなく、動きが衰え、勢いがなくなること)(130p)

然諾(ぜんだく)(引き受けること)(131p)

「乃公(だいこう)出でずんば」(他のものに何ができるのか、我が輩が出なければならないの意)(133p)

★ファナティシズム (狂信)(160p)

2022年1月9日日曜日

またもまん延防止適用に

  昨日は新年初の日本画教室の日。家を出ると立ち話中の民生委員2人と出くわす。「どこへ?」と聞かれて「絵を習いに……」と話した。すると「まん延防止になるから確認して出かけては?」と諭される。先生から何も連絡なく気にも留めずに教室へ行く。

 久々に絵の人に会う。描いている絵は信州・鬼無里(きなさ)に出かけた際に写した山へと入る道の風景である。まだまだこの絵の完成はないと思っていた。ところが何度目かの彩色を樹木に施していると先生は昨日で絵を仕上げよう、と話される。ゆっくり描けばいいと思っていた。が、何とか絵は完成となる。

 (次は何の絵を描こうか)と思いながら旅先で写した写真10数枚を先生に見てもらう。その中から3枚の写真を絵にするようにと先生。いずれも樹木の写真だ。

 完成した絵を教室の人にも見てもらう。先生の口から出るのは相変わらず点描写のことばかり。全く何も描けなかったモノを(点描写で……)、と描くように教えてもらって以降、少しずつ絵が描けるようになった。どういっても走るのは遅いが点描写で描く手の動きは誰よりも早いらしい。

 完成した絵は教室に置いたままだ。教室を出ると受付で次回からの教室は休みになると知らされる。(またも教室が休みになる)、と思いながら皆で近くのカフェに入る。今年はもうコロナに振り回されずに済むと思った矢先のまん延防止適用。何度も何度も同じことの繰り返しが続く。いつになったら落ち着いた世の中になるのだろう。今日からすべての市内の施設が使えなくなった。以前の緊急事態よりも厳しい。

 今日の最高気温は13度と暖かくなる予想だがまん延防止適用で外は静かだ。みな家でおとなしく過ごすのだろうか。なお、昨日の広島県のコロナ新規感染者は過去最多の547人。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月8日土曜日

『新装版 播磨灘物語(四)』

  広島県内の新型コロナ新規感染者は過去最多となる439人だった。倍々とまでには至らないがそれに近い感染者が出ている。これから先どうなっていくのだろう、との不安が増してゆく。先々を気にしていても仕方ない。自分が感染しないことを心掛けて生活するしかなさそうだ。

 司馬作品を読み始めて丸3年が過ぎた。新たな年も相変わらず司馬作品で明け暮れそうだ。以下は師走に読んだ『新装版 播磨灘物語(四)』(司馬遼太郎 講談社、2014年第36刷)から気になる箇所を抜粋。今は徳川家康を題材にした『覇王の家(上)』を読んでいる。この先も生きている限りは司馬遼太郎の全作品読破を目指そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★官兵衛の好奇心は、キリスト教の宇宙論に感動して洗礼をうけたり、またキリスト教の神符がもたらす世界像への好奇心に駆られて、堺や京の教会へ出入りしたりした。そのとき、織田氏という組織といい運動律といい統一へのつよい目的性といい、何もかも播州の旧勢力と異なった新しい勢力の擡頭につよい好奇心をむけ、ついには主の小寺氏を当時、地理的にまで遠い存在だった織田氏にひき入れようとした。誰から頼まれたわけでもなかった。それがために旧主には裏切られ、かれは伊丹の牢に入れられて生きているのがふしぎなほどの目に遭ったが、それでもその運命の出発点である自分の好奇心の強さにすこしも後悔していない。(60-61p)

★信長はつねづね秀吉の気象を大気者などとよんで賞でていたが、あるいは秀吉を大気者に仕立てたのも信長であるかもしれなかった。秀吉は、信長が、その家来に期待する特性が何であるかをよく知っていた。信長は家来の欲深をもっともきらったが、秀吉はそれを心得てふるまっていた。秀吉がいままでやってきたことは、かれが働いて獲た果実はすべて信長に捧げてきたということである。……その後の秀吉も、墨股でのやりかたで働き、信長にのみ儲けさせ、みずから私有するところはきわめて薄かった。信長が秀吉を大気者とよんだのは、多分に信長がつくりあげたものであるといっていい。(166-167p)

★(そのときは、そのときのことだ)人間はそれ以上のことを考えても甲斐はない。官兵衛は、そう思った。(184p)

★秀吉には、信長同様、宗教心というものがほとんどなく、どの宗旨にも、宗義に対する関心などはなかった。ただ法華の徒は、賑やかでよかった。かれらが南無妙法蓮華経と大声で唱えまわる景色というのは、例えば南無阿弥陀仏をとなえることで内向的に滅入りこんでゆく感じに対し、自分の内部を忘れるほどに外交的で、それが集団になれば、鼓を打ち鉦を討ち、声を張り上げて動き回り、なんともいえず陽気になる。(あれをやらせよう)と、秀吉は考えている。むろん、信長への供養は、いわば名目のようなものであった。(232p)

★慶長五年九月におこる関ヶ原の戦いは、内実からいえば豊臣家両派の諸将のあらそいであり、家康はその一方に乗ることによって自然の勝利を得たともいえる。なおその意味では、家康の側――というより徳川政権の樹立――という側からいえば黒田長政の功績ははかり知れぬほど大きい。もし関ヶ原前夜に黒田長政という、鉄色の顔色と一見農夫のような朴訥さをもった策士が存在しなかったら、反石田三成党があれほど強く政党として結束することもなかったであろうし、その反石田三成党があれほどあざやかに家康党として転化されてゆくということもなかったであろう。長政という、およそ非策士的な男にこれをさせたのは、如水である。(345p)

★如水は、その天才的な才幹を秀吉という他人の運命を画布にして描いてきた。一種の芸術的欲求をそれで充足しえたということで如水は官兵衛の昔から吹っ切れてはいたが、しかしそれを、かれの晩年に、自分自身を賭けることで使ってみようした。だが、無駄働きに了った。(そういうものだ)というあきらめのよさは、如水においては、うそのようにみごとであった。(354-355p)

★家康は、如水の弧の長政に酬いた。長政を、豊前中津十数万石から筑前五十二万三千石に引きあげた。藩都を博多のそばに設け、如水の指示で、黒田家発祥の地である備前福岡の地名を記念し、福岡と名づけた。(356p)

2022年1月7日金曜日

「ヶ・セラ・セラ」

 科学が発達して民間人が宇宙旅行のできる時代になった。いくら科学が発達したとはいえ、目に見えぬウイルスという化け物に人々は振り回されている。広島県の昨日の新型コロナ感染者は273人と猛スピードで増えている。県知事によるとこのままいけばあと10数日で1日の感染者が8000人になるとか。

 じっと我慢の限界を越えそうになるころ新規感染者が減少し、そのたびに気持ちが緩んで再度感染者が増大する。この繰り返しで第6波が予想される。緊急事態宣言中やまん延防止の期間中は家でおとなしくしていると話す機会が減少する。これではいけないと思いついたのが「ケ・セラ・セラ」を英語歌詞で覚えて暗唱することだった。この歌を覚えると次にひらめいた「その名はフジヤマ」をスペイン語歌詞で暗唱する。それも覚えるとさらにひらめいた「夜来香」を中国語簡体字歌詞で暗唱する。この3曲を毎日飽きもせず歌っている。これは声を出す習慣になるし頭の体操にもなる。

 今朝のネット情報によると〈毎日40分の散歩で脳の海馬の体積が増え記憶力が向上する【科学で証明!本当に信用できるストレス解消法】〉の記事がある。毎日40分の散歩、とまではっきりと「散歩」に限定していないがスーパーへの買い物に歩いて出かけている。40分もかからないがコロナ禍前の自転車での移動を思うと歩いての移動はいい気分転換になる。

 第6波到来となればまたも自粛生活を強いられそうだ。せっかく収まりかけたコロナもこの様子だといつ収束するか予想できない。自分で工夫して家の中での楽しみを見つけて体を動かし、頭を働かすしかなさそうだ。さあ。今日もまずは「ヶ・セラ・セラ」を歌って……。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月6日木曜日

年末年始の暇つぶしに

 広島県のコロナ新規感染者は急激に増えて昨日は138人になった。今朝の地元紙を見ると沖縄、山口、広島県はまん延防止措置要請とある。4日、岩国在住の友だちと電話で話した際、昨年、岩国に新たなカフェができたとのこと。そこにたむろするのは岩国基地の米兵だそうだ。カフェの外にもテーブルなどがあり、どの人もマスクなしでいるという。

 岩国は山口県であっても広島県に隣接している。米兵やその家族たちの生活圏は広島市内になるはずと思われる。というのも新聞によると基地内にとどまるのが原則であっても生活物資の買い物などは基地内から広島市内に出てもいいらしい。これでは広島市内の感染者が急激に増えるのもうなづける。

 我が家は広島市内だが、ほぼ隣町に住んでいるのと同じくらい隣接している。その町には新規感染者が13人出ている。今日は隣町にあるプールへ、と思ったがこれほど1つの町で感染者が出ると怖くて泳ぎに行けない。

 ぶつぶつ朝から言うのは体に良くない。気を取り直して年末年始の暇つぶしに頭を過ったことを記そう。

・旅行社から大晦日に届いた旅のパンフを見て4月の旅を申し込もうとした。が、今の状況では厳しいものがある。しばらく様子を見ることにしよう。

・かなり前に「黒い瞳のナタリー」を動画で見てスペイン語の歌詞で覚えようとしたが達成できずにいる。今年は昨年秋に覚えた英語歌詞の「ケ・セラ・セラ」、スペイン語歌詞の「その名はフジヤマ」、中国語簡体字歌詞の「夜来香」に続いて、何が何でもスペイン語歌詞の「黒い瞳のナタリー」を覚えよう。 朝からこの3曲を歌い、気合を入れて1日が始まる。「黒い瞳のナタリー」は曲自体をあまり知らないのでパソコンからICレコーダに録音し、それをくり返し聞いて暗唱できるまで歌うしかない。まずはノートにスペイン語の歌詞を書いて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月5日水曜日

NHK特集「永平寺」を見る

 昨夕のBSでNHK特集「永平寺」を放送していた。永平寺は何度か放送されている。が、午後6時台の番組であり、しかもBSでの放送だ。もしかして再放送?と思って見ているとテレビ画面の両横にNHK特集、永平寺、1977年放送とある。一目見た限りでは45年前の再放送とは思えないほどのきれいな映像だった。

 永平寺、と言って思い出す。今から9年前(2013年)の2月、親を亡くした3年目にスリランカの旅に1人で参加した。福岡空港からスリランカまでは2度のトランジットを経て16時間かかってやっとコロンボに到着する。1度目のトランジット後から現地到着までの長時間、機内の近い席に永平寺で修業された宮崎、長崎、小倉のお坊さんたちが座られた。すぐ横に座られたのは宮崎のお坊さん。すぐにはお坊さんとは気づかずにお話していた。

 親を亡くして3回忌を終えてすぐの旅だった。が、機内でお話しするうち、涙がとめどもなく流れ出す。途中からご自身の話からお坊さんと分かった。それも永平寺で修業されたお坊さんだ。永平寺へは若い頃、1度出かけたことがあった。厳しい修行で知られた曹洞宗の本山である。そこで修業されている、と知って関心を抱いてお話した。

 飛行機を降りるとき、めそめそするのを危惧されたのかご自分がされていた竜が珠をくわえた水晶の腕輪念珠を下さった。「元気で頑張れよ」、と励ましてくださったのだろう。旅の最初に知り合った3人のお坊さんたちとはスリランカの旅の間中もそれからもよくしていただいた。この旅から帰っても何度か海外や国内の旅に誘われた。そのうち、インドネシアとタイの旅に同行した。どれも楽しかった。トルコ、ミャンマーなども誘われたが1度行ったことがあったので同行せずじまいになる。国内の旅では永平寺に誘われた.が、これは旅の日程など合わず、行かずじまいになった。旅から帰って以降もお寺の情報紙やご自分の著書などを送ってくださった。が、2年前から3人のお坊さんたちは体を壊されている。

 昨夕、いろんな気持ちを込めて45年前の再放送を見た。番組HPによると「福井県にある吉祥山永平寺は、道元禅師(1200-1253)により開かれた曹洞宗の大本山で、参禅道場である。道元は修行を『只管打坐』(しかんたざ=ただひたすらに座ること)と説き、日々の生活一つ一つが修行だと教えた。番組では山内にカメラを持ち込み、厳しい寒さの中で修行を続ける雲水の姿を中心に、永平寺の冬を紹介。1977年(昭和52年)第29回イタリア賞(ドキュメンタリー部門)を受賞」とある。

 さらに別のHPには「吉祥山永平寺は、1244年に道元禅師によって開創された雲水の修行道場であり、150人の若い修行僧たちが黙々と修行に励む。禅の修行はただ坐禅だけではない。食事の作法や廊下の歩き方、風呂や便所の使い方、蒲団の敷き方など朝起きてから寝るまでのすべてが修行である。そして、月に2回の禅問答。雪にかこまれ氷点下10度を下回る寒さの永平寺の冬、午前4時半から午後9時まで修行に明け暮れる若き雲水たちを追う」ともある。

 マイナス10度の厳寒の中、はだしで修業に励むお坊さんたち。テレビを見ていてスリランカで知り合ったお坊さんたちもこうやって修行されたのかと思うと頭が下がる。知り合ったお坊さんたち3人はほぼ同世代を生きている。コロナ禍のこの時代、もう一緒に旅をすることは不可能かもしれない。が、楽しかった旅の思い出だけはいつまでも心に残るに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月4日火曜日

「まいにち養老先生、ときどき… 『2021 秋』」を見る

 年の瀬も押し迫った29日、NHKのBS 「まいにち養老先生、ときどき… 『2021 秋』」を見た。番組HPによると〈日常が大きく変わった今、解剖学者・養老孟司に日々を生き抜くヒントをいただこう。コロナがもたらした変化を受けとめ、災害と疫病の時代でもあった鎌倉時代と現在とを重ねながら地元・鎌倉の街を思索する。80年前、4歳で見送った亡き父に思いを馳せ、京都の寺で手を合わせる。そして、新たな「モノの見方」を見いだした老作家は、新たな本を完成させる。紅葉が落ち葉になり、冬の風が吹いてくる〉とある。

 テレビを見ていて「どれだけ夢中になれるかでその人の価値がわかってくる」みたいなことを話された。養老先生は5歳の誕生日直前に父を亡くす。その際、母親が亡くなった父親に向かって「さようならと言いなさい」と話したそうだ。しかし、この言葉が言えなくて人に対する挨拶も苦手になったという。が、その挨拶が40年くらい経ってできるようになり、その時になってやっと父親が亡くなったと思えたそうだ。

 小さいころから今も夢中になって虫を探す。その姿は全国の虫好きの子供たちにも伝わっていく。そして愛媛に集まった虫好きの子供たちと過ごす養老先生の様子をテレビで見ると皆、生き生きとして楽しそうだ。まさに夢中になっているのだろう。夢中になれるものは人によってそれぞれ違う。というか、その良しあしも夢中になっている本人がよければそれでいい。そして夢中になれるモノ・コト・ヒトがあるのは幸せなことだ。

 執筆中の『ヒトの壁』の編集者と著者とのやり取りを見ると1冊の本が出来上がる大変さが伝わってくる。『バカの壁』は読んだことがある。『ヒトの壁』も読みたい。ご自宅には「馬」と「鹿」を描いた大きな壁が描かれていた。

 さて私の夢中になれるモノ・コト・ヒトとは何だろう。それはこれまで継続中の好きなことをそれこそ夢中になってやり続けることかもしれない。それにはフルートのピアソラ曲集の練習、プールで泳ぐ、日本画を描く、司馬作品を読むetc.がある。これに旅を加えれば言うことはない。が、この状況下では以前のようには動けそうにない。昨日の県内のコロナ感染者は40人、その前の日は58人と勢いが増しつつある。

 ともあれ、この一年も元気で楽しく過ごしましょう!