深夜1時8分、緊急エリアメールで目を覚ます。地震を知らせるメールだ。その後すぐに地震発生。住んでいる隣町は震度4.だが、隣接する町に住んでいながら広島市内とひとくくりにされると震度3になる。どうであれ、今回の地震は長く、久々に地震の怖さを知ってその後の寝つきが悪い。
1月18日のネット記事に「毎日が発見ネット」〈平時には必要だが、旅に出る時にはいらない。「習慣化と脱習慣」/岸見一郎「生活の哲学」〉の記事がある。その最後に〈出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味うことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである」(『人生論ノート』三木清〉とある。
さらに〈毎日、通勤している人は今日はどこへ出かけようと考えない。そのような日常は安定しているが、旅に出ることは安定した関係を脱することである。そして、人生は──旅である」(『人生論ノート』三木清)〉と文を結ぶ。
この「人生は――旅である」に魅せられる。三木清の『人生論ノート』(角川書店、昭和49年初版)は家にあると思って探すとあった、20代に買った「日本教養全集」の1巻に収めてある。全18巻からなる全集だがすべてを読みつくしていない。たとえ読んだとしても若い頃と今とでは同じ本でも読み方が違ってくる。再度、40数年振りに『人生論ノート』の「旅について」を読む。家の中で半世紀近くも眠ったままの本を読むとその内容は色褪せることがない。
本と言えば昨日の地元紙に鎌田慧が「忘れ得ぬ言葉」として色川大吉の『わたしの世界辺境周遊記』を取り上げている。この本が読みたい気持ちに駆られて図書館蔵書を探すが見つからない。この本を図書館にリクエストしよう。
大寒とはいえ今季は今のところ我が家のオリーブ油が固まるほど寒くない。年に一度、この時季、お寺から寒行に参られる。以前は団扇太鼓を鳴らしてお上人や信者さんたちが集団で寒行をされていた。ところが昨日、寒行に参られたのはお上人だけだ。コロナ禍を考慮して一人で寒行をされているのだろうか。玄関に立つお上人を見て思わず「お上人さん?」と念を押してしまった。「そうです」とお上人。マスクの姿の顔は誰だかわからない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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