2022年1月29日土曜日

『司馬遼太郎の描く異才(Ⅱ)』

 今年もまた某金庫メーカーから「抜粋のつゞりその八十一」の冊子が届く。この企業は本来ならば毎年、広島国際会議場で著名人を招いての講演会を催す。その際に冊子も配布される。が、コロナ禍で開催されず、自宅に送られてきた。何十万冊もの冊子を国内ばかりでなく世界各国に送付する。何と奇特な企業なのだろう。

 今朝の地元紙に「翫」の姓の訃報記事がある。またも知らない字、と思って電子辞書で検索する。「翫」の俗字は「玩」であり「いとう」と読むようだ。

 以下は『司馬遼太郎の描く異才(Ⅱ)』(高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平)(朝日新聞出版 週刊朝日編集部、2014年)からの抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★司馬さんの命日が「菜の花忌」(二月十二日)と名付けられたように、司馬さんが菜の花が好きだったことは有名だ。……司馬さんは、野に咲く花を好んだ。『歴史の世界から』(中公文庫)のあとがきでは、さらに条件を付けている。たとえば黄色い花が好きであるということである。それも、できるだけたんぽぽに似た花であることが望ましく、結果はたんぽぽがいい〉神木さんも、実は菜の花よりもタンポポのイメージのほうが強いのだという。……しかし、「タンポポ忌」では、なんとなく緊張感が出ない。(24-25p)

★青年は嘉兵衛を慕って日本に来たけれども、この世では会えなかった。涙がこぼれて仕方なかった。しかし青年はそのまま日本にとどまったんです。ロシア正教の日本における最大の建造物が、東京の神田にあるニコライ堂です。ニコライさん、そのロシアから来た青年がつくったからニコライ堂であります。……戦争中も日本人はニコライさんを大事にし、その後、ニコライさんは東京で生涯を終えました。繰り返しますが、嘉兵衛に会うためだけに、ニコライさんは日本に来たんです。(97-98p)

★めったにすぐれた人間というのはいないんです。すぐれた人間というのは、金もうけができる人とか、そういう意味ではありません。よく働くこともけっこうですが、そういうことでもない。やはり魂のきれいな人なんですね。ロシア人は高田屋嘉兵衛の魂を信用して、彼に全権を一任します。信頼にこたえようと、嘉兵衛は幕府を口説きに口説きます。やがてすべてはうまくいき、ゴローニンは釈放されることになる。(98p)

★ご存知のように、「ウラア」はロシア語で万歳という意味です。別れを惜しみ、感謝してくれた。嘉兵衛はこの感激を一生忘れませんでした。淡路で亡くなる時に、枕もとの人たちに頼んだそうです。「大将、ウラア」と言ってくれと。高田屋嘉兵衛は大きな仕事をした不世出の人でした。我々は嘉兵衛のような人ではありません。けれども人はその人なりに「大将、ウラア」ということがあるといいですね。総理大臣になることより、大きな企業の社長になることより、死ぬときに「大将、ウラア」ということがあるかないか、あの瞬間がおれの人生だったという思い出を持つかどうかが、大事だと思います。(99-100p)

★佐賀の乱(一八七四年)も首謀者として捕らえられ、大久保の主導で強引な裁判の末に斬首された。『歳月』のなかで、佐賀の古くからの友人、文部行政に足跡を残した大木喬任が江藤を語る。「江藤の目はなんでも見えるのだ。行ったこともないヨーロッパさえ見えるのだ。しかしあの目は奇妙で、自分という者が何者であるかということだけがよく見えない」 見えすぎた先覚者の悲劇を描いた作品となっている。(183p)

★結局、低い身分の江藤は、脱藩という危険を冒し、自分の才能を主君に認めさせようとしたことになる。国に戻る直前に会った友人にかかっている。「男子はすべからく巌頭に悍馬を立てるべきだ」男は気の荒い馬に乗り、巖頭に立つべきだという。転げ落ちるか、大きく飛躍するか。常に「諸刃の剣」の危うさを持ち続けた男だった。(187-188p)

★江藤に人権志向はいつ始まるのだろう。毛利さんは、二十三歳で発表した開国論「図海策」にも、人権志向が見てとれるという。「攘夷を理由にして戦争をしたら、結局、人民が困る年、開国して貿易をすれば、人民の生活にプラスになるとある。開国論の根拠を人民にとってプラスかマイナスかで説明するのは江藤ぐらいでしょう。『国の富強の元は国民の安堵にあり、安堵の元は国民に位置を糺すにあり』という江藤の有名な言葉がありますが、民生の安定が大事で、そのために司法の力が必要だとする。私は江藤のことを、日本の『人権の父』だと考えています」しかし、”人権の父”、はやがて本来の仕事を離れ、激しい政争に巻き込まれていく。(215p)

★司馬作品は、すぐそこにいるような人間っぽい登場人物が躍動感を生んでいるステレオタイプの人間ではなく、人間のリアリティーがあります。幕末は外圧によってよって変化していきますが、内部から次代を変えようというマグマが吹き上がった、いわば日本の青春期だったと思います。司馬さんの小説は純粋に読んでいても楽しいし元気づけられました。『竜馬がゆく』八巻を買って、そのまま近くの喫茶店で一気に二巻まで読んだことは今でも忘れられません。〈インタビュー私と司馬さん「身分を取っ払った新選組の魅力」木内昇(のぼり)〉(269p)

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