2022年1月23日日曜日

『司馬遼太郎の描く異才(1)空海、義経、武蔵、家康』

 今日は一日中、雨が降るようだ。明日からこの先一週間は天気予報によると最高気温が二けたとなり、晴れの日が続く。今月中に市内のデパート2か所で開催中の院展に行く予定にしている。が、日に日にコロナ新規感染者が増すと出かけるのがおっくうになる。

 ただ、一日一度は運動を兼ねて買い物に行くようにしている。それ以外はじっと家でおとなしくする。県北に住む友だちから今、(どうしている?)と電話がある。県北までの高速バスの割安往復チケットはコロナ感染者増加で中途で廃止となった。桜の季節にコロナ感染者が減少すれば県北へ遊びに行くつもりでいる。が、これも今の感染状況ではどうなるかわからない。

 家でおとなしくしている間に「黒い瞳のナタリー」をスペイン語で覚えようと連日歌っている。まだ、一番の歌詞の半分しか暗唱できていない。外国語の歌詞を覚えるのは頭の運動にもなる。毎日、「ケ・セラ・セラ」「その名はフジヤマ」「夜来香」を暗唱して歌っている。これに「黒い瞳のナタリー」をくわえて暗唱すると、歌うノルマも増えそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『司馬遼太郎の描く異才(1)空海、義経、武蔵、家康』(週刊朝日編集部 朝日新聞出版、2014年)から気になる箇所を抜粋。

★〈密教そのものの思想をいちいち教えたわけではなく、すべて空海が独学してきたものを追認しただけである〉山野を歩き、多くの経典をそらんじて作り上げた密教は、ここでお墨付きを得たことになる。三カ月後、すべての儀式は終わり、空海は「遍照金剛」という号を与えられた。「猶、瓶ヲ瀉スガゴトシ」と恵果はいったという。瓶から別の瓶へすべての水を移し終えたようなものだという意味で、空海はこの時点で恵果の完全な後継者となった。安心したのだろうか。恵果は約四カ月後に亡くなり、空海は選ばれてその碑文を書いている。(49-50p)

★日本の平安時代の指折りの能筆家でもあった空海だが、長安でもその書は高く評価され、「五筆和尚」という異称があった。評判を聞きつけた皇帝が空海を宮殿に招き、御座所に近い一室の壁面に揮毫を命じた。空海は五本の筆を両手、両足、さらには口にくわえ、一気に書き上げたそうだ。〈そのあと一字だけ書き残したのに気づき、磨った墨汁を大盆にたたえ、その盆をもちあげてそのまま壁面にそそぐと、自然に「樹」という一字が筆勢たくましくあらわれ出た、という〉(53p)

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