2020年4月30日木曜日

♪Legende op.55NO. 5♪


 
 手元にあるフルートの某曲集から練習していない曲を吹いてみる。それはアンデルセン作曲の「Legende op.55NO.  5」。ペッサールの「アンダルース」は今も続けて練習するが、まだ暗譜で吹くまでには至っていない。だが、ICレコーダに録音して聞くと以前よりはましのようだ。

 コロナの影響でオンライン飲み会やオンライン・レッスンなどネット社会と改めて感じる。YOU TUBE先生の動画を見てのフルートの練習もこの時代ならでは、のことかもしれない。練習し始めた「Legende op.55NO.  5」はYOU TUBE先生の動画アップがない。他の人の動画で練習する。この曲は1度も聞いたことがなく、譜面を見るとかなりむつかしそうだ。インターネットが普及していないときはこういった練習も想像さえできなかった。ところが今やネット社会。いろんなモノ・コトをネットに接続すれば理解可能となり、便利になった。気長に練習しよう。

 GWに突入した。お天気は良さそう。ただ、遊びに行かれないのが残念。近場をぶらぶらしよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月29日水曜日

ああ、マスク!

  地元紙に掲載された投稿者の記事を見る。これは桜が咲く護岸に架かる橋だと気づき、自転車に乗って見に行く。橋の名を確認すると記事と同じ名前だった。10歩くらい川へ降りると菜の花らしき黄色の花が咲いている。開花のピークは過ぎていた。携帯で写すがうまくとれない。
緑の橋を探しに行く

 コロナの影響でじっと家にいるようにと言われても無理というもの。近場を探してウロウロチョロチョロと動いている。スーパーへ行くのもいいが、ついつい余計に食材を買ってしまう。先日のニラ2把も餃子を2度ほど作ってその合計110個。だが、1度に食べきれない。昨日は蕗を買った。灰汁が強い蕗を調理する。あとで指先を見ると何をしたかというほど黒ずむ。

  東京に住む姪のメールによるとアベノマスクが届いたようだ。このマスクはガーゼで目が粗く不織布に劣るらしい。姪曰く「他人のために着けてるようなもの」。姪が作った「〇〇〇マスクは不織布を入れるためのポケットを作ったり、ずれないようにワイヤーも入れ、かつ縫い目を見せないよう、考案されたオリジナルよ」だそうだ。さらに「オール手縫いです」という。姪自慢の手作りマスクはパンダ柄で4枚作っていた。マスク作りも大変らしく「ちなみに今は白糸も入手困難です」という。

 先日スーパーで大阪泉州のガーゼタオルが手作りマスク用にと売られていた。その時、買えばよかったのに後日行くと白いのは売れ、チェック柄だけが残っている。この時点で手作りマスクをあきらめた。家に花粉対策として買った以前のマスクがある。使い捨てマスクもこれほどマスク不足だと大事に使わなくてはいけない。ネットを見ると買い手が集中したシャープ製のマスクはウイルス除去率も優れた製品らしい。これを皆に配ってくれればいいのに……。今やマスク、マスクと呼び捨てにできない。マスク様になりそうだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月28日火曜日

再度、餃子に挑戦

 毎日、人のブログやツイッターを見ている。ネットを見ると芸能人などの著名人のブログやツイッターを一部引用して掲載している記事がある。改めて記事にしなくても、と思うがこれもスポーツ新聞や週刊誌に掲載して売れれば由、となるのだろう。以前だったら記者自身が取材するところを人のネタで記事にして掲載している。

 先日初挑戦した餃子作り。再度挑戦する。餃子の皮に入れる具材をさらにみじん切りにして豚のミンチも多くする。出来上がりに片栗粉をまぶす。これも出来上がった餃子が型崩れしないように丁寧にまぶす。前回気になった個所を改めて、再度餃子に挑戦。作り始めは形よく出来上がった餃子をお皿に並べていた。ところが数が多くなるといい加減に並べてしまう。だが、今回の餃子は前回よりも味も形もよくなった。

 YOU TUBE先生はうどんや水餃子も粉を練って、棒で引き延ばして作っている。本格的に餃子をつくろうと思えばそれが本来の作り方かもしれない。だが、そこまではまねができない。一昨日、料理研究家、鈴木登紀子が料理を作っている番組を見た。御年93歳。和食をつくって家で生徒に教える場面だった。卵一つでも殻がついているかもしれない、といってザルで濾す。面倒なことと思わず楽しそうに料理する姿を見ると恐れ入る。何とか手抜きして、と考えるものとでは大違いだ。

 ただ、最近、同じくこの番組で野崎洋光の作る料理を見て「いりこ」を使用するようになった。これまで市販の顎だしや昆布つゆを使っていたがそれをあまり使用しないようにしていりこを使う。いりこを使う、にはいりこを買わないといけない。スーパーに出かけて買おうとするが売り場が分からない。教えてもらっていりこを購入。

 いつものスーパーは九州が本社。最寄り駅に1年前にできた24時間スーパーは福山が本社で瀬戸内海の島で獲れたいりこを売っている。このいりこは元の魚であるカタクチイワシも大きいのか、いりこも大きい。これを購入する。だしを出すのは面倒との思いも野崎氏の番組を見て簡単に思えるようになった。

 何かにハマると長続きするタイプ。今、いりこと餃子にハマっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月27日月曜日

『空海の風景(下)』

 『空海の風景(下)』(司馬遼太郎 中央公論社、2006年再版)を読んだ。気になる箇所を記そう。王羲之と顔真卿の件がある。顔真卿については知らずにいた。ところが、昨年だったか某会で集ったとき、会場ロビーで顔真卿が話題になる。全く知らない人だったが、居合わせた人からスマホで顔の書を見せてもらい、名前を覚えた。『空海の風景』に顔真卿の名がある。「あの時、話題になった人だ」、と思いながら読んだ。もう忘れらない人になった。

 最後にメモった「私が密教というものの断片を見た最初は、十三詣りのときである。私は嬰児のとき虚弱だったので、身内の誰かが大和の大峰山に願をかけてしまい、十三になったらお礼参りにゆかせる、と約束してしまった。そのため中学一年生の夏休みのとき、兵隊帰りの叔父につれられて吉野の奥の大峰山上に登った」。(372p)と司馬は書いている。

 自分自身も体が弱かったために、小さいころ「願かけ」をした、と親から聞かされて育った。大きくなるにつれて病とは無縁になっているが、そのお礼参りをしたかどうか今となってはわからない。というか、願かけも覚えていない。「苦しいときの神頼み」で親がそうしたのだろう。願かけの話をするときの親はそれはもう不思議な顔をして病が治った、と話してくれた。その場所がお大師さんだったのだろうか、「お大師さんはありがたいんよ」と話していた。お大師さんこそが弘法大師空海だ。幼稚園に入る時点で人より1年遅れだった。そのまま大した病気もせずストレートに学校に進んだ。ただ、小学校に上がる時点で1年遅らす照明書が必要だったらしく、住んでいる町でなく遠くの町の医者に行って照明してもらったと聞いている。

 この話を願真卿を知った某会の人に話すと私を入れて3人が1年遅れの小学校入学だった。戦後すぐの生まれは体が弱かった人が多かったのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく気になる箇所の抜粋から。

★般若三蔵は自分が訳した経典類を空海の前に運んできて、「これをお前に贈る。帰国するとき持って帰ってくれ」といった。……経典をその訳者そのひとから貰ったというのは、空海の歴史的な幸運といってよく、かれ自身もこの種の運のよさに、おそらく、この時期あたりから、神秘的な思いを持つまでになっていたにちがいない。10p

★空海は、インド・中国をふくめた密教発達史上、きわめて得がたい機会に長安に入り、恵果に会ったということになる。……恵果の空海に対する厚遇は、異常というほかない。12p

★これが六月の灌頂のときであったが、七月の灌頂のときも、空海の花は大日如来の上に落ちた。八月の伝法灌頂では投花の儀式はなかったから、恵果はこの重なる宿縁を奇とし、空海に対し、「遍照金剛」という号をあたえた。遍照金剛とは大日如来の密号で、金剛とはその本体が永遠不壊であることを言い、遍照とは光明があまねく照らすことを指す。18p

★+天台宗を体系ごとぜんぶを仕入れに行った最澄は、沙金もずいぶん多く持たされてゆき、国家としての信物も多く持たされていた。……その点からいえば、留学生の空海は、素手で長安に入ったようなものであった。……空海は、恵果から、一個人としてゆずりうけたのである。……空海は日本国から義務を負わせられず、経費を与えられずして、「密教」を「請益」してしまったのである。……空海は、極端にいえば、私費で、そして自力で、密一条を導入した。25-26p

★青竜寺東塔で葬儀がおこなわれ、翌日、道俗の弟子千余人が恵果の棺に従い、長安の東郊孟村というところに埋葬し、どう時に碑が建てられた。……空海の撰および書である。……特に空海がえらばれたのは、かれの文章と書芸の評判が、いかにやかましいいものであったかが想像できる。41p

★この最澄の孝雄山寺における勅命灌頂が、日本の密教史上、最初の灌頂になった。……天皇は最澄こそ密教の最高者であるという証明書(伝法公験)まで、わざわざ治部省から発行させたのである。72-73p

★いかに精妙にしたとはいえ、その一つ一つが孤立していれば、それらは単なる魔術、呪文、マジナイにすぎず、それが空海の時代の密教用語でいえば雑密というものであった。……最澄の不覚は、雑密をひろってしまったことである。97p

★空海は東大寺のなかに真言院をたて、東大寺の本堂である毘盧遮那仏(大仏)の宝前で、密教の重要経典である理趣経を誦むべく規定し、こんにちにいたるまで東大寺の大仏殿で毎日あげられているお経は理趣経なのである。109-110p

★高雄山寺にいる空海は、この薬子の事件を大きく評価した。大きく評価することで、空海はこの国において密教勢力を飛躍せしめる契機にしようとした。181p

★嵯峨と空海には、すでにこういう文雅の友としての交渉がかさなってしまっている。その上、嵯峨にとっての空海は詩文という軟質なものの存在だけでなく、国家鎮護のためのエネルギーという硬質なものをもつ存在であった。そのことは薬子の乱のあとの大修法の宣言において嵯峨は十分に理解させられた。嵯峨は、そのふたつの面から空海を必要としはじめたのである。204p

★灌頂には、三つの区別がある。結縁灌頂、受明灌頂、そして伝法灌頂である。……最澄があれだけ奔走してようやくおおぜいと一緒に受けたのは、どうやらこの結縁灌頂のようであった。228p

★王義士が空海の時代にとってはるかな過去の人であるのに対し、顔真卿(七〇九―七八五)は空海が入唐する二十年前に生涯を終えたひとである。……願氏は数代にわたって能書家がつづいた家で、真卿にいたり、かれは書の姿態の美しさを追いがちな王羲之流に反撥してあたらしい書風をひらいた。その剛健な書風には北魏の影響がつよいところから、正統の王羲之流をわざわざ南帖流といい、べつに北方人でもない顔真卿の書風を北魏流とよぶほどに、両者は対蹠的である。305-306p

★嵯峨は若いながらもこの時代の貴族文化に圧倒的な影響力をもっていただけに、空海はまず嵯峨の書芸に顔法を混入させようとした――露骨な意識はなかったにせよ――と考えられなくはない。308p

★『寛平御記』によれば、嵯峨は東の三門と西の三門をうけもった。空海は南の三門と応天門をうけもち、橘の逸勢は北の三門をうけもった。この三人がのちに三筆とよばれるなったのは、この諸門の額の揮毫を三人でやったからであろう。315p

★空海の書は霊気を宿すといわれる。……空海の書にもし霊気があるとすれば、それだけは空海の本体なのであろう。319p

★空海は死んだ。しかし死んだのではなく入定したのだという事実もしくは思想が、高野山にはある。この事実は千余年このかた継承されてきて、こんにちもなお高野山の奥の院の廟所の下の石室において定にあることを続け、黙然とすわっていると信ぜられているし、すくなくとも表面立ってこれを否定する空気は、二十世紀になっても、高野山にはない。346p

★仏教によれば人間の肉体は五蘊という元素のあつまりであって、ここで仮に言うならば、薪というも同じである。われわれ人間は、薪として存在している。もえている状態が生命であり、火滅すれば灰にすぎない。空海の生身は、まことに薪尽き火滅した。370p

★私が密教というものの断片を見た最初は、十三詣りのときである。私は嬰児のとき虚弱だtったので、身内の誰かが大和の大峰山に願をかけてしまい、十三になったらお礼参りにゆかせる、と約束してしまった。そのため中学一年生の夏休みのとき、兵隊帰りの叔父につれられて吉野の奥の大峰山上に登った。372p

2020年4月26日日曜日

「終わり良ければ全て良し」

 日本画の先生から来月予定の教室取りやめのメールが入る。利用する区民文化センターから要請があったようだ。それも当然、市内すべての区民文化センターは来月17日まで休館となっている。家に隣接する集会所も利用できない旨、張り紙がある。コロナが出始めたころは他人事に思えた。ところが、広島県も徐々に感染者が増え、コロナの恐ろしさを感じだす。習い事が休みになるのも仕方ない。

 コロナ、コロナと聞かされると気持ちが先にまいりそうだ。そんな時は家を出る、というか体を動かすのが一番いい。運動嫌いだったものがよく言うよ、と笑われそうだ。体を動かす、これが頭を空っぽにする一番の方法。と、泳ぎ始めて実感するようになった。今は泳げないのでその代わりに体を動かす方法は歩くこと。何かをしていれば頭で考えなくなる。コロナのお陰(?)でよく歩くようになった。そのためかよく眠る。もともとよく寝る人間がさらによく眠る。今朝の起床時間の遅いこと。これは自慢にならない。今夜から目覚ましをかけて寝よう。

 最近、テレビを見ているとYOSHIKIが出ている。顔と名前は知っていても音楽など聴いたこともなかった。パッと出てきた人でなく、小さいころから音楽の基礎を学んだ人らしく、聞く人を魅了させる。テレビと言えば昨夜の「激レアさんを連れてきた」の「洞窟おじさん」を見る。以前、NHKドラマで見た「洞窟おじさん」が出演していた。実物を見るのは初めてで2年以上も前の番組らしい。この人にもひきつけられた。「今が一番幸せ!」と洞窟おじさんは話す。

 「終わり良ければ全て良し」とよくいわれる。物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないということ、のようだ。洞窟おじさんもこれが当てはまりそうだ。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月25日土曜日

餃子に初挑戦

 30年ぶりに山の峠にある中学校まで歩く。町内地図を見ると学校付近にまで家がある。我が家から歩くこと30分。途中、道に迷ったりする。生まれてこのかたずっと同じ町に住んでいる。通っていた中学校は家のすぐ近くだった。ところが山道を上った先に新たな中学校ができる。往復の歩行時間1時間10分。携帯万歩計は6500歩。中学校の入り口に咲く芝桜。携帯で写したがきれいに撮れていない。ここから市街地を見下ろす。かなり上に学校が建っている。

 中学校まで行けば田んぼや畑が残っている、と思って出かけた。だが、家が建ち、昔の面影はない。中学校までは本来ならば土地拡張事業で山を抜ける大きな道になるはずだった。それも我が家の先まで道ができただけで上の方は途中で未完成のままだ。昔からの家が多く、簡単には道にならないのだろう。

 我が家に戻ると散歩中の夫婦に出会う。町内の西の方から墓地を抜けてこちらの側に降りてきたという。次の町内散歩は町の西方面に行ってみよう。コロナウイルスで自転車に乗る機会が減り、歩くことが多くなった。

 YOU  TUBE先生は若い男性。その人のブログを見るとコロナで演奏機会がなく、これをチャンスにうどんや水餃子に挑戦とある。一昨日、スーパーに行くとニラが2把128円と安い。買ってみたもののさて何をする、と思ってネットで検索。簡単餃子の作り方が動画にある。急遽、餃子に初挑戦。ニラはあっても餃子の皮やミンチ肉がない。市販の餃子の皮30枚購入。だが、中に包む量をいい加減にしたため餃子の皮が足りなくなる。再度スーパーに出かけて餃子の皮3袋とついでにミンチも購入。こうして計60個の餃子をつくる。立ち仕事は苦手。だが、これも運動と思って餃子に挑戦。

 餃子づくりは初めてだった。ラジオをかけてわけもわからぬオペラを聞きながら作る餃子。無我夢中でやっていた。これからは市販の餃子を買わず自分で作ることにしよう。これ、結構気分が落ち着く。夜は自分で作った餃子を食べる。美味だった。残った餃子は冷凍保存。また残った餃子の皮は賞味期限が長いのでもう1把あるニラで後日また餃子をつくろう。

 コロナで運動不足になるどころか意識して歩くようにしている。そんな矢先、6月の広響定演も来年1月に延期のメールが入る。コロナの影響はまだまだ収まりそうにない。外に出歩くだけでなく、家のなかもボチボチ片付けている。食器棚も半分ほど片付けた。徐々に片付けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しくs後しましょう!

学校前に咲く芝桜

2020年4月24日金曜日

♪好きにならずにいられない♪

 国が各戸あてに2枚ずつ配布するというマスク。配布された先からすぐに不良品などのクレームが報道される。配られるマスクは日本製と思っていたらどうも中国製のようだ。中国国内で粗悪なマスク製造会社が作ったマスクが何千万枚も回収されている。コロナは中国で発生した。それなのに、政府は中国製品のマスクを配るとは恐ろしい。昨日のネットニュースを見ると中国国内で製造のマスクを日本の航空機に乗客を乗せずマスクだけを乗せて飛行している。これが日本国民に配られるマスクなのだろう。怖いことだ。

 怖いといえばほとんど固定電話にかからない電話に2件も怪しい電話がかかる。ナンバーを見てすぐに着信拒否設定にする。拒否設定も多くなり、以前の番号を削除する始末。着信番号はネットで検索すると怪しいかどうかが分かる。だが、昨日の1件は日本国内からでない海外の国番号から始まる電話のようだ。ネットで検索してもそれだけがわかるだけで詳細は分からない。

 母が生きていた9年前まではここまで変な世の中でなかった!?すべては自分さえよければいいという考えがはびこる世の中になった。ましてや今はコロナでさらに異常事態。誰もが想像だにしなかった世の中になった。 いろんなことに振り回されず我が道をゆく、これしかない。♪好きにならずにいられない♪をアップしたらアップは無理!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月23日木曜日

メディア情報あれこれ

 家の外では水路の掃除に来たようでにぎやかさが半端ではない。一昨日午後、外に出ようとすると声を掛けられる。市の委託で水路を掃除するとのこと。我が家の横の水路も?と問うとそれはないという。どうもこのあたりに住む人が市に苦情を言ったらしい。仕事着を来た兄ちゃんたちの後ろで数人のこれまた黒づくめの若者がついて歩く。一瞬、怖さを感じる。市の委託と聞いてホッとする。今朝はその人たちがやってきたようだ。

 今朝のダグニーさんのブログを見ると「個人的には、最後まで住んでいる場所にとどまりたいです。少なくとも私はそう思う 」とある。同じくそう思っている。母も最期まで我が家にいて欲しかった。だが、自分ひとりの力ではそれもままならず3週間ほど救急病院に入り、そこで亡くなった。施設や病院にいい印象を持っていない。自分自身もダグニーさんのように元気で家で過ごしたいものだ。今朝見たもう1人のブログに「すあま」がある。このキーワードを初めて知る。広島では聞いたこともないお菓子だ。日本は狭いといっても地方地方で食べ物も異なる。長く生きてもまだ口にしたことがない食べ物も多い。

 毎朝聞くラジオ。日曜日の朝は3月末まで皆川達夫が司会する音楽番組を聞いた。4月からは高齢のため番組を降りると自ら語る。昨日、ネットでその人の訃報を知る。御年92歳。この間までお元気だったのに……と驚いてしまう。最期までお元気に仕事をされた。ある面、幸せな生き方かもしれない。

 昨日午後はBSの「行くぞ!最果て!秘境×鉄道『アフリカ・ポレポレ列車』」を見る。番組に登場するやっくん。見たことがある、と思いながら最後まで見る。

 番組HPによると「朝焼けの絶景!驚きの車両!ザンビアからタンザニアに行くタンザン鉄道。クッションもない座席、誰もいない秘境の駅、迫りくるゾウとライオン。アフリカで秘境鉄道珍道中!」とある。さらに番組内容を見ると以下のようだ。

★極寒の大雪原や大峡谷など、世界中の秘境を走る鉄道。舞台はアフリカ・タンザン鉄道。時速40キロののんびり列車で、世界最大級の動物保護区を走行。車窓からゾウやキリンが見えるかも!そして荒野の中のイボイノシシしかやってこない秘境駅やアフリカ大陸で見る朝日と夕日の絶景、陽気な地元の人との出会いに“やすくん”こと古原靖久さんも感動。しかし予想もしない事態が発生!秘境×鉄道の史上最大のピンチとは?その結末は?

 ポレポレとはのんびり、ゆっくりの意らしく列車の速度は時速45キロ。運賃は100キロ=200円と安い。だが、定刻どおりに運行せず、遅れは半端ではない。10数時間の遅れ発生で日本へ帰国する飛行機に間に合わない。急遽、観光客のチャーター機に乗る。

 コロナで普通の生活状態ではない。気持ちを他にそらせて見る。何度見てもいい番組だ。

 ともあれ今日も元気でt楽しく過ごしましょう!

2020年4月22日水曜日

メール&メール

 コロナウイルス感染者は衰えるどころか増え続けている。住んでいる町の両隣の町で感染者が出た。コロナよ、ついに近くまでやってきたか?という感じでいい気持ちはしない。今日から広島駅前のデパートも休館に入った。市内へ出るにはJRを利用する。JR駅は感染者が出た町にある。だんだん迫りくるコロナウイルス。気を付けよう!

 一昨日、米子の旅友だちからメールが届く。「どうしている?」で始まるメール。メールが届くのも何年かぶりだ。米子は鳥取県に位置する。鳥取は感染者が最近出たばかり。それでもコロナを心配するメールだ。暇つぶしに司馬作品を読んでいると返信すると、その人は神話時代の本を読んでいるという。米子市は出雲圏。それにもよるようだ。この時代の作家や本のシリーズが羅列してある。だが、どれも全くわからない。人はその人のレベルに沿って話すとか。これじゃ、話についていけない。

 メールの一部を勝手に引用させていただこう。「……歴史は面白い。 創作でも、あんまり面白いので、コロナなんかでこの世を去るの嫌だぁ!!!まだまだ興味をひくものが溢れている。ただ、昨年の中村哲さんの暗殺はひどくショックで暫くは涙涙の日々でした。今でもなにかで放送されると涙です。……」。

 メールの最後に今はやっぱり「本」が一番、とある。この人はかなりの旅好きで、今は行かれないアフガニスタンへも出かけている。そのためもあって中村哲さんが亡くなられたことにショックを隠せないようだ。

 その日に届いたメールは姪からもある。パンダ好きな姪は暇つぶしにパンダのマスクを手作りしたという。1匹のパンダがマスク全体にいるのかと思ったら、パンダ柄の生地で作ったマスクだった。ブルーの生地にパンダがいっぱいのかわいいマスクをつくっていた。

 皆、いろいろと工夫してむつかしい時期を過ごしている。YOU TUBE先生のブログを見ると演奏会ができず、ついにオンラインレッスンに突入している。こちらは勝手にその人の動画を見てフルートの練習をする。先が読めない時代、自分なりに楽しんで生活するしかない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に気づく。 広響からもメールが届く。 YouTube 広響チャンネルに「広響楽員からのビデオレター “早くみんなに会いたくて” 順次公開中」とある。楽団員の演奏する動画のアップだ。今や、世の中、動画時代。お笑い界も音楽界も果ては一般人、そして政界までも動画で自己をPRする。そのなかにはどうでもいい動画もある!

2020年4月21日火曜日

♪Love Me Tender♪

 ヒグマと老漁師のテレビを見て博士と老漁師の会話を思う。老漁師のヒグマとの関係だ。博士のどんな理論よりも長年、漁師がヒグマに接した経験の方が勝るということ。これに似たことをネットで調べるといろいろあった。
・学問なき経験は、経験なき学問に勝る
・書物で学ぶより行いで知れ
・事実は理論に勝る

 いずれも納得することばかり。理論より行動を、ということだろう。机上の空論がある。自分で実際にやってみる、これが大事と改めて知る。

 ところが今はコロナで行動が制限されている。今朝の地元紙を読むと「コロナ危機と『ステイホーム』」と題した記事がある。「……なお一層、冷静に事態を見詰め、今やるべきこと、やらねばならないことに『粛々と』しかも『楽しく』取り組んでいこう。……」。

 これを見て当たり前のことなのに妙に感動する。長く生きてきてコロナウイルス危機で先は予定通りにならないと思い知らされる日々。今もどれくらい先までこの状態が続くのか誰もわからない。GW明けまでの緊急事態宣言も公の機関の夏の催しは軒並み中止が報告される。コロナが長引くのを覚悟して過ごすしかない。

 そんな中でのささやかな楽しみがラジオで流れてきたアメリカのオールドミュージック。プレスリーの歌う♪Love Me Tender♪”。英語であってもゆっくりした曲なので歌詞がわかりやすい。家にいて人と話す機会が少なくなった。これも困ったことなので英語の歌を歌って声を出そう。歌謡曲と違ってすぐには覚えられそうにない。これもコロナのおかげと思って気長に覚えよう。これ、ささやかな行動&楽しみ!?ゆっくりした曲を聴くとなぜか妙に落ち着く。いいことだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月20日月曜日

「ヒグマと老漁師~世界遺産・知床を生きる~」を見る

 NHKスペシャル「ヒグマと老漁師~世界遺産・知床を生きる~」を見た。番組HPによると以下のようにある。

★世界自然遺産・知床の海で、サケやマスをとってきた漁師の大瀬初三郎(おおせ・はつさぶろう)さん84歳。ヒグマが近づいてくると「こら!来るな!」と大声で叱りつける。すると、ヒグマは静かに去って行く。この半世紀、襲われてケガをしたことは一度もない。去年、ユネスコの委託を受けた調査団が知床を訪問。漁で使ってきた道路や橋を撤去するよう求めてきた。途方に暮れた大瀬さん。そのとき、不思議なことが起きた…。世界自然遺産・知床にあるヒグマの密集地帯。ここに野生のヒグマを叱って追い払う84歳の老漁師がいる。この現場に密着して3年。ヒグマとの共存の秘密に迫った。
 
 番組欄の知床に目が行く。昨年7月、初めて知床に出かけた。旅のうたい文句のホエールウオッチングは夏というのに知床の海は真冬並みの寒さだった。テレビを見るとたくさんのイルカが飛び交っている。また鳥も実際に見たよりも数が半端なく多い。ヒグマも移動バスから見た。
 
 昨夜の放送の主人公はヒグマと老漁師。この漁師さんは親父さんの愛称で呼ばれる。元は青森県の人だが、青森では食べていけないとして北海道に渡る。だが、いい漁場はすでに先住民がいる。残っていた場所がアイヌの人たちが住んでいたルシャだった。ルシャはヒグマの生息地で簡単には人が住めない。だが親父さんはヒグマと共生して生きている。ルシャにある番屋。4月から11月までをここで暮らす。番屋の周りにはヒグマが取り巻く。
 
 4月、久々に番屋に戻りドアを開ける。この際、ヒグマが中にいるかもしれない。親父さんは腰に短刀を着けて中を確認してはいる。こうして11月まで番屋暮らしが始まる。漁を終えると番屋に集まった仲間で酒を酌み交わす。
 
 親父さんとヒグマ。親父さんは目の前にヒグマが来ても慌てない。親父さんのヒグマに接する3条件がある。①「こらっ!」と腹の底から声を出す。②絶対、ヒグマにエサをやらない。③ヒグマに目を合わせても睨みつけない。こうすると自然にヒグマは親父さんから遠ざかる。親ヒグマにこれを学習させ、子ヒグマは親ヒグマを見て学習する。だが、決してこの真似をしてはいけないとのこと。
 
 ユネスコの委託を受けた調査団が知床を訪問した。その時、親父さんが代表して彼らと会った。調査団の代表はアメリカの国際自然保護連合のピート・ランド博士。話している親父さんの目の前にヒグマが来る。だが、ヒグマが襲ってくるどころかヒグマは親父さんを見ると逃げていく。以下は番屋で胡坐をくんで座って話をする親父さんと博士のやりとり。

 博士 「これまでクマに襲われたことは?」

 親父さん 「今までにこのルシャでは(人がクマに襲われる)事件は一度もない」
   親 父さんの話を聞いて博士は怪訝な顔をする。

 博士 「アメリカの国立公園では人とクマが安全な距離を保てるようになっている」
 
 どんな立派な理論より、現場で長年実践している親父さんの方が確かなようだ。
 
 大漁であっても親父さんはヒグマにエサをやらない。ヒグマは親子で連れ歩く。親ヒグマは鮭を捕まえても飢え寸前の子ヒグマには少量しか餌を与えない。目の前で子ヒグマが死んでいく。海岸にイルカが死んでいる。親父さんはこのイルカが海に流れないように縄で岩にくくる。これをヒグマが食べるのをじっと見ている親父さん。漁獲物はヒグマにエサとしてやらない。しかし、息絶えたイルカはヒグマに食べさせようとした親父さんだった。
 
 ヒグマは自然の中で暮らしている。人間も自然の中に暮らす動物。親父さんはそう話す。知床に来た当初は猟師に頼んでヒグマを殺していた。ところがこれはよくない、と気づき、ヒグマとともに生きるようになる。
 
 コロナ感染で意識してこの話題から遠ざかる日々。いい番組だった。ヒグマも強いものが生き残る社会。大きなヒグマは300㎏もあるという。人間の何倍もの大きさだ。頼りになる親父さんを見ているとこちらまで元気になる。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月19日日曜日

マニ石の文字は「オンマニペメフム」

 住んでいる市の図書館はついに5月17日まで全館休館になった。予約確保の知らせがないと思って図書館のHPを見ると画面がピンクからグレイに変化している。自分の頁を見ると予約かごが消えている。変だと思ってよく見ると4月17日からすべての業務停止とある。幸い、今読んでいる『項羽と劉邦』全3巻は我が家にある。しばらくはこの本を読もう。では区民文化センターは?と思って調べるとここも図書館と同じく一斉休館となっている。これで日本画も当分習えそうにない。

 姪は昨日のブログを見てくれ、マニ石に書いてある文字はサンスクリット語のチベット文字であり、「オンマニペメフム」というマントラだと教えてくれた。早速ネットでこれを検索するとマニ石に書いてある文字と同じだ。以下がチベット文字のマントラ(真言)とマニ石に刻まれた文字の写真。 

ༀ༌མ༌ཎི༌པང༌མེ༌ཧཱུཾ། (オンマニペメフム)

お土産に買ったマニ石(大きさは片手よりも大きい)












 電子辞書によると「極楽往生を祈るときに称える名号で『ああ蓮華上のマニ宝珠よ』の意味」とあり、一切の智慧、解脱、救済、福徳の本源となっている。日本で唱える「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」などと似たようなものかもしれない。

 フルートのYOU TUBE先生のブログを見ると「……現在はテレビだけでなくパソコンとスマホがあってよかった。 無限に時間が潰せます。電波を安定して世の中に配信してくれてる人々に感謝。……」とつづられている。スマホは持っていないが、パソコンさえあればコロナで不自由な生活も楽しく生活できる。YOU  TUBE先生はうどんを小麦粉から作った画像をアップしている。いくら暇があっても自分で粉を練って作るとは恐れ入る。それにしてもなんとこまめな人だろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月18日土曜日

旅の思い出(チベット)

 今回の旅の思い出はチベットの旅。1992年8月4日から13日までの10日間、チベットへ出かけた。これまでの海外の旅で5,6回くらい高山病でダウンしている。このうち、チベットの高山病が一番きつかった。というか、高山病になったのはチベットの旅が初めてだった。10日間のうち、1日半はベッドで寝た。宿の部屋は2階だった。チベットのラサの空港に飛行機が着陸するとコスモスが満開だった。このコスモスを写真に撮って、はしゃいでいると高山病特有の症状が出る。個人的には頭が痛いとかはなく、ただ気分が悪くなる。そしてチベットの場合は思うように動けなくなった。2階の部屋へ入るにも歩けず這うようにして行った。

 ガイドに連れられて近くの医院へ行った。当時は酸素ボンベが枕のような形で、ホースを口にくわえて酸素を吸う。ただ、注射だけは針が怖くて絶対打たない覚悟でいた。注射針で病気になる恐れがあった。医院と言っても狭い部屋で想像する医院ではない。保健室といった感じで机と椅子があった。高山病になると酸素吸入よりも体が高地になれるしかない。一晩寝て起きれば「何だったのか」という感じでケロッ、としている。寝ると同時に食べ物を口にするのもよくない。

 この経験があるのに性懲りもなく、それ以降も辺境の高地で高山病になる。コロナで今は旅もできない。もしかしてこれからずーっと旅行ができなくなるかもしれない。10年のパスポートも今月に入って残が1年をきった。すぐに更新しようとしたがこの状況ではパスポートを取得するどころではなさそうだ。

 手元にあるチベットの旅の参加者を見ると8人で全員1人参加だ。うち男性は2名。当時は中国など共産圏の国に出かける時は空港の特別室に集合して注意事項を聞いた。チベットは高地なので絶対にアルコール飲酒はダメ、と聞かされていた。それなのに、男性1名は旅慣れた様子で機内でアルコールを飲んでいた。案の定、10日の旅の間、ずっと病院に入院で観光はしていない。チベットで一番有名なポタラ宮でさえ、帰りの飛行機に乗る前の移動バス車内からの観光だった。他の人は旅行中、すでに観光していた。

 2番目にダウンしたのが私。ツェダンの観光をせずにホテルで寝ていた。しかし、他は皆と同じように観光した。この時、知り合った人とは28年経った今でも年賀状で連絡を取りあっている。今年の年賀状にはペトラ遺跡を観光した、と書いてあった。

 チベットの旅の思い出はお土産に買ったマニ石にもある。マニ車とかいうあのマニ石。チベットの僧侶が寺院の隅でチベット文字をマニ石に彫っていた。それを購入したのだが、何が書いてあるかわからない。このお坊さんと撮った写真はもちろん捨てられない。

お土産に買ったマニ石(大きさは片手よりも大きい)

 旅の写真を整理したら、次は旅のお土産品リストをつくろう。これが旅の思い出の課題になった。

 マニ石と書いていて思い出した。2011年6月のブログに書いている。某大学のエクステンション講座を受講した際、「チベット語が廃れてはいけないと思い先生は辞書編纂プロジェクトに参加して学んでいる」と。この先生に聞けばマニ石の文字がわかるかもしれない。2011年と言えば親が亡くなった年で、市内のあちこちの大学の講座を受けていた。その時、チベット辞書編纂の先生がいらっしゃった。だが時が経過してしまい連絡も無理だろう。

 今はチベットの旅も青蔵鉄道が通って、わりと楽に行けるようだ。28年前の日程表を見ると行きに3日、帰りに3日もかかっている。それにしても夏休暇、よくも長くとっていると今さらながらあきれてしまう。と言いながら新幹線に乗ったら仕事はいつもケ・セラ・セラ、と思って出かけた。働いているときは旅が一番のストレス発散だった。図々しくも長く休みを取って旅をしてよかった、と今さらながら思ってしまう。以下は日程表から。

第1日目 広島🚄福岡✈上海(泊)
第2日目 上海✈成都(泊)
第3日目 成都✈ラサ🚌ツエダン(2泊)
第4日目 ツエダン近郊観光
第5日目 ツエダン🚌ラサ(3泊)
第6日目 ラサ観光
第7日目 ラサ観光
第8日目 ラサ✈成都(泊)
第9日目 成都✈上海(泊)
第10日目 上海✈福岡🚄広島

 なお青蔵(青海チベット)鉄道とは、ネットによると中国青海省の省都・西寧とチベット自治区の区都・ラサ間の全長約2,000kmを結び、貴重な動植物の宝庫「ココシリ自然保護区」、崑崙山脈、タングラ山脈、ニェンチェンタンラ山脈という3大山脈、平均標高4,000m以上の青蔵高原を駆け抜ける、世界でも最も高い地点を走る高原鉄道とある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月17日金曜日

近場を歩く

白いカラー

リキュウバイ(利休梅)
モクレン

鳥居から神社を眺める


射干(しゃが)の花

 母の月命日にお墓参りをしている。今月は急遽2日早めて参る。今年の桜の見納めとしてお墓参りの後、地元の神社に向かう。桜の開花は終わってもピンクの八重桜は今が開花の最盛期だった。神社の鳥居のそばは竹藪がある。その日陰の斜面に4,5か所ほど射干(しゃが)の花の群生地がある。この花の名がわからず、ネットで検索すると射干(しゃが)の花とある。花の特徴などが合っているから多分この花で間違いないだろう。初めて知った花の名だった。

 我が家から墓地までは10分もかからない。途中、毎年立ち寄る場所がある。カラーの自生地だ。今年もすでに白い花をつけている。我が家にも鉢植えから土地に戻したカラーを植えている。白ではなく赤紫色だが、まだ芽も出ていない。たとえ芽が出ても肥料が足りないのか花が咲かない。ただ、土に戻した翌年は咲いていた。白いカラーの花言葉は「清純さと勇敢さ」、赤紫のカラーは「夢見る美しさ」だそうだ。

 白いカラーを写真に撮った後、山道に咲くモクレンも写真に撮る。そばにはリキュウバイ(利休梅)の白い花が咲き、これも写す。この花の名称もネットで調べるが合っているかどうか、怪しい。花言葉は「控えめな美しさ」、清楚な花の「気品」らしい。

 墓地に到着すると重機が止まっている。急な墓までの狭い道半分に発電機を伴った手押し車を下ろしている。石材屋がお墓の仕事をするのだろう。1人で狭い急な道を車を押して登っていく。人が墓地まで行くにも急な坂道だ。都会の庭園墓地と違って山の段々畑を墓地にしている。そこに何百件とお墓がある。我が家は父が亡くなってお墓を建てた。だが、当時は母に任せきりで何もしていない。お墓をつくるのも大変な作業だとあらためて知る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月16日木曜日

ザ・ヒューマン「誇り高き悪魔 ジーン・シモンズ」を見る

 マスクをしないでいたが、定期的に出かける眼科へマスクをして出かける。いつもなら午前中に出かける眼科。急に思いついて午後に行くと待っている人が誰もいない。受付で聞くとコロナの影響で来院する人が少ないという。眼圧をはかるだけであとは何もしない。14と16で問題なし。眼科の前は川が流れ、護岸には見事な桜の木がある。桜の開花のピークは過ぎた。なじみの看護師は桜を見て国道を通って帰るといいと教えてくれる。川土手まで行って桜を眺める。携帯で写真に撮り、初めての道を通る。国道に出た。さすがに国道。車が猛スピードで通り過ぎる。歩道は広くても怖すぎる。途中、いつも通る県道に出るとパチンコ店がある。まるで高速道路にあるパーキングエリアのように広い。ここを勝手に抜けて県道に出る。外出自粛どころかパチンコ店は賑わいをみせているのだろう。人が入って行った。

 テレビが面白くないと思っていた。昨夜、NHKのBS1でザ・ヒューマン「誇り高き悪魔 ジーン・シモンズ」の放送を見て惹きつけられてしまった。番組HPを見ると以下のようにある。

★スーパーロックバンドKISSの創設者、ジーン・シモンズ(70)。46年間、悪魔を演じてきたが、ついに引退を決意。独占密着取材で知られざる“素顔”を明らかに!
ラストツアーの舞台裏!火を噴く秘密、悪魔メイクはなんと自分で▽70歳の今も20キロ近い衣装で、2時間休みなく演奏。過酷なステージを支えるものとは▽原点は最愛の母の生い立ち。ナチスの強制収容所に送られ、両親が殺害されるのを目の当たりに。過酷な人生を乗り越えた母の教えとは▽ビジネスも大成功!関連グッズの売上は1000億円以上。「いつも金がもっと欲しい」▽スーパースターの心の内。「我々は頂点のまま去る」
 
 音楽と言えば若いころはニューミュージックを聞き、歌謡曲も聞いた。大人になるにつれてクラシックに興味を示す。ところが昨夜見たロックミュージック。やかましいだけのロック、と思っていた。ところが昨夜のヒューマンをみてミュージシャンの心の奥を覗いた感じがして、興味津々で最後まで見る。久々に眠っていた何かが目覚めたような感覚で面白くテレビを見た。
 
 ヒューマンにシモンズを取り上げる意味がわかる番組だった。この番組の主役はジーン・シモンズでユダヤ人のためアメリカ人らしい名前に改名している。底辺にあるのは「人生は一度きり」。これは誰もそうだ。その気持ちが彼の生きざまになって歌になる。25年来の彼のマネジャーはシモンズが「メールの返信7秒、電話の返事7秒」と即返答と話す。日本公演には全国からのファンが駆けつける。なんと彼らと一緒に写真を写る参加費は15万円。それでもファンは彼らと同じ格好をまねて写真におさまる。すべてはお金、とシモンズは話す。お金が嫌いな人はいないだろう、と。世界中のお金持ちにユダヤ人が多いのもこれを見てうなずける。
 
 来年7月にシモンズの母が眠るニューヨークで最後のコンサートをするそうだ。シモンズたちはコンサートのメイクはすべて自分でやり、身に着ける衣装や靴は20㎏。18㎝と高いブーツを履いて休む暇なく演奏し続ける。休みはドラムソロの2分間だけ!?
 
 シモンズは話す。
 
・「生かされている限りは上を目指す責任がある」。母の教えがジーンの原動力となった。
・厳しい生活の中、「アメリカ文化の洗礼」を受ける。
・何もかもわからず、体が自然に踊り始めた。
・ユダヤ教の名前にアメリカは受け入れづらい響きだった。ある日、ジーン・シモンズになった。
・我々のようなバンドは他にない。
・母に大金の小切手を見せたら、「さあ、次はどうするの?」と私に聞いた。
・人生どん欲に愛せれば、色気を持ち、力を持ち、突き抜けられる。
・全ての力は内なる自信から湧き出る。
・夜が明けたら明日の自分の記録を塗り替える。そうすればチャンピオンだ。
・2021年7月、母フローラが眠る土地ニューヨークで最後のコンサートが行われる。
 
 本当に元気をもらった番組だった。今さらロック、という感じだが、若者や人々を魅き付ける音楽の意味がわかる。本場のジャズを聴くのが夢だが、ロックも聞いてみたい!
 
 そうそう、忘れていた。一番びっくりしたのは灯油を口に含んで松明に吹っ掛けるパフォーマンス。それと、常に悪魔のごとく舌を出している。まあ、悪魔を気取っているから当然かもしれないが……。
 
 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2020年4月15日水曜日

オペラ「魔笛」からアダージョ「フルート四重奏」より

 新国立劇場「巣ごもりシアター」のオペラが期間限定で公開されている。これを知ったのはフルーティストのツイッター。公開中の「魔笛」を動画で見ると2時間40分と長い。第2幕が始まるとタミーノがパミーナの横で吹くフルートの曲に目が留まる。これは練習済みの曲と思って曲名を調べる。ネットで調べるがなかなか曲名がわからない。仕方なく、タミーノの吹く曲をICに録音して動画を探す。さらには自分がこれまで練習した曲名のリストからモーツアルトの曲を探すと♪アダージョ「フルート四重奏」より♪がある。もしかしてこの曲、と思ってYOU TUBEで聞くとタミーノの吹く曲と同じだった。
 
 ワードにこれまで練習した曲名を書いている。どの曲集かもわかるようにしている。すぐに楽譜を取り出して吹いてみる。以前に練習した曲でもすぐに吹けた。これからは再度吹いてみたくなる曲をまとめて、いつでも吹けるようにしよう。

  モーツアルトの曲は「魔笛」のなかにも聞いたことがある曲が多い。探した曲もそうだがアリアも有名な曲。広島でも何年か前に「魔笛」が上演されて聞いたことがある。だが、今一歩詳しく知らずにいた。今回の「巣ごもりシアター」を見て、登場人物や音楽などよくわかった。特に後半の第2幕から面白くなる。この企画は17日から第2弾としてまたほかの演目が上演される。これも楽しみだ。

  今朝もこの企画を教えてくれたYOU TUBE先生のブログを見る。コロナで演奏機会がなくなり、1人で4つのパートを吹いてそれを編集し、YOU TUBEにアップしている。ほかにも毎日のように動画のアップがある。石丸謙二郎のブログを見ると、何かをやっている合間に♪月の光♪をピアノで練習するとある。皆さん、家の中で自分なりの楽しみを見つけているようだ。さらにはお笑いの人も漢字を勉強中、とある。

  長時間同じことばかりはできない。そこでパソコンで遊ぶ、本を読む、フルートを吹くを定番として気づけばどれかに夢中になっている。その合間に洗濯、買い物、食事の用意が入る。だが、どういっても運動不足になりそうだ。自転車に乗らず歩いて買い物に行くが自転車も悪いことばかりではない。自転車は有酸素運動になる。有酸素運動の水泳ができない今、自転車に乗って出かけてもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!、

 ここで余談。「魔笛」の中のフルート演奏はYOU TUBE先生だ。

2020年4月14日火曜日

何もかも中止や延期の知らせ

 雨が2日続き、最高気温10度から今日は晴れの20度の予想。春らしいお天気になりそうだ。今朝は目覚めが遅く、外から日差しが入っている。昨日届いた広響のメールによると来月末に開催予定の定演は中止され、その代替え演奏会は来年1月とある。昨日はほかにもご自宅を開放してホームコンサートを開催されるハープ奏者からも当分取りやめのSMSが入る

 雨の中、運動を兼ねて郵便局に行く。入り口でマスクを販売していた。手作りマスクらしく1枚300円とある。品不足のマスクも我が家には昨年、箱単位で買ってある。それ以前、母を介護していたころに買った頑丈そうなマスクもある。だが、日常マスクを使用しない。個人的には花粉症対策で使用するマスクも今年は使用していない。だが、いざ、外へ出かけるときのためにとバッグにマスクを忍ばせて出かける。

 郵便局で粗品としてウエットティッシュなどくれた。その前の日に銀行に行くとここでも大きなウエットティッシュなどをもらう。いずれも除菌タイプのティッシュだが、これも使わない。まだコロナの怖さを身に染みていないのかレストラン入り口や方々に置かれている消毒液を使ったことがない。自分は大丈夫、と根拠ない自信がそうさせる!?

 怖がってばかりいると気持ちが先に壊れそうだ。天気がいい日は外に出よう。家の近くをウロウロキョロキョロして歩く!?これがいいかも。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月13日月曜日

またもアンダルース!

 スウェーデンのダグニーさんのブログを見ると、連日コロナが話題になっている。ほかにも毎日見ている人のツイッターやブログにもコロナの話題が多い。コロナは衰えるどころか日に日に勢いを増す。昨日と今日は最高気温が10度と低く、真冬並みの寒さだ。ましてや雨も降り続いている。買い物にも行かず、家に閉じこもっていると体に良くない。そうと知りながらパソコンがもっぱらの友だちだ。

 巣ごもりシアターをフルーティストのツイッターで知り、「魔笛」を見る。オペラは2時間40分と長時間だ。いくらパソコンが好き、と言ってもモノゴトには限度がある。この間、パソコンの前に陣取る忍耐がない。仕方なく3回に分けてオペラを見る。このほかにも順次、期間限定で2作のオペラが公開される。これも暇つぶしに見よう。

 動画を検索するとオペラのアップはなさそうだ。ほかの動画を検索していると司馬遼太郎にちなんだ動画のアップがある。テレビから録画した動画は今ほどきれいな画像ではない。だが、関心をもって動画を見る。司馬は亡くなる20数年前までこれからの日本を憂いている。まさか、コロナウイルスで日本どころか世界中が脅かされようとは想像だにしなかっただろう。まあ、これは誰もがそうだろうけど……。

 外は雨が降っている。気持ちだけはしっかり持って……。また、アンダルースの動画をアップしよう。昨日はこの曲を吹いてICレコーダに録音。まだまだという感じがする。頑張って練習しよう!

 今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月12日日曜日

TVシンポジウムを見る

 フルーティストのツイッターに「夢にまでみた『毎日バカンス』」がある。これを見て、「毎日が日曜日」でなく「毎日バカンス」とは若者らしい表現と感じてしまう。どんな有名な演奏家もコロナの影響で演奏機会を奪われ、家の中で楽しみを見つける日々のようだ。
 
 NHKで「作家司馬遼太郎さんをしのんで毎年行われる菜の花忌シンポジウム」が放送された。番組欄の司馬遼太郎に目が留まり、放送を見る。番組HPによると以下のようだ。
 
★今年は、激動の時代、幕末を生きた土方歳三と河井継之助にスポットをあて、男たちの生きざまに迫る。新選組副長として、幕末の動乱の時代を生きた土方歳三。一方、長岡藩で、新政府軍に対抗し、武装中立を目指した河井継之助。作家司馬遼太郎さんは、『燃えよ剣』と『峠』の作品の中でそれぞれの人生を生き生きと描いた。いまも人々を魅了してやまない、動乱の時代のブレない男の生きざまとは?黒川博行、小泉堯史、磯田道史、星野知子が、縦横に語り合う。
 
 河井継之助は昨年秋出かけた新潟の旅で現地ガイドの話で知る。『燃えよ剣』と『峠』はまだ読んでいない。4人のゲストもそれぞれの視点で河井や土方を語る。河井と土方には司馬遼太郎が描く男の美学があるという。すぐにでも読みたくなる。だが、今は『項羽と劉邦』の2巻目を読んでいる。早く読み終えて次はこのうちのどちらかを読もう。
 
 今日は最高気温10度の予想で一日中雨。明日も気温が低く雨のようだ。乾燥した日々が続いている。広島県の三次(みよし)市ではコロナのクラスター発生で23人の感染者が出た。東京からこの市に帰省した大学生がウイルスを持ち込んだようだ。地方の感染者はほとんどがこのような大学生の帰省によって感染している。困った現象だ。
 
 雨の日曜日は「毎日バカンス」をまねて家でおとなしくする!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月11日土曜日

「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」を見る

  お笑いの光浦靖子がカナダ留学を予定していたがコロナで取りやめとなったネットニュースを見る。長く芸人をやっていて途中、思うところがあって留学する。いいじゃないと思って読んだ。この1年半、司馬作品を読んでいる。今は日本のことでなく中国の項羽と劉邦を取り上げた本を読んでいる。この2つのことが頭の隅にあるのか今朝は光浦が夢に現れ、司馬の作品から殺傷沙汰の「刀」が出てくる。留学と刀からなのか、誰かに「刀」を切り口とした文を書くように促される夢で目が覚める。

 先日、NHK総合で放送された「歴史秘話ヒストリア『激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉』」を見た。この梅屋庄吉は日本の映画会社である日活の創始者だ。番組HPによると以下のように書いてある。

★中国史上初めて、皇帝の支配に終止符を打った辛亥革命。この歴史的大事件の陰で奔走した日本人がいた。長崎生まれの実業家・梅屋庄吉。秘蔵の日記から、革命家・孫文との運命的な出会いと熱い友情のドラマが浮かび上がってきた。最先端メディアだった映画でヒットを連発し、革命資金を稼ぐ梅屋の挑戦。度重なる武装蜂起の失敗にめげることなく、不屈の決意で清王朝に挑む孫文の苦闘。固い絆で結ばれたふたりを待ち受ける運命とは?

 孫文は中国では「国父」と言われている。それをもじってかどうか孫文は梅屋を「賢母」と言い表して色紙を書いている。孫文は知っていても梅屋はこの番組で初めて知った。梅屋の原点は長崎。そこで出会った孫文の革命にかける資金を手に入れようとする梅屋。梅屋は映像技術を駆使して日本に映画をもたらす。日活だった。映画はヒットし、辛亥革命も映像に残した。これもヒットして莫大な金銭を手にする。これもすべては孫文の革命の援助となる。孫文の革命は成功し、梅屋と不滅の友情が芽生える。不屈の英雄孫文は「今後も全アジア民族復興のためご協力を切望し併せてご健康を祈る」と綴り、「革命いまだ成らず」の有名な言葉を残した。梅屋は「最後のところで(日中両国は)わかりあえるというストーリーを提供」した。そして、孫文の死後、最後の大仕事として孫文の像をつくって中国に寄贈した。

 番組を見てまだまだ知らないことだらけと思ってしまう。梅屋の故郷、長崎へも行きたくなった。だが、今はコロナでどこへも行けない。今日は日本画教室の日だが、自粛要請が出たためか先生から教室中止のメールが入る。市内のデパートもこの土日の2日間、臨時休業するという。なにもかも身動きできなくなった。ささやかな楽しみは近くのスーパーに出かけて食料品の買い物をする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月10日金曜日

「巣ごもりシアター」

 フルートのYOU TUBE先生のツイッターを見ると新国立劇場「おうちでまったり!『巣ごもりシアター』のご案内」がある。一流のフルーティストであってもコロナウイルスの影響で演奏の機会は全くないようだ。その矢先に上記の「巣ごもりシアター」紹介である。新国立劇場なるところへは出かけたことがない。そのHPを見ると今、話題のミルクボーイの漫才が目に留まる。本来ならばオペラを見るところを画面に動画が並んで表示せれるため、後回しになる。といってもオペラは期間限定での公開だ。

 コロナウイルスの勢いは止まりそうにない。市内は大丈夫と思って友だちとランチをする。先月出かけた川沿いのお店は土手の桜が散りつつある。だが、お店の屋外にはテーブルが桜の下に置いてある。ここで食事をするグループが数組あった。私たちは屋内でいただく。このご時世、本来ならばにぎわうレストランもお客が少ない。コースランチはお手軽の上、さらに今回はグラスワインかビールが付く。これでお店は……と申し訳ない気がするがお客としてはありがたい。

 話を戻そう。「巣ごもりシアター」とはうまい表現だ。ただ、個人的にはその前に書いてある「おうちでまったり」、このキーワードが嫌い!「まったり」は最近テレビで耳にするようになった。だが、自分でこの言葉を発したことはない。辞書で調べると掲載がある。ということは昔から使われていた言葉!?「まったり」でなく「ゆったり」の響きがいい。まあ、どっちでもいいけどやっぱり……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月9日木曜日

コロナ感染者数の増加

 ク〇ブツーリズムから旅行のパンフが送られてきた。県内版と国内総合カタログ、そして関西のカタログだった。このうちの1冊に2020東京オリンピックの観戦ツアーがある。カタログの編集時点ではオリンピックが延期になることが決まっていなかったのだろう。それにしても見ていて変な気がする。カタログを見ると行きたくなるが、本気で行く気にならない。多分、予約してもこういうご時世、人が集まらないに違いない。

 コロナは収まるどころか日に日に感染者数が増えている。広島もあっという間に感染者が20数人になった。都会から地方にやってくる人からの感染者もいる。

 ごみを出しに外へ出ると学校に通う生徒の元気な姿がある。感染者は学校に通う人でなく、3,40代の働き盛りが多い。とはいってもこれから先はどうなるかわからないが……。

 個人的には制限された生活の中で、気になるのは運動不足。コロナの影響で毎日、歩くようになった。狭いわが町であっても自分が生まれた付近しか歩いたことがない。歩きついでに町内巡りをする!?面白いかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月8日水曜日

地元の桜

 住んでいる町には標高192mの岩〇山がある。この麓に岩〇神社があり、付近一帯は岩〇公園として桜が植えてある。長く住んで神社にお参りしても、長い間、ここの桜を見ることがなかった。20年くらい桜の季節に出かけていない。近くにある桜は瀬〇川の川岸に出かけていた。ふと、思いついたのが地元の山に咲く桜だった。
 
 小さいころ、桜の季節になると各自、弁当を持参してこの山でお花見をした。春休みの1,2日、どの家も茣蓙を敷いてお花見に出かけた。それは町の住民全員が繰り出すほどの勢いがあった。大きくなるにつれてお花見は地元でなく、他所に出かけるようになる。
 
 久々に出かけると途中にある神社までの坂が急こう配でかなりきつい。お墓参りの後で詣る神社は平坦な道だが、逆に下りは急な坂道だ。桜の季節に参る機会がなかった神社だが、昨日も神社をスルーして山を登り、桜を眺める。神社の桜の木の下で休憩中の人に話すと前日はもっと桜がきれいだったそうだ。
 
 20年ぶりくらいで山への階段を上る。人の気配はなく、てっぺんにある「観音さん」までは怖くて行けそうにない。せめて鐘だけでも突きたいと思ったが、これも怖くてやめる。途中の階段で一休み。下を振り向くと広島の市街地が見え、先方には黄金山も見える。この山も桜の名所だ。地元の山も市の公式な桜の名所になっている。
 
 桜を堪能して来た道でなく違う道を帰る。初めて通る道で人家がなく竹藪が茂って薄暗い。しばらく行くと家がある。庭に出ている人に声をかけると土日は大勢の桜の見物客でにぎわったそうだ。話しているとシカやイノシシがこの人家あたりまで出るらしく、1人で歩くのは危ないという。大人になるまでは「観音さん」も山のてっぺんにあったが、今はそのお寺も下に移って山に登る人も少ないらしい。
 
 家に戻って町内の地図を眺める。出かけた道をたどると話をした人はどうも同級生のようだ。とはいっても先方もこちらが誰かわかっていない。地図で確かめて家を知った。顔はそういえば、と後から思い出す。中学以来だから半世紀はとっくに過ぎている。顔が分からなくて当然かもしれない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
神社の鳥居をくぐった付近

頂上目指して階段を上る?

途中で振り返る

 
説明を追加

広島市内が見える 向こうの山は黄金山

このあたりで一休み

またも振り向いて桜を眺める

2020年4月7日火曜日

コロナ疎開&コロナ恐慌!?

 コロナウイルスの影響で自転車に乗らず、歩いて出かけている。歩きついでに、地元の神社の桜を見に行こうとするが今一歩気が進まない。

 昨日から学校が再開されたニュースが入る。我が家の横にある小学校も授業が再開されたのか、校内アナウンスが聞こえてくる。学校も本格的に始まれば図書館もプールも再開?と思ってしまう。だが、これも県内のウイルス感染者が日に日に増えれば、いつの再開かも危ぶまれる。

 今、ブレーク中のお笑い芸人のブログを見ると今日から仕事がストップ、とある。テレビ局もコロナ感染を考慮して出演者を減らしている。これも仕事がなくなる原因かもしれない。

 仕事に関しては個人的にはとっくに別世界になった。何はともあれコロナに感染しないように気を付けなければならない。島根と鳥取は都会からのコロナ疎開が増えているとか。疎開、をこういうことで使うのもなんか変。そういえば美輪明宏は昨日、ごごナマ出演でコロナを恐慌と話していた。恐慌もあまり言葉として使わないので違和感を抱いてしまう。疎開も恐慌も平穏無事な日常では必要ないキーワード。今、起こっている現実がいかに怖いことかこのキーワードからも見えてくる。

 モノゴト、あれこれ考えず地元の神社付近の桜を見に行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月6日月曜日

『空海の風景 上』

 広島と福岡のJ 〇Bから旅のパンフレットが送られてきた。コロナがなければすぐにパンフに飛びつくはず。だが、どこかへ行こうとしても本気になれずにいる。旅行会社も初夏になればコロナも……と当て込んでパンフを送付するのだろう。本来ならば明日と明後日は吉野の桜や高野山観光に出かけるはずだった。これもコロナでご破算となる。

 高野山と言えば空海。先日読んだ『空海の風景 上』(司馬遼太郎 中央公論社、2012年改訂32刷)。気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★……都へのぼっていくこの少年には、のち歴史に巨大なものを展開するこの種の人物にありがちな年少時の苦艱というものがまったくなく、要するに「偏ニ悲ミ、字シテ、貴物ト号ス」といった波瀾のない生いたちであったことを知りたかったからである。……空海はここの中間階級出身者にふさわしい山っ気と覇気を生涯持続した。43-44p

★「佐伯の宿禰どのが」
といううわさばなしも空海はきいていたにちがいない。佐伯の宿禰とは、空海の家が勝手ながらも佐伯姓の宗家としている中央の佐伯氏のことで、このばあいは佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を指す。47p

★深刻な知的煩悶のみがあり、わざわざ演劇的構成でもって『三教指帰』を書くことによって、かれが大学で学ばされている儒教と道教と仏教の三者の優劣を比較し、結論として仏教の方ほうが他の二者よりはるかにすぐれているということをひき出すのである。ひき出しただけではなく、それへ転身してしまう。かれが仏道に入ったのはいわば学科の転科にすぎず、中世の爛熟期に日本にあらわれてくるひ弱な厭世的j情念などはこの精気のあふれた男にはなかった。58p

★空海の才華はひらくべくしてひらいたというより、それに豊饒な土を与えたのはここの期間の叔父であったにちがいなく、とくに空海がその生涯において阿刀氏以外に一人の師に入念に就いたということがなさそうなことを思えば、そういう感がふかい。65p

★かれのこの当時の名前は「真魚」(まいお)」といったらしい。その根拠は、わずかながらある。佐伯真魚である。70p

★空海――仮名乞児――はここで人間存在についての仏教の一般的解釈をいうのである。
人間というものはもともと三界に家がないものだ、あると思っているのは錯覚である。人間の住む六趣の世界をご存じであるか。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、そして天上の六つの世界のことだが、人間はこの世界をくるくると輪廻して定まるところがない、それゆえ私はときに天堂(天国)を国とし、あるときは地獄を家とする。89-90p

★空海によって体系として大完成する密教はその時期以後を純蜜と言い、それ以前の没体系的な、かけらのかたちで伝わってきていた密教を雑蜜として区別した。ついでながらこの雑蜜はその後もこの国の山河に根づき、大和の大峰や出羽の羽黒山などの山林で土俗と習合しつつ歩き巫女、外法の徒、あるいは山伏といったふうなかたちとして生きつづけた。106p

★要するに空海は、大和国高市郡久米寺の東塔下において大日経を発見したのである。161p

★空海はこれがために入唐(にっとう)を決意した。大日経における不明の部分を解くためであった。……久米寺で見た大日経についての疑問点を明したいためというだけのものであり、遣隋・遣唐使の制度がはじまって以来、これほど鋭利で鮮明をもって海を渡ろうとした人物はいない。167p

★空海は淡泊な男ではなかった。というより並外れて執念深い性格をもっていた。そういう性格でなければ、神道的平明さを思想的風土とする倭の土地から、悪魔的なほどに複雑な論理を構築する男として歴史に登場することはできなかったであろう。220p

★「自分の体系を国家が欲しいなら、国家そのものが弟子になってわが足元にひれ伏すべきである」というべきという気持ちがあった。さらにその気持ちをささえていたのは、遣唐使船に乗るにあたってかれが自前で経費を調達し、その金で真言密教のぼう大な体系を経典、蜜具、法器もろとも持ちかえったという意識があったからに違いない。空海は私学の徒であったとさえいえる。222p

★空海は、いう。いま、使者がきて入京が許されないということを承った。……一転して、空海は閻済美の人徳の高さを湛える。……閻済美は結局、空海を入京させることにした。橘逸勢のような男は、すねを挙げ、手を搏(う)って、空海のためによろこんだであろう。
 入京する者、葛野麻呂以下、すべて二十三人である。282-282p

★空海も馬上の人になった。
十一月三日、福州を辞した。……長安城までは、唐の里程にして七千五百里である。283p

★「木妖」(もくよう)とよび、時代の衰兆をかぎとった。しかしながら空海が長安に入ったのはこの木妖時代が終了して、その成果のみが坊々に燦然とかがやいているときで、いわば長安の都市美の爛熟期であったといっていい。空海の側からみれば、外国人であるために木妖を憂える必要はなく、ひたすらにそれを讃美すればよかった。空海が長安の都市美が最高潮を保っているときに入ったというだけでも、かれについてまわる幸運がここにも息づいているということができるであろう。302p

★六朝は貴族政治であるために門閥を重んじたが、唐朝は思想として普遍性を尚び、皇帝の補佐をする人材はひろく天下にもとめ、試験でもって登用し、人種を問わなかった。唐の皇帝の原理には、皇帝は漢民族の身の皇帝であるという意識はなく、世界に住むすべての民族を綏撫(すいぶ)するという使命をもち、華夷のわけへだてをするということがない。唐朝において大きく成立したこの普遍的原理を、空海が驚嘆をもって感じなかったはずがないであろう。かれがのちにその思想をうちたてるにおいて、人間を人種で見ず、風俗で見ず、階級で見ず、単に人間という普遍性としてのみとらえたのは、この長安で感じた実感と無縁でないに相違ない。326-327p

★護摩というのは、火をもって供養するということで、釈迦の仏教にはこれがなく、むしろこの種のものを外道として排した。しかし、密教は釈迦が嫌悪した護摩をとり入れたがために、空海の護摩に対する関心がつよい。護摩は、インド古来の土着宗教であるバラモン教から系譜をひいているのであろう。334p

★空海が後年、護摩をも思想家してしまったのは、護摩の火に薪という具体的なもの――煩悩――が焼かれて清浄という抽象化を遂げるという内容を考えたからであった。336p

★繰かえすようだが、比較は空海のもっも好むところであり、しばしば、かれの知的作業の方法でもあった。337p

2020年4月5日日曜日

モミジを描く

 日本画教室に出かける。JRの車内は行きも帰りもいつもとは違って人が少ない。この季節、本来ならば下りは宮島や岩国観光で込み合う車内もコロナの影響でさすがに乗客が少ない。コロナの感染者は広島県で15人。その大半は都会からの帰省者や海外からの帰国者。徐々に県内の感染者も増えている。

 ところが絵の仲間は暢気なもの。さすがに会場の区民センタ―の会議室やホールは利用者ゼロでも習いものなどはいつも通りの開催だ。モミジが徐々に色づく様子を描いている。昨日は色づけの際、モミジの切込みの葉の先を濃くするため、色づけしながらぼかしていく。1枚ずつのモミジの色付け。ぼかしを入れるとより一層絵になると先生。そのぼかし、何年習っても思うように描けない。お手本として1か所の切込みの葉を先生に描いてもらう。自分の描くのとは違ってさらにモミジらしくなった。

 次週は写真通りの色付けでなく、絵の中央あたりのモミジの色を赤くするようにとアドバイスされる。絵はだいぶモミジらしくなったが、バックの色の汚れが目立つ。先生曰く、「絵具と膠の溶き方がよくない」からだそうだ。小さいダマが地塗りに浮き上がる。これもいつものこと。これからは注意して溶かないといけない。教室が終わるといつものごとくカフェタイム。さすがにカフェも人が少ない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月4日土曜日

「バイオリニスト 古澤巌」を見る

 昨夜のらららクラシックは「バイオリニスト 古澤巌」だった。テレビ欄を見てどうしても見たかった。番組HPを見ると「バイオリニスト 古澤巌~至高の音を求めて~ (1)ベルリン・フィル団員との豪華共演 (2)日本各地での奉納コンサート (3)多彩な趣味もバイオリンのため!? 世界が認めるバイオリニスト古澤巌に密着!クラシックの枠に収まらず、さまざまなジャンルのアーティストと活動してきたバイオリン界のパイオニアに迫る。ベルリン・フィル団員たちとのコンサート、全国津々浦々の寺社仏閣で行う奉納公演、意外な趣味『サーフィン』まで古澤巌の魅力が盛りだくさん!いま古澤が注目する作曲家マリーノ『Side to Side』、ラフマニノフの名曲『ヴォカリーズ』の演奏にも注目!」とある。まさにこの通りのいい番組だった。
 
 番組最後に「今日の自分と明日の自分は違う」みたいなことを話していた。それはいろいろと自分の好奇心のままに行動していることに対しての返答だった。以前、古澤のブログを見ていたころ(今はブログのアップがない)は合気道とカーレースが趣味とあった。今はそれにサーフィンが加わる。全国の神社仏閣に出かけての奉納コンサートは年に40回くらいするという。コンサートホールに出かけられない人たちに気軽にクラシック音楽を聞いてもらいたいからだとか。
 
 古澤の6月の三原での演奏会チラシが手元にある。聞きに行こうと思っているが、コロナで演奏会が危ぶまれるため、チケットは購入していない。旅でも旅費を支払ったのちにキャンセルがあったりする。これを危惧して思うように行動ができない。古澤のいい番組を見てコロナに結び付けるのは嫌なのでもうこの話題はやめよう。
 
 昨夜のバイオリン演奏は素晴らしかった。番組最後に弾いたヴォカリーズ。フルートの楽譜を持っている。これをまた練習しよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月3日金曜日

ダークサイドミステリー「ナチスをだました男 20世紀最大の贋作事件」を見る

 新年度がスタートした。テレビも新たな番組が始まる。昨夜のNHK BS新番組「ダークサイドミステリー「ナチスをだました男 20世紀最大の贋作事件」を見る。
 
 番組HPを見ると「芸術の価値は誰が決める?ナチス高官をニセ名画・幻のフェルメールで15億円サギにかけ、世界に衝撃を与えた天才贋(がん)作師メーヘレンが暴いた、芸術と金と欲望の闇!」とある。さらに「ヒトラー率いるナチスドイツの最高幹部が15億円の名画サギに!?世紀のだましを実現したのは、闇の天才贋作(がんさく)師メーヘレン。大人気画家フェルメール幻の作品への金持ちや権力者の欲望を狙いニセ名画を量産した末に、驚くべき数奇な運命で人生を翻弄された伝説の画家だ。タダ同然の絵を数百万倍の名画に仕立てただましテクニックとは?高名な美術研究者までだまされた、意外な落とし穴とは?芸術と金と欲望の闇に迫る!」とある。
 
 このことは番組で初めて知った。メーヘレンも初めて聞く名前で最後に彼は国家反逆罪で捉えられる。オランダ人であるメーヘレン。ナチス率いるヒトラーとその2番手はナチスが略奪した名画を我が物にした。特に2番手の人物はフェルメールの作品を収集していた。フェルメールの作品のある時期のものは行方不明となっている。元来、正当な絵描きだったメーヘレン。時代は正当な作品を評価しなくなる。そんな時、依頼されたのが高名な画家の絵の修復作業だった。これがうまくいき、思いついたのが有名な絵の贋作を描くこと。これが数億の価格で売れた。フェルメールの所在不明の絵をあたかもフェルメールが描いたかの如く描くとその絵が10数億の価格がついて売れた。これに気をよくしたメーヘレンは贋作を描き続ける。だが彼は次第に麻薬におぼれていき、絵も繊細に描けなくなる。
 
 メーヘレンは「ナチスを手玉にとった男」としてオランダ警察に捕まる。番組ゲストの1人は話す。「美術作品は人間の意義・価値を映す鏡のような存在だった」と。だからこそ「自分の物の見方に自信を取り戻すこと」が大切だという。ところが今や「『美』は専門家が語るようになっている」と話す。自分が見て好きな絵がいい絵だと。これは美学の先生も話しておられた。
 
 国家反逆罪で捕まったメーヘレン。最後にこの絵が贋作であることを証明するために皆の前で絵を描いて見せる。描いた絵を見た裁判官らはこれはフェルメールの絵でなくメーヘレンの贋作と証明する。メーヘレンは絵が判明した6週間後に心臓発作でなくなる。なお、メーヘレンの贋作を集めた美術館がオランダにあるそうだ。
 
 この番組に出たゲストの1人は、本当に自分の気持ちをここで話してもいいのかと念を押して話す場面があった。それは有名な絵でもなんでも自分の判断でなく人の判断で絵の良しあしを決める云々のような話だった。これが「『美』は専門家が語るようになっている」ということだろう。美学の講座を受けて一番感じたことは絵は自分の好き嫌いで良しあしを決める、ということだった。音楽だってなんだって人がいい、と言っても自分の好みとずれることがある。それなのに絵は画商の判断で桁外れな金額で取引されている。いい番組だった。次週はもっとミステリーで怖いお話のようだ。
 
 話は変わって昨日は午前中、川岸の桜を見に行き、帰りにマックスバリュに立ち寄る。初めて行くスーパーだが、大手チェーンのスーパーらしく、野菜売り場を見るといきなりフィリピン産が並ぶ。こりゃだめだ、とぐるっと見て外に出る。大手スーパーは大量に外国産を購入して安く売るのだろう。午後はお寺の護持会費を振込に郵貯のATMに向かう。途中、3人とばったり出会う。いずれも下の名が同じでびっくり。コロナの影響で運動不足になるため、なるべく用事を作って外に出るようにしている。出会った3人も同じらしく外に出ていた。そういえば桜の下ではお花見の家族もいた。家にいるように、と言われても皆、外に出たい!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月2日木曜日

ああ、コロナウイルス

 今朝のYahooニュースは「荒磯親方、独りぼっちの入学式『みんなに追いつけるように』 早大大学院スポーツ科学研究科修士課程」が目に留まる。荒磯親方とは元横綱稀勢の里で33歳とまだ若い。コロナウイルスの影響で入学式が取りやめとなり、たった1人で入学式に臨んだという。もっと横綱でいてほしかったが、別の形で頑張る姿を見られるのはうれしい限り。

 雨もやんで日がさしている。プールに行く途中にイオン改めマックスバリュが開店した。オープンはだいぶ前になるが1度も行っていない。散歩を兼ねて行ってもいいかもしれない。

 コロナウイルスは大都市では収束どころか日増しに増え続ける。コロナで動きが制限されている。だが、自分のことをよく考えると、制限されていることは30代半ばまでいずれもやっていなかった。ということは時代を戻して、30代半ばの自分に帰るとどうだろう。制限された生活ではなくなる!?その頃は何をしていたのか。会社と家の往復だけの生活ではなかったはず。今、思い返しても面白くない生活と思ってしまう。

 そう思うとやっぱり当時よりも今がいい。たとえ制限された生活であっても、ほかの楽しみを見つけて動いている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月1日水曜日

「役に立たない生産性のない読書」

 今朝の地元紙文化欄「4月の随想」に柏木博は「読書の風景」として書いている。見出しには大きく「生産性考えずゆっくり」とある。3年前にがんが見つかって以降、「大きく変化したのは読書だ、そうだ。それは「仕事のために読書するのではなく、読みたいものを読む。役に立たない生産性のない読書である」という。

 この「生産性のない読書」はまさに自分自身にも当てはまる、いい表現方法だ。「生産性」を電子辞書で引くと「生産過程に投入される」とある。改めて生産過程とは、を調べると物質的財貨を生産する過程とある。ということは生産=金銭に換算できるモノであり、その真逆は消費!?では消費はムダ!?

 何ら生産性のない読書に時間を費やしている。生産性のないのは読書に限らない。自分が楽しみとする趣味すべては生産性がないかもしれない。しかし、この趣味は人から見れば消費するだけのことであっても自分にとっては生きる上で欠かせない。元気で毎日を暮らせるのも趣味のおかげ。お金儲けにならないことはしない、という生活であれば何のために生きているのかわからなくなる。人生、ムダなことは何もない。生産性のない読書であっても自分が本を読んで楽しければそれは何モノにも代えがたい。

 今日は一日中雨の日となりそうだ。何もせず、一日を無為に過ごさないためにも生産性のない読書をしてフルートを吹いて……元気に過ごす!?これに尽きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!、