ガイドに連れられて近くの医院へ行った。当時は酸素ボンベが枕のような形で、ホースを口にくわえて酸素を吸う。ただ、注射だけは針が怖くて絶対打たない覚悟でいた。注射針で病気になる恐れがあった。医院と言っても狭い部屋で想像する医院ではない。保健室といった感じで机と椅子があった。高山病になると酸素吸入よりも体が高地になれるしかない。一晩寝て起きれば「何だったのか」という感じでケロッ、としている。寝ると同時に食べ物を口にするのもよくない。
この経験があるのに性懲りもなく、それ以降も辺境の高地で高山病になる。コロナで今は旅もできない。もしかしてこれからずーっと旅行ができなくなるかもしれない。10年のパスポートも今月に入って残が1年をきった。すぐに更新しようとしたがこの状況ではパスポートを取得するどころではなさそうだ。
手元にあるチベットの旅の参加者を見ると8人で全員1人参加だ。うち男性は2名。当時は中国など共産圏の国に出かける時は空港の特別室に集合して注意事項を聞いた。チベットは高地なので絶対にアルコール飲酒はダメ、と聞かされていた。それなのに、男性1名は旅慣れた様子で機内でアルコールを飲んでいた。案の定、10日の旅の間、ずっと病院に入院で観光はしていない。チベットで一番有名なポタラ宮でさえ、帰りの飛行機に乗る前の移動バス車内からの観光だった。他の人は旅行中、すでに観光していた。
2番目にダウンしたのが私。ツェダンの観光をせずにホテルで寝ていた。しかし、他は皆と同じように観光した。この時、知り合った人とは28年経った今でも年賀状で連絡を取りあっている。今年の年賀状にはペトラ遺跡を観光した、と書いてあった。
チベットの旅の思い出はお土産に買ったマニ石にもある。マニ車とかいうあのマニ石。チベットの僧侶が寺院の隅でチベット文字をマニ石に彫っていた。それを購入したのだが、何が書いてあるかわからない。このお坊さんと撮った写真はもちろん捨てられない。
お土産に買ったマニ石(大きさは片手よりも大きい) |
旅の写真を整理したら、次は旅のお土産品リストをつくろう。これが旅の思い出の課題になった。
マニ石と書いていて思い出した。2011年6月のブログに書いている。某大学のエクステンション講座を受講した際、「チベット語が廃れてはいけないと思い先生は辞書編纂プロジェクトに参加して学んでいる」と。この先生に聞けばマニ石の文字がわかるかもしれない。2011年と言えば親が亡くなった年で、市内のあちこちの大学の講座を受けていた。その時、チベット辞書編纂の先生がいらっしゃった。だが時が経過してしまい連絡も無理だろう。
今はチベットの旅も青蔵鉄道が通って、わりと楽に行けるようだ。28年前の日程表を見ると行きに3日、帰りに3日もかかっている。それにしても夏休暇、よくも長くとっていると今さらながらあきれてしまう。と言いながら新幹線に乗ったら仕事はいつもケ・セラ・セラ、と思って出かけた。働いているときは旅が一番のストレス発散だった。図々しくも長く休みを取って旅をしてよかった、と今さらながら思ってしまう。以下は日程表から。
第1日目 広島🚄福岡✈上海(泊)
第2日目 上海✈成都(泊)
第3日目 成都✈ラサ🚌ツエダン(2泊)
第4日目 ツエダン近郊観光
第5日目 ツエダン🚌ラサ(3泊)
第6日目 ラサ観光
第7日目 ラサ観光
第8日目 ラサ✈成都(泊)
第9日目 成都✈上海(泊)
第10日目 上海✈福岡🚄広島
なお青蔵(青海チベット)鉄道とは、ネットによると中国青海省の省都・西寧とチベット自治区の区都・ラサ間の全長約2,000kmを結び、貴重な動植物の宝庫「ココシリ自然保護区」、崑崙山脈、タングラ山脈、ニェンチェンタンラ山脈という3大山脈、平均標高4,000m以上の青蔵高原を駆け抜ける、世界でも最も高い地点を走る高原鉄道とある。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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