『お嬢さん放浪記』(犬養道子 角川文庫、平成30年)を読んだ。今年の出版であっても初めての出版はかなり古い。犬養道子は昨年7月に96歳で亡くなる。母が生きた時代を生きた人だ。誰もが大学や留学をしない時代にほぼ10年間留学。その理由は「グレイルのようなところで、自分の足りなさと自分の可能性とを発見するのが一番だと考えたのである」と書いている。この本は著者が20代半ばから30代半ばに留学したころのことを書いている。日本の戦後間もなくの留学。半世紀以上も前のことであってもどこか新鮮な気持ちで読める。知らないキーワードが並び、辞書を引きながら読む。
本のタイトルである『お嬢さん放浪記』でなく、しばしば「お嬢さん奮闘記」を思わせる。イタリアのシシリア男性数人に囲まれての列車の旅の怖かった模様。またアフリカの黒人数人に取り囲まれてハイヒールを脱いで逃げ惑うシーンは放浪でなく奮闘や格闘になる。本の最初から最後まで結核との闘いがある。戦後に一番恐れられた病は結核。不治の病だった。外国へ出かけて1年後、結核に侵されて闘病生活が始まる。その時、お金を稼ぐ手段を病院生活で感じる。頭がいい人なのだろう。
この辺りの件は「異国で闘病する若い女性を励まそうと、見知らぬ人々が毎日見舞いに来る。その一人だった海軍士官から、耳よりの話を聞いた。古くなったパラシュートのヒモの処理に困っているという。犬養は、ヒモでベルトを作ることを思いつく。部屋に並べていると飛ぶように売れ、欲しかったラジオが買えた」そうだ。
以下はまたいつものように気になる個所からの抜粋。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★戦争直後、各国に手紙を出してヨーロッパの事情をたずねた時、前々から読書の手引きをしヨーロッパ思想について私に導きを与えてくれていた一人のドイツ人を通して知らされた、ある新しい運動の本部を訪れて、そこの共同生活に入ることによって、お嬢さん育ちに一本筋金を入れてもらいたいとも考えていたのである。その運動はグレイルとよばれた。ナチ下のベルリンで数千名の青年を動員して、精神の自由を謳うレジスタンスを数回にわたって展開したことによって、いまだに記憶されている。現代の性格を研究し、そのテンポとリズムの中で、生活と千差万別の職業とに即したキリスト教をいかに生きるか、それがこの運動のテーマであった。……私はそこに行って、トレーニングを受けて見たかった。……グレイルのようなところで、自分の足りなさと自分の可能性とを発見するのが一番だと考えたのである。9p
★共通な裸の人間性に触れようとしてゆく限り、どんな未知の国に一人で行っても自分は一人きりではないのだ。ブルナフさんの言った「友情のパスポート」はどこにでもある。どこに行っても探せば見つかるのだ、と。実際、十年の旅を通して、私はいつでもこのパスポートを誰かから与えられた。52p
★私はシルレルの言葉を何となく思い出していた。「我、ひとり、されど孤独にあらず」65p
シルレル(1759~1805)を大辞林で調べると「 ドイツの詩人・劇作家。ゲーテとともに疾風怒濤期を経てカント哲学の影響下に美学を研究,古典主義に基づく歴史劇を確立。代表作『群盗』『たくらみと恋』『ドン=カルロス』『ワレンシュタイン』『オルレアンの少女』『ウィルヘルム=テル』,著『オランダ独立史』『素朴と情感の文学について』など。シルレル」とある。
★「なぜ皮膚の色だけは人を見るのでしょうね。なぜ血の色を見ないのでしょうね。誰の血でも、血は同じに赤いのに」66p
★私はアムステルダムで一年、あとの一年半は北オランダで最も名高いチューリップづくりの村ですごした。フォゲレンザング(鳥の歌う村)とよばれる人口百ばかりの寒村で、北には天然防風地帯が、海の大波のようにうねりゆらぐ白い砂丘を連ねていた。私の志したグレイル・ムーヴメントの本部はここにあった。90p
★オランダにも見るべき文化はある。南の国境に程近い松林の中には、世界で指折りのクローラーミュラー・ヴァン・ゴッホ美術館があり、首都アムステルダムの国立美術館はレンブラントの大作、ゴッホの傑作を収めて名高い。……95p
ゴッホ美術館へは27、8年前に出かけた。トルコからの飛行機が飛ばず、アムステルダムで1拍2日、旅を延長。その時のJ〇Bは延長時の観光費用全てを出してくれた。お正月休みを利用しての旅だった。だが、会社に届けをせずに旅に出た。旅の延長に慌てた。ゴッホ美術館は延長時の観光だった。これを読んでその頃を思い出す。その2か月半後に父が亡くなる。それからは母の希望もあってお正月に外国へ行っていない。
★「ちっちゃなフロイライン」と彼は言った。「日本」141p
★「フランスの言葉はただきれいというばかりではありません。非常に合理的に、完成された言葉です。そこにゆくと、ドイツ語は何かしら粗末に思えるのです。そればかりじゃない、フロイライン、あなたはこういうことに気づきませんか、”太陽”を女性形で表すのはドイツ語だけですよ」
「で、女性形だとどうだとおっしゃるのですか」
「価値転倒と私はいいたいのです」と靴直しは言った。
「太陽というのは力ですからね。力を女性視するというのは正当じゃありません。それではこういう不適格な表現が、どこから生まれてくるかと聞かれれば、これは私見ですが、ゲルマン民族の一種のセンチメンタリズムが原因でしょうね。センチメンタリズムというやつは、往々にして価値を転倒しますからね。そして、そのセンチメンタリズムがひとたび裏返しになると、残酷さを生むのです」
私はいま眼の前に座っているみすぼらしい靴直しが、こんな意見を持っているのに内心おどろかずにいられなかった。169p
フロイラインを辞書で調べるとドイツ語で「お嬢さん」の意。
★「世界の道はローマに通じる。しかし世界の心はフロレンスに通じる」222p
フロレンスは英語のフィレンツエの意。
★彼の中にはユダヤの血が半分流れていた。ユダヤの血が流れているということは、別の言葉でいえば、一つところにじっとしていられない。絶えずエランを求めてやまない衝動に駆られた性格を持っているということである。「来るべきものへの期待」すべてのユダヤ人はこの期待とあこがれとを心の奥深くもっている。そして、このあこがれが、彼等を、空間的な意味でも、精神的な意味でも、知的な意味でも「さすらい」に向かってひきずるのである。254p
エランをウイキペディアで調べると「哲学用語。生きるための『生命の躍動と飛翔』を意味する。フランス語に語源を持つélan vital(エラン・ヴィタール )が正規の表現』とある。
★あるミッションのグループが、それから間もなくサハラに新しく支部を設けると聞いて、これにも志願してみたが、やはり駄目だった。プシカリやサンテグジュペリの著作などを読むと、砂漠ほどに孤独な場所はない。その孤独にとりまかれて、人間は真の自我と存在の最も深い意義とを見出すことが出来るのである。私はいつかサハラに行ってみたい。303p
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