2018年12月1日土曜日

「豊かな記憶に包まれながら、一人で静かに死んでゆく」

 先日届いた広響の寄付のお願い。来年8月、ポーランドのワルシャワで広響とポーランドの楽団との共演があるそうだ。その際、広響団員30名を派遣するらしい。一昨日、郵便振り込みで寄付金を振り込む。どういっても無職の年金生活者。遊ぶお金は確保しても寄付金にまではほど遠い。それでも何年も何十年も広響の演奏を楽しませてもらっている。最低限の金額を振り込む。

 郵便局に行く途中、3軒先の家の人が道の落葉を掃除している。出会うと挨拶はしても話はしたことがない。自転車を降りて話をするとそのお宅と同じ敷地に建つ家2軒の住人は昨年亡くなったと聞く。近所には1軒家に1人で住んでいる人が多い。その大半は女性。1人住まいが亡くなると家は空き家になる。2軒ともそうらしい。それもあるのか、家の郵便受けには毎日のように「土地や家を売りませんか」の類のチラシが入る。

 この間までお元気そうだったのに、と亡くなられた話を聞いてびっくりする。というか、この間、と言っても去年亡くなられている。自分が感じるこの間はいい加減なものだ。それだけ月日が経つのが早いということだろう。

 話は変わって先日読んんだ『文藝春秋』 2018年12月号。特集記事に「孤独のすすめ」がある。その中の1つに五木寛之の「ひとりで死ぬこと」の幸福論がある。それは「結婚する人も、しない人もいる。子どもをもつ人も、もたない人もいる。生き方は様々あれど、誰もがみな、楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと……数々の思い出を辿り、その記憶に浸りながら、一歩一歩、死へと向かっていきます。豊かな記憶に包まれながら、一人で静かに死んでゆく――。高齢者にとっての充実した人生の終わり方とは、そのようなものだと私は信じているのですが、どうでしょうか」とある。

 こうやってみんな亡くなっていく!?まだまだその実感はわかない。それでも五木寛之が書いているように「豊かな記憶に包まれながら、一人で静かに死んでゆく」。これでいい!その意味でも生きてるうちにできるだけいろんなことをやって人生を終えたい!というよりもこういうことを考えていてはだめじゃ!まず行動!行動!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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