『新潮45』11月号に「男たちは老後、地元に帰れるか?」のタイトルで小田嶋隆が書いている。小田嶋は元来、子供は取り越し苦労をしないと大人になってしまったわれわれは考えがちだという。しかし、「実際には、頭の良い子供はいつも先回りして、ほかならぬ自分自身の子供時代を台無しにしてしまっているものなのだ」と述べる。「頭の良い…」は当てはまらないにしても自分の子供時代~大人になるまで何故あれほど取り越し苦労をしていたのだろう?、と思い当たる。
小田嶋は「そのことを思い出すにつけ、老後について『老後になってから考えても遅いぞ』式の脅迫をばら撒いている人々に、怒りを感じずにおれない」という。若い頃と同じ轍を踏まないためにもこの意見に同感する。画家の堀文子も『サライ』で老後は毎日が初めての経験ばかり…というようなことを述べている。
歳を取ったから何事もわかるのではなく歳を取るということが一人一人にとっては初めて経験することばかり。「いまここ」を愉しめばいい。
小田嶋は言う。「こんなオタメゴカシノ言説に引っかかって不安になる人間は、遠足の途中で先回りしてがっかりする子供と同じく、求めて損をしている不幸な人間と言って良い」。
「結局は、好きな人間とではなく、必要な人間とやり取りすることで、この三十数年間を送ってきた」とこれまでの生き方を述べる。それは会社勤めの人も同じと思う。ほとんどの人は収入を得るために会社に「自分の人生という時間」を預けて働く。これが自由業ならば小田嶋のいう「必要な人間とやり取りすること」になる!?
こういった人との関係も還暦以降は「なるべく好きな人間と付き合うようにしたい」と小田嶋。そして最後に「とりあえずは、自分に好きな人間がいるのかどうか、まずはそこのところから考え直してみようと思っている。道は険しい」と文をくくる。もう二度と先を思い煩いたくない。「いまここ」を愉しく!!
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