2016年12月28日水曜日

「人はなぜ必ずいつか失われるとわかっているものしか愛さないのだろう」

 週間天気予報を見るとお正月三が日は気温も13,4度と上がって暖かくなりそうだ。今朝は昨日からのお天気が回復して日差しは暖かい。今年も残り少なくなってきた。ただ元気に楽しく過ごせたことだけでも良かったかなと思う。来年もこのままの勢いで楽しく元気で過ごせるように、と願いたい。元気であれば何だって楽しくできる。

 本を読んでいると「人はなぜ必ずいつか失われるとわかっているものしか愛さないのだろう」との五木寛之の文を目にする。208p

 五木はこの言葉を発した人を特定していない。じゃ、誰が…と思ってネットで検索するが今のところはわからない。だが、同じ本を読んでこれをブログにアップした人がいた。同じ思いの人がいるんだ、と妙に親近感を覚える。

 本にはまた「宗教を必要とするのは、病める心(シック・マインド)ではないか、と。…人生のあらゆることに、残酷な真実を見てしまう。そして素直に幸福を喜べない。そんな心を病める心というならば、魚がかわいそう、というのはまさしく病める心の状態です。そして一家で食卓をかこみ、煮魚に舌づつみをうつ瞬間を素直に幸せだと感じる橘曙覧は、健康な心(ヘルシー・マインド)の持ち主ということになる」がある。これは橘曙覧が詠んだ「たのしみはまれに魚烹(に)て児等(こら)皆がうましうましといひて食う時」の歌から引用して述べている。五木は魚は一家に幸せをもたらす自然からの贈り物という。これに対するのが金子みすゞの歌。それは魚を食べる時、人に食べられてしまう魚が「かわいそう」と歌にした。63p

 小さい頃、父が釣って来た魚は何でもおいしい、おいしいと言って食べていた。人の口で食べられてしまう魚を「かわいそう」との思いから食べなければヒトは生きてはいけない。それよりも素直に何でもおいしいと言って味あわせてもらえれば食べられる側の魚にも気持ちが伝わるだろう。

 「私たちは、日常のなかで自分の好きなこと、そのことが自分にとってすごく気持ちがいいとか、自分が幸福感を感じることをもっと大事にしなくてはいけない」と五木。207p

 引用は『新・幸福論』。サブタイトルは「青い鳥の去ったあと」(五木寛之 ポプラ社、2012年)。

 五木が述べているように、新たな年も素直な気持ちを失わず、ささやかな幸せをかみしめて毎日を過ごそう!
 
 お正月、何の感慨もない。せめておいしいモノを求めてこれからデパートへ行こう!
 
 どうぞ佳いお年をお迎えください!この一年、ありがとうございました!

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