2014年11月24日月曜日

『素直に生きる100の講義』

『素直に生きる100の講義』(森博嗣 大和書房、2014年)を読んだ。本の裏表紙には「孤独を恐れる世の中で、自分だけの『喜び』や『悲しみ』を忘れてしまった人へ…」と書いてある。この2つの言葉を忘れないようにして生きている。

著者の本を読むのはこれで3冊目。毎回書いている。それは著者を知ったのは甥が我が子につけた名前にある。本の主人公の名前を拝借して付けている。

その名前の一部には「創」が付く。そのためか本を読んでいても「創造」や「創作」などの「創」の文字が並ぶ。

今回この本を読んでいて少し驚く。それは次の文章。「僕は人の話を聞くのが好きだ。その延長で、全然知らない人のブログを読んだりしている。…」。下の方にも詳しい文を載せている。

これを読んでもしかしてこのブログを見てくださっている…と思ったりする。あり得ないお話。だが、もしかして…と図々しくも想像したりする。そして嬉しがる。

というのも著者の前作品を検索すると「敏々日記」が検索画面の上位にランクされる。関係ないか?

ともあれ、妹一家は著者のファン。これは間違いない!それにあやかって私も著者のエッセイを読んでいる。しかし、断っておくと妹一家が読む本はエッセイの類ではない。

今日はお昼から三原の手前の駅、本郷まで演奏を聴きに行く。幸いお天気も良い!もっと時間があれば、仏通寺の紅葉も見たかった。時間が足りず…。

今日も元気を出して楽しく過ごそう!以下はいつものように気になる個所をメモしたもの。

※「楽しいい努力と苦しい努力の違いはどこにあるか。」では、

一般に、自分が発想したものを実現する努力というものは、基本的に楽しい。…一方、人が発想したものを実現するための努力というのは、…残念ながら楽しみよりは苦痛が大きい。…自分で何かを思いつくことが、したがって、楽しみを見つける一番の方法といえる。…よく考えて、楽しみを見つけよう。自分の人生なのだから。036-037p

※「学ぶことは、考えることではない。」では、

考えずに知識ばかりを吸収していると、知識の肥満になる、と僕には思える。…多くの人(特に老人)は、ボケないようにと文化教室に通ったり、本を読んだり、という「学び」を始めるのだが、その学びの過程に、「思考」があるかないか、が重要だと思う。それがなく、ただ覚えよう、身につけよう、としているとやはりボケる。…老人ばかりではない、若者も子供も、学ぶことに気を取られていると、結局は頭の働きの一部を使っているだけになる。では考えるとはどういうことか。…良いのは、「図工」のような科目だ。国語でも作文は良いかもしれない。ようするに、ものを創り出すことが一番「考える」に近い活動なのである。069p

※「質素な生活が好きだから、好きなように生活している。」では

もうこの年まで生きられたのだから、病気になったら早めに死ねると良いなと思っている。それには、できるだけ医者へ行くのを遅らせるのが有効だろう。健康診断なんかもってのほかである。こういうのは、僕の家族もだいたい同じ価値観らしく、浪費する人間がいない。…今のこの生活というのは、つまり人に自慢できるものに価値を見出さない、という基本的な好みの結果だと思う。人に羨ましがられたいという気持ちがないので、つまり、自分が好きなことをしているだけだ。107p

※「良いことを言っても、凄いところを見せないと聞いてもらえない。」では、

僕は。人の話を聞くのが好きだ。その延長で、全然知らない人のブログを読んだりしている。平凡な人というのはあまりいない。誰もがそれぞれスペシャルなものを持っている。平凡そうに見える生活の中にも、小説に負けないほど起伏がある。そういう人の言葉の中から、「これは良いね」と感じるものも多く拾える。…一ついえるのは、いくら凄いことを思いつき、それを口から出しても、その口の持ち主があらかじめ凄い人間であると理解されていなければ意味はない、ということである。…僕は、若いときから、「聞いてもらえないな」という思いをしてきたので。こんなペシミストっぽい人間になってしまった。生きる抵抗のことを「生き甲斐」というのである。149p

先ほど書いたのがこの箇所。これで思いつく。「いくら凄いことを思いつき、それを口から出しても、その口の持ち主があらかじめ凄い人間であると理解されていなければ意味はない…」は確かにそうかもしれない。同じ言葉でも名のある人と無名の人とではその言葉の持つ響きも変わってくるだろう。

※「孤独こそ人間の価値である。」では、

一人の時間ほど貴重なものはない。この孤独の価値が、すべての価値を生むといえる。…孤独は嫌なものだと思っている人が多い。それどころか、悪いもの、恐ろしいもの、異常なものだと見る人もいる。…一人では生きてはいけない。これは事実だが、それでも、孤独を抱いて生きることは、けっしてそんなに酷い状態ではない。むしろ、気高い心境に至るチャンスだってある。禅僧の修行などを想像してもらいたい。寂しくて泣けてくるならば、涙を流せばよい。それは、綺麗な涙だと僕は思う。人間だけが流す、価値にある素晴らしい涙である。179p

※「TVの冗長さ、内容の薄さは、社会の毒といっても良いだろう。」では、、

見なくなったのは、単に「内容がつまらないから」にほかならない。221p

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