2014年11月9日日曜日

研究会に出席して

昨日は某研究会に出席する。熊本や大阪など遠くからも席を連ねる。横の人は福山からの参加で久しぶりのご対面。反対側は感じがいい青年でM2年の男子学生。

来春の就職も決まったと嬉しそうに話してくれる。出身地の県庁に決まったとか。学部時代の友人も2年前に県庁と銀行へ就職したという。就職状況は好調らしい。

帰り際、名前を教えてもらう。研究室のHPを見ると青年の修論題目の掲載がある。今、その仕上げの真っ最中らしい。

久しぶりに会った人は博論真っ最中。聞くところによると博士課程は9年在籍できるらしい。残り少ない年数を頑張っておられる。

話していると大学に提出した修論の枚数がすごい、と話される。今は亡き、某先生が話されたとか。某先生、と聞いて一瞬わからず。若い先生で亡くなられた、と聞いて思い出す。

指導教官のご厚意で文語文の中国語解読の特訓を受ける。1915年代の中国語の文章は今のそれと違って少々の能力では読みこなせない。そこで他学部の先生と先ほどの亡くなられた先生の特訓を受けるようになる。

後者の先生には半年間、学部生に交じっての受講や、研究室で1対1の講義も受けた。ありがたかった。だが、先生は当時、病を抱えておられた。大きな体躯の先生だった。ところが、しばらく休職後にお会いした時は最初の面影もないくらい痩せられていた。

研究室には出張先の外国で目があったというお土産(何か忘れたが宗教色のある細かいお土産)を書架の真ん中に飾っておられた。病状のひどさをその時感じる。

母を介護しながら研究室に通っていた。先生との話の中で少しは励ます言葉をかけたのだろう。昨日出会った人からその先生が私の修論についてお話しされていたと聞く。

「100枚以上の長さで書いたでしょう」、とも話される。

そのころは母の介護も重なり、死に物狂いの状況だった。時間に追いまくられて…。短くする時間もないほど、忙しく過ごしていた。提出期限までに指導教官に提出すると長いのはいい。そして、一切、手は加えない、と言われた。

先のばしにはできない状況で2年で書いた。何とかクリアした修論。

昨日、その人からそれを聞いて当時を思い出す。福山に帰られる前に駅ビルの「かなわ」で一緒に夕飯をいただく。そこでいろいろと話す。

その人の修論時代は、日中国交も回復しておらず、日本では学生運動真っ盛り。就職もできず、大学院生になる人も多かったとか。そのため2年で修論は書けなかったらしい。

2年でよく頑張った、まだ若い、元気だ!と立て続けに勇気づけられる。話している人もなんたって博士論文に挑戦中。これはもう素晴らしい!

何歳になっても頑張る人の話はとても新鮮。それにしても当時のあのヴァイタリティ―はどこから出ていたのだろう。

特訓というか武者修行先の前者の先生は今年、博士号を取得されて教授になられた。

たまに出席する研究会。指導教官がお元気なうちはなるべく出席しよう!いつまでも元気でいたい!

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