2013年6月7日金曜日

『ザ・タイガースでピーと呼ばれた男 ロング・グッバイのあとで』

梅雨とは思えないほど気持いい朝を迎える。これから本格的な夏に向かって、今の気候が続けば・・・と思ったりする。

昨日は3週間ぶりに木曜日のスペイン語教室に出かける。先生の服装もすっかり様変わりしてスペイン語をあしらったかわいいデザインのTシャツを着て講義をされる。

3回も続けて欠席すると、授業もかなり進んでいる。大学で1年弱習っていても、短期間ゆえどうしても習っていないところがある。昨日の序数や分数の言い方も大学では習っていない。また数字も大まかに習っただけ。昨日は万単位の数の言い表し方で躊躇する。

例えば20,000は日本語だと10,000×2で20,000と言い表すところを1,000×20の言い回しにする。何故そうするのか合点がいかず、先生に質問すると、10,000,000を例にし1,000単位でカンマで区切ってmilをつける。だが1,000,000はこれを1単位としてmillionとする。

数字の表示の難しさはこれ以外にもある。例えば5冊の本など量詞がつくとその名詞によって数字も男性、女性と区別する。アタマがこんがらがってしまう。やはり習うより慣れろ!?

他にもスペイン語では7月から10月までが英語と2ヶ月ズレている。その理由は英語の7月と8月がジュリアス・シーザーとアウグスティヌスの二人の名を7月8月に取り入れているため。これは知らなかった。

昨日はスペイン語教室へ出かける前、図書館で予約していた本を手にする。4冊のうち1冊は、先日TVで見た瞳みのるの『ザ・タイガースでピーと呼ばれた男 ロング・グッバイのあとで』(集英社、2011年)を一気に読む。

テレビを見ているので大体のことは想像がつく。人気絶頂の4年という短い期間、瞳は引退する。その間節約して当時のお金で1千万円の貯金をする。それを元手にして引退後翌日から定時制高校に戻り、慶応大学、大学院を卒業。その間北京大学へも留学している。

慶応と早稲田を受けて、慶応は補欠入学。早稲田の合否を待ってもしもダメだったら一生早稲田を負い目にすると感じ結果は見ないで慶応大学へ入学。

小さい頃はもとは金持ちの家だったらしい。ところが小学校時代家が破産。実母は2歳で病死。小学校時代から自活の道を歩み、新聞配達、牛乳配達などして過ごす。

同時代を生きてきてその時代がどんな時代であったかよくわかる。テレビなどなく、どの家も皆貧乏な時代だった。

我が家も似たり寄ったり。だが小さい頃、自分でお金を稼ぐ苦労はしていない。

またいつものように何点か記録すべきところを書いておこう。

「どのような事態になっても、一生自分から離れないものとは?そのように考えると、やはり勉強が頭に浮かんできた。これまでしっかりやってこなかった勉強をやろう。これは何時でも何処へでも持っていける。ともかく、勉強はしたい。僕に欠けていたものを補おうという思いが日に日に強くなってきた。」122p

そして瞳は定時制高校で学んだ中国語に目覚め、中国文学を志す。当時いや今でも高校で中国語を教えるところがそんなにあるとは思えない。だが京都府の府立高校ではそれを教えていた。

「『青春時代は死ぬ時に終わる』と今でも僕は考えている。本当に時間には切れ目がないのだ。地球が地面で繋がっているように、時間の連続が一生だとすると、何時までが何で、何時までが何であるかは、画然とはしていない。日本の四季が行きつ戻りつつ過ぎてゆくとしたら、人生の時間もそのようにたゆたいながら過ぎてゆく。」127p

「『活到老、学到老、学無止境。』(学問というものは死ぬまでのもので、これで終わりということはない。生きている限り学び続ける) これは単に学問だけではなく、その他のことにも当てはまるし、また当てはめたい。生活、仕事、愛情、趣味その他諸々に。」128p

「一九八一年八月に、僕は北京の空港に降り立った。・・・」131p

1982年から中国語を習った。瞳はこれよりも1年早く北京へ留学している。見る目がある!?

「解散後、徹頭徹尾ザ・タイガースのメンバーと会わなかったり、マスコミを避けたのは、柴田錬三郎さん一家との『もう芸能活動は一切しない』という約束と、我が家をマスコミにさらしたくなかったからだ。約束は四十年近く守り、子供は理解力も備わった年齢に達し、子供を励ます意味でも僕の過去を知らせ、お前の親父の『実像』はこうであったと、隠すことなく、ありのままを伝えたくなった。」183p

その後、同じく慶応大学の学生時代知り合って結婚した8歳年下の医師である奥さんと2008年に離婚。そして明治期の音楽と出会い、メンバーと再会し、再結成の時期が熟したことなどのさまざまな条件が整ってこの本を著す。

「これまでの人生で、随分無駄なことをしたり、無駄な時間を過ごしたと思ったりしたが、今思うと全てが必要であった。無駄なものは何もない。困難があったからこそ、今の幸せがある。遠回りをしたから今の道を発見できたのだ。思うに人生に近道も遠回りもないと。迷惑をかけ、迷惑をかけられ、人を傷つけ、人に傷つけられ、今がある。悲しみが深いだけ喜びも深い。時計の振り子のように絶望の揺れが大きいだけ感動の揺れも大きい。大きく深い喜びをありがとう。馬鹿馬鹿しいと思わないで、馬鹿馬鹿しいことを一杯しよう。歳甲斐もないと思わないで、歳甲斐のないことを一杯する。不可能だと思ったら何もできない。」191-192p

「同世代から元気を貰おう。そして同世代に元気を返そう。そんな元気が僕らの中にぐるぐると回り、それが上下の世代の刺激になってもっと活気、元気、楽しみ、喜びに溢れた社会になれば、こんなに素晴らしいことはない。先ず僕ら団塊の世代から始めよう、『隗寄り始めよ』(事を始めるには、先ず自分自身から着手せよ)の精神で、元気のある社会づくりをしたい。」193p

定年後、瞳は劇症A型肝炎と脳溢血で倒れる。特に後者は中国の昆明でダウン。その際、付き合っている中国人女性と実の姉夫妻の手助けがある。

瞳はこれまで「人生を二倍生きて、感謝感謝」と言い切る。随所に専門の中国に関する解釈も見受けられる。並大抵の人生ではなかったはず。さらりと書いている。

しばらく本とご無沙汰だった。やっぱり本はいい。元気が沸いてくる。私も頑張ろう!

2 件のコメント:

  1. 瞳さんのお話し、サマリー、ありがとうございました。いろいろ苦労されたのですね。よくスターの座を捨て、巣立ったことでしょうか。最後のコンサートが終わった夜は新橋という盛り場の飲み屋で祝杯をあげて、翌朝京都に向かったとどこかに書かれていました。いずれにしても凄い人生です。12月のオリジナルメンバーでの再結成が楽しみです。僕は個人的に加橋かつみが大嫌いで、一昨年の再結成で十分だったのですが、先日森本太郎さんと飲んだ時に、今年の再結成の意味を聴き、そうなのかと、納得しました。ありがとうございました。

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  2. 舛井様

    コメントありがとうございます。これを読んで男の意地を感じます。メンバー結成時からリーダーだった。だが、目指す音楽の道がメンバーによって変化する。自分の意志とは反対方向に向かう時、折角作ったメンバーから抜け出てまったく異なるジャンルを目指す。悔しかっただろう。本来ならば高校教師でなく大学の教員を目指したという。瞳は沢田との確執を、再会時点から「いいやつ!」と言いきる。いろいろと回り道をしても結果オーライ。これでよかったのかもしれませんね。ありがとうございました!

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