今朝の新聞の天気予報によると、この一週間雨は降らないらしい。今朝も梅雨のジメジメ感はなく気持いい。
昨日はお昼まで雨。お昼を食べてTVを見ていると「人は死なない」と話している。この話題に関心を持ちテレビを見る。話している人は東京大学病院救急部・集中治療部長の矢作直樹氏。『人は死なない』という本を書いている。
話はインタヴュー形式。「人は死なない」とは人は亡くなっても魂としてここに永続するらしい。「ここ」というのは比喩であっても何処にでも存在するということだろう。
この中で、亡くなる直前に人は「はっ」とするらしい。これはお迎え現象。
この「はっとする」場面を母は「仲直りする」と話していた。人は亡くなる前に一時的に元気を取り戻す。母もそうだった。
救急に入って3週間で感染症で亡くなる。亡くなる3日間は意識はなかった。だがその前日か前々日、母を見舞うとそれまで四六時中寝ていたのに、目を見開きじっとこちらを見つめる。どうして見るのか何度も尋ねるけれども声は出ない。
その日の午後、姉が交替で見舞うともう目を開かなかった。それが母との最期の無言の会話となった。
これが矢作医師の話されたお迎え現象だろう。
矢作は若い頃単独で北アルプスなどに登り遭難する。その時「もう山に来るな!」という声を聞いて医療に没頭する。なぜそこまで?と尋ねられると「わからないから一生懸命やる」。
矢作は科学は一つの方便だと話す。医師でありながら「人は死なない」と話す。これは
科学で証明できないことに対する言葉だろう。
夜もテレビを見る。加藤登紀子が30年前から歌っているという「今日は帰れない」。その曲の作者は不明。ポーランドはナチスドイツと戦って勝利を収める。そこにはポーランドのパルチザンの存在がある。そのパルチザンの一人がこの曲を作る。
ワルシャワの広場でギターを弾いて日本語で加藤はこの歌を歌う。いつの間にかそれに聞き入る人が集まる。どの人もこの歌を知っている。
その一人から歌の作者の子供が生存していると聞く。その人と会って、その父の話を聞く。今でも家には当時のままでピアノが置かれている。
何とこの曲が作られたのは加藤の誕生年月と同じだった。それにしても不思議なご縁。
歌の作者がわかるとナチスに追われた人々の惨劇の模様を見に出かける。そこには大人や子供の履いていた靴が保管されている。横に長く置かれた靴の山。それはカンボジアで見た縦に高くケースに入れられた頭蓋骨の山を髣髴させる。
どんな形であれ、戦争はいけない。
その後加藤はパリに飛ぶ。30年前にある一人のポーランドの女性が東京で歌った歌を聞いてその曲に魅せられる。それこそが「今日は帰れない」。その歌手はポーランドを追放され、今でもパリで健在。再会した2人はポーランドの言葉でこの曲を歌う。
あるテーマを掘り下げて旅をする「旅のチカラ」。今日見たこの2つはいい番組だった。
「人は死なない」、そして「歌も死なない」!?
今日も元気を出して頑張ろう!
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