2013年6月24日月曜日

『のど元過ぎれば有馬稲子』

日も射して蒸し暑さもなく気持いい朝を迎える。

昨日は図書館へ行き、予約の本『のど元過ぎれば有馬稲子』(有馬稲子 日本経済新聞社、2012年)を借りて一気に読む。

最近は図書館へ出かけても長居をしない。以前は図書館へ出かては家にない新聞を読んでいた。中でも日経はよく読んだ。その頃読んでいた有馬稲子の「私の履歴書」をまとめたものがこの本である。

その頃から著書に関心を抱き、ミーハーになってこの本を読む。

「はじめに」に「青春というものはずゐぶん大事なものなのよ、あたし病気になってから、それが、はっきり分かって来たの・・・・」とある文を引用し、次のように書いている。

「なぜかここにくるといつも胸が痛みます。そうなんです。青春てとても大事なものなのです。私は青春を大事に生きなかった。甘い言葉にのせられて、うかうかと身も心も拉致された。今頃になってそれが大事なものだとわかっても遅い。引越しで紛れた荷物のようにどこかに消えてしまったのか、そう感じるからでしょうか。」

この文に関心を持つ。筆者はこれが言いたいんだと思い、それを探すべく本を読みすすめる。すると、169頁にそのことが書いてある。

「私は青春を大事にしなかったと書きました。甘い言葉を信じて、男の本質がわかっていなかった。その時、広い東京で、誰もいなかった。悔やんでもせんないことですが、私には宇治川のおっちゃんはいなかった・・・」

このことは「越前竹人形」を演じた時、船頭演じる佐野浅夫のせりふに「・・・どんなわけのやや子がしらんが、すんでしもたことや、誰かてつらい時はあるもんや・・・」がある。有馬は「その滋味溢れる台詞は、私の皮膚を突き通して細胞に沁みこみました。昔私も経験したことと重なって・・・ごめんなさい、ごめんなさいと、毎日謝りながら泣いて演じていました。」と書いている。筆者の まわりには信じられる人がいなかった。

筆者は暖かい家庭で育っていない。2008年、すべてを処分して横浜にある中高年のマンションに移り住む。そこは食事も集団でする。やっと落ち着ける家庭と信じられるものにめぐり合う。このことは以下のことにでもわかる。

「いまの時代を生きる上で、いちばん大事なことは、信じられるものは何かを見極めることだと思います。家族でも趣味でもいい、お金という人もいるかもしれません、ペットだって素晴らしい。ただ私は現在の日本ではほとんど根無し草のようになっている家族というものだけを追い求めてきた、それにいささか懺悔の思いがあるわけです。」234p

それは2011年の震災での報道にある。仙台に住む人が図書館で借りた本が体ごと濁流に流されそうになる。だが図書館の本は公共のもの。だから捨てるわけにはいかない。濁流に飲まれながらも車が木に引っかかり、本を抱きかかえて無事だったとか。

この話を知って「日本人の心の中にある、こうしたゆるぎのない責任感、これだけは信じていいと思いました。・・・この年になって、ようやく自分の中に信じられるものがいくつあるのか、冷静に考えられるようになりました。・・・少しずつ自分の中に信じられるものを増やして蓄える、そんな生き方を目指そうと考えます。・・・」235p

表面的には何の不自由もなく華やかに見える芸能界。だが、そう見えても皆同じ人間。そう思ってこの本を読む。筆者はこの本で天涯孤独と書いている。家族を持つことへのあこがれが人一倍あったのだろう。だが映画監督との間に授かったこどもも生むこともなく・・・。その子がいれば家族ができてた・・・との思いがあるのだろう。

今日はお昼を済ませるとプールに出かける予定。元気を出して泳ぎに行こう!

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